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AIと蘭学の共通点

Youtubeチャンネル「ReHacQリハック」でのAI談義。
産学官のAI関連のトップランナーの方々が、「日本は(ITの遅れに比して)AI分野に関しては健闘している」と話されていた。

動画を見ながら、日本におけるAIの現況と、江戸時代の蘭学は何だか似ているなぁと考えていた。


蘭学者~と言えば、親から継いだり、殿さまから任命されてしぶしぶやってる通訳者のようなイメージだったけれど、実際は全然違ったらしい。

言語史研究家の杉本つとむさんの著作を読んでみると、多くの蘭学者は職業というよりは、どうやら「知的探求心から翻訳や学問に勤しんで」いて、その熱意に対して藩や資産家がスポンサーとして援助していたようなのだ。

著作の中で一番目を引いたのが「蘭学者相撲見立番付」(P33)。
遊び心から作られたと言われている番付表で、当時活躍していた蘭学者が東西別に番付されている。

杉田玄白、前野良沢などの著名な蘭学者の名前もあれば、町民から藩主まで、番付表に載っているだけで80名前後。となると蘭学の裾野はどれほど広いのか?
相当な数の人たちが、蘭学にハマっていたのが想像できる。

それに、職人や商人が藩主の上のランクに格付けされていたりする点もおもしろい。遊び心とはいえ、もし殿さまが知ったら怒るんじゃ⁇と心配になる。

著者もその点について詳しく書かれている。

社会的地位、身分、職業の種類などとはまったく関係なく、まして支配者階級に属するものか、被支配者階級に属するものか、それらすべてを無視、ないし拒否しています。<蘭学>という学問分野における人間平等観を暗示したもの、まさしく蘭学が近代を志向している!と結論づけることができるのではないでしょうか?

『江戸の翻訳者たち』杉本つとむ著 P41-42

想像だけれど、蘭学が全く新しいジャンルだったので、よくも悪くも大御所的人物や既得権が存在せず、身分を問わず実力勝負の自由な分野だったのかもしれない。


上述の索引の「蘭学」部分を「AI」に変えてもしっくりくるように思うのは、気のせいだろうか?

開発という意味では、いまさら凡人には手も足も出せないけれども、AIを活用する分には誰にでもできる。
それに仮に2022年のChatGPTの登場をもってAI元年とするなら、まだ誰しもが同じスタートラインに立っているレベルだと言える。

知的好奇心さえあれば誰でも参入できることと、誰にとっても新しいジャンルなので同じスタートラインに立てること。
この2点において、AIと江戸の蘭学は似ているように感じた。

未知の世界へ人を導いてくれる~という点でも似ている。

「日本がAI分野ではそれなりに健闘している」のも、蘭学が流行ったのと同じ理由なのかもしれない。新し過ぎて、抵抗勢力や既得権がないから。

当時においては実利的メリットはなかったであろう蘭学者の努力は、後に明治維新や以降の近代化となって大きく花開いた。

AIが汎用化された世界には、新しい文明開化が待っているのかもしれない。
そう思うと、何だかワクワクしてきた。


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