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木曜日の薄口の鯉【創作】

愛も欲望も随分と図々しいものだ。

「みんなと同じ」の呪縛。
同じような服装をして、同じようなテレビのゴシップの話題で盛り上がり、同じようなお笑い芸人の真似をして、合コンで盛り上がる。
適当にレモンサワーやハイボールの類を頼んで「やみつき爆盛りポテト」だの「悪魔の塩辛」だの「インスタ映え必至のモテ系メキシカンサラダ」と言った、頭がゲシュタルト崩壊しそうな乱れた日本語が羅列されているメニューを、高飛車な態度で存分に悠々と眺めては、かゆいところに手が届くような絶妙なチョイスで、場の熱を冷めないようにしていく俺のカタルシス。

アリストテレスも喫驚するような、不浄を払う清めの儀礼は、多量のアルコールとともにはじまり、そして幕を閉じた。

今宵のハイライトを振り返る。一時期ネットで流行った「猫ミーム」の、やたらジャンプしている子猫みたいな印象の目の前の女性。爪が壊死してるのかと思わず尋ねたくなる色合いのグレージュのネイル、その長い爪と照りのある手羽先のコントラストが荒唐無稽。宣伝だけが過度なアイドルタレントの猿芝居のように、てらてらとした照りの光が、不調和や借り物感を与える。同じ芝居なら梅沢富美男の方が幾分マシだと俺は思いながらも、なぜか彼女の一挙手一投足から目が離せない。髪の毛は不自然なほどにストレート。計算され尽くした身体のラインが出るタイトなアイボリーのトップスからのぞく鎖骨は、彼女のこの酔狂な宴への隠しきれない意気軒昂ぶりを感じさせる。同じく猫ミームで説教する猫みたいな風格を持った体格のいい隣の女。オーバーサイズを意識してるのか、自然と大きいサイズになっちまったのかはわからないが、だぼっとしたハイブランドのトレーナーを着て、やたら「ヤバい」を連呼する。うまいものもヤバい。高いものもヤバい。イケメンもヤバい。キモい先輩もヤバい。かわいいミニチュアダックスフントもヤバい。ちいかわもヤバい。お前の世界は「ヤバい」でしか成り立ってないのかと、屁理屈をこねて罵りたくなる衝動を老害とは言われたくない願望のもとにぐっとこらえ、結局気づけばジャンプ猫の娘と一晩を越してしまった。

ありとあらゆる愚かさがあの夜で全て露呈した。

こんなものが愛なのか、それとも欲という物体の手垢にまみれた謎の産物なのか。
愛ってなんだ。

掴んだ猫ミーム女の腰骨のあたりの皮膚に
リアルな鯉のタトゥーが入っていた。

鯉でなく、恋とはなんだ。

不条理で奇奇怪怪なこの世。

けれども、俺はそんな日々が決して不快ではない。

シャレみたいな名前の親父の店。「バーバーふらい」は、この地元の商店街の外れで閑古鳥が鳴いている店として名を馳せている。いくらノリでも「ふらい」はなかろうがよ。隣接店の「揚げたてアフロ」の大将との男の固い結束だかなんだか知らんが、古臭い昭和のこだわりから抜け出せない俺の親父は、宮崎駿監督みたいなエプロンを着けて、スポーツ新聞を眺めながら今日も客を待っている。

「あとつぎ」というものを考えた時期もある。けれども、俺が後を継ぐ可能性は限りなく低かった。親父がいる限りは無理だ。正直言って、俺は美容師のセンスが割とあるほうだと思う。自分の髪の毛も高校の時からセルフカットしている。「どこの美容院に行ってるのか?」と質問を受けたことも二、三度どころか数度ある。友達に髪の毛を定期的に切らせてくれるやつがいるが、かなりモテ系の男に仕立て上げる自信もある。化粧もしかりで、今は男性向けのメイク術も流行しているが、youtubeや雑誌を研究して、様々なメイク技術を会得した。
なぜそんなことをするのかというと、単純に好きだからだ。
しかし、俺は、美容師にも理容師にも絶対ならない。否、なれない。
先ほど伝えたように、親父の店は壊滅的にださい。
外装は古くてもいい。俺だったら内装を一新してインテリアにこだわる。まず、非日常を感じさせないと女性客はやって来ない。彼女らは、所帯じみた空間は、家だけで充分だと思っている。白を基調として、陽の光が店内に満ちて、髪や肌が透明感あふれて見えることが最低条件だ。あたたかみのあるナチュラル系にしたいならドライフラワーやプラントハンガーを吊り下げて、観葉植物のグリーンが目に入るようにする。クールな印象にしたければインダストリアルなデザインで、色をおさえて天井は打ちっぱなしでコンクリ全開でもいい。

けれどもこんな妄想はいくら考えても無駄だ。いくら内装を変えたところで、隣は揚げ物屋でうちと同様に破滅的にださいし、油の匂いも毎日漂ってくる。

美容師の専門学校にも行かなかった。どこかの美容院での修行も経ていない。そんな俺が、今さらどうのこうのと言う資格すらない。

今はしがないサラリーマン。友達の谷中が、繋がりが謎すぎる女子を毎回セッティングしてくる合コンに、たまに参加するくらいで。かつて持っていたかもしれない俺の繊細な感受性というやつは、とっくの昔にどこかに封じ込めてしまった。

少し鈍いくらいが、現在を生きるには程よい。

静かになった工事現場のバリケード、暗闇にチカチカと光る電光掲示板を横目で見ながら、でこぼことした狭くなった歩道を歩み、夜明け前の道を散歩する。酒臭い体を持て余しながら、商店街の外れの小さな神社に辿り着いた。

神社には池があった。
小ぶりなお社の横は、砂利が敷き詰められていてその中に遊歩道がぐるりと一周している。その遊歩道の真ん中に池は存在していた。

まわりの木々が視界を遮るが、よく見ると池の前に佇む青年がいた。

こんな時間に学生服?と疑問に思ったが、母校の制服を着ていたため、好奇心と残った酒の勢いから、俺はおそるおそる近寄ってみた。
近づくと眼鏡をかけた背の高い男の子が熱心に池の鯉を眺め、餌やりをしていた。釣具屋の「二階堂」。商店街の奥にあるお店の一人息子だった。

彼はスマホを掲げて鯉の写真を数枚撮っていた。撮影に夢中になっているのか、こちらの様子に気がつかなかった。

「タカシくん」

俺が彼の名を呼ぶと、タカシは大して驚きもせずに、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「刈込さん。こんな時間にどうしたんですか?また馬鹿騒ぎしてました?」

「馬鹿騒ぎっちゃ失礼だな。木曜日はさ、あと一日だから羽目外してもいいかなっていう気持ちになるんだよ。かといって花金は店が混んでるし、みんな浮き足だって、どうもあの空気感が好かない。浮かれてるのは俺だけでいいんだ」

タカシの髪の毛はあの頃に比べると随分と伸びていた。彼は野球部で長年坊主頭にしていたが、部活も三年で引退し月日も経っていた。不揃いの彼の髪の毛を見て、勝手にハサミを入れてカットしてやりたい衝動に不意に駆られた。

「お前こそ、なぜこんな時間に、鯉に餌をやってるんだ。未成年が出歩くには適した時間じゃねえぞ」

俺はタカシの後方にある木目のベンチに腰掛けながら問いかけた。

「願掛け」

「は?」

タカシの想定外のことばに、俺は思わず聞き直してしまった。

「沙綾さん」

タカシは虚ろな表情で、残りの餌を一気に池に投入した。水飛沫が激しく上がり、鯉が一斉に群集った。口を大きく開けて我先にと餌を取り込む。ぬめりぬめりとした粘液を帯びた鱗が擦れ合い、体を重ね合わせる。パクパクと開閉する口は、幼少の頃の磁石式で釣るタイプの魚のおもちゃを彷彿とさせた。皆、必死だ。

「ああ、あの揚げ物屋の娘の幼馴染か。劇団で頑張ってるんだってな」

「沙綾さんにはストーカーがいる」

風が吹いて木々がざわざわと音を立てた。枯れた葉っぱが地面をこすれながら移動していく。地平線には太陽が姿を現し始め、空は刻一刻と色を変えた。
タカシは俺に近づき、ベンチに横並びに腰掛けた。ポケットから紺のハンカチを取り出して手を拭っている。餌を入れていた紙袋をそばに置いた。

「気づいたのは二週間前。沙綾さん、今度舞台で主役はるんだよ。僕は、それが成功することを祈ってる」

「願掛けってのは、そのことか?」

「僕はあの鯉と同じ。ストーカーもきっとあの鯉みたいなもの。口をパクパク開けて酸欠になりながら、叶わぬ想いを胸の内に抱いてる」

タカシはスマホに映し出されたアルバムを手でスワイプしてスクロールした。写真には黒い服装の男の写真が何枚かおさめられていた。

「お前、そのこと、誰かに話してるのか?」

タカシは首を静かに横に振って答えた。眼鏡のつるが朝日を捉えて反射している。こちらを振り向いて悲しい笑顔を見せた。

「たぶん、濃口より薄口でいいんだ。刈込さんみたいに軽くてふわっとしてて、夢みたいに一晩で終わるような、そんな恋がきっといい。わかっているけど、転がり出した気持ちはどうしようもない。手遅れなんだ」

「あの人が笑うときっと明日は晴れるんじゃないかって」

「本気で僕は思った。あの笑顔を崩すような輩は制裁を加えなければならないと思ってる」

タカシは立ち上がり、池まで近づき、鯉を再び眺めた。彼は拳をぎゅっとにぎりしめている。

「なぁ」

「願掛けきっと叶うよ。鯉の思し召しだ。それだけそいつらに貢いでるんだから、お前の願いは届くと思う。濃口でいいじゃねえか。タカシの気持ちは錦鯉みたいに立派だぞ」

「酒臭い人に何言われても、説得力ないですね」

タカシは破顔して笑う。

小さなソルジャー。ひょろりとした彼の想いを、白んだ暁光も、先ほど飛び立った椋鳥も、池の鯉たちだって、もちろん神社の神様だって口出しできない。

愛も恋も、もう少し信じてやってもいいかと、純粋に込み上げた気持ちを、俺は日の出と共に受け入れた。

「お前、今度、髪の毛切らせろよ!ぼさぼさだとモテないぞ。うちの店が休みの日に来い!」

池中の大正三色の錦鯉は、流れるように優雅に泳ぎ回り、水面に小さな波を漂わせ、赤い影を残した。

タカシと俺は商店街の方向へと、朝の光を連れて歩き始めた。




白鉛筆さんからの

豆島さんで微妙に続いています。

高田純次同盟の会員の頼みなら、聞かないわけにはいきません。

あと、土曜日が空いてます!

※追記
火曜日はあやしもさん、月曜日は NOCKさん、日曜日はコッシーさんが執筆してくださいました!

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くま
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