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しあわせは「まる」

先日ある企画に参加させて頂きました。

yuhiさんとmikako*さんご夫婦の私設コンテスト
しあわせポエム大賞2025
テーマは「 読んでいてしあわせになる詩 」でした。

私は普段から詩を詠む人間ではありません。
けれども今回は参加してみたかったのです。

地中図書館に訪れた時。詩の本を手に取ってページを繰り、あれこれ頭の中に浮かばせてみました。
ここ数年「詩」や「短歌」への関心が自分の中で高まっています。

長田弘さんの「深呼吸の必要」という本を秋頃から年末にかけてじっくりと読みました。「あのときかもしれない」というタイトルの九つの詩は、こどもからおとなになる瞬間について、生々しく描写されていました。それは一般的に論じられる大人論のようなものではなく、日常のささやかで小さな息づかいのような気づきの連続でした。

「路地」という詩が私は好きです。

 路地。または露地とも書く。街なかにあつまる家々のあいだをぬける通り道。たがいの軒先をとおってゆくような道の両がわの玄関先に、鉢植えの花がでている。そのむこう、ブロック塀のうえを花台にして、いくつもの鉢植えがならぶ。春には桃の花。夏の朝顔。サボテンの花。秋には真っ青な桔梗。あざやかな花ばなが、ひっそりとした路地を明るくしている。
 そこには花ばながおかれている。ただそれだけなのに、花ばなのおかれた路地をとおりぬけると、ふっと日々のこころばえを新しくされたようにかんじる……おたがい、いい一日をもちたいですね……ふっとそんな声をかけられたようにおもう。花ばなをそこにおき、路地をぬけてゆく人びとへの挨拶を、暮らしのなかにおく。誰もいないのだが、花がそこにある。そんな路地の光景が好きだ。

「路地」長田弘

私が書いた詩は、幼かった私の娘と私のやりとりをいくつか手繰り寄せて、それらをあまりはっきりとした輪郭を描かずに、抽象的なイメージのまま、ことばを並べてみました。

mikako*さんが私の詩を詠んで「しあわせは『まる』というイメージができました」とおうちラジオで話して下さっています。

たくさんのしあわせがあると思います。
他の方の作品でも「お味噌汁」など、様々なしあわせのカタチが登場していました。

私は「出会い」はしあわせだなと思って書いてみました。
あなたと偶然にして出会えたこと。
そしてまたはなれても、ここにあること。
円が遠になっても、縁はのこる。

「まる」からはじまってまた「まる」に戻っていく。

上の長田弘さんの詩にもしあわせがたくさんつまっていると思います。
自然の中に身をおくこと。
季節がうつろいゆくこと。
挨拶を交わせること。
路地をあるけること。


今回、mikako*さんの金賞を頂きました。
知らせを受け取り、驚いてひっくり返るかと思いました。
コンテストはまず自身が選ばれるということを、なんとなく毎回除外してしまう癖があります。参加するだけで満足してしまうのです。

けれども、mikako*さんの朗読が、とても素晴らしかった!私はこの朗読を聞いて「あぁ、選んで頂いてとても良かった!ご褒美だな」と思いました。

よむのと声にだすのとでは、確かに全然別物なのです。私は朗読を拝聴して涙しました。

幼かった娘のことも思いだしました。
彼女の小さな手。
なにかを発見した時のはっとした表情。
まっすぐに私にむかってくる疑いのないまなこ。
真っ赤な頬。
高い声。

今回参加させて頂いて、他の方の作品や朗読も楽しませてもらいました。お二人のおっしゃるとおり、心がふさぎ込んだ時にこのしあわせな詩たちを眺めてみてもいいのかもしれません。
そして何より、お二人のお子さん。ゆうくんの健やかな成長と共に、今後もご家族で楽しく過ごせますようにと心より願っております。

ありがとうございました。



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くま
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