見つからなかった「面白い」に答えを
小説を書きました——
今日、この一文を載せるのに僕の勇気はほとんど使われてしまいました。
それぐらい小説という言葉は僕にとって大きな壁で、偉大なもので、とうてい書けるものじゃないと今でも思っているからで、それでも今日はそう言おうと決めたから。
僕はこの世界に、その文字を埋め込みます。
〇
このnoteに初めて小説を書き上げたのは、もう4年も前になります。その時は今よりもっとフォローしくれてた人も少なく、だから、その小説がまさか読まれると思っていたわけではありませんでした。
その小説は、随分昔の想い人に向けて書いたもので、だけど難解で小説の枠組みをわざとズラして書くという試みをした作品でした。
それは長い、長いラブレターです。しかし、これをそうだと分かる人は居ないだろうと、届けたいあの人にさえも、そう思ってはいました。
それでも小説という形をとったのは、恐らくそれが一番その人に「何か」が届くと思ったからでした。何を?
いや、やめておこう。
そんな、自分のために書いた小説を、誰かが見ていたらしく、赤色のイイネがついていて、電気の灯らない部屋で布団を頭まで被りながらじーっとそれを見ていました。
見ていれば何かが起こると思ったわけでもなく、
ただ、それを見ていて
「書いても良いんだよ」
と誰かがぼそっと言ったのが聞こえたような
そんな、気がしたんだと…
小学生の頃から、僕は毎日がツマラナイと思っていた。それは、あの夏休みに上空に浮かび上がり入道雲の向こう側に行くことなんか無く、命のやりとりのない隣町戦争が起こっているわけでもなく、下駄箱にロボットになった少女からの手紙がはいっていることもなく、和歌山の泥と土とアスファルトの上を駆けまわるだけで、夜中に大きな化け物が出てきて朝方に種を蒔く、そんな世界じゃないからと——
だからツマラナイと
それは、僕が夢想することが好きだったことに起因して、現実に過度な期待を寄せていたせいかもしれない。もしくは、もっと違う別の——
その本質的な原因を分かろうともせずに、僕はそのまま北海道で大学生になった。
大学生のとき、「この世界が少しでも良くなるように、それをするために映画を作りたい」とか言って、北海道から旅立ち、沖縄と京都に向かった。小さな頃の夢想家は、それよりもっともっと悪い方に転がっていった。今、こうやって文章にしてみても、酷いことを思いついたもんだと我ながらに思う。前の文章と、後ろのやりたいことが、どうやっても結びつかない。その間にある海溝のような暗い溝。僕にしか見えないその暗い溝を渡る理論は強固だったらしく、それを信じていたのか、そこに周りが引くほどの情熱を注いだ。
だからか、数々の出会いをして、数々の人々に助けられて、僕は一つの映画を作ることができた。
そして、それはとてつもなく面白いことだった。
その体験はいつまでも自分の中に残ってしまった。
まるで朝まで残ってしまった、炭火の赤のようだった。
人は夢を見るのをやめたほうが良いと思う。現実から一飛びでそこに辿り着けないのだから。目の前の道を地道に歩く方が良いと思う。気づいたら、ここに居ました、みたいな方が幸せだと思う。夢なんか見ない方がいい。あの体験は夢があるのかもと、僕を勘違いさせるのに十分だった。
何も現実的なことを考えずに生きてきた僕は、この後待っていた社会人生活で、一般的な社会人になりきれずに毎日、ずっとずっともがくことが続いた。CMという僅かに映像を世に残す仕事をしているのに、その達成感は微塵も感じられず、夢想する暇もないほど忙殺されながら、いつしか仕事を休むようになり、会社に何週間も行けない日が続いた。
もうだめだなと思った。
そのころ、東北の震災があったあとで、僕はその地へ行こうと思っていた。誰も居ないところで、瓦礫の中に独り途方に暮れるべきだと思ったからだ。
もう何もかも、仕事も、家族も見ないで、ただ逃げたかったんだと思う。
ふと手元を見たら、夢の赤色は消えていた。
だけど、僕は逃げることさえできずに、家族のもとで再出発を「させて」もらうことになる。
この世界に面白いことなんかない。
それが、小さなころに感じていたツマラナイの、僕が見ようとしてこなかったことの答えだった。
やっと、気づいたかと誰かが言った。
そうやって、僕は毎日を生きる。
noteの記事につくハートのマークが意味するものは、「見たよ」とか、「ちょっと応援しているよ」とか、「このあと僕、私のも見てね」ぐらいの言葉だったと思う。それをいくらこねくり回しても「小説を書いてもいいよ」という言葉には変換できない。
それでも僕は小説をいくつかアップしていった。
noteは小説を見せる場所じゃない。
View数を見ても、スキの数を見ても、ピックアップのされ方を見ても、全然それ向けの媒体じゃない。
それでも、小説を書いた。
それが「面白い」からだ。
読んでもらえて、読んだよと言われる。
それが「面白い」からだ。
でも、本当に面白いのは小説を書いたからでも、読んでもらえたからでもなくて、「面白い」はちゃんと昔から、今も自分の周りに、あり続けてくれていたんだと、今の僕なら分かる気がする。
小説を書きました——
——それが本になります
こんな「面白い」ことがあるだろうか
これは、noteに書いていた小説を本にしたいといってくれた人がいたからだ。
でも、この「面白い」は、今、目の前にいるあなたが作ってくれたし、作り続けていると思う。僕が出会ったすべての人が、僕に「面白い」を繋いでくれていたからだ。
映画を作ろうと思ったきっかけは、僕が出会った大学の友人が海外留学をすると言ったからだ。彼が「やりたいことは自分でやる」と言ったからだ。
映画を作れたのは、僕が出会った大学の友人が、日本を旅して美術で表現がしたいと言ったからだ。そんなカッコいいものに僕が憧れたからだ。
映画が撮れたのは、大阪で、京都で、自分たちの演劇をしている彼らが、自分たちの毎日を楽しむ学生が居た——
僕が東京で映像を残す仕事に就こうと思えたのは、アメリカで映画を作ろうとする彼らに出会った——
映像を残す仕事に就けたのは、北海道で出会った友人が僕を助けてくれた——
死にたいと思うほど嫌な仕事だったけれど、続けられたのはカメラマンが面白いことをしようと未来を囁いてくれた——
死にたいと思って逃げた後に、ちゃんと生きようと思えたのは、人間万事塞翁が馬と監督が人の生き方を見せてくれた——
ツマラナイを更新し続けていた僕が、誰も知らないゲームのオンラインでお祭りを作れたのは、そこで知り合った彼らが僕を応援してくれた——
ずっと、ずっと出会ってきた人々が僕に「からだ」というプレゼントをし続けてくれていた。僕に面白いを繋げ続けてくれていた。そして、noteで読んだり、一緒に書いたり、感想をくれる、あなたが居たから
今、こんな「面白い」が起こっている。
小説を書くのは、きっと分かりやすく「面白い」を作りたいから。
僕に「からだ」をくれるあなたに「面白い」の気持ちをあげたいから。
最初の小説も、あの人に「面白い」を届けたかったから。
「ありがとう」
でもありがとうって、言うんじゃなくて
僕は「面白い」って思ってもらいたいんだと思う。
多分、それが僕の中のありがとうに一番近いような気がするから。
この本、面白いです。
一度読んだことがあるかもしれません、それでも面白いです。
WEBで読むのとは違う面白さがあります。
手で触ってみて欲しいです。
だって、あなたに届いて欲しい「からだ」。
最期になりましたが、
世瞬舎の神谷さん、どこの誰とも知らない僕の作品を見つけてくれてありがとうございます。小川さんには死ぬほど多い赤ゲラを作ってもらい、夜中まで苦労かけました。ありがとうございました。イラストレーターのPONKOさん、魅力的なファリル・ルーの表紙を飾っていただきありがとうございました。素敵です。デザイナーの上條さん、配色・デザイン、素敵な裏表紙のアイディア、ありがとうございました。望月さんも大人の目線で携わって頂きありがとうございました。
皆さんの力が集結した、この本。
「面白い」をとどけてくれると思います。
また、いつか
このまま「面白い」を誰かに繋げ続けられるように
岸正真宙
2022.06.06
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