身銭を切れ―「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質
2020年6月6日
シンクロ?リンク?のめも(乱筆だがホットなうちに残しておく)
先日ひぃひぃいいながらナシーム・ニコラス・タレブの"Skin in the game"を読み終わって
正直細部まではよくわからなかったんだけど強い印象だけは残ってて
でさっき、ふっとリコメンドに出てきた動画
「矢沢永吉×糸井重里 「お金のことを、あえて。」を振り返る。」
を観たらなんかつながった気がした。
永ちゃんはものすごく!わかりやすくいってくれてる。
「自分のがま口から金出すとするならどうか、という感覚で」
タレブは、ざっくりいうと
「自分らは決して口にしない遺伝子組み換え作物を売るアグリビジネス」
というようなたとえ方をしている。
→彼の批判の矛先の話。彼はそういう人たちがかーなーり嫌いらしい。証券会社の内側にいる守られたトレーダーとか
糸井さんも永ちゃんも、昔から社長(自分)自身がドル箱スタァな会社の社長。
タレブも、詳しくは知らないけど彼の本から判断するにそんな風ではある。
どちらも身銭を切らない人種に怒っている。いや、永ちゃんは怒って「いた」かもしれない。今は知らないけど
お~なんかやっと人生後半戦になって自分に追い風が吹いてきたか?(ちょっとおそすぎない?笑)
という気がしないでもないけど、さてどうなんでしょう。
つい一昔前まで
億単位の仕事してるぜ~(会社の金だけど)
国家的プロジェクトに携わってるぜ~(駒だけど)
みたいな人間が評価されてたような気がするけどね。
信用という意味でもね。
つまり、どんだけ身銭を切らずに他人の金で立ち回っていけるか、のスキルレベルがイコール人間としての評価基準でもあった。
そういうプロジェクトX的な事業に携わってる人間は、家庭や身の回り、自分自身をないがしろにしたところでなんらお咎めなしであった。
どころか、いわゆる「男の甲斐性」が逆に評価されるような時代だったわな(あ、それは昭和までか…今は令和だ💦)
基本的にはずっと誰の助けも受けず、自分の金で、身銭を切って生きてきたから、カバー範囲は自分と家族と親戚ぐらいまで。それ以上はムリで
だってどこを見渡しても切るものが身銭しかないんだから。
そういう自分を「ちっちぇーなー」と思っていた時期も長かったわけなんですけど
いまだに、絶対値の大きすぎる事案はピンとこないのです。何千万の家、何百万円の車とか。
何億のビジネスとか。
「自分のがま口」単位しか腹落ちできないから。
これが、月々の家賃単位とか、子供の学費とか、10何万の🚲とか、4千円のとんかつ、2千円のカレーっていう話しになってくると(笑)途端に自分の中でリアルになってくる。
し、リアルになってくれば自分の土俵。
でもそれって、究極的にはいちばん正しい世の中に対する処し方ではないのかな。今になって思えば
リスクをとり続けてる人生のほうが、実は楽しい(楽しかった)のではないか?という。
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