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ピカロの虎と鏡の龍

私は揺らぐ。

挙棋不定きょきふてい

五里霧中ごりむちゅう

左顧右眄さこうべん

どれもことばがしっくりこない。

汗だくの体が、狭い室内に無理に付けられた冷房の風に包まれ、寒いのか暑いのかよくわからない感覚と、心地よさと気持ち悪さが混在する。

その身体感覚がまさに私を表している。

冷たい水を飲み干している間、廊下奥のステージ前の客席からアンコールが聴こえる。

私は汗を拭いて、ステージに戻る。

歌い終わり、ステージから戻る。

ベースのマサトシが笑顔で私に手を上げる。私は彼のシャツをひっぱり耳元で打ち上げへの参加を断る。彼はやや困惑した笑顔で「わかったよ、トラ」と一言呟き、ドラムのキヨシとその場を去る。

一時間後。

私は静かな廊下で佇んでいた。

壁面には大きな鏡があり、私はそれを見つめた。

ブレイクする前からこのライブハウスで歌を歌っていた。

2ndシングルがある人の目に止まり、夏の清涼飲料水のCMソングで使用される事になった。

CDは飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットした。

そして、今。

あの日のヒットがウソのように閑散とした状態のバンド「ディメンションズ」は、今過渡期を迎えている。

私は壁に書かれた自身の「竹虎ナオ」と隣の「タツオ」のサインを見つめ、何かを祈るように目をつぶり、そしてゆっくりと目を開いた。

すると

私の背後には、いるはずのない人物が床に座り込んでいた。

一瞬、息が止まる。



腕には龍の刺青。グレーのTシャツにブラックジーンズ。大きく鋭い三白眼。髪は黒く短い。



男は真っ直ぐに私を見つめていた。


私は息を飲む。


振り向いてはいけないと思いながら、息を吐き出すと同時に彼に話しかけた。

「タツオ、久しぶり。

私たちは、あの時と随分状況も変わったの。

マー君は一人目の子供が産まれて、これからお金が必要になる。
キヨはお袋さんが倒れて、認知症の親父さんの面倒を見なくちゃならない。

私は2ndシングルが売れたあとあの人プロデューサーと離れた。
有象無象の奴等のせいでそのままだと自分の歌が歌えなくなる事がわかってた。でも、みんなたぶん反対してた。
今の売れない状況は予想通り。ここまでよくついてきてくれたと思う。


私はピカロ悪役


みんなにとって、私が選んだ道は望んでいないものだった。

あなたは、事故で私たちの前からいなくなって...そっちの世界はどう?


ギターは弾いてる?


私は私で朝も夜も変わらず歌ってる。


虎は吠え続けるしかない。


でも、潮時、なのかもしれない。」

彼はゆっくりとことばを返す。

『正しい選択をしたやつが幸せになるんじゃない。その選択をした後に正しいものにしたやつが幸せになれる。』

『お前はお前の心のカタチに近いものを選べばいい。』


そう言った後に、彼は跡形もなく消えていた。


私は目を開き、鏡から去る。


外に出ると夜風が心地よい。


今日は彼の命日。


私の心臓は揺れて静かに爆ぜた。

淡い月が柔らかく私の足取りを見守っていた。




(1199文字)

ピリカさんよろしくお願いします。
いつもと違うテイストの話が書きたかったのですが、やっぱりどこか「私」ですね....。



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くま
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