猫のささやき
「今日は2月22日はニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)で猫の日。だからってこの写真を突然見つけるなんて、まるで小説の世界だわ」
鶴岡春香は一枚の猫の絵を見てそうつぶやいた。全身が白いのになぜかしっぽだけが黒い猫。彼か彼女か最後までわからなかったが、春香の家の近くに住み着いていたことだけは間違いない。
「あんまり思い出したくないんだけど」春香が愚痴るのは当然であった。なぜならば忘れもしない7年前のトラウマが、ジワリと襲ってくるからである。
まだ春香がパートナーの酒田洋平と知り合う前。ひとり暮らしのマンションの目の前には、戸建て住宅が立っていた。その屋根の上では主のようにいつも居座っていた野良猫。気が付いたら意識していたた白いボディが目立つ。そしていつも自らの存在感をアピールするような鋭い瞳を春香にぶつけてきた。
最初はは気にならなかった春香も、徐々にその青い瞳に引きずられてしまう。いつしか「ホワイト」と名付けていた。さすがに飼おうという気は無い。だけど気が付けば、日課のようにその白い猫を見つめていた。
「なぜかしっぽだけが黒いのね。わたしには絵心はないから、お願いして友達に書いてもらったんだ」
春香の友達はいつものように屋根でくつろいでいるホワイトを眺めながら、真剣な目つきで描き上げてくれた。
「あれが良くなかったのかなあ」春香は後悔の言葉ととため息が混じる。なぜならばこの絵を描いた1か月後、忘れもしない2014年4月の事件を思い出す。
いつものようにマンションに戻ろとしたら、いつも元気なホワイトが路上で静かにうずくまっている。よく見たら見たら春香は言葉を失った。
小刻みに震えているその白いボディ。そしてよく見ればお腹から赤い内臓が見えいる。そしてそれは破裂していた。「え、何で!」春香は動揺する。誰に言っていいかわからない。でも無意識に問い合わせた。
そして来たのは行政の担当者。おそろいの作業服に身を包んだふたりは淡々とホワイトを袋に入れた。そうすでにホワイトは、担当者が来る少し前。すでに最期を迎えてしまったのだ。
飼い主でもない春香。ただその様子を伺うしかなかった。手慣れているのだろうか? 担当者たちには何の感動的な雰囲気がない。ただホワイトの遺体が入った袋と共に去って行った。
「せめて1ヵ月だけでも飼ってあげたら... ...」いつしか春香の目に涙が浮かんでいる。だがそんな感傷的な時間を長く得ることは無い。なぜならばパートナー洋平からの電話が入ってきたから。
「ねえ、この前言っていた案件。今から行くんだ。ちょっと付き合ってくれよ」
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春香は、洋平が指定したところに来た。ここは間もなくオープンするペットショップ。なぜ洋平が呼び出したのか? その理由はよく理解している。
「親方から、ペットショップで熱帯魚コーナーの責任者やってくれって言われたんだ」
洋平は昨年の春ごろまでホームセンターのペットショップの熱帯魚コーナーの担当者だった。だが管理者と意見の食い違いがあり退職。その後町のメダカ屋の親方と仲良くなり、そこで弟子入りした。
「親方には若いときに非常にお世話になった恩人社長がいる。それでこの店はその息子さんがやるそうなんだ。そしたら親方のメダカや熱帯魚を支店として卸してほしいんだって。こんな依頼、普通なら親方は絶対断る。けど、さすがに若いときにお世話になった社長のご子息だと、簡単には断れなかったらしい」
洋平が熱く語るのは理由がある。親方が依頼を受けたペットショップの熱帯魚コーナーの責任者に洋平が選ばれた。
元々小さな店でふたりでやっているような店。だから必然的にそうなる。ましてや洋平はホームセンターでの熱帯魚担当経験者。先方もその経験を高く評価したのだ。
「親方からは『お前が見て、そこでやれるのならやればいい』と言ってくれた。だから迷っている」
「私が見てもわかないけど、せっかくのチャンスよ」春香はそういって洋平を元気づけさせるが、洋平はいよいよ現場の視察のときに不安になった。だから当日春香に立ち会ってほしいという。
こうして現場に到着した春香。洋平は既に入り口近くで待っていて、一緒に中に入る。
「酒田さんですね。親方の熱帯魚・メダカに対する情熱のすごさは、十分理解しております」
ショップの責任者・松任谷はそう言いながら頭を下げる。
「いえ、僕のようなものがすごい抜擢。でもしっかり拝見させていただきます」洋平はいつもにもまして元気に答えると、ペットショップのまだ何も入っていない一角を眺める。
「ここに熱帯魚と金魚。そしてメダカのコーナーを置くつもりです。内容は酒田さんと親方の思うままに」と松任谷は説明した。
銀縁メガネを直しながらの松任谷の対応は、かつてホームセンターでケンカした利益至上主義の上司にそっくり。だがメガネの種類が同じということを除けば全く違う性格。「この人は生き物のへの愛情がある」と、洋平は察知していた。
「春香、どう思う」「え? わ、私に聞かれても... ...」おそらくはパートナーの同意を得ることで決断したかったのだろう。だが春香はわからないから答えられない。
だが洋平の目は鋭かった。春香は何らかの答えを出さないわけにはいかない。
「うーん。洋平が良ければ... ...」春香は半ば逃げるように渋々答えたが、突然視線にあるものが移ってから、言葉のトーンが変わる。
「あ、あれ!」「え?」突然春香はある方向を指さした。かと思うと突然その方向に向かう。
「ああ、そっくり。ホワイトだ!」春香は熱帯魚コーナーの横ですでに稼働していた猫の販売コーナーにいたある猫に注目。それは全身が白く、青い瞳。そしてしっぽだけ黒いあのホワイトそっくりなのだ。
「あ、その子は実は捨て子なんです」と松任谷が説明する。
「捨て子」「はい、かつてと比べればずいぶん減ったとはいえ、今でも心ない飼い主が外に捨てることがあります。この仔もそうだったんです」
春香は松任谷の話を聞きながら、視線はホワイトそっくりの子猫に向かっている。おそらく成人だったホワイト違い、この仔はつぶらであどけない表情を向けている。そして短い前足と後ろ脚を使って透明のゲージの壁をなでながら何かを訴えているかのよう。
「か、可愛い。ねえ、洋平見て」洋平は近づいてくる。
「うんいい仔だと思う。だけど、うちは... ...」「だよね。あのマンションペット禁止だし」春香はとりあえず納得。
「でも... ...」だが春香はこの子猫に完全に魅入られてしまった。かつてのホワイトと同じボディ。青い瞳までそっくりだ。そして何かを訴えているその表情。
春香には、かつてのホワイトの生まれ変わりのような気がしてならない。『頼む思い出して。あのときのおいらだ。だから姉さん。連れて行ってくれ!』とでも訴えているのだろうか?
そのいきさつは洋平も理解している。洋平自体は知らないが、ホワイトのことは春香から聞かされていた。だからこの子猫は、間違いなくホワイトにそっくりだということも。
「松任谷さん、でも捨て猫は本来里親が」洋平は意図的に話題を変えた。
「ああ、それはそうです。でも里親の場合、条件が厳しくて引き取れない人も多いのが事実なんです。例えば小さな子供がいるからという理由で、おもちゃにされてしまうからダメとかそういう理由で」
「ああ、動物愛護の点から行けばそうですね」
「それは正しいのです。でもせっかく飼いたいのに、そう言われたら辛いじゃないですか。だから僕は従来のペットショップとそういう協会の里親制度をミックスした店にしたいと思っているんです」
松任谷はここぞとばかりに熱く語る。やや小太りの体育会系の体をしていて角刈り。そして頭髪の根元からは汗がにじみ出ている。だが動物への愛情は半端ない。その思いが洋平と遥かに嫌というほど伝わってくる。
しばらく沈黙が続く。そして洋平が一瞬軽い深呼吸をすると次の様に語る。「松任谷さん、あなたの動物たち、生き物への想いが非常に強く伝わります。あなたなら僕はついて行けると思いました。是非とも熱帯魚コーナーを担当させていただきます」
「ほ、本当ですか!」ひときわ元気な松任谷の声。「ただ、ひとつだけ条件というかお願いが」「はい、何でしょう」
「あの、白い子猫を飼います! ただしばらくここに置いてもらってほしいのですが」
洋平のまさかの発言に松任谷は目を見開いた。そしてはるかも驚きの表情で見つめている。
「もちろん、酒田さんがお気に入りでしたら、この仔をお渡しすることになんの依存もございません。し、しかし置いてほしいというのは!」
洋平は軽く咳ばらいをすると「通常ならあり得ない話で申し訳ございません。春香があの仔のことを本当に気にいってくれています。あの仔は春香がかつて大切にしていた猫そっくりなのですよ」
「ああ、それであんなに真剣に!」
「だから、あの子猫を見た時にぜひ私たちにと思いました。だけど今住んでいる家はペットを飼えないのです。もちろんこっそりなら飼えるでしょう。でもそんなやましいことしたくない!」
洋平はいつしか松任谷以上に熱く語っていた。
「お話重々分かります。酒田さんのような人ならこの仔も幸せになることも十分わかりました。しかし飼えないところにお住まいとのこと。半年程度ならいざ知れず、この仔の最期までここに置くのというはさすがに... ...」松任谷は戸惑いながらハンカチで額を拭く。
「もちろん、ずっとなって言ってませんよ。僕、今決めました。1年以内に子猫が飼えるところに引っ越します。だからそれまでの短期間だけ。
これから僕が熱帯魚・メダカ担当としてここに常駐します。だからこの子の面倒も」洋平は深々と頭を下げる。春香もそれを見て慌てて下げた。
松任谷は嬉しそうに何度もうなづくと
「承知しました。それで行きましょう。酒田さんが新しいところを決めるまでここにこの仔を愛情を持って面倒を見てくださるのですね。
そして酒田さんがこの熱帯魚コーナーを受け持ってくださる。お互いにとってデメリットなしですね」
これを聞いて一斉に笑顔になる三人であった。
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シリーズ 日々掌編短編小説 398
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