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たまに短歌 デジタルライフ
丁半か当たり外れかOn-Offか
二択ばかりのアタシの暮らし
ちょうはんか あたりはずれか おんおふか
にたくばかりの あたしのくらし
先週木曜日に職場の昼休み勉強会の講師の番が回ってきた。今回は核分裂の話をした。一応の決め事として、持ち時間15分で話10分、質疑応答5分となっている。今回で何度目の講師役なのか、勘定していないのだが、きちんと尺に収まったためしがない。非公式な部署内の勉強会で、そのために事前に稽古をして臨むような類のものでもない。しかし、まとまった数の人間を相手に話をする機会が他に無い所為もあり、3か月に一回程度の割で回ってくるこの講師役は毎回大変緊張する。根が繊細なのだ。
6月に顧客向けに発行した原子力のレポートがあった。ESGのチームが執筆したもので、CO2などのGHG排出抑制という観点から原子力に焦点を当てた内容だった。CO2削減が喫緊の課題とされているのは承知しているつもりだが、だからといって安直に原発関連銘柄へ投資という発想に違和感を覚えた。それで、原子力の基本に立ち返る視座を投げかけるつもりで核分裂を取り上げた。
核分裂は高校の物理や化学のレベルだろう。私が通っていた高校は私立で、二年生から進学先の希望に応じて、文科系と理科系に分かれてカリキュラムが組まれていた。私は文科系だったので、物理1と化学1は一年生のときに履修したが、その後の記憶がない。物理2とか化学2を履修しなかったはずはないのだが、心許ない。今回の講師役の準備として、以前読んだ駿台の山本先生の本を再読したり、元素の周期表の解説本を読んだり、それはもう涙ぐましい付け焼き刃を重ねた。
それで勉強会の話だが、こんなふうにまとめた。
まず、「原子力とわたし」について。聴衆たる同僚諸氏は私が原発や原子力とどのような関わりがあるのか全く知らない。話というのは話者と話題との関係についてある程度の了解がなければ、話の内容が相手に受け容れられないばかりか、それ以前に聴こうという気すら起きないものだ。だからと言って、ここを詳細に語ると、それだけで時間が終わってしまう。これはマクラとして箇条書き風に三つのことをポンポンポンと列挙するに留めた。
(1)六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場の建設現場を見学したことがある(2001年9月)
(2)学生時代の知人で東京電力に就職していた者があり、彼は東日本の震災当時、福島第二原子力発電所で勤務していた。彼から「観にくる?」と誘いを受け原発近辺を案内してもらったことがある(2016年6月)
(3)再婚相手が新潟県柏崎市出身で、毎年盆と正月を柏崎で過ごしている。柏崎には世界最大級の出力を持つ東京電力柏崎刈羽原子力発電所があり、原発は他人事ではない(2013年以来)
本当は学生時代に反原発運動に関わっていて、東電の彼はそれを知っていたからこそ、事故から一段落した頃に声をかけてくれたのである。そのあたりまで含めると話の収拾がつかなくなってしまう。
次に6月にESGチームが発行したレポートにある原発のCO2排出とエネルギー効率について。一般に「エネルギー」という場合、その内実は電力であることが多い。実際問題として、我々の日常生活は電気という形でエネルギーを消費している場面が圧倒的に多い。その電気を作るのは発電機のタービンを回転させる行為でもある。どうやって発電機を回すのか。
(1)湯を沸かして蒸気を起こし、その圧力でタービンを回転させる
(2)水流や風力でタービンを回転させる
(3)その他(光電変換素子の利用(いわゆる太陽光発電)など)
(1)の湯を沸かす手立てとして、火力、原子力、地熱といったものがあるが、湯を沸かすという点においては同じことである。火力は燃焼過程を伴うが、原子力にはそれがない。故にCO2の排出がない。明快だ。
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参考までに、東京電力の発電能力をまとめた。
発電設備 発電所数 出力(万kW) 構成比(%)
原子力 1 821.2 15.2
火力 3,718.8 68.7
LNG 9 2,843.8 52.6
都市ガス 2 240.0 4.4
石炭 3 575.0 10.6
石油 1 60.0 1.1
水力 163 864.2 16.0
その他 5 5.1 0.1
合計 5,409.3
出所:東京電力ホールディングスおよび関連企業のウエッブサイトより熊本熊作成(2024年9月1日現在)
これはあくまで出力、つまり発電能力であって実際の稼働状況ではない。例えば、柏崎刈羽には7基の原子炉があるが、現時点ではどれも稼働していない。また、7基全てが稼働する状況というのは保守点検のサイクルから見ても非現実的なので、現実に柏崎刈羽が800万kWを出力することはない。しかし、一つの原子力発電所の出力が163ヶ所の水力発電所の出力とほぼ同じという事実は注目に値しよう。もちろん、火力発電と比べても発電所一ヶ所あたりの出力は桁違いに大きい。しかも、CO2の排出がない。
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原子力が湯を沸かすことができるのは、ウランの核分裂の際に発熱するからだ。発熱といっても、38℃で「今日はずっと寝てようかな」というようなものではない。自然界にあって長い年月をかけて漸く落ち着いたものを無理矢理ナニするのである。タダでは済まない。そういう熱である。
自然界の物質は遍く原子によって構成されている。その原子は陽子と中性子からなる原子核とその周りを回る電子から成る。原子を構成する陽子の数がその原子の性質を決める。陽子の数が原子番号とされる。陽子は正の電荷を持ち、それに対応するように負の電荷を持つ電子が陽子の周りを自転しながら回転している。陽子には電荷を持たない中性子がくっ付いて原子核を形成する。但し、原子番号1、陽子を一つしか持たない水素だけは中性子がない。水素の原子核は1個の陽子だけだ。
陽子と電子は一対となって安定するので、原子全体では電荷は陽子の正と電子の負とが釣り合ってゼロとなる。原子核となる陽子と中性子を結びつけるのは核力によるのだが、この核力については未解明のことが多く、なぜどのように核力がはたらくのか理論的にはわかっていない。いわゆる多体問題である。それでも、核分裂の時に大きな熱エネルギーが発生することはわかっている。それが核兵器や発電に利用されるのである。
ざっくり言ってしまえば、原子核を構成する陽子と中性子の数が多い方が、それだけ大きな核力を内包しているということなので、陽子番号の大きな原子を分裂させた方が、小さな原子を分裂させるよりも大きなエネルギーを発生させることができる。自然界に存在する原子の中で、最も原子番号が大きいのは92のウランである。
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原子核を分裂させるには、原子核に中性子を適切な速度で衝突させて、原子核に取り込まれるようにする。それによって、それまで核力が釣り合って安定していた原子核が振動を始め、やがて分裂に至る。原子は必ずしも陽子の数と中性子の数との間に決まった関係があるわけではない。同じ陽子の数に対し、とりあえず安定する数の中性子がある。ウランの場合、92の陽子に対し中性子146個というのが最も落ち着きが良いようで、自然界に存在するウランの99.2745%がこの組み合わせだ。これはウラン238と呼ばれるが、238=92+146ということを意味している。自然界のウランの殆どがウラン238であるということは、これが安定した状態であるということでもある。
安定しているものを分裂させるのは大変だ。そこで、分裂させるのは安定していない陽子と中性子の組み合わせを狙うのが合理的だ。かといって、自然界にほぼ存在していないようなものを探し出すのは厄介だ。ウランの場合は、中性子が143個のウラン235を核エネルギー源として利用することになる。自然界に存在するのはウランの中の0.72%で、そのままでは加工が容易でない。そこで濃縮して3〜5%程度の塊にする。そうしておいて、そこに中性子が当たると、適度に核分裂が連鎖して、適度に発熱して、適度に湯を沸かすことができる。世に存在する全ての電子、陽子、中性子が何らかの原子を形成しているわけではない。何者にもならずに飛び回っているのはいくらもある。原子炉の中で燃料の濃縮ウランにそういう中性子が取り込まれると、分裂が始まる。
先ほど「安定」していると書いたが、そうは言っても一旦原子になったら未来永劫その原子のままであるわけではない。なんといっても粒々なので、何かの弾みで自然に分裂することもある。殊にウランほどの多くの量の陽子と中性子を持つ原子ともなると、陽子と中性子の不安定な組み合わせでは放っておくと分裂してしまう。そこで、原子炉に収める時には制御棒と呼ばれる中性子を吸収しやすい素材で作ったものを燃料棒と一緒に納め、この制御棒を抜き差しすることで中性子の動きを調整する。また、燃料棒は水に浸けた状態で運用・保存するのは水(H2O)も中性子を吸収しやすいからでもある。
ところで、福島には第一原子力発電所と第二原子力発電所の二つの原子力発電所が11kmほど隔ててどちらも太平洋に面して立地している。結局どちらも廃炉が決まったが、第一はああいうことになっても第二は無事だった。この違いは何なんだ、と2016年に福島を訪れたときに第二に勤務していた学友に尋ねた。答えは明快だった。
「外部電源が確保できたか否か。それだけだね」
どちらも四系統の外部電源を持っていたが、第一は地震と津波で全て切れたが、第二は一系統だけ生き残った。第二も危なかったわけだが、結果としてはそういうことらしい。しかし、この事故に限らず、物事は理屈では割り切れないことで動くものではないのか。人生など割り切れないことだらけだろう。それは私だけかもしれないが。
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核分裂はただ分裂するわけではない。陽子の数(原子番号)が92で中性子の数が143のウラン235が、例えば上の図のようにキセノン133(陽子54、中性子79)とストロンチウム100(陽子38、中性子62)に分裂したとする。初回の分裂では質量保存の法則に従い、ウラン(陽子数92)の分裂の片割れがキセノン(54)であるなら、もう片方はストロンチウム(38)ということになる(92=54+38)。さらに、キセノンが133なら、中性子は79ということになる(133=54+79)ので、ストロンチウムの側の中性子は64のはず(143=79+64)だが、そうなるとストロンチウム102ということになってしまう(38+64=102)。ところが実際には、分裂の際に中性子だけ飛び出してしまう。ウランの場合、平均2.5個の中性子が飛ぶと言われている。仮にこの場合は中性子が2個飛んだとした。キセノン133もストロンチウム100も不安定な同位体なので、ここからさらに分裂が続く。そうして安定した物質になるまで分裂が続き、分裂の際に飛んだ中性子が他の原子に取り込まれて分裂を連鎖させる。この時の無所属の中性子や一旦は形成されたものの不安定な結合ですぐに分裂してしまう物質がいわゆる「死の灰」と呼ばれる核分裂生成物だ。この分裂を思い通りに管理する、というところには至っていない。だから事故が起こる。
CO2の排出抑制という点では、確かに原子力に勝る電源はない。しかし、CO2は出さないが、、、という話だ。しかも、発電効率に優れ、一回の燃料装着で火力発電よりも長時間稼働を続けるというならば、核燃料の生産はそれほどいらないということになる。しかも再処理工場が設計通りに機能して、さらに増殖炉も実用化というようなことになったら、核燃料の生産に関連する産業が成り立ち得るのだろうか。産業というものは、ある程度の操業規模が継続することで漸く産業たり得るのである。少ない燃料で高出力なら発電所そのものもそれほどたくさんはいらないはずだ。原子力発電というものを安定的に継続できる民間企業というものが存在し得るだろうか。福島の事故が起こるまで、電力各社が熱心に「オール電化」を謳ったのは、そういう自助努力の意味合いもあったのではないか。また、放射能管理として既存の火力や水力とは比較にならない安全コストがかかるのではないか。果たして原子力というのは実用的な電源と言えるのか。
原子力燃料関連施設の稼働を高めようとすれば、民生用の需要だけでなく軍事用の需要も不可欠ということになるのではないか。原発で少量の核燃料を消費するだけでなく、実戦や実験でバンバン使うことで、核サイクルというものがある程度完結できるのではないか。民生用と軍事用では別物ですよ、なんてよく聞くのだが、根っ子は同じではないか。結局、我々は温暖化の暴走で滅ぶのか、核で滅ぶのか、二択というところに居るのではなかろうか。
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