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黄昏寸前

唐突に失われし日追い求め緊急事態に舟を漕ぐ

電車を乗り継いで1時間と少しのところにある実家で両親が暮らしている。私が既に高齢であり、その親なので相当な高齢だ。それでたまに様子を見に出かける。途中で荒川を渡る。電車の中からぼんやりと外を眺めていたら、夕陽があまりにきれいだったので、駅に降りて実家と反対の出口から土手へ向かった。土手に着くと既に夕陽は沈んでいたが、空の様子がよかった。土手の手前にある漕艇場では数艇が練習をしているようだった。ボート競技はオリンピックの種目の一つなので、ここで練習している人たちの中には出場予定の人がいたかもしれない。しかし、たぶん競技人口の圧倒的大多数はオリンピックとは直接関係ないだろう。緊急事態であろうとなかろうと、それぞれの想いを胸に艇を漕いでいるのだと思う。人の暮らしは、誰かが喧伝するようなことで影響を受けることはあっても、そう変わるものではない。それぞれが目の前のことを淡々として世界が成り立っている。そう思いたい。

「GO TO」を「ゴートー」と読む老親は無意識のうち事を知りおり

実家で当然のようにコロナのことが話題に上がる。母が「ゴートーなんかやらなければよかったのにね」と言った。一瞬、急に強盗事件のことに話題が変わったのかと思ったが、どうやら「GO TO」のことを言っているらしかった。感染症騒動で大勢の人が仕事を失ったり、失いそうになっている。それを国が補助金だの給付金だので支えようとしているが、そういう一時的な金銭補助はあくまで緊急避難的措置である。なぜなら、金銭の支給には財源が必要であり、財源は税金であり、税金は国民あるいはその資産の労働が産み出すものであるからだ。国民が仕事にあぶれていたら税金は払えない。税収がなければ国は機能しない。当座の予算は国債を発行して賄うが、国債を引き受けるのは実態としては市中金融機関である。国債引受の原資はそれぞれの金融機関の預金者、つまり国民だ。国民が仕事にあぶれたら預金などしていられない。今は潤沢な金融機関の運用資金はそのうち国債で手一杯になる。今の緊急避難的状況が長期化したら、国債は消化できなくなり、国に金は入らなくなる。補助金など出していられない。そういう全体の流れなどお構いなしに「GO TO」だのナントカ給付金だのを強請り出そうとする人々は、本人にその意識がなくとも実態としては強盗だ。もらったからには次につながることを考えて使うものである。ただもらうだけというのは許されざることだ。尤も、母は単なる思い込みで「ゴートー」と読んでいるだけなのだが。

何事も無きかのような風景が平家を語り源氏を語る

実家に行く前に三井記念美術館に寄って「国宝の名刀「日向政宗」と武将の美」を観た。展示は茶道具、刀剣、絵画などで構成されている。展示順路の最後の方に蒔絵の施された硯箱と料紙箱が並んでいた。蒔絵で描かれいるのは、どちらも水の中を行く騎乗の武者。硯箱の方が水の深いところを行くようだ。これはどちらも平家物語の「宇治川先陣争」に由来する絵柄で、おそらく硯箱と料紙箱は一組のものだ。硯箱はこの先陣争いで先を行く佐々木四郎高綱、料紙箱の方はこれを追う梶原源太景季だろう。平家物語といっても平家と源氏との戦闘ではなく、頼朝方と義仲方との戦闘の場面で、彼等二騎は頼朝方、それも大将を義経とする軍勢の側だ。この後、対する義仲側の山田次郎が矢を放ち、佐々木の後方に続く畠山忠重の乗馬を射抜くのだが、戦闘の流れは頼朝側が分があって義仲勢は敗退する。などと、物語の話を書いているときりがない。平家物語のまずいところは読み始めたら止まらなくなることだ。

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