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一枚パンをはさむように
最近のブーム。
まず、頭をスッカスカにする。
そして、パンをはさんだようにするスタイル。
いきなり不躾になんだね、君はって。
まあ、今日はそんなノリで書いていきたい。
読む人もごろごろしながら読んだらよろし。
すこーし前に、ある友人に言われた。
「なんでも謝るのはやめな」
こんな風に強くは言われてはいない。けれども要約するとおそらくこうなる。ちなみにこれは以前から子供にも言われている。その前は夫に言われていたし、なんなら親にもずっと言われて続けている。
何年言われてんだ、自分......。
私は生粋の謝罪ウーマンである。
私なりに、このなんでもすぐに謝ってしまう癖は確かによくないなと思っていた。いや、私の世界の反対側に「絶対謝らないマン」も世の中にはいるのは知っていて、それよりは少しマシくらいには、正直思ってた。
はっきりいって全然マシではない、と思う。むしろ謝ることで私は相手に不快な気持ちを抱かせていた。
なぜかというと、気持ちは完全に謝っていないんだ、たぶん。
「私が謝罪すればこの場が丸くおさまる」
「私が悪いってことにしちゃえばいいんでしょ?」
とむしろ逆ギレしている時もあるくらいの、手に負えないこの感じ。
どーしよーもない。
あわれな子羊ならぬ
おおぐま1匹。
それでやめました。
すぐ謝るの。
でも、すぐにここに到達したわけではないのです。
まずですね、何かもやもやとした出来事が起こったときに、私は割とすぐにPDCAをまわしてました。
簡単にいうと、原因を早急に探し求めて、解決するように尽力してました。
だってこういうことが起きるのは二度と嫌なんだもん。なるべく平穏に過ごしたいだもん。
なので、相手と私のやり取りの中でどこがいけなかったのかを考え始めます。
ここ。
これをすぐやらないように変えました。
だからすぐにPDCAをまわすことは、やめたんです。
言い方を変えますと、ジャッジするのをやめました。
それは相手にも、自分にも。
すぐにパンをはさむのです。
サンドイッチのように。
頭の中にパンを1枚はさむことにしました。
パンじゃなくてもいいのだけども。ダブルバーガー的なものだっていいのだけど。
瞬時にまわさないことにした。
間に何かはさんで、考えることをやめました。
なんならサンドイッチにかぶりついて、ピクニックにでもでかけちゃお。そんな牧歌的な気持ちを取り戻すのです。
要因を探して、ジャッジし始めると苦しくなる。そして傷が深くなる。最終的には自分が悪かったことや改善すべきことが残って終わる。
なぜなら、他者に変容を促すのはなかなか難しく、改善は基本的には求められないと考えているからです。
果たしてそれでいいのだろうか。
弱き自分を強き自分にすることは、全ての解決の糸口になっているのだろうか。
ジャッジをやめて楽になりました。
そして、私とあなた。
今、どうしたい?を考えるようにしました。
過去のあれこれ、なんやかんやをついつい取り出して広げて見せたくなってしまうけども。
また同じことが起きて、同じ傷を作ることになったとしても。
もしまだ一緒にいたいのなら、私の気持ち。私がしてほしくないことを伝えようと思いました。
それでだめなら、仕方ないのですが。
間にたくさんはさむこと。
はさむと感情と離れます。
あつあつのできたてのやつと、すこーしだけ離れる。起きてしまったことは、もう仕方のない、不可避な出来事だったと。
最近はそんな心持ちで過ごしてます。
サンドイッチはたまに食べたくなります。
厚焼きのたまごをはさんでもいいのです。
たまにはツナもいいですね。
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