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月例落選 俳句編 2022年7月号

このところ落選ばかりだ。投稿したものを読み直してみたが、良い句を詠もうという意志が感じられない。こういう姿勢は良くないのではないか。というわけで、己に喝をいれようと思った。見出しの写真は喝を入れているイメージのもの。昨年初詣に参拝した寒川神社。ここは高倉健が頻繁に参拝していたことで知られており、佐藤栄作も私人として毎年初詣に参拝していたらしい。だから何、というわけではないが。今年は「落選」のときの見出し写真は白黒フィルムの写真にして、佳作や入選のときは普通にデジタルのカラーにするつもりだったが、落選続きで白黒の適当な写真がなくなってしまった。

本日発売の角川『俳句』の「令和俳壇」への投句は3月末日消印有効。3月に詠んだ句である。

題詠の兼題は「表」または「尾」。「尾」を選んだ。表舞台に縁が薄いので、実質的に選択の余地がなかった。

花見酒尾を振る相手間違える

尾を統べて朝寝決め込む新浪人

季語は「花見酒」と「朝寝」。どちらも春。3月だから。

どちらも思いつきで詠んだ句で経験に基づくものではない。これがいけない。自分が経験したことで何かを感得するのと、知りもしないことを言葉にするのとでは、出て来るものがまるで違う。ま、しかし、そういうことをこういうことで学ぶことで人は大人になる。大人、と言っても、もう先はないのだが。

私は下戸だ。でも、日本酒が好きだ。出かけた先で、その土地の冷酒を一合だけいただく。それが自分の酒量の限界だ。かつては仕事で接待したりされたりということがあって、そういう時の酒は味など気にしている余裕はなかった。接待のない仕事になってしばらく経って、人生のサイクルのいろいろなことが終局に入ってから、自然に酒に手が出るようになった。何かきっかけがあったわけではなく、気がついたら好きになっていた。好き、と言っても積極的に呑みに出かけることはない。何かの機会に外で食事をすることがあれば、そういう場で少しいただくだけだ。

まだ30代だった頃、仕事で勤務先の社長の鞄持ちをしたことがあった。幸い、首尾よくその仕事がまとまった後、社長はその仕事に携わった数名を自分の行きつけの飲み屋に連れて行った。銀座の路地裏にあるカウンターだけの小さな店で、店主ご夫婦だけで切り盛りしているようだった。子供の頃テレビで観た「だいこんの花」というドラマに出てきた「日高」のような感じだった。店の中が静かで親密で、なんだかとてもほっとできるいい店だなぁと思った。自分も社長くらいの年齢になれば、こういう店に足を運ぶようになるのかなぁとも思った。今、自分がその時の社長の年齢になった。しかし、そんな店との縁は全くない。諸々巡り合わせが違うということもあるだろうし、人としての器がそもそも違うということもあるのだろう。その銀座の店でご馳走になった料理や酒のことは何も覚えていないが、お土産に小さな経木の箱に入ったちりめん山椒をいただいたことは何故かはっきり覚えている。それ以来、私はちりめん山椒が大好きだ。

「尾を統べる」というのは「尻尾を下げてしょんぼりする」の意。浪人の経験は2回ある。受験に失敗したというのではなく、勤務先を解雇されて失業したことだ。尤も、高校受験も大学受験も第一志望の学校には入れなかった。新卒の時の就職も志を持ってどこかに入社したというのではない。意志薄弱というか、何かをしたいという「何か」がないのである。ないものはどうしようもないわけで、生活をするだけならなくても差し支えないのである。むしろ「ない」と挫折とか失意を覚えることがない。何かがあって、それがどうしても叶えられないとなると、がっかりするわけだ。しかし、超えるべきハードルがなければ、がっかりするきっかけがない。おかげで60年間平穏に暮らしてきた。

「平穏」と言っても、生活のあれこれは当然ある。しかし、それらをいちいち一大事と思うことなくやり過ごしてきたということだ。文字に起こせば転職も離婚も、それらにまつわる小さな厄介ごとの数々もある。しかし、その瞬間瞬間でそれ相応の感情の起伏はあるものの、どれも別にどうというほどのことではないのである。どれも生活の事務にしか見えないし、事務のない社会生活はない。

雑詠の方も春の季語を使ったものばかりだ。

旅立ちに鰆つついて夢語る

春休み空気読まない旅の人

大異動慈姑呑み込む覚悟して

青山に福井の宿屋が経営する料理屋がある。根津美術館に出かける時は、そこのランチを予約して行くことが多い。たまたま3月の終わりにその料理屋のランチセットをいただいたら、「本日の焼き魚」が鰆だった。まだ寒い日が続いていたが、そういう時期になったのかと、少し驚き、少し嬉しかった。自分はもはや旅立ちというものとは無縁なのだが、春は年度がわりで旅立ちの人も多いのではないかと思い、こんな句を詠んだ。鰆だけが経験で、あとは軽く浅い空想だ。

春休みとか盆暮とか、人が行楽で大移動をする時期がある。通勤の時間帯に大きな荷物をゴロゴロ転がして人混みの中をそういう輩と思しき連中がうろうろする姿を見ると、イラっとする。そういう時はタクシーでも使えばよさそうなものだと思うのである。わずかばかりの交通費をケチるくらいなら、旅行になど行かない方がいい。

三句目は落語「百川」を知らないと何のことかわからない。「百川」で奉公初日の百兵衞はちょっとした誤解がもとで慈姑のキントンを丸呑みする羽目になる。春は異動の時期。慣れない職場で百兵衛のような目に遭う人もいるかもしれないと思って詠んだ。

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熊本熊
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