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ベルリンで考える、ベジタリアンとして、ついでに人としての生き方について。

娘は生まれた時からのベジタリアンで、中学生になる今まで、肉も魚も食べたことがない。

厳密に言えば、3歳くらいの時に、友人のパーティーで、私が見ていない隙に、パクッと鶏のからあげを口に入れたらしく、目撃した友人が「あ!いま からあげ食べちゃったみたいだけど、大丈夫!?」と報告してくれたことがあったけれど、本人も無反応だったので、そのままにしておいたことが1回。

そしてもちろん、日本で育っているときは、外食すれば必ずといっていいほど「出汁はかつお節」という和食の法則があるので、本人が「魚の匂いがする・・・」などと言わない限りは、とりあえずその出汁については、なかったことにしておいた。

そもそも、魚も肉も全く食べないベジタリアンの父親と、外では付き合いで時々お魚食べるけど、家では魚も肉も食べない、という母親の間に生まれてきてしまった娘は、必然的に家庭の食卓には魚や肉が登場することはなく、本人も気づかぬうちに、そのまま育ってしまった、といえばそうなんだけれど、

私としては、

「娘が自分で判断できる年になったら、自分で決めればいい」

「本人がどうしても食べたいと言ったら、食べさせればいい」

「学校給食が始まったら、色々難しくなるだろうから、その時は、妥協も必要だろう・・・」

くらいのスタンスだった。

しかし、ベジタリアンとしてのバックグラウンドの違う旦那は、親がベジタリアンなら娘もベジタリアンとして育って当然、という教育方針だったようで、「なぜ肉や魚を食べないのか」ということを、物心ついた娘にああだこうだと説明を試みていた。

こういうなんというか、西洋人的な真面目なところというか、グレーゾーンをつくらないところが、日本人の私からすると・・・なとこなんだけど、これを指摘したら、お寺で除夜の鐘ついた翌日に、神社に初詣しちゃう日本人の感覚を理解しろ、というのと同じくらい、不毛な会話になりそうだな~、という自覚はあった。

だから、「自分だって、30過ぎてのベジタリアンなくせに、娘にだって自分で考えさせればいいじゃん・・・」と、喉元まで出かかった言葉を何度も何度も飲み込みながら、その父娘の様子を、無言をつらぬき、横目で見ていたのだった。

どっちにしたって、家で肉や魚を料理する気はなかったし、マクロビオティックを学んだ私の周囲には、娘のように、生まれる前からベジタリアンとして育った人たちが一定数いたから、成長に必要な栄養云々・・・という心配はしていなかった。

まあ、心配が全くなかったといえば嘘になるけれど、とにかく丈夫で病気もせず育っていく娘をみながら、みんなの言ってた通り、親は無くとも子は育つ、もとい、肉魚なくとも子は育つ、なんだな~と、感心しながら見守っていた最初の数年間だった。

私だって、小さいころ、「なんで人は動物を殺して食べちゃうんだろう・・・かわいそう・・・」と、子どもながらに思っていたことがあったけれど、「肉や魚を食べないと栄養不足になる」という健康プロパガンダ一色だった昭和の時代に、誰一人として、この「かわいそう」と感じる子どもの素直な気持ちに寄り添ってくれる人はいなかったし、「なんで」に、納得する答えを与えてくれる人はいなかった。

だから、大人になって、どこかでず~~~~っと、消化不良のままだったこの疑問に答えを見つけられたとき、それはそれは、爽快な気分だった。

娘だって、多少押しつけがましくても、「動物を殺してまで食べなくたって、人は生きていけるんだよ」という、選択権を与えてもらっているだけでも、私よりは自分で考えるチャンスがあるというものだろう。

私自身は、現在に至るまで、食生活については20数年の紆余曲折があり、それはなかなか起伏の激しい道のりであったから、娘には自分自身の思いと、現実社会での生活に軋轢の少ない道を歩んでほしいと思っているし、今のところ、本人も「ベジタリアン」として生きることに満足しているようなので、今後も多分、娘のためにスーパーで肉や魚コーナーに立ち寄ることはないだろう、と思う。


そもそも、私がベジタリアンになったのは、20数年前、再び、「肉や魚を食べないと、人間は本当に生きていけないのか?」という子ども時代に生じた素朴な疑問に答えをみつけるため、ベジタリアン文化に関する書籍を読み始めたのがきっかけだった。

今のようにインターネットなんてない時代だから、図書館や本屋で探した本をひたすら読み漁るという、地味な作業だったけれど、そこから環境問題に行きあたったのが、ターニングポイントだった。

「なんだ、肉も魚も食べないで生きている人たちもいて、地球環境にもいいんだったら、とりあえず食べるのやめてみよう!」という、当初は軽い気持ちでスタートしたので、もし仮に、我慢できなくなったらやめればいいし、くらいの軽いノリだった。

でも、そうこうしているうち、環境問題にどっぷりはまり、特に初期のころはヴィーガンと呼ばれる人たちのように、徹底的に動物性の物を排除し、かなりストイックだった時代もあった。

と同時に、疑い深い性格の私としては、会ったことも見たこともない人の言うことを鵜呑みにしたくなかったから、本に書かれてあることは真実なのか、自分の体を使って実験してみたい、という気持ちもあったのだ。

海外に生息するらしい、「ベジタリアン」という人種の人たちのように、本当に、肉も魚も食べなくて、人は健康に生きていくことができるのか?

しかし、私のこのわが身を使った人体実験は、早々に頓挫することになる。

「肉や魚を食べない」ことで、誰にも迷惑をかけるつもりはなかったのに、いやむしろ、環境に対する負荷を減らすという意味では、社会貢献ぐらいの気持ちでいたのに、私のそんな思い上がりは、「周囲との協調」を最も重要とする日本の社会では、単なる「困ったちゃん」としてしか認識されなかった。

とりあえず、社会人になったばかりの世間知らずのお子ちゃまは、社会不適合者としてボコられて、早々に軌道変更を余儀なくされた。

ところが、何の運命のいたずらか、自分の無知さと気の弱さから、ベジタリアン人体実験をあきらめようとしていた私に、次なる出会いが待っていたのだった。

それはマクロビオティックとの運命的な出会い。

正直、最初は「なんじゃこりゃ?」と思ったのは事実だけれど、マクロビオティックの提唱者である桜沢先生の著書を読んだとき、

「これこそ、自分の健康と地球環境を守るための最強の哲学だ~~~!」

と、のめり込んだが最後、当時は「肉を食べない=宗教」みたいな扱いだったうえに、マクロなんとかという、経典を語り始めちゃったもんだから、引き潮のように、周囲から人が引いていった(笑)

実際、当時宗教にはまって人が変わった!と週刊誌に追いかけられていた、XーJAPANのTOSHIさんの隠し撮り写真は、私が働いていたマクロビのお店に来店していた時のものだったし。

しかし「この人はちょっと変」と思ったなら、放っておいて、いなくなってくれればまだいいんだけれど、日本人はなんでだろう、人と違うことをする人に対して、やたらと厳しい。

これは、日本の教育システムによって、日本人全体に刷り込まれた、ある種の洗脳みたいなもんだ。

私も、外から日本にやってきた人の目を通して初めて、これは個人の性格云々ではなく、社会政策の重要事項として、日本人全体に植え付けられた自動防御システムみたいなもんだ、と思うにいたったのだけれど・・・

まあ、単純に言えば、「上の言うことを黙って聞いてれば、面倒もおこらず、社会秩序も守られる。安心しなされ。」ってことだ。

それに気づかされた最初のきっかけは、ヨーロッパから海を渡って日本にやってきた「ガイジン」、旦那による指摘だった。

日本の小学校に入学した娘の入学式や運動会を見た旦那は、「ねえ、これって軍隊の訓練なの?」と、恐る恐る聞いてきた。確かに、

「起立! 礼! 着席! 手はおひざ~~!!」

「前に習え! 右向け~~左! ちょくし~~ん!」

の号令に従い、無言で整列・行進する子どもたちの姿は、おっしゃる通り、軍隊の訓練みたいだ。

私自身、何の疑問も抱かず、日本の義務教育の洗礼を受けて育ったけれど、外の人間から見ると、何やら時代錯誤の不思議(不気味?)な光景に映るらしい。

実際、この運動会の光景なんかは、他の外国人にも、ちょっと妙な感じだと指摘されたし、幼稚園なんかに飾られた絵をみて、全員が同じような絵を描いているのはなんでなんだ?と聞かれたこともあった。

昔の私だったら、「きちんと整列できてすごいわ~。お行儀いいわ~。」とか、「先生に言われた通~~りに、上手に絵がかけたのね~。」なんて、何の違和感も抱かなかったであろう。

しかし、これは「ガイジン」の旦那たちには問題だった。

「なんで、みんなと同じじゃないといけないの?」

だから例えば、ドイツで生まれ育った日本国籍の子どもが、日本に一時帰国や、帰国で、日本の学校に入った時、最初に驚くのがこの「規律」に関することのようだ。

「え?なんで体育館に移動するだけなのに、整列しなくちゃいけないの?」

と、まずは、その理由が理解できないらしい。

「自分で歩いていけるじゃん」

なんて発想は、日本の学校じゃアウト。

列から外れたり、列を乱すような行為は、徹底的に矯正されるのが、日本の教育だ。

だからこれと同じような理由で、20年前の日本で、人と違う選択をすること=ベジタリアンとして生きることは、簡単なことではなかった。

共に生活していた旦那は、主義主張に慣れた西洋人ルールにのっとって、「自分、ベジタリアンなんっすよね」という堂々たる宣言で、周囲との軋轢なんぞ全く感じずに生きていけたけれど、同じことを日本人の私が日本でやると、そうはいかない。

協調性を大事にする日本人社会で、病気でもないのに人と同じものが食べれない、というのは、社会人として、重大な欠陥をもっていると認識される。

給食を食べれない子どもが、食べるまで家に帰れない、なんてことが平気で行われる社会だ。

酒が飲めないのに、上司や先輩に酒をすすめられ、無理に飲んで死んでしまうなんて、日本ならではの文化だ。だけど、死の危険を冒してでも、その場を取り持つことが、日本人社会のスタンダード。

そこから逸脱して自分を貫くほど、当時の私のメンタルは強くなかった。

「前にならえ、っていわれてるんだから、その通りにしろ!」

上の立場の人から、そんな風に言われたら、反抗する理由なんぞない。

私は生粋の日本人。

だから、「肉は食べないんです・・・」という度に、理由を聞かれ、理解されず、ときには説教されて改心を迫られ・・・

「好き嫌い言うな!」と言われたら、自分がわがままを言っているとしか思えなくなってくる。きつかった。

もうしまいには、「宗教上の理由ですっ」と言えば、人は怯えてそれ以上聞いてこないだろうと、そういういい訳をしていた事もあった。

坊さんだって肉を食う現代の日本で、ただの一般市民が肉を食わないなんぞぬかすのは、「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない?」発言をしたマリーアントワネットのつもりか?ぐらいのたたかれっぷりだ。(ちょっと違うか・・・)

だから結局、私はギロチンにかけられる前に、踏み絵を踏むことを選んだ。もはやフランスなのか長崎なのか、そんなことはどうでもいい。

とにかく、「肉と魚を食べない」行為は、自分のメンタルヘルスにものすごい負担をかけている、と認識した私は、健康を維持するため、ヴィーガンであること、ベジタリアンであること、マクロビオティックについて口にすることをやめ、長らく隠れキリシタン状態で潜伏生活を送っていた。

しかし、ついに、その日がやってきたのだ。

日本にも逆輸入で「ハリウッドスターも認めた日本の伝統食!」という肩書をつけたマクロビオティックが、故郷に凱旋帰国することになった。

なんかこう、海外から来たものにもろ手を挙げて「いらっしゃ~い」と歓迎する、これまた敗戦後から教育されたっぽい日本の風潮は、時々、ナイーブすぎやしないか?と、心配にならないでもないけれど、この時ばかりは、私も、これで堂々と道を歩ける、と、胸をなでおろしたものだ。

本屋の雑誌コーナーなんかに、「マクロビオティックレシピブック」みたいな、カタカナ表記のこじゃれた装丁の本が並ぶのを見て、目を細める。

それまでは紀伊国屋書店の専門書コーナーの片隅とか、自然食品店の書籍コーナーとかでしか手に入れることのできなかったマクロビ本は、鈴木杏樹や井川遥のように、海外暮らし、ヨーロッパの香りのオブラートに包まれ、日本で再デビューを飾ったのだ。

この時の立役者が、あの世界の歌姫、マドンナ様の、プライべートシェフを7年以上も務めた西邨マユミさんだ。

マユミさんは、アメリカのマクロビオティックインスティテュートで学び、その後、アレルギーをもつ息子(ロッコ君のことかな?)のために、料理をしてくれるシェフを探していたマドンナのところに派遣された。

1週間だか2週間で、息子の症状が緩和するのを見たマドンナは、マユミさんを正式に迎え入れ、それから長きにわたるパートナーシップが築かれたのだ。

最近は膝の故障やなんやらで、さすがに還暦超えたマドンナ様にも衰えが見え始めているようだけれど、パフォーマーとしての全盛期の彼女の健康を支えていたのは、日本人の女性シェフだったんだよ、ということは、音楽史の教科書に書かれてもいいくらいのもんだ。

世の人が、マクロビオティックにどんなイメージを持っているのか分からないけれど、ベジタリアンやヴィーガンとの違いは、その人の体質や生活環境に合わせて、調理をすることだ。だからマクロビオティックはベジタリアンでも、ヴィーガンでもありえるし、どちらでもない場合もある。

たまに、「私は不健康になったのでヴィーガンやめました」みたいなインフルエンサーの記事を見かけたりするけど、彼らの食事をみてみたら、多くは、「そりゃ、これ続けてたら体調崩すよな」という内容だったりする。

無理はいかんよ。

だからね、マクロビっつーのは、・・・・

とまあ、話がタイトルから脱線し続けているので、このあたりのことはまた別の機会に。


井川遥ちゃんや鈴木杏樹ちゃんの活躍を日本で見届けた私は、ようやく居心地の良くなってきた日本を離れ、今度は環境大国と呼ばれる、どうやら日本よりずっとすごそうだぜ、という噂の、ドイツ連邦共和国の首都、ベルリンにやってきた。

日本で社会的制裁を免れず、肩身の狭い思いをして過ごしていた日本とうって変わって、ここベルリンは、噂以上のベジタリアン天国、オーガニック天国だった。

レストランで、何も言わずにベジタリアンメニューを注文できる。

コースメニューを頼むときは、「ぺスカタリアンでーす」とひとこと言えば、「じゃあ、肉のとこを野菜か魚にかえとくね」で終わり。

ようやく、20年以上たって、自分の食事について、人に何も聞かれず、怒られず、長い説明をする必要のない立場になれたのだ。

オスカルも、今の時代のベルリンに生きていれば、アンドレとあんな風にならなくて済んだのにね。全然違うけど、まだマリーアントワネットが頭から抜けないので。


と、せっかくベルリンにたどり着いたところで、ちょっとまた日本に逆戻りしてしまうけれど、

不自由の多かった日本生活のその一方で、日本にすんでいたころは、

「旦那が外国人なんで」

という、なぜか日本の社会においては一種の免罪符を与えられる立場にいたため、この文言を発しただけで、いろんなややこしいことが免除される、という不思議な恩恵にあずかっていたことも事実。

マクロビも、「玄米菜食」という日本語訳メインで活動しているときは全く相手にされなかったのに、カタカナ名とアメリカで流行、という肩書がついたとたんに、ハーフタレント枠に昇格、みたいな感じ?

おかげで、娘が日本の公立の学校に通い始めたころも、

「すみません、旦那が外国人なもので、この子もずっとベジタリアンで育ってまして・・・」

というと、学校も対処に困り、文化背景が違うので仕方ないですね、と、小学校は弁当持参を許され、結局、娘のベジタリアン生活は自動継続していくことになったのだった。

もちろん、そのころには娘も、友達のうちと自分のうちの食事が違うことにも気づいていたけれど、父親の(洗脳)教育の甲斐もあり、「自己選択型ベジタリアン」として立派に成長しつつあった。

「動物を殺すのはかわいそうだから、わたしは食べたくない」と、父親の優等生のように、何の迷いもなくこう発言する娘に対して、よけいなお世話の母は、

「あのね、お野菜だって生きてるんだよ。」

と、私が20年前に、100万回くらい聞いたセリフを投げかけてみる。

正直、私は誰がどんな理由でベジタリアンになろうが、ヴィーガンであろうが、マクロビアンであろうが、そんなことはどうだっていい。

世界中のひとがヴィーガン、ベジタリアンになる必要はないし、そもそも無理だし、身近な誰かにそうなって欲しいなんて、思ってはいない。

もちろん、健康に害のあるほどの食生活の偏りは、正すべきだし、工場で生き物を生産して、物のように扱うのには反対だし、環境に負荷をかけるほどの肉食の増加は問題だと思うけれど、

ただ、何かの主義主張があるのなら、そこに自分が納得する理由がきちんとあるのかどうか、矛盾はないのかどうか、そこは娘にちゃんと考えておいてほしいのだ。

しかし、今は時代が違う。グレタさんの影響もあり、ここヨーロッパの子どもたちの間でも、環境問題に対する意識は高い。

私が娘の主張に口をはさむまでもなく、学校でもカリキュラムとして組み込まれ、若い世代はそれなりの知識を持っている。

娘も、ベルリンにやってきたグレタさんの集会に、友だちと参加していたし、彼女や、環境問題についての教育の影響で、ベジタリアンに移行した友だちも増えてきた。

そもそも、前述した通り、ベルリンは他の都市以上に、驚くほどヴィーガン、ベジタリアン人口が多い街だし、それは今現在もすごい勢いで増加している。

とりあえず、レストランに入れば必ずと言っていいほど、ベジタリアンメニューが用意されているし、もはや、ベジタリアンメニューのないレストランは、ベルリンでは存在できないくらいの勢いだ。

ヴィーガン、ベジタリアンというアピールなしに、普通のレストランの顔をして営業しているヴィーガンの店さえいくつもある。

娘の学校も、インターナショナルスクールということもあって、宗教上、特定の肉を食べない生徒もいるため、もともとランチにはベジタリアンミールが用意されていた。

だから、娘は学校に何の許可を得る必要もなく、誰に文句を言われることもなく、自然に「ベジタリアン」を継続させていけたのだけれど、

「動物がかわいそうなんで、肉は食べません!」みたいな優等生ぶった発言は、突っ込みどころが満載すぎるから、よくよく考えて口にしたほうがいいよ、と、おかんは娘にいいたいのだ。

それにしても、だ。

だいたい、今ごろになって大人たちは「肉は環境によくない!」「プラスチックを使うなんて」と騒ぎ立て、しまいには「飛行機にものりません!」なんて言い始めている。子どもたちはいい迷惑だ。

もともと、控えめにしか肉を口にしない友人も、外食で一皿肉料理を頼んだだけで、「え、まだ肉食べてるの?」「環境のこと考えた方がいいんじゃない?」みたいな言われようをすることがあるらしく、苦痛だと漏らしていた。

これまで、肉食文化の最先端を突っ走っていたドイツ人に、ちょっとたまにお肉食べたからって説教されたくない~!という友人の気持ちは良く分かる。

もっと、みんな早くから、やるべきだったんだよ。少しずつでも。

そんなこと、もう何十年も前からたくさんの人が警告していたんだ。

グレタさん以前にも、1992年、国連サミットで素晴らしいスピーチをした、当時12才のセヴァン・スズキさんという人がいたんだ。

当時あれだけ感動を呼んだ彼女の声さえも、かき消されてしまった。

大人たちは、環境保全は経済活動にプラスにならないから、現実的な選択をして、目の前の現金を選んだ。

私は正直、

「もう手遅れ」

だとすら、思っている。

私が環境問題について勉強始めた二十数年前だって、かなりのヤバい状況だったんだ。

でも、私も、今の大人たちも、ほとんど何もできなかった。

というより、悪化するのを見てみぬふりをしていたんだ。

「もう私は環境問題について考えるのを辞める。今さらなにやったって無駄だよ!もう肉だって食べるし、サンドイッチをサランラップでぐるぐるに巻いてやる!」と暴言を吐く私に友人は、

「ねえ、またたたかれる側に行きたいの?」

と、大人の対応をしてくれた。

私は素直に、たくさんの人たちが肉食信仰から抜け出し、肉を食べなくったっていい、という選択が許される社会に行きていることを喜ばなくてはいけない。

実際のところ、肉食が地球に与えるダメージは大きいし、動物たちを、なんの感謝もなく工場製品のように生産しては殺していく、今のあり方は間違っていると思う。

人間は何かを食べなくては生きていけないのだから、野菜であれ、動物であれ、大切に扱われて当然だと思う。

でもその一方で、ベジタリアンということを正義にして、「お肉をたべるなんざ、時代遅れも甚だしいですわ」と、人のやることに口を出すのもちょっと違う気がする。

友人のパーティーに招かれて、メインの肉料理を進められた旦那は、なんの迷いもなく、「自分、ベジタリアンなんっすよ」と、ひとこと言うだろう。

言われた西洋人のホストも、「あ、そうなんだ」で、済ますことだろう。

選択することが自由で、個人の自由が尊重される社会にいる私たちにとって、それは当たり前のことだとみんなが思っているし、自分の主義主張をきちんと表明できることが、こちらではマナーですらある。

でももし、例えば食べ物が、日本やヨーロッパほど満足にない国の家族の食卓に招かれて、その家族がなけなしの食材、例えば、飼っていた牛や羊やヤギなんかを絞めて、ゲストに振る舞ったとき、

「自分、ベジタリアンなんっすよ」

なんていう輩がいたら、私は飛び蹴りくらわしてやる。

これは極端な例えかもしれないけれど、なんとなく、そういう「人としてまずどう振る舞うべきか」をおざなりにして、自分の正義をよりどころに、主義主張が当然、という社会が許容されてしまったら、

たぶん、世界から戦争や紛争は永遠になくならないだろう。

まあ、飛び蹴りしてる私も、争いに加担してるようなもんなので、飛び蹴りする前に、大人の対応ができる人間になれよ、って、自分で突っ込みますけどね。

だから私は、これからの未来を担っていく、娘たちの世代には、

「整列!」と言われたら、「なんで整列しなきゃいけないの~?」と聞く生徒に、ちゃんと納得する答えを与えられる先生が必要だし、もしも仮に、生徒の方が納得いく理由を示せるのであれば、ルールを変えられるだけの柔軟性をもつ社会になれば、日本ももっと生きやすくなるだろう。

そして、「肉を食べるなんて信じられませんっ!」とわななくご婦人がいたら、

「奥さん、もう手遅れですから」

って、冗談のひとつも言えるくらいの・・・じゃなくて、

じゃあ奥さん、そのことについて、カフェでコーヒーでも飲みながら、ちょっと話してみませんか、って言えるくらいの、余裕のある大人と社会であればいいなと思う。

さっきは「手遅れ」なんて言っちゃったけど、私はまだ望みはあると思ってる。

技術革新や、科学の新しい発見や、人類の進化・・・?とか?

人間が地球上で生き残れる道は、まだどこかにあるはずだと、思いたい。

ヴィーガンやベジタリアンの生き方は、その解決策の一つの方法でもあるし、いつかいろ~~んな歪みが改善されて、「ヴィーガン」「ベジタリアン」というカテゴリーも、最終的になくなればいいと思う。

世界中の人が、生きたいように生きられ、食べたいものが食べられ、動物も幸せにいきられる社会、

そんなの夢だと言われても、諦めたくないし、娘たちの世代が、それを実現できるよう、大人である私たちは、土を耕し、種をまき続けることを、やめてはいけないんだと思う。

日本人の私からすると、ベルリンという街のこの柔軟性というか、優等生では決してないけれど、あいつは結構正しいことやってるな、みたいなキャラクターが、日本人にはもうちょっと、必要なんじゃないかと思う。

日本では、ベジタリアンに限らず、LGBTに対する社会の理解が、ようやく広がってきたばかりだ。

日本の社会、日本人の美徳でもある、「他者に対する共感」を、「あっちがまちがってるんだから、みんなでボコってこっちの味方しようぜ」みたいないじめっ子の理論に使わなければ、本当に、日本はもっともっと成熟した、いい社会になるのにな、と思う。

ベジタリアンであってもいいし、ベジタリアンでなくてもいい。

みんなが違ってもいい社会は、自分も苦しまず、人も苦しめない。

そんな未来がやってきたら、人は天国や極楽を夢見なくても良くなる。

ああ、これってジョン・レノンのイマジンだ!と思ったら、同時に思いだした。

前出のマユミさんのマクロビオティックの先生は、ジョン・レノンにもマクロビオティックを指導した人。

マクロビオティック、という名称を使うと、なにか型にはまった窮屈さがあっていやなんだけれど、

先生たちが本当に教えたかったことは、

人と争わず、環境に負荷をかけず、心身を健康に保ち、人生でやりたいことを実現できる生き方を選択しなさい、ということだ。

生きている場所が天国であることを、多くの人が夢見て未だ実現していないけれど、私もまだ諦めないでおこう。

子どもたちには、もっと自由で明るい未来が待っていると信じたい。

20年前に想像できなかったことが今は現実なんだから、可能性は100%なのかもしれないし。






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