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ハウス・オブ・グッチとモンスター


リドリー・スコット監督といえば、モンスター である。

ブレードランナーではレプリカントを。エイリアンでは文字通り異星人、そしてついにはシガニー・ウェイバー自身さえも。テルマ&ルイーズでは、普通だった彼女たちがやがてモンスターに変貌するさまが描かれる。

 新作House of Gucci ではレディ・ガガ演ずる恐妻が一族を破滅に向かわせるモンスターだろう、と予想して観たのだが、実はそうではなかった。

 おとなしい(どちらかといえば女々しい)、争いを好まず、やわな性格だったマウリツィオは折り合いが悪かった父が亡くなったのち叔父と従兄弟を陥れ、徐々に一族を牛耳っていく。その展開は妻の強欲のせいでもあるし、夫の隠されていた裏の人格がでてきたとも読める。

もっとも印象に残ったのはこのセリフ

 「ほんものの男がどんなものか見せてやろう」。
マウリツィオが、妻パトリツィァの頭を胡桃の様に押さえつけるシーンだ。これは“風とともに去りぬ”のレッド•バ・バトラーのセリフだった。

記憶で書いてるから一字一句はちがってるかも

 え?ソコ⁈ と突っ込まれるのは重々承知だが、往年のハリウッド随一の伊達男クラーク・ゲーブルはワタクシ史上・髭オジ渋オジNo.1なのだからお許し願いたい。
 古典映画で夫婦の不協和音を描いた場面では「スカーレット、お前の頭を胡桃のように割ることだってできるんだぞ」と、続く。
 一方、ハウス・オブ・グッチ終盤では、クラーク・ゲーブルの特別あつらえの紳士靴が登場し、アラブの投資家がその唯一無二の一足を渇望するのだった。

 ブランドが豪奢で崇高であるがゆえに、その価値を損なうことなく次代に継承してゆく困難さ。譲れない一族の自意識の高さゆえに、護りきれなかったもの。つまり怪物はグッチというブランドだったのだ。


 ところで、胸アツだったのは70-80年代音楽!
二人が出逢うクラブ、当時はディスコと呼んだ...では大音量でドナ・サマーがかかってる。きゃぁー!懐かしや、我が青春。アジア片隅のディスコでも当時ドナの曲で踊り狂ったものさ!ジョージ・マイケル、ブロンディ、デビィッド・ボウイ、全部知ってる!あの頃ラジオで流れていた、LPレコード持っていた、歌曲の連続。ワクワクがとまらなかった。
 70-90年代:物語と同時代を生きた私にとって、ブランド神話を登りつめる上昇機運と急落していくバブル期の闇を、自らの青春時代と重ねて見せられ、ぐいぐい惹きこまれた。


 そのうえ余談だが、ジャレッド・レトが化け物だった。あのイケメン男優がこんなに劣化(失礼)したなんて嘘みたい。惜しいなぁ、8年前アカデミー助演男優賞の時はカッコよかったのに、と思っていたら私服でグッチ着こなしてるではないか。野暮でイモくさいのは演出だったのか、凄すぎるぞ。

PHOTO CREDIT: @Dimitrios Kambouris / Getty Images

音楽が良くて、美術も良くて、役者も良くて、もちろん衣装は文句なしの一等品。リドリー・スコット監督はまたしてもモンスターな映画を生み出した。

House of Gucci  2021年

#映画レビュー #映画感想文 #ディスコ音楽  
#リドリー・スコット #レディ・ガガ #ジャレッド・レト


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