沖縄の木
三月、私は沖縄にいた。
溢れる太陽と、青くて綺麗な海だった。
夜中に布団を抜け出して、海の中に膝まで足をつけて涼んでいたら、月明かりで足元まで見えた。そんな、透き通った海を持つのが沖縄という場所なんだなと思った。
ある日、ガジュマルの木を見たいと思い、名護市のひんぷんガジュマルを見に行った。
大きかった。
それでも、そこかしこに垂れ伸びる気根は、地面を求めて、まだ強くなるぞと意思を見せてた。それは植物の能動的な浸食力そのものに見え、私は畏怖しながらも、生命力に畏敬の念を持った。
支えを付けて、ガジュマルの木は市民に護られながら成長を続けている。でも守神として大きくある。
ふと、
私がこの木を見た気持ちは、この木をここに残そうとした人の初めて見た気持ちと似て居るに違いない。相似的でさえあるだろう。
その始まりがこの木を育てたのだと。
守神を作ったのだと。
ガジュマルの木は
また、
大きく成ろうと
その時思ったのだ。