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書くことで気づいた私の塊
唐突で申し訳ないが
noteを書いていて、最近やっと気づいたことがある。
私を動かしている原動力の元は「怒り」だ。
なぜ気づいたのかというと、今まで書いた記事の内容を振り返ってみると、どうやら私は「怒っていること」が多いのだ。
自分では全然気づいていなかった。
私は自分で自分のことを「面倒くさがり」だと思っているし「比較的おだやか」であると思い込んでいる。
「怒り」というのはパワーを使う。疲れることだ。
だから普段は人に対してめったに怒らない。真面目な後輩には「もっと怒ってもいいと思いますよ」と言われたこともある。
しかし、noteに書いていて初めて気づいてしまった。私のエネルギーの源にあるものは「不条理に対する怒り」であることが多い。
「何で人はここで死ななくてはならないんだろう」
「何でこの人は差別されなくてはならないんだろう」
「何で努力が報われないんだろう」
「何でこの人がひどい目にあわないといけないんだろう」
「何で多数決で決まってしまうんだろう」
「何で力でそうやって決めつけるんだろう」
何事も結果がある。事実がある。
それはいろいろな場所を経て、1つの出来事が辿り着く「けじめ」としてあらわれる。
生きていて不条理な場面に出会う。
あるいは私自身がそうやって不条理なことをしていることに気づく。
そこで、私の中に思いの塊があらわれる。
その塊はエネルギーを持っていて熱さがある。マグマのように煮えたぎっている。ぐらぐらとしているその塊に触れると大火傷をしてしまう。
だから表に出さない。
その思いは私から出てくることはほとんどない。
仮にそのエネルギーの塊をぶつけたとする。相手はいい迷惑だ。心躍るような楽しい話でないし、聞く事で負傷してしまうかもしれない。相手に傷をつけるのは私も嫌だ。
だからその熱が私の中で収まる事を望みながら、ただひたすらに時間が過ぎるのを待った。風がおさまって、火の勢いが細くなり、鎮火する時まで、時が過ぎ行くのを静かに待っていた。
でも、火は消えないのだ。思いは消えない。種火で残っている。
くすぶったままで行き場をなくしてさまよっていた。
そして、また、同じような場面に出会うと嵐が吹き荒れる。
風が吹き、くすぶっていた炎はまたゆらゆらと大きくなり、自分を苦しめる。
怒りは自分にも向かう。何とか解決策を見つけたかった。
若い頃は白黒つけたい性格だった。悪を決めつけ弱い物を守りたかった。でも年を重ねて、世の中の多くの物は白黒ではっきり分かれない事に気づいた。
みんな「グレー」だ。
「グレー」の濃淡が違うだけでグレーの世界で過ごしているのだ。
白黒はっきりなんてつけられない。生きているもの全てにそれぞれの立場がある。それぞれ大事にしているものがある。
グレーは境界線がない。
グレーはあわいだ。
あわいは人々を癒す。違いを認めて、個を認める。存在をただ認める。
でもグレーに向き合い続けるのはつらい。
この目の前にある苦しみに対して、敵を作って攻撃できればどんなに楽であることか。グレーは人を癒すが、この胸で焦がれた熱はどのように昇華していけばいいのだろうか。
私の炎は行き場がなかった。
昨年の秋頃からnoteを始めた。
私は最初の記事にも書いた通り、夫につられて何となく書いてみただけだ。
書く目的がなかった。私の意志は存在していなかった。流れるように書き始めた。
書いているのは楽しかった。誰にも届けない、空に放り投げているだけのnoteであったはずだった。
でも、得る物があった。たくさんの人に出会えた。たくさんのことに気づけた。
人の痛みに触れて一緒に悲しくなった。
喜びに出会い自分のことのように嬉しくなった。
声にならない叫びをあげている人に立ち止まり己の無知を知った。
私が気づかなかった景色を見ている人に、新しい景色を教えてもらった。
みんなの塊を眺めて、私の心も感情に沿うように道を辿ってきた。共に体験する、一緒に感じることでなぜだか癒された。
そして私はなるべく記事を書いた。
記事を書く事で、自分の塊を取り出すことができた。
自分の塊を眺めてみた。
どんな風に見えるか、何を考えているのか、観察してみた。
そして、ここに至った。逃げ場のない「怒り」を抱えていることを。
私は怒っていたんだ。初めて気づいた。このままでは炎が燃えさかり、自身を燃やす可能性があった。
私は今、このことに気づけて良かった。noteのおかげで、炎に焼かれて身を滅ぼさなくて済んだ。取り出すことで、怒りと不器用ながらも少しずつ付き合えそうな気がしてきた。
ここでは、たくさんの人にあたたかい灯火をもらった。
これは私の体をあたためてくれるようなやさしい光だ。
私はこれからもこのようなことしか書けないと思う。
でも、それでいいと思っている。
怒りの裏返しは「期待」
期待しているから、怒る
私は何かに期待したかったんだと思う。
瞬く無垢な光。
やさしい光を灯してくれた人たち。
その光に期待をかけたい。
どんなことがあっても人を信じて生きていきたい。
いつも支えてくれる人たち、ありがとう。
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