食品スーパーで
「ん、あれ??どこだここ」気が付いたのは石田翔平だ。今年26歳の彼は大学を卒要したものの、就職活動に失敗。ブラック色が強い会社に就職せざるを得なかったが、そことは相性が悪く、結局2年で退職した。以降はアルバイトで生活をしている日々を送っている。
しかし翔平はなぜここにいるのかわからない。体を起こそうともすぐに頭が天井の様なものにぶつかる。狭い空間だ。今置かれている状況に至るまでの記憶が思い出せずにいる。だが幸いにもすぐ目の前が明るい。だからほふく前進のスタイルを取れば、明るい方向に体を動かせることがわかった。
さていよいよその明るいところがすぐ目の前に見える。タイル張りのような床で、蛍光灯に照らされたような明るさだ。「ということは、もうこの狭い空間から出られる!」そう感じた翔平は、気持ちの高鳴りを抑えつつ、頭がぶつからないように前に出た。
ところがいざそこから顔を出そうとしたとき、複数の女性の声の話し声が聞こえる。ここで突然自分が出てきたら、みんな慌てるような気がした翔平。まずは耳を澄ませて彼女たちの会話を聞いてみることに。そして彼女たちが遠くに立ち去ってからここを出ることに決めた。
「横山さん、新しい店長知っている」「西岡さん知っているわよ。石田翔平って人でしょ。若い店長って聞いてるわ」
「もうすぐこのスーパータスクに挨拶に来るらしって」「さすが、河北さん情報が早いわね」「それにしても前の大山店長が定年退職。それからずいぶん若返るわね」
「横山さん、その人本当に大丈夫かしらね。26歳でしょう。数年前まで学生だった人がいきなり店長って、私は不安だわ」
「石田翔平?俺の名前、年齢も同じ。え?店長??どういうこと」
翔平は状況が全く飲み込めずにいる。そしてここから出ることをためらった。彼女たちの話は全く記憶もないこと。だが本当にそういう設定だった場合、いきなりここから現れたらと考えると、なんと無様な登場となるだろう。
彼女たちの会話を聞く限り、この明るい場所は翔平も何度か利用したことがある店だ。それならばここは段ボールが高く積み上げられていて、業務用の食料品を小売で安く販売している、スーパータスクの店内となる。
「売り場に出るのか、いや女性同士の会話。もしここが女性更衣室だったらシャレにならない」
翔平は全身から汗が流れだした。それにしても一体どうなっているのか?少しでも顔を出そうか。でも出して見られたら一巻の終わり。でもこのままじっとしても仕方がない。一瞬だけでも顔を出して、状況を判断するしかない。
翔平はそう思うと、大きく深呼吸をする。そして勇気を振り絞り顔をさらに前に突き出した。
その瞬間、頭に衝撃が走り記憶が飛ぶ。
気が付けば、自室のベッドの上。「夢か」翔平は嫌な夢をみたと思った。夢の余韻が頭の中を襲い続けている。だから目覚めが悪い。取りあえずスマホの時刻を見ると朝7時30分である。「そうそう、今日から新しい仕事だ」
翔平は派遣会社に登録し、この日から派遣先で働くのだ。取りあえず朝事務所に行き、担当者と一緒に新しい職場に向かう。
「急遽募集していた仕事だ。業務内容を聞くの忘れたが、破格の高時給。今日から頑張らなくては」翔平は気合を入れて出勤の準備をした。
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「おはようございます」翔平は挨拶すると、こげ茶色のスーツを身にまとった、派遣会社の担当営業がこっちにくる。そして翔平の前にくると笑顔で、「よろしくお願いします」と挨拶を返した。
30代半ばと思われる男性の営業は、年下の翔平に対してやや低姿勢で接する。恐らく派遣社員は派遣会社から商品の様なものだから、そういう対応なのだろう。
「今から行きますので、車に乗ってください」「はい」翔平は言われるまま車の後部座席に座る。
車が動き出すと、翔平は運転している営業に声を掛ける。「あのう、実は僕、仕事内容聞いていなかったのですが、どんな仕事ですか」
「あれ、言ってませんでしたっけ。スーパーの仕事ですよ。あのスーパータスクってあるでしょう。あそこです」
「スーパータスク... ....あ、夢で出て来たところだ」翔平はその名前を聞いて腕を組む。「それであのスーパーが出てくる変な夢を見たのか。ということは、荷出しとかそういう仕事だな。まあ体力は自信があるからいいだろう」
そう考えた翔平は、念のためとばかりに派遣の営業に確認した。ところが営業は、信号が赤に変わって車を止めたタイミングで翔平のを袍を振り向くと、軽く笑みを浮かべる。「肉体労働はほとんどないでしょう。むしろ事務的なことが多いと思いますよ」と答えた。
そして再び車が動き出した。「事務の仕事か......できないことはないけど何するんだろう」
やがてスーパーの横にある駐車場に車は入る。そこで降りる営業と翔平。営業の後をつけるように入口に入る。
店の中に入ると営業が「みなさん集まってください」と大声を出す。するとスタッフが続々前に集まってきた。「いよいよだ。ちゃんと挨拶しないと」翔平は大きく深呼吸をする。
「はい、みなさん揃いましたね。今日からこちらの店長となります石田翔平君です。26歳と若いですが、皆さん彼を盛り立ててくださいね」
「え!て・店長?」翔平は夢と同じ状況になっていることに、驚きの表情を隠せない。あれは正夢だったのか?気分が急に悪くなる。
「あ、あのうどういうことですか」取りあえず慌てて営業に問いただす翔平。
ところが営業は翔平の声が聞こえていない。「では失礼します」とスタッフに頭を下げると、出口に向かって歩きだす。「ちょっと!僕の話を聞いてください」とやや大声になってスタッフのスーツの袖をつかもうとするが、手が滑ってつかめない。営業はそのまま店を立ち去った。
「ちょ、ちょと何これ!」全身から汗がにじみ出るような気がする翔平。みんなの方に振り向くと、そこには3人の女性が立っていた。それぞれ胸に名札が付いているから苗字がすぐにわかる。左から30歳代半ばのと思われる河北さん、40歳前のような気がした西岡さん、そして最年長40歳代半ばだと確信できる横山さん。みんな笑顔でこっちを見ている。
「え、一体これって、この後どうしたら」翔平は心臓の鼓動が聞こえてくる。やがて目の前の視界が悪くなり、そのまま真っ暗になった。
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「お客様大丈夫ですか!」「あ、あれあれ」翔平が気づくと、スーパーの年配のスタッフが声をかけている。
見るとここはスーパータスクの売り場だが、店内が散乱していた。そして年配の男性の後ろには、先ほどいた女性3人の姿。みんな心配そうな表情でこっちを見ている。
「あ、あのう僕は一体」
「記憶が混濁されていますね。説明いたします。実は数十分前に震度5強の地震がありました。店内が大きく揺れて停電に。お客様とスタッフは一斉に上から物が落ちても大丈夫な棚の下に隠れるように、私が指示しました。しばらくしたら地震の揺れが収まります。そこで隠れていたみんなが外に出ました」
「地震?」このスーパーを舞台に2回も不思議な体験をしているためか、それを言われても、翔平はいまいち理解できないし記憶があいまいだ。
「お客様は、そちらの棚の下。ちょうどひとりが入れるスペースで身を隠されておられました。ところがその場所には上から食品の段ボールが一斉に落ちてきたのです。おそらくそのときの衝撃で、気を失われたのかと」
正平が後ろを振り向くと確かに周りに破損した段ボールとそこからあふれ出ているいろんな食品が散乱している。それを見た翔平は思わず身震いした。
「はあ、ごめんなさい。僕、確かに何かにぶつかったような記憶があるのですが、それ以外は」
「今、救急車呼んでいます。間もなく到着するでしょう。取りあえず安静のまま動かずにお待ちください」「あのう、こちらのスーパーの方ですか?」「はい私はこのスーパーの店長をしております大山です。お客様にはご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません」と言って頭を下げる。
「あ、ああ、いえ、どうも」翔平は、定年間近に見える年配の男性店長があまりにも丁重に扱うので、むしろ気味の悪さを感じた。そして少し痛みが残る頭を右手で抑えながら、いまだ頭の中が混乱したままだった。
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こちらは64日目です。
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シリーズ 日々掌編短編小説 230