春分の日・宇宙元旦というキリの良い日に買いに行った電卓の話

「宇宙元旦かぁ」鶴岡春香は独り言をつぶやく。それを横で聞いていた酒田洋平。「何それ。宇宙世紀って、それは何だっけ。アニメのえっと......」
「違う、ガンダムの話じゃないの。宇宙元旦って占星術の世界のことよ」「センセイジュツって、俺よくわかんないよ。そんなことよりせっかくの祝日・春分の日が土曜日というのって、なんとなくもったいなくないか、ファアア」まだ眠そうな洋平の大あくび。

「もう、カレンダー曜日なんてあなたの仕事とは関係ないくせに。メダカの飼育・販売なんて、小さいのを相手にしているから多分発想が小さいのよ。
 今日はもっと大きな日。これは今日から本格的な『風の時代』の幕開けなの。今まで当たり前だった価値観が変わるパラダイムシフトが始まるわ」
 春香は占星術など元々興味がなかった。だが昨年の夏に洋平が長く働いていたホームセンターを責任者との意見の違いで突然退職。自らも働きながらふたりで同棲しているとはいえ、これは大きなダメージで不安につながった。最終的に個人の親方が経営する熱帯魚屋で働くようにはなる。だけど師弟関係ということもあって給料は完全に下がった。
そんなこともあって春香は占星術や占い、スピリチャル的なものに関心を持ち始めたのだ。

「風の時代ねぇ、まあ4月から親方の店の支店として新しいペットショップの熱帯魚コーナーの準備が始まる。確かに新しい時代だ。よし新しい時代の幕開けというなら気晴らしにどこか行こうか?」
「また急に。今から行けるところ限られるわ」春香は困った表情。
「でも、せっかくの祝日だよ。それまで夜のほうが長かったのに、この日を境に昼のほうが長くなる。新しい時代の幕開けに相応しいじゃないか」先ほどまでの睡魔が飛んだのか、洋平は出かけたいがために熱く語った。


「わかった。じゃあさっと支度できるところがいいわね。どこがいいかしら」
「例えば住宅展示場なんかどうだ。俺がメダカコーナーに出店することを条件に、預かってもらっている白い仔猫がいるだろ。あれって前提として俺たちが引き取ることになっているから、早く新しいところに引っ越してだな、引き取らないと」

 洋平の提案に春香は首を激しく何度も横に振った。「そんな、マイホームなんて今の私たちには絶対無理よ。それよりもペットが飼える賃貸探したほうが無難じゃない。
「そうかなぁ」洋平は立ち上がる。奥に入って1分ほど。あるものを持ってきた。「電卓?」

「今度新しいところで使おうと思って、久しぶりに取り出して来た。
 本当は今の店でもこれ使いたかったんだけど、親方は『そろばんで計算しろ。そのほうが早い』っていうから。変なところで頑固だよ。おかげでそろばんの勉強にはなった。けどね新しいところでは、こいつの出番だ」
 洋平は少し埃がかかっている電卓に対して、口を丸くして空気を蓄える。そして口元から勢いよく息を吹きかけると埃が宙を舞った。

「さてと、マイホームを買うためには」「ちょっと待って!」春香が止める。「ねえ、その電卓古くない」「え? まあ俺が子供のときから使ってるから古いといわれれば、古いな。でも使えるよ」

「だったら、新しい電卓買いに行かない」「電卓買うのか? これあるのに」「それ古いから。お客さんの見た目がちょっとね。だって知っている? 今日3月20日って電卓の日なんだって」

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 こうしてふたりは電卓を買いに行くという名目で、外出することにする。ここは徒歩圏内にある家電量販店。だからふたりとも普段着で、春香も最低限のメイクに留めている。
「最新の炊飯器ってすごい! あれは掃除機ね。こうやって家電製品を見てたら、いろいろ欲しくなるわ」嬉しそうに家電に視線を送り続ける春香。
「まあまず買えるかどうかは、電卓を買って計算しないとな」横にいた洋平はマスクの上から見える目元から、笑顔になっているのがわかる。

 やがて電卓コーナーの前に来た。ここには大小いろんな電卓が置いてある。
「小さい電卓なら持ち運びがいいけど、それならスマホの電卓で十分だし」「そうだな。勢い良く叩けるほうがいいな」
「桁数とか関係あるのかしら」
「そりゃ多いほうがいいけど、そんな高価な商品はないだろう。10桁あれば十分かな。まあ関数計算とかあんなものは絶対にいらない」
「じゃあこれ良くない」春香が見たのは、ブルーとグリーンが混ざったようなデザイン性を重視した電卓。

「使いにくくないか。小さいし。電卓って計算するためにあるものだよ。デザインはいらないって」と即否定。
「その代わりボタンは大きいほうがいい」洋平は親指以外の指を上下に動かしながら注文を続ける。「あとちょっと数字の表示面が斜めに上がったほうが見やすいぞ」
 洋平の電卓へのこだわりは半端ない。春香は自分で良さそうなものを見つけても、その場で却下される。だんだんどうでも良くなってきた。だから適当にうなづく。

「お、これいいなぁ」洋平はある電卓に注目した。
「え、なにこれ。印刷できるの?」「プリンター付き電卓だって。ほう計算結果がその場で印刷か、こりゃいいわ」電卓を見る洋平の目は輝いている。
「まるでレシートみたいね」
「そ、親方の店はもう手計算で伝票も手書き。こういうレシートに憧れるんだ。よし俺の担当エリアはこれで決まり。買おう!」
 こうして洋平はこの電卓を購入した。

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 ところが後日この日の行為が、実は無駄になってしまうことを知ってしまう。「え、電卓ですか? うちはすべてのコーナーはPOSレジで一元管理するので、それはいらないんですが」と、新しく熱帯魚コーナーを担当するペットショップの担当者に言われてしまった。洋平は一瞬固まる。
「春香は多分いらないだろうし、だったら手書き専門の親方にプレゼントしようかな」と頭の中でつぶやく洋平だった。



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 今月2本目のご参加の作品は短編小説です。物語の主人公が当初若い運転手と思っていたのに、実は路線バスそのものという気がした作品。そしてバスのハンドルを握ることへの若き運転手の誇り。それが強い余韻として残ります。ぜひご覧ください。


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