箸が転がっても笑う
「今まで一番おもしろかったことは何?」
娘に聞かれて、何だろうと思い返した。娘は最近夜寝る前にいろんな質問をしてくる。
私が答えるのを聞きながら少しずつ眠くなっていくのが心地いいらしい。
一番面白いって、なかなかハードルの高い質問だ。
人生で一番面白いって、相当なおもしろさでないといけない。
そういえば最近、お腹を抱えて笑うことが全然ないなあ。
「そんなの思いつかないよ。」と言ったものの、意外とぱっと思いついた。もしかして、あれかな?
いや、他にもあったはず。と、思い返すが、他はぱっと出てこない。
「おもしろい話ってさ、その場にいないとおもしろさって伝わらないから、話してもおもしろくないよ。」と前置きしてみた。
そうは言ったものの、意外と自分が話したい気持ちになっていることに気が付き、記憶を辿らせてみることにした。
何十年も前なのに鮮明に思い出す光景。
校長室での給食
当時中学2年生。中学で校長先生と給食を食べよう、というイベントがあり、日替わりで各クラスの班ごとに順番で校長室で食べることになった。
班のメンバーは男子3人と私を含めて女子2人の5人。
クラスでも場を盛り上げることが上手な男の子が二人もいたので、班活動はいつも笑いに溢れていた。
校長先生との給食の日。
校長先生が入り口から中央の上座の一人掛けに座り、私たちは左右にある長椅子に男女ランダムに分かれて座った。
その日のメニューは筑前煮、コロッケとキャベツの千切り、ごはん、牛乳と至って普通の給食だった。
私は校長先生のすぐ近くだったため、すごく緊張していた。
いつも朝会で話す姿を見るだけで、直接など話したこともない。
校長先生は将来の夢について質問をして、私たちは真剣に自分たちの夢について話した。どう行動したらそれが叶うか、具体的なアドバイスまで聞けて、有意義な時間だったと記憶している。
転がったのは箸じゃなく
が、途中隣にいるK君の様子がおかしいのに気づく。
何か妙な動きをしている。
ちらりと見ると、K君はうっかり箸を滑らせてしまったようだった。
K君の足元にオレンジ色のものが落ちていた。
筑前煮のにんじんだった。
校長室は当時カーペットが敷かれており、しかもえんじ色だったため、そのにんじんはカーペットの上に馴染んで見えていた。
他の子も気づいていた。どうやら気づいていないのは校長先生だけだった。
K君、拾うのかな?
と思った瞬間、K君はなんと上履きで人参を押し潰した。
にんじんはカーペットと同化して、まるで何もなかったかのように見えた。
多分、大人になった今だったら、落ちて踏むなんてどうかしてる、という困惑しかないだろうと思うが、当時は中学2年生。
そしていつもおもしろいK君がそれをやったという状況だった。
K君、証拠隠滅しようとしている!
まさかの出来事を目撃し、その衝撃と共に笑いがこみ上げる。
でも校長先生が真剣に話をしている。落ち着け私。
必死で何事もなかったかのように過ごしたが、それは他の子も一緒だった。
ところが、正面に座っていたM君が、耐え切れずに笑いながら牛乳を飲んで、鼻から出してしまっていた。嘉門達夫のチャラリ~鼻から牛乳~の音楽が頭の中で流れる。
それを見たら吹き出してしまった。もうだめだ。
校長先生の怒り
こうなると、さすがに話に夢中になっている校長先生も、皆がにやついている様子を察した。
「なぜ君たちは笑っているんだ?」
「・・・・・。」
「意味のない笑いはよくない!」
校長先生が怒っているので校長室の雰囲気は最悪だった。
なのにまだ笑いたい気持ちの波が何度か押し寄せて、なんとか必死でこらえるという時間を過ごしていた。
校長先生はかなり頭にきていたようで、(私が校長先生だったら本当に気分が悪いと思います。本当にすみません。)勢いよくキャベツの千切りを食べた。
すると、タイミング悪くも、先生の髭にそのキャベツがひっかかって、話すたびにゆらゆら揺れている。
また笑いの波が来てしまった。
もう最悪だ。なんでこのタイミングで。
もう笑えない状況の中、先生の顔をできるだけ見ないよう、笑いの渦に巻き込まれないよう、とにかく必死で給食を食べてやり過ごした。
給食が終わり
校長室からクラスに戻ると、皆は安堵の表情で、やっと思い切り笑えるという自由を手に入れた。皆は思い切り笑った。
にんじんを踏み潰したK君はなぜかどこか誇らしげに見えた。
同じ秘密を共有して、同じ我慢の瞬間を乗り切ったためか、班は一体感に包まれていた。
我慢の笑い
思い切り笑えるという状況だと、笑って感情を消化するためか、あまり記憶に残らない気がするのは私だけだろうか。
必死で堪えて耐えた時に生まれる笑いは、なぜか記憶に強く残っている。
そしてその時に思い切り笑えなかった分、後々になっても笑いを与えてくれる。
娘に話し終えたあと、娘は言った。
「校長先生の顔にキャベツがついてすごいね。」
結局自分だけが思い出し笑いして笑っていたのだった。
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