【創作】Dance 最終話
13話はこちら
※このお話はすでに創作大賞2024で投稿したお話ですが、ぷんさんの挿し絵が入りましたので、あらためて投稿させて頂きます。(文章は同じものです)
マガジンは従来のDanceのマガジンに収納します。ご承知おきください。
最終話「Last Dance & New Dance」
深く深呼吸をする。
手の中の赤い星のキーホルダーの感触を確かめた。
遊園地の日からそれほど時は過ぎていないはずだ。けれども、遊園地の人混み、ポップコーン、観覧車、花火、そして背中の彼女のぬくもりが、何だか遠い過去の出来事のように思えた。
結月は入院生活で少しやせたように思えた。彼女は淡い薄浅葱色に無数の白い鳥が不規則に飛んでいる模様のパジャマを着ていた。髪の毛はめずらしく三つ編みのおさげで、手首には先ほどまで入っていた点滴のあとなのか、ガーゼがテープで貼られていた。星一はそれを見て、結月と先生の2ショットをバレエ教室で撮った際に、彼女の腕に大きな絆創膏が貼られていたことを思いだした。今思えば、あの頃からきっと彼女は通院しながらの日々を送っていたのだろう。採血をしたり、この前、潤に借りた本の中で書かれていた生検といって、筋肉の細胞を一部取って状態を調べたりすることなども、もしかして彼女は今まで体験してきたのかもしれない。
星一は、結月に歩み寄る。
そして、開口一番に「ごめん」と頭を下げた。
結月はかぶりを振った。
「いいの。むしろ私こそ......連絡しなくてごめんなさい。なんとなく携帯をみる気力がわかなかった。遊園地の時はありがとう。すごくすごく助かりました。ねぇ......病室だと他の人に迷惑かもしれないから、場所を変えよう。看護師さんに言っておくね」
結月はそう言ってナースコールを押し「お見舞いの方がいらしたので、バルコニーに行ってます」と話しかけ、看護師の応答を聞いて、ベッドからひょこっと下りて立ちあがった。
星一はそれを見て、眉をわずかに上げ、ほんの少し驚いた顔をした。
結月はそんな星一のささやかな表情の変化を見逃さなかった。
「あのね、あれからまた立てるようになったの」
「歩くこともね、少しふらふらするしゆっくりめではあるけど、できるようになったから。リハの先生がいつも来てね、毎日歩く練習してるんだ。さ、行こう」
バルコニーは最上階にあった。床はタイルのように見えたが、ゴムチップを加工してできており、足底にもやわらかく転倒しても安心であることが病院の売りになっていた。大小さまざまなグリーンが置いてある。濃い緑があざやかに光って生き生きとしていた。手すりの向こうには街と青空が広がっていた。
「私の病名……潤さんに聞いた?」
星一は目を合わせずにコクンと小さく頷いた。
「そっか」
結月は下を見ながら1歩2歩とタイルの継ぎ目に歩幅を合わせながら歩く。
「これ、あげる」
星一は茶色いくまの絵が描かれた白い紙袋を結月に渡した。
「あ」
「まるパンのあんぱん!」
結月の笑顔がほころぶ。
「見舞い品だよ。よかった。笑顔が見られて」
星一もにかっとはにかむ。
「小焼けを思い出すね。調整する私たち」
そう言って結月は今度は手すりの横を確かめるように歩いていたが、動きを止めてこちらを振り返った。
「ねぇ……もう一度聞くけど、星一くん」
結月の声は透き通っていた。
「自由ってなんだろう?」
星一は上空を見た。
たなびく雲は美しく、彼は38万km離れた月を探した。
毎回1.3秒遅れてくる月からのメッセージが届いた時、星一は月の裏側まで想像したいといつも願っていた。表面より多い裏面のクレーターは、なだらかな凹凸を作り、地面にはよく見ると小さな足跡が残っている。風の吹かない月面は宇宙飛行士の足跡がいつまでも残っているそうだ。彼女の月にはたくさんの足跡がついている。うれしいたのしいかなしいさみしい。これから先も、彼女の月にたくさんの無数の足跡はついていくのだと思う。
星一は自由を思い描いた。
まなうらには
あつい
まっすぐな気持ち
ダンスを共に踊る
足跡を刻む
そこには意味なんかなくたっていい
ただ、そこにいたい気持ちを
道端のたんぽぽのように
そっとそばに置くだけでいい
発声し、ピンと張った空白を打ち破る。
「俺の答えはあの時とやっぱり変わらない」
「結月さんのダンスのイメージこそが自由だよ」
結月の瞳が瞬間的にうるむ。彼女はなにか言いたいようだが、ことばが形になって出てこない。
不意に星一はカバンから写真の束を取り出した。そして、勢いよく上空にむかって写真をパッと手離した。大量の写真は、風に舞ってひらひらと落下した。それはどれも、よく見ると結月と過ごした日々の写真だった。舞っている写真と写真の隙間から、驚いている結月の顔が見えた。
「あのさ、バレエの発表会っていつだっけ?」
唐突に星一は結月に近づいて、手を差し出した。彼はどことなくわくわくしているようにも見えた。
「よかったら、俺とdanceを踊りませんか?」
ためらいながら、ゆっくりと小さな手を伸ばした結月の手のひらに、星一はぎゅっと包みこむように何かを渡した。手を開いてみるとそこには赤い星のキーホルダーと、小さなメモ紙があった。メモ紙には「大好きだよ」「これからもそばにいるよ」と2つの違う字体のメッセージが綴られていた。
※※※
数か月後、地域の市民ホールはたくさんの人であふれかえっていた。入り口には発表会の看板が立てかけられており、中に入ると送り主の名前や会社名が書かれた花束スタンドや、胡蝶蘭、バルーンアートがお客さんを出迎えた。机の上にはたくさんの花束が色あざやかに並べられていた。ロビーでは、化粧を済ませた華やかな顔をしながらレッスン着でうろつく出演者と家族が笑顔で写真を撮っていた。カメラマンが機材をもって移動したり、パンフレットをスタッフが運んだりと、それぞれがせわしなく動いている。
あわただしい時を経て、いよいよ発表時間となった。シンと静まった舞台上では、トップバッターの小学生たちが緊張した面持ちで登場し「くるみ割り人形」をせいいっぱい演じた。その後は「コッペリア」「ジゼル」と続き、演目が進んでいく中で、小休憩を経て、次のプログラムの番となった。
会場の客席のはしっこで、結月の両親と雫が並んで座っている。雫は目の前のプログラムを確認した。演目の「Last dance」という文字の横に「緑川結月」と演者の名前が書かれている。ブーっという開始の音を立てて緞帳があがる。
黒のシンプルなレオタードを身にまとった黒木雪乃先生が、マイクを持って舞台上にゆっくりとあらわれた。
「次は緑川結月さんの発表になります。彼女の発表はスクリーンをご覧ください」
雪乃先生は深くお辞儀をして、舞台袖に戻っていった。スクリーンがゆっくりと上から降りてくる。黒の画像から始まって、すぐに映像が映し出された。
風景の写真が映った。それは空であったり、公園であったり、学校、バレエ教室、踏切、商店街、かき氷、観覧車、路地裏の階段、街の風景が短い時間で切り変わって、流れていく。最後に夜空の月が大きく現れた。月の画面が続く。月は雄大で沈黙を保っている。カメラは徐々に月に接近していき、月面が近づく。クレーターらしき陰影と、太陽の光を受けたあかりが見えるようになった。クレーターは昏く澱んで空間が停滞している。暗闇は静かに刻を待つ。光はある1箇所に盈ちて流れ落ち、画面に降り注いだ。
そこで場面が切り替わった。
誰かの足が見える。
足は白のトウシューズを履いている。
アングルが少しずつ上に上がっていく。顔がうつり、足の主は結月だとわかる。結月は目を閉じている。
そこからまた写真に切り替わる。
写真の結月は制服を着ていた。
写真はパパパパッとはやい速度で切り替わった。それはパラパラ漫画、もしくはストップモーションアニメーションのようでもある。静止画の結月は少しずつ姿勢を変えた。この写真が必死に描いているもの。
Last dance
写真の連続体は結月を動かし始めた。結月は静止画にして躍動感を持ち始める。跳ぶ、まわる、倒れる、伸びる、膨大な写真が結月をどんどん動かしていく。結月からふっと笑みがこぼれた。動くことが楽しそうに見える。残された筋肉。細胞がよろこんでいて、いのちはそこにある。彼女はどこまでも楚々として清らかであった。
雫は両手をぎゅっと握りしめた。スクリーンを見つめながら星一が話していたことを思い出していた。
歩けるようになったものの、結月の筋力は衰えていた。ダンスに必要な跳躍の力。ジャンプを試みても叶わず、結月は自身の動きが大きく制限されていることに、あらためて深く落ち込こんだ。星一は結月に真摯に向き合ってきた。
「この前、雪乃先生に相談してきた。君と過ごした夏の間、俺はたくさんの写真を撮った。その写真を繋げて表現したい。今の結月さんは大きく跳べない、はやく動けないのかもしれない。けれども写真がそれを可能にする。もし結月さんがチャレンジしたい気持ちがあれば、今からまたたくさんの写真を撮らせてほしい。でもそれは、もしかして、動けない自分にあらためて向き合う過酷な経験でもあるかもしれない。それでもやってみる?」
結月は迷うことなく頷いた。
その日から2人は共同作業を開始した。
雫は2人を愛おしく思う。2人がそのままの自分であって、弱さをひらき、認め合い、たおやかであること。なくしたものや、過去のつよさを慈しみ、手放して、いまできることを結んでそこに共にあること。
ダンスが終わった。
演者:緑川結月、撮影者:赤井星一と、クレジットされた画面が写りスクリーンが上がる。拍手が起こる。舞台には結月がゆっくりと歩みをすすめ、中央でお辞儀をした。花束を持った雪乃先生が現れて、結月に渡す。2人とも笑顔だ。結月は舞台袖にいる星一に小さく手を振った。星一はほがらかに微笑み、舞台の結月をカメラにおさめた。拍手はいつまでも会場に鳴り響いていた。
※※※
一年後
改札を抜けて、駅のホームに出た。木漏れ日の日差しは強く、どこかでみんみんみんと蝉の声が折り重なって鳴いている。田んぼは頭を垂れて実りある黄金色の穂をつけ始めた。街角に提灯がぶら下がっている。線香の香りがほのかにただよい、花屋ではほおずきがあかりを灯すようににたたずんでいる。
「あかん!暑くてとけてしまいそう!」
潤は小さな送風機を自分に向けて、舌をだした。ぱたぱたと自分の服をあおいでいる。ホームは、人がぱらぱらといる程度で、三人は電車を待っていた。結月は「潤さんこれいる?」と冷たい麦茶を渡した。星一は「しかし、まだ見慣れないな。なんでそんなド派手な色にしたんだ」とあきれた表情で潤の頭に目をやった。「私も最初見た時に、潤さんだってすぐわからなかった」とくすくすと笑いながら同じく視線を送った。
「ええやん、心境の変化や。叶わん思いが叶わなかった、ただそれだけや。金髪は夏休みの期間限定なのに、桂さんにえらい怒られた。『あんたはいつもろくなことしない』って......まぁ、いつもってことはないよなって僕は思うんですが、お二人さんはどう思いますか?」
星一と結月は笑いながら「いつもではないと思う」と伝えた。潤は「今日は一年振りのリベンジやで」と意気込んでいる。
「緑川さんが見たクリスマスツリーの花火とやらを僕もこの目で拝みたい。僕の人生のクリスマス観をそれで払拭して、ハッピーなものに変える!それが今日の僕の目標!」
三人は一年前に訪れた遊園地を目指していた。星一も「俺も今日はおなじものを見てみたいな。そして写真を撮りたい」とやわらかく微笑んだ。電車が来て、駅員さんがホームと電車の間にスロープを渡してくれた。星一は結月が乗っている電動車椅子を触り、ぐらぐらしないように確かめながら乗車した。乗車したあと自然に結月の肩に手をふれる。結月は何も言わずに星一の手に自分の手を重ねた。
結月は、電車の揺れが心地よく、目をつぶり記憶を手繰り寄せた。この一年、変わったもの、変わらなかったもの、全てが手のひらのぬくもりと共にあった。目を開けると、星一が座席に座っている。目線が合う。彼は左手をかざして結月と重ねた。
新しいdanceはこれからも続く。
星一は、右手でカメラをかまえた。儚く過ぎ去ってしまう、けれどもかたちにならないなつかしいもの。愛しいこの世界を想いながら、深呼吸をして、いつものようにカシャッとシャッターを切った。
おわり
挿し絵協力:ぷん(pun)さん
ぷんさんと一緒に踊ってきた軌跡が、私の大きな宝物になりました。
あらためてありがとうございます。
これからのぷんさんの表現活動も応援しております。