常に「想像していなかった未来」を歩いています
幼少期の好きからエンジニアの世界へ
子供の頃、僕はひたすらおもちゃを分解したり組み立てたりして遊んでいるような子供でした。
年齢が上がり電子工作ができるようになると、電子工作キットを買って作り始め、仕組みを理解しては新しいものを作ろうとする。この「触ってみる」「動かしてみる」という純粋な好奇心が、エンジニアへの入り口になったように思います。
やがて家庭にパソコンが届き、好奇心の対象は電子機械からソフトウェアの世界に移っていきました。
高校生で初めてプログラミングに触れたときは、「ソフトウェアがあれば何でもできる」という衝撃を受けました。物理的な限界から解放され、ソフトウェアで世界を作れると感じた瞬間です。そこからエンジニアになることを決め、大学では情報工学を学び、夢を持ってエンジニアとしてのキャリアを歩み始めました。
夢に向かう中での転機
しかし、いざエンジニアとして働き始めると、想像していた道とは少し違うことに気づきました。エンジニアとして成長し経験を積む中で、エンジニアリングの可能性と、今自分がやっていることに乖離があるように感じたのです。そして、「自分の力でより大きな夢を叶えるためには、フリーランスとして独立し、その後起業することが必要だ」と考えるようになりました。「世界中の人を幸せにし、人を育てる環境を作る」という夢を叶えるためには、大きな力が必要だと考えていたからです。IT業界には幸い、SESや受託開発などの仕事があり、参入障壁も低い。そこで、「人を集めて起業へ」と具体的な行動に移しましたが、現実は簡単ではありませんでした。
結局、フリーランスを一度離れ、ベンチャー企業での経験を積むことを決めました。目指す「起業の形」が自分には見えていなかったからです。企業での実務経験が、起業への理解を深めてくれるかもしれないと考えました。
CTOとしての「想像していなかった未来
ベンチャー企業で経験を積み、エンジニアとしてのキャリアが進むと、自然とマネジメントの役割を担い始めました。そして気づくと、当時まだ「CTO」という役職が広く一般的でない時代に、その役職に就いていました。若い頃、経営に携わる未来は想像もしていなかったし、エンジニアとして「技術に打ち込み続ける人生」を思い描いていたはずでした。
いざCTOを務めると、エンジニアリングだけでなく経営、ビジネス判断、組織運営など多岐にわたる責任を担うことになり、「技術と経営をどう繋ぐか」という新しい挑戦が始まりました。こうして15年を経て、技術と経営の架け橋として働くようになり、いつの間にか経営視点でエンジニアリングを語る立場になっていました。CTOを名乗った当初と今では、役職への理解もまったく異なり、多くのエンジニアがこの役職に悩む姿を知る中で、支援したいという思いも強まり、今では「CTOを育てる」という使命も自分の軸の一つになっています。
願うことの力
僕には、若い頃に描いた夢があります。「人を幸せにし、育てる環境を作る」というもので、いつかは実現したいと願ってきました。夢を持ち続けることで選択や方向性がぶれることなく、「今も夢に向かっているか?」と自分に問い続ける軸となってきました。いつもノートに夢を書き出し、具体的な目標に分け、時には見直しながら進むことで、夢そのものが自分の一部となり、選択の指針になっていきました。
ふと振り返ると、「自分がこうなりたい」と願っていた夢に、今も少しずつ近づいているように思います。夢を語ることで、同じ思いを持つ人とつながり、共に前進できているのです。
今もなお「想像していなかった未来」へ
こうして歩んできた道を振り返ると、確かに技術の道を選んできましたが、最初に描いていた未来とは大きく異なっています。でも、それが良いのだと思います。計画しながらも、その通りにはいかない予期せぬ出来事こそが、自分の可能性を広げてくれました。今もなお、これからどんな未来が待っているのかはわからないですが、そんな未知の部分も含めてワクワクしています。
「願うこと、夢を共有することが、未来の可能性を切り開く力になる」。これからもその思いを胸に、想像を超えた未来を歩んでいきたいと思っています。
読んでいただき、ありがとうございました!