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【創作】Drops①
「青野くんなめる?これ?何色がいい?」
カランと音がした。
サクマドロップスが視界に入る。
隣を見ると、赤井さんも同時にこちらを振り向いていた。少しウェーブのかかった茶色い髪の毛がふわりとゆれ、彼女の頬はぷくりと膨れている。
黒めがちな瞳はじっとこちらに向けられていて、僕の動向を見守っているようだ。
彼女とのやり取りはこのあたりから始まったように思う。
そして僕は何にも気にせずこの時言ってしまった。
「ありがたくもらうけど、色は何色でもいいよ。.....というか僕は正直わからない。」
「え?」
赤井さんは僕の予想外の答えにその姿勢のまま固まってしまった。水面上でぱくぱくとしている金魚みたいに動かしていた口からやっとの事で声が聞こえてくる。
「わからない....って何?何がわからないの?サクマドロップスをなぜ僕にくれるのかって事?それともいきなりあなたは記憶喪失になっちゃったって事?キミは誰?ここはどこみたいな....青野くんはそういう映画みたいな展開になっちゃってる感じ?それとも....お前はいい年して何こんな子供みたいなお菓子食べてんのかって私を軽くディスってるって事?」
矢継ぎ早にまくしたてる彼女に、思わず僕は笑った。
入社して2年経った。
同期の彼女は、同じチームになる事も多く、彼女が時々いつぞやのエディ・マーフィーのようにマシンガン的なスピードで喋りが止まらなくなる事は僕は何度も見かけている。そして、それは必ず僕のツボに入るのだ。
彼女は笑っている僕に対して、照れくさいようなあきれたような顔をして自分のパソコンモニターに視線を戻した。
「あのね、ごめん。僕がわからないのは色なの。ありがとう、ひとつもらうよ。」
彼女の手からサクマドロップスの缶を奪い取り、がしゃんと大きくふると、一粒の飴玉が出てきた。その色は黄色い飴玉だった。
(黄色はわかるんだよね)
と、心の中で思いながら僕はそれを口にして缶を彼女のデスクに戻した。
「色って.....何?どういうこと...」
「こら!お前ら進んでんのか?」
背後から上司のピリッとはりつめた声が聞こえてきた。澤村係長は、メガネ越しに刺すような視線で僕たちを見下ろしていた。表情は険しい。仁王立ちしている。
「はーい。すみません。今日中ですね。今すすめてま〜す。」と僕は係長に向かって申し訳なさそうな顔を作りながら謝罪した。
そして、パソコンモニターに向き合い、作業を続ける。係長が去った後に僕にまだ何か言いたそうな赤井さんに向かって少し距離をつめて
「ちょっとどういう事なのか考えてみてよ。僕からの宿題。」
とコソコソっと内緒話をする音量で伝えてみた。
彼女はしばらく僕の顔を見つめていたが、僕の提案に納得してくれたのかこっくりとうなづき、モニターに向き直って作業を続けた。
何の気なしに言ってしまった僕の独白と宿題は、思ったより彼女にインパクトを与えたと、のちに彼女から語られる事は、まだこの先の話になる。
そして、欠落した僕が少しずつ何かを取り戻していくようになるまでの物語はこの時から、もう転がりはじめていたのだと思う。
「はじまり」と「終わり」が訪れた時、当人はそれがそうだとは案外はっきりとわからないものだ。
あとになって、手繰り寄せていく最中で、全てはゆるゆると、しかし着実に何かが進んでいた事を思う時に、人生の儚さや美しさを感じる。
僕たちの日々は本当に瞬間の連続でできている。
明日でも昨日でも今日でもなくとらわれるべきは瞬間だ。
そう思う僕は、空になったドロップスの缶に触れて何かを確かめながら、今日もまた日々を過ごしていくのだ。
そんな僕の物語に少しだけお付き合い願いたい。
第1話 転がるサクマドロップス 完
つづく。
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