空へ飛んでった
もう十年以上前の事。
私はその時高速バスに乗っていた。
それは友達からのメールだった。
同級生の子が亡くなったという知らせだった。
亡くなってしまった彼は、連絡をくれた友達と仲が良かった。
私も詳しくは話せないが、それほど離れた距離にいる人間関係でもなかったし、ひと夏を少しばかり一緒に過ごした人だった。
高速バスは、トンネルを通り過ぎたあと、工場地帯の中を駆け抜けていく。
夕刻の空は赤と青とオレンジのコントラストで染まり、工場のライトがその下で大なり小なり星のように瞬いて目の奥に残像のように短い線となって残った。
道は大きくカーブを描いて、バスはまたトンネルに吸い込まれる。
私たちは自宅に帰るためにこのバスに乗っていた。
隣には夫がいて、うつらうつらと現実と夢を行き来していた。
トンネルの暗さに安堵した。
私は暗闇でじっとしていたかった。
どこまでもどこまでもトンネルが長く続くことだけを願っていた。
幸い夫は気にしていなかった。
後日、友人から再びメールが来た。
彼の実家を訪ねて一緒にお線香をあげないかという誘いであった。
私は流れるままにはっきりと意識をせずに「行く」という返事をしたのだと思う。そして夫にも行く事は告げたはずであった。(この時の記憶はかなりおぼろげである)
彼は自衛隊員であった。
彼の親も自衛隊員で、学校に通っていた当時は自衛隊の官舎に住んでいた。
そしてその時の彼のご両親は、少し離れた地方の都市部のマンションに住んでいたので、私は友人と電車とバスを乗り継ぎ彼の実家まで尋ねた。
彼の遺影の周りにはお花がたくさん飾られていた。笑顔の彼がこちらを見つめていた。
友人が彼の母親と話している。
私は横で彼が残した遺品などを見つめていた。
母親は「これ、息子が毎年好きだったのよ」とジュースをふるまってくれた。
差し出されたのは赤しそのジュースだ。
赤い色鮮やかな液体はカラカラと氷の音を立てて、透き通ったガラスのコップに心地よくおさまっていた。
私は今まで見たことのない色合いにひきよせられ、まじまじと見つめた。
生まれて初めて飲んだ赤しそのジュースは、冷たくてのど越しも良くて、さっぱりとした甘さとしその風味がやさしく後から訪れた。
何ておいしいんだろう。
彼は彼の母親からこんなにおいしいジュースを飲ませてもらっていたのにいったいどこにいってしまったんだろう。
何で彼はここにいないんだろう。
もう十年以上も前の事だけど
私はこの赤しそのジュースが忘れられなかったんだ。
だから、今年はやっと重い腰をあげて自分で作ってみた。
飲んでみてやっぱりあの時と味は同じだった。
飲んだら何かわかることを少し期待していた。
けれども、あの時わからなかった事はやはり今でもわからなかった。
彼はおそらく自分で命を絶ったのだ。
物的証拠ははっきりとしないが、確か結論的には当時そのような見解であったと思う。
彼が何を残したのか。
何を残さなかったのか。
どんな感情を持っていってしまったのか。
どんな感情を置いていったのか。
本当にちょっとした違いで私は生かされている。
それはほんの少しの違いなんだ。
残された私は、説明できなくともわからない感情でも、その事を忘れないようにしたいと思う。
ヒリヒリとした思いは、赤いジュースと一緒に溶けて飲み干してしまった。
私の中でわからないままの何かは彼と彼の飛行機とともに空へ飛んでいった。
それは高い高い高度を描いて、誰にも届かない。
いつも少し先を行く光のように、いつまでもつかめない物体であるのだとわたしは思っている。
そして必要ならば
あのまぶしい笑顔とともに
不意にそれは舞い戻ってくることもわたしはきっと知っているのだ。