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あと少し。
「あそこの、カーブまで全員スカウトペースな」
班長は大きな声でそう言った。
(うわーっ、キッツイなぁ…)
カーブまで目算で500mの坂道であった。
私は小学生4年生から、ボーイスカウトに入団していた。入団時はカブスカウトといい小学3年生から5年生までの少年の集まりであった。小学6年生から中学3年生まではボーイスカウト呼ばれる。私はボーイスカウトに上がったばかりであった。
ボーイスカウトからは、上級生が中学生になる。なので、急に大人の社会に入った気がしたものだ。なにしろ、同じ小学校の子が多かったカブスカウトとは違い、違う学区の中学生が同じ隊にいるのだから、今までの延長にはどうやってもならない。
その日、ボーイスカウトに上がって初めての4kハイクをしていた。4kハイクとは、一泊分の荷物を背負って、4kの山道をハイキングするわけだ。キスリングザックという昭和のワンダーフォーゲル部で使う本格的なリュックに、シュラフ、飯盒、米、着替え、水筒、水、ボーイスカウト7つ道具、新聞紙、懐中電灯…などなど、一泊分の荷物を詰めてトレーニングとして歩くわけだ。
初夏も過ぎた、日照りのいい日であった。小学生時代からの友人達とは、事前の隊分けでバラバラになっていた。私は不安であった。
きつい…
前日の夜は荷物に抜かりがないかで、ビビり。
当日朝は集合場所に一人で行けるかで、ビビり。
実際歩いてみると、辛いから、上級生から、怒られないかと、ビビっていた。
和歌山の海南駅まで、電車で行き、駅から山へ向けて歩く。それは、リュックを背負った、小さな社会人の私には、長い道のりであった。
そして、ハイクも終盤、班長はボーイスカウトの厳しさを教えるためにわざとスカウトペースなる、地獄の坂道特訓を仕掛けてきたわけだ。
40歩、歩いて、40歩、走る。
「うおー!!!」
「行けるか?見習いども!」
「はい!!(行けないとか言えないやん)」
「走れぇ!」
「いっち!にっ!さんっ!しーっ!ごーっ!、、、、」
「歩くゾォー!いち!に!さん!しー!」
こだまする班長と次長の声。
蝉が呼応して、鳴き出した。
日差しは高くなり、
僕らの影は色濃くアスファルトに張り付いていた。
「アトォ、少しぃ!!!」
カーブには、ミラーが付いていた。ミラーに映る鏡像にはその先のアスファルトの道ばかりで、しばらく車など来ない、そんな山道だった。
汗だくの私たちはカーブについた
「ははは!良くやった。休憩だぁ!」
班長は笑っていた。
「はい!」
答えた私は息が上がっていた。
「お前ら、俺はテントも背負っているんだぞ!」
そう、班長のリュックの上にはテントが、次長のリュックの上にはタープが乗っていた。
見習いの僕らは自分達の荷物だけなのだ。
やっぱり班長達は凄いのだ。
疲れて道に座り込み、リュックの水筒から、冷えたお茶をがぶ飲みした。
アスファルトはあったかくて、お尻やふくらはぎなど接地しているところをあっためてきた。
カーブは谷間見せてくれて、高くまで来たのだと教えてくれた。
風が、、、吹いた。
汗が、身体を冷やしてくれた。
ふぅ、もう少し、頑張ろう。
それだけの事で、小学生の私は、前向きになった。
そう、ならば、大人の私よ。
もう少し頑張れ。
汗はかかなくなったけど、
風は吹かないけれど、
でも、もう少し、まだやれる。
頑張れ、私よ。