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【創作】Dance 1

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第1話 月のクレーターをとびこえる

夏の暑い日差しの中で、木々が強い光を遮る。
木漏れ日は階段に光と影のグラデーションを作る。木たちは協奏し、リズムを作り、階段に強弱のコントラストをもたらしている。そして、コンクリートの隙間から生えた草たちは先日の大雨続きのあとからみるみるうちに背丈を伸ばして主張している。
変わるものと変わらないものはただそのものとして日常に存在していて、移り変わりのわかりやすいものはあっという間に過ぎ去ってしまう時間の経過を知らせている。

もう夏だった。
気づけば秋になっているし、きっと知らないうちに年末の挨拶などがまた行き交う季節になるのだろう。

先程から上り続けている階段は丘の上へと続いている。額から汗が流れる。蝉時雨の声が聞こえる。タオルで顔をぬぐう。

この公園は目新しい遊具などはなく、昔から住宅街の一角に存在し続けている。

星一がここに来るようになったのは実は最近のことだ。

この公園の丘の上から街が見渡せる。

その景色が見たい時、ここを訪れるようになった。景色自体はなんてことはない、街の景色。



ちょっとしたバッドニュースなんて、日々生きていると遭遇してしまうものだ。


星一は先程自宅でおきた、ある光景を思い出していた。
それは、祖母が母親に対して口うるさく罵っている場面。
怒りを露わにする祖母。彼女は沸騰したやかんのようにかん高い声を発しながら、昂った気持ちの行き先を全て母親にぶつけているかのようだった。母親は視線を下に落としながら、体をこわばらせていた。

これは、いつものことだ。
いつものことだが慣れない。
星一は何回も何十回も見てきた。
そして、何回も何十回もその度に考えて、対応して、気持ちは少しずつ月のクレーターのようにすり減っていく。

祖母をなだめ、母親の肩をなでた。

かたくなっていた母親の力がスッと抜けるのを手のひらから感じた。

『お前ばかり悪いな。お前がいるから安心だ。』

頭の中にある人の声が響く。

星一はポケットから鍵をとりだす。鍵には赤い色の革素材のキーホルダーがついている。大きさは3cm程度。星形で縁取りは白い糸でしっかりとステッチされている。

キーホルダーをぎゅっと握りしめた。


鈍い朝の記憶。


重たい空気。

変わってしまったもの。

変わらないもの。

それらを心の箱にしまいこむ。


階段を登り終えて、丘が見えてきた。

緑がまぶしい。
上部を覆い被さっていた木々の協奏は階段の終わりと同時に幕を閉じた。
日差しを遮るものはなく、白と黒のコントラストは白一色になった。光が瞳に入り込む。

柔和な曲線を描いた丘陵は芝生がしかれていて、のんびりとした佇まいを見せる。それはまるで大きい象のようだった。あの日幼い頃に動物園で見た象はゆったりどっしりとして、何事にも動じない圧倒的な大きさを感じた。

丘の上に座り、下方に見える街並みを捉え、カメラをかまえる。

カシャっと小気味良い音をたて、カメラは今日の一瞬を切り取る。


透き通る晴天。

心に軽やかな風がふいてくる。



ふと、景色を眺めていると、ある一箇所に目が止まった。

様々な種類の植物で覆われた垣根が右前方に続いていた。垣根には夏なのに珍しく白い薔薇がところどころ混じっている。
その向こう側には行ったことがない。

垣根にゆっくりと近づく。

垣根の隙間から向こう側に人がいる気配が感じられた。思わず息をひそめる。


垣根の隙間からじっと目を凝らして見えたものは、やはり人だった。


制服姿の女の子....あの制服は、うちの学校と同じ制服かもしれない。

黒い髪の毛はポニーテールで長く、艶々としている。顔ははっきりとは見えないが、どことなく強そうでもあり、儚げでもあり、不思議な雰囲気がある子で、星一の知らない子だった。


女の子はベンチで入念にストレッチをしていた。


足を伸ばして体を折り曲げる。ていねいにていねいに体をほぐす。猫のようにのびやかな動き。


筋肉が柔軟にしなって、戻る。見ているこちらも気持ちが良い。


星一はそこから目が離せなかった。


ベンチから降りたち、女の子は立って構える。


それは静かにはじまった。


ステップを踏みながら、回り出す。

回ると髪の毛がくるくると空中で円を描いて、線を作る。


小さいステップ

大きいステップ


足先で立ち、止まって


また動きだし


はねる

とぶ

舞う


これは。なんだ。


バレエ?ってやつか?


重力を感じさせない。


彼女のまわりだけ重たさがなくなってしまったのか。


体が弾んでいる。


星一は月を思い浮かべる。


月の上で彼女が踊る。


自分の中のすり減ったクレーターも


軽々と飛び越えてしまう。


この軽やかな気持ち。
優美な舞。
薔薇の香り。
心が軽くなる。
残したい。
おさめたい....!


星一はハッとする。


ここで写真を撮ったら「盗撮」になってしまう。


それはいけないことだ。


かぶりをふって我にかえる。

動揺して体のバランスを崩し、地面のへこみに足をとられた。

「あ」

思わず声を出してしまった。


踊っていた女の子はその声に気づき、まわりをキョロキョロと見渡す。


まずい。気づかれた。


体勢を立て直して、その場から逃げた。


草っ原を抜けて階段を降りる。

どっどっどっと心臓がなる。

汗がまた出てくる。


どきどきしてるのは、駆け足だから?

暑いから?

こっそり見ていた罪悪感?


それとも.....



月が思い浮かぶ。


彼女のダンス。


焼き付けたい。


心に留めておきたい。


また会えないかな。


星一は階段を降りて、自転車に乗った。
坂道を下りながら
風を感じ
はねる心臓を落ち着かせる。


薔薇の匂いが、まだ残っているようだ。


黒い髪の毛がまわる瞬間を
いつまでもいつまでも
彼は頭の中で思い描いていた。


第2話へつづく。



挿し絵協力:ぷんさん



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