えくぼとオキザリス
彼女と喧嘩したのは数ヶ月ぶりだった。
原因はきっと些細な事だったんだと思う。
僕は角のコンビニを曲がりながら、おろしたばかりのコンバースの靴が水たまりに入らないよう注意を払いながら歩き続けた。
暮れの時期に僕は持ち物を新調する。
新しい年に相応しい自分になれるように。それは、僕なりの験かつぎなのだと思う。
そんな僕を見て彼女はいつも笑っていた。
いや、正確には見てはいない。
僕が話すことで彼女の世界に僕が現れる。
雨だれがポツポツと傘をノックしている。僕は目的地に辿り着き、傘をたたみながら窓口でチケットを購入した。
「大人1枚」
劇場に入る。客席は開演5分前なのにまばらだ。今時ミニシアターのリバイバル上映に来る人は少ないのだろう。
僕はぼんやりと始まりを待つ。
冬は好きだ。
何でかって?
君と出会った季節だから。
3年前に僕は君と出会った。贈り物の花を選ぶのに、花屋の店員の君は一生懸命だった。その独特な眼差しや植物を指先で愛おしむ姿に心惹かれた。選んだ花はオキザリスだった。とても良い匂いのする花だ。
気づいたら僕は通い詰め、彼女に告白していた。
映画の中では大学教授がピストルを買うシーンになった。
この男は自殺しようとしていた。愛する人を事故で失い、人生に失望したからだ。同性愛者の彼は恋人を忘れる事ができずに思い詰めていた。
僕は映画を観ながら記憶をたどる。
彼女は僕の告白を受け入れてくれた。
彼女の笑顔。それはいつも薄灯かりの中だった。
夜でも彼女に光は必要ない。
僕が訪れると部屋は暗く、電気ストーブの赤い光だけがチラチラと照らしていた。
僕の気配がすると、彼女は振り向いて笑顔を向ける。
僕はその彼女の笑顔と左頬に現れる「えくぼ」がたまらなく好きだった。
薄灯かりに浮かび上がる小さな影は、なぜか僕を安心させた。そのへこみはまるで不完全な僕を受け入れてくれているようだった。
映画は終盤。大学教授は昼に出会った生徒と酒場で再開し、徐々に自分を解放していく。2人はシャツを脱いで海へと駆けていく。
「このシーンなの。観といてね。」
彼女の声が頭の中で響いた。
瞬きせずに僕は見届ける。
夜の海で、2人は水を掛け合う。水しぶきが舞う。
光が反射して宝石のように煌めいていた。
僕はそれをしっかりと目に焼き付けた。
映画が終わると青空が広がっていた。
水たまりも気にせず、僕は自然と花屋へと駆け足になっていた。
オキザリスを買おう。
みえない彼女がみたかったあのシーンの感想を早く伝えたい。
僕の世界に早く彼女を招きたい。
今日も薄灯かりの中で。視力を失った彼女はたくさんの世界を想像し、創造している。
僕はきっとまた彼女のえくぼに出会えるだろう。
へこみは僕を受け入れてくれる。
みえない彼女のみえている世界と
みえている僕のみえている世界を
薄灯かりの下で
今日も照らし合わせる。
きらきら煌めくしぶきとともに、僕らは踊り続けていくのだから。
(1187文字)
えーと....ピリカさんお世話になっております。
夏のピリカグランプリに応募できなかったので、夜更けに衝動的に書いてしまいました。
最近、全盲の方と接する機会があり、いろいろと発見がありましたので、それがこのお話のモチーフになっております。
みなさんも、冬のおともにこたつにみかんでショートショートを書いてみてはいかがでしょうか?(うちはこたつはないんですけどね。)
はぁ....創作はやっぱりどことなく恥ずかしいですね。
逃げます!さようなら~。