【創作】Drops④
4話 ジョン・レノンのカレーと見えるオレンジフォント
カフェ「ブラックバード」で僕らは待ち合わせた。店内はそれほど広くなく親密な距離感だ。机はブラックバードの名が示す通り、黒い木製のテーブルで座席はゆったりとしたシングルソファー。クロスは暗めの白を基調としていて、壁にモノクロの鳥の絵が描かれている。大小様々なランプが控えめな明るさで灯っていて、まわりにはハンギングツリーで下げられた小さなグリーンが目につく。これらを見ていると気持ちが落ち着いてくる。僕はこのカフェの雰囲気が昔から好きだ。
窓からは重たそうな雲が見えた。昨日からしとしとと降り続ける雨は、止む気配はなく、この季節にしては肌寒い陽気となった。僕は、椅子にかけたカーディガンをまた羽織ることにした。
「悪い。遅くなりました。」
ガチャっと音がして、傘を傘立てに差した女性は、店員に連れられて僕のテーブルに到着した。
赤井さんだ。
赤井さんは普段の仕事着と違う格好をしていた。髪はハーフアップにしていて、襟なしのシャツは大小のボタンが不規則についている。色はおそらく緑なのだが、僕には少し茶色が混じって見える。下は黒のパンツ姿でシンプルでどことなくラフな雰囲気だ。確かに自身でこの前言っていた通り、顔立ちは比較的「美人」の部類なのだと思う。
黄葉先輩の第一子の誕生に向けて、出産祝い品を送ろうという話が僕たちの部内の間で出てきたので、今日はたまたま休みが合った二人がリサーチに来たという訳であった。
「いろいろありまして、お昼も食べてないのよ。ここで食べてもいいかな?青野くん。」
「うん。いいよ。時間はあるしね。」
今日の赤井さんは、先日の濡れた小鳥みたいな悲壮感は全くなく、田舎にいる日差しを受けたむく鳥みたいなのんびりとした雰囲気を漂わせていた。僕はそんな彼女に少し安心していた。
「青野くん。ここは何がおすすめなんでしょうか。」
「カレーがおいしいのかな。チーズがたくさん乗っていて、ひき肉とナスのカレーだよ。ブラックバードという店名はたぶん.....Beatlesから来てるんだろうけど.....ジョン・レノンはカレーが好きだったんだって。おもしろいよね。」
「じゃあ、そのジョン・レノンにあやかってカレーにします。すみませーん。」
店員に注文する。
店員が去った後、僕から話を始めた。
「この前からね、僕は君にいろいろと僕の話をしているでしょ?」
赤井さんは僕が先程頼んだ目の前のプリンに気をとられていたが、ハッとした顔をして僕に向き直る。
「色覚が認識できない話。ね!」
「あのね、おなか空いてるんじゃない?僕のプリンまだ手つけてないから、あげるよ。」
「え!いいの?....でも悪いよ。やっぱり。だいじょーぶです。」
「いや、僕頼んでみたもののそんなにお腹空いてない感じがしてたから。...どうぞ。」
「じゃあ、遠慮なく。」
赤井さんは僕のプリンをすっと引き寄せてスプーンですくいあげる。一口食べるたびに顔中に「おいしい」が広がっていて見ていて飽きない。
「うん。さっきの話の続きなんだけどね...まあ、これは僕が受けている印象なんだけど」
「君は僕が話した事について力になろうとしてくれている。非常に感謝しているんだ。そして、この事を話さなかった事について、どこか心配をしてくれているのはよくわかるんだ。」
もぐもぐとうなづきながら彼女は僕の話を聞いている。僕は続ける。
「けれどもね、誤解がなければいいんだけど、そこには少し苛立ちのようなものも感じるんだよね。僕には何か不足していることがあるのかな。」
赤井さんは驚いた顔をして勢いよく話し出した。
「そんな事はないよ!ごめん。なんか謝ろうと思ってたの。私の態度良くなかったなぁって。なかなか言い出せなくて....」
赤井さんはプリンを食べる手を止めて話しを続けた。
「あなたは不足していない。そして、非常にデリケートな事だから、話すのも勇気がいるのだと思った。だから話す話さないは個人の自由だよね。.....私はね、大切な人たちが病気になった事が何回かあって。」
僕はうなづきながらコーヒーをすする。
「その時にね、彼女たちは私に気を遣って自分が抱えているものを、言わなかったんだよね。私はそれが非常に悔しくて...。後悔ばかりしてるの。なんで気づいてあげられなかったんだろう。自分はとても浅はかな人間だって、寂しかったし、絶望した。」
「だから、もうそんな思いはしたくないなって思ってたんだよ。そしたら、青野くんがこの前不意に話してくれたでしょ?私は『また気づく事ができなかった!』って自分の中でショックだったんだと思う。」
「でも、それは私の問題であって青野くんの問題ではないから。ごめんなさい。本当に。」
スプーンを口にくわえながら話す彼女の体はますます小さく見えた。
大切な人たちと同列に考えてくれていることに、僕はなんだか落ち着かないそわそわした萌芽のような息吹を感じた。何かが僕の中に芽吹いている気もする。
「そういう事だったんだね。話してくれてありがとう。少し安心した。
きっと大切な人たちは君の事も大切だったんだよ。思いやりというのは個人的なものだから、表現の仕方はそれぞれだよね。それは君が望むべき形じゃなかったかもしれないけど、話を聞いているとお互いに思いやっていて....気持ちは重なっていたんじゃないかな。だから君は君を責めることはないと、僕は個人的には思う。
....僕はこの事について話さないのは僕なりの理由があるんだ。けれども今回はなぜか君だったら話してみてもいいかなと思ったから....いや、思うよりも早く話してたな。だから、それがなんなのかわからないけど、とにかく親身に考えてくれてありがとう。」
彼女の固くなっていた姿勢がゆるんで、笑顔が見えた。笑った顔を正面からしっかりと見る事がなかったので、新鮮だ。
「この前の資料見たよ。よく考えて作ってくれてる。僕は赤が黒に近く見える。強調するべき字のフォントをオレンジにしてくれたおかげでだいぶ見やすくなったよ。グラフも中に斜線を入れたり縁取りを強調してくれた。これで研修資料も完成だね。本当に感謝してます。だから今日は僕に奢らせて下さい。」
赤井さんは子供のようににっかりと笑う。
「うん。良かった。私もね、知らなかった事がたくさんあって。調べていたら『カラーユニバーサルデザイン』っていうのがあるのを初めて知ったの。それでね、青野くんが見えやすいように考えてみた。お役に立てて光栄です。」
彼女と僕はお互いに笑顔になった。
「知らない事を知るって楽しいね。二人の世界にお互いが第一歩を踏み出したお祝いとしてこれを授けます。」
赤井さんは急にバッグからサクマドロップスを取り出して、がしゃがしゃと神社のおみくじみたいに振り出した。その神妙な儀式を扱うような様はまるで巫女さんのようだった。
僕はそのおかしな様子にあっけにとられながらもくすくすと笑っていた。
コロンと出たのは白い飴玉だった。
「白色は僕もわかるよ。ハッカが出るとなんだかハズレっぽく感じない?」
「ハズレではありません。白はまっさら。スタートの色だよ。やっとスタートに立てた気がする。さあ、今日はちゃっちゃっと黄葉先輩のお子様にふさわしいものを決めて、喜んでもらおう。そして、また先輩のやさしさを私たちに充分に注いでもらいましょう。」
見えてるもの。感じているもの。
それらはたんに「見えている」「感じている」だけではなくて
自分の過去の経験や価値観が色濃く結びつく。
だから同じものを見ていても全然違うものを捉えているし
今日の僕たちみたいに、同じことを体験していて感じることも、思い込みや勘違いがたくさんある。
それは例え僕と赤井さんが同じ視覚を持っていたしても、やはり同じことが起こるのかもしれない。
僕は赤井さんが見えている世界が見えないように
同じく彼女も僕の世界が見えないのだ。
そこには「障害がある」とか「ない」とかではなくて、何かもっと近いものを感じる。
その人がそのままで見たもの感じたものを
対話によって近づけることができたら
寄り添えることができたら
それはどんなに素晴らしいことだろうと僕は思う。
白はまっさら、スタートの色。
また僕の世界に新しい色がやってきた。
まだ見ぬ色に期待をこめて。味わったことのない世界が開けている予感がして、僕は胸が高鳴った。
壁紙の黒い鳥は、今にも飛び立ちそうで、翼をはためかせている。
「そんな風に君も見えているのかな...」なんて、僕はジョン・レノンのカレーを美味しそうにほうばる君を見つめながら、あたたかい気持ちになっていたんだ。
つづく。
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