桜庭とホイス・グレーシーばりに抗う
最初におことわり。
本日の記事はあんまり明るい話題ではない。
なので、心臓の弱い方、健康に自信のない方、毎日を「ギリギリでいつも生きていたいから〜♪あ〜あ〜」とKAT-TUNの歌を体現しているギリギリな人生の方、マンボウのように驚いた衝撃で死んじゃうくらいの繊細ハートをお持ちの方は、これ以上読むと健康を害するおそれがあるのでそっとページを閉じてほしい。
よく「マウントをとる」ということばがある。
今朝、夫ともそのような話が出た。
私が「マウント」ということばを初めて聞いたのは、かれこれ20年以上前。
当時、お付き合いをはじめた彼(今の夫)は「総合格闘技」を好んでいて、テレビの前でよく試合を一緒に見ていた。
そこで、選手が寝転がっている相手の体の上に馬乗りになることを「マウントをとった!」と表現していた。
私たちはその頃は専門学校に通っていて、いくつかのサークル活動をしていたが、その中のひとつに「格闘技サークル」という、名前になんのひねりもない、荒々しさ満点のサークルに所属していた。
サークル活動中は、男性陣は体育館のマットの上で技のかけあいをする。
私や女性の友人達は一応所属はしているものの、ごろごろと寝技を研究している男性陣を傍目に、昨日のオールナイトニッポンのaikoがどうだったとか、バイト先の先輩が気になる話をしたり、割とのんびり気ままに過ごしていた。
しかし、のんびりしていると、たまに彼に呼びだされる。
「ちょっとマウントポジションになってみて」と言われ素直に彼に馬乗りになる。そこからどうやってその姿勢を崩して逆転勝利を狙うかということを、私をモルモットもしくはいい実験台にして、技を次々とかけてくる。
私はそれがちょっと嫌でもあった。(痛いしね)
まあ....もしかして、私の身長的には、下手に小柄な男性よりも大きいので技もかけやすかったのかもしれない。
だかしかし!
格闘技はあくまでも「見るもの」であって、自分がかかわるのはまっぴらごめんだ!と思っていた。
そんな「マウント慣れ」している私が、再び違う意味で「マウント」ということばをよく耳にするようになったのは、いつぐらいであろうか。
今は「マウントをとる」と聞くと、圧倒的にこちらの意味で解釈されることが多い気がする。
そして、前置きが長すぎたが
私はある一定の人々にマウントを取られることがたまにある。
これは私だけではなくて、基本的にみんなあるものなんだと私は解釈している。
マウントをとってくる人の違いや傾向みたいなものは、もちろん各々で違うと思う。
そして「マウントをとられる」までいかなくとも、たぶん私を意識しつつ、場面によっては「この人、私がおもしろくないんだろうなぁ.....」と思ったりすることもある。その行為は本人が意識的になのか無意識なのかまではわからない。
そういう時、私はたぶん少しこわばっていると思う。そして「うーん、私なんか気にしても何の得にもならないよ〜。あなたに危害を加えたりしないよ〜。私はあなたより優れてないよ〜。」と心の中で思っている。でも、人間は生きてるだけで憎まれてしまうこともあるのだ。私がそのままで振る舞っていることが、その人にとっては何かひっかかるものがあるのは、生きている限り仕方のない話だ。
そのような人に出会うと、接していて少しもやもやとして、どうふるまえばいいのか悩んだりする。もちろん「もしかして私の勝手な被害妄想かもしれないな」という気持ちも疑いと一緒に持ち続けているつもりだ。
けれども、それが何回か続くと「やっぱりそうなのかな」という確信がかなり黒に近くなってくる。
そんな、もやもやを解消するには寝るのが一番だ。(前回の記事を参照)
だから、すぐそんな事は忘れるが吉!なのだが、ひとまずここに、私が感じている私にマウントを取る人、もしくはあまり私の事をおもしろくないなと感じているかもしれない人の今までの特徴を書いてみる。
行動で示されるのは
人前での態度の違いだ。
みんなの前では普通に話しかけてくる。もしくはかなり前のめりな感じで近づいてくる。
こわいのは一対一の時。
さっきまであんなににこにことしていたのに、態度が豹変して話しかけても顔も向けずにそっけなくされる。もしくはそこにはいなかったかのように無視される。
もっとこわいのは、みんなといる時に、なにかはっきりとした態度には出さないものの、どこかうっすらと小馬鹿にするような話題を口にしてくる時だ。そして「まあ、今あなたは嫌われていることや馬鹿にされていることに気づいてないでしょうけどね」という気持ちも込みで伝わってくる。
「うんうん、わかったよ!」と心の中で思う。
「伝わってますよ」と叫んでいる。
でも私は態度には出さない。
いつもその場が過ぎるのを待つだけだ。
そして、その後はそんなマウンティング女子の幸せをひたすら願っている。そして、必要ならば距離を取る。
あの人が幸せになったら少しはおさまるかしら....とも思うけど、ナチャラルにやっている方はおそらく態度は改善しないのかもしれない。
ここまではしょうがないことだと思っている。
問題は、私だ。
そんなことがあると、そのあとは少し森の中に隠れがちのくまさんになってしまう。
自分がそのままのんびり暮らしていることが、誰かを不快にしているかと思うと、活動にブレーキをかけてしまう。
でも、最近は抗っている。
もう気にせずそのまま生きるしかないのだ。
気にしてる時間がもったいないしね。
こういうのは自分の気持ちをしっかりさせるのが一番手っ取り早い。だって他人を変える事は本当に難しいから。
私のマウンティング女子に抗う姿は、桜庭とホイス・グレーシーの試合並みに粘り強いものであることを主張して、この話は終わりにしたいと思う。さらば!
※皆さんはこのような経験ありますか?あんまり明るい話題ではないのですが、少し興味があります。気にしないのが一番ですよね。ただ、気になる時ももちろんあるんです。
※ストレス解消法の記事を書いて、逆に自分がもやもやしたりするのはどんな時かなと、話題を広げてみました。
※動画は2000年5月に東京ドームで行われた、PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦の準々決勝第2試合、桜庭和志対ホイス・グレーシーの試合です。(これは、いつの日か、つきよるほしこさんに届けば私は満足です)
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