手記 わたしの『熱帯』
お気楽の塊
2018年。私は、史上最強の試練に直面していました。
私の心は荒れに荒れ、しかし、その荒れ荒れ具合をどう説明すればよいかすらわからず、一人悶々としていました。
「こんな仕事辞めてやる!」家路を歩きながら何度涙をこらえたことか。季節が春から夏に、夏から秋に移ろい、そして冬にさしかかろうとも気持ちはどんどん暗くなるばかりでした。
それまで私は憂うつさとは無縁の生き物でした。姉から「お気楽の塊」と呼ばれていたほどです。
けれど、そのお気楽の塊は木端微塵になってしまったのです。
『熱帯』を読み始めたのは、調度その頃でした。
「小説なんて読まなくったって生きていけます」白石さんは言います。同じようにお気楽の塊が木端微塵のままでも、私は表面的には割とうまくやっていけることでしょう。
「でも本当にそうなんですかね?」また白石さんは疑問を投げかけます。
もしかしたら、人によってはお気楽の塊が砕けることなど取るに足らないことかもしれません。けれど、私にとってお気楽の塊が砕けることは、私の一部を損なうことでもあったのです。
物語を読むことも、人によっては取るに足らないことかもしれません。けれど、人によっては損なった一部を修復するのに必要なアイテムになり得るかもしれません。
少なくとも、私は『熱帯』と出会い、そこに登場した語り手たちと一体化し『熱帯』の世界と繋がることで、お気楽の塊を癒すことができたのです。
その一部を、「手記 わたしの『熱帯』」として記そうと思います。
汝にかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん
「当然のお勤めとして喜んで、お話しいたしましょう。ただし、このいとも立派な、いとも都雅な、王様のお許しがありますれば!」
贅沢な読書会
2019年2月17日、私は横浜のドッグヤードガーデンにいました。そこで行われる「贅沢な読書会」に参加するためです。
「来てしまった…」改めて自分の置かれている状況に怖気づき、さっそく後悔し始めました。
読書会への参加はこれが初めて。さらには、翌週24日には作者の森見登美彦さんがいらっしゃる予定。それを実感し、急に緊張と不安が襲ってきたのです。
森見さんご本人に会える、あわよくばサインをいただき、言葉まで交わせるかもしれない…。そんな下心がなかったとは言いません。ノリと勢いじゃない、熟考に熟考を重ねた末の決断だとも言いません。
けれど、長らくモリミーファンでいながらイベント参加に踏ん切りがつかなかった私が、「贅沢な読書会」には参加したいと思ったのです。なぜなら、課題図書が『熱帯』だったからです。
『熱帯』はぜひとも自分で語ってみたいと思わせるような、不思議な魅力のある物語でした。
しかし、私の感想なんて語るに値するのだろうか…。何の決断もできないまま結局ずるずると仕事を続けている、こんなちっぽけな私の感想なんて…。そんな後悔をし始めていたのです。
会場に辿り着くともっと後悔の念は強くなりました。円をかくように用意された席は20席。
「少なっ…!こんなに少人数では私のダメダメさ加減が目立ってしまう…!」思わず口の中で呟きました。
さらには、私よりももっと有意義に『熱帯』を語れる方々を差し置いて、ここへきてしまったという自責の念まで沸いてきました。「こんなつもりでは…」
タジタジしつつ、開始時間は迫ってきます。来てしまったからには仕方ありません。私は腹をくくりました。
モデレーター役の瀧井さんはとても優しそうな方で、さらには聞き上手。なんだか話す予定ではなかったことまで、するする話してしまった気がします。
意味がわからないことを長々話し過ぎてしまい、「厚かましいぞ、恥知らず…!」と自分をののしり小さくなりながら、他の方々の非常にまとまったわかりやすい感想を聞いていました。
驚くべきは、みなさんの『熱帯』に対する非常に真摯な態度と、個性豊かにして優れた解釈。みなさん冷静な語り口であるのに、それでも妙な熱が会場を包んでいたように思います。まるで純喫茶「メリー」で開かれた学団の会合のようでもありました。
目の前にある『熱帯』から離れ、誰もが幻の『熱帯』を探しているような、そんな気さえしてきた頃です。「私の『熱帯』だけが本物なの」という千夜さんの台詞が私の心を満たしました。
みんなそれぞれ“私だけの『熱帯』”という隠し玉を持っている―――ふとそんな気がしました。そして、それが『熱帯』の正体なのではないか。
自分だけが語れる『熱帯』。だからこそ「私の『熱帯』だけが本物なの」です。しかし、私には語れるほどの『熱帯』があるでしょうか。
それでも“私だけの『熱帯』”を語ってみたくなったのです。ないのなら、私も池内さんのように“私だけの『熱帯』”を追いかける冒険をすればよいのです。直感的にそう思いました。
そんな私の心を見透かしたように、翌週の「贅沢な読書会」終了後に知らされたのが「夜の翼」という企画でした。
不可視の群島をめぐる冒険「夜の翼」
「夜の翼」―――『熱帯』から飛び出し夜の街に散らばった「不可視の群島」=Barを探し当て、お酒を飲みつつスタンプラリーをするというなんとも楽しげな企画です。
なんとお気楽な冒険だろう。『熱帯』をめぐる冒険とはそんなにお気楽なものであったよいものか。そう思う方もいるでしょう。
けれど、私にとっては生半可な冒険ではなかったのです。何せ私は方向音痴。渡されたパンフレットに書かれた手がかりも、方向音痴の前ではなんとも心細いものでした。
それでも、きっとこの冒険には意味があると思いましたし、何よりもBarをめぐるなんて「夜は短し歩けよ乙女」の黒髪の乙女みたいではありませんか!
きっと京都の夜を舞台に、私は『熱帯』の主人公となるでしょう。年甲斐もなく期待に胸ふくらませ、私は「夜の翼」に参加することを決めたのです。
○
4月某日。私は夜の闇に輝く京都タワーを眺めていました。
初めてのBar巡りにはもちろん不安もありました。加えて私は方向音痴。ちゃんと「不可視の群島」を見つけられるかしらん、「ここはお前のごときちんちくりんが来る場所ではない!」と追い出されないかしらん…。撤退も考えました。
だがしかし…
黒髪の乙女は、私よりもうんと若いのに夜の京都を歩き回ったのです。うら若きお嬢さんが夜の街を歩き回るのに、何の不安も恐れも感じなかったわけがないのです。
ここで撤退しては大人として、女として面目が立ちません。不安を言い訳に“私だけの『熱帯』”を見つけることもなく、おめおめと逃げ帰ったことにも一生の悔いが残ることでしょう。
「Show must go on!」女が一度舞台に上がると決めたのならば、どんな痛みを負ったとしても、「不可視の群島」を見つけるまでは舞台をおりるわけにはいきません!いざ、ゆかん!
自分に言い聞かせて、京都の夜に繰り出したのです。
○
不安は杞憂に終わり、冒険はとても楽しいものでした。
冒険の詳細を言葉で記すと、何となく薄っぺらな感じになりそうだったので、省かしていただくことにしました。これが私の表現の限界なのです。
きっとあの夜の思い出は、皆さんの心にも残っていることでしょう。それぞれのあの夜を思い出していただければ、きっと私の心に残る思い出を共有できることでしょう。
あの夜、私は確かに物語の主人公のようでした。行く先々で私はたくさんの人に助言をいただきながら島をめぐり、そしてその証として様々な贈り物をいただきました。
「方向音でも、人見知りでも、やればできるもんだなぁ」
「池内さんと同じものを飲めてよかったなぁ」
冒険を終え、私はホテルの湯舟に浸かりながら、満足感にも浸かっていました。
すでに深夜2時を過ぎていたと思います。もちろん、ホテルの浴室は静かでした。けれど、目を閉じればその日出会った人たちのホクホクした笑顔と、宝石のように綺麗なカクテルが浮かんできます。
「いい冒険だったなぁ」
その日の冒険は、乙女が飲んだニセ電気ブランのように、今でも私の心を底から温めてくれています。
「夜の翼」の冒険を終えたとて、現実の問題が解決されたわけでも、生活に劇的な変化があったわけでもありません。けれど、私は湯船の中で「もう大丈夫」と思いました。
そして、今でも私は仕事を辞めずに続けています。ずるずると辞めなかったわけではありません。私の中でのしっかりとお気楽の塊が結びつき、私なりの答えが出せからです。
たまにふと、この仕事をいつまで続けるのだろうかと思うこともあります。けれど『熱帯』の世界を垣間見た私は、何度でも『熱帯』の世界と結びつきながら、この仕事を続けることでしょう。そんな気がします。
後記
初めて手記というものを書きました。つたないところもあったでしょうし、表現しきれなかったと感じることもありました。
表現しきれない部分を私なりの考察を加え「裏 わたしの『熱帯』」として記そうかとも思ったのです。そのくらいじっくりと自分の『熱帯』について語ってみたかったのです。
そして、表の冒険となる手記を「曙光」、裏の冒険たる考察を「夜行」とすると、森見さんの小説「夜行」にもなぞらえることができ、きれいじゃないか!と一人興奮したものです。
ただ、この手記をしたためているうちに、私の冒険の裏で起こっていることなど言葉で表現せずともいいじゃないかという気持ちとなりました。裏の冒険は私の大切な「夜行」として心の中にしまっておくことにします。
この手記が、みなさんが『熱帯』を楽しむ一助となれば幸甚です。
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