軒付神鹿
人去て煩悩消えし街の鹿餌に依らずに落ち着きており
(ひとさりて ぼんのうきえし まちのしか えさによらずに おちつきており)
灯籠と石仏だけの賑やかさ偶に行き交うご神鹿かな
(とうろうと せきぶつだけの にぎやかさ たまにいきかう ごしんろくかな)
今年は9月30日まで東京をはじめ主要自治体に緊急事態宣言が発出されていた所為もあり、奈良には宣言が発出されていないにもかかわらず、昨年と比較して一段と観光客が少ない印象がある。観光客がいなくなると街中を徘徊している鹿にとっては餌の供給が細る。鹿煎餅を買ってくれる人がいなくなるからだ。そもそも奈良の鹿は誰かに飼われているわけではないので、自力で生活を営んでいる、はず。給与生活者に堕した人間が生活力という点で廃人化するのと同様に、観光客に依存した生活に慣れた鹿は人に頼ることを止められなくなってしまうのかもしれない。
奈良に出かけると必ず一度は訪れるうどん屋がある。猿沢池の近くにある「ふく徳」という店だ。旨いのはもちろんのこと、小さな店で立地も良いので、すぐに満席になってしまう。今回は奈良に着いた日の昼に訪れたのだが、店先に先客がいる。感染症対策の換気で入口の戸が少し開いて、中から出汁とその他諸々が混ざった良い匂いが漂い出ている。その匂いに吸い寄せられたかのように鹿が店に向かって立っている。
その鹿に、「入ります?」と尋ねたら、「あ、いえ、匂い嗅いでいるだけです」と言いたげに顔をこちらに向け、少し横にずれてくれた。店内にはカウンターに2人、テーブルに1人、先客がいて、どちらの席でもどうぞと言われたが、私たちはカウンターの出入口に近い側に陣取った。少し開いたその戸の隙間に鹿の鼻先が暫くの間見え隠れしていた。
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