老害になりたくないので、みそっかすに立ち戻ろうと思う
西野亮廣さんがYoutube動画で「老害化を回避するには、周りの人が助けたくなるような愛されるいじられキャラになろう」という主旨の話をされていた。
昭和の頃の子ども社会に存在した「みそっかす」制度を思い出した。
「みそっかす」は、遊ぶ際にいっちょまえと見なされない子のこと。
例えば、鬼ごっこやかくれんぼでは捕まっても鬼役は免除され、対戦遊びの際には頭数にカウントされないし、失敗しても責められない。
自転車レースなど危ない遊びは、みそっかすは参加できなかった。
「一人前の働きはできないので、義務や責任はなく、権利もないけれど、仲間として受け入れられている立場」と言えるだろうか。
動画を見ながら、老いを感じた人は、みそっかすの立場に戻ったらどうだろう?と考えていた。
自分も老害と言われてもおかしくない年齢に差し掛かり、悲しいかな気力も体力も思考力も衰えていくのを感じるようになった。
ネットでバイトに応募すると、名前と生年月日しか入力していないのに、面接にすら進めなくなった。その度に落ち込むけれど、採用する企業側の気持ちもよく分かる。人間スペックを問わない単純作業なら、できるだけ若い人の方がいいに決まっている。
最新Core搭載の新品のパソコンと、20年ものの中古パソコンが同じ値段で並んでいたら、いったい誰が中古パソコンを選ぶだろう?
書きながら悲しくなってきたけれども、それが事実だ。
自分の経験では、一人前と言えるのはせいぜい20-30代、40代前半でギリギリ、40代後半以降はメンテナンス次第という感じで、以降メンテナンスを怠っている分野はどんどん錆びついてポンコツ化していく。
経験知で何とかこなしているけれど、正直なところ人間として一人前の働きができているとは思えない。
老害を「一人前の義務や責任を果たす能力がないのにその自覚がなく、一人前の権利を主張して、仲間に混ぜろと文句を言う人」と仮定すると、みそっかすは「半人前だと自覚していて、権利を声高に主張せず、仲間に混ぜてもらえる人」だ。
老害とみそっかすの立場は、一人前の働きができないという意味で、限りなく近い気がする。違いは「自分ができないことを認めているかどうか」だけか。まさに高齢者の運転免許返納の問題と同じだ。
簡単なことのように思えるけれど、一度手に入れたものを手放すというのは、人によってはものすごく難しいことなのかもしれない。
私は老害になりたくないので、みそっかすに立ち戻ろうと思う。
追記:
周囲の人に聞いてみたところ、「みそっかす」は、地域によって「まめ」「まめこ」「まめっこ」などと言われたりするそうです。
他の言い方、方言、外国語でもあるよ、などなど、みそっかす的な存在に関する情報がありましたら、コメント欄にてぜひ教えてください。