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たまに短歌 続続 淡路島 2025年2月22日

一宮辿り着いたが工事中
普段と違うのもありがたし

いちのみやたどりついたがこうじちゅう
ふだんとちがうのもありがたし

淡路一宮といえば伊弉諾神宮だ。この日三つ目の寺社参詣だが、前の二つとはかなり雰囲気が違う。「島」という語感には然程大きな面積を伴わない気がするのだが、淡路島はかなり大きい。本州側からは、伊弉諾神宮あたりまでなら、気軽に行く気になるだろうが、それより南となるとどうなのだろうか。私の方は鳴門大橋から島に入って、おのころ島神社、大規模直売所美菜恋来屋、千光寺という具合に北上してきたので、あまり気軽な感じを覚えることなくここまでやって来た。連休の初日だというのに、車も人もまばらで、長閑な時間を過ごしてきた。

しかし、流石に伊弉諾神宮となるとそれなりに参拝客がある。ただ、写真からも伝わると思うが、「混んでいる」というほどではない。やはり、休日に行楽として寺社に参詣するというのは現代においては一般的ではないのだろう。今日一日ということで言えば、東京から空路で徳島へ、そこから車で淡路一宮である伊弉諾神宮まではるばるやって来たわけだが、正門をくぐると拝殿が工事用足場に囲われていた。屋根の葺き替え工事だそうだ。門と正殿の屋根は檜皮葺だが拝殿は銅板葺だ。檜皮葺ほど大変ではないが、今は酸性雨や大気の汚れもあって、銅といえども定期的な修繕は欠かすことができない。

工事中の伊弉諾神宮拝殿 まだしばらくかかるらしい

普段、財布に小銭を入れていない。家に空き缶を置いて、暮らしの中で発生した小銭は高額硬貨(当然、五百円、たまに百円)を除いて無造作に放り込んである。今回の淡路旅行に際し、その缶の中にある小銭を全て持参した。といっても、昨年夏に家の風呂釜が壊れて1週間ほど近所の銭湯に通ったときにだいぶ使ってしまったので、それまで缶いっぱいだったのだが、半分程度になっていた。それを大きめの茶封筒に入れ、おのころ島神社でも、千光寺でも、ガサガサと出してはお賽銭として納めてきた。わずか二か所のことなのにすでに封筒の中にはほとんど残っていない。参拝する時「些少ではございますが」と申し上げると、どこからか「なぜその五百円の方を持参致さなかった」と咎められたような気になったので、「あちらは欲に汚れておりますゆえ」と言い訳をしたのだが、「欲に汚れていても苦しゅうない」と言われた、ような気がして申し訳なかった。というわけで、持参した賽銭資金は旅行一日目にして使い果たした。さっぱりした。

寺社に詣でる場合の基本的な考え方として、拝観料を徴収するところでは賽銭は納めないことにしている。賽銭は寺社の維持費の足しであると思っている。参詣したのは縁なので、そこで時間を過ごさせていただいたことについて、気持ちだけではあるが少し納める、という考えだ。願い事のようなものは持ち合わせていない。本当に「願う」ことがあるのなら、それは自分でどうこうするものだろう。島に来てここまで、拝観料のある寺社には参詣していないので、一日目にして賽銭資金を使い果たしたという次第だ。

余談だが、娘が銀行で働いていた。新卒で入社して東京日本橋の支店に勤務していたのだが、自分の営業担当先に寺社が入るのを嫌がる人が多いらしい。やはり賽銭の処理が面倒だというのである。当然、機械で勘定するのだが、間違いがないよう何度も勘定するのだそうだ。持ち運びが重く手間がかかる割に金額はそれほどでもないらしい。余談ついでに、銀行の支店には「貸金庫担当」なる者がいるのかと尋ねてみた。少なくとも娘が勤務していた銀行にはそのようなものはなく、行員は誰でも貸金庫をナニすることができるのだそうだ。娘はその支店から本社に転勤したものの、残業が多すぎる、とのことで銀行を辞めて転職してしまったのだが、貸金庫をナニするというのはそもそも思いつくものではないらしい。でも、実際に思いついた人はいたのである。たぶん、他にもいるだろう。

脱線ついでにもう一つ。昨年、貸金庫事件が公になった同じ頃、某証券会社の社員が客に薬剤を飲ませて殺害と現金強奪を図るという事件も報道された。私も長らく株屋やその関連業に勤務しているのだが、業界の隠語に「だまてん」というのがある。客からの預かり資産を客に無断で処分することを指す。そもそもはノルマをこなすために既存の預かり資産を処分してノルマのかかっている商品に乗り換える過程で生ずる行為だ。客に「だまって(黙って)」「てんばい(転売)」するから「だまてん」だ。そういうことが極めて稀であるならば、そんな隠語があるわけがない。隠語があるということが意味するのはどういうことか、という話だ。しかし、結果的に未遂とはいえ、客先で強盗殺人事件というのは尋常ではない。世の中が総じて尋常ではない方向に向かっているのか、いつの世にもある尋常ではないことがたまたま目についただけなのか。

参拝を終えて時刻は午後4時。どこかで一服して宿へ向かおうということになった。たまたま神社の駐車場の傍に小綺麗なカフェがあったので、吸い込まれるようにして中に入る。たい焼きとコーヒーをいただく。たい焼きは地元産の米粉を使った皮で、上品で美味しかった。店は若い女性が二人で切り盛りしていたが、なんとなく不慣れで危なっかしいところもあったが、それでも一生懸命な感じに好感を覚えた。

伊弉諾神宮からは高速道路で宿の最寄りのインターまで行き、そこから朝に通った縦にも横にもくねくねとした道を宿へと向かった。淡路島1日目は無事終了。旨いメシをたらふくいただいて早々と寝る。

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熊本熊
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