それでいい、何でもいい。
「私とはこういうもの」
「これが私」
はっきり宣言したわけではないけれど、
いつの間にか「私」がのさばってる( 笑 )
起こってくることは「私」の体験
思考も感情も「私のもの」
「私」が傷つけられた経験をして
「私」の信念になる
そんなこんなで、ゆるぎない「私」の完成です!
そしてストーリーにどっぷりこんです。
その「私」に実態がないことを見抜いたら、傷つけられた「私」も、「私」の信念も、存在できない。
それは、ただの経験で、しかももはや今はどこにもないことに気づきます。
ストーリーが頭の中のイメージだということも。
ゆるぎない「私」も、崩れだすと案外もろい。
それでね、1度気づきが起こっても、
体も心も自分じゃないって見抜いても、
巻き込まれたり、揺れたりすることだってあります。
だけどねー、それでいいんです。
いいも悪いもないけど、いいんです。それが思いグセだっていう理解も同時に起きちゃってますし。
そしてそういった気づきの意識にとらわれることもなくなっていって
ただの日常に落ち着いて行くんですね。