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月例落選

「緊急」を何度も発する日常に今年も燕が子育ての日々
(きんきゅうを なんどもはっする にちじょうに ことしもつばめ こそだてのひび)

母の日の荷物混み合う間隙に故郷からの月山筍
(ははのひの にもつこみあう かんげきに ふるさとからの がっさんたけのこ)

幻のオリンピックの旗靡く錆びたシャッター偶に商店
(まぼろしの おりんぴっくの はたなびく さびたしゃったー たまにしょうてん)

祭り止め祭りの後の祭り止め何も変わらぬ後の祭りか
(まつりやめ まつりのあとの まつりやめ なにもかわらぬ あとのまつりか)

今月は『角川短歌』がいつもより早く届いた。24日が休みなのでその前の配達になったのだろう。前月に続いて今月も入選を逃した。投函したのは5月10日。選ばれなくても仕方ないかなと思う。詠みたくて詠んでいるのではなく、仕方なく詠んでいる感じが滲み出ている。詠むことを楽しいと思わなければ読む方にも響かない。当然だ。

投函の締め切りがあって、そこに間に合わせようと思って捻り出すと、ネタは感染症関連になるのは私に限ったことではないようだ。それにしても、もっと他に生活の中に何かないものかと、我ながら情けない気持ちになる。

駅前の燕が営巣に失敗したことは前回「落選月例」に書いた。世間が「緊急」だろうが季節の移ろいは淡々と続いていく。時季を迎えれば美味しい野菜を頂く。山形県に親戚は無いのだが、時々このnoteにも書いているように妻の実家が新潟県柏崎市だ。食文化としては新潟と山形はかなり重なっているらしく、妻の要望もあって、山形県鶴岡市のふるさと納税でいただいた。ふるさと納税の返礼品に関しては、個人的にハズレに当たったことがない。毎年確定申告をするので、実質的に無料で各地の美味しいものを楽しませていただいている。そんなものが母の日の贈り物の品々で大変混在している物流の間隙を縫うように届いた。感染症含め諸般の事情で会いたくても会えない親子の交流の邪魔をするようで申し訳ないかなとも思ったのである。

私はこれらの歌を詠んだ5月10日頃の時点ではオリンピックは中止になるものだと思っていた。それで「幻のオリンピック」としたのだが、無観客で強行となった。1964年のオリンピックがどのようなものだったのか、当時2歳だったので何もわからないのだが、今回のようなドタバタがやはりあったのだろうか?今回は、いろいろなことがやり直しになったり、いろいろな場面で関係者が辞任したりする大会だ。競技場の設計、エンブレムのデザイン、組織委員会の人事、音楽や関連イベントの関係者、他にもたくさん不祥事があるのだろう。大きな利権とカネが動くのだから綺麗事で済むはずはないのだが、もう少し上手くできないものかと思う。しみったれと馬鹿ばかりが国の要所要所に居座っている印象を全世界に喧伝しているかのような印象だ。せめてもの救いは、他所の国の政治も日本に負けず劣らす酷いことだ。人類滅亡はほぼ確定だと思う今日この頃である。

オリンピックは開催することになったが、国内各地の祭りは昨年に続いて今年も中止になっている。柏崎でも例年6月に開催される「えんま市」という江戸時代から続く夏祭りと、7月に行われる花火大会が中止になった。結局、何か事が起こった時に責任を取ろうという奇特な人が存在しないのと、そうした行事に対する当事者意識が世の中全体に希薄であるということなのだろう。また、地方経済は疲弊しているので、費用を負担する人や組織がそもそも足りないという事情もあるだろう。おそらく感染症は来年も続く。既にワクチン接種をほぼ終えているのに、感染症の流行が一向におさまらない国がある。他人事ではない。ワクチン接種が感染阻止の切り札にはならないことが既に明らかになったようなものだ。そうなれば、来年の祭りも中止になるところが多いだろう。3年連続で中止になれば、「もう、やんなくていいんじゃないの」という意見が当然に広がる。そしてそのままなくなってしまう祭りが出てくるような気がする。

ところで、今日、一回目のワクチン接種を受けた。予約サイトではワクチンの種類を選択できるのだが、「どれでもよい」にしたらファイザーだった。二回目は3週間後だ。妻のほうは、別の日に別の会場でモデルナの接種を受けるらしい。接種のブースで注意事項を読んでいたら、副反応の出現確率が高いことに驚いた。昨日、整体に行ったら施術師が「うちのお客さんで接種をした人の7割が何かしら副反応が出てますね。ま、私の印象ですけど」と言っていた。今月初旬に一回目の接種を受けた母も「次の日は腕が痛くて上がらなかった」と言っていた。大急ぎで拵えたワクチンなので、多少の不具合は仕方がないのだろうが、それにしても大丈夫なのかと思う。私の勤め先では接種を受ける受けないは「個人の判断」という建前だが、受けない場合は「人事に届出」ということになっている。要するに、接種に纏わるリスクは個人で引き受けた上で接種しろ、と言っているようなものだ。今日届いた『角川短歌』の「第五三二回 角川歌壇」で面白い歌が特選や秀逸に選ばれていた。わけがわからなくても、雰囲気で「奪い合う」という人間というものの何事かを見事に突いた作品だと思う。

「元気でね」交わした人らと奪い合うコロナワクチン予約の電話
(宮崎県 平田優子)

この歌を特選に選んでいるのは藤原龍一郎先生、秀逸に選んでいるのは佐藤通雅先生。


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熊本熊
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