熊本城日記②熊本城とキリスト教
こんばんは🤗
今日のガイドは2度目の修学旅行ガイド!
キリスト教に関する学校の皆さんで、私は4班5名の熊本城のご案内を担当させていただきました☺️
そこで私は熊本城とキリスト教について考えてみて、通常のガイドに加えて、2つのお話を追加することにしました☺️
① 宇土櫓の名前の由来
②熊本城の歴代城主について
この2つの何がキリスト教に関係があるかと言うと…
① 宇土櫓の名前の由来
現在、解体工事中の「宇土櫓」は、加藤清正公が宇土城城主だった小西行長公亡き後、その家臣をめしかかえ、管理させたからその名がついたと言われていて、その、小西行長公がキリシタン大名でした。
②熊本城の歴代城主について
熊本城の歴代城主について熊本城は加藤清正公亡き後、息子の忠広公が納めるも改易となり、細川忠利公が納めることになります。その忠利公は、熱心なキリスト教信者で知られる細川ガラシャさんの息子でした。
今日は久々に、小西行長公や細川忠利公、細川ガラシャ様にもふれさせていただくことができたし、そのために、また、改めて勉強できてよかったです☺️
小西行長公と清正公の関係性、細川忠興さんと細川ガラシャさんの生涯について詳しくお話ししようとすると、長くなるからお話しできなかったけど、たくさんのエピソードや私なりの想いがあります、またいつか。
天守閣に登ったみんなを下で待っていたとき、展望フロアからみんなで手を振ってくれたのがうれしかった🙌
宇土櫓は石垣に足場がたくさん増えていたような!?
南東の重要文化財の櫓群も工事が進み、壁のしっくいがずいぶん剥がれていました。写真を撮ってくればよかった😅
今日のお昼は、5周年を迎えられた「サクラマチ クマモト」の一階のロンハーマンにしました🤗
ここから、②の忠利さんたちが住まわれていたと言われる花畑屋敷があったといわれるエリアの一部、「花畑公園」が見えるので、ガイド前、思いを馳せながら、ランチをいただきました。
その時の風景がこちらです
来月はたくさんガイドに入らせていただいています!
次回は、ある大学の研修旅行!
通常のガイドはもちろん、学科もわかればその学科の方が興味を持ってくださりそうな話を探しておこうっと☺️
以上、熊本城日記② 熊本城とキリスト教でした🤗