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「一つの花」についてあれこれ考えてみた話

今西祐行の児童文学
「一つの花」

タイトルを聞いてもピンと来ない人は多いかもしれないですが、小学校の国語の教科書に長らく載っている定番の戦争モノの話なので

冒頭に出てくる

「一つだけちょうだい」
これがゆみ子のはっきり覚えた、最初のことばでした。

これを読めば「あぁ、あれね」って思う人も多いかもしれません。

で、この物語について長男と色々と、真面目なことからツッコミ(笑)まで色々話したり調べたりしていたので、今日はそれについて書いてみようと思います。


1 ゆみ子にイラッとむかつく問題

私も小学生の頃にこの話を国語の教科書で学びましたが、正直よく分からんって思ってました。

大正生まれの祖父母から戦時中の話を聞いていたので、戦争で食べ物が無くて困っているのは分かるんですよ。
ただ、なんでゆみ子がやたら1つだけ1つだけとワガママを言いまくるのか、お父さんが別れ際にコスモスをくれるのかは、小4のこどもにとっては謎すぎる。

でも今なら分かるんですよ。
ゆみ子、どう見ても魔の2歳児じゃん。

令和生まれのうちの娘が、ヤクルトちょうだいって毎回冷蔵庫の前に来るのと行動原理は一緒な訳ですよ。1本飲んだらもう1本欲しいのよ。もらえるかもらえないかは時代も理由もまるで違うけれど。

お父さんもおにぎりが無い!って泣き出した娘を見て、とりあえずこれ見ておにぎりから興味が逸れたらいいな…泣き止んだらいいな…くらいの気持ちでコスモスを持ってくる訳でしょ。

そんな風にとっさに持ってきたコスモスでも、これを渡すのが娘との最期の会話になるかもしれないって思いがある訳ですよ。
だから「1つだけのお花、大事にするんだよう」って意味深に娘に語りかけて去っていく…

でも、こんな一連の行動は小4から見ると謎でしかない。
下手すると「お父さんって花が好きなんだね〜」と単なる花好きな人と思われるよね。別れの描写もお父さんずっと花を見つめてるし。いや、これは妻子の顔を見てると泣いちゃうから花を見るしかできないんでしょ…花が好きだから見てるんじゃないよ…(たぶん)

2 難しすぎる時代背景

太平洋戦争末期に魔の2歳児だったゆみ子。
そこから考えると、ゆみ子のお父さんとお母さんはおそらく大正生まれで、祖父母は明治生まれ。父母の幼少期は、いわゆる大正ロマンな感じの豊かな時代の日本を過ごしている可能性が高そうです。あくまで個人的な推測ですが。

祖父母が幼少期には食べられなかったビスケットやウエハースなどの洋菓子も食べることができたりして、今の子はいいわねぇなんて言われながら育った時代かもしれません。
(とは言え、実際にその時代を見た訳じゃないので知らんけれども)

その辺は私たち現役親世代や、今のこどもたちも、なんか分かる…ってところじゃないかなと思います。

で、そんな風にある程度豊かな時代に育った親が、いざ子育てするときにですよ。
自分のこどもに食べさせるものがなくて、1つだけだよ…もうこの1つしか無いのよ…って食べ物を与えなきゃいけないのって、めちゃくちゃ辛いですよね。
アラフォーの今だから分かるけど、これ小4の私には分からんよ…笑

3 10年後どうなってるんだ問題

このラストシーン、こどもの頃から納得がいかなかったんですよね。
当時は上手く言語化できなかったけれど、今ならツッコミどころがいっぱいある。

まず舞台の10年後って、昭和28〜29年くらいですよね。終戦の年でもギリギリ昭和30年。

おうちが質素なつくり(とんとんぶき)で、コスモスに囲まれて暮らしているいるのは分かるけれど…
(コスモスって群生して咲くから)

お母さん(と思われる人)がミシンを使っていて、
ゆみ子は「お肉とお魚と、どっちがいいの」って聞いているのって、ちょっとセレブすぎやしないか?

ミシンって、この時代ってそこそこ高級品ですよね?
あとお肉が食卓に頻繁に並ぶようになったのって、せいぜいここ40年くらいの話のはずですよね?
(鶏肉や鯨肉の可能性が高そうだけど…)

その辺どう思ってるの?と息子に聞いてみたところ
「10年後は、1つだけじゃなくて、たくさんって場面だよ」
と言っていて。

まぁそれは間違いじゃないし、私もそう習った記憶がある。
そもそもこの単元は「場面の様子をくらべて読む」のが目的だからね。

でも本当にこの母娘が裕福だったら、ここで買い物に行くのはお手伝いさんで、ゆみ子は「今日はお肉がいいわ」って答える場面になってるかもしれない訳ですよ。

なのにわざわざ「日曜日は小さなお母さんになって、お昼を作る日」なんてやっているのは、もちろんこどもにまかせた料理で食材がダメになっても大丈夫なくらい時間とお金に余裕があるか、単なる労働力として家事労働をしているのかのどちらかですよね。

まぁ、もしかしたら。
お父さんもお母さんも、もしかしたら大正時代に裕福なおうちに生まれて良いこども時代を送ったんだけど、結婚となると反対されてしまいやむなく家を出たから出征の際に誰も見送りに来る親族が居なかったというパターンで、だからお母さんは裕福なお嬢さま時代に身につけた洋裁で今は生計を立てつつ、戦死したお父さんの遺族年金で暮らしていますってことなのかもしれないけれど。
(めちゃ深読みしてみる)

あるいは、ゆみ子はなんやかんやありまして、10年後はアメリカで暮らしているのか…?
それならお肉とお魚って言葉が出てきても不自然じゃない気がする。

その辺のくだりがめちゃくちゃ気になったので調べてみたところ、この話が書かれたのは昭和28年なんだそう。

もしかしたら、戦後の焼け野原からの復興がある程度形になって。日本ってこれからはいい方向に行くよね、明るいよね。お肉とお魚はどっちがいいかなって選んで、こどもがスキップしながら買い物に行けるのがこれから当たり前になるよねって、期待をこめて書かれた話だったのかもしれない。

そう思うと、その後の昭和30年代以降の日本をなんとなく知っている、現在の私たちからすると「ファンタジー要素強すぎないか?」と少々違和感を持ってしまうのも分かる気がするような。

あと最後に、4年生が陥りがちなミスリードにつっこみたい。
10年後のお庭に咲いているコスモスは、お父さんがくれたコスモスの種から増えたコスモスじゃないよ…
だって、詰んで娘にあげたコスモスから種が取れたとは考えにくい。
お父さんを象徴する花だからって、意図的に母娘でコスモスを増やした可能性はあると思うけれど、ゆみ子のお母さんもはっきり生きているとは書かれていないのでその辺は謎のまま。

はっきり言えるのは「お父さんは花が好きだったので、コスモスがたくさん咲いていて嬉しいと思う」って回答は違うだろ!!!ってことくらい。
いや、花は好きだったかもしれないけどね、お父さん。
でも自分だと思って大事に増やしてくれよな…って意味では渡してないよたぶん。最期って思うならもっと他にすることあるよな…と、私は思ってしまう。

ここまでめちゃくちゃ好き勝手に書いたけれど、小4から30年も経つと全然見え方が変わるし、多少なりとも30年記憶に引っかかっているわけだからすごいですよね、このお話。
あとググるとどうやってこの単元の授業を進めるのかについて、たくさん出てきて面白いです。

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