じいちゃんとサイダー
人生で初めて炭酸を飲んだのは今から35年くらい前、当時、近所に住んでいた母方の祖父の家だったと記憶している。
祖父は近所の酒屋さんから瓶ビールとセットで瓶の三ツ矢サイダーを定期的にケースで購入していて、祖父の家の冷蔵庫にはいつも瓶のサイダーが冷えていた。
しかし、よく考えてみると祖父がサイダーを飲んでいた姿を思い出すことができない。
もう随分と昔の話なので私が忘れてしまっただけかも知れないが。
一方、祖父の孫たち、つまり私のいとこたちが冷蔵庫を自由に開けてサイダーを飲んでいた姿は今でも印象に残っている。コップに移さずに瓶ごと飲んで「お行儀が悪い!」と怒られていた記憶もうっすらある。
祖父は自分のためではなく孫たちのためにサイダーを常備していたのだろうか。
ある夏の日、年上のいとこたちに唆されて、初めてサイダーを口にした。小学校に上がる前の出来事だった。
「美味しい!」というよりも「喉が痛い!」と思った。
涙が出そうだったけれど、子どもだとバカにされるのが嫌で無理やり飲み干した。
祖父が「ちょっとにしとけ」と言ってくれたのにおかわりした。
それ以来、私が家に遊びに行くと祖父は栓抜きでサイダーを開けてくれた。
相変わらずサイダーは辛くて、喉がヒリヒリした。でも何となく一人前として認められた気がして嬉しかった。
1人で1本全部は飲めなかった気がするけれど残ったサイダーは祖父が飲んでいたのだろうか。
それから3回あるいは4回夏が巡って、祖父は死んだ。
私が小学校1年生の秋の出来事だった。
母が泣いて、みんなが泣いて、よく分からないままに私も泣いた。
祖父の葬式の日もいとこが冷蔵庫からサイダーを持ってきてみんなで飲んだ。
サイダーの本当の美味しさを知る前に祖父は私の世界から消えた。
時は流れ、500mlのペットボトルが世の中に出回り始めたのは1990年代半ば、ちょうど私が中学生になった頃だ。
夏のある日、部活帰りに何気なく500mlの三ツ矢サイダーを買って友人と飲んだ。
今まですっかり忘れていたのに突然祖父のことを思い出して鼻の奥がツンとした。
ちびちびとしか飲めなかったサイダーをいつの間にかガブガブ飲めるようになっていた。
祖父が笑いながら「お行儀が悪い!」と言う声が聞こえたような気がした。
祖父と過ごした時間は遙か遠い昔の記憶で、その記憶は美化されているのかもしれないけれど、私は祖父のことがたぶんすごく好きだった。
でも結局、幼すぎた私は祖父にその気持ちは伝えることができなかったし、祖父のことを知ることもできなかった。
祖父は一体どんな世界を見て、どんなことを考えていたんだろう。
今でも三ツ矢サイダーを飲む度に祖父のことを思い出す。
というか祖父に会いたくて三ツ矢サイダーを飲んでいるのかもしれない。
「おじいちゃん、サイダーは好きだった?」
「私は、ビールもたくさん飲めるようになったよ。」
三ツ矢サイダーはこれまでもこれからもずっと祖父と私を結んでくれる。
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