熊野通信アーカイブス(その八拾六) :人生に熊野を・・(8)
前回は、「所有から共有へ」の捉え方を、熊野権現に学んだ、室町時代の一遍上人の心である「捨てて、捨てて・・・捨て去って!」そして本当の心の豊かさや、自由にして無碍な大自在に生きたエピソードをお伝えしました。
にっちもさっちも・・日本!
とうとう決断が下され稼働した原子力発電の再稼働。あちらを立てればこちらが立たず・・・にっちもさっちもいかない現実の中で、やはり日本の破壊的危機と再生は、歴史的にも原子力爆弾に象徴されるように、「核の分裂エネルギー」が国を左右する要になるのでしょうか?福島の学びである「未曾有」や「想定外」と言う、本来の意味がまったくわかっていない浅はかな選択をしたものです。
もう、こうなってしまっては、一人ひとりが無事に夏が越えられますようにと、全国民が真摯に「夏越しの祓え」をして「茅の輪」をくぐって八百萬の神々に、今こそ、ご利益信仰でも何でも良いので、日本国体の安全とすべてのいのちの安泰を祈る他ありませんね。これは、いつでもどこでも誰でも思い立ったらできる事です。
いのちとお金を天秤にかけて・・!
「電気が無ければ食って行けない!」「原発で生計を立てている!」・・・いのちよりも、経済が最優先する今の世の中は確かに「お金」が神様になっています。賢い人類が生み出した、軽くて何でも買える便利なツール「お金」。お金は有るに越した事はありませんし、確かにこのお金は、何にでも変身でき多くの人を助け、夢と希望を叶えてくれます。
しかし、神はカミでも「紙」なので、燃えてしまえばそれっきりで、単なる灰になって消えてしまいます。お金は善でも悪でも無く、ただ便利な道具として存在するだけなのですが、「神」のように化けて人心がコントロールされるように仕組まれています。特に最近は、お金自体がその姿を、情報と言う目に見えない形に高度化されて、いのちを奥深く蝕んでいるのです。
ダイナミックな変化は一瞬に・・・!
ここ数年間を経て、数々の大自然からの試練を受ける私たちですが、目の当たりにする光景から、一体何を学んでこれたでしょうか?相変わらず人ながらの右往左往の世の中で、自分のいのちがこの世界に出てくる生前や、この世界から自分が消えた死後すら真摯に見つめず、惰眠をむさぼっていて良いのでしょうか?ある朝、目が覚めたら違った世界が一瞬にして広がっているやも知れません。
NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二