1985年3月12日 ヴァーラーナシー 1日目
朝5時頃目が醒めた。ビニールシートに包まって寝たのは正解だった。寝台も、その上に置いてあるカバンも、露出していたものは埃で白っぽくなっていた。列車は定刻より5分遅れて午前6時30分にヴァーラーナシー・カントンメント (Varanasi Cantonment) 駅に到着した。まだ時間が早くて商店が開いていないので、しばらく駅で時間をつぶす。昨日の残りのバナナを食べ、駅前の屋台でチャイをすすりながらチャパティを食べる。なんと立派な朝食だろう。セカンドクラスのリザベーションはもうオープンしていたが、ファーストクラスは8時半からである。たぶんセカンドクラスの予約はかなり先まで詰まっていると思い、最初からファーストクラスでカルカッタへ行くつもりでいた。8時頃、リザベーションの窓口に並んだ。私の前に並んでいるおじさんはロンドンから来たという。キャンセル待ちで何度か駅に足を運んでいるらしい。英国籍なのだがインド人で、今は仕事の関係でこちらへ来ているとのことである。彼はインドの鉄道の非効率さに立腹していた。イギリスでもアメリカでも、こんなに客をないがしろにすることはありえない、などと憤懣やる方無いといった様子であった。私はインドという国はこういう所なのだと思っていたのだが、こうして怒っているインド人を目の前にしてみると、やはり改善すべきは改善したほうが良いのかなとも思う。日本の国鉄もひどかった。当然のようにストは打つし、駅員の態度は横柄だし、でも、ダイヤは正確である。駅員の態度は、民営化が近づいてきて、ちょっと腰が低くなってきたような気がする。インドの鉄道はこれから変わるのだろうか。
列車の切符は手に入った。これで14日の午前中にはカルカッタに到着できる。あとはビーマンのリコンファームが済めば、日本に無事帰ることができそうである。切符を買ってから、駅の構内にあるツーリストインフォメーションで街の地図をもらい、宿も教えてもらった。
教えてもらった宿は駅のすぐ近くにあるはずなのだが、なかなか見つからない。だんだん陽が高くなり暑くなってくると疲労がたまってくる。いろいろな人に道を尋ねるのだが、答えが一致しているとは思えないのである。革製品の工場のオヤジ、ガソリンスタンドのオッサン、タバコ屋のニイチャン、チャイ屋のボウズ、などなど。結局、暑くて、疲れてどうしょうもなくなって、その時、目の前にあった宿屋に入った。幸い、部屋はいくつか空きがあり、一泊35ルピーだというので、ここに決めた。ところが、案内された部屋のトイレが詰まっていた。あわててフロントへとんでいき部屋を換えてもらった。これでホット一息である。
ほっとしたところで、そのまま眠ってしまい、眼が覚めたら午後5時頃になっていた。まだ、外は暑い。駅前へ出かけて行って、そこらに並んでいる屋台で腹ごしらえをする。チャパティだけというのも寂しいので、じゃがいもをつぶして団子状に丸めたものをカレーに漬けたもの、同じものをカレー味にして焼いたものを食べてみた。なかなかおいしかった。ガンガーへ行くには時間が遅いので、宿の近くをうろついてみた。今まで歩いた町に比べると道も狭く、家並みも低く、いかにも田舎っぽい。しかし、田舎といえども聖地であり、人はやたらに多い。1時間ほどブラブラして、駅前の果物屋でみかんを買って宿へ戻る。戻る途中、奇妙なものを売っているのに出くわした。おおきなトカゲを焼いて、そこから出てくる肉汁を瓶詰めにして売っているのである。なんだこりゃ!
宿に戻って洗濯をし、それからシャワーを浴びた。髪を洗ったら泥水が出てきた。
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