BEYOOOOONDSが12人じゃなくなった日
令和6年の3月1日、突然BEYOOOOONDSは12人じゃなくなった。
想定していなかったことだった、と思う。正直それ以前どんなことを思っていたかうまく思い出せないでいる。
新曲は出ないけど、サンリオのフェスがあって、12時間放送があって、3月にも特番が決まっていて。ハロコンでも控えめに言ってBEYOOOOONDSは仕上がっていた。これ以上どんな高みに連れて行ってくれるのか、そういうワクワク感があった。
取り返しがつかないことが起きたような、目の前が真っ暗になるような感覚だった。
とにかくいっちゃんのことが心配な気持ちと
ビヨに限って、大団円以外の結末があるものか、みんなの幸せ、決意、エゴ、いろんなことが渦巻いていた。
重い腰を上げて参加したひなフェスで新曲が発表、披露され、隣の知らん女オタクと崩れるように泣いた。やっぱりBEYOOOOONDはバチバチに最高で、控えめに言って最高だった。銀河to銀河の輝きだった。みんな過去を背負って前を向いていた。そして素晴らしいMV。私ちょっとずつ前を向けるかも…!
そう思った瞬間の夢羽の卒業発表だった。
「山﨑夢羽、卒業」の見出しに突然横殴りにされ打ちのめされたのに、実際に夢羽の文章を読んだら意外なほどスッと腑に落ちた。
夢羽と西口社長の文章に共通して使われていた「ジャンル」という言葉。ジャンルの違いというのは音楽人に取ってかなり大きな違いだ、と私は思う。
私も素人ながらに歌のジャンルの壁に悩んだことがあった。
想像してみてほしい。
オペラの名手がその歌い方のままで恋愛レボリューション21を歌うのは難しいと思う。もちろんその逆も然り。
日プ女子みてた人なんかはわかると思うけど、クラッシックとポップスの歌唱法って結構違うし、言いはじめれば昭和歌謡と90年代以降のJ-Popでも違う。ポップスは基盤にそれぞれ他のジャンルの影響があってハロプロは結構顕著にロック歌唱がベースかなと思う。
今までロックのボイトレを受けていた私が急に大学でソウルを歌うことになった時ぶつかった壁もこれだった。例えば、ゴリゴリのハロプロ歌唱で宇多田ヒカルの「Automatic」を歌うとすると、歌えるには歌えるけどコンテンポラリーR&Bな感じの細かい音程の動きをタイトなリズムの中で表現するのってちょっと難しいわけです。
これって意外と、自分が頑張ってた分野から飛び出さないと感じられないことだった。だって歌うだけならそのまま歌えるし。
なにより、私の歌はこれだ、と思っていたところから大きく変える、というのは本当に怖い。
なんなら、歌が自分や世界観を表現する手段であると捉えるなら、ジャンルを超えた歌唱なんて身につけなくていいと思う。だって音楽は自由な表現だから。クラッシック極めた宝塚のスターや演歌の達人がポップスをカバーする時、言葉を綺麗に発音することを重視して間に合ってなくても、それはそれも含めて様式、世界観だと思うんですよ。
あくまで一つの引き出しが増える、ということである。ただ、されど、それは純粋で大きな武器だと思う。
きっと夢羽は純粋に歌を楽しむ人生を送る、という決意をしたんだと思う。歌に限らず何かを好きってまっすぐ思うことは時に難しい。自分にできないことがあったり、自分より上手い人が世の中には沢山いることを認識してしまったり、自分より上手くないのに評価されている人がいたり。
夢羽が好きな歌を歌っていく中で、そういう、今こなさなきゃいけない壁というのを感じていたのかな。ジャンルの壁というのはただの私の妄想ではあるんだけども。
夢羽の声は本当にどこにいても「夢羽の声だ!」とわかるし、何を歌っても夢羽の歌になる、そういう魅力がある。
でもきっと夢羽はそれ以上を掴みたいんだと、なんとなく感じた決意文だった。
そういう新しい課題を夢羽に与えたのはBEYOOOOONDSの成長と努力なんだろう。可能性の無限大さ、今まで私たちもいっぱいそう感じさせてもらってきたから。4/13のビヨドヨ(ラジオ)で「BEYOOOOONDSの環境の中で、次の夢が見つかったっていう事実がすごく嬉しい」ってうたのちゃんが言っててちょっと、かなり泣いた。
夢羽は気弱そうに見えて、そうやって自分の芯を大事にできる。だからずっとBEYOOOOONDSの主人公でいてくれたんだよな。本当にかっこいい。
だから、「もっと売れるところに行くんでしょ」とか「モーニングに入れていれば」「ビヨを見限った」とか言っている人をみて、
あんた夢羽のこともビヨのことも
なーーーーーーーーーーーーんにもわかってないね!!!!!なーーーーーーーーーーーーーんにも見てこなかったんだね!!!!!
なーーーーーーーーーーーーんにも……
………
ただ……悔しい……
いっちゃんのときもそうだった。
心無い憶測を勝手に書き連ねて。
現場にもきてない人にハロプロという括りにいるだけでこんなに彼女たちの愛を踏み躙るようなことを言われるなんて、卒業よりも、それが私には苦しかったかもしれない。
彼女たちがめちゃくちゃ愛を持って、常に最高のものを届けようとしてくれていて、
ただそれって、現場に来てるオタクにしか伝わってなかったのかな…リリースが少ないから…?コンサートも少ないから…?アプカミとか全然出てこないもんね。くるみんがyoutubeのサブチャンネルを凄く忙しいなかでも稼働してくれている意味がすごくすごく沁みてくるね。
それでもやっぱり一つ一つのライブにもイベントにも、舞台にも彼女たちが力を注いだ意味があったって私たちオタクは知ってんだよね。ハロプロって多分世界一ライブ活動しているアイドルじゃないですか。どうしてもそれがメインで売ってるからさ。
(とはいえスケジュールどうなってんの…休ませてやってくれ…と思うことはある。今(4/19)もメンバー何人かダウンして公演中止で、そりゃこんだけ大変な時にハードなスケジュールで心も体もそりゃ疲弊しちゃうよね…みんなお大事にと祈るばかり)
BEYOOOOONDSの曲しか知らない人はトンチキな曲をやるグループ!という認識なのかな。私はずっとビヨの本質ってそこじゃないと思ってたから、あんまり曲をトンチキだ、と感じたことがなかったんだよね。(嘘、1stまでは思ってた)
日プ女子を見ていた頃、ひとたびネットの海に潜れば、ファンの周りに推しを広げていこうというあまりにもエネルギッシュな力を感じたものだった。その力は今も多くの人を巻き込み続けている。
あくまでUFはUFだと思うので。事務所がどうこうという以前に、私にできること、個別イベントのためにCDをいっぱい買う以外にもあったんじゃないかな、と考えるようになった。お金はこれ以上ないし。わからない。
いろいろ書いたけども、
夢羽のこと私はただの一ファンだけど本当に誇らしく思うし、これからの夢を応援したい気持ちが100である。でも、BEYOOOOONDSのファンとしてやっぱりビヨのゆはと一緒に見たかった景色もたくさんあって。
12人のBEYOOOOONDSの神話というか、やっぱり12人の彼女たちの夢が私たちの夢だったから。勝手に夢破れてしまったような気持ちでもいる。やっぱその精神性を推しているオタクも多かったでしょう?やっぱちょっと稀有なグループかもね、ビヨって。最高なんだよ。
私もう前に進めないかも…と、思った時にこのブログが投稿されて、この言葉にずっとしがみついている。
わたしは里吉うたののブログ新規のオタクなので。この言語化能力と表現は日々を誠実に生きていないと身につかないものだと思う。本当に日々尊敬しているし信頼している。もっと輝くのを見ていたいと思う。
いっちゃんについて、書こうと思って1ヶ月悩んだけれども、
悲しい、寂しい、心配、無念、
それ以上うまく表現できる言葉が見つからなかった。
一岡伶奈という人が心底好きだ。
卓越したセンス、好きへの集中力、言語力、何故かあまりフォーカスされない画角の隅での愛情深さ優しさ。
あんな愛に溢れた人がこんな形で愛していたグループを去ること。なんて悲しいことなんだろう。
いっちゃんというリーダーがいたからこそ、オタクすらも巻き込むBEYOOOOONDSのやさしい世界って醸造されてきたんじゃないか、とすら思う。
情報が少なくて全てが想像に過ぎないのが悲しい。それもいっちゃんのオタクたちを心配させないように、という意思かもしれないけど。
わかるのは心に体が追いつかない焦りほど苦しくて虚しくなることってないということ。加えて、いっちゃんはBEYOOOOONDSのことが嫌いでグループを辞めたわけではない。それはファンとしてわかる。
ただ、それ以上心を深掘りできないでいる。私たちが勝手にケジメをつけるってとっても難しい。せめて本人不在でもファンがちゃんと別れを伝えられる儀式があれば、メンバーがどう感じているのか文章だけじゃなくて映像で伝わるものがあれば。3人のラジオ1本とブログ、それだけじゃ余りにも辛い別れだった。
とにかく、みんな幸せになってほしい。
いっちゃんも、ゆはも、ビヨに残るみんなも、オタクも。
せめて、ゆはちゃんの旅立ちではファンみんながちゃんと見送れたらいいのにな、と思う。
私は私のペースで前に進もうと思う。