青花の会 講座 『古道具坂田と私 5』 土田眞紀
会からずいぶん時間が経ってしまった。この講演会が開催されたのは2023年2月18日土曜日。『古道具坂田と私』シリーズの講演会のとりあえずの最終回。講演会のチラシには講師の略歴と講師からのひとことが記されている。そのひとことにこうある。
講演の方は2008年9月14日〜28日に多治見・土岐・瑞浪を舞台として実施されたアートプロジェクト「aim'08 土から生える」で坂田さんが担当した展示についての話が主体だった。このプロジェクトには以下の10名が作家として「作品」を展示した。
このプロジェクトで坂田さんは二箇所の展示を担当した。
1. 市之倉窯場跡
窯場の作業所のような場所。坂田さんはここに何かを展示するのではなく、ただ掃除をしただけ。
2. 下石陶磁器工業協同組合 旧釉薬工場 資材置き場
坂田さんは、その場に残されていたものの中からいくつかのものを選んで並べ直して「展示」とした。
講演ではその時の写真がスライドで映し出された。
窯場跡は床に工程途上の器類が無造作に散乱したままで、一つ二つ残された棚板には窯入れを待つ素焼きの器が並んでいる。陶芸に縁のない人にはただの廃墟に見えるかもしれないが、私は陶芸をやっているので、それは生々流転の一断面のように見えてハッとした。陶磁器を作る工程は土練から焼成までひと月ほどかかる。実際の作業にはそれほど時間がかからないが、乾燥待ちや窯入れ待ちの待機時間がばかにならない。おそらく、窯場の廃棄が決まった時点で、既に工程に入ってしまったものには手の施しようがなかったのだろう。時間は止めたり動かしたりすることができないので、我々は動いていたはずの光景がある時点で止まってしまったのを見ることで時間にまつわるあれこれを想うのである。ま、その人その人の想像力に応じて、ということではあるのだが。坂田さんが窯場跡の廃墟に手を入れず、そのまま「展示」したのは、彼が考える人の営み、人そのもの、といったことのあれこれがそこに見事に凝縮されていると感じたからなのだろう。
資材置き場の方は茂原のas it isのようだった。資材置き場なので、工場の操業停止が決まった段階で、移動可能であったり換金可能なものは持ち出されてしまったはずだ。そこに残されたのは、空間とかつての営みの残影のようなものだけだったろう。そこに何を見るかは、見る人の人生に応じて見えるものということになる。
土田さんはここで岡倉天心の『茶の本』の一節をスライドに映した。
「結局のところ、私たちは、この広い宇宙のうちにただ自分自身の姿を見ているだけなのだ。」
なるほどその通りだと思う。今まで考えたことがなかったが、坂田さんの眼も、柳の民藝も白樺派も、茶の湯も、ぜんぶ繋がっている。「芸術」という言葉を使ってしまうと、なんだか自分から遠いところの話のように聞こえてしまうが、人の価値観の一切合財を便宜的に「芸術」と呼ぶとすれば、我々の行為はすべて芸術だ。それが世間で「芸術」と認識されて愛玩されるか、自分だけの世界で完結してしまうか、結局のところは縁と運だけのような気がする。
生きているものは己の生が絶対的な善であるとの前提に立って物事を見る。当然だ。そうでなくては生きていられない。しかし、だからといって生命讃歌のようなことを当然の如くに主張するのは、生命主体間に当然生じるはずの利益相反に対する思考を放棄することになる。現実のところは「最大多数の最大幸福」という妥協で落とし所を探り続けるより他にどうしようもないのだろう。「妥協」とか「知足」といった知恵を抜きに我々は「平和」や「幸福」にはなれないのだと思う。
誰もが同じ価値観、同じ方向を目指せば妥協や知足など成り立ちようがない。そこで多様性が求められることになる。「ひとりよがりのものさし」が貴重なのは、それが巡り巡って全体最適の重要な解の一つになるからだ。多様性と妥協は表裏一体なのだろうし、それによって己の生の絶対性も担保されるのだと思う。美意識であるとか芸術といったものが何故重要かといえば、それによって人が己を相対化するきっかけの一つになるからだと思うのである。長く続く文明や文化に必ずといって良いほどに芸術がついてまわるのはそういう所為も多少はあるのだろう。
自分は長く続く文化や「ひとりよがりのものさし」のあるところ、ある時代で生きることができて幸運であり幸福であったと人生の晩年を迎えて安堵している。改めて、これまで自分と関わってきたすべての人やことに感謝する。