noteのチップに違和感を抱いていることについて

2024年11月20日より、「サポート」は名称が「チップ」へ変更となりました。

他の方もさまざまに考え、文章にされている。

私が、端的に思うこと。

チップは相手のはたらきに対しての、上からのものというイメージが私にはある。

そこには「心」が置かれていない。

サポートには「心」を感じる

とソファの横に座っている夫が言っている。

(チップよりポテトチップスの方が好きだとも言っている)

そうだなぁと私も思う。

なぜ「心」不在の雰囲気を感じるのか、私は今、明確にことばにすることができない。

また、じっくり考え続けたいとは思っている。

noteの運営の方が読まれるのか読まれないのかはわからないが、とにかく1人のnoteユーザーとして意思は伝えておきたいと思ったので、本日ここに記してみた。

なお、数日前にnote運営にメールもしている。

できることはやりたいと思っている。


ここからはnote運営の方には、少々関係ない話になる。

お付き合い頂ける方には、続けてお付き合い頂きたい。

今回、私がチップに違和感を感じるということについて、あるご意見を他のユーザーの方から頂いた。

それは「ことばにこだわりすぎではないか?」ということ。

そこに対して私は「ことばにはこだわりたいと思っている」と個人的に意見を伝えた。

すると「ことばが全てになってはいけない。ことばではないものも大事にしたい。ことばの正義の力、圧を感じる」とのお返事を頂いた。



私なりにこのご意見について、昨日は1日頭を悩ませた。

まず私がことばにこだわるのは、ことばは暴力性も兼ね備えているからだ。そしてことばで簡単に人を排除することができる。戦争だって起こせる。

だからこそ、私は慎重にことばを相手に手渡したいと思っている。(どんなに自分で注意しても、傷つく人もいることを自覚した上でだ)

けれども、一方で「暴力」と「ことば」はイコールでもなくて、全然違うものである。

言葉って、暴力的なものも背負いやすいからね。強すぎて、相手を突き通してしまうことだってある。「言葉や対話の暴力だってあるよね」と言ってしまうのは簡単だけど、私は、暴力に抗うために対話の場を開いているんだよね。
言葉は暴力に抵抗するよすがみたいなものだから暴力になり得るんだけど、暴力が生めないものを生み出せる。

上記ホームページインタビューより

ことばはケアにもなり、救いにもなる。

人を生かす力にもなれる。

だからこそ、私はことばにこだわりたい。

普段使っている、目にしていることばにいちいち立ち止まっていたい。

ことばは世界を作る。

ことばに出会うことで、人は生まれるのだ。

また、似たようなことばだから、同じというわけではない。
その小さな差異を考えることは、世界を考えることにもつながっていると思っている。

「チップ」と「サポート」の違和感。違い。ひっかかり。

そこを、私は考えたいし、今はただそのことばが使われることに対して、違和感を持っていることを伝えたい。

次にことばが全てになってはいけないというこの部分。

ことばとことばでないものの比重がどうやら偏っていると感じているようである。

そもそも、ことばと、ことばでないものは、それほど、明確にくっきりわかれるものではないと、私は感じている。

そこについて書くとかなり長くなってしまうので今回は割愛する。

そして、主張している私は、何もことばとことばでないものの優劣をつけて、行動に移しているわけでもない。むしろ両方必要で大切だと思っている。

「ことばの正義の圧を感じる」という部分については、おそらく、私が主張していることに強さを感じているのかもしれないし、不安な気持ちを抱いているのかもしれない。


私は正義を主張したいわけではない。
自分の正しさを他者に押し付けたいわけでもない。

誤解を招きたくないのだが、あなたにそれを押し付けるつもりもない。

1人のユーザーとして、note株式会社に意見を伝えたいだけである。


noteの理念を見てみた。


私は会社の理念というものを比較的気にする。そして、それを大事にしたい人間だ。


ミッションは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」
その下に「noteは、あらゆる人、あらゆる組織の、クリエイティブ活動を助け、続けていくための手助けをしていく。」と記載されている。

ビジョンは「noteがあることで、人々は本当に伝えたいことに専念できるようになる。」

あらゆる人、だ。

あらゆる組織の

創作活動を助けたり

続けるための場であることを謳っている。

バリューは「クリエイター視点で考えよう 、多様性を後押ししよう 、クリエイティブでいこう、つねにリーダーシップを、すばやく試そう 、おおきな視点で考えよう」

株式会社メンバーはこのような行動指針で考えてくれるとのこと。


そう考えると、そこには、排除されるべき人間はいない。

繰り返すが「あらゆる」だ。

有料会員だろうが無料会員だろうが、なんだろうが全部含めてだ。

そして、それを利用している1人として、その場に対しての違和感を伝えることは、果たして正義を押し付けることにつながるのだろうか?と私は考える。

先ほどの永井玲衣さんとマヒトゥ・ザ・ピーポーのインタビューからまた抜粋する。

そうだね、言い切らなきゃいけないこともたくさんあると思ってる。「迷っている」状態でいることは努力をしてますっていうアピールにもなるし、一番安全な場所にいることだなと思うんだけど、そうしている間に色々なものが過去に流されたり破棄されたり、大事な感覚が破壊されていくのを目の当たりにしてきた。

私が本日言えるのはここまで。

他の人が何気なくスルーできている局面で、どうにも引っ掛かってしまうことがあるなら、そこには自分の課題ないし自分の仕事がある。

「かかわり方のまなび方」西村佳哲著

私はどうやら、この件を自分の課題として考えたいようである。

繰り返すが、もう少し考え続けたいし、声はきちんとあげたい。

今はそう思っている。

あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

「夜と霧」より



※当記事内での、私がご意見を頂いた他のユーザーへの一方的な批判はコメントでは受け付けたくないなと思っております。
第三者には何も言われることはない。私とその人とのニ者間のやり取りでありますから、何卒ご理解頂けるとありがたいです。
それでも何かご意見があるならご自分の記事で書かれたらよろしいかなと思っております。


なお、二者間のやりとりをここに載せるなよという私への批判やご意見はきちんと受け止めたいと思います。(相手の方には了承を得ています)

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くま
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