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くま、北海道にゆく【死の臨床研究会学会のご報告】

つひにゆく
道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを

在原業平『古今和歌集』巻16哀傷歌861

という句が、学会の大きなスクリーン上に表示されている。

『最後に誰もがゆく道であるとは、以前から知っていたけれど、それが昨日今日のこととは思ってもいなかった』


自分の身に訪れる死は自覚するまで遠いものとして認識していたのだが、過ぎ去ってしまえば、あっけないのが人生。

そうだ、人生はあっけないのだ。


ついこの前、働き始めたと思ってた。


ついこの前、子供が生まれたと思った。


もう齢43歳になる。


大人になってから、あっという間に時間が過ぎた。年が明けたと思ったら、すでに年の暮れが迫っていた。やれクリスマスだ、年賀状だ、おせちだ、みたいな話題を自身が意識しなくとも耳にする。

時間の流れは押し迫る急流のようだ。

だからこそなのか

何も考えず直感で動いているのか

数年前からの私は

自分にとって楽しいことや

どう在りたいのかを

少しずつ考えられるようになった。


そんなことを不意に学会会場で思った。




死の臨床研究会の学会に一緒に参加しませんか?

お誘いがあったのは6月頃。


きっかけはれおさん

れおさんは「理学療法士」という資格を持ち、訪問看護ステーションを経営している。私の「作業療法士」と同じ養成学校で、肩を並べて学ぶような職種だ。

私が、noteでいまだに親しくさせてもらっている最古参のフォロワーさんはおそらく彼である。

私はnoteを始めた当初、自分の職種に近い人を検索して何を書いているのか調べていた。その中の1人がれおさんだった。


彼は、学会内容について、他の参加者について(熊本の在宅チームのケアマネ、看護師、医師の3人がれおさんに同行)、日程についてのご連絡を、ある集まりのグループLINEにくださった。


こ、これは

行くしかない!!


れおさんはこれだけ長い付き合いで、これだけzoom上ではお会いして、これだけゲームで会話していて、さまざまなことでお世話になっていても

直接お会いしたことがなかった。


同じくLINEグループにいた舵星さんと、555さん(ここでは今はtreeさんだが、私の中では555さんなので555さんで統一する)は、一緒に行けないかと悩んでいたようだが、最終的にかじさんがお仕事のお休みが取れず不参加となり、私と555さんが参加することとなった。


学会前日は観光をした。


これはちょっと諸事情があり、ここでは詳しくはふれないが
支笏湖

登別のクマ牧場に行った。

は!私!?
ゆかいな仲間たち
(北海道のカントリーベアーシアター)

閑話休題

何があったのかはお察しください


羽田空港でお会いした555さんは、すでに何度もお会いしているので、私はリラックスした気持ちでゆるっと挨拶を交わした。笑顔が素敵で見ていて明るい気持ちになれる。

新千歳空港でお会いしたれおさんは

まごうことなきハンサムだった。

立ち姿。

座り姿。

歩く姿は百合の花


間違えた。どんな姿でもハンサム王子。


小さい顔。白い肌。長い足。高身長。

車の後部座席に乗る私たちに、さっとドアを開けてくれるふるまい。荷物が多い私に「持ちましょうか?」と気遣ってくださるやさしさ。


隙なし!おぬし......さては完璧なハンサムだな。


でも、完璧ではないことも知っている。

たまに暴走したり真面目な顔をしておだやかに壊れていることも知っている。


私はそう思っているが、555さんはなんとかこのハンサム仮面を崩したいようだ。

2人の攻防が楽しい。


私は横でニヤニヤしている。


学会1日目。

札幌コンベンションセンター

学会の朝は清々しいお天気に恵まれた。
気温も程よく、シャツにジャケットでちょうど良かった。

555さんは学会が初めてとのこと。

私はかなり余裕ぶっており、入場のためのチケットも折りたたんでいなかったので、急いで折りたたみ、スタッフに渡されたネームホルダーに入れる。

久しぶりの学会にわくわくする。


最初は、れおさんが参加すると意思表明していた講演会場に足を運ぶ。

【教育研修委員会企画「死の臨床に活かすコミュニケーション」】

これです

ACP(アドバンスケアプランニング)について。

ACPとは「将来の変化に備え、医療およびケアについて、患者を主体に、その家族や近しい人、医療・ケアチームが繰り返し話し合い、意思決定を支援するプロセス」

学会抄録より

厚労省参考資料


医療者の都合でACPが進められていないだろうか?との問いかけが最初にあり、患者さんとのコミュニケーションの取り方について様々な提言が発表になった。

◾️ACPはACCP(アドバンスコミュニケーションケアプログラム)でいいのでは?

◾️変えることが難しい現実を丁寧に確認していく。まず、痛くも眠くもならない状態を目指す。

◾️患者さんとは「説明」ではなく「対話」、「説得」でなく「納得を」

◾️今の本当の想いや期待は氷山の一角に過ぎないことを想像する。

◾️感情があるところに本当の想いや期待がある。
→私はこれを聞いて西村佳哲さんの「インタビューのワークショップ」で学んだことを思い出した。彼も「相手の感情をつかまえてほしい。感情が乗っかっているところに今の相手がいる」と繰り返し話していた。あと、一回思いを聞いたからと言ってそれで満足するのではなく、常に患者さんは変化しており、考えも変わっていくことを私たちは念頭に置かなければならない。これは、学会前の前日にれおさんからも教えてもらった。「今」の患者さんをとらえることを医療職は共に探っていかなければならない。なぜなら、患者さん自身も自分のことがよくわかっていない場合もあるからだ。

◾️スピリチュアルペインはその人らしさが損なわれていく体験。「その人らしさ」は両者の関係性で作られていく。
→わかりにくいスピリチュアルペインをうまく表しているなと感じた。関係性で作られるのであれば、私たち医療福祉職は、その人のその人らしさを共に見つけ出すことが望まれているのではないかと感じる。私のOTの師匠が「患者さんに患者さんの役割ばかりをさせてはいけない」「もともとこの人は、たとえばお母さんであり、妻であり、娘であり、趣味人であり、会社員であり...といった役割を担っていた人だということを忘れてはならないし、取り戻していくべきだ」と話していたことを思い出した。

◾️苦痛緩和とACPを行った先でないとスピリチュアルケアに繋がっていかない。

◾️ACP開始のタイミングがある(第一〜第三まで)
第三段階は予後1ヶ月から半年くらいの方が対象だが、その中でもこまかく段階があるとのこと。第一段階は健常者が対象である。

◾️50代女性胃がんの対象者をモデルにデモ・ロール・プレーを実施。患者さん役と医者役の、診察室でのコミュニケーションの取り方を観察する。
2人の医者の対応を見て、何が違うのか、どのような印象を受けたのかを共有する時間となった。
→1人目の医者は一見穏やかではあるが、患者さんの目を見ず、カルテばかりを見ていること。一方的に病状を説明したり、患者さんが悲しんでいることに寄り添わないこと。切り捨てるように「緩和ケアに移行してください」と告げることなどが挙げられた。

◾️コミュニケーションにおいて必要なこと。
(前段階)距離、位置に気を配る。非言語コミュニケーション
(観察)キーワード、キーメッセージ
(傾聴)ブロッキング
(確認)ミラーリング、テーラーリング、沈黙、内省を促す
私たちは透明人間になる。

◾️人は経験してみないと本当に希望するものは選べない。
→あなたの好きなラーメンはなんですか?食べたことのない味のラーメンはなかなか選べないのでは?という問い。

◾️人間は全てのバリエーションを想定することは不可能だし、人の思いや気持ちは移ろいやすいということをふまえておかなければならない。

くまの感想
「ACPにおけるコミュニケーション」とうたってはいるが、全ての臨床の中で必要なコミュニケーション技術であると感じた。

次の講演会場もれおさんtreeさんと参加する。

【シンポジウム つらさやかなしさを持つ人々を受け止めるホスピタルアート】

これです

「びょういんあーとぷろじぇくと」は、病院にアートがあることで病院にかかわる多くの方に安らぎや心のゆとりを持って過していただきたいという願いから、2008年、札幌ライラック病院にて始まった活動です。医療の場にアートを取り入れることで、病院で過ごす方々の心や行動がどのように変化するか、アートが人間にもたらす力とは何かに注目し、これまでに、道内5か所の医療機関等で20回の展覧会と関連イベントを開催しています。

抄録より

本発表では2024年現在当院が進めているいくつかのプロジェクトの中から、子どもの死を検証して予防策を提言する「チャイルド・デス・レビュー制度」の研究者、近親者の死を体験した当事者、病院スタッフとの対話をもとに実施している「グリーフカード制作」の事例を紹介するとともに、その制作のきっかけとなった2014年に実施した霊安室からの地下通路の壁画制作プロジェクトから見えてきたこと、死の向こう側を見つめ、物語で包むホスピタルアートの意義について考察し、今後多死社会の到来によって様々な死を引き受けることになる病院が「死」を排除するのではなく受け止め、包摂していくための文化芸術との協働の可能性について発表する。

◾️日野間 尋子さんと森 合音さんという病院でアート活動をされている方からお話を伺った。

日野さんのホームページはこちら

森さんのホームページはこちら

当日は会場にも様々なアート作品が展示されていた。

以前からホスピタルアートに関心があった。
自宅にも2冊、関連する本を持っている。

広い意味ではこの本もそうかも

自分が今学んでいることも(美大)、アートに関心があるからという理由の他に、自分の専門分野に生かせないか?という気持ちがあるからだ。

特に作業療法とアートは切っても切れないところにあると感じる。

アートはことばではないものを伝えることができる。
アートは時に侵襲的ではないものであり、心と心を繋ぐものであると信じている。

お2人の演者の活動を応援したい。

れおさんと私がそれぞれ質疑応答で質問をさせて頂いたが、ここでは内容は割愛する。

くまの感想
ホスピタルアートの最前線の活動を拝見した。アートを見るもの、作るもの、全ての人にとってつらさやかなしみを包むようなものであってほしいと願う。

午後の部に突入。

555さんが飲んでいたラテ


【講演 社会的処方と緩和ケア】

イギリスで発祥した「薬で人を健康にするのではなく、人と人・地域とのつながりを利用して人を元気にする=社会的処方」の仕組みを利用して、いま、川崎市でどのような取り組みを行っているかを報告する。

抄録より

私の大好きな西智弘先生の講演である。

私がnoteを読もうと思ってアカウント登録したきっかけの医師の1人でもある。(私はしばらくnoteは読み専だった)

彼に関してはおだんごさんと西先生のnote内の企画に参加したことが、大きな思い出のひとつになっている。

西先生の講演は、私が彼の話や著書を追っかけてきているので、すでに周知の内容も多かった。

↑ぜひこの動画たちを視聴していない方は見てほしいと願っている。

(2つ目は私の好きなヤンデル先生がシロクマと共にかわいいとか、そういうのはどうでもいいくらいいい内容であると思う)

彼は病院に勤務しながら社会的処方と暮らしの保健室の取り組みを実践している。

今回の講演で新たに気になったのは

◾️DANCE WELLの活動

パーキンソン病の方と踊るダンス活動

◾️重層的緩和ケアについて
診察室で行われていることは患者さんにとっての5%くらいで、他の95%は診察室外で過ごしていること。だったら、病院以外で患者さんがどのように過ごしているのかを我々は意識していかなければならない→社会的処方につながる。医師だけでは、専門職だけではできないことだらけである。

社会的処方について↓
厚労省ホームページ

くまの感想
西先生と名刺交換、ご挨拶させてもらい、気持ちや悩みを相談できてよかった。川崎の暮らしの保健室にいつか行ってみたいと思っている。

ここまでが1日目である。


2日目に突入。

2日目は会場まで555さんと歩いていく

【シンポジウム おひとり様の在宅緩和ケア】

これは、555さんのお仕事を考えた時にいい内容ではないかと思い選んだ。

〝おひとり様″の末期がん患者から「自宅で過ごしたい」、「自分の家で死にたい」と言われたとき、どう対応しているだろうか。地域包括ケアの目標は、「住み慣れた街で最期までその人らしく暮らす」こと、言い換えれば「おひとり様でも(末期がんでも認知症でも)本人が希望する場所で看取りができる街づくり」である。

抄録より

事例による発表も多かったので、内容は割愛する。

印象に残ったことを置いておく。

◾️薬剤師さんの発表で「マニュアル通りではない服薬指導」についてふれていた。お薬を取りに行けなくなる状態に陥ること。そのためには薬を手元に置いて使用できる工夫が必要であったり、支払いに関しても介助が必要であったりする事例について述べていた。

◾️ケアマネさんの発表で、任意後見と死後事務委任契約について関わった症例について述べていた。「認知症等で本人に契約能力が無くなってからだと任意後見を利用するのはとても難しくなり、成年後見制度の適用となるが、申請や決定にかなりの時間や準備を要する。必要なタイミングで制度利用につなげられるケースは多くはない」とのこと。病状や本人の認知機能によって、使えるサービスが変化していくことを臨機応変に考えて対応していかなければならない難しさを感じた。

くまの感想
独居、ひとり暮らしは私のまわりでも増えていると体感する。ご家族に頼れない環境の中で、どのようなサービスを提供するか、私たちだけではなく、人的環境、物的環境を把握してととのえること。ご本人と適宜確認していくことがのぞまれる。


今回は2日間の学会参加を経ての感想を述べた。

いつも思う。

自分が発表しない学会の気楽さたるや!

楽なのである。

と、同時にすごくモチベーションが上がる。

初めて学会に参加した555さんも楽しめたようだ。私は嬉しくなった。学会では新しい知見や最先端の考えを聞くことができる。と、共に仲間がいる感覚を味わえる。

共に悩んでいたり、共に取り組んでいたり、みんな日々頑張っていることを感じられる。

それが明日の自分の力になる。


また、れおさんとも話したが、専門職のみの学会も楽しいものだが、今回のように多職種が集まって話し合っていくスタイルの学会は、また一味違ったものになる。様々な視点からの意見を聞けるのは貴重な機会である。


冒頭の話に戻る。

人生はあっという間だ。あっけない。

『最後に誰もがゆく道であるとは、以前から知っていたけれど、それが昨日今日のこととは思ってもいなかった』だ。


人の人生に関わらせてもらう中で


私は私の人生を照らし合わせている。

この人にとってのこの人らしさを考えると共に、私は私らしさを考える。

この人はどう在りたいかを考える時に、私は私でどう在りたいのかを考えたいのだ。


そう考えた時に、私は私をやさしく.....あくまで「やさしく」揺るがしてくれる存在に出会いたい。


今回の学会もそうだが、私は今回旅を共にした人たちにも、そんなことを感じている。


道中、一緒に学んで遊んでくださった人たちに感謝している。


また、こんな私と懲りずに遊んでもらえたら幸いである。


読んで頂いた方たちにも感謝を述べて終わりとしたい。


帰りにスープカレー食べたよ
秋がきてた

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