クリスマスだけどおせんべいでもいいね
「服がないのよ」
「ズボンが窮屈なのしかなくて。持ってきてもらわなくちゃね。」
私は紫色のシルバーカーを押す80代の細身の女性と歩いていた。彼女は当施設へ入所している利用者さんだ。時間はちょうど午後の3時頃。
「そうですか。もしかしてタンスに入っているかもしれないから、一緒に見に行きましょうよ。」
私と彼女はおもしろいくらいに毎日この会話のやりとりをしている。
問いかけも答えもおそろしいくらいに一緒だ。
そのまま、彼女の部屋に入る。
ベッドに座って一緒にタンスの中身を確認する。
「あ〜いっぱい入っているね。大丈夫だね。」
彼女はここで安心するが、明日にはもうタンスの中の洋服のことは忘れているだろう。タンスに何が入っているか、ビニールテープに「ズボン」等の名前を書いて貼ってみたがあまり効果はなかった。なぜなら、彼女は普段あまり居室にはおらず、みんなとフロアで過ごしている事が多いからだ。日中タンスを見る機会はないのかも・・・。服のことで悩まないように次の一手を考えなければ・・・。
「Dさん。今日は何日ですかね?」
カレンダーを一緒に見ながら私は彼女に問う。
「えーと今日は25日だ。」
今日は日にちが当たっていた。正解率は約半分程度。
「今日はクリスマスですね。」
「ああそうだね。」
クリスマスにあまり興味はなさそうなDさんは立ち上がって、またフロアに出て行く。
いつもはシルバーカーで車椅子に戻ってリハビリテーションは終了となるが、今日は終了にならない。なぜなら彼女との約束を果たさなければならない。でも彼女はきっと忘れている。
「Dさん、ちょっとこのあとつき合ってくれませんか?ほら・・例の」
「何?何だっけ?」やっぱり忘れている。
「えっと・・」まわりには他の利用者さんがいて私たちの会話を聞いている。
「いいから行きましょう。1階におりますよ。」
私はやや強引に居室棟からリハビリテーション室へ移動して、スタッフルームのカンカンからお菓子を取り出す。
お菓子は曲がりせんべい。
生活保護を受けている利用者さんがお土産に買ってきてくれたせんべいは頂いてしまった申し訳なさから「税金せんべい」と陰で呼ばれている。
その税金せんべいがカンカンにたくさん入っていた。
私はそのおせんべいをDさんに渡す。
「何?くれるの?」
「悪いじゃない。」
と言いつつも見た事のないような笑顔になる。
先週一緒にリハビリテーションをしていた時に、彼女は施設の食事だけだとおなかがすいてしまうという事を話し始めたのだ。
そして家で必ず「おせんべい」を食べていたことを話してくれた。大好物だけど,施設ではあんまりでないということに少しショックを受けていた。
彼女は何か病気や怪我をした訳ではない。一人暮らしをしていたのだが、お子さん達が代わる代わる家に訪れてDさんの生活を手伝っていた。しかし徐々に認知症が進んでしまったDさんの支援が大変になってきた。
そんな折り、本人が自ら希望したのだ。「私は施設へ入る」と。
入ってからは初めての施設生活に戸惑いもあり、認知症の症状はすすんでいるような気がする。そして周囲の女性利用者さんに今ひとつなじめていない印象を受けた。ある他の利用者さんには「あの人ちょっと(頭を指してまわす)これだから」と言われた。私はどうしたらいいのかとまたひとつ答えの出ない問題に頭を悩ませている。
そんなDさんは最近あまり元気がないような気がしていた。認知症があって記憶が覚えていなくても感情は覚えている。
ひとまずDさんを少し元気づけたい。おせんべいを食べる事は口腔機能的には問題もないし、内科的な問題もない。施設相談員にも許可をもらっていた。
「食べていいの?」おそるおそる私に尋ねる。
「いいですよ。約束したじゃないですか。今日はクリスマスだから、クリスマスプレゼント。大人になってもらえるのもいいのかなと。」
「そうね。クリスマスはケーキだけど、おせんべいでもいいね。ありがとう。」
おいしそうにおせんべいを食べる。私はそれを見つめる。
「ねえあなた」
「はい?」
「おたくお子さんがいるんだっけ?」
Dさんが初めて私に質問をしてきた。いつもDさんは自分のことで精一杯だが、今日は私のことを気にしている。
Dさんの中に他者の存在が少し入り込む事ができた。
私はこれだけで満足だ。
Dさんのおいしそうにおせんべいをほうばる姿とDさんの笑顔とDさんが少し変わったことが私にとってのクリスマスプレゼントだ。
雪も降っていないし、チキンもないし、ケーキじゃないし、サンタもいないけど、おせんべいを食べるバリバリッとした心地よい音を聞きながら私たちは満足していた。そんなクリスマスだっていいですよね。神様。
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