印鑑運
2019年5月、五島美術館で「近代の日本画展」を観た時に詠んだ歌。
これよりも上手く描く子がいるはずと大先生の観音拝む
金運がつくと言われて買ったのにラピスラズリの怪しげな印
順路の初めの方に横山大観の作品が2点、続いて下村観山と並ぶ。あくまで好みの問題でしかないのだと思うが、大観の絵は画家としてどうなのかといつも思う。
同展と同時開催の小企画として石印材の展示があった。2度目の解雇を経験した時、就職活動で香港に出かけた。その時、験担ぎと思ってペニンシュラの中にあった印鑑店で印鑑を誂えた。店の人から「金運が良くなるのと、仕事運が良くなるのと、どちらがよろしいですか?」と尋ねられた。仕事が上手くいって、金回りが良くなるものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。当時、50歳だったので、今更仕事でもないだろうと「金運」と答えたら、ラピスラズリをすすめられた。翌々日に彫上がって受け取りに行った。日本ではあまり見かけない字体で個性的なので、たいへん気に入って、以来何かというとこの印鑑を使っている。
就職の方は日本の会社に決まったが、解雇前より年収は下がり、仕事内容も上からの無茶振りばかりで右往左往するばかりで、その後2回転職して解雇前の年収を回復して今日に至る。しかし、定年を目前に控えて、このままでは所得が断崖から落ちるように下がるのが明らかだ。印鑑で運がどうのこうのというのは遊びのようなものとはわかっているが、この印鑑がなければもっと悲惨なことになっていたのかもしれない。
二首目は、今ならこんなふうに詠むかもしれない。
運運と騒いで楽し外国の旅で手にする碧き印鑑
(うんうんと さわいでたのし とつくにの たびでてにする あおきいんかん)
「碧き」には青いという意味のほかに「知識・修行などが十分でない」という意味もあるので、そういう己の愚かさも含めたつもりである。