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【白4企画】誕生
「どうしたの?これ」
部屋のまんなかに大きい桃がそびえたっていた。
桃はふっくらとしていた。
それは赤ん坊の頬のようにきめこまかく瑞々しく、柔和な曲線を描いている。それとともに、目に飛び込んでくるのはその大きさだ。通常の桃の何百倍もある大きな桃は、山のようにずっしりとした重量感を持っていて、木でうちつけた床に、広い面積の影を落とした。
そして、なんといっても、うっとりとするほど甘い匂い。痺れるような鼻の奥を抜けるその芳香が部屋中に充満し、気がつくと頭の中は桃源郷に入り込んでしまいそうであった。
桃の表面には、金色のうぶ毛が光っていた。窓からの光を受けてきらきらと存在している毛が、この世のものとは思えないほど美しく、見惚れてしまう。濃紅色と黄色が入り混じった鮮やかなあたたかいグラデーションに身を包んだ、果汁がしたたるその中身を想像するだけで、いてもたってもいられなくなる。
思わず舌なめずりをしそうになる。
しかし、今はそれどころではない。
コホンと咳払いをして、目の前の女性に問いただす。
「どうしたのって聞いてるでしょ。口がついてるなら答えてください」
子供に言い聞かすようにたしなめてみたが、目の前の緑のもんぺをはいた女性は、変わらずうつむいている。頭に手拭いを巻いているため、表情は見えづらい。
「今度は桃か......」
「しかし、いつもどこから持って来んのかね」
「なんで桃なの」
先月はたこ焼きだった。
大きなたこ焼きがやはり部屋一面を占領していた。ソースの甘辛い匂いと、あつあつの生地が振り掛けられた青のりとともに、ほかほかの湯気を立てて、私の食欲を刺激しまくっていた。
たこ焼きも桃も大好きだ。
いやそんなことは関係ない。
しかし......先々月は巨大なカルメ焼きだったな。
幼少の頃、おばあちゃんが作ってくれたカルメ焼きは、もうめったに食べることのできない懐かしのおやつで、おたまの上でふっくらと膨らんでくる薄茶色の物体を見ているだけで期待に胸が高鳴った。出来上がって一口かじってみると、サクサクっとした歯応えで強めの甘さがじんわりと染み渡り、香ばしさが口いっぱいに広がる。
わざとか?俺の好きなものばかり......。
家内が何を考えてるのか、昔からわからないところがある。私たちは見合いの結婚だ。妻は、おどおどしているのかと思えば、割と直感に従うタイプのようで、勢いづいたあまりに彼女はいつもとんでもないことをやらかす。
妻はここ一年くらい、巨大な食べ物を持ち帰ってきては、部屋の中に置いた。
大きなゆでがにの時はかにの脚が障子を突き破っていたので、わざわざ障子を張り替える羽目になった。
大きなういろうは、最初、羊羹と見分けがつかなかった。長方形の形の整った黒い物体を見て、羊羹であると思い込んだが、もちもちっとした食感は羊羹には出せない独特の食感で、Wikipediaで調べてみると、羊羹の小豆と違って、米粉などを原材料にしていること。漢字表記で「外郎」と書くことなどを私は知ることとなった。
話はだいぶ脱線したが......そんなことはどうでもいい。
問題は妻の言動の不可解さ。
他にも、大きなゆず、大きなシャインマスカット、大きな萩の月、大きなファミチキ、大きなクラブハリエのバームクーヘン......どれも私の大好物で、このようにして並べてみると、いかに私が甘党であるのかが、露呈してしまっているラインナップではある。
私は何かに騙されているのか。
もしかして「トゥルーマン・ショー」のように私の知らないところで、私の人生がエンタメとして、どこかの大勢の誰かに消費されているのか。
監視されている感覚はない。
先月、監視カメラがないかを、部屋中の隅々まで業者を入れてチェックした。
バカなことを考えるな。
それよりも妻だ。
まったくもって、彼女が何を考えてるのか、これらの物体をどこで手に入れてくるのか、不明な点だらけで、長い結婚生活の後半でこのようなできごとが起こるとは思わなかった。
人生とはわからないものだ。
私は若い頃から仕事に励んできた。働き詰めの人生であったが、同じく働き者の妻ともそこそこいい家庭を築いてきたと自負している。
これほど長く一緒に住んでいて、妻が理解不能な奇怪な行動をすることが、俺には正直よくわからない。
何か言えない不満があるのか。
腹いせでやってるのか。
何が妻を変えたのか。
もしかして、俺たちに子供ができなかったからか......。
「あ、あの......」
やっとのことで、妻が口を開いた。
「川で拾ったの。上流から流れてきて......すごい勢いで迫ってきたから、たまたまそこに置いてあった網を投げて、ひっかけて....私1人の力ではなかなか引き上げられなくて、すごい大変だった」
「は?」
まただ、毎回こうだ。
山で生えてたとか、マンホールから飛び出てきたとか、くじ引きで当たったとか、宇宙人が渡してきたとか、急に配達されてきたとか、ビルから落っこちてきたとか......現実味がないことを、彼女は毎回口走るので、私はそれを信用していない。
「桃、食べよ」
「私切るから」
言うが早いか、妻は床から立ち上がり、急いで納屋へ向かった。大きな出刃包丁を抱えて戻ってくると、準備運動のように、真顔で包丁をぶんぶんと振りかざした。
包丁はぬらりと光を放った。
こわい
あぁ、もういやだ
早く逃げ出したい!
なんだか急にこの場にはいたくなくなった俺は、エレカシの宮本のように、頭をかきむしりはじめた。
いっそ、妻も家も桃も捨ててしまえば
今からでも
俺はまともに生きられるのだろうか。
その時、パカっと大きな音を立てて、桃が少しだけ開いた。
次の瞬間、わずかな隙間から目を開けていられないほどの、光のシャワーが急激にそそぎ、小さい人間の手が桃の割れ目から現れた。
まるでホラー映画だ。
私は思いだした。
前の食べ物たちから、さまざまな生き物が飛び出して、そしてすぐさま姿を消してしまったことを。
ある時は犬。
ある時は雉。
ある時は猿。
そして......ゆずの時だ。
禍々しい黒い闇とともに長い爪がのぞいて現れた、あの筋骨隆々の赤い肌の男の頭には、大きな角が生えていた。ひとならざる者。孤独な目をした獣。
息を飲み、光が落ち着くのを待った。
そして、あることに気づいた。
私は私が誕生してからこんにちに至るまで
私はまわりを
「そのまま」見ることをしてこなかった。
孤独であるのがこわいゆえに、孤独を見つめようとしてこなかった。そして孤独になった。
私は見るために聞かねばならなかった。
目の前にいる妻の話を
このような事態になる前に
もっともっと
聞いてやるべきだったのだ。
『もう好きにしてくれ』とどこかで腹をくくった。
私は妻の手を握り、祈りをささげ、神々しい光に包まれながら、新たな息吹の誕生を見守った。
4周年、白鉛筆さんおめでとうございます。これからの創作活動も応援しております。
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