「#旅のようなお出かけ」企画に参加してくれた、茅榎 さんの「なんでもない朝のお話」を読んだ感想。
旅にせよ、お出かけにせよ本来は当事者と言いますか、主人公が行うものが一般的だと思います。しかしながら実際に旅をする人は主人公ではなく、あくまで「わき役」が行うことも。そのわき役が出かけるタイミングに主人公がいて、それを客観的な視点で見る作品というのも、「なるほど」と思わされます。
第二十四弾の茅榎さんの次の作品は、そんな旅立つ「わき役」を主人公が客観的な視点で見ていくという作品です。
1.5時30分の目覚まし
舞台は主人公の自宅。時刻は早朝5時30分の目覚ましが鳴ったタイミングからスタートします。主人公はこの日に人生の旅を始めようとしている息子・春樹。大学生となり、いよいよこの日に実家を出て一人暮らしを始めるのです。
春樹を身ごもり生まれてからの18年間、主人公の母親はしっかりと育てました。そしてついに巣立つ日がやってきたんですね。
2.気がかりになる息子
とはいえ、この日も今まで通りに息子の様子を見る母親。目覚まし時計の音が聞こえてきます。まだ寝ているのかとばかりに息子の部屋に行きました。こうしてこの日も起こしに行くものの、これが気がかりになります。
「しかしこれから起こさなくても、遅刻せずに起きれるのかしら」と。
ある意味仕方のないことでしょう。自ら動くこともできない、ただ泣くだけの赤子の状態から毎日見てきたのですから。
とりあえず声を出して息子・春樹を起こす。そして朝食の卵をどうするのか聞きました。それに対して春樹は卵焼きと回答。おそらく最も好きな卵料理なのしょう。
3.卵焼きの味を忘れないで
起きながら食事をする春樹。さて本人はこの旅たちをどうとらえているのだろう。それはわかりません。ただ言えることは、卵焼きをうまそうに食べていることくらいでした。
母親歴18年をなめんじゃないわよ。旅立ちの日に用意する卵焼きは一番の出来なんだから。
と、心の中でつぶやきながら、春樹の顔を眺める母親。この日もあわただしく動き回るのは、恐らくはしばらく会えなくなる寂しさを、間際らしているのではないだろうか? 何でもないいつもの朝としながらも、その心の中では複雑な朝の時間。そして「出発」という名のタイムリミットが、刻一刻と近づいていきます。
4.わが身から生まれた子による旅のようなお出かけ
駅までの見送りは主人公の夫、息子・春樹の父親。国立の大学に行くことになり、引越し業者の都合や交通状態の関係でこの日も早起きとなりました。だけどむしろそのほうが良かったのかもしれない。主人公の母親は、寂しさを間際らすかのように、夫にも発破をかけ続けます。そしてタイムリミット・つまり出発のとき。
息子の人生の旅たち、かつてお腹の中に宿った命が、外に生まれだし、自我をもって成長した。そしてついにこの日を迎えたのです。でも言葉はいつも通り。むしろ「気の利いた言葉」をかけることができないのです。
対してのんきな声を残す息子・春樹。母親はもっと「らしい言葉」を期待しいたのか?物足りなさを感じました。でもそれは息子も同じではないでしょうか?つまり「気の利いた言葉」が、出せなかっただけなのかもしれない。
ひょっとしたらこの家のDNA?が、そうさせているのかもしれませんね。いずれにせよ、我が子が「人生」という名の、旅のようなお出かけをするために、巣立っていったのです。
5.もし私がこの小説書いたら?
そうですね。18年一緒に暮らしていた息子の旅たちの朝ですから、うまそうに卵焼きを食べている間に、生まれてからの18年間を走馬灯のように回想するシーンを入れてみたいですね。
誕生したころ、小学校に入ったころ、中学性のころに発生した何らかのトラブル、そして高校の間に体験した大学受験の苦しみ、そして見事に達成された、合格発表での喜びのシーンを小刻みに入れてみたいです。
まとめ
こういう「旅のようなお出かけ」の表現方法もあるのかと、思わず唸った作品でした。でも巣立ちのときとは、ドラマのような気のきいたセリフとかあまりいわないのかなと。いつも通りに出かけそして新しい人生を歩む。
この息子が次に実家となる親元に戻ってくるのはいつだろう。いずれにせよ、そのときが来ればいつでも暖かく迎え入れてあげたい。そんな旅もまた人生の一コマとか。そんなことを考えさせられました。
まだ間に合います。10月10日まで募集しています。
あと3日と少し。よろしくお願いします。
第一弾が販売されました。