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消耗品

昔に作った歌の投稿ばかりと思われるかもしれないが、敢えてこのサイトは現在進行形にはしていない。なぜかというと、毎月投稿している短歌誌をはじめとして、世の歌会は初出の歌を出さないといけないことになっている。このサイトは公開されているものなので、ここが初出になっている歌は他所では使えないという事情がある。時候の歌というものがあるが、ここは時効の歌ともいえる。

そんなわけで、2019年5月に詠んだ歌。

いつまでも働くことを目指してた昔の道具見向きもされず

とりあえず用が足りれば用済みに道具も人も消耗品

明らかに寿命の見える消耗品それが世のため人のため

便利とは誰にとってのことなのかゲームにつぶやきもうすぐ亡者

2019年5月の連休に携帯電話の電池を交換した。それ以前から調子の悪いことがあり、電池の所為かと見当をつけたのである。しかし電池を交換しても相変わらず時々調子が悪い。近頃の道具類は総じて寿命が短い。物理的耐久性があったとしても、そこに搭載するソフトの方が日々変化して器と反りが合わなくなる。生活の方がそういう道具に依存するようになると、道具の使い勝手と使い手の暮らしとが合わなくなる。道具を使えない人の方が退場を強いられているかのようにも感じられる。中にはそういうことのために妙に萎縮してしまう人もいるかもしれない。道具というのは使い手あっての道具ではなかったのか。「道具も人も消耗品」なんて思うのは思う側の勝手ではあるけれど、その一方で人権だの差別だのと喧しい。仕組みとして、賃労働によって人間と労働力とに分けて考える、という無理があるからそういうことになる。おそらく大多数の人が自分を人間だと思い、他人を労働力とかモノだと思っているのだろう。

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熊本熊
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