『宿命』沖野岩三郎
宿命
沖野岩三郎
本書の原稿、二十字詰十行一千百八十枚の内七百七十枚までは全然大阪朝日新聞の懸賞当選小説として発表しなかった部分であります。残余の四百十枚も余程内容に改竄を加えてあります。
前篇 恋愛観
遺言
お常は白髪が多いので、一寸目には六十以上に見えるが、実は安政二年生れの、この物語を初める明治四十二年には、まだ五十五であった。
二十七という若い身空で良人に死別れて以来、三十万以上の財産を守って、人に後指も指されずに、六歳の利雄と当歳の堅爾とを一人前に育て上げる苦労というものは並大抵では無かった。だから齢よりも老けて見えるのも無理のない事である。
お常は四十一の春、二十になった利雄を伴れて、十幾年振りで遠州の浜松へ行ったのであった。そして弟の家に暫く滞在して居るうちに、弟の一人娘で東京の桜井女塾を卒業して帰って居た姪の清香を無理に所望して利雄の妻に貰ったのであった。
清香は語学の天才があって、宣教師のミロル博士から頻りに亜米利加行を勧められた程であったが、田舎の小学校を卒業したばかりの利雄に嫁いて以来、微塵も夫を侮るような素振も見せずによく事えて居た。
利雄も学問こそ無けれ、夙くから父に別れた為か、十九二十の頃からもう町の有志達と一緒になって町政を談じたり、実業上の意見を闘わしたりして将来を嘱望されて居たのであった。
夫婦の間にはやがて須基子という可愛い鎹が産れたので、これでまず一安神と、亡夫に対する責任を果したように、お常が喜んだ甲斐も無く、須基子がやっと誕生を越したばかりの翌年に、清香は風邪の揚句に胸が痛むと言い出して間も無く、コスモスの花の裏庭に咲誇っている頃、夥しく血を吐いて一夜の風に脆くも散ってしまった。それ以来利雄は俄かに厭世家となって、政治も論ぜず実業も語らず、町から半里ばかり離れた王子が浜に別荘を建てて名ばかりは晩雅楼と洒落て居ても其実は病院の隔離室で暮す心持で、十年余りも亜米利加へ出稼ぎして割烹や洗濯を覚えて来た松蔵という老人を傭って、炊事から身辺万事の世話をさせ、母をも弟をも亡き妻の忘遺子の須基子をすらも決して近づけなかった。のみならず弟の堅爾に母の生家の大伴の名跡を継がせると同時に、東京の白金学院の普通部へ入学させ『卒業しても国へは帰るな、直ぐ米国へ留学して、何なりとも自分の好む学科を十分修めて成業するまでは一家に如何なる不幸が起ろうとも断じて帰って来てはならない!』と厳しく言渡したのであった。
それ以来七年間、須基子はお常の手塩に育てられて、すらすらと成長くなった。須基子が尋常一年を修業した時、利雄は何を思ったのか、お常には一言の相談も無く、白金学院の院長に頼んで女学部出身の学問人格共に優れた古座ナオミという娘を家庭教師に迎え、今後須基子に関する事は一切ナオミに一任して、決して容喙するな、万事ナオミの思う儘に教育して貰えと言って、産の母のようにお常に馴付いていた須基子を気強くもお常から引離してしまったのであった。毎晩毎晩皺だらけの乳を弄りながらお常に抱かれて寝た須基子も、知らぬ他人のナオミと同室に寝るようになった当座は、何だかそぐわないような気もしたが、根が上品で温順しいナオミの親切に、間も無く馴れ親むようになった。お常はお常で最初の程は手飼の小禽を奪われたような淋しさと、可愛い可愛い孫の愛情が自分を振捨ててナオミに対って移り行くのをまざまざ見る嫉ましさとが、多少老いの心を苦めないでも無かったが、総てを辛抱強く凝然と堪えて利雄とナオミとを信用して居るうちに、何時の間にか悉皆ナオミの性格に感心してしまったのであった。
同じ年の六月には堅爾も学院を卒業したが、予ての兄の厳命通りに、直ぐ米国へ出発して国へは帰って来なかった。
お常は何という淋しい境涯であったろう。一家の杖柱とも云うべき利雄には、ツイ眼と鼻との間に棲みながら年に唯の一度だって、面と対って話をする事も出来ず、毎月朔日と十五日の午後三時頃には、王子権現の祠の前まで俥を引込ませて、右手の小高い砂丘の上から小一町程離れた所にある利雄の住居を眺めて、時折には遠目ながらも利雄の姿を見るのが、せめてもの心遣であった。
雨が降ろうが風が吹こうが、同じ日の同じ時刻には、必ずお常の姿がこの砂丘の上に現われるので、それを見ると直ぐ松蔵は、
『旦那様、東の窓を明けて御覧なさいまし、川口は彼様に荒れています。』などと言っては利雄を表庭へ誘い出し、仮令一分一秒でも永くお常の眼を満足させて上げたいという優しい松蔵の情はお常の心にもよく通じた。それと口には言わなかったが、敏感な利雄にも松蔵が自分を外へ呼出す度に砂丘の上に立つ黒い影の主が誰だという事はようく知って居たのであった。
『御隠居様、あなたの御心の程を御察し申します。何と言ったって、あア云う御病気なんですから……』
松蔵がこう言って時々慰めてくれるその言葉はお常に取って『我子ながらも余りに気強い堅意地な仕打だ。』と覆したくなる愚痴や不平を打消す唯一の慰めであった。
お常はこうして、明けても暮れても同じ淋しい想いを繰返して居るうちに、須基子はもう十五の春を迎えて女学校へ通うようになった。明日は入学式だと云うので宵の口からナオミと須基子とは着物よ袴よと騒いでいたが、翌朝は例もより疾く起きて、総ての準備をした。そして八時過に二人が伴立って玄関の靴脱に立った時、お常はさも嬉しそうに、
『ね、早いものじゃ、もうちゃッと女学校へ通うようになったから……』と言って、すっきりとした須基子の姿をつくづくと見入って居たが、『お祖母さん、行って参りますワ。』と須基子が軽快に敷石の上を二歩三歩歩いた時、お常は想い出したように、
『あ、ナオミさん、式が済んでお帰りに、一寸横町の久保写真館へ行って、お二人の写真を撮って来て下さい。それから彼の糸錦の帯を久保さんまで後からお末に持たせて置きますから、あれを『お立』に結んで須基子一人だけのも一枚撮らせて置いて下さいまし。』と言ったが須基子の方を一寸顧盻いて『それをお父さんに二枚共送ってあげましょう。』『そうね、それから亜米利加の堅爾叔父さんにも……』
須基子は無邪気にそう言ったが、ナオミは黙って俯向いたまま一寸お常に会釈して『さア、須ウちゃん参りましょう。』と言って静かに門の方へ歩き出した。
『お傘は要らないでしょうね。』呟くように言いながらナオミの傍に摺寄った須基子の後姿を見たお常は、もうナオミと殆ど同じ脊丈になっているのに驚いた。
写真が出来上ったのはそれから一週間ばかり後であった。須基子がまだ学校から帰らない前に写真屋から届けて来た二種の写真を熟々と見入っていたお常の眼には何時しか熱い涙が浮んで来た。
『ナオミさん、こうしてお写真に撮って見ると、須基子は本当に亡くなった母親に生写しですよ。いつの間にかこんなに成長くなって……ナオミさん貴女にも随分長い間御面倒を見て戴きましたワネ。この子が二歳の年に母親は亡くなったのでしたが、もう十四年! 早いものですネ、月日の経つのは……』
お常はとうとう泣いてしまった。ナオミも涙ぐんで凝然とその写真を見詰めていたが、別に慰めの言葉も無いので、
『しかしこのお写真を御覧になったなら旦那様はさぞお喜びでございましょう。』と言って写真を畳の上にそっと置きながらお常の顔を見た。
お常は涙を拭き拭き『所が利雄も近頃あまり計々しくないので私も心配して居るのです。昨日も田原さんに御尋ねしたのですがどうも面白くない様子です。四十度からの熱だという事ですから……』
『まア、四十度? それは大変ですね、御隠居様。』
ナオミは恐ろしい予感でもあったように、ギクリとしてお常の顔を見て居たが、俄かに表門の所からパタパタと駈け込んで来る草履の音に耳を澄して、『おや! 爺やじゃア無くって?』
『ねえ、松蔵かも知れません。』
二人は思わず一度に起上って高窓の所から外を見たが、果してそれは松蔵であった。
『御隠居様! た、大変でございます、早く、一時も早く浜の家へお出で下さいませ、旦那様が……あの旦那様が……』
『えッ? あの利雄が大変悪いと云うのかい、え、大変に……』
『さ、左様でございます。私はこれから田原先生の所へ駈けつけて、一緒に俥で参りますから、御隠居様も大急ぎで……大急ぎで俥で駈付けて下さいませ。左様なら一歩お先へ失礼しますから……』
松蔵はアタフタと表の方へ飛出して行った。お常は手早く前にあった写真を二枚懐に容れて起上りさま、
『ではナオミさん、大急ぎで俥を一挺此家へ寄越して下さい。そして貴女は帳場から直ぐ女学校へ行って須基子を迎えて来て下さい。』
言いながら奥の一室へ走り込んで羽織を引掛けて出て来た時、もうナオミは其所に居なかった。
『お末、お末、一寸浜の家へ行って来るから、お留守を頼みますよ。』
お常は俥を待遠しくて、コトコトと表門の所まで出て行ったが、丁度出入の車夫が其所へ迎えに来たので『急いで下さい。大急ぎですよ。』と言いながらそれへ飛乗って晩雅楼へ駈けつけ、あたふた病室へ通って十四年振の我子の顔を見ようとしたが、利雄は端然と寝台に起直ったまま両手を組合して俯向いていた。傍には新約聖書が、哥林多後書七章の所を、開いたままになっていた。
『太地君! 利雄君! おっ母さんだよ。』と田原は声を掛けたがもう何の返事もなかった。
『今、注射をしたのだが……』田原は呟きながら、また一度『太地君! おッ母さんだよ。』と呼んで、静にその首を抱くようにして仰向に寝かした。そして急いで瞳光を見、脈搏や呼吸を検べたが、もう何にも感応が無かった。
『もう、いけません。何とも御気の毒で御座います。』田原は潤み声で云いつつ、太い嘆息を吐いた。
『利雄! これ利雄……何故こうならない前に……もう一時間早く知らせてくれなかった? 可愛い可愛い須基子は……須基子はこんなに成人した……お前にこの写真を見せたいと思って……今出来たばかりだのに……利雄! お前とした事が……それは余まり強い仕打じゃ、あんまり……』
お常は十四年間の悲みや恨みが一時に迫ぐり上げて来て、今更のように正体もなく泣崩折れてしまった。
『旦那様……旦那様。』と松蔵爺も寝台の脚に獅嚙み付いて震えながら泣いた。三人の啜り泣が満室の空気を微動させる中に、白い寝巻に包まれて、雪のようなシイツの上に、胸の所で両手を組合せたまま静かに眠って居る利雄は、如何にも神々しい死の厳粛を現わしていた。
只見ると利雄の枕辺に散る紙片があった。田原は取上げて見ると
一、総てを感謝す、なぐさめ満ち悦び余あり。
一、吾が死を堅爾に知らする勿れ。
と厳かに認めてあった。
松蔵爺は老の眼に溢るる涙を拭き拭き押入から春慶塗の小箱を出して来て、
『御隠居様、田原先生、私がこの箱を開ける時がとうとう参りました。旦那様は始終私に仰しゃいました。⦅松蔵、汝は俺の死ぬるのを見届けた上で、この中にある手紙を田原さんの許と家とへ届けてくれ、⦆……私はまア畏りましたと云って置きましたが、どうも今日は旦那様の御様子が普通で無いと思ったので黙って飛出したのでした。しかしこんなに疾くこの箱を開ける時が来ようとは思いませんでした。定めし旦那様は……旦那様は私を呼ばしゃったろうに……』とおいおい泣いて拳で涙を拭いた。
『爺や、お前のお庇だよ、よく世話してくれました。永の年月よく面倒を見て……』とお常は両袖を顔に押当てたまま半身を起した。
田原はやがて二通の手紙を手に取って表書を見つつ『一通は私に宛てたのだが、あとの一通は⦅堅爾帰朝確定の際お読み下さい母上へ。⦆と書いてあります。足掛十四年も母子兄弟に会わないという世間並外れた剛情を、よく貴女は何にも言わずに辛抱して下すったが、これには何れ利雄君としても切ない事情があるのでしょうから、迚もの事にこの遺書も利雄君の意地を通させて、堅爾君の帰るまでは開封しないで置いて下さい。それが利雄君に対する何よりの供養になります。』と言った。
『はい、承知しました。しかし人間てものは何時ドウなるか解りませんから、私にもしもの事があった節は、あなたがその遺書を御覧下すって、何卒万事を宜しく……』
『無論其様な場合には、私の出来るだけの事を致します。』
『近くに親戚が一軒も無い心細い身ですから、此先とも何分宜しく……』
お常は徐ら起上って寝台の側へ来て、田原が仰向に臥かした利雄の遺骸をそっと見た。心持抜上った広い額から頰へかけて透通ったように白く、薄い八字鬚は一刷毛描いたように美しかった。眼が少し凹んだように見える外は左程に衰えても居なかった。
『よく養生をしてくれました。お前なればこそアアも気強くなれたのだ。私はお前の気象に感心しています。最前言った不覚の愚痴は赦して下さい。サ、これは須基子の女学校へ入った記念の写真だよ。お前に見せようと思って写したのだ。これは私のお前に対する永アい永アい訣れの餞別だよ、サ、利雄。左様なら……』
お常は須基子の写真を利雄の組合せた両手の所へ静に措いて再び涙に搔暮れた。
『有難い、有難い、そう褒めて下さりゃア、旦那様も浮ぶ。伝染る病だからガイに気強い事も言わっしゃったんで、何所の国にお前様、親子兄弟に会いたく無い人間があるものですか。旦那様のココ⦅胸の所を指して⦆はどの位切なかったか、私は毎日毎日心で泣いていました。』と松蔵は無闇に拳を振廻して涙を拭いた。
『御隠居様、私に宛てたこの遺言は実行してあげて下さるでしょうね。』と田原は手紙を両手で拡げて突立って居た。
『実行致しますとも、まアどんな事が書いてございますか、御聞かせ下さいませ。』
田原は顫声で読み上げた。
一、僕の屍体は君と松蔵の外、誰にも見せぬ事。
一、屍体は火葬にして其灰を拾わぬ事。
一、墓標、石碑など決して造らぬ事。
一、葬式を廃し、信仰を同じうせる人々を招きて教会にて祈禱会を開く事。
一、この晩雅楼を焼払い、更に四五十坪の平屋を新築し、乞食、行路病者の合宿所とし松蔵を監理者とする事。
一、松蔵には死に到るまで従前通りの給料を与うる事。
一、僕の手を触れたる書籍、及び寝具等は一切焼却の事。
一、従前通り太地家は不動産の所有をなさぬよう君より忠告せられたき事。
右実行せられなば実に嬉し。
太地利雄
信頼する田原清一兄
葬式をしないという事に対して、お常の心に多少の異存もあったろうが、とうとう思い切って総て本人の意思通りに実行する事にした。『万事は田原さん、あなたに御一任致します。』とお常が明瞭言った時、田原は重々しく点頭いて、『では明後日の正午まで私は宅へ帰りませんから、毛布を二枚と金子を五十円だけ夕方までに持たせて下さいませ。後始末は私が一切を引受けますから。』と言って、白い布片を静かに利雄の顔に被せた。
故郷にこんな事件のあった事を知ろう筈の無い弟の堅爾から、翌年の一月末に『いよいよこの四月上旬には恋しい日本へ帰朝する』という通知が来た其手紙の中に、
『十四年間逢わなかった兄上は如何なに変って居るだろう、矢張り面会は許されないだろうか、遠く故郷を離れた異国の空で、色の蒼白い瘠衰えた人を見る度に兄上の事を想い出します。私が卒業して帰った時、もう兄上の病気が全快して喜んで私を迎えてくれるのでは無いかというような事を空想して見たり、私が家を出る時『叔父ちゃん、叔父ちゃん』と廻らぬ舌で言っていた須基子が、もう立派な娘になって、何所かへお嫁に行っているのではないかというような事をも想像します。とにかく帰国が近づくにつれて故郷の事がいろいろと心に懸って時々涙ぐむような事もあります。』云々とあった。
この手紙を読んだ時のお常は腸の断れるような思いをして終に一夜を泣明したのである。
二三日経って、須基子が学校を休んだのを機に田原を招いて、利雄の遺言状を開封する相談をした。
『堅爾がいよいよ四月には帰って来ますが、それに就ては、もう何もかも知らせて置いた方が宜しかろうと思いますけれども……如何でございましょう、あの遺言状を一度読んで戴きたいもんですが……』と言いつつ簞笥の中の文箱から遺言状を取出して田原に渡した。
田原は封を切って、中から四折のレターペーパーを抜出した。小い咳を一つして読み初めたが其手は細かに慄えて居た。
須基子の顔が母の清香に生写しだと松蔵から聞く度に私の胸は刺されるように苦しい。私は十九歳の時病院で肺尖加答児だと診断された時それはもう肺病の第一期だとは私自身でも知っていた。だから私は一生独身で暮そうと思っていたのだが、何しろまだ年齢も若く無智であった為、母の勧めに遵って清香と結婚してしまった。そして憐れにも清香に私の恐ろしい病気を伝染させて殺してしまった。
私は清香が血を吐いて死んだ時、それを殺した下手人が私と母とであると云う事を痛切に感じた。母は私がこうして変屈な態度になった事を悲しくも腹立たしくも思いなさったでしょうが、死んだ清香に対してその苦痛を忍んでやって貰いたい。
私は清香から英語を習って一通りの英字新聞雑誌も読むようになった。清香は妻と云い条私の教師であった。しかし彼女は実に慊遜で私に対して一言の怨も言わなかった。私は清香の言行を通じて彼女の信じて居た基督教の真意が解った。彼女は私から恐ろしい病毒を伝染されたという事を悟らない程の無智ではなかった筈だ。
須基子は体格が弱いようだ、結婚などを決して無理に勧めてくれるな。
ナオミさんには御目にかからないが、確乎した気質を有っている御婦人らしい。須基子の行末はナオミさんの思い通りに教育するようにして下さい。どんな思い切った事をしても、よしその結果が如何に失敗しても、それはナオミさんの責任ではない。万事をナオミさんに一任する事を拒んではならない。
堅爾には十万円を与えて下さい。そしてそれを一ヶ月に費消しようと一年間に無くしようと彼れの意の儘にして下さい。しかしそれ以上は一円たりとも与えてはならない。
堅爾が卒業して帰った時、もしナオミさんと意志が疎通したなら、二人は結婚して須基子の行末を保護して貰いたい。が、こんな事はホンの私の空想として言うまでです。決して他人から押付がましい事をしてはならない。もしもナオミさんがそれを承諾してくれたなら、太地家が発狂系統であり堅爾も肺病の素質を有っている血統だという事を明かにして置かねばならない。
実を言えば、私はこんな遺伝と血液とを有った太地家が此世界から消滅する事を望んでいる。私の死ぬ事は人類の為に裨益だ。私の死んだ後で、この遺言が必ずしも実行せられるものとは思わないが矢張りこんな事を書いて見たのである。
田原は読了って頻りに感心した。お常はこの遺言状に細々と其後の有様を書添えて、早速堅爾の許へ送ってやった。ナオミの写真も添えて。
堅爾がいよいよ四月十二日に横浜へ着くという電報が来た時、お常は田原を訪問して、利雄の遺言をナオミに話してナオミの心持を訊いて見てくれと頼んだ。
田原は早速ナオミを呼んで逐一利雄の遺言を話したが、ナオミは黙って聞いただけで何とも云わなかった。
其晩ナオミは平日の通り、須基子に英語を教えてから、自分の部屋に戻ると、お常が待っていて、
『ナオミさん、今日田原さんに御会い下さいましたか。』
『はい、お目に懸りました。』
『堅爾とあなたとの事に就いて、何かお話がありましたでしょう。』
『はい、ございました。ですけれどもこう申しては我儘過ぎますが、お目に懸った事の無いお方と縁組しろと仰しゃっても御挨拶の申上げようがありませんので……』
『では堅爾が帰ってから、田原さんにでもお媒介人になって戴いて、改めて御申込をすれば宜しいので御座いますか。』
『いいえ、媒介人なんて、そんな事はどうでも宜しゅうございますが、堅爾さんがどう思召しますか、私にしても堅爾さんを良人として尊敬出来ますか如何か、こればかりは御目に掛ってからで無いと……』
『解りました、貴女のお心持はよく解りました。』
お常は機嫌克く四方山の浮世咄に十時過まで話し込んだ。お常が去ってからナオミは須基子の部屋に行って見ると、須基子はもう前後も知らず寝入って居て、枕もとの洋罫紙に『自分一人で御禱して、お先へ失礼しました御免下さい。』と走り書がしてあった。
ナオミは枕辺で黙禱してそっと須基子の寝顔を覗き込んだ。眠った眼から長い睫毛が行儀よく列んで白い頰に映っているのが如何にも美しく、口を固く閉じて鼻から微かな寝息を漏している無邪気さが堪らなく可愛くなって、思わずその美しい頰ぺたへ軽く唇を押付けた。その途端に須基子は小い息を口からハーッと吐いた。
ナオミは悪事でもしたかのように、そっと脱け出して自分の部屋に帰ると直ぐ床に入ったが、どうしても眠付かれなかった。彼の可愛い優しい須基子の血管には発狂と肺病との恐ろしい魔の姿が封じ込められて居るのかと思えば、堪らなく悲しくなって、恐ろしい連想が後から後からと湧いて来た。
堅爾と結婚する。最初の程は新婚らしい空気もあったが、二月三月経つうちにもう十四年間母をも弟をも一人の娘をも寄付けなかった兄の気質が弟の上にも現われて、何でも無い事からフツと物を言わなくなる。はては一室へ閉籠ったまま一月経っても二月経ってもちっとも出て来ない。遂には脅迫観念が強くなって母も須基子も私までも疑ぐり深い眼で見られる。食事を持って行けばそれには毒が盛ってあるという。薬を勧むれば劇薬だと言って投棄てる。お終いには馬鹿になって……
『いやだ!』ナオミは心の中に叫んで眼を堅く閉じた。眼を堅く閉じれば閉る程、赤や青や黄金色や銀色の雲が渦のように眼の前に散らつく、やがて短い銀の征矢が無数に飛んで来て、紫の靄の中に流れ込んだと思うと、其所には美しい須基子が立って居る。
『まア須うちゃん! 何所へ行らっしゃるの?』
『あたし? あたし先生を探してるのよ、ナオミ先生を!』
『私がナオミですよ。私が……』
『おや! そう? まア嬉しいワ。』
駈寄って来た須基子は、黒い真黒い草の上にぺったりと坐る。
『須うちゃん! どうなすったの?』
『どうもしないの、少し胸が苦しくって。』
『え? あの胸が……』
『ええ、私、もう死ぬのよ。』
『須うちゃん! 何を仰しゃるのです?』
『苦しいワ、ね、先生、苦しいワ……』
見る見る須基子の美しかった顔は蒼白く不気味なものに化ってしまった。
『まア! 須うちゃん、須うちゃん……』
ナオミは大声で呼んだ。しかし呻吟くばかりで声は出なかった。すると今度はその真黒い芝草が、いつの間にか広々とした海に変って、大きな汽船が波止場に横付にされていた。
『先生、どうしても私を一人ぼっちにしてお帰りなの、私が死んじゃっても可愛想だとは思って下さらない? 先生、私はお父さんもお母アさんも無い……本当に頼り無い哀れな一人ぼっちなの、それは先生も御承知ネ。』
『ええええようく知っています。だけど須うちゃん、私は……私は……』
『では矢張りこの船で東京へお帰りなの? じゃア私も一緒に伴れてって下さいね、ね、先生……』
『それはいけません、須うちゃん、あなたは私を愛の足りない薄情なものだとお思いでしょうが……私は、私は矢張り帰らねばならないのです。だけど神様はきっと……』
『きっとこの病気をなおして下さるでしょうか。』
『ええええきっときっとお癒し下さるワ。』
ナオミがこう言った時船の中から五六人の若者が一度に『嘘吐奴! 大嘘吐奴が……』と声を揃えて呶鳴った。
『まア夢でよかった!』ナオミは蒲団を撥ねてそっと起直った。身体中一面に汗でびっしょりになっていた。時計を見るともう四時である。小い羽根のある虫が一つ電球の周囲を繞って微かな羽音を立てて居るのが、判然と聞取れる程の静けさであった。
ナオミは寝衣のままで足音を忍ばせつつ須基子の室へ行って静かに障子を開けると、
『誰ッ?』須基子は頭を抬げた。
『もうお眼覚め?』
『えエ、三十分も前から眼が覚めてるのよ。先生にお祈をして戴かなかったもんだから、恐い夢を見てよ。本当に……』
帰朝
『おや、石塚さんですか、お珍らしい事。私も是非一度お伺いしたいと思ってました所で、よくまア入らして下さいました。』とナオミは丁寧に挨拶しつつ座蒲団を薦めた。
『此間も一寸伺ったんですが、田原さんが入らしって何だか御相談事でも有るらしい様子でしたから、失礼しました。』
『そうですか、ちっとも存じませんで……』
『どうせ何にも用は無いんですから。今日もツイ散歩かたがた御伺いしたのです。もう大抵町の様子も解りました。』
『そうでしょうとも、何しろ狭い町ですから三日も歩けば大抵お解りでございましょう。』言いながらナオミは障子を開け放って『お暖かでしょう、此地は?』
『南国ですな、夏蜜柑がもう黄ばんでいますネ。』
『一月も前からですワ。名古屋辺りへどんどん出るそうです。一個が一厘か二厘で。』
『そんなに安いのですか、少々酸ッぱくッたって、あれを僕の故郷へ十ばかりも送ってやろうものなら、喜ぶ事でしょう。』
『お国は何地?』
『巌手県です。』
『巌手県?……あッ、あの海嘯のあった所ですね。』
『えエその海嘯の為に僕の両親は死にましたので……』
『まア! では御両親は海嘯にお浚われになったの? まア!』ナオミは気の毒そうに覚也⦅石塚の名⦆の顔を見た。
『忘れもしない、二十九年の六月十五日、丁度僕は十歳でした。』と言った覚也は暫く黙っていたが、『三万七千人からの死傷者でしたから、僕一家ばかりの不幸ではありませんが、あの時僕の家は半潰れになって両親とも悲惨な最後を遂げたのです。子供心にも何という神の罰だろうと……今だに其時の恐ろしさが頭の中に沁み込んで居ます。それから僕はゼームス博士に引取られました。』
『ゼームスさん――あの弘前に居らしたゼームスさん?』
『そうです、僕はあのゼームス博士の御世話で白金学院へ送られたのです。』
『神学部でいらっしゃいましたネ。』
『ええそうでした。しかし……』覚也は一寸言葉を濁して、『僕は考えましたよ随分。神学部を出たのだから直接伝道をしなけりゃアならないんだが、伝道という事を説教と礼拝だけだと狭義に解釈しないで、僕は新聞記者になって筆で伝道してみたいと思いましてね、此事を卒業前にゼームス博士に言送った時、博士夫妻は非常な反対でした。多分私が信仰から離れてしまったとでも思ったのでしょう。よく有る例で学校を卒業するまでは神よ祈禱よと言って居ても、卒業となるとまるで正反対の商売を初めたり基督教の悪口を言ったりする連中が今までに数限りなくあったのですからネ。僕も矢張りその裏切連中の一人だと思われたのでした。同窓生も僕の為に随分心配してくれて、自修寮の連中は僕の為に祈禱会まで開いてくれました。しかし僕の意志がまず博士夫妻に領解され、遂に学院の教師達にも理解されて、そして田舎新聞の記者という段取になったのです。三人五人の信者求道者を一週間に一度ずつ会堂へ集めて繰返し言を言ったって詰りませんからな。』
『だって唯ッた一人に説教する事も、決して無意味じゃアありますまい。私、そう思いますワ。』
話半ばへ女中のお末が顔を出した。
『先生、松本さんが入らッしゃいました。こちらへ御通し申しても宜しゅうございますか。』
『松本時子さん? そう、珍客だワネ。石塚さん御免下さいましよ。』ナオミは玄関まで出迎えて、
『まアお珍らしい事、さッ、何卒……丁度宜い所なのよ、石塚さんが来てらっしゃるの。』と言った。
『石塚さん? あの落陽社の?』
『そうよ。』
『矢張り白金学院出ネ。』
『そう、何でも御承知ね、あなたは。』
二人は並んで廊下を歩きながらナオミの部屋の外まで来た。
『さあ、どうぞ此方へ!』
時子は慎ましやかに座敷へ通って覚也と初対面の挨拶をした。色白の細面に似合う金縁眼鏡は、才潑けて見える面貌をいよいよ引立たした。どちらかというとやや大きめな口から象牙のような美しい歯並を見せて、絶えず微笑を含んで、頭を少し左に傾げては対手の顔をしげしげ見入るのが時子の癖であった。
『たしか牧師をなすってらっしゃる音無信次さんと御一緒にお着きになったんですワネ。』
『はア、熱田から同船しまして、』
『そうでしたか、好い御都合でしたワネ。』
と時子は溢れるような愛嬌を見せた。
『紀州灘は初めてでしたから、本当に愉快でした。』
『浪はお静かでしたの?』
『まア静かな方でした。紀州領へ入ってからの海岸の風景には驚きましたネ。あの鬼ヶ城を甲板から見た時などは思わず音無君と一緒に声を挙げましたよ。』
『本当に熊野の景色は宜しゅうございますのネ。』
『暖かくッて、景色が宜くッて、幸福ですネ此辺の人は……』
『しかし人情は風景程に宜いかどうか知れませんワネ。』と時子はナオミの方を振向きながら言った。ナオミは莞爾と笑って微かに点頭いたが、
『音無さんとは余程以前から御懇意で居らっしゃるの?』と覚也に対って訊いた。
『八年前から知って居ます。僕が普通部の一年に入った年でしたネ。クリスマスにハウプトマンの一幕物の余興がありましたのは。あの時の牧師コルリンが音無君で……そうそうケエテヲッケラアトが……』と言いかけた時、
『止しましょうよ、其様なお話は、』とナオミは周章てて覚也の言葉を遮ぎった。
『やッ、お揃いだね。』と音無は元気よく座敷へ入って来た。
『噂をすれば影とやら、今君の噂をして居た所だ。』
『道理で……門口で嚔をしたよ。』音無は快活に笑いながら時子の左へ坐って軽く会釈をして、『大伴君もいよいよ明日は帰るッてネ、何時に船が着きましょう?』
ナオミは一寸躊躇いながら、『さア、詳しい事は存じませんが多分夕方の四時頃に三輪崎へお着きになるのでございましょう。』
『そうですか、三輪崎まで迎えに行くかナ。石塚君、君も一緒に行こう、大伴君をよく知ってるだろう?』
『知ってるサ、学校時代のテニス仲間だもの、けれども僕は編輯の都合で行かれるかどうか解らないよ。』
『なアに鋏を少し多く動かして早く締切るサ。鋏と糊とが面倒なら、何所かの新聞をそっくり其儘に借用するんだね。三面記事なども場所と姓名とを、ちょいちょいと書替えて置けば宜いじゃないか。』
『そうだ、君達が日曜の朝、寝床の中で読んだ説教集の文句を食後に直ぐ教壇で吐き出すようにね。』
『これは甚い。石塚君もなかなか隅へは置けないよ。熊野へ来ると皆な口が悪くなる。』
二人は思わずドッと笑った。貰い笑いをして居た時子は、ナオミの方を振向いて、
『貴女も行らっしゃるの?』
『私? 私はお留守居。』
『じゃア誰が行くんです?』音無は側から口を出した。
『御隠居と須基子さんと、田原ドクトルも行って下さるそうです。』
『じゃア僕も田原君と一緒に行くかナ。時子さん、あなたは行らっしゃらない?』
『私? 私どうしましょう? お出迎えすれば宜いのですけれど、何しろ十年もお目にかからないんですから、御互いに顔も忘れて居ましょうし、何だか変ですワネ。だが、ナオミさん、あなたは何故お迎えに行らっしゃらない?』
『ナオミさんは留守師団長だとサ。』音無は笑いながら起上って、『僕はまだ四五軒訪問しなけりゃならないから、お先へ失礼します。御両君はまア御緩り。』と云い捨てざまに襖を開けて出て行った。
『まアお宜しいじゃありませんか。』ナオミは送り出しながら言った。音無は玄関で靴を穿いてナオミの手から帽子を受取ろうとした時、ナオミの眼に涙の光るのを見た。
『どうなすった?』
『どうもしやしませんワ。』とナオミは笑いに紛らした。
音無が気にかけながら『左様なら!』と振返り振返り門を出たあと、ナオミは障子を閉めると共に柱の姿見の前でそっと涙を拭いた。何故悲しくなったのか自分でも解らないが、涙が後から後から湧いて来た。
ナオミが座敷へ戻って来た時は初めて会った同士の時子と覚也とがもう馴々しく縁側の欄干に凭れて、権現山の上を飛び交う烏の群を見て居た。
『何を見てらっしゃるの?』ナオミは時子の肩に軽く手を置いた。
『鳶と烏の戦争よ、ネ、ホラ……面白いのよ。』と云いつつナオミを自分と覚也との間に立たした。三人は熊野河口の白い浪を眺めながら十分ばかりいろんな話をして居たが、大寺の鐘が五時を知らしたのを合図に、覚也と時子とは一緒に太地家を出た。
『石塚さん、熊野権現の桜を観て帰りましょう。』時子は門の外へ出た時、こう云って覚也の顔を見上げた。
翌る日、覚也が新聞社から帰ると直ぐ俥を呼んで宿を出たのは三時過であった。三十前後の屈強な車夫が、大きな牝犬に先曳をさせながら矢のように走って、間も無く勾配の緩い阪路へ差懸って二三町も登った頃、トンビや赤毛布の田舎びた三四十人の一行と摺違った。
『何です? あの連中は?』
『奥州兵衛の熊野詣りです。』
『そうかい、僕も奥州兵衛の一人だが……』
車夫は何にも言わなかった。曲りくねった阪を緩々と登っている間に、覚也はふッと一月前に那智の観瀑亭へ泊った時の事を想い出した。
あの広い御寺のような縁側で滝を観て居た時、ナオミと須基子とに偶然出会って、ナオミが宿の若い妻さんと話している間に、須基子と二人で彼の滝壺を観に行って、拝殿の所から細い路を一町ばかり樹の根に縋ったり、岩の上を匍ったりして滝壺の真際まで行き、冷い飛沫を浴びながら八十丈の高さから落ちて来る練糸のような滝を瞬もしないで見入った時の有様がツイ昨日のように歴然と頭の中に浮んで来た。
『石塚さん、恐いワ。』と帰途の斜になった巌の上から須基子が泣声を出したので、『大丈夫です。』と両手を拡げて須基子を抱いてやった時の事は今でも、まざまざと眼に散らつく。二十二に明けたばかりの青年が妙齢の女性から声をかけられるだけでも胸の躍る業だのに、況してや、ふうわりと綿のように凭れて来た須基子を、あの樹立の深い巌蔭で仮令二分三分の短い間であったにしろ、助け合って手を取合って歩いたという事は恋でも何でも無かったにしろ、生涯記憶から離れられない大きな出来事であった。
覚也は俥の上で眼を閉じながらこんな事を追憶していると『石塚さん!』と矢庭に声をかけられたので、喫驚して眼を開くと声の主の時子が路傍の小い岩の上に立っていた。
『あなたも三輪崎へ行らっしゃる?』覚也はドギマギしながら訊いた。
『どうせ用の無い身体ですから……もう三十分も前に家を出たんですが、余り宜い景色なもんですから……貴方も車をお降りなさいナ。ここは二軒茶屋ッて昔は旅人の休場だったのです。私、今こんな事を思っていましたの……彼のパウロが、』と云いかけて、『まア一寸お降りなさいナ。まだ時間は大丈夫ですよ。汽船の着くのは四時ですから。』
『パウロが如何ッて?』言いつつ覚也は俥から下りた。
八重の真盛りに咲乱れて居る下で美しい白い歯を見せつつ立って居た時子は、
『使徒行伝のお終いの方に、パウロが死を決して羅馬の都へ行った時、ロマにいた信者達が、Three Taverns という所まで迎えに行ったとあるでしょう。あすこの所を三の館と訳しているでしょう、三つの館は可笑しいのね。余り直訳過ぎますワ。私が聖書の改訳委員だったら三軒茶屋と訳しますワ。』言いながら二人は畦伝いに小山の方へ歩いた。『ふん、ふん。』と応答しながら覚也も躡いて行った。
小半町も行くと其所に大きな黒い巌があった。時子は身軽に登って、『石塚さん此所へいらっしゃい。本当に景色が宜いんですよ。』
覚也も続いて登って見た。
『ネ、宜い景色でしょう。』と時子は微笑を含みつつ『ホラ彼所の絶壁、あれが御手洗ッて言うの、神武天皇が御手を洗いなすったという伝説があるのよ。』
『ツラジションなんかどうでも宜いが、とにかく絶景だね。』覚也は首を伸して海岸を眺めた。
『おうい、一緒に行かないか。』と街道から呼ぶものがあった。覚也は悪事でも見付けられたように胸をどきつかせながら振返ると、俥の上から田原が此方を見ていた。
『あら先生御一緒に参りますワ。』時子は裾もホラホラ街道筋へと畑中を小走りに走った。
『まだ時間はあるがね、三輪崎へ行って待つとしよう。鯨の吸物でも出るだろうから。』と田原は笑いながら言った。
『鯨の吸物?』と覚也は好奇の眼を睜って問返すと、
『はははは、鯨が嫌なら碁石の吸物にしよう。鯨と碁石は熊野名産だから……』田原は満面に笑を含んで覚也の顔を見た。
『正直ね、あなたは。』と時子は覚也の方を振向きながら笑った。
三人が三輪崎へ着いた時は四時を二十分ばかり過ぎていた。船待宿の女に案内されて二階へ通ると其所にはお常と須基子とが音無牧師から宗教談を聞いていた。それから六人が車座になって五分ばかりも話したと思う頃港の外で汽笛が鳴った。
『早いナ、まだ四時半だぜ。』と田原は時計を出して見ていると宿の女中が、『お船が着きました、もう十分ばかりで瀬取が出ますから浜まで御迎えにお出で下さいませ。』と知らして来た。
須基子は嬉しさが籠上げて障子を開けて、岬の方を覗いたり起ったり坐ったりしてちっとも落付が無かった。
『須基子さん、もう浜へ行って見ましょうや。』音無がこう言って起上ったので、一同は一緒に二階を降りた。
石畳みの路伝いに浜辺へ出ると、青だの赤だの刺激の強い色でいろんな模様を描いた舟を引揚げてある其側で、赤銅色した子供達が貝殻を集めて砂弄りをしていた。
『叔父さんて、丈の高い人?』須基子がお常に訊くと、お常はもう一杯の涙を眼に溜めて、『祖母あさんだって十四年も会わない人だもの、忘れてしまったよ。』
冷い風が松原から一陣吹いて来て、煙のように砂が舞上った。
『こいつは酷い!』と音無が漁船の蔭へ蹲むとお常も時子も須基子も皆な集って来た。
『浪が高いから艀舟が難義だね。』と田原は汽船の傍で木の葉のように揺られている艀舟を見詰めながら言った。
『大変な浪ですね、本船で暈わなかったものでも、あの艀舟ですっかり暈ってしまいますよ。』と覚也は帽子を片手で押えながら自分が上陸した時の浪の高かった咄をした。
『あれ、あの小い窓から艀舟に乗っていますワ。叔父さんもきっとあの中にいらっしゃるワ。』
須基子は田原の傍で高浪に揺られながら来る艀舟を眺めて居た。艀舟が段々磯際近く漕ぎ寄せて来た時、
『堅爾君の顔を確かに覚えてる者はここに一人も居ないんだネ。』と田原は一同を見廻した。
『呼んで見ましょう。』と音無は帽子を高く指上げて『大伴君……』
すると艀舟の中程に立っていた青年が茶色の中折帽を振って答礼した。
『あれだあれだ、矢張り写真に似ているわい。』と田原は笑った。お常も微笑みながら須基子の後に立っていた。
艀舟が着いた時出迎人一同は浪打際まで走って行った。しかし勢よく浪がザアーッと打揚げて来るので、皆なはキャッキャッ言いながらまた小高い所まで逃げ戻った。
船頭は長い板を持って来て艀舟へ橋を架けようとした。が浪が高くて思うようにならないので、一人の屈強な男が襦袢一枚で浪の引いた隙を狙っては船客を一人一人浜まで負って渡し初めた。何しろ一人々々だから三十分経っても半分も渡し切れなかった。
『成程日本は世界の一等国だね、この文明の上陸法を見給え!』と田原は皮肉な笑いを洩しながら音無を顧た。音無が何か言おうとした時、
『叔父さんよ、今負ぶしたのは……』と須基子が甲高い声で言った。一行は二三間前の方へ小走りに走って行ったが、『やア堅爾君。』と田原は駈寄りざまに握手した。
『田原さんですか。』と堅爾はやや顫えを帯びた声で、『一昔になりますが、いつも御変りなく……どうも兄貴は長らく……』
『音無信次です。』と音無は軽く会釈した。
『おう、神学部に居た? 此地に居て下さるのですか。』
『石塚です、自修寮で、あなたが寮長時代に普通部の三年にいました……』
『そうそう、石塚覚也君、よく覚えています。貴方も矢張り此方に?』
『田原さんの経営なすってる新聞社の方に働いています。』
『学院時代の友人が、お二人も揃ってお出迎え下さるッてのは実に奇遇ですな。』
堅爾はやがて須基子とお常との立っている傍へ来た。
『堅爾、よく達者で……』と云ったきり、お常は暫く言葉を途切らしたが、やがて須基子の方を見つつ『これが須基子だよ……お前が国を出た時は、まだ物の言えない頃だったが、もう今年は十六だよ。』
『ねえ……もう十六か……』堅爾は感慨無量の体で黙然としていた。
誘惑
『石塚さん、あなたは仏蘭西語がお上手ですッてね。』と時子は甘えるように訊いた。
『いいえ、誰がソンナ事を云いました。フレンチなんかまるで知りやしませんよ。』
『御謙遜ネ。』
『本当ですよ。』
『じゃ、独逸語はお得意でしょう?』
『独逸なら少しは読めます。』
『そう、嬉しいワ。私、実は独逸語が習いたかったの、あなた教えて下すって?』
『人様に教える程の力はありませんよ。』
『宜いのよ、教えて頂戴ネ。此間中西さんに勧められて藤沢古雪さんのハイマートを読んでみたの、大変面白かったので、どうかしてズウデルマンやストリンドベルヒを直接に読んで見たいの。ね、石塚さん、明日から私、教わりに行きますワ。』
二人は太地家を出て、淋しい町を東へ三町ばかり来て居た。もう十時を過ぎていたので材木問屋ばかりの舟町筋は寂然として、其所此所の軒燈が薄暗く光っているばかりで、両側の家は大抵戸を下していた。
『ね、教えて頂戴ナ。』と時子は甘えるように言ってピタリと覚也に寄添った。覚也は黙って歩いて居たが、昨夕熊野権現の境内で、美しい夜桜の下を時子と肩をすれすれに聯べて歩いた事やら今日二軒茶屋で美しい海の景色を一ツ岩の上に連んで立って眺めた事やらを思い出した。そして覚也の心は何となく躍るように感じた。
『お伺いしては不可い? 良妻賢母主義ネ貴方は。ね、石塚さん。私、こう思うのよ。短い人生ですもの詰らない事に怖々して過してしまうなんて馬鹿げていますワ。私、故郷を読んでつくづく感心しちまッたワ。因襲に俘われた人の眼からは危険に見えるかも知れませんが、どうせ一度は襲って来る思想ですもの。私なんか石塚さん、本当に自由なのよ、小鳥のようにネ。毎日行きたい所へ行き、歌いたい事を歌ってますワ。石塚さん、古い文句ですが若い時は二度無いのネ。出来るッたけ自由に花々しく……』言いかけて時子は立止ってスカーフを一寸直し、『私、寒くなったワ、貴方は寒かアなくッて?』
追縋るように時子は覚也の右側へ寄添って来た。青春の血の漲った若い二つの肉体が衣一重を隔てて触れつ離れつ人目の少い薄暗い町を歩いて居る時、覚也の神経は俄かに鋭くなって、時子が話す度に送る息の香が、自分をまだ行った事の無い未知の世界へ引張って行かねば置かないという強い強い力を持っているかのように感じた。
『石塚さんどうなすったの?』
『どうもしやしません。』
『だって、黙ってらっしゃるじゃないの?』
『僕は今、独逸語の事を考えていたのですよ。』と覚也は出鱈目を言った。
『教えて下さるワネ、私、明日からお伺いしますワ。エンゲリンの一を持って行きますワ。』
時子は石塚を見上げながらその袖を控えるようにして言った。
『では、お復習をする心算で始めますかネ。』
『嬉しいワ。私、勉強しますよ、一生懸命にネ。』
二人は船町を突当って本町通りへ出ると、『あの向うに黒い杜が見えましょう。』と時子は薄墨色のコンモリした森を指して、『あの杜の下が私の宅なの、途中が淋しいのよ、送って下さる?』
『お送りしましょう、そんなに迂路でもありますまい。』
『そう、だけど済みませんワネ。』
時子が先へ立って行く暗い途を三尺ばかり離れて覚也は黙って躡いて行った、暫くは二人とも互に屈託して一言も口を利かなかった。『あすこなの、私の家は。』とやがて杜の下の小い洋風の二階家の前まで来ると、『一寸お休みなすってらッしゃいな。』
『イヤ、もう失礼致します。』
『じゃア、明晩ネ……今晩はもう晩いから無理には願えませんワネ。』
『明晩は常仙寺の談話会で僕が講演をする事になって居るので……』
『じゃア明後晩……きっと! 忘れると諾かなくッてよ!』
翌る朝出勤の途中、覚也は一町程わざわざ迂廻をして時子の宅の前を通って見た。街道筋から十間ばかり奥へ引込んだ蜜柑畑の中に立ってる瀟洒とした二階家であった。庭前の大きな山桜が散残りの花をつけた枝を屋根の上まで伸ばして、四五羽の雀がちッちッと鳴いていた。拭込んだ格子戸の入口には『まつもと』と書いた瀬戸の表札が掛っていた。
覚也は一寸立止って見たが、さッさと夢中に早足で歩き出した。社へ行っても何だか浮々して仕事が手につかなかった。受持の論説を書きかけたが一二枚書いては引裂き二三行書いては引破り、一時間ばかりもかかってやっと四五枚書いた。で、手当り次第にいろんな新聞を拾い読して、面白そうな社会記事を十ばかり切抜いて、それで一の面を埋めて置いた。そして十二時前に社を出て町を何所へ行くという目的も無く唯ぐるぐると駈け廻って下宿へ帰ったのはもう二時過であった。
覚也は食事を済して机に呆然と頰杖突いていたが三時過にまた下宿を出てぶらぶらと町を歩いた。やがて小い坂を越えて教会の前まで来ると、音無牧師と田原ドクトルとが伴立って来て、
『やア石塚君、昨晩は失敬した。』と音無は嗄声で言った。
『やッ、』と覚也も軽く会釈して、『昨晩は失礼しました。』と更めて田原に丁寧に叩頭をした。
『もう編輯は締切ったのですか。』
『えエ、もう締切って清水君に後を頼んで置きました。』
覚也は余程ドギマギしたが強いて左あらぬ体を装っていた。
『では、王子ヶ浜へ行こう、晩雅楼へ。』と田原の言葉の終らないうちに、音無は、
『晩雅楼で今晩説教するんだが、面白い集りだぜ、乞食が来るんだからネ。』と言って覚也の魂の隅々までも覗き込むように、じろじろとその顔を見詰めながら、
『石塚君少し顔色が悪いようだぞ。』
『別に何所も悪くはないが……今夜は先約があるので失礼します。用事が済んだら後からでも御伺いしましょう。』
『是非来てくれ給え、実は讃美歌を助けて貰いたいのだ。』
『讃美歌? 僕では駄目だよ。』
『なアに、学院時代に聖歌団の一員で、しかもベースで鳴らしたものじゃないか。』
『だって近頃はもう駄目だよ。』
二人に別れた覚也は物に追われたように宿へ急いで帰った。そして直ぐ風呂に浴って襦袢も袷も新しいのと着換え、魚子の紋付の羽織を引かけて火鉢の前に坐って見た。
『まだ飯が済まなかったッけ。』と小声で独語ちつつ無意識に火鉢の縁を火箸で軽く叩いた。時計を見たがまだ四時五分だ。此家の夕飯は大抵五時半だからマダ一時間も間がある。此儘呆然しているのも馬鹿々々しいと思ったので、また家を出て浮々と時子の宅の方へ歩いて行った。しかし時子の家の壁が桜の葉蔭に見え初めた時、何だか急に愧かしいような恐ろしいような心持になったので、いっそ思い切って引返そうかとも思ったが、丁度角の石屋で若い男が綺麗に磨き立てた大きな石碑へコツコツと文字を刻って居るのが目に留ったので、二三歩近寄って、見るとはなしにそれを見詰めて居ると、不意に後から『石塚さん!』と呼ぶ者があった。覚也は吃驚して振向いた。石屋も鑿の手を止めて此方を見た。
『まア石塚さん! どちらへ。』
時子に声をかけられた覚也は余程マゴマゴした。時子は風呂からの帰りと見え、大きなタオルと小い金盥とを抱えていた。白粉気の無い湯上りの顔がホンノリと上気して、金縁の眼鏡が美しく光っていた。英ネルの単衣に派手な御召の羽織を無造作に引かけて、羽織の紐をダラリと下げて居たのが如何にも仇ッぽく見えた。
『昨晩は失礼致しました。私、これから御宿へ御伺いしようかと思っていましたのです、さア何卒お先へ、』という時子の調子は昨日に反対え艶な容子と不似合に凛ッとしていた。
『叔母さん、お客様よ。』時子は玄関の所から勝手の方へこう言って置いて、『さア、何卒こちらへ。』と覚也を二階へ案内した。覚也は少し怖ろしいような気持で二階へ上って見ると、美しい花模様の筵を敷き詰めた真中に四角な卓を据えて、ミッション風の角椅子を四五脚周囲に並べてあった。
『さ、どうぞお掛け下さい。』と言いつつ時子は西日を受けた窓際のソーファに腰を卸した。覚也は黙って椅子の後に立ったまま壁の油絵を見入って、
『誰です? これは。』
『名も何にも無い人でしょう。仏蘭西から帰ったお友達のお土産ですが、多分セザンヌか誰かの孫弟子か曽孫弟子ぐらいかも知れませんワ。』
『全体何を描いたんでしょう?』
『山だそうですよ。土を掘った趾なんですとサ。』
『僕は又、西瓜の腐ったのかと思いましたよ。』
『随分酷評ネ。思い切った事を仰しゃる。』
『酷評でも何でもありません、僕にはちっとも絵が解らないんですもの。』
言いつつ覚也は椅子に腰を掛けながら傍の書棚を見ると、『良人の自白』『霊か肉か』『火の柱』『巴里』『モリエル全集』『父と子』『其前夜』などが並んで居た。其下には英書が五六十冊、トルストイやツルゲーネフの背文字が光っていた。
時子は呼鈴のボタンを押えながら、『石塚さん、あなたは小説をお嫌い?』
『あんまり読みません。シェークスピアやアービングを教科書として読んだ位なもので、日本のものは新聞や雑誌に載ったものを時々拾い読しますが……』
『文学を解さないお方は本当にお気の毒ネ。私なんかこうして独身でやって行けるのは全く小説をお友達としているお庇よ。』
覚也には返事の仕様がなかった。そこへ下から五十恰好の女が上って来た。
『叔母さん、クキスが焼けていましょうネ、それから珈琲の濃いのをネ。』
『畏りました。』と女は直ぐ引退ってしまった。
『私、此間からマダム、ボヴァリーを読んでますのよ。』
『マダム、ボヴァリーてのは誰の作です?』
『フローベルよ。私、あのエマという奥さんに本当に同情しましたワ。』
『どんな筋ですか、梗概だけでも伺いたいもんです。』
『ではお話ししましょう……一寸失礼しますよ。』と時子は憶い出したように梯子段を下りて一言二言何か吩咐けたらしかったが、直ぐ上って来て覚也の右側に坐を占めエマがシャルルと結婚して失望した顛末から説出して、小説好のレオンと恋に陥ちてから俄に活々して来た話を語り終って、
『私、本当にそう思いますワ。元気だとか活発だとか云うのはみんな性慾ですよ。満たされた生が張切ってそれが事業や宗教になっていろんな方面に発揮されるんだと思いますワ。』と言った時、叔母さんがお膳を運んで来た。
『さ、何にもありませんがどうぞ召上って、私もお相伴致しますワ。』
時子は再び坐を変えて覚也と対合せになった。覚也は黙禱して箸を執ったが今朝からの焦々した気分が何時となく和いで、時子の話を感心してじっくりと聴くようになった。
時子は食事半ばに想い出したように、『それからエマとレオンは到頭お互に打明けないで別れたんですが、レオンが巴里へ出る時、もうこれが一生の訣れかも知れないと思ったから思い切ってエマを訪問したが、矢張り明らさまには言い出せなかったのでエマの産んだ赤ん坊のベルタに接吻して其儘黙って別れた所が私ア本当に嬉しいのよ。』時子は片手の茶碗の模様を見詰めながら言った。
巨人の兜のように見える蓬萊山を左手に眺めながら二人は徐福の墓の近くを田圃路の方へ出た。
『私ネ、男の方には誰にでも出来るたけ甘えるの、行きなり甘えて見るのよ。あなたにだって此間から随分甘えましたワネ。そうして二三時間も話して見ると、大抵な男の方のお心は悉皆解るような気がしますのよ。』
覚也は自分でも触るのが恐ろしい傷痕をチクリと刺されたような気持がした。
『男ッて本当に弱いものネ。一旦童貞を捨てた男は尚々駄目よ。男てものは大抵男の心で女の心を推察するから女に馬鹿にされるのよ。自分が餓えてると他も餓えてるように思ってネ。私、本当に女に産れた事をつくづく感謝しますワ。』
『そうですか……』と覚也は一向気乗りのしない生返事をした。
『本当にそうよ。』と時子は畳みかけて、『女は処女を捨ててもまた元の処女になる事が出来ますワ。早い話が私にしても結婚もしました。恋もしました。けれども夫に死別れた今では再び元の処女の心持よ。十五六の時とちッとも違いませんワ。だから私、男の方に甘えたり駄々を言ったりするのよ。女てものはこうしたものネ。ですけど男ッてものは童貞を捨てたらもう決して再び元の子供に帰られません。その証拠には十八九から一生後家を立通す女は沢山ありますが、二十や三十で妻に死なれて一生独身で暮す男は万人に一人もありますまい。妻に死なれた時は本当に悲しそうに嘆きます、そして自分の半身が切取られでもしたかのように悲しんで見せます。甚だしいのは亡くなった奥様の伝記を書いたり、記念録を発行したりなさるお方があるでしょう。だって其様なお方に限ってその書物がマダ活字のインクが乾かないうちに、もう第二の候補者を心の中で探してらっしゃるんだワ。』
『それは酷い、まさか其様な事は……』覚也はやっと口を利いた。
『いいえ、酷くはありません。私の知ってる名高アい宗教家の方で、奥様の亡くなられた時、まるで奥様を神様か天の使かのように賞めた記念出版をなすったお方があるの。だけど、ものの半年も経たないうちに、もう新しい第二号が出来ていましたワ。それからある名高いお方でもう五十の坂をずっと越えたお方が、奥様に亡くなられた時、矢張り同じように『かたみ草』とかいう記念出版をなすって、二人は永遠に夫婦だというような事をお書きになったが、このお方も半歳経たないうちに、ちゃアんと候補者を見付けて結婚なすったのよ。誰かが⦅余まりではないか⦆ッて詰ると、⦅今の妻を亡くなった先妻だと思って愛するんだ、だから名前も先の妻と同じ名前に改名した⦆ッて仰しゃったそうです。私、こんな事を聞くと腹が立つの、男ッて何という不純なものでしょう。私、童貞を捨てた男は大嫌い、石塚さん!』と時子はピッタリと覚也に摺寄って『あなたも出来るッたけ、永く永くその美しい童貞を捨てないでいらっしゃいナ。ネ、石塚さん……』
覚也はこれまで女の口からこんな話を唯の一度も聞いた事が無かった。月を浴びた二人の長い影が青い麦の畑に映って動いているのを見た時、お伽話の国で『女人の精』とでも話しているのでは無いかと思った。
『しかし時子さん、今貴女の仰しゃったそのお二人が、新しい恋を感じて結婚なすったのならそれで宜いじゃ無いですか、あなたは恋愛を非神聖なものと思いますか。』
『恋愛? そりゃア美しいものですワ。だけど童貞を捨てた男の方にはもう恋愛なんて有りませんワ、性慾なんですもの皆んな……』
『それは独断です。』
『いいえ独断じゃア無くッてよ。童貞を捨てた男ッてものは、もう終生性慾に生きてるんですワ。洒落を言っても笑っても皆な性慾を連想して一から十まで性慾の事ばっかり心に止めてるのですワ。そしてその性慾を抑え切れないで、直ぐ神様のように思った先の奥様を忘れてしまって、新しい異性を追廻すのよ。其時になって男の方の言分が小僧らしいの。家庭が治まらないだとか、残された子供が可哀想だとか……皆な嘘ですワネ。家庭を治めるのなら、確乎した年寄の女でも傭って置けばいい宜いじゃありませんか、子供が可哀想なら家庭教師でも看護婦でも宜いじゃありませんか。性慾の懊みに堪え切れないで、いろんな事を言って再婚なさるんですワ。』
『それは余まり残酷な評ですネ。』
『残酷でも何でもありませんワ、事実ですもの、ネエ、石塚さん、私ア一度良人を持ったけれど心は処女よ。ですから童貞が恋しいの。実は石塚さん、私ア昨晩ッから貴方を散々試してみたのよ。貴方が本当に清い初心なお方だって事はやっと解るには解りましたけれども、石塚さん!』と時子は矢庭に佇止って眤ッと覚也を覗き込むようにして『石塚さん、貴方、今危い所に立っていらッしゃるワネ。』
『えッ、何です? 危い所に……』
『貴方は今晩常仙寺で御講演をなさる筈じゃありませんか。それに私が晩雅楼へ行くッて申したので、つい浮々と私に躡いてらッしったのネ。』
覚也は心の中で『失敗った!』と思ったが同時に時子の意地悪い仕打を怨まざるを得なかった。しかしわざと、沈着払った風をして、『そうでした、しかし僕が講演をしなくッても他に今一人話す方があるんですから……』
『そう? だって御約束なすったのですから行ってお上げなさいよ。』
『何しろ晩雅楼まで御一緒に参りましょう。』と覚也はテレ秘しにさッさと歩き出したが、どうしたものかこの意地悪い時子に対して、ちっとも憎しみの情が湧かなかった。
『石塚さん、あの曲り角の所に俥屋がありますワ、私、行って呼んで来てあげますから待ってらっしゃいよ。』
時子は一散に駈けて行った。覚也は四辻の所で待って居たが、二三分すると時子は車夫と一緒に戻って来て、
『マダ八時二十分前よ、講演会が終らない前に一寸でも顔を出してらっしゃい。それからネ、御用がお済みになった後で私の宅へお話しに入らッしゃい。私も晩雅楼から十時過には帰りますから。』
覚也は『有難う』と言いざま俥に飛乗って『馬鹿! 俺は余程どうかしている。』と口の裡で呟きつつ拳を固めて力一杯二つ三つ膝を叩いた。憐れな愧かしい気持が俄かに籠み上げて来た。帽子を脱いで髪の毛を挘ったり摑んで引張ったりした。其中に俥は勢よく二十分ばかり走って常仙寺の表へ梶棒を下した。
只見ると本堂には洋燈が燈っていて、上り段の所に二、三十足の下駄が並んでいた。覚也は暫く気遅れがしてモジモジしていたが思い切って縁側へ上って行った。
『石塚さん、此頃ちっともお見えになりませんネ。』
『ツイ社の方が忙しいもんだから……御無沙汰ばかりしています。』
『私、今日から独逸語を教わりに来たのよ。あなたを驚かそうと思って一生懸命ジャーマンコースを読んで見たけれど、矢張り独習は駄目ネ。』
時子は紫縮緬の包からエンゲリン読本を取り出した。
『ルーサアの話が書いてあってよ。ルータアての、ルーテルてのですか、どっち?』
『ルッタア⦅LUTTER⦆だそうです……では読んで見ますかネ。』
覚也は机を真中に持出して対合せになった。時子は恥かしそうに顔を紅くして読本に眼を落した。覚也は近視なので顔を書物に近寄せると異性の香が突貫して来るように感じた。
『では、私、読んで見ますワ。』覚也が一通り読んで訳をつけた時、時子は微笑みながら読本を一二寸自分の方へ引寄せて、すらすらと読んで直ぐ淀みなく訳した。
『その調子で一年もおやりになれば僕なんぞは直ぐ取残されてしまいますよ。』
『だって私、忍耐が無いのよ。』
『興味が出て来ますと止せと言ったって止されますまい。あなたの御気象では……』
『そうなれば宜いですが……』時子は読本を包んで端然と坐った膝の上に両手を置いた。
『先夜は失礼しましたワネ。私、度々あの時の事を想い出しますのよ。どうしてあんな蓮葉な事を申上げたろうと思ってネ。』
時子は耳朶を紅くして俯向いたまま羽織の紐を弄っていた。
『僕は大変な教訓を得ました。何しろマダ学校と教会とより外の空気というものは殆ど知らないんですから、私共の社会観というものは四角な小い窓から見た社会観ですからね。私は彼の晩全然別世界へ投出されたような、急に大人になったような気持が致しました。』
『そう? 私、何とも御挨拶に困りますワ。そんなに仰しゃられては……』
『それから時子さん……』覚也は急に俯向いて、『僕は此頃如何したものか真面目に祈れなくなりました。』
『そう? どうしてでしょう?』
『今まで非常に強く感じた事でも近頃は何の刺戟にもならなくなりました。どういう理由でしょう?』
『もっともっと大きい刺戟を要求していなさるのじゃア無くッて?』
『大きい刺戟とは?』
『焼き尽すような、火のような愛の手に懐かれて見たくは無い?』
覚也は呆然として時子の容子を見詰めていた。
『石塚さん、も一度言わして頂戴な。私は処女ですよ。ですから貴方の童貞を慕うのです。処女と童貞とが相寄る所に真正な恋愛というものが生じるのですワ。此外に神聖な恋愛は決してありませんワ。私は貴方という童貞の……貴い童貞の所有者を愛したいのです。私の処女が貴方の童貞を燃えるような熱情で愛して愛して本当に愛して見たいのです。私はこれまでいろんな人に打ッつかりました。しかし大抵の男は駄目です。私の望む童貞を持ってるのは石塚さんあなたお一人よ。ですから、ネ、石塚さん、そうした意味で私の恋を許して下さいナ。精神的にネ、私は本当に純粋な精神で、本当の恋をしてみたいのよ。』
覚也の胸の中では熱火の焰えるのを感じた。そして眼が眩むようになって来た。
『時子さん!』と覚也は机を押退けて夢中になって両手を前の方に伸ばそうとした。
『あなた! 誤解なすっちゃいけません!』
時子は飛退きざま包を小脇に障子際に寄って、覚也が一寸でも乗出したら直ぐ縁側へ逃出しそうにした。
『時子さん!』覚也は机の上に身体を投げかけて、『もう僕はお目に掛りません。あなたと交際していては滅亡です。』
時子は机の傍へ戻って来て、『石塚さん、御免下さい、本当に悪い事を申しましたワネ。』
『いいえ、お帰り下さい。もうお目に掛りません。どうぞ御帰り下さい。』
覚也は竟に顔を得上げなかった。
覚也は其晩まんじりと眠れなかった。彼れの頭は生来初めての混乱に遭遇したのであった。翌日新聞社へ行ってもクシャクシャして何も手に付かなかった。
『清水君、僕はどうも頭痛がして仕様がないから……君に此後を頼んで置くよ。一の面はこの投書とこの切抜で埋められるようになっているから、二の面はもう材料が悉皆揃ってますから……』
覚也は眉根に皺を寄せながら拳で頭を軽く二つ三つ打いた。
『どうぞ、御帰り下さい。僕が引受けてやって置きます。御顔色が大層悪いですから、緩りお休みなさい。』清水は親切そうに言った。
『では頼みますよ。』覚也が新聞社を出て下宿へ帰ったのはマダ一時過であった。
和服に着換えてゴロリと畳の上に寝転んだまま凝乎と天井を見詰めてまず天井板を勘定してみた。それからそれが二間の通し板であるか、一間板の継合せであるかをも検べて観た。そして木理の細いのと荒いのとを比較して見た。
両手の指を組合してそれに頭を戴せて天井板の木理を見詰めて居ると、それが急流のようにも見え、渦のようにも見え淵のようにも見えた。眤と眼を閉じていると天井一面が渦巻のように思われて、何時の間にか自分の身体がその渦の中に捲込まれてしまうようにも感じられた。
『はあーッ!』と叫ぶように唸って撥起きた時、トントンと段梯子を上って来る足音がして、『今日は!』と声を掛けつつスウーッと障子を開けたのは時子であった。
『御免下さい、少し早過ぎましたワネ。さアどうぞ御着換下さいまし。』
時子にそう言われて気付いて見ると、覚也は寝巻の細帯を結んだままでいたのであった。覚也は狼狽えながら押入の中から縮緬の兵児帯を出してそれを手早く結んで机の前に坐った。時子は神妙な顔をして風呂敷包から読本を出した。もう昨日の事は忘れたかのように平然と取澄して火鉢の横へ端然と坐った。豈夫と思ったのがまたも不意打されたので、覚也は机に対ったまま暫く黙っていた。
『今日は下読して来ましたから三章ばかり進めて戴きますワ。』
時子は膝の上に本を載せて小声で読んで居た。
『では次を読みましょう。』と覚也は震える声を咳払に紛らしつつ一章読んだ。
『お次をお願い致します。』
また一章読んで訳をした。
『もう一章お願いしましょう。』
続いて三章目を読んだ。すると時子は『お直し下さいましよ、発音が悪いから愧かしいのよ。』と云いつつスラスラと読んで直ぐ立派に訳をつけて、『有難うございます、明日は朝疾く御出勤前に御伺いしてよ。』
覚也は度を失って返事が出来なかった。時子は早速書物を包みながら卒気なく『左様なら、』と挨拶をした。
『左様なら……』言いつつ覚也は始めて我に帰ったような心持で時子を見上げた。今日の時子は昨日のようにケバケバしい装では無く、茶掛った地味な袷に白地羽二重の紅気の無い帯をキチンと結んだ嫌味のない拵えが却って平生よりは二つも三つも若く見えた。
時子は小腰を屈めて静かに障子を閉めて子供のようにパタパタと階子を降りて行った。
覚也はワクワクと踊る胸を抱えながら障子の際へ行って廂の蔭から時子の姿が内庭へ現われるのを待っていた。誰かが盥水でも顛覆したと見えて、其所此所に小い水溜りが出来ているのを、時子は護謨雪駄で飛び飛び拾って行ったが、ヒョイと振向いて二階を見上げたので、覚也は思わず二三寸退えて、暫くしてまた障子の隙から覗いて見たがもう時子の姿は其所に見えなかった。
其中に風呂が沸いたと知らせて来たので、風呂場へ行った。風呂に浸りながらふとこういう事を思った。
『時子の読方が余り旨過ぎる。何所かで勉強したに違いない。彼れの先夫は医者で米国のドクトルだったというが、事によると独逸に居たのかも知れない。すると時子はその夫に独逸語を教わっていて、十分知って居ながらこの俺を翫弄にしているのでは無かろうか。もしそうだとすれば彼の女は何の為に此家へ来るのだろう? 此方が真面目にして居れば甘えて来る。甘えに乗ればスルリと抜ける。強くなっていれば艶めく、弱くなれば真向から教訓と来る。嫌だ嫌だ俺は翫弄にされて居るのだ!』
覚也は風呂から上ると直ぐ一通の手紙を書いた。
『紙面改良の為、暫らくの間多忙に御座候間独逸語の御稽古は御休み下され度候、種々考える所も有之候え共何れ其中御目にかかり申上ぐべく候。』
書終って覚也は⦅種々考える所も有之候え共⦆という所へ圏点を打った。それはこの手紙を見た時子がそれきり、ぷッつりと来なくなっては矢張り淋しく感じるだろうと思う未練な心からであった。
女中に頼んで手紙を時子の宅へ持たせた後で、時子から拗戻た拗戻た怨みつらみの長い手紙が来るか、さも無くば本人が押掛けて来て、縋りついて泣倒れるか何方かであろうと思いつつそれとなく待設けていたが、卅分経っても一時間経っても女中は二階へ上って来なかった。
覚也は堪えかねて欄干の所から下を覗くと女中は疾くに帰って来たらしく縁側をせっせと拭いていた。
『おい、姉さん、手紙の返事は無かったかい?』と訊くと、女中は一寸二階の方を振仰いで『ええありませんでした。』と膠もなく言った。
『そうか。』と云ったまま座敷へ戻ったが、其声が泣声であったように自分ながら思われた。無論翌朝も時子は見えなかった。
山窩
『御手洗の浜へお出るんかノシ、そりゃアこの広い道を真直ぐに行きなはれ、直ぐその下が浜じゃわノシ。』
二つの籠に小石を容れたのを担いだ女はこう言いながら、ろくに音無の方を見向きもせずに石ころの多い坂路を、『ハア、ヨイショ、ハア、ヨイショ。』と小い声で掛声しながら登って行った。
音無は雨水の為に真中が渓のように掘れ凹んだ路を、幾度か転びかけては危く靴を踏みしめ踏みしめつつ一町ばかり降りて行くと、ザアーッ! ザアーッ! と岸を洗う波の音が左手の林を通して聞えて来た。
『もう直ぐ其処だナ。』と呟きながらトコトコと小走りに二三間走り降りると、急に右手がパーッと明るくなって、道の両側から参差んで茂り合った雑木林の緑のトンネルの向うに可成り広い青草の芝生が見えた。芝生は斜になって浜の砂原の所まで続いていた。一疋の牛がもうタンノウしたというような顔付で此方を眺めていた。
『ああ!』と音無は珍らしい物にでも飛付くかのように叫びながら芝生の所へ走り出て行った。涼しい風が浜に生えて居る雑草を揺動かしながら吹上げて来たので、右の手で中折の真中を攫んで左の手をポケットに突込んでハンケチを取出そうとしている時、ふと芝生の向うに小い乞食小屋のあるのに気付いた。
音無は汗を拭きながら芝生を越えて小屋の前まで行った。そして開放した戸の中を見ると、其所には三十七八でもあろうかと思われるよく肥えた女が垢抜のした、しかし所々に継布の当った単物を着て囲炉裡の中に小い鍋を吊して何だかコトコト煮て居た。
『御免下さい、宜い天気ですね、今日は。』と言いながら音無は戸の中へ入って行った。女は山窩狩の巡査に脅かされる度毎に繰返すような驚愕きと恐怖とを面に表わしながら、少しく睥むように、じいッと音無の顔を見詰めて居たが靴音に嚇かされた彼女は段々に音無の洋服には金鈕が無くその腰にはサアベルが光って居ないという事を意識して来たらしく、『何か御用事で……』と素直に言って丁寧に頭を下げた。
『いいや、別に用事も何も無いのですが、其所まで散歩に来たついでに一寸休まして戴こうと思いまして……』
『まア、こんな所へ?』女は怪訝な顔で音無を見上げた。音無はニコニコ笑いながら藁筵の上へ腰を卸したが、丁度其時表へ一人の男が来て、家の中を不思議そうに差覗いた。額のずんと禿げ上った五十恰好の男で前歯の二三本程脱けた、洞穴のように暗い口を少し開けて、『ようお出でなさいました。何所のお方か知りませんが?』と言って不安らしい顔付で音無をじろじろと見た。両の頰にぐッと顔の肉を殺ぎ取ったような大きな縦皺があった。それがその男を非常な悪人でもあるかのように見せた。
『宜い天気ですナ。今日は。』音無は快活にこう言って海を眺めた。
『結構なお天気です、我々に取っては本当に有難い日和です。』男は音無の傍へ腰を掛けながら言った。
『あなたはもう此所に永くお住いですか。』其時音無はぐるぐると家の中を見廻した。座敷には藁蓆が三枚敷いてあった。壁にした杉皮がもう漆で塗ったように真黒く煤びていた。
『もう彼此五年になります。』
『この家に五年も居たのですか。』
『はい、その以前は新宮の磧に居たのですが、部長さんが立退けと仰しゃるので……』男は俄に言葉を柔げて、媚びるような気味悪い笑顔をしながら、『時に貴方は警察のお方じゃアございませんか。』
『いいえ違います。僕は耶蘇教の牧師なんです。』
『ははア、耶蘇教の先生ですか。』男は安心したらしく妻君の方を顧眄いて、『じゃアあの晩雅楼の……』と言って二人は点頭き合った。
『あア、此間の晩私は晩雅楼で説教致しました。これからも時々致しますから、どうぞお出かけ下さい。』
『有難うございます。田原先生には常もお薬を無料で戴いていますので……』
『田原君を知っているのかネ。』
『知っていますとも、妻はあア見えても時々癪を起すので、その度びに田原さんのお薬を頂戴するのです。五年も七年も御恩に預って居ますから、何かで御恩報じをせねばならんとは思っているのですが、我々の分際ですから時偶に鰻を差上げたり鮎をお上げする位のものですがそれでも其様なものを差上げると⦅俺はお前達に物を貰う理由は無い⦆と仰しゃって、その都度何か鹿か下さるので却ってお気の毒ですから……』
『本当に田原先生には、もう……』と側から妻君も容喙をした。音無は話の端緒を尋ね当てたので非常に嬉しかった。
『どうです、あなた方はこうしてお暮しなさる時、本当に愉快だと思いなさる日がございますか。』
『そうですなア、ありますナ。』男は笑いながら音無の方へ少し身体を捻じ向けた。
『旦那は警察のお方じゃアございませんから今日はアケスケにお話し致しましょうか。』
『お伺いしたいもんだネ。あなた方の生活状態を?』
『生活状態? そんな洒落れたもんじゃアありませんが、私もこうやって彼これもう三十年近くも、こんな情無い生活をしているのです。私は二十三の時あれと⦅顎で妻君の方を示しながら⦆一緒に故郷を逃げたんですよ。これは可成り財産のある家へ嫁入っていたんですが、私と変な懸り合いになって、突走ったんですナ。私は矢張りこの県のもので、日高産れですが……』
『そうか、僕も日高川奥の者だよ。』音無は思わずそう言ってしまった。男は吃驚したように話の腰を折られて暫く黙っていたが、『そうですか、どちらでございます?』
『寒川という所です。知っていますか。』
『はア、知っていますとも、私は高木村といって海に近い所ですが、寒川へは度々鰻捕りに行きました。』
『鰻捕りに?』と言ったが、折角話しかけていた面白そうな話を傍路へ外してしまった事を残念に思った。
『私は鰻捕り鮎捕りが仕事ですから。』
『鰻や鮎の獲れない時節は如何なさるのですか。』
『其時は辻占売と、これとですよ。』と云って右の手を上向けて二三度動かした。それは博奕の骨子を転がす真似であった。日若い時に骨子や骨牌を弄くる仲間と交際った事のある音無には直ぐその意味がわかった。
『以前は其様な真似も出来たろうが、今は規則が改正になって現行犯で無くとも罰られる事になったから博奕は一切出来ないだろうネ。』
『旦那、それは歴々のお方の言う事ですよ。身に浸み込んだ事は法律や規則で到底も堰止められるものじゃありません。殊に袁玄道と来ては『色』よりも三分濃いというんですもの。私も妻も性来コレが好きなんで=骨子を転がす真似をしながら=二人は手に手を取って国を出て西に東に所々方々を転がり歩きましたが、妻は何所へ行っても樗蒲一の頭取りになったものです。所が旦那面白い事がありましたよ。』男はさも追憶の快楽を味いたいというような顔付をしながら、『こんな事があったのです。それは丁度私共が故郷を出て八年目の冬でした。和泉の深日という所で土地の金持衆と樗蒲一をやったんですネ。矢張り妻の頭取で……所がどうして運が向いて来たものか、旦那衆が張っても張っても皆な妻に奪られてしまうんです。私は妻の側で金の始末をしていたんですが、どうしても八九百両は勝ったと思ったんですナ。其頃の八九百両と言やア大したもんですよ。米が一石五両でしたから。其所で私は相談しましたナ。⦅これは余り不思議じゃ、誰かが一つ頭取りに代って貰おう。⦆と言いますと大金持の主人が妻に代って頭取になったのです。私と妻とは一両二両ずつ張っては奪られ奪られしていましたが私は其時⦅今こそ博奕の止め時だ⦆と思いましたナ。そこで私はわざと朝までも坐って居るような風にして、裩襠を脱ぎました……そりゃア旦那そうやって沈着を見せたんです。それから私はその裩襠の両端をしかと結び合して其中へ、宵から妻が勝抜いたお金を少しずつそっと容れましてネ。私は賭場へ思い切って六七十両のお金を放ちらかして置いて、⦅少し腹工合が悪い、此金を頼むぞ⦆ッて妻に言付けて置いてそっとその裩襠を抱えたまま雪隠へ行くように見せかけて裏へ出て来たのです。そして暫くして、⦅おうい、元枝、ちょいと来てくれ、早く早く⦆と呼んだんです。すると妻は六七十両のお金を隣りに坐っていた男に頼んで置いて縁側へ出て来たのでしょう。そこで私は妻に耳打をして其儘跣足で裏口から脱け出して逃げた、逃げた一生懸命に逃げたのです。孝子越をどう越えたか知らないで翌朝和歌山在の木ノ本の八幡まで逃げて来まして、やっと追手にも追いつかれず故郷へ帰ったのでした。八年振りで帰ってみると年老った私の両親は食うや食わずで難儀していました。そこへ私が七百三十両という金を持って帰ったので、まア両親は喜んでくれましたが、妻の先の亭主というのが矢張り袁玄道の仲間で、其奴が煩い事を言って来るので、私は五百両を両親に与げて置いて、また二人で旅へ出て行ったのです。所がそれからというものは七百両所ですか七十両の金も一度に懐へ納まるちゅう事無しで、とうとう御覧の通りのお乞食様に零落れてしまったのです。其間に監獄へも三度行って来ました。妻も三人産んだ子は皆な死なしてしまう。私も少々無茶な心を起しましてナ。』男は暫く俯向いて居たが『随分面白い事もありましたよ。』と云って冷たく笑った。
『無茶な心とは?』音無は話の継続を願うような眼付で男の方を見ながら問うた。
『旦那は警察のお方じゃ無いから申しますが、私ア辻占を売る時人間の心というものをようく見抜くんです。マアこの熊野の海辺では亜米利加へ出稼ぎしてる人の家へ目処を付けて行くんですナ。大抵マア一枚は買います。其時運勢の悪いのを一枚売るのです。すると『今一枚!』と来ます。今度は中等の所を一枚売るのです。十人で五六人まではその中等が極悪いのに変るか極善エのに化るかと思って三枚目を買います。其時悪い運勢のを売付けると、もうそれッきりで買いませんが、お金を溜めるとか出世するとかいう奴を当がうと、どうも人間というものは可笑しいもので其様な事は信用出来んと見えて後へ後へと四枚も五枚も買うんですよ。』
『ふん、それは如何いう理由でしょう。』
『そりゃア旦那、人間てものは不幸が当り前で運の善エのは万人に一人ですもの、自分の息子や亭主が其様な富鬮に当ろうとは思わんのですナ。だから疑が起るんです。其所を見込んで安心させてみたり、心配させて見たりいろんな奴を売るんです。もう其時私らのような人間でもまるで神様か仏様のようで、その人の心は悉皆自由自在に出来ますナ。もし私に先生達のような学問があったら日本中の人を自由自在にして見せますがナ。人間の心てものは浅墓なものですよ。ははははは。』男は得意らしく語って腰の煙草容を静かに外して蓆の上に置いた。
『ふん、そうですかなア。』音無は全く感心してしまったような態度で二三度点頭いた。
『旦那のように立派なお方が私の乞食小屋へお出で下さるのは不思議な事ですが、それは商売柄が違うから不思議なんで、これが博奕となると面白いもんですナ、また一種特別で乞食小屋も墓場もありませんナ。私が新宮の磧に居る時、毎晩毎晩樗蒲一を妻にやらせたのです。其時旦那、町の立派な金持衆が何人も何人も来ましてナ。可笑しいもんです、平生は妻や私達はそのお家の内庭までも入れてくれないんです。私達が座敷へ一足でも上ろうものなら、乞食奴が! と大目玉でしょう。所が博奕になると私の汚い小い小屋へお出かけですからナ。おまけに樗蒲一をやる時は皆な妻に自由自在にせられてるんですもの、まるで金持衆は妻の家来か足軽ですナ其時は。』
男が洞のような口を開けて笑った時妻さんは『そんな事を、あんた……』と亭主を窘むるように言った。
『なアンの、田原さんの御友達ですもの、構うもんですか、のう旦那。』男は音無の顔を覗き込むようにした。
『大丈夫です、アケスケに話して下さい。』
『失礼な話じゃが、旦那方のお宗旨でも私らのやる博奕のようにこの人間の魂を有頂天にさせられるものだったら、あんな大きな立派なお堂を建てないでも、乞食小屋へでも御説教を聴きに来る筈ですナ。』
『そうだ!』と音無は自分ながら驚くような強い声で言った。『「殿を毀ちて三日に建つるものよ。」という言葉があるのです。大きな立派なお堂でなくッテも、三日で落成する小屋の中で充分なんだ!』
その言葉の意味は男に解ろう筈はなかった。音無も余り独合点の言葉を少々恥じた。
『旦那、も一つ面白い事がありましたよ。私がこの川奥へ辻占を売りに行きました時、一日売歩いても誰一人として買うてくれんのでしょう。私も弱りましたナ。すると山の上の一軒屋に博奕があるという事を子供の話で知りましてネ。早速其所へ駈付けたのでしょう。すると旦那! 大変でしょう。旦那衆がベラ札から銀貨から……どうしても一人前百円以上も積んで、ぐるりと二十人近くも環になって居るんでしょう。私は縁側からじいーッと座敷の中を見て居たんですよ。実は私の心はムズムズして居たのです。けれども風体は汚し、お金は二三十銭しか無し手の出しようが無いのです。裩襠の中へ七百何十両という金を捻じ込んで山を越えた時の事が私の眼の前にちらついたんです。すると其中の旦那の一人が黙って縁側へ五十銭銀貨を一つコンコロリと投げ出して⦅おい! それを持って行け!⦆ッて云うんでしょう。辻占売だッて矢張り人一人の魂はもってるんですもの、五十銭銀貨を投げつけられちゃあ気持の善エものじゃアありませんよ。私は一寸癪に触ったので黙って知らん顔をしていました。するとまた五十銭銀貨を一枚、別の旦那が投げてくれました。けえども私はまだ黙っていました。私が五十銭銀貨二枚を受取らないんですから皆なは驚いたように私を見て居ました。そして何だかヒソヒソ話をしていたが、三十恰好の一寸宮相撲でも取りそうな大きな男が出て来て、その銀貨二枚を私の袂へ入れようとしたんです。私は一二尺後退りして、ふッと其男の顔を見上げた時、チラ! と眼の前に何かが飛んで来たと思うと私の頭はガアーンと鳴りました。私は其所へ打ッ倒れました。⦅こりゃこの乞食奴! 貴様は賭場荒しじゃナ、テラ取りじゃナ。⦆そう言って殴られたの殴られないのッて、まア石のような拳骨で四五十は打たれましたよ。其時私は思いました。⦅手向えば殺されるだけじゃ、どこまでも向う任せにして置こう。⦆そう腹を決めて一言も言わないで居ると、サア向うは薄気味が悪くなったと見え、私を引起しましたナ。所が私は殴られたので眼の上がスッカリ腫れ上ってしもうて、目蓋が開かんのでしょう。それでも私は黙っていました。すると先方も気味悪くなったと見え、私を立派な宿屋へ伴れて行って、医者を傭うやら旦那衆が平謝りに謝りに来るやら大騒ぎなんです。私は氏も素性も言わず旦那衆に一言も物を言わずに、其宿でお酒の飲放題、御馳走の食べ放題で二十日も遊んで、スッカリ腫も引き擦瘍も癒ってしまってから引揚げて来ましたが、宿を立ちシナに其所の主人が草鞋銭じゃというて、旦那! 二十五円包んでくれましたよ。私ア今に其金は貯金して居りますがネ。』
音無は貯金という言葉に驚かされた。少し狐につままれたような感じで、『あなた方にも貯金をする余裕がありますか。』と問うた。
『ありますとも、乞食ッて畢竟襤褸をサゲて憐れな声を出す商売ですもの、商売に上手な奴は貯めますサ。旦那、そうで無きゃア乞食に夫婦なんてあるもんですか。旦那達が見ていらッしゃるような可哀想なもんなら、一日だッて連れ添う馬鹿な女があるもんですか。奉公なり日傭稼ぎなりに出ますサ。お坊さんは托鉢というから上品ですし偽廃兵さんは名誉の負傷というから人様から気の毒がられるんですが皆な同じ事でサア。私の縄張りへよく来る勢州という男なぞは三百両位はいつも懐に容れてますナ。此間も面白い事があったんですよ。その勢州が彼の洞穴で=右手の方の絶壁を指ざしながら=一銭二銭ずつ賭けて骨牌を弄っていたんです。其所へ駐在さんがやって来ましてネ。直ぐ三人は現行犯で引揚られました。一体博奕てものは金持が財産を無くしたり若旦那が家のお金を盗み出すてんで罰金だの監獄だのッて騒ぐんでさアネ。だのに乞食が洞の中で一銭二銭の取引をしたって、それが世の中に何の関係も無いじゃありませんか。けれども若い駐在さんは正直に乞食三人を引揚げましたよ。まアしかし乞食も一つの商売と思やア、町の旦那方と同じように縛られて行くのも不思議はないが、』と男は自分の話に論理の矛盾を見出したかのように、『ねエ、私ン所へでも○○の旦那様がお出でたんじゃさか、矢張り博奕というものが悪いのですよなア。』と呟いた。
『それからその勢州は如何なりました?』
『乞食を監獄に打ち込んでも、それは河童を川へ追込むようなもんですから、罰金三十円ずつ言渡しましたよ。』
『罰金三十円? その乞食に?』
『へエ、乞食に罰金三十円を言渡す検事さんも一寸風変りでしょうが言渡すと直ぐ三人の罰金を勢州が綺麗サッパリと渡してしまいましたのです。検事さんも一寸呆れましたろうよ。』
『勢州が他の二人分をも出してやりましたかネ。』
『えエ、そりゃア思い切ったもんですよ。』
『ふうーん、そうかなア。』音無は溜息を吐いた。
『旦那、御案内致しましょうか其所ら辺を。』男は煙草容を腰にさした。
『では案内して下さい。』音無は洋杖の把手に載せて居た顎を少し横に躙らせて言った。
二人は小い谷を渡って砂浜伝いに絶壁の方へ出て行った。屏風のように出ッ張った岩蔭に黒い物がチラと見えたので、音無は好奇の眼を睜りながら急ぎ歩で其所へ近寄って見ると何百種か判らない程小い布片を縫合した天幕様なものを張った中で二十歳位な若い女が小石で巧みに築き上げた竈で御飯を炊いていた。ブルルブルルと白い沫が中から吹いて来て真黒い蓋が少しずつ撥ね上げられていた。
『おうい、親爺さんは?』男は首を天幕の中へさし込むようにして言った。
『昨日から串本の方へ行きました。』女は慎ましく端然と筵の上に坐って答えた。
『あの娘は孝行者でなア。』男は感心そうに言った。
十四五間向うの洞の中からも炊煙が細く立昇っていた。音無は少しく気味悪いような感じを懐きながら男の後に跟いて洞の前に行って見ると、其所には七十ばかりの老人と、五十恰好の老婆と三十七八の頭を蒼白くクルクルに剃った坊さん姿の男と三人が額を鳩めて、何だかムシャムシャと食べていたが、音無の姿を見るや否や、竹の皮包のようなものを茶色の古ぼけた風呂敷の中へ隠してしまった。
『おい安珍! どうじゃナ?』男は三間ばかり離れた所から訊いた。安珍と云われた男は頻りにペコペコと叩頭をしていた。
『安珍? それは名ですか?』音無は小声で尋ねた。
『なアに清姫の聟さんじゃさか、そう云うんですよ。』
『清姫? それはまた可笑しい名じゃないか。』
『矢張り私と同じ日高川のものじゃで、皆なが清姫々々ッて云うんですよ。彼の婆アさんが清姫です。』男は洞穴の方を指した。
音無はザクリザクリと砂を踏みながら洞穴の間近まで歩いて行ったが、老婆の顔を見た時思わず『あーッ!』と声を立てようとした。しかし強いて両手で心臓を抱えるようにして凝然とその顔を見詰めていた。
『お清、お清、たしかにそうだ。そうに違いない。』自問自答しつつ少しく顫えながら立って居た音無は、『婆アさん、あんたは日高の何所ですか。』と問うた。
『ヘヘヘ何所でもありゃアせんのう。』
『何村ですかッて言うんですよ。あんたの産れた所は?』
『ヘヘヘヘマア奥の方です。あんたらの知らん所です。』
老婆は薄気味悪い笑いをして音無の質問から逃げよう逃げようとした。
『おい、清姫どん、言うたら善エじゃないか、この先生も矢張り日高奥のお方じゃよ。』男は叱るように言った。
『ヘヘヘ嘘ばアかり……また私を欺すんじゃろう。チョッコラその手にゃア乗らんのう私らア。』
『嘘を言うもんか……』男はチェッと舌打をした。音無は少し身体を屈めるようにして洞の中に上半身を入れながら、
『婆アさんは寒川村のお清さんじゃろう。長志という家に居った……』
『違うのう、ヘヘヘヘ』相変らず苦笑いをしていた。しかし長志と云った時、老婆の眼の色が異常に輝いたので、音無はいよいよそうだと断定する事が出来た。
『お婆アさん、僕はあんたと話して見たい事があるんだから、また此所へ来ますよ。それからネ、あの晩雅楼へ……田原さんの晩雅楼へお出でなさい、明日の晩は彼所でお話しがあるから……』
『そうかのう、私らアもう、あんた方の話を聴いたて何にもなるんじゃア無いし……』
『そんな事を言うもんじゃア無い、婆アさん!』と男は窘めるように言って、『私が伴れてって上げるよ。』
安珍は傍から『有難うございます。』と言ってペコペコと頭を下げた。
『私も行きます。宜しゅうございましょう?』と最前から黙って坐っていた老人は嗄れた声で言った。
『宜しいとも、爹さん! この婆アさんと御一緒にお出で下さい。』
音無は後の洞穴は見ないで『有難うございました。』と男に言残して、サッサと元来た路の方へ取って返した。男は『左様なら。』と云って洞の前に其儘立って居たが、音無が芝生の所へ来て振返って見た時、男は腰を屈めて両手を膝頭に突いてマダ何だか話し込んでいるようであった。
雑木林の蔭に入って路傍の石に腰を掛けた音無は青葉隠れにキラキラ光る海を見ながら自分の子供時代の事を追憶してみた。
頭の真中を二銭銅貨程の大きさに剃り抜いて、周囲を輪に描いた河童のような罌粟坊主にした信次は『さア此所から見とってやるさか独りで行けよ。何にもオトロシイ物は居りゃアせんさか……』と叔母のお熊に言われて、御用の多和という丘から棕梠畑の中にある細路へポツポツと藁草履を引摺りながら入って行った朝な朝なの自分の姿がありありと見えた。
夏の朝だった。信次=音無の名=は、お熊を見返り見返り淋しい薄暗い路を唯ッた一人で歩いていると、下手の大きな柿の樹の所から、棕梠の葉を動かしながら一人の男が上って来た。男はヒョイと信次の方を見た。信次はその男の顔を知らなかった。
『おう、信じゃないか、音無の信次じゃろう、坊は?』
『はア。』信次は恐々答えた。
『学校へ行くんか、えらいなア。』
『……』信次は男の顔を見上げた。
『信! 俺を知っとるかい?』
『知らん……』
『おれは与助じゃ、学校から帰んだら、祖父さんに与助に出逢うたと言えよ。』男は腰の煙草容から二銭銅貨を二つ取出して信次にくれた。そして『俺は今お前の朋輩の孫四郎ン所に居るさか、遊びに来いよ。』と言い足した。
信次は夕方学校から帰ってその二銭銅貨を祖父さんの与兵衛に渡しながら今朝の出来事を詳しく話したのであった。其時始めて信次は産れ落ちると直ぐ暫くの間与助という彼の丈の短い口の大きなゴト蟇に似た男の所へ貰われて行ったという事件が自分の歴史の一部分になっているのだという事を知った。
与助は其後度々信次に一銭二銭の小使をくれた。 信次は与助の家へ行って其所の孫四郎=与助の兄の子=と朝から晩まで遊んだ事もあった。
信次はこの与助がお鶴という妻を置去りにしてお清という女と手に手を取って大和の十津川へ逃げて五六年も帰って来ないうちに、お鶴が狂人になって死んだのだという事を、誰に聞くとも無く聞いて知っていた。のみならずそのお鶴が信次を抱いて『こりゃア私の子じゃア。』と言って村の誰彼に見せびらかしたという話も聞いていた。だから信次は子供心に、お清を悪い女だと思いつめていた。
ある日孫四郎と二人で山から花を採って帰ると、お清は死物狂いになってきゃアきゃアと泣いていた。孫四郎の父親や母親がヤアヤア言って仲裁して居た。鼻を紅くして眼に涙さえ浮べて顫えていた与助が、『何を吐しくさるんなら、此奴メ!』と言って平手でお清の頰ぺたを思い切りぴしゃり! と打ん殴った。頭体の大きいお清は散ぱら髪になって与助に武者振りついた。そして与助は組敷かれて囲炉裏の縁で頭をゴツゴツと小衝かれた。家の中には恐ろしい混乱の空気が充ち溢れた。
信次は産れて初めて大人の喧嘩というものを見たので、ホロホロ涙を流しながら後をも見ずに家へ逃げて帰ったのであった。そして其後も時々この喧嘩を想い出して、自分がもしも今に彼様な夫婦をお父さん、お母アさんと言わねばならないのであったら如何しよう? というような事を考えて見た事もあった。
その大喧嘩の後で間も無く与助夫婦は何所かへ行ってしまって村へは帰って来なかったのであった。
『自分の本籍、それは与助の子となっている。あのお清が与助の妻なら、取りも直さず自分は彼の女を母だと言わねばならない事になる。彼の女は自分の事をちっとも知らないだろうが。』
こう思った時音無は何だか言い知れない悲しさに襲われた。眤と眼を閉じていると大きな黒い手が闇の中から現われて牧師のガウンを引剝いで、そして乞食の襤褸を被せに来るように感じた。
『襤褸で宜い、襤褸を着て乞食に伝道するのが僕の使命かも知れない!』と心の中で叫んでふと眼を開けると四辺がキラキラとして眼が眩むように感じた。
『乞食の子! 乞食の子!』と音無は呟くように言って起上ったが、一二間蹌踉くように歩いて『もし自分が乞食の群に入ったなら?』という気分が頗る真面目に心の何所かに閃いた。それと同時に彼は天幕の中で竈の前に慎ましやかに坐っていた円顔の色の白い乞食の娘を心の中で明瞭と見た。
『馬鹿な! どうかしている?』音無は憤激したように洋杖で路傍の雑木の枝を思い切り殴った。小指程の小い枝が白い肉を見せながら幹から引裂かれてブラブラとぶら下った。
『そうだ乞食も一つの商売だ、光明遍照十方世界! 何と大きな言葉じゃないか。まるで宇宙を包む程の言葉だ。こんな立派な言葉を唱えながら人の門に立って一握りの米、五厘銅一つを貰うのが乞食なら、愛だの慈悲だのと説教して米国ミションから金を貰うのも乞食だ。金襴の袈裟法衣で檀家から金を集めるのも乞食、皆な乞食だ。襤褸を着るか金ピカを着るかの相違だ。乞食々々! 皆な乞食!』
こんな事を思いながら田圃の所まで上って来た音無は振返って雑木林の方を見た。それは孝行だといわれる乞食の娘が其所へ上って来るのでは無いかというような薄い期待があったからであった。しかし何とは無く急に気恥かしくなって洋杖を無闇に振廻しながら坂路を駈け降りた。
墓場の所から車道へ出て町の方へと急いで歩いて居ると、左手の小さい丘の上から『おうーイ。』と呼ぶ者があった。見れば妙な印度人の着物のようなものを着て居る田原であった。『来給え、その畑の所から上って来給え、車の置いてある所から……』
『はア、参ります。』音無は急いで丘の上に駈け上った。其所には小い家があって縁側に五十恰好な男と田原とが腰を掛けて話していた。家の後には細長い牛小屋があって、大きな牛や小い牛が閂の間から四五疋頭を突出していた。
『何所へ行って来ました?』田原はニコニコ笑いながら訊いた。
『御手洗の浜へ……』
『いい景色だろう?』
『景色も宜いですが……今日は彼所の洞穴に居る連中と話して見たいと思いましてネ。』
『彼所には切目という面白い乞食の親方が居るよ。』
『名前は聞きませんでしたが、その親方に逢って種々と聞いて来ました。』
『あれはなかなか面白い男だよ……』と云いながら田原は立って主人の方を振向いて、『久保君、このお方が音無君……今度教会へ来た牧師です。』と言って、音無を紹介しながら、『音無君、久保君も洗礼を受けた事のある人です。am じゃア無くッて was の方だよ。もう卒業したんじゃネ。』
田原は無邪気に笑った。久保は眼の縁に小皺を一杯寄せながら、『耶蘇教会も学校のようなもんですから、卒業するのが当然ですネ。私らももう教会へは出ませんが洗礼を受けたという事はどうしても忘れません。それに耶蘇教のお蔭を蒙った事は死んでも忘れられん程沢山ありますから……亜米利加で山へ樹を伐りに行って居た時、ストライキが起って我々日本人はストライキの仲間へは入られず、と云って働きはならず生命からがらに山を逃げ出した時、何度も何度も土人に殺されると思う恐ろしい事に出会しましたが、何とかいう小い町へ=もう名も忘れてしまったが=出て来た時、救世軍が太鼓を打いて軍歌を歌って居るのを聞いた時私は思わず『サルベー……サルベー……』と云って友達の腕を摑んでこう揺りましたよ。』久保は両手で物を摑んで振る真似をした。
『ふん、それから如何したのかネ。』田原は笑いながら聞いた。
『もうサルベーションに出逢ったら生命は大丈夫だと思って、その士官に理由を……変梃な英語で話すと早速その町の鑵詰商へ世話をしてくれましてネ。其所には支那人が三十人ばかり居ました。私はとにかく其所で世話になる事になって入り込んだが、其時は基督教の有難サ……耶蘇の力というものを本当に見ましたネ。』
音無は久保の話をも大変興ある話だと思った。『そうですか……』と云って考え込むように俯向いた時、自分が神学校で習って来た弁証論だとか汎神論だとか一神論だとかいうものが果して実地の伝道にどれだけの遣い途があるだろうかと思わざるを得なかった。今日浜で出会った乞食の親方でもこの牛乳屋の久保でも確かに実際の世間を見て来た人だ。そして生きた神学や哲学を握って居る。こんな連中に我々の説教が何の効果があろう? などと考えた。
二人は牛乳一合ずつ御馳走になった。久保が自分で焼いたのだと言って、いろんな形した大きなビスケットを出して来た。三人は四方山の話を三十分ばかりもしたが、田原と音無とはやがて其所を辞して紅々と権現山の上に美しい光りを投げて居る夕映を見ながら丘を降りた。
『おうい、先へ行って中学校の所で待って居てくれ、其所まで歩くから……』田原は丘の中程から大きな声で呼んだ。車屋は二つ三つ叩頭をしてゴロゴロと空車を曳きながら中学校の方へ行った。
音無は途々今日の出来事を詳しく田原に語った。黙って聞いて居た田原は立停って、
『しかしそれはホンの戸籍面にその与助という者の名が書かれてあるだけで、親でも子でも何でも無いじゃないか、況してその後妻というのは君と何の関係も無い閼伽の他人じゃないか。』と慰むるように言って音無の顔を覗き込んだ。
『それは勿論他人です。私は彼の老婆を母親だと云って救わねばならぬと思うのではありませんが、とにかく奇遇でしたから随分私の魂は脅かされました。』
『それはそうだろう。しかし君のような其様な尊い境遇と経験とを有って居てこそ、⦅我が母我が兄弟とは誰ぞや!⦆という言葉の意味が本当に理解出来るんだネ。』
『私も最前からそう思いました。我が父我が母? それは⦅誰ぞや?⦆という大きな疑問に包まれたものです。』
『そうすると君は君の父親を知らないんですネ。』
『いいえ、知っています。父だ子だとは名乗らないが人間はようく知って居ます。しかし全然何の関係もありませんナ。寧ろ私の敵です。』音無の言葉は捨撥のように強かった。
『敵? それは如何いう理由で?』
『私の母に私という者を孕まして置いて足を挙げて蹴散らかして逃げたんでしょう。母は其後どの位い私というものの為めに人知れず苦しんだか知れません、母は子を産んだのでは無くって恥を産んだのです。私は七八ツの時、母と小梅という=同じく私生児を産んだ=女と二人の会話を聞いた事がありました。母はどうかして私を血の塊のまま流し出そうとして焦慮ったらしい。高い石垣の上から跳んでも見たらしい。唐辛を煎じて死ぬような思いでそれを飲んでも見たらしい。しかし何の因果か私というものは母の胎内を離れないでグングン成長きくなって達者で出て来たんでしょう。恥辱の塊が産れて来たんです。こうして産んで貰った子供でも親に対して御恩があるんでしょうか……』
『それはまア、産んだのが親か、養ったのが親かという問題から解決しなけりゃア解らない大問題だよ。』
『そうですそうです……』と音無は頻りに軽く点頭いた。
『先生! これからどちらへ?』と掛茶屋にいた車夫が突如に言ったので、田原は喫驚したように、『おう、其所に居たんか、これから一寸熊野地の晩雅楼まで行ってくれ、直ぐ用事は済むんだから……』と言って車に乗りながら、『では音無君失敬します。明晩は晩雅楼で説教して下さい。相手を乞食だと思わずに、最前の話のように、ああいう商売人だと思って説教してくれ給え……』
田原の車を見送っていた音無はコツリコツリと歩き出したが、何だか頭の中に重い冷たい石でも容れられたようで直ぐ牧師館に帰る気になれなかったから、ツイ畑途を通って時子の家の前に出て行った。
空想
音無は久し振で時子を訪問した。
『マア暫くでしたワネ、さア何卒お上り下さいまし、たッた今田原さんが俥の上からお声をかけて下さいましたのよ。私其時何だか貴方のお出でになるような予感がありましたの、久し振でまた文学談でも承りましょう。』
『近頃は文学談でもありません。文学よりも、もっと私には研究しなきゃアならない問題がありますから。』
『社会問題でしょう。』
『まア其様なもんですなア。モーゼがどうだの、エリヤがこうだのと言ってばかり居たって詰らないですからね。』
『本当ですワ、血の出るような生きた間題が目の前に沢山あるのですからネ。』
『そうですよ、社会を知らず人間を知らないで伝道も何も出来るものですか。』
『私もそう思いますワ。だから私、小説を読むのよ。』
音無は無遠慮にももう玄関へ上っていた。
『さア何卒お二階へ……何卒お先へ……』
時子は両手の指を胸の所で組合せて少し身体を後の方へ反して嫣然と笑った。音無の頭には最前の乞食の娘が判然と見えて来た。そして乞食の娘に較べて何という時子の美しさだろう? と思った。しかしそれと同時に時子のキラキラした髪飾り、指に光っているダイヤ入の指環などが一種の軽蔑の資料ともなった。
『さ、お掛け下さいまし、今日は何地へ? 御訪問?』
『いいえ、御手洗の浜へ山窩の連中を訪問しました……。』
『山窩? あの物乞いでしょう。』
『そうです。大変面白い話も不思議な話もありましたよ。』
『そう? どんな不思議なお話? ゴーリキーの小説に出て来るチェルカッシュのような人? でなきゃアイブセンのブランドの中に出る Gerd のような娘?』
音無は俯向いて黙っていた。時子は甘えるように肩を揺ぶりながら、
『どうして黙ってらッしゃるの? 面白いお話ッて如何なお話? 言って頂戴よウ。』と言って雪のように白い手を机の上に伸して白魚のような可愛い指尖をピクピクと動かした。音無の頭では小い三畳敷の乞食小屋―継々の天幕⦅しかもその横になったり縦になったりした縞や綛が目に残って居る⦆焚火で真黒く煤びた岩穴其様な汚ない場所から突然こんな美しい部屋、しかも総ての男性を悩殺せねば置かないというような美しい愛嬌のある時子の前に拉れて来られた自分を怪まずには居られなかった。それは余りに激しい変遷であったから。
『音無さん、あなた大変悄れて居らっしゃるワ、御気分でもお悪くッて? どうして其様なに黙ってらッしゃるの?』
『いいえ、どうもしないです。一寸外の事を考えていましたのです。失敬しました。さ、文学談でも承りましょう、謹聴します。』
『何です? 其様なに俄かに乾燥ぎなすッて……』時子は滴るような愛嬌を見せながら、『音無さん、あなたは誰の小説が一等お好きですか。』
『僕は矢張りツルゲーネフだネ。貴女は?』
『私? 私はゴーリキーなの、牧師さんには叱られるか知らないけれど、本当にゴーリキーが好きなの、小説ッて云うより寧ろ論文でしょう。私なんかにはカール、マルクスの資本論なんか読む根気がありませんから、ゴーリキーの小説をマルクシズムだと思って読んで居ますの、本当に面白いですワ。だけど私、ゴーリキーを唯物論者だとは思いませんのよ。』
『そりゃア宿命的の唯物論者が社会組織を呪うという所に論理的の矛盾はあるでしょうが……』
『もう宜いの、もう議論は御免下さい。マルクスだのキャピタリズムだのを持出した私が悪かったのです。生意気に一寸其様な事を言って見たのよ、御免下さいネ。……私、今日あのテレサとポレスの話を読んで本当に感心してしまったの。』
『どんな点に感心なすったのですか。』音無は気乗りのしないような返事をした。
『テレサは世間に対手にしてくれるものが無いので、ポレスという空想の恋人を構えて、その男に宛てた優しい文句の恋文を隣の部屋に居る書生さんに代筆して貰って、それが恋人の所に届いたと空想して満足しているのよ。そして今度はその恋人ポレスから自分に宛てて甘い文句の返事が来ると空想するのです。そしてその空想の返事をまた同じ書生さんに代筆して貰って、ホロホロ泣くんですワ。憐れなテレサは自分の頭の中に美しい優しい可愛いテレサを作り、ポレスという優男をを自分の頭で造って、そして理想の恋を味ったのですワ。私、本当にテレサに同情しましたのよ。』
『面白い話です、畢竟第二の自己が第三の自己を恋するのですネ。』
『世間の多くの人達、大抵の夫婦と云うものは殆どそうですワ。互に理想の夫、理想の妻を空に描いて、そして現実の似ても似つかない者を愛したり恋したりしてるのですワ。私の知った人にこんなお方があるの、それは御自分の作った和歌を奥さんのお名前で新聞へ投書して、その和歌が新聞へ載ったのを読む刹那だけ、自分の妻もこういう歌人であるという幸福を味うのです。今一人のお方は亡くなった奥様の事を世にも稀なる賢婦人であったかのように書き立ててそれを変名で新聞へ投書して、それが掲載されたのを読んでは追憶の中に亡くなった奥様を愛して愛してホロホロと泣きなさるのですワ。だってそのお二人共に会ってお話してみるとそれはそれは本当に優しい善人ですの、ゼントルマンよ。つまりその人達は詩人や賢婦人を奥様に有ちたかったのでしょうが、それが実現しなかったので、空想の奥様を心の中に創造なすッて、和歌は詠めなくッても実際賢婦人で無くッてと現在の奥様を理想化していなさるんですワ。⦅秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ……⦆ッて歌ガルタの文句を口吟みなすッても、それが⦅……君がうなじを捲かんには余りに細きわが腕かな⦆ッて云うように聞えるんですワ。金色夜叉や不如帰を仮字を辿って読んでいても、それがクロイチェル・ソナタやウェルテルの悲しみを読んで居るように見えるんですワ。だけど私、其様な詩人肌の人をちっとも軽蔑しませんワ。実際身も心も美しい立派な奥様を、奴隷か玩弄物かのように思ったり、御自分の肉を満足せしむる機械になさる人達よりも、こんなお方の方が百倍千倍高尚ですワ。私、其様な人達を尊敬しますの。。』
音無は何時の間にか時子の話に釣込まれてしまって、『こりゃ面白い、自分の頭で勝手に優しいの可愛いのと決めてるんですネ。』と言った。
『だッて音無さん、そうじゃア無くッて? 私共は矢張り空想の人を愛する程度で満足しなけりゃアなりませんワ。夫婦は一体なりッて聖書にも書いてはありますが、元々別々の人間ですもの、それが一つになれるなんて思うのは迷信でしょう。いとしい可愛いッて他を愛して居る心算でも、それは矢張り⦅こんなに優しい人だの、あんなに可愛い人だの⦆ッて御自分の頭で空想して作り上げた空想の他を愛してるんですワ。矢張り対照は空想よ。客観的に実在してる当人と、空想してる人とは似ても似付かぬ別の人かも知れませんワ。』
音無は時子の議論に一理あると思ったから黙って点頭いた。
『だから私、すっかりテレサに同情してしまったの、ネ、音無さん、聞いて下さいましヨ、私はこう思ってるの、……どうせ人間の恋ッてものは空想で愛し合ってるんですから、私、もう一生結婚なんかしないで、心ゆくばかりに恋の甘さを味って見たいの。』
時子は机に身を投げかけるようにして、両手を前の方に伸して組合した指を上に下に動しながら顔を左の肩先に押付けるようにして可愛いパッチリした眼で音無をじっと見た。音無は恍惚として時子を見詰めていたが、ふと自分の体内を恐ろしい強烈な焰が風に煽られて燃え広ごっているのを知った。
『恋の甘さを味うッて?』こう云って音無は両手で軽く机を打いて自己の道徳心を呼醒そうとした。
『こんな理屈ッぽい事は言っても、矢張り女ですもの、本当の恋がして見たいの、肉を離れた清い清い霊と霊とが鎔け合って……』
時子は急に耳朶を紅くして俯向いた。
『時子さん、貴女は其様な事を真面目に思ってらッしゃるのですか。』
音無は心を引締めながらこう言って口を一文字に堅く結んだ。其時彼の心には自分は牧師であるという用心の楯を持ち出していた。
『えエ、本当にそう思ってますワ。』
『時子さん、それこそ大変な空想です、清い心と心とが鎔け合って一つになるなんて其様な事が出来るものですか。』と音無は言葉に力を籠めて、「肉を離れて其様な事が……。』と言ったがその語尾は少しく顫えて居た。
『出来ると思いますワ。私の今有っているこの清い処女の心と、肉から離れた清い童貞の心とを一致させる事が出来ない筈はありませんワ。私は女に対して処女の心を出来るだけ長く長く持続けて居て欲しいと思うと同時に、男に対しても矢張り童貞の心を一日でも多く有たして置きたいのですワ。』
『すると、あなたは天下の青年を挙げて悉く、比丘比丘尼にしてしまおうと思ってるんですネ。』
『いいえ、違いますワ。昔の宗教家は人間本性の愛情を無視して滴るような人間の心を無残にも干乾にしてしまおうとしました。其様な事を私は思やしません。男でも女でも思う存分に愛の翼を拡げて清い清い恋を漁るのが本当です。けれども恋と性慾とを一つにするのは間違いです。ですから愛情が誤解されるのですワ。』
『すると貴女は性慾を汚れたものと思っているのですナ。』
『悲惨だと思いますワ、私達の生活には悲惨を少くしなければなりません。』
『では人類が滅亡するじゃありませんか。』
『えエ、その御質問は当然ですワ。しかし私、常も考えていますの、女という女で本当にあの恐ろしい出産という苦痛を意識して、そして子を産みたいという願望から性慾を肯定する人が何人あるでしょう。私、本当にそう思うのです、人間は子を産みたいという希望に基く性慾以外の交りはそれは皆な無意味です。子を欲しくない、子を産む事を恐れる人が肉慾を肯定するのは矛盾です。世間の女が子を産んで行く、五人十人子を産んでいる女は皆な女の意志で、その子を欲しくって産んだのでしょうか。恐ろしくッて嫌で堪らないのを、強いて強いて男に産まされたのじゃないでしょうか。男の腕力は女を圧服する為にのみ用いられているのではありませんでしょうか。男ってものは皆な暴君です。童貞を捨ててしまうともう愛も恋も無くなって肉ばかりになってしまいます。私なんかも亡くなった夫とは熱烈な恋をしました。けれども本当に夫の優しかったのは結婚前でした。夫は長く学問ばかりして居たので本当に童貞の美しさを保存していました。しかし結婚して暫くすると全く暴君です。執拗くて我儘で、無作法で、性慾以外に何等の清いものを有たなくなりました。
ですけれども私は表面だけその暴君に屈従した風を見せて置いて処女の心を逃がさないように大事に大事に保護していました。ですから夫の死んだ時は……気の毒な話ですが……私は肉の圧迫から脱れた事を嬉しく思いました。夫が瀕死の重病に罹って肉体が衰弱し切った時にもう暴君が優しい優しい愛の人に変化していましたワ。ネ、音無さん、誤解なさらないでお聞き下さい。』
『あなたの御議論全体には賛成出来ませんが、男子が暴君だという一事だけは僕も承認します。』
こう言って音無は椅子を離れてわざと応揚に歩きながら壁の油絵を見に行った。
『音無さん、あなた、女の心を知ってらっして?』
『さア、知ってるか知っていないか、僕には解りませんナ。』
『あなたは、弱い女の私に心の奥底を吐出させながら、御自分ばかりは聖徒のような顔をなすって、勝誇って御帰りなさるんでしょう。口惜しいワ。私、本当に口惜しいワ。』
『どうして? 僕は貴女の愛の心を探りに来たのじゃありませんよ。勝誇って帰るなんて、飛んでもない。』
『いいえ、何とでも仰しゃい。どうせ私のようなお転婆は、ナオミさんのような温順しい熱心な信仰のあるお方には及びません。』
時子は廂髪のほつれを右の手で搔上げながら涙に濡れた眼鏡を直した。
『何を仰しゃる? ナオミさんと貴女とを較べてどうするんです?』
『お秘しなすったッて駄目です。学校時代には一緒にお芝居をなすった事をよく知ってます。それから貴方がナオミさんに対して、どんなに清い愛情を捧げてらッしゃるか、ナオミさんが如何に苦しんでいらっしゃるか、私ようく存じています。お秘しなすッたって駄目ですよ。』
音無は俄に沈鬱な顔をして俯向きつつじっと机の上を眺めていた。
『私、本当に貴方に同情しますワ。』時子は急に勝誇ったような顔で、『ナオミさんは大伴堅爾さんと御結婚なさるの、亡くなったお兄様の御遺言でネ、貴方その事を御存知? 御存知ないでしょう。ナオミさんの此頃のおやつれにお気が付かなくッて?』
『本当にナオミさんは結婚するのですか。』と音無は俄かに言葉を和げ、『其様な話がありましたか。』
『そら、御覧なさい。御心配でしょう。』と時子は嵩に掛って、いよいよ勝誇った顔をした。
『そりゃアナオミさんだって、マダ気心を十分知り合わない堅爾さんとオイソレと結婚なさるお気にはなれますまい。ですから私同情しますワナオミさんにも貴方にも。』
音無は黙然として腕を組んだ。
『音無さん、貴方は幸福ネ、仮令んばナオミさんが堅爾さんと結婚なさるにしても、貴方という愛を捨てる為めにあんなにおやつれなすったんでしょう。私なんか口にこそ理想の恋なんて云っていても、本当に私を愛して下さる対手が見付からないのよ。矢張りテレサのように空想の恋人でも構えて空想を楽しむ外仕方が無い憐れな境遇なのよ。』
時子はしげしげと音無の顔を見たが音無はまだ無言でいた。
『音無さん、先刻から失礼な事ばッかり申しましたワネ、お気に障えないで下さいまし。』
『いや、有難う。時子さん、僕も種々苦労をしました。私生児に生れた上に一家が没落して労働者の群に入ったり居候になったりして物心付いてから二十年あまり、一日だって面白い日影を歩いた事はありません。酒も飲んで見た。博奕も打って見た。口で言えないような罪悪も散々犯しました。そうした揚句の果の宗教呼わりですもの、今更恋を失うの愛を見失うのと、其様な事はもう僕には問題じゃアありません。』
『では貴方は其様な問題には、超然としておいでなさるの?』
『そうではありません。私だって、あなたにそう云われてみれば、そりゃあナオミさんを心の中で愛して居ましたのでしょう。私はナオミさんと一緒に祈る時、神の愛を感じる事より優しいナオミさんと一所に居るという事の喜びが遙かに大きいと思った事もありました。それを恋と言えば恋だとも言えましょう。』
『では音無さん、ナオミさんを堅爾さんと結婚させて上げなさる?』
『もしそうなれば非常な幸福だと思います。』
『あなたはその結婚式をよく御司会しなさる? あなた御自身で……』
『それは出来ますとも。』
『本当にそれがお出来?』
『えエ、出来ますとも、僕はそういう運命を甘んじて受けます。』
『では音無さん、仮りにナオミさんよりも十倍百倍増した愛を貴方に捧げるものがここに居るとしたなら……其時は音無さん、貴方、どうなさいます?』
『僕だッて血のある人間です。』
『貴方が? 血のある人間? 私だって矢張り血のある人間ですワ。』
『僕は殊に野性の強い男です。僕は時々本当に下らない人間になってしまいます。けれども自分と自分を叱って鞭って宗教に引摺られて神に追立てられて、やっとの事で阻路をも踏外さず、渓間にも落こちないでここまで漕ぎ着けたのです。世間の人は僕を偽悪者だと云う。しかし僕は本当の悪人かも知れません。悪人が善人になろうと悶えているのかも知れません。僕は根が頗る弱い男なんです。一歩踏み外すと大変な事になる危険な男なんです。ですから時子さん、あなたは僕の内に潜んで居る野性を呼起さないで置いて下さい。僕は高壇で説教しながら、しかも愛する者と心中しかねない男なんです。僕は野性の強い男なんです。ナオミさんもそれはようく知って居て下さいます。ナオミさんと僕と二人で麻布の広尾附近を散歩した時、ナオミさんは僕を野性の強い男だとそれとなく言われました。それから僕と話していると『肉薄して来るようだ』とも言いました。僕は其時ナオミさんが僕の心をようく見抜いているのを小面憎く思いました。しかし天下に……天下に僕の心を本当にようく見抜いてくれる人が僕の真の友ですからね。』
『では、音無さん、もし私がナオミさん以上に貴方という者を理解して居るとしたなら、貴方はどうなさいます?』
音無は眼を閉じて俯向いた。二分三分五分と沈黙が続いた後に、ツと座を立って、
『イヤ、お邪魔致しました。ではまた……』と故さら沈着を装いながら室を出た。時子は沈んだ調子で、
『音無さん!』
『何ですか。』
『今晩の会話は秘密にして下さるでしょうね。』
『勿論!』
『左様なら、これで失礼してよ。』
時子は机にもたれて俯向いて終った。音無は段梯子の所まで来て暫らく躊躇ったが、ふッと気を変えて俄かに急ぎ足でトントンと下へ降りて行った。
謝絶
降り続いた雨がまだ晴れない。空模様が悪いので、川原の仮家に居る人たちは簑笠で荷物を運んでいる。お常と須基子が縁側の欄干にもたれて往交う人々を眺めていると、お末が来て、
『田原先生がお見えになりました。』
『そう、何卒こちらへ。それからナオミ先生に一寸ここへお出で下さるように……須基子さん、あんたはお部屋へ行ってらっしゃい。』
須基子とお末が引退ってから間も無く田原とナオミとは何か話しながら座敷へ入って来た。
『やあ今日は、雨続きで困りますナ。暫く御無沙汰しました。』
『今日はまたわざわざ御呼立致しまして誠に済みません。』とお常は田原に挨拶しつつナオミをじろりと見、『ナオミさん、今日はあの話を決めてしまいたいと思ってわざわざ先生に来て戴いたんですから、あなたも御腹蔵無く仰しゃって下さいましヨ。』
ナオミは顔を紅くして俯向いた。田原は手帳を取出して、
『では御隠居、順々に片付けてしまいましょう。考えて置くの相談するのッて云いッこなしに、ずんずん解決して行きましょう。』
『そう致しましょう、お互いに気心を知合った同士ですからネ。』
『ナオミさん、』と田原は言葉を更めて、『度々申上げた事だが堅爾さんとの結婚一条はマダ御決心が付きませんかネ。』
『私、いろいろと考えましたが、』とナオミは言葉静かに、『矢張り御断り致した方が双方の為宜しいかと存じます、どうぞ悪しからず。』
『そうですか。』と田原は当惑したような顔をして、『あなたが、お気が進まないなら已むを得ません。しかし堅爾君とあなたとが、須基子さんの後見になって下されば大伴家の為にも太地家の為にも幸福ですがなア。』
『私も今まで御世話になったんですから、そうなるのが順当ですが、この事だけは我儘のようでございますが、私の理性で決めさせて下さいまし。』
お常は膝に置いた手を揉合せながら二人の会話に耳を傾けて居たが、
『こればッかりはネ、仰しゃる通り強ッてとは願えませんが、もしこの縁談が纏らないとなると、堅爾が如何な自暴を起すまいものでもないと、私はそれを頻りに心配致して居りますので……出来る事ならネエ……』
『再考の余地はありませんかネ。』と田原は気の毒そうにお常の顔を見た眼を外らして、ナオミを振向いた。ナオミは首を垂れて暫く無言で居たが、
『十分熟考してから申上げたのでございます。』とキッパリ言切った。
『じゃア、どうも仕方が無い。この話はとにかく打切りましょう。』
お常は俯向いたまま黙っていた。田原は平生の笑顔も見せずに、『第二の問題は、ナオミさん、あなたの将来です。この縁談を謝絶なすッてもこの家を出てしまうお考えじゃア無いでしょうネ。』
『須基子さんの教育とこの縁談とは別問題でございます。私の我儘な御挨拶を皆さんが許して下さるなら、私は無論須基子さんが御結婚なさるまで教育して見たいのでございます。この点に就いても私はいろいろと考えました。』
『それで私も安心しました。』とお常は吻と安心したらしく、『私はそれを心配していましたのでこんな事で気拙くなって万一にも貴女がこの家を出るとでも仰しゃッたら、あんなにお慕い申している須基子が如何なるかと思って……』とそっと片袖で涙を拭いた。
『有難う、利雄君の霊も喜んで居ましょう。』と田原が言った時、須基子が駈け込んで来て、
『先生、先生は東京へ御帰りなさるッて、本当? ネ、先生、私、どうしよう。』と眼を涙を一杯溜めてナオミにもたれ掛った。
『須基子や、先生は何所へも行らッしゃりゃアしないよ。何時までも家に居て下さるからネ安心しておいで。』とお常は涙片手に言った。
『須ちゃん、私は何所へも往かないのよ、何時までも何時までもここに居ますワ。』
ナオミは緊と須基子を抱えて熱い涙をハラハラと零した。
『須基子さん、大丈夫です。』と田原は賺すように、『ナオミ先生がどうしてあなたを捨てて東京へ帰られるもんですか。』
『ナオミ先生が東京へ行らっしゃるなんて誰に聞いたの?』とお常は故と笑顔を見せた。
『お末が言ったの。』
『仕様が無いね、末は調戯ったのだよ。今ネ、先生は御用があるんだからネ、あんたは安心してもう少しあっちへ行ってらッしゃい。』
『須うちゃん。』とナオミもわざと沈着ついた風をして、『あなたの心配なさるようなお話はしないのですからネ、御用の済む間ちいッとあっちへ行ってらッしゃい。直き済みますからネ。』
須基子は渋々襖の外へ出て行った。その軽い跫音が廊下の彼方へ消えてしまったと思う頃、田原は元気な声で、『さ、次に移りましょう。』と調子を更め、
『第三は太地家の財産問題です。現在の貯金三十一万二千円の内、十万円を大伴堅爾君に、二十万円を太地須基子さんに、それから一万二千円を太地常の名義にして据置貯金とし、その利子は古座ナオミさんの月給として差上げる事、そうでしたなア、御隠居。』
『はい左様でございます。』
『第四は太地常の名義にしてある貯金を、最後如何処分するかという問題です。』
『つまり、私が死んだ時の問題ですネ。』
『まアそうですネ、手取り早く言えば。』
『それはこう致しましょう。もう今から古座ナオミの名義で貯金して置きましょう。』
『そうですか、それが出来れば何よりですが……』
『えエ、そう致して置きます。そうなるとその利子を御随意に御使い下さるように。』
『では、そう決めましょう。』と田原は手帳へその通りを記入した。
『それでは田原さん、この約束は公正証書にでも……』
お常の言葉の終らないうちに、田原は頭を掉りながら、
『必要はありません。知らぬ他人のお役人に証明して貰わねばならぬような約束なら、約束しないが宜いです。』と言って手帳を懐に納れながら。『まずこれで総て落着った。堅爾君には今晩詳しく話して置きましょう。では僕は失敬します。』
『有難うございました。では私も二三日中に堅爾を伴れて二三ヶ月京大阪を見物して来ましょう。久し振りで浜松の方へも墓参りに行って来ましょう。何から何まで御厄介をかけまして、お蔭で私も安心致しました。』
お常が丁寧に頭を下げた時、田原はもう起上って襖の引手へ手を掛けて居た。
お常とナオミが田原を玄関まで送り出した時、丁度時子が尋ねて来て玄関に立っていた。
『やア、時子さんか。』と田原は靴脱の上に立って『此間は失礼致しました。随分文学談が盛んでしたでしょうね。』
『えエ、』と時子は何時になく沈欝な顔をして平日のようにハキハキした返事をしなかった。
田原が帰ると、時子はナオミの部屋へ通された。
『暫く御無沙汰致しましたワネ。』
『私こそ。』
『あなたは御用がおありですが、私は遊んでばかり居るくせに御無沙汰ばかりして。』
時子はそう言いつつナオミの顔を凝然と見つめて、『鳥渡の間に大変お痩せになったワネ。』
『そう? 其様な事ア無いワ。』
『いいえ、』となおもしげしげナオミの顔を見ながら、『知ってますワ、あの事で御心配なのでしょう?』
『心配て事もありませんが、義理がありますからネ。』
『どう決って?』
『きッぱり謝絶しましたの。』
『あの、大伴さんの方を?』
『え? 私には大伴さんの一件一つしかありませんワ、問題てのは。』
時子はさすがに周章てて、『そうですそうです、私の言い方が悪うございました。』と取繕うようにして、『だって、亡くなられた兄さんの御遺言だそうじゃありませんか。』
『誰が其様な事を申しました?』
『ようく知って居ますワ、誰から聞かなくッても……』
『遺言だとしても結婚ばかりは自分の理性を棄てて定める事は出来ませんからネ。よくよく考えた末、キッパリ断りました。』
『そう?』と言った時子の顔には冷やかな微笑が浮んだ。
二人の間にはちょっと沈黙が続いた。俯向いて膝の所を指先で弄っていたナオミは憶い出したように時子の顔を見上げて何か言い出そうとしたがまた急に黙ってしまった。それは二日前の晩に堅爾が時子の宅を訪問したらしい形跡のあった事を憶い出したからであった。遺言云々の出所はナオミに直ぐ了解出来た。
二日の旅
六月十八日の朝、お常と堅爾とは女中のお末を伴れて、京大阪見物に出掛けた。何時までに何所へ行かねばならぬという急ぎの旅で無いから、紀三井寺から根来、粉川から高野と気散じに二週間余りも経巡って、到頭伊勢の山田まで来た。
熊野の荒々しい男性的な海を見慣れたお常の眼には女性的な伊勢の海の平凡な景色が却って非常に気に入って、二見館の別荘の二室続きを借切って当分保養することに決めた。
七月の半頃であった、堅爾がふッと山田の町を散歩して居ると、『あら、大伴さん』と摺違った俥の上から声を掛けられた。
『やッ、時子さん?』
『まア、宜い所でお目に掛りましたワ。』
時子は俥から下りて銀貨を車夫に握らせながら『もう帰っても宜いよ。』と言い捨てて多分の車代にペコペコ叩頭する車夫を見向きもせずに、『まア嬉しい!』と堅爾の顔を見ながら少し首を傾げて心底から嬉しそうに嫣然した。
『昨日来たばかりなのよ。独りで淋しくッてネエ。』時子の声は甘えて居た。
『僕は淋しくは無いが退屈した。』
『おッ母さんと御一緒でしょう?』
『二見館にもう三週間も居るので、行く所が無くなってしまった。』
『毎日何をしてらッしゃるの? 海水浴?』
『いい加減黒いから、この上色上げする気にはなれませんや。』
『じゃア、何をして?』
『何にも仕事が無いから、二三日前から山田の町中をノッソリ歩いて、仕方が無しの標札調べをして居ると、面白いネ、長尾魯鈍馬て公証人がある。白髯長次、黒髪烏羽太夫てな素敵な名が発見されましたよ。今に伊勢甚宮というようなのが出て来るかも知れないですよ。』
『随分暢気だワネ。』
『仕方無しの暢気ですよ。で二三日中に京都の方へ出て行く心算なんです。』
『京都へ? 御用でもお有りなの?』
『米国で同じ学校に居た男が、京都で事業を創めるというので、一緒にやろうかとも思って居るのです。』
『そうですか、ではね、こうして下さいナ、私も京都の方へ行くのですから御一緒に伴れてッて下さいナ。今晩の終列車でお立ちにならない? ネ、そうして下さいナ。』
『さア、そうしても宜いネ。』
『まア嬉しい、一緒に行って下さる? あのね、此間の晩新宮でお話したあの続きのお話を致しますワ。』
『また文学談ですか一寸あれには閉口しましたよ。』
『だッて、貴方は文学がお好きだと仰しゃッたじゃありませんか。』
『文学は好いが、貴女のは御説教ですもの。処女主義とでも云うのかね、あなたのは。』
『えエ、イズムですワ。私のイズムですワ。まア其様な事はどうでも宜いでしょう。今晩伴れてッて下さるでしょう。ね、堅爾さん。』
二人は何時となく外宮の外まで伴れ立って来た。堅爾は立停って、
『ではこうしましょう、僕は二見館へ行って母にその事を言って仕度をして来ますから。』
『えエ、御待ちしていますワ、早く入らッしゃいネ。』
『お宿は?』
『この通りを真直ぐに行ったあの右側の瑞穂館、御承知でしょう?』
『ああ瑞穂館か、よく知っています、では後程伺います。』
堅爾は一町ばかり向うに客待をしている辻俥の所へ急いだ。
『きっとですよ、大伴さん。』時子は念を押して後から呼びかけた。
『そうそうあの時だッた。』と堅爾は独りで噴飯してしまった。
『何です? 可笑しな人ネ、想出し笑いなんかなすッて。』
『いや、こんな事があったんだよ、今から十二三年前の暑中休暇にネ、僕はこの宿へ泊って二三日遊んだが、いよいよ帰ろうと思って勘定をすると東京までの汽車賃が足りなくなったという騒ぎで、丁度七円ばかり不足だから、電報為替で金七円瑞穂館宛で送れという意味で『七デンカワタノムミヅホ』と字数を倹約した電報を打ったのです。所が返事が来ない。愚図々々するうちにまた勘定が殖えて来たので今度は長文の電報を打って十五円送って貰って東京へ帰ったのでした。後から母の手紙を読んで見ると、七の字が『ヒ』に間違っていたんだそうで、『ヒ殿下綿呑む三粒』と読んだから、サア解らない。加之差出人が解らぬと来ていたから、テッキリ誰かの悪戯だろうと思って、放擲かされたのだそうな。ヒ殿下綿呑む三粒は振ってるだろう。』堅爾は堪らぬように笑った。
『落し話ネ。』時子も顔を紅くして笑った。
二人は食事を済して縁側へ出ると其所に籐の長椅子があった。
『お懸けなさいナ堅ちゃん!』
『堅ちゃんは驚く、だが堅ちゃん時代は宜かったナ。』
『堅ちゃんは随分悪戯ッ児でしたのネ。』
『悪戯と云えば、あの頃、あなたの頭の後に五厘銅貨程のお禿があったね、今でも有りますか。』
『よく覚えて居ますネ。あのお禿じゃアドンナに虐められたでしょう。歌まで作って囃すんだもの。』
『そうそう何とかいう歌だッたけなア。』
『覚えてますワ。怨骨髄に徹してますからネ。ホラ煙草屋の良作さんて子と米屋の菊造さんて子がありましたネ、隣同士だもんだから毎朝誘い合って一緒に学校へ行ったんで挑かわれたんですネ。こうなのよその歌ッてのは――
時子に禿頭病
瘠子に蓮根
蓮の花いつ咲く
今日咲く良作
そう言うな
人皆なきく蔵!』
『あッはッはッ。』と堅爾は呵々と笑って、『感心によく覚えてますナ。だが、時というものは恐ろしいもんで其様なタワイも無い事を云った堅ちゃんがいやしくもバチェラア オヴ アグリカルチュアーでいらッしゃるから……』
『そうね、米国農学士でいらッしゃるワネ。敬意を表さなくちゃア。』
『敬意を表するは恐れ入る!』
『本当よ、敬意を表しますワ。振分髪のお友達が、名誉の学者におなりなすッたんだもの、私だッて面目ですワ。』
『もうもう冷かしッこなしなし。』と堅爾は手を振り振り『それよりは喉が渇いたから茶でも飲みたい。』
『ではシトロンでも吩咐けましょうか。』
『ビールが欲しいネ。』
『吩咐けましょう、本当に召上るなら……』
『飲んでも宜い?』
『御自由ですワ、召上れ。』
『貴女は僕がビーアを飲んでも僕を軽蔑なさらないですか。』
『其様な事があるものですか。』と時子はベルを押して麦酒と果物とを命じた。
『もう十一時過よ。』と湊町の停車場を出た時子は堅爾に対って云った。
『梅田の駅前に新築の宿屋があるから彼所へ泊ろう。』
二人が湊町から車を飛ばして梅田の青山旅館へ着いたのはもうかれこれ十二時過ぎであった。三階の八畳へ案内されると『堅爾さん』と時子は座に着くや否や、『此儘朝まで話しましょう、種々聴いて戴きたい事も、貴方からお聞きしたい事もあるから、緩り話しましょう、朝まで、ネ、堅爾さん。』
『だが、眠くは無い?』
『眠いたッて寝る事は出来ません。神様が見てらッしゃる。世間の誤解はちっとも構いませんが、お互い自己を誤っては不可んワ。』
『あなたの言ふ事は解らんナ、詰り如何しようと云うのです。』
『あなたの清い心と私の清い心と、霊と霊とが結びつけたいのよ。』
『では、僕が君の清い心を愛する、君が僕の美しい心を愛する。……それッきりかい。』
『それが愛のエクスタシイの絶頂じゃ無くッて? 聖フランチェスカとクララとのようにネ。』
『駄目々々、僕には出来ない。其様な、其様なセイント、ライキの所為は駄目、我々凡夫は霊肉一如の第三帝国に入らなけりゃア。』
『いいエ、違いますワ。』と時子は凛として、『肉の事を思うのは死です、破滅です。私だッて凡婦よ、凡婦ですけどそうは思いませんワ。私アこういう恋をして見たいの。私の火のように燃ゆるハートに対手の魂を包んでしまって、じいーッと抱緊めていると、男の方でも燎原の猛火のような熱愛を燃やして私の全身を焼尽そうと迫って来るというような熱烈な恋をして見たいのよ。男と女とが愛の火花を散らして、その心と心とが戦う所に本当の恋があるんですワ。私ネ、汽車の中であなたのお手を握ってましたでしょう。あの時あなたは堪え切れない思いを抱いていらしッたワネ。私だッてそうよ。Was not our heart burning within us. =我等の心燃えしに非ずや=エマオに旅した二人はお互いですワ。』
『あなたの言う事は僕には解らない。だが、貴女だッて僕だッて、肉から出来てる人間ですよ。其様な不可能な空想を歌ってる中に、お互を陥没させようとする肉慾の地震が恐ろしい地響を立てて襲って来ますよ。』
『そうですとも、その恐ろしい地震の響がもう私の心の底に聞えていますワ。だけども負けては不可ん、肉に堕ちた時はもう恋じゃアありません。厭ッ! 身慄いがしますワ、其様な悲惨な事……』
『何が悲惨なんです?』
『私、去年山羊が仔を産む所を見ましたの。知己の歯医者さんの所へ遊びに行ってると、裏の小屋から気味の悪い声が聞えるんでしょう。主人と私とは提灯を点けて行って見ました。すると藁の中に臥ている山羊が首だけ抬げて憐れな声で陣痛を訴えていましたが、暫くすると袋に包まれた仔が産れました。随分苦しがりましたが、でも産れると直ぐ袋を綺麗に舐めて、臍の緒を嚙んでから直ぐ自分の乳を自分でちゅッちゅッと吸って仔に飲ませる用意をしているのです。人間でも動物でも変りは無いと私は感心しました。所がそのうちに二度目のお産になったらつくづくと嫌になッちまいました。二度目のは倒児でしかも初めの子の二倍も育っていましたから、何度陣痛が来ても容易に産れないで、苦しんで悶えてやッとこさと産れた事はには産れたが、ああ嫌だ! 血がたらたら流れて……そりゃア見て居られませんでしたワ。三ツ目のも矢張り倒児でドンナに苦しみましたろう、私は⦅ああ悲惨だ! 何の為に?⦆とこう思いました。それだのに堅爾さん、牝がこんなに九死一生の苦みをしている傍に牡は知らアぬ顔して平気で、まるで自分の知った事じゃア無いというように楽々と寝て居るじゃアありませんか。私、男てものは全体こうした残酷なものだとつくづく知りましたワ。本当に腹が立って憎くなりましたワ。ネ、堅爾さん、恋の結果必ずこんな悲惨な苦みを見なきゃアならんものでしょうか。あんな獣にでも虫にでも存在するあんな汚い悲惨な残酷な行為が伴わなければ恋じゃア無いと云うなら、私は恋を呪います。恋! 神聖な清い恋は人間ばかりの有ってるものですワ。私はその神聖な清ウい恋に憧憬れているのです。あんな悲惨な非道な罪を犯さないで清い美しい恋に私の魂を捧げて見たいの。ネ、堅爾さん。あなたと私とたッた二人ッ切りで、あの権現の境内で椎の実を拾って、あの石段の所で小い石の凹みへそれを容れて、お餅搗をして遊んだ頃の、あの清ウい心、その心の進化した、情熱に燃えた恋が、今一度出来ない筈はありません。ネ、堅ちゃん!』
時子はトロンとした眼で堅爾の顔を凝然と見詰めて居たが、やがて両の眼には涙さえ鈍染んで来た。
二人は朝の七時に七条駅へ降りた。都ホテルの出張店で朝餐を済まし、駅前から蹴上行の電車に乗ってその終点で降りた。そして其所から途を訊き訊き比叡山へ登った。
時子は護謨草履を新聞紙に纏んだ上を手巾に包んで無垂下げ、茶店で買った草履を穿いて達者に歩いた。
渓を沿うて山又山を分登って行くと、一軒の堂とも茶店とも付かぬ家があって、七十ばかりの爺さんが薄汚ない箱に駄菓子を列べて番をしていた。
時子は煙草の焼穴だらけな毛氈をかけた床机に腰を卸しつつ額からダラダラ流れる汗を拭き拭き爺さんが汲んで出した茶渋だらけの茶碗を請取って、
『お爺さん、此家へ泊っているの?』
『いいえ、俺ア二十町下の里から巳の日だけ上って来るんです。先祖から弁天様への御奉公にこうして来ているのです。この茶釜を見さっしゃい寛永二年正月巳の日と書いてある。寛永二年と云やア三代将軍様時代で、今から二百四十五年前ですぜ。』
『そう二百四十五年も御奇特だワネ。』と時子は首筋の汗を拭きながら言った。
『世動寺の弁天様は巳の日が命日で、寅の日は毘沙門、土用の丑の日は鰻を食べる日で……』と老人はツベコベ饒舌って居たが、黙って扇子を使って居た堅爾は、
『行こうや、ぼつぼつ。』と云って牀机を離れた。時子は白銅一つをそっと盆の上に載せて置いて出て来た。
少し行くと小い天満宮の祠があって小学生徒の清書が何十枚も万国旗を飾ったように釣されて居た。
『日本の教育はマダ寺子屋式だなア、今にこんな下らない四角な字を骨折って習ってるんだからなア。』
堅爾は洋傘の先でその一枚をぷつりと突破った途端、エヘンと咳払いの声がして薄汚れた浴衣を着た四十恰好の男が祠の後から顔を出した。二人は周章てて歩き出した。そして紆々した坂を汗みどろになってやっと根本中堂まで登った時は彼是もう一時であった。
文珠堂や大講堂、戒壇堂、大乗院などを覗いて、茶店で昼食をしたのは二時頃であった。茶店の『弁慶』という黒犬が時子の裾に纏わって戯れるので、時子は向付の塩焼の鯛をソックリ投げて与った。
『これから石山へ行こう?』
『えエ、参りますワ。』
『愚図々々して居ると眠くなって来るから、もう直ぐ行こう!』
堅爾は先に立って坂路を降りた。そして坂本まで来たが、小蒸汽に乗り後れたので茶店の牀机で船待をした。
堅爾は牀机の上でウトウトしたが到頭高鼾で眠ってしまった。時子は扇子で堅爾の顔に群る蠅を追いながら種々の想像に耽った。男子というものに就いてのその浅ましい姿が頻りに幻のように彼女の前にちらついた。
そのうちに小蒸汽が来たので、大津の町に一駛りして京の三本木の信楽に着いたのは、もうトップリ日の暮れた頃であった。
『草臥れた草臥れた、随分引張り廻されたものだ。夕立旅行はもう懲々だ。』
堅爾は風呂から上って来て胡坐をかきながらこう言った。
『昨晩、私の講義が長かったもんだから。御免なさいネ。』
時子は嫣然と笑いながら下女に案内されて浴室へ出て行った。そして帰って来て見ると堅爾はもう麦酒を矢継早に三本も空けて、眼はトロトロと赤味を帯びて居た。時子が食事の済む頃には舌の廻らぬ程に酔うていた。
『講義は御免だよ。中学、高等部、ハイスクール、カレジ、もう長年レクチュアに飽々してるんだから、時子さんの恋愛哲学の御講義も当分御預けに致すよ。それよりも僕が米国でペルシャ人の娘と……面白いローマンスがあるんだ、それでも聞いてくれ給え、今晩は……』
堅爾は時子に撓垂れかかってその顎のあたりを無闇に撫で廻して居たが、やがて膝を枕にぐうぐうと寝込んでしまった。
翌朝眼を覚してみると堅爾の枕もとには一通の手紙が置かれてあった。堅爾は撥ね起きようとしたが頭がギンギンと痛むので、眉根を寄せながら手紙を披いて見ると、
『堅ちゃん、左様なら。
暫くお眼にかかりません。
私の哲学を軽蔑なさらないで下さい。』
と書いてあった。堅爾はムックリ起き直って暫くその手紙を見詰めて居たが、丁度女中が入って来たので、
『おイ、時子さんは如何した?』
『お伴れ様ですか、あのお方は昨晩十一時にお帰りになりました。』
『昨晩十一時に? 何所へ行くと言ったかい。』
『何にも仰しゃいませんでした。』
『そうか。』と言ったまま堅爾は黙って考え込んでしまった。
失敗
神戸で開かれた牧師会に出席しての帰るさ、音無は大阪へ一晩泊って噂に聞いた千日前と道頓堀の夜景を見に行った。雑踏中を揉まれながら門並の絵看板を見るとは無しに見惚れつつ中座の前まで来ると、大きな立看板に墨黒々と『文芸活動写真、講師高木助雄』とあるのが忽ち眼に留った。
『高木助雄? 学院に居た芝居の上手なあの高木じゃ無いかナ。』と呟きつつ講師の名前に牽かれてツイ入って見る気になり、二等席に陣取ったが、座外の景気とは打って変った不入で、場内はガランとして居た。
一二分経つと電気が暗くなって、映し出されたのはミルトンの失楽園悪魔の評定の場であった。弁士は普通の活弁であったが、写真が面白いので夢中になってフィルムの跡を追っていると、やがて一時間ばかりして、幕間のヴイオリンの独奏が終って、次のフィルムに移る前、小柄で色白のギョウテに似た長髪の男がフロック姿で舞台に現われた。
『高木君だ、高木君だ。』と音無は一目見て我知らず下足札で膝を打いた。
高木は物柔かな沈着いた口調で、まずミルトンの生立から二十七年間の失楽園の苦心、しかもその辛苦に対する報酬が僅かに十磅であった事を述べ、更に英国魂の説明から転じて我日本魂の英国魂に劣らぬ所以、この清い日本魂がマンモンや、モーロックのような悪魔に汚されざらん事を欲する希望をまで陳べ終った時、喝采はまず二階の正面から起った。やがてフィルムは一時間程掛って人間の最初の悲壮なる歴史を段々と展開して会を終った時音無は茫然として夢幻の世界から初めて現実世界へ帰ったような気がした。
『まア、音無さんじゃア無くッて?』
木戸口の所で後から声を掛けたものがあったので振向いて見ると、其所には思いがけも無い時子が立って居た。
『やッ、時子さん、どうしてこんな所に?』
『どうしてッて。』と時子は沈着払って、『私、半月も前から大阪にいるのよ。貴方こそどうして?』
時子は眼の覚めるような蔦模様の中形に大きな渦巻の派手な帯を締め、思い切って出した廂髪にはピカピカした櫛やピンを飾り立てて、どうしても十八九にしか見えなかった。
『とにかく外へ出ましょう。』音無は靴を下足番から受取って外で待って居ると、左手の木戸口から高木が出て来た。
『高木君!』音無は其側へ駈寄った。
『やア、音無君じゃ無いか。僕もとうとう活弁じゃア無くて『活講』になったよ。』
『面白かった、なかなか面白かった。』
『時に音無君、君は今何所に居るのだい。』
『僕は紀州の熊野に居る。』
『そうか、えらい所に居るんだネ。』
話して居る所へ時子が来て、『音無さん、御紹介下さいましナ。』と小声で言った。
『高木君、この方はネ、熊野の町の松本時子さんて、ウィルミナ女学校の御出身です。』
音無が紹介した時、時子は初々しげに『どうか宜しく……』と丁寧に頭を下げた。
『久し振だネ音無君、お差支が無けりゃア松本さんと御一緒にカフェーへでも御伴致しましょう。』高木はポケットから一寸時計を出して見ながら言った。
『参りましょう。』と言いながら音無は時子を顧みて『宜いでしょう、ネ、松本さん……』
『えエ、お伴致しますワ。私、』
高木が先へ立って行く踵から音無と時子とが躡いて二町程行くと左側に⦅旗野バア⦆と硝子戸に書いた家があった。
三人は其所へ入ってカフェーを飲みながら暫くいろんな話をして居たが、高木は、
『どうだろう、君、あの活動写真を熊野へ持って行っては。』と言った。
『それは宜いね、しかし収支償わないだろう。』
『実はネ、あのフィルムは杉田商会がパテ会社から二千円で買ったのだ。仏蘭西一流の俳優が何百人も掛って演った大芝居だから、価値はあるが、日本ではマダあア云うものは向きませんナ。ジゴマのような物で無くッちゃア。其所で何とかして元金だけでも回復しようというので、僕が活動講師という触れ出しで文芸活動写真会というのを組織して、市内の宗教家や教育家を頼んで最初失楽園の講演会を開いて入場無料で二千人ばかりを集めて置いて次にあの大看板を出して封切をやったんだが、御覧の通りの不入で小屋代も取れないという不始末さ、これじゃアとてもやり切れないから実は秋頃から教育会や、教会へ交渉して会費制度にでもして演って見ようかと勘考中なのサ。其所でだ、僕がとにかく文芸活動写真会なるものを組織した功労に対し、杉本商会は十日なり半月なりはあのフィルムを無料で僕に貸してくれる事になってるんだ。だから僕も熊野観光かたがた、熊野へ行ってみようかと今一寸思い付いた所サ。』
『それは大変結構ですワ。しかし一晩の費用がどれ位かかりましょう。』時子は胸に考えを有っているらしく訊いた。
『さア、機械は無料で使うとした所で、技師、弁士、往復の旅費……大分かかりますナ矢張り……』と言って高木は何か考え込んでいたが、『音無君、あの活動写真へ僕達の組織している新劇協会の一座を加えて乗込もうか。』
『それは大変だよ、経費が。』音無は不安そうな顔をしながら言った。
『なアに其様なに沢山は要らないよ。新しい芝居とあのフィルムを持って行くんだもの、少くとも一日に五百人は入るだろう。平均一人前三十銭の入場料として百五十円三晩で四百五十円、税金、小屋代、旅費、給料、……そうさナ百五十円も出せば充分だよ。』
『毎晩五百人ずつ入るとして百五十円の損だね。』
『そうだ、その位の金は何とか出来るだろう。教育会とか教会とかで……』
『さア、教会と云った所で、何所の教会も貧乏だし、教育会は活動写真を生徒に見させるかどうかそれが疑問だし。』
『新聞社が応援してくれないかネ、割引券でも刷込むようにして。』
高木がこう言った時、音無は礑と手を拍って、『そうだ、君、石塚君を知ってるだろう。石塚覚也君を!』
『あア、知ってる知ってる、三陸海嘯の孤児だろう。あの自修寮に居た。』
『そうそう、あの石塚君が今熊野の町に居て新聞記者をして居るよ。』
『え? それは好都合だ。どんな新聞かいそれは?』
『その新聞はね、隔日刊行の小い新聞ではあるが、田原というドクトルが資本を出して居る『サンセット』ちゅう気の利いた新聞だよ。東京あたりの一流の文士達も毎号投書するので文芸欄なんぞは振ったものだよ。』
『あア、あの新聞か。僕も何所かで見た事がある、石塚君が其所にいるのか、それは宜い都合だ、新聞社の方で百五十円ばかり引受けてくれりゃア、僕は協会の一座を率いて直ぐ乗込むから。』
『では、僕は帰って直ぐ石塚君に相談して見る、そして出来そうなら電報を打つから。』
『ようし、行こう! 中座の方も三日後に打揚げるんだから……』
音無も高木も非常に乗気になった所へ時子は傍から、
『音無さん、こうなすッて下さいナ。その百五十円は私がお引受致しますから、あなた石塚さんと御相談の上、新聞社の主催として発表して下さいませんか、お金の事は決して新聞社へ御心配をかけませんから、主催者になって戴くように、それを田原さんと石塚さんにお願いして下さいましヨ。』
『え? 百五十円は貴女がお引受下さいますか。』高木は莞爾と笑いながら言った。
『あなたが……時子さんがお金の方を引受けて下さるなら、私は新聞社側の方を引受けて談判致します。』と音無は事既に成れり! というように軽く右の掌で机を打きながら言った。
高木は更にカフェーを註文しながら、『そうそう学院で⦅芝居⦆という名を宣教師が嫌うので、表情演説という名でハウプトマンを演った事があったっけネ。あの時にケエテヲッケラアトに扮した……』と言いかけた時、時子は直ぐその言葉の後を拾って、
『古座ナオミさんでしょう、そのお方も熊野に居らッしゃるのよ、新宮に。』
『そうか、それは面白い。』と高木は驚いた顔をして『学院時代の芝居仲間が皆な集ってるんだね。それは是非行かねばならないじゃないか。』
三人は思わず顔を見合した。
音無は翌日川口から汽船に乗った。二日目の正午過に新宮の町へ帰ると直ぐ田原の家を訪問した。
『早かったネ、東京へは行かなかったですか。』薬局の所から首だけ突出した田原はニコニコ笑いながら言った。
『大阪から引返して来ました。少し御相談したい事が出来たので。』
『そう? まア上り給え、直ぐ僕は手が隙くから。』
音無は奥の一室へ通って妻君の貞子と四方山の話をして居ると、
『どうです、牧師会には面白い問題がありましたか。』
『いいや平々凡々です。まア友人の顔を見に行くんですナ。』
『そうだネ、それは大変意味のある事だよ。僕等のやる医会だなんて矢張り一種の親睦会さ。』
『所が、僕は今度の牧師会で思い懸けない友人に遭いましてネ、それで御相談に上ったのですが……』
音無は道頓堀で高木と時子とに遭った話から、高木の率いる新劇協会一座を新宮へ招く事に就いて詳しく話した。
『それは非常に面白い事だ。一体この町の芝居というものは、こりゃア何とかしなけりゃアならないんだ。僅かに人口二万足らずの町に劇場が三つもあって、そしてそれが年ヶ年中興行してるんだからナ。』
『そうですか、其様なに芝居好きなんですか、この町の人達は。』
『町の人が芝居が好きだろうが何だろうが役者の方で芝居をせねば死んでしまうからネ。』
『どういう理由ですかそれは?』
『まア大阪辺から一座二十人位の俳優を傭って来るだろう、木戸銭十五銭に中桝五十銭位取って、やっと給金と船賃が一杯一杯だ。十日なり二週間の興行が済んで興行主と俳優との総勘定は済むが、さて俳優は帰る旅費が無い。其所で今度は興行人と分合で木戸銭十銭中桝二十銭位に引下げるんだネ。それでもって一銭の給金も払えなくなる。すると役者の中でも少し善い衣類を着て居る連中や、故郷から金を取寄せられる連中は、旅費を工面して一座から逃げだすんだ。跡へ残ったヘボ連中ばかりが興行主に泣ついて木戸銭二銭位で芝居をやるんだものそれも三劇場の競争が起ると、木戸銭無料平場行次第というので一人前二銭ずつの下足料を取るんだネ、そうすると如何な下らない芝居でも二銭で観られるんだから五六百人は入るサ。すると十一二円あるだろう。税金と小屋代と小物料を差引いて三円は残るだろうじゃないか=小屋代が五円だから=で十五六人の役者が、粥を啜って香の物を嚙ってやっと露命を繫ぐのサ。助五郎ちゅう歌舞伎役者なんかは可成り腕はあるんだが、熊野へ落込んだきり、もう十何年この町に燻ぶってるんだよ。僕は時々劇場へ診察に行ってやるが、彼の化粧部屋の長い座敷の虱だらけな所に多勢がゴロゴロ寝こけて居る態ッたら無いよ。そりゃア可愛相なもんだ。食うや食わずに居る連中に芸術もへちまも無いさ。だから出来るッたけ下等な卑猥なことをして舞台の上で見物の機嫌を取る、そうすると芝居というものはあんなものと相場が決ってしまうんだ。だから時偶宜い芝居が来たッて三日と続きゃアしない。音無君、君なんかの説教は高い高い雲の上を飛んでるんだよ、二万人中でたッた五人か七人が一週に一度集って来るだけじゃア無いか。町ではこんな卑猥な芝居が毎晩毎晩少くとも千五六百人を吸収してるんだからネ。こりゃア決して小い問題じゃアないよ。』
『そうですかナア、すると高木君の一座は高尚過ぎて誰も観ないでしょうか。』
『いいや、そうでも無かろう。これでこの町には案外理屈の解った連中がいるんだからネ。宜いだろう。やって見給え、新聞は石塚君と相談して勝手に利用しても宜いよ。』
『そうですか、では今晩石塚君と相談致しますから。』
音無は起ち上ろうとした。田原は引止めるようにして、
『君、興行人に知合があるんかネ。』
『いいえ、誰も……』
『それは不可い、まず専門の興行人に会って万事を頼むんだネ大体の見積りを立ててそれから着手しなきゃア、興行て奴は煩いもんだよ、君。』
『ではどうすれば宜いでしょう?』
『そうだなア。』田原は暫く考えていたが、『湯桁に頼めば宜いだろう、彼奴一寸義俠な男だから……』
『湯桁? 興行人ですか、その人は?』
『興行人です、以前加藤年蔵の興行人だったのだが、矢張り熊野落の一人でこの町へ興行に来て大失敗した結果、今度は儲けよう、今度こそはと……藻搔けば藻搔く程借金が重なって足抜が出来ないのサ。若い頃東京の丸善で番頭をして居たとかで、一寸した横文字の表紙位は読めるし、話も解る男だから行って相談して見給え、あるいは一肌脱ぐかも知れないよ。』
『では行って頼んで見ましょう、あなたから紹介されたと言えば宜いですネ。』
『うん、そう言い給え、とにかく彼の男は此町の興行界の大将だから、事によると君と湯桁と二人が協同して新宮の演劇界を大刷新出来るかも知れないよ。本当に戯談じゃないよ。』
書生の平石が次の室から患者が来たと知らしたので、田原は診察室の方へ出て行った。
音無は田原の最後の言葉が現実になるような心持がした。そして希望に導かるるような感じを懐きながら田原の家を出て湯桁の居宅を訪問した。それは町外れの裏長屋であった。
湯桁は浴衣がけで食盤の前に胡坐をかいて酒を飲んで居た。四十三四歳の中肉中背の顔の四角な男であった。最初の程は胡乱臭い奴が来たと言わぬばかりの顔で、じろじろと音無の顔を見て居たが、名刺を渡して田原からの紹介だと言ったので、湯桁は俄かに顔色を和げて、
『やア、どうも失礼致しました。こんな陋屋へ恐れ入りました。何か御用で?』と慇懃に叩頭をした。音無は上り端に腰を掛けたまま用事を手短かに話した。
『高木助雄君は、私も大阪でお目にかかった事がござります。高木さんが新劇協会の一座を率いて入らっしゃるなら、私も充分御尽力致します。しかしそれは大分欠損を見込まねばなりませんネ。』
『欠損は百五十円と見てあるので、それは引受けてくれる人があるのです。』
『そうですか、それならまア一杯々々に行きましょう。』と云って湯桁は一寸思案らしい顔をして居たが、『実は私ももう興行界を引退しようかと思っているので、高木さんの劇が来るなら、それを打納めに致しましょう。御承知の通り私は興行で飯を食って居るのですが、今度の興行は無報酬で働きましょう。そしてこれを最後に新らしい途を発見するのですナ。』と言って、食盤の方に躙り寄って盃を左の手に取って、もう冷たくなった酒を一ログット飲んで、さも旨そうに唇を舐めた。
『先生は無論絶対の禁酒でございましょうネ。』
湯桁は空の盃を提げたまま訊いた。
『えエ、以前は飲みましたが、今は一滴も飲みません。』
『そうですか、私はもう中毒しています。今日も酒を買う金がありませんので、薬屋へ行ってアルコールを買って来て、それへ水を混ぜて薄めたのです。今飲んで居るのがそれです。』
『そうですか。』音無は憫れむように湯桁の顔を眺めた。
『先生、私もこんなにまで落込んでしまおうとは思わなかったのです、私は子供上りの時辻新次さんの紹介で丸善の小僧に住込みまして、大分都合よく勤めて番頭にまで経上って居たのですが、暑中休みに故郷へ帰った時友達に勧められて、碌々知りもしない花合せをやったのです。私は到ってああいう博奕めいた事が、嫌いというよりも下手な方で碁も将棋も骨牌も殆ど知らないのです。所が因果なもので、その知りもしない骨牌を弄くって居る所を、ぱッさり巡査に捕まって、一ヶ月投り込まれたのです。で、店の方は解傭される、出て来て仕事はなし、とうとうその頃の壮士の仲間に入って演説会の妨害を仕事にして居たのですが、妙な関係から壮士芝居の興行人になりましたのです。五味だの井上だのは私に世話になった方です。高田などもようく一緒に遊んだ方です。所がもう十五六年も前に、この町へ興行に来て大芝居を演って居ると、三角院の寅というドエライ暴れ者が居ました。それには乾児が多勢あって、興行毎にぞろぞろと芝居を見に来るのです。そしてもしも木戸銭を出せとでも言おうものなら、黙って木戸銭を出して置いて、そして甚い復讐をするんです。』湯桁はアルコールをまた一盃飲んで、『その暴れ方が風異りなんです。芝居が段々に面白くなって、さア喧嘩だとか讐討だとかいう急所へ来ると、突如『助太刀!』と叫んで舞台へ飛出すんです、そして下駄だの雪駄だので思い切り役者の顔を打ん殴るんです。讐討の無い人情物になると、愁歎場で見物がウンと泣こうと構えている頃、乾児を一緒にゾロゾロ下駄穿きで花路から出て行って舞台を無茶に踊り廻るんですもの仕様がないじゃアありませんか。で、私が興行する時、その話を聞いたもんだから、私は考えましたネ、どうかして其奴を取ッちめる方法が無いかと思ったが、腕力では無論叶わないし、とうとうこんな事を考えたんです。』湯桁は徳利のアルコールをまた盃に七分目程酌いで、そして徳利をそっと振って見た。中でヂョビ、ヂョビと音がしたので微かな笑みを湛えながらまた話を続けた。『で、私は興行する前に、こう云う事を言触したのです。⦅湯桁は東京で名高い俠客だ。あれが興行中伴れて歩く役者は皆な名高い乱暴者ばかりで日本中何所へ行っても喧嘩に負けた事は無い。⦆さア妙なもので、この噂が三角院の耳に入ったのです興行前に。すると寅がやって来ましたネ、九寸五分を懐に呑んで……其所で私は寅とその乾児二十何人を呼んで一晩底抜騒ぎをして飲んだのです。田舎や俠客や博徒の四五十人は何でも無い、鎗でも鉄砲でも来い! と云って空威張りに威張ったもんですネ。実は私は寅の片腕にも足りない弱い者ですが、可笑しいもので、それ以来三角院は、スッカリ私の乾児になってしまいましてネ、事が起ると直ぐ⦅親方親方⦆ッて言って飛んで来てくれるんでしょう。とうとう私は警察からは本当の博徒の親分だと睨まれる、町の人達からは俠客々々ッて言われるようになってしまったのです。所が興行は近頃さっぱり駄目で……アルコールに水を混ぜて飲むという始末、あの提灯が泣きますよ、あの提灯が……』盃を食盤の上に措いて長押の提灯を見上げた。其所には芝居の舞台で喧嘩場に俠客の乾児が手にして出て来る細長い提灯が二十ばかりズラリと並んでいた。
音無は湯桁の話を非常に面白く聞いた。そしていろんな事を頼んで置いて帰った。
吾社聊か考うる所あり、社会改良策の一助として来る十五日より三日間当町朝日座に於て、少壮文芸家として聞ゆる高木助雄氏の組織せる日本新劇協会一座を招聘し、仏国文豪ビクトル、ユーゴーの傑作『エルナニ』を公演致し候。同座には特に独逸哲学博士、皆川正巳氏舞台監督兼技芸員として加入致し候。
且右新劇の外、英国詩聖弥児頓が三十年間の苦心に成る大傑作失楽園の大活動写真を御覧に入れ候。
右は一般観覧者を謝絶し、本紙刷込の入場券⦅一日分九百枚⦆御持参の方に限り入場料金四十銭にて、蒲団、火鉢、茶、一切無料にて差上げ、且つ粗菓進呈仕るべく候。
この広告が新聞サンセットの第一面に二号活字で掲載された時は、小い町は俄に動揺して町中何所へ行っても芝居の話で持切ったのであった。
九月十三日の朝、高木助雄の一座二十四人は新宮の町へ乗込んで来た。皆川博士は出発間際に俄に発熱して一座に加わる事が出来なかった。
高木は宿へ着くと直ぐ音無を招いた。田原も覚也も来た。四人が相談の結果まず朝日座で文芸講演会を開く事にした。入場無料が人気を呼んで場内は破るるばかりの大入で、失楽園とユーゴーに関する四人の講話が何れも聴衆を感動せしめた。
講演会の成功は愈が上にも人気を煽って、翌日の落陽社は新聞購買者で上を下へと混雑した。
いよいよその日となった。開幕前から満場爪も立たぬ程の大入であった。六時半に『エルナニ』の幕が開いた。高木のソル姫を始め、三浦の山賊エルナニ、水谷のカルロス王、素人と言っても皆相応に舞台慣れていて、一同車輪に演って除けたから見物は何れも片唾を飲んで大喝采をした。殊に松本という男のシルヴァ城内の老侯は非常によく出来た。いよいよ三幕目のエルナニが恋の仇カルロス王を殺しに行こうと決心する所で一まず芝居を終って活動写真に移った。
幕の閉じた時、見物席から『芝居をやれ、活動写真は明晩にせエ。』などと叫ぶものもあったが、いよいよ楽園観楽の美観や、天魔波旬の壮観が映し出された時は、見物は静まり返って観た。その晩はアダムとイヴが智慧の樹の実を食う夢を見る五巻目の初めまで映して閉会した。
雪崩を打って出る見物の誰も彼もが、皆な芝居も活動も面白かったと取々に評判していた。音無は群集に紛れて評判を嬉しく聞きながら帰ったが、何だか頻りに昂奮して眠られなかった。三年前に高木が牧師を廃して劇壇の人となると云った時、牧師間で一寸問題にしそうであったが、極力高木の弁護をしたのは音無であった。その高木が舞台の上から数百数千の人々を自由自在に泣かせたり怒らせたりして居るのを観た時、声を嗄らして説教しても五人十人しか集って来ない自分の境遇に引較べて聊か高木を羨ましく思った。
翌日は観客が開場を待兼ねて一時にドッと崩れるように入場し、即時に満員となって、リカルド王が長々しい独白をやって居る時、大木戸で『入れろ、入れろ!』と騒ぎ立つ声が聞えた。
四幕目の末にリカルドが神聖帝国の帝座に陞って、山賊エルナニにソル姫を与え、『仕合せなドン、ファン。姫は御身の妻にしろ、御身は愛する姫を手に入れた。朕は神聖帝国の帝位を得た。エルナニ! 今までの事は一切忘れたぞ!』の台詞で幕切れになると満場は破るるばかりに喝采した。再び幕が開いて第五幕目の幕切れのエルナニとソル姫とが毒を仰いで天を指しつつ『美しい国へ!』と抱合った時、臨監の巡査は突如として『中止! 中止!』と叫んだ。しかし実はこれが終りであったので警吏の中止は無意味であった。
続いて活動写真となって、昨夜の残巻の第五巻の後半から映し初めたが、九巻の初めの悪魔が毒蛇を尋ねる所まで来るともう十二時近くなったので、高木は舞台に現われて、明晩は写真の残部を最初に映し、エルナニを序幕から大切まで演じ、最後にチェホフの傑作『犬』を一幕演ずる旨を広告して打出しとなった。
音無と覚也とは化粧部屋に入って行って、高木と握手しながら成功を祝した。
『中止とは甚いネ、あんな所で。』と覚也は憤慨した口調で言った。
『日本の旧劇にはもっと酷いのがあるんだけれども、』と音無は笑いながら、『新の字が付くと何でも不可いのだ。』
『そうだ、新宮なんていう名も改めなきゃア不可いよ。』と高木も笑った。
『そうさ、この節は新という字と社会という字が大禁物だからナ。会社の看板を倒に置いても首が飛ぶかも知れんぜ。』音無は喉を軽擦るように笑いながら言った。
『実際、敏感だからナア。』と覚也は真面目に言った。
音無はその晩、如何したものか昂奮して眠れないから、二時頃まで新聞を読んだり小説の口絵を見たりした。到頭三時近くにようやくウトウトと眠気ざして来たので蒲団を引かぶったが、睡付いたかと思うと忽ち悪夢に驚かされては覚め覚めした挙句、隣の妻君が水汲の跫音に眼を覚ました朝の八時頃から初めてグッスリと睡る事が出来た。
暫くするとドンドン戸を敲く音が聞えた。周章てて跳ね起き寝巻のまま玄関へ行くと、役所の小使らしい男が一通の手紙を投込んで行った。
封筒に『熊野警察署』と書いてあるので不思議に思いながら披いて見ると、
相尋ね度儀有之候条此通知書受領次第実印携帯の上即刻当署まで出頭すべし
もし事由なくして出頭せざる時は相当の処分する事あるべし。
という蒟蒻版摺の召喚状であった。音無はあるいはエルナニ劇の事に関しての質問では無いか知ら……と思いながら警察へ行って見ると、警察署には召喚状を持参した男女が四五十人も詰かけていて、署長警部補部長等七人係りで必死に聴取書を作っていた。音無は柱の傍に立って四十二三歳の女が八字鬚の巡査に取調べられて居るのを聞くとも無しに聞いていると、果してこの多数の召喚がエルナニ劇に関係した事であると知った。
巡査は女の姓名年齢を一通り質してから、
『朝日座の芝居へ行ったか。』と問うた。
『へえ参りました。』
『お前さんの家にはサンセットちゅう新聞を取っているんだネ。』
『へえ、読んでいます。』
『あの新聞は何主義だという事を知って居るのか。』
『主義? 其様なものは知りませんわノシ。祝儀ですか。』
『社会主義の新聞だという事を知って居るのかと云うのサ。』
『知りませんわノシ、其様な事は……』
『芝居は面白く無かったろう?』
『私らには難かしゅうてノシ、異人さんの芝居ですさか、何が何やら解らんわノシ。』
『四十銭出したのか。』
『へえ払いましたわノシ。』
『四十銭が惜しくなりはしないかナ、あんな芝居を見て。』
『私らの平生行くのは二銭三銭ですさかノシ。』
『その金を返してやろうと云ったらどうする?』
『そりゃア戴きますわノシ。』
『では切符を買わなければよかったと思うんだナ。』
『まア、そう言えばそうじゃわノシ。』
『サンセット社に欺されたと思わないか。』
『そうじゃノシ、評判程で無かったさか、まア欺されたんじゃわノシ。』
『宜しい、これへ印を捺しなさい。』
音無は初めて聴取書というものを知った。今調べられて居た女の向うには五十ばかりの小柄な男が部長に調べられて居たが、
『えエ、欺されましたとも、エライ目に会いました。まるで役者は素人ばかりですもの、あれで三等鑑札を持って居るものが、たった八人しか無いのです。機械は無料じゃと云う話じゃし、役者には全体で一日二十円もやれば善エのじゃろうし、どうしても一日に三百円は儲けましたナ。田原さんもなかなか食えん人ですよ。』と声高に言って居た。音無は憤然として一二歩部長の方へ近寄ったが、部長は温順しそうな顔をして、精々と聴取書を書いていた。音無は頭の中で『罪と罰』の小説にあるラスコーリニコフが警察で召喚された時の記事を想い出して、あの二等警部のような横柄な警部が自分を取調べたなら、そして二等警部が、あの Ich danke と独逸語で答えた白い着物を衣た立派な婦人を罵ったように⦅うぬ、貴様、糞たわけ奴!⦆などという乱暴な言葉で食ってかかって来たならどうしよう? などと考えて居ると部長は頭を上げて、
『何か御用で?』と問うた。音無は召喚状を出して見せると、部長はそれを持って別室に行ったが、やがて再び現われて、丁寧な言葉使いで、
『何卒二階へお上り下さい。』と階段の所を教えてくれた。音無は下駄穿きのまま二階へ上って見ると、ガランとした広い二階の正面に一間幅の黒板を背後に、色の浅黒い鬚の薄い警部が机を控えて頻りに書ものをしていたが音無の来たのを見て、『何卒お掛け下さい。』と丁寧に言って机の呼鈴を二つ鳴らした。
十五六の小使が上って来たので警部は巻煙草を捻くりながら、『山田部長に来て下さいッて、直ぐだよ。』と言って煙草に火を吸いつけたが、部長の来たのを見て、
『君、一寸聴取書を書いてくれ給え。』
『ハッ承知しました。』と巡査は警部の傍の椅子に腰をかけた。
例の如く族籍調を済ましてから、警部は頗る慇懃に訊問を始めた。
『新劇協会の高木君とはどういう御関係ですか。』
『自金学院の同窓です。』
『エルナニ劇を、あなたは日本の国情に適した劇とお思いですか。』
『元来外国劇ですから必ずしも日本の風俗に一致すると言えませんが、別段風教に害があるとは思いません。』
『帝王と泥棒とが女を争うというような事は不穏当じゃないでしょうか。』
音無は黙っていた。
『それから何とかいう女が短剣を抜いて『一足近寄れば王の生命は無い。』と言う所があるがあれはどうお思いです?』
『そういう部分々々の御質間では。』と音無は頭を搔きながら、『エルナニ劇その物に就ては随分議論の余地もありましょうが、そう抽象的にお尋ねになられると、一寸困ります。』
『中傷的? 僕は決して中傷しやしないです。』
警部は真面目であった。そして姿勢を正した。音無は今少しで失笑する所であったが、急に他人の無学を笑おうとした小い自負心を愧かしく思った。
『あの興行に就いて金銭上の御関係はありませんですか。』
『少しもありません。』と音無はキッパリ答えた。
音無は警察から直ぐその足で田原を訪問した。すると、『やア、やられたナ、君も。』と田原は笑いながら玄関へ出て来た。
『今調べられて来た所で……』
『そうか、まア入り給え、高木君も来て居るよ。』
音無が奥へ通ると、高木はクシャクシャした容子で、『閉口したよ、君、朝ッぱらから警察へ呼ばれて、ウンと油を取られたよ。』
『露西亜の警察だったら、ラスコーリニコフのように洒落の一つでも言われるんだが、どうも日本の警察は威儀堂々として居るからネ。』
『所が僕を調べた加藤何とかいう警部は、イリヤ・ペトロヴィッチだからな。』
『どんな事を訊かれたかい?』
『どんなもこんなも無い、エルナニは秩序紊乱の恐れがあるんだとサ。』
『じゃア興行停止かネ。』
『マダ今夜の興行届はしてないんだが、どうせ芸題変更を迫られるだろうよ。』
『芸題を変更しちゃア、入場券を買った連中が其儘で済まさないだろう。』
『だから演るさ。いよいよエンファチカルに思うさま演ってやるよ。』
『それは不可い。喧嘩腰になる必要は無いよ。王と言って悪い所は大将と言やア善いじゃないか、浄瑠璃の文句でも、太閤記十段目で⦅天子将軍になったとて……⦆と云う所の天子と云う二字を抜いてしまったり、一ノ谷嫩軍記では⦅敵と目ざすは安徳将軍⦆などというのだもの、譲歩し給え、警察へ楯を突くのは不可いよ。』
『じゃア君はユーゴー先生の大作を勝手に改作しろと言うのだナ。』
『そうじゃア無いが……』
『じゃア堂々と演るより外は無い。七十八年前から全世界の何千万人に読まれた大作が新宮の町の人にだけ不穏だという理由があるか。大いに争うネ。』
『大変な権幕だな。マグダでもノラでも君、日本の舞台では肝心な文句を引抜いてるじゃアないか。裸体画が展覧会に出品出来ず、裸体の彫刻へは赤い腰巻を纏かせる時代だもの。』
音無がこう言った時、高木は眉間に縦の皺を寄せて、
『じゃア音無君、君は新約聖書のキリストという文字を弘法大師、パウロを行基菩薩と改名して読めと言われた時如何する?』
音無は黙って俯向いてしまった。暫くして高木は顔色を和げながら、
『なアに、言わば今度の事も一種の喜劇サ。今朝僕は警察であんまりいろんな事を訊かれるから少々面倒臭くなって、西洋物がお厭なら高山彦九郎でもやりましょうかッて言ったら、警部は怪訝な顔をして、⦅高山彦九郎ッて俳優が居るのか⦆ッてこういう御質問だもの。』
田原も音無も思わず噴飯した。最前から始終沈黙して二人の問答を聞いていた田原は微笑を含みながら、
『何でも警察へ甚い投書をした者があったらしい。今度の興行は第一思想が不可いのと、一つは誇大の広告をして不当の暴利を貪ろうとする為めで、俳優の給金は一座二十四人に対して一日二十五円、活動写真のフィルムは無料だから一ト晩二百円以上は儲かると誣告したものがあるのらしい。劇場料も電気料も税金も船賃も一切無料にしてくれればそれ位は残るかも知れないが、税金だッて三日で百二十円程要るんだがネ。』
『其様な投書を警察署は信じたのでしょうか。』音無は眼を睜りながら腹立たしそうに言った。
『なアに敵は本能寺にありさ。第一広告に社会改良策の一助としてという文字があったが、あれが悪かったネ。義主会社が祟ったのだよ。』田原はそう云って、はッは、はッは、と笑った。
『義主会社? 義主会社?』と高木は首を捻っていた。
『会社の看板を倒にして置けない土地だもの。』と言いながら田原は音無の顔を見て、またはッはと笑った。
『成程!』と高木も拳で膝頭を叩きながら笑った。
幻滅
鮒田富士に入残った夕日が権現川原の白い砂を照して居る上に熊野烏の群が遠見には胡麻を撒いたように集っていた。水際から黒い小犬が駈けて来ると、烏はぱッと低く飛上っては虚を見てまた降りて犬を調戯うようにしていた。
只見ると五六艘の炭船が静に帆を揚げて熊野川を下って来るさまが得も言われず美しいので、その景色に見惚れていた高木は、『もう六時だ。』と時計を出して見、『五時半という約束だったが、どうしたんだろう?』
暫らく坂路を瞰ていると、薄色の羽織の女が木の葉隠れに見えたので、高い石垣の上から手巾を振ると、下からも手巾を振るらしく白いものがチラホラした。そのうち何時かまた樫の小森に隠れて見えなくなったかと思うと、『お待遠さまでした。』と時子は忽ち眼の前に現われて、
『明日出立するつもりで支度をしていましたので、ツイ遅れて済みませんかった。』
『明日お立ち?』
『えエ、九時の船で立とうと思ってます。』と云いつつ時子は、『そこら辺を少し歩こうじゃありませんか。歩きながらお話する事にしましょう。』
二人は大手門の方へ伴れ立って行った。
『貴方も私と一緒に伊勢へ行らっしゃいナ。座員の方は四日市の方で興行してらっしゃるんでしょう。』
『さア、どうしましょうか、僕はこれから先き永く舞台の人として立つか、それとも今止めるかその決心が第一マダ決りません。いっそ有罪の判決を受けて監獄へでも入ったら頭が判然して何方かへ固まるのであったろうと思います。』
『まア、其様な事を……検事さんはどんな論告をなすッたの?』
『検事はなかなか頭のある男らしかったが、何さま芝居の内幕を知らないもんですから、湯桁君と清水君とに四ヶ月の体刑、僕に一ヶ月の体刑を求刑しました。』
『まア、エルナニ劇の公演者に四ヶ月の体刑を求めたなんて事が、仏蘭西の新聞にでも通信されたらそれこそ日本文明の不面目ですワ。』
『罪と罰に出て来るイリヤ・ペトロヴィッチは酷烈な意見書を出してありましたよ。田原さんの発行してる新聞の商買敵と、劇場の商買敵と両方からの下らない投書を材料に甚い事を書いていましたネ。⦅誇大の広告をなし巨額の不当利益を占め⦆なんていう文句があって、田原君も石塚君も僕も、皆な詐偽取財という罪名の下に、一束にしられてるじゃありませんか。驚きましたよ僕も……』
『詐偽取財? 御損をなすッて、名誉を毀けられて……詐偽取財?』
『まア仕方がありませんサ。最初広告した皆川博士が俄かの発熱で来られなかったし、観覧者の中でたッた一人でも詐偽されたと申立てた者があったら、それでもう法律上誇大広告をして金銭を詐取した事になるんだから……何しろ六百何十人という町内のサンセット新聞購読者を片ッ端から一々取調べたんだからネ。その聴取書を弁護士から借りて見ましたが中にはお話しにならない申立をした連中があるんですもの、お蔭で新聞の読者はパタパタと二百何十人減ったそうです。』
『だッて、詐偽取財とは余りですワ。そのイリヤ・ペトロヴィッチてのは彼の色の黒いお方でしょう?』
『人身攻撃は止しましょうや。』
『だッて彼のイリヤ・ペトロヴィッチは芸妓に恋したんですもの。』と云いかけて、『廃しましょうネ、下等だワ其様な事。』
『鬼にでも泥棒にでも聖人にでもそりゃア美しい者は美しく見えるのサ。宜いじゃア無いですか、其様な事は。』
『えエ、そりゃア、同じ人間ですから孔子さんが恋をなすったッて宜いワ。だけど罪と罰のあのイリヤ・ペトロヴィッチは私、名前を聞くだけでも虫嚙が走るの。それから絵に描いた青鬼のように骨と皮とになってが胃酸を舐めてるお方が居らしたでしょう。』
『はッはは、絵に描いた青鬼はよく出来た。』と笑ったが急に思直したように、『なアに法律の運用なんて個人の感情でどうでもなるから、あの事件の主任がイリヤ・ペトロヴィッチで無かったなら、頭から取上げなかったかも知れないのサ。僕は最初イリヤ・ペトロヴィッチに調べられた時、⦅此奴は打ち込まれるワイ⦆と思いました。それから裁判所で検事に調べられた時は⦅無罪だなア⦆と感じましたが果して無罪でした。』
『本当に善うございましたワネ、そして湯桁さんや清水さんは何という罪名で……何ヶ月?』
『清水君はサンセット新聞の署名人で、湯桁君は興行人で、二人は警察犯処罰令に由るたッた二十日の拘留で済みましたが、それだって本当に気の毒だネ。』
二人は四阿のベンチに列んで腰を掛けていた。直径三尺ばかりの自然木の杉のテーブルに高木は頰杖を突いて時子の顔をじろじろと見ていた。二分三分二人の間には沈黙が続いた。夕闇の中に男々した白面が肩まで垂れた長髪の中から名工の塑像のように浮出していた。
『僕も此際何とか決心しなくちゃならない。有罪になって、人間が人間を審いている恐ろしい世界の探検に行って、この長い髪をふッつりと切取られて来るのも、僕に取っては宜い事だったかも知れない。』
高木は軽く頭を振った。時子は身体を摺寄せて、高木の肩へ浪のように振掛っている黒髪の端を指先で弄りながら、
『私、大阪で初めてお目にかかった時から……私、あのネエ……』と夜目にも著き柔軟な嬌態を作り、『ネエ、高木さん、言って宜い? 怒らない? 言わして頂戴よ、ネエ、宜いですか……私、あのゲエテの伝が好きでよく読みましたが、ブリュール街の酒屋に居た少年ゲエテ……貴方に始めてお目にかかった時、あの少年ゲエテを憶出しましたのよ。だけど不可いワネエ、私にはカタリナの容貌が無いんだもの……』と羞恥むような素振をした。
『僕には少年ゲエテのようなあんな華やかなローマンチックな情を有つ事は出来ません。』と捨鉢な荒々しい調子で、『一切が幻滅です、駄目です駄目です。』
高木は起ち上りざま、顔に振掛る髪を煩さそうに後へ払い除けながら、凛とした声で、『時子さん、櫓跡へでも登って見ましょう!』と言った。
二人が櫓跡へ登ってベンチに腰をかけた時、太平洋の静かな波間から登った片破月が、王子ヶ浜の松ヶ枝から町を覗くように製材所の亜鉛屋根を白く照していた。
『好い景色ネエ。』
『自然に敵うものはありません。人間の芸術なんか駄目です。』
『高木さん、あなた大変昂奮してらっしゃるワネエ。』
『昂奮もしますサ、僕は今瀬戸際に立ってるんですもの……』と云って高木はさも感慨に堪えないように、『時子さん、この絶景を見ながら僕の身の上話を聞いて下さいませんか。』
『伺いますワ。』時子は両の袂を膝の上に載せた。
『一体僕が芸術に携ったというのは矢張り宗教的動機からです。学校を卒業してから暫くは牧師をしていましたけれど、牧師ではイクラ教壇で声を嗄らしても教会へ来る少数信者しか教化する事は出来ない。これでは駄目だ、どうしても社会全体人間全体に訴えて理想を吹込もうとするには教壇の説教よりは芸術だ、殊に日本人全体の頭を改革しようとするには歴史や因襲の偏見の取り切れない宗教では到底駄目だ。とこう思って僕は断然牧師を廃めたのです。勿論其時は実に意気冲天の勢で今にも日本全体を僕の芸術で風化するような空想に燃えていましたが、さていよいよ着手して見ると矢張り駄目でした。東京の銀座に警醒社といふ基督教の書店があるでしょう、彼所に僕の先輩の伊場高志という男が居て、最初の頃は⦅警醒一座⦆というのを作って、店の二階で番頭達を相手にクリスマス専門の余興芝居を稽古して居たものだが、その頃とうとうそれが本舞台へ飛び出して、ファウストを公演するようになったのです。で、僕も大いにそれに刺戟されて、丁度新劇勃興の機運に乗じて旗上げをしてみたのですが、マダマダ日本人の芸術的理解は浪花節程度で、それ以上の芸術は殆んど顧みられないです。それから僕一人がどんなに真剣であっても一座のものが皆な僕と同じ心持に成ってくれない。最初の程は皆な真剣だが何時の間にか忽ち芸人根性になってしまう。『素人に! 素人に!』というが僕の口癖の格言で、素人という事を忘れちゃならないと執拗く戒めて置いても少し舞台馴れると直ぐ黒人になる、自分の技芸の未熟にも失望しましたが、それ以上芸人根性という眼に見えない因襲の気分が根強く附纏って、新しい芸術家を腐敗させるのには殆ど匙を投げました。今まで旅興行で御難を食って死ぬ程の目に遭ったり、女優と男優との間に混雑が起って新聞の三面で悪口されたり、学校時代の友達からは殆ど絶交同様にされたり、散々な憂目を見た結果が詐偽取財の刑事被告人!』と高木は俄かに言葉を途切らしてほっと息を吐いた。
『しかし全く失敗じゃアありませんワ。マダマダ前途がありますワ。』
『さ、どうかネ。金森さんでも押川さんでも横井さんでも、成程世間からは種々の風評をされています。しかし皆な彼様になる動機は善かったのです。金森さんは同志社の校長時代に米国宣教師と衝突して⦅なアに日本人は日本人の手に因って伝道する!⦆ッて伝道界を飛出してまず金を作る事に手を出したんでしょう。そして見事失敗サ。押川さんだって東北学院の院長を辞して、独力で立派な宗教学校を起して見ようと思って事業に手を出したのでしょうが矢張り結局は罐詰の中に石ころを容れたと云うような悪口せられただけでしょう。横井さんだッて本郷の教会で二百や三百の信者に説教するより、政治家になって大いに国家の為に尽そうという心から議会へ出たのがそもそもの失敗だった。畢竟時機が早かったのだ。もっと隠忍して居れば善かったのサ。内村さんなんかは忍び通した連中だ。あれで牧師とか校長とかの椅子へ噛りついているんで無くッて、燃ゆるような活気を有っていながらじっと日本国を睨んでいたんだからネ。金森さんでも横井さんでも少々早まったのだネ。僕だッて牧師を廃した頃は本当に日本を呑んでかかったものです。所が実際社会に乗出して見ると万事が生一本では押通せない。そして遂うこの結末さ。』
時子は余り面白くもない、知らぬ人達の身の上話に空耳を貸していたが、もう堪えられなくなったと見え、
『止しましょうヨ其様なお話……私、それよりもっともっと大事のお話があるのよ……』
『大事のお話? 伺いましょう、どんなお話ですか。』
『其様なに固くお成りにならなくッても宜いワ。』時子は拗戻たように身体を揺ぶって袖を軽く顔に押当てた。
『時子さん、そういう僕にも女優との間に可成り縺れたローマンスが有る事はあったのです。僕は女には落第者なんです。』と突如にこう言った高木は何と思ったか右の腕を前に突出してそれを左の手で扱きながら起上った。
『高木さん、あなた、本当に女ッてものをどう思ってらっしゃるの?』
『落第者ですから女を論ずる資格はありません。イヤ女ばかりでは無い。一切が幻滅です。もう僕も芸術を断念して、修道院へでも入って一生を無言で暮そうか知ら?』
『え? それは本当?』時子が驚いたようにその袖に縋った時、丁度月は黒雲に蔽されて二人は暗黒に包まれてしまった。
試練
『名古屋! 名古屋!』という声に吃驚して眼を覚した時子は窓から赤帽を呼んで荷物を預け、ソソクサと橋を渡って改札口を出ようとした時、最前から莞爾しながら時子を見ていた紳士がツカツカと来て、
『松本さん!』と声をかけた。
『おや! 広井さん! まア暫くでしたワネ。』とシゲシゲ広井の顔を見つめつつ『此頃名古屋に在らッしゃるッてネ。』
『えエ、疾うから来ています。』と広井は微笑しながら、『今日、大伴君――あなたもお承知でしょう。彼は大伴君が瓢然今日尋ねて来て今の汽車で帰った所です。』
『まア、大伴さんが?』時子は残惜しそうな顔をした。
『貴女は何方へ?』
『私? 私、東京へ行って来ようと思って……』と一寸言葉を断って、『あなたが此方の教会に在らッしゃると聞きましたので、急に御伺いしたくなりまして……』
『そう、有難うございました。僕も一度貴女に御目に掛りたいと思っていました。今日も大伴君とあなたの御噂をした所です。』
『噂? どんな事を言ってらッしゃいましたの?』
『別に詳しい事は聞きませんでしたが、新宮で一寸お目に掛ったッて……』
『そう?』と時子は事も無げに言ったが、心では京都の宿屋の一件を話してなければ善いがと思った。で少し探針を容れて見るつもりで『大伴さんは今何所に在らッしゃるんでしょう?』
『京都の三本木の信楽とかいう宿に……』
『マダ信楽に……』と半分口まで出かかったのを嚙殺して、『広井さん、どッかの宿へ御案内願えませんでしょうか。』
『そうですナ。』と広井は一寸考えていたが、『御夕飯は? マダなんでしょう。』
『マダですよ。』
『じゃア、何所かそこらで済して参りましょう。』
『えエ、そうしましょう。』言って時子は恥かしそうに俯向いた。
『持ちましょう。』と広井は時子の手から手荷物を奪うようにして歩き出した。時子は雨上りの途を泥を用心しながら嬌態を作って歩いた。広井は時々振返って時子の容子に眼を注いだ。
『此家へ行きましょう。』広井は停留所の所からカフェめいた洋食店の二階を見上げるようにして言った。
『参りますワ、何所へでも……』
二人は二階へ上って片隅の卓子を中に差対いに席に就いた。
『五年振ですナ。』広井は椅子を前の方に躙らせながら言った。
『本当にネ、暫くでしたワ、』時子は言いながら室中を一通り見廻して其所に誰も他の客が居ないのを安心したらしく、『私、お眼には掛らないでもようく貴方の事は覚えて居ます。忘れられませんワネ、学校時代の事は……』
其中注文の皿が来たので二人は無言でフォークとナイフを取った。
『殊に僕には貴女を忘れられない理由が幾つもあります。』と広井はやがて思いありげにフォークを休ませながら、『貴女には何の意味も無かったのでしょうが、貴女がウィルミナ女学校を御卒業なさる前に讃美歌集を僕に下すった事がある。』
『えエ、覚えていますワ。』時子は優しい眼で広井を見た。
『その讃美歌の中に、Love という字を編出したレースの栞が挿んでありました。僕は今だにその栞を大切にしています。』
言いつつ広井はそっと時子を見た。しかし時子は急にガラリと態度を変えて何にも言わなかった。広井は云いたい事が沢山ありそうにモグモグしていたが時子が余り白々しいので寄付く島もなく黙ってしまった。そして言葉少の極めて索然たる食事を終った時、時子はサッサと勘定を済まして、
『さア、広井さん、御案内を願いましょう。』
支那忠旅館の裏二階へ二人が通ったのは九時過であった。女中が二人、夫婦扱いにして広井に上座の蒲団を薦めた時、広井は極りの悪い顔をしてテレ隠しに床の間の軸を眺めたり長押の額面を見たりしていたが、時子は平気な顔をして下手の蒲団に坐りつつ『お座んなさいナ。』と言った。その声は極めて優しい懐しみのある声であった。
『はア、』と広井はモジモジして立っていたが、『僕はお暇致しましょう。』
『どうして?』と時子は指環の光ってる白い美しい指を火鉢に翳しながら、『五年振じゃアありませんか、種々御話があるワ。』
時子は少しく頭を傾けながら広井を見上げて、『お座りなさい!』という言葉以上に強い強い一種の暗示を投げた。時子の燃ゆるような、しかも力のある眼の働きは苦も無く広井を火鉢の前に坐らせた。
『夢のようですナ。』と広井は少し顫えながら言った。
『本当にネ、不思議な御縁ですワ。御訣れして以来、私も種々の経験を致しました。』
『広島で御不幸のあった時も、お悔みこそ申上げなかったが、影ながら御同情していました。』
『有難うございます。しかし私、夫に別れた事なんか何とも思っていませんワ。』と時子は冷然とした面地で、『そりゃア月並には女の不幸でしょうけれど、結婚生活てものは実は幸か不幸か考えものですワ。広井さん、貴方、奥さんは?』
『マダ独身です。』
『バチェラア? 結構ですワ。もう一生御結婚なんかなさらない方が宜いワ。ネエ広井さん。』
広井はマジマジして時子の顔を見ながら黙っている所へ、女中が『お湯にお浴りなさいまし。』と言って来た。
『貴方、一風呂浴びてらッしゃいまし、随分お疲れでしょう?』
時子は女中の手前、二人を夫婦のように見せかけたばかりか、長い長い旅路を一緒に疲れて帰ったように取繕ったのであった。広井にはその心情が歴々と見え透いていた。しかし心の底にはそれを軽蔑するような感じと、何だか嬉しいような感じとが参差んで、ぼうーッと顔の火照って来るのを覚えた。
『僕は止します、貴女、浴ってらッしゃい。』と言ってしまった時広井は自分の言葉と態度とが余りに馴々しかった事を愧かしく思った。
『そう、では私、一寸浴って来ますワ。』と時子は次の室へ行ったが、やがて静に障子の開く音が聞えた。広井は理由なく眼を閉じて俯向いた。そして廊下を冷く消えて行く跫音にじっと耳を澄して聞いていると、雪のような白い素足が鏡のように拭込んだ板の上を小刻みに辷って行くのがアリアリと眼に見えた。
時子が階段を降りて廊下を曲って化粧部屋の戸を引明けたのも、其所で着物を脱いだのも、湯気の立籠めた生温い浴室の中へ入って行って、大理石像のような真白い身体が足元に気を付けながら慎ましやかに少し小腰を屈めて浴槽の方に近づいて行った様も、浴槽の中にずッぷりと首ッきり浸って襟足を濡さぬ用心しつつ顎を胸の所に付けて白い両の腕を前方に伸した様も、右足をキチンと折って左の膝を立てて首筋を洗っている様も、皆なアリアリと透視する事が出来た。やがて両の足を組交したまま鏡の前にすッきりと立って髪を撫付けている温泉の精のような美しい時子の姿が明瞭と見えた時、広井は熱火の鞭で殴られたように全身が燃えた。そして自分で自分を疑うようにキョロキョロと四辺を見廻して居たが、襖の傍に最前女中が措いて行った浴衣が、ちゃんと袖畳みにせられてあるのを見付けた時、矢庭に起上ってそれを攫んで二歩三歩障子の方へ駈け出そうとしたが、ハッと気付いて浴衣を元の所に投げた。
広井が思い直したように火鉢の前にどっかと坐ってほっと溜息を吐いた時、トントンと階子段を上って来る優しい跫音が聞えた。広井は思わず端然と坐り直して両手を膝の上に突いた。
時子は大島に伊達巻の艶いた湯上り姿に金紗縮緬の羽織を引掛け、ホカホカした頰を摩りながらべたりと坐って、
『好いお湯だった事!』
小首を傾げて広井を流眄に見た。広井はやっと夢の国から現実の世界に帰ったように、
『貴女の湯上り姿を拝見するのは大浜以来ですが、』と顫え声で言った。
『えエ、そうでしたネエ、私、あの時の事をようく覚えていますワ。』
時子は湯上りの透通るような美しい片頰に微笑を浮べつつ『砂の上に棒切で英語をお書きなすったワネ。そうそう…… My heart is a part of your heart ていうんでしたワネ。ホホホホッ。』
『貴女には可笑しかったでしょう。』と広井は怨めしそうな顔をして、『しかし彼の文句を覚えて居て下すッた事を感謝します。』
『私にはようく御心持が解っていてよ。』と言って時子は火鉢の前に坐り直して、『貴方は私を愛していて下すったんでしょう?』
広井は眼を円くして時子の顔を見詰めた。時子は広井が要求するなら何時でも唇を与えようというような態度を見せた。もし二人の間に火鉢が無かったなら時子はその艶かしい嬌態を広井の胸に投げ掛けたかも知れなかった。
『私だッて貴方のお心持が嬉しかったワ。私、あの日本式英語を時々憶い出してよ。』と時子は真鍮の細い火箸で白い灰の中に楽書をし初めた。偶と気付いた広井は其時子の手の動き方から時子の心の中に動いているある物を発見しようと勗めるように熱心と注意とを以って火箸の尖を見詰めた。
All of my heart is under your power……と最初の程は書いて居たが、次には少しく静かな手付きで、You have the absolute power on my heart and mind と書いた。二人の間には火箸が灰の中を走る微かな音の外に何物も無かった。しかし広井の心は躍った。
時子は何気なく火箸を深く灰の中に突さして広井の顔を一寸覗くようにしたが、又俯向いて、You are the king of my heart. と書いてそれを凝然と見詰めて居た。
広井は武者震いをするように少しく詰寄って、『今になって愚痴を言うのじゃありませんが、貴女が樋口さんと御結婚なすった時は僕はもう一切の望みが失われて生きてる空はありませんかった。』と言って火鉢の縁に手をかけた。此時広井の心にはこの艶かしい時子が『あなたは私の心の王様ネ』と言って縋り付いて来るだろうというような予想があった。しかし時子は案外平然とした態度で、火箸の上に真白い指を端然と揃えた右の手を載せて、それを軽く動かすようにしながら、
『まア、好い加減になさいよ。本当にあなたがそれ程に思って居て下すったなら、何故プロポーズなさらなかったの? 今になって其様な事を仰しゃって……』と言ったが、急に娘々した羞恥を見せて俯向いてしまった。
『其様な事が出来ますか一ヶ月十一円の給費を受けてる貴女方の謂わゆる襤褸神なる神学生である僕が、立派な身分であるお嬢さんの貴女に、如何に厚顔でもプロポーズが出来ますか、拙い英語を砂に書いたのが精一杯でした。それを貴女は……』
『だッて広井さん。』と時子は広井の言葉を遮って、『男てものは忘れッぽいから、其様な事を仰しゃって、直ぐ私を忘れておしまいなすったんでしょう?』
『忘れなくては罪悪ですから、強に忘れてしまいました。』
『だから、私、男の方を信じないのよ。男てものは愛しても愛されても、ずんずと忘れてしまいます。女は一度愛してくれた人は何年経っても忘れやしないワ。私は樋口と結婚しましたサ。けれどもそれは樋口の私に対する愛情の発表が貴方より猛烈だったからで、貴方は砂へ字を書いたばかりじゃありませんか。あの時もし貴方がプロポーズしたなら私は貴方と結婚したかも知れませんワ。その頃の私達は口では襤褸神だなんて悪口はして居ましても、矢張り牧師は総ての職業の中で一番尊い神聖な職務だと心から信じて居たんですもの……ですから五年前に大浜で私に投げて下すった貴方の愛情は今でも私の胸に収ってあります。こうして五年振でお目に掛ったのは、五年来私の胸に秘めて居た貴い貴方の愛情を取出す時節が来たのですワネ。』
『えッ、』と広井は呆れた顔をしてじっと時子を凝視めたが、やがて眼を一杯に睜って、
『貴女は彼の時、腹の立つ程冷たかった。あの字が浪に打たれて消えて行くのを見た時、僕は僕の心も彼の字と同様、誰にも読まれずに永遠に消えてしまうのだと思ってましたが、五年振の今日、初めて貴女のお心持が解って……もう何にも言いますまい。ただ感謝します。』と広井は慄え乍ら言った、時子は黙って自分の膝を見詰めたまま静としていた。
『もう何時でしょう?』と広井は時計を出して見て、『おッ、もう十一時だ。では失礼します。』
『どうして?』と時子は沈着いた調子で、『十一時だって十二時だって宜いじゃ無くって。』
『しかし余り遅くなっては、』と広井はモジモジしつつ『深夜まで御同坐しては……』
『何故? 私は貴方を尊敬しています。貴方も私を認めて下さる。お互いに清い心を認めた者同士なら、深夜だろうが何時だろうが、対座いでいようと如何しようと憚る事はちっともありませんワ。』と時子はきっぱり言った。
広井は恐ろしいものに取憑かれたように身顫いしつつ俯向いてしまった。
『あなたは弱虫ネ。』と時子は広井の顔を見上げた。
『仰しゃる通り僕は弱いです。』広井は徐ら時子の手を押除けて、『僕は毎日負けています。清い心と仰しゃられると恥入ります。こうして深夜貴女と相対でいたなら、何時悪魔に魅入られて恐ろしい心持になるかも知れませんから。』
『私だッてそうよ、一人は取られ一人は残さるッて言葉がありましょう。これから朝までの間には御互の心の中には大変な戦が始まりましょう。饑饉、疫病、地震、其様な肉体的な苦痛なんぞに比べられない真の恐ろしい苦痛が襲って来ましょう。広井さん、もしお互の心に清い愛情が無くッて御覧、私達は取返しの付かない恐ろしい堕落の淵に落ちて、光も輝も無い蛆のような肉の衝動ばかりに生きて行く憐れな者になるかも知れませんワ。さもなければ貴方が私を淫奔者と罵るか、私が貴方を堕落者と蔑むか、お互いに聖人振って悪口の言合いッコをする位が最後ですワ。ネエ広井さん、恐ろしい悪魔が日を晦くし、月の光を隠し、星を篩い落して私共を突落す苦しい苦しい奈落の患難と思うさま戦って、そして苦しい苦しい患艱と思う存分戦って見ましょう、ネ、広井さん。そして東から出て西に閃く電光の光に御互の清い清い心を底の底まで照してみようじゃありませんか。其時本当に人間の権威が神の姿となって現われて来るのでしょう? ネ、広井さん、私共の心はドンナに堅固だか、朝までこうして相対いで試錬に逢って見ようじゃありませんか……』時子は熱火の中に鎔け込んでしまいたいような、焰に燃ゆる言葉を吐きつつ広井の膝を揺ぶり揺ぶった。
『御免下さいまし、』と外から声を掛けつつ二人の女中が襖を開いて手を突き『お床を延べましょう。』と云った。
時子は黙って座を移した。広井は眼を閉じたまま動かなかった。
二人の容子を怪訝な顔してジロジロ瞻めながら、女中は無言で二つの寝床を列べて敷いて、『御機嫌克う、』と丁寧に額づいて引退ってしまった。
女中達が下へ降りて行った時、勝利者のように勝誇った時子は、『広井さん何を考え込んでらッしゃるの? もう愛だのという事は神様にお預けして、本当に天国の子供のようになって、朝まで楽しい清い清いお咄しを致しましょう。ネ、広井さん!』と言って、くの字なりに広井の顔を見上げてニッと微笑んだ。
『貴女は強い!』と広井はほっと息を吐いて、『強いから貴女は子供にでも何にでも自由に成られるでしょうが、僕にはそれだけの勇気が無い。けれども仕方が無い。女王の捕虜となって暫く監禁されましょう!』
『どうして捕虜だの監禁だのと仰しゃるの、私は其様な暴力を有って居ない事よ。ネ、広井さん、誤解なすッちゃ不可んワ。私達はお互いの肉体も情慾も悉く捨ててしまって、真の清い心と心とを一つにして、栄光の雲に乗って天の使達に聖い聖い愛の歌を歌わせながら、世の中の肉の香に酔った人達を呼覚してやろうじゃありませんか。そういう清い貴い心持になるのじゃないの? え、広井さん、そうじゃ無くッて?』
『あなたの仰しゃる事は僕に解らなくなった。』と広井は再び沈黙した。
『だって広井さん、あなたは宗教家じゃアありませんか、宗教の伝道ッて結局は何です? 清い心と心との接触した時が伝道の出来た時でしょう。神と人との霊と霊とが結び付いた時、あなたの宗教心と求道者の宗教心とが、ピッタリ接触した時、其所に宗教と名のつくものがあるのでしょう。私、そう思いますワ。……恋だって矢張りそうでしょう? 清い心が清い心に触れた時其所に本当の恋があるのでしょう? 人間の情緒の一番清いものが、神に触れた時宗教というので、それが人に触れた時恋と云うのでしょう。ネ、広井さん、私は恋と宗教とをこんなに見てるのですワ。間違っていて?』
時子は吾知らず感奮して膝を進めた。
『失礼します。』と広井は俄かに起上った。
『お帰んなさるの? 朝までお話下さるおツモリじゃア無かったの?』
『だが時子さん。』と広井は腰を屈めるようにして、『僕にも少し考えさして下さい。僕は実に弱い弱い肉の子供だという事を沁々悟りました。』
『私だッて弱いのよ。』
『イヤ、時子さん、貴女はこれまで燃ゆるような情火と戦った御経験が沢山ありましょう。けれども僕にはその経験が無い。だから僕は今夜貴女を女王と崇めて、貴女の脚下に蹲まる捕虜の心持にならなければ……僕は、僕は……』と広井は戦くように、『貴女に対して情火の擲弾を投ずる恐れがあります。危険です危険です、解放して下さい。僕を解放して下さい。』
『卑怯よ、広井さん。』と時子は広井を引止むるようにして、『捕虜だの解放だのと仰しゃらずに私の王者とおなりなさい。』
『王者になれる位なら僕は決して悶えません。僕にはその資格が無い。お恥しいが僕は超人では無い。ともすれば肉の奴隷になりたがる弱い弱い男です。ですから僕はこうして貴方とイツまでも同座していれば、何時貴女の清い清いお心に対して反逆を謀るかも知れません。万々一その反逆が穂に現われたなら、貴方のその強いお心は僕を影も形も残らないまでに粉微塵に粉砕してお了いなさるのが予想出来ます。敗北に決った戦いを敢てする愚策を取る馬鹿はありません。では時子さん、お暇いたします。』
『不可ませんよ。それだけ自覚していらっしゃるならお逃げなさる事は無いワ。そのお心持でさえいらっしゃるなら、お互に清い愛の空気に満ちた美しい一夜を神聖に過す事が出来ますワ……ああ嬉しい、私は今まで、どんなにかこの時を待っていたでしょう? もう世界は御互二人限りの世界よ。純潔な愛の焰が、その真紅の焰が今私の心に燃えています……私はこの胸が焼尽される程……私はもう死んでも宜いと思う程……』
時子は全身を起して広井の腕に縋った。そしてさも堪え難いように縋った両腕の間に自分の顔をぐったりと落し込むようにして、背を浪打たしていた。広井は俯向いたなりに真蒼になってブルブルと慓えた。
『時子さん!』と周章てて時子の手を振解いた広井は、『駄目です、僕の弱い心はもう暴虐の焰を燃して来ました。言うも恥かしい烈情が今私の全身に燃え広ごっています。』と言って其所に投げつけられたように坐ったが、眼を閉じて一心に黙禱し初めた。
二分、三分、五分、十分経っても黙禱は続いた。小い小い妖魔の姿は矢のように広井の周囲を飛び巡った。深い深い噴火口の中から呼ぶような熱い熱い声が焰のように身辺に渦巻きながら聞えて来た。白い手が招いた。美しい乳房が見えた。漆のように黒い髪がミルクのように白い膚の上を紆った。水晶のような瞳が輝いた。そして広井の全身が罅裂けて飛散りそうに思われた。しかしやがて総てのものが影を潜めて、広井の前にはただ広い広い曠野が見えた。赭黒い石が其所此所に転がっているばかりで、草も花も何にも無かった。しかし砂の上に小い人の足跡が一つ見えた。じっと見ているとそれが段々大きくなった。足跡は沙の上に一尺程の距離を置いて縦にクッキリと刻んだように印せられていた。右と左との親指の痕まで明瞭見えた。フィルムのように砂浜は広井の眼の前を果なく過ぎ去った。そして最後に大きな岩が現われた。岩の上には若いナザレ人が横に臥ていた。美しい若い女が、ナザレ人の眼を覚さまいとするように、そっと岩に近寄るべく爪先で歩いていた。手にはナルドの香油を持っていた。それはナザレ人の髪に注ごうとする為であると知れた。しかし女の近寄らない前にナザレ人は眼を覚して半身を起した。長い美しい髪が肩の所まで垂れていた。女は嫣然と笑った。ナザレ人は黙って点頭いた。一寸躊躇するようであったが女は手を高く差上げて瓶を倒まにした。透通った油=芳烈な香を放つ香油=が白い美しい腕の中から溢れ出てそれが細い指先から糸のように美しく流れ出るように見えた。最後の一滴がナザレ人の頭に落ちた時、ナザレ人は極めて少しく微笑を湛えた顔を女の方に仰向けた。女の顔は其時満足と喜悦に日の如く輝いていた。燃ゆるような眼でナザレ人をシゲシゲと見下していたが、女の顔は段々ナザレ人の顔に近づいて行った。そしてその唇と唇とが辛うじて相触れようとした時、女は驚いたように身を退けて、青年の足許に打ッ倒れた。そしてその足に接吻した。女の眼からは涙が雨のように降注いだ。女はナザレ人の足の上に落つる自分の涙を黒い丈なす髪で拭いては泣き拭いては泣いた。ナザレ人は憐れむように女を眺めながら、しかも女の為すが儘に総てを打委せていた、何所からか聖い音楽が聞えて来た。それは遙か彼方で世に無く聖い麗わしい愛を讃美する合唱のように思われた。
時子は黙禱している広井の顔をじっと見ていたが、五分、十分と経つうちに、次第に厳粛な敬虔な気色が面に現われて来て、はては如何なに地震が揺ろうと鳴神が礑めこうと、天体が燃え毀れ、地質が焼け鎔けようと、ビクとも動じない聖者のように見えて来た。時子はこれまでこれ程真剣な真面目な人の態度を見た事が無かったので、思わず感に打たれて首を垂れてしまった。
……この輩は水無き井なり、狂風に逐るる雲なり、黒き闇かれらの為に窮なく存れり、开は彼らは誇りたる虚しき言葉を語り肉慾と淫乱を以て、彼の迷える者の中より、辛うじて脱れたる者を誘えばなり……
時子は心の中でこの聖句を幾度も繰返して読んだ。やがて二十分も経ったと思う頃広井は静かに眼を開いて、『時子さん!』と呼びかけた。
『はいッ、』と時子は極めて素直に答えた。
『時子さん、免して下さい、僕は今の今まで貴女を欺いていました。五年前貴女に心の一部を捧げたと言いましたが、実は貴女にばかりじゃ無い。その頃僕は三人五人の婦人に愛情らしいものを捧げて幾度か失恋していたのです。僕は実に軽薄でした。卑劣でした。貴女に偶然お目にかかった今晩、私は本当に陋劣な心で貴方に対して貴女を侮辱していました。あなたが浴室に行かれた時、僕は既での事であなたの後を追って浴室へ行く所でした、私の手は彼の浴衣を攫んでいたのです。私は心の中で浅ましい慾情の焰を燃やしながら、それを貴女に隠していました。僕には清い清い愛の油を……ナルドの香油を頭に注がれる資格の無いものです。面目次第も無い……』と広井は心から慚愧に堪えないように凝乎と考え込んだ。
『だが、時子さん、』と較や暫く時子の俯向いた前髪を見詰めて、『自分の軽薄を棚に上げて他人を揣摩るのは失礼な話だが、時子さん、貴女も清い愛だの処女の心だのと先刻からノベツに仰しゃってるが、それが心の隅々までも見給う神の前に本当に疚しく無く仰しゃられますか。自分の卑しい心から貴女を疑うのは、ますます自分の軽薄を現わすようなものだが、……早い話が今日貴女は僕と出会わなかったなら、あなたの心の何所にも、僕という貧乏牧師の影も欠片も現われ無かったのじゃありませんか、僕は今日偶然お目に掛った時、実際は……今まで全く忘れていた五年前の軽薄な恋を、恰も真心の愛のように誇張して貴女に訴えたのです……自分で空想を歌って自分の肉情を満足させていたのです。実に卑劣極る事だと今眼が覚めました。時子さん、あなたも本当に神の前に……神の前に……』
広井の面には一句毎に熱誠が現われて来た。時子の俯向いた眼からはポタリと露が落ちた。
広井は再び眼を閉じて黙禱した。時子は広井の言葉がヒシヒシと身を責めるように感じた。
『広井さんよく仰しゃって下すった。』時子は俯向いた顔を上げ、『私、全く今日まで貴方の事なんか忘れていました。けれども広井さん、私が清い心の憧憬を満足させる恋が出来ると思ってるのは偽でも何でも無いのです。私、本当に清い恋に、全く肉を離れた恋に憬れているのです。』
『人間にもしそれが出来るなら、宗教も道徳も要りません。それは迷信です。そういう偶像を投捨ててしまわねば真の幸福を得る事は出来ますまい。』
『だッて私はこの憬れに生きているので、』と時子は遣瀬無さそうに、『これが無くなったら、私は死んでしまいます。』
『再婚なさい!』と広井は宣告するように言って、『信仰に生きて、異性の愛に超越する独身生活が送れないようなら、潔く再婚なさい。清い愛だの処女の心だのと言ってる中には、その白く塗った墓が滅茶々々に砕けて世間の宜い物笑いになりますよ。』
『物笑いに? 私、笑われても宜いワ。世間の人なんて……』
『其様な事を言って居るうちに、あなたは取返しの付かない堕落の淵に陥ちて、僕のような弱虫にさえも⦅この淫奔女!⦆と足蹴にせられるような、悲惨な羽目に落込んでしまいます。それが僕の目には見え透いています。世間には丁度貴女のような態度で、男の感情を玩弄にし、自分の感情をも粗末に扱って、醜い屍を焼かず埋めず野に捨てて瘠犬の腹を肥すものが珍らしくない。貴女をその一人だと断言するのでは無いが、貴女の今の態度を更めないならこういう運命が貴女を待っていないとも限らない。時子さん、ようく沈着いて、冷静に御自身の真の心の光を御覧なさい。五年振で珍らしく逢った貴女に、こんな苦言を呈するのは、貴女を呵責するのでは無い。僕自らが心に愧じて慮る所があるからです。』
広井の音声には一句々々誠心が籠っていた。室内の空気は全く森厳に閉されてしまった。
『よく解りました。』と時子は暫くじっと考え込んでいたが、『私は全く浮いていました。』と両手で顔を覆うて、
『広井さん、私の為に、私の復活の為に、お禱り下さい。』
広井は黙禱した。時子も一緒に黙禱した。二人は眼を開いて互に顔を見合した。
『御互いに救われました。僕は始めて戦勝の嬉しさを知りました。私の前途には明瞭した長い長い行手が見えて来ました。驀地に突進します。左様なら時子さん、これきり、もうお目にかかりますまい。』と言いつつ外套と帽子とを抱えて立上った。
『広井さん。』と時子は追縋って、『私、本当に今まで男の方を軽蔑っていました。私の優しい一言で信仰が動揺いたり、道徳を破ろうとしたり、さも無ければ同情してくれながら真剣さが足りなかったり、冷たい顔して嘲笑したり、愛するにも憎むにも皆な表面ばかりで、私の心に突入って心のドン底を突破って下さる方にはマダ会いませんかった。広井さん、貴方ばかりよ……私、何と云って感謝して宜いでしょう? 私は他人の感情を弄ぶなんて其様な浮いた心は微塵も有っていないツモリでしたが、今日唯今、悉皆眼が覚めました。広井さん……』
広井は無言で幾度も点頭いた。
『さッ、時子さん、永久に今晩を記念しましょう。』と手を伸ばして軽く時子と握手しながら、『では、さよなら!』
一言云い切ると同時にサラリと障子を排き、後をも見ず階段の方ヘサッサと歩いて行った。
時子は跳飛ばされたように後へ退ってペタリと蒲団の上に倒れた。広井の跫音は次第に消えて、帳場の送る声や表の入口の開く音までが寂とした中に響いた。
帳場の時計が労れたようにボーンと一時を打った。
懺悔
堅爾様、
お久し振でございます。御別れしてからまだ一度も御尋ねしなかった私が不意に御便り申上げるはさぞ気紛れと御召しましょうが、あれから後の私の心の革命、飼禽の林に帰ったような境遇の変化は私を一番よく知って下さる貴方に申し上げずにはいられませんからお読辛くも御覧下さいませ。
あの頃私は空吹く嵐の呼ぶままに身を任して野もせ山もせ所定めず吹暴れていました。何という恥かしい事でしょう。
枝から枝に木の間を飛び交う小鳥が、花から花に歌いありくように、何処という目的も無く浮れ心に飛び歩いていました私は、変らぬ囁きを繰返しつつ、初恋の巣に止まる事を今更ながら美しい事だと思っています。そして其様な純で初心な心を慕わしく思うにつけ恋順礼の笈摺の摺切れた我身を悲しまずには居られません。
御別れして後、私は大阪から伊勢、名古屋から東京と、所定めぬ萍の彼方此方と漂うた果のただ今はこの山里で静かに読書に耽って居ますが涙脆い女の何彼につけて憶出されるは幼かりし昔の事です。
堅爾様、
もう十五年になりますね。権現山のあの石段の所で貴方が父さん、私が母さん、何にも知らずに椎の実を拾って飯事をした時の楽しさは今だに忘られません。あの頃の無邪気な美しさに較べて其後の私の偽り多い醜さは何という悲惨でしょう。
全く私は愚かでした。無反省の恥知らずでした。肉の墳墓を通り越した醜い汚れた身を打忘れて何時々々までも清い処女心を有って居るように妄想していた私の愚かさ。想えば想う程吾ながらこの浅果敢な私自身を軽蔑せずには居られません。
堅爾様、
想い出の深い二日の旅路、其時は本当に世に無く楽しい旅路だと思いました。私も其時は心に疚しい事が毫しも無いと思っていました。しかし今になって考えてみると、私はあの時決して決して貴方に純なる愛を捧げてはいませんでした。不純な濁った心を懐きながらよくもあんな白々しい所為が出来たものだと、あの夜の事を思う度に私は慚愧と悔恨に泣かずにはいられません。
貴方ばかりではありません、私は石塚様にも広井様にも高木様にも音無様にも悪戯の手を挙げてその平らかな池の水のようなお心に小石を投げたのであります。私は何というイタズラ者でしょう。人のお心を蛇の舌で生殺しにし、白い白い糸を縺れに縺れさせて、独りで喜んで居た私、よくもこの舌が裂けなかったものです、よくもこの心臓が破裂してしまわなかったものだと思います。
堅爾様、
私は妖婦でも毒婦でもありません。それだのにどうしてこうまで悲しい罪を造ったのでしょう。私は私自身が憎くて憎くて、起っても居ても堪え切れない苦痛に襲われます。私はこの自分の爪で自分の身体をバラ搔きに引搔き、頭の髪の毛を一筋一筋引挘ってもなお飽足りない気持がいたします。私は今左程までに自分を蔑んでいます。
堅爾様、
私の心の奥底には底光りのする道念が座を占めています。私が恋に饑えて愛に渇いて驀地に駈け出そうとする時、いつもその道念が強く私の袖を控えて、私の逸る心を制御しました。私は其時この尊い道念に潔く服従する事が出来ませんでした。私は私の饑と渇きとを医したい一杯に苦みました踠きました。そして思い切り足を挙げて道心を蹴る事も得せず、と云って服従も出来ず、弱い心に燃え広ごる慾火浄火の戦いの焰を他人に縋ってスネて甘えて打消そうとしました。それが虚偽となり悪戯となったのです。本当に私は間違っていました。私は二人の主人に事えていました。私は私の心の鍛錬の不足を今更口惜しくも怨めしくも思います。しかし堅爾様、私はもう決心しました。私はもう誰にも恋しません。私は独りで自分の胸を抱緊めて、私の心の奥の奥に奥山の真清水のように清く澄む恋の泉を独りで汲んで淋しく暮します。私の罪深い虚偽の生活から済われる為めに、私は白蟻に蝕われたような過去の家を土台から破壊して新しく建直さねばなりません。
堅爾様、
私はこう決心しました。そして一所懸命に強くなった意でも、強がる傍から意気地なく悲しさが犇々と籠上げて来てただ理由も無く涙ぐまれます。私は十五年前の昔に立返って貴方が父さん私が母さんと言ったその頃の事を切めてもの憶い出とする事だけは御許し下さいまし。そしてそれを死に切れない生道心の呻吟だと御笑い下さらないように願います。
奥山里に淋しく暮す有髪の尼、マダ血汐の枯果てない私、高嶺颪に吹かれても落葉朽葉に埋もれても、私は矢張り若い血汐を抱いて、自分と自分を恋して暮します。可愛い可愛い髫髪放の時代を思い出して、自分と自分を撫で擦りながら暮しましょう。そうした心で『堅ちゃん!』と独りで呼ぶ事を御許し下さいまし。
堅爾様、
それでは御機嫌宜しゅう。海山遠く離れて居ても貴方と私とは振分髪の古い古いお友達です。貴方の恋の将来に幸あれと私は一心に祈っています。けれども片山里にただ一人不便な恋の敗残者がある事はお忘れ下さいますよう……必ず御忘れ下さいますよう、
昔の 時うちゃんより
眷かしい堅爾様
堅爾がこの手紙を受取ったのは十二月の初めであった。時子の手紙には住所も何にも書いて無かった。堅爾は躍る胸を抑えながら、淋しい山里というは何所の事だろうと、頻りに封皮を瞻めたが生憎差出局の局名が軽擦れて『山、龍』の二字しか読めなかった。
山……龍……と幾度も口の中で読返していた堅爾は礑と膝を打って、
『和歌山……竜神……そうだ竜神温泉場だ!』と思わず叫んだ。そして再び消印を視るとそれが不思議にも今度は『和歌山、竜神』と明瞭読めるのであった。そしてその切手が倒まに貼られてある事にもやっと気がついた。堅爾は凝然とその状袋の文字を見詰めているうち、何とは無しに睫に涙の鈍染んで来るのを覚えた。
幼馴染
日蔭に消え残った雪を踏みつつ堅爾が竜神温泉の梶屋に着いたのは夜の九時過であった。その晩は綿のように疲れて居たので、あッさり食事を済してから直ぐ湯にも浴らずに寝てしまった。
翌朝は九時までグッスリ寝込んで、偶っと眼を覚すと枕辺の障子が白んで、世間が妙に静かなので、『雪か知ら、』と身体を伸して指先で一寸障子を押開けた堅爾は、『や! 大雪だ!』と叫ぶように言って撥ね起きた。そして寝巻のままで冷たい縁側に立って向山を見た。
昨宵の墨絵の景色は驚くばかりに真白く化って居た。もう降止んで処々雲切れになってる隙から覗くように顔を出す太陽が険しい山を半分照らしてキラキラ光っていた。
重たそうにボットリ雪を戴いている木の枝が、日の目を見ると俄かに力強くなって、さも勇士の力を見よ! とでも言うような塩梅に二三度撓った枝を掉るかと思う中に、ボタッ! と雪の塊を振落した。トタタ……と湿っぽい重そうな音を立てて雪の塊が落ちると同時に小い雑木が幾本もその響と共に頭を上げたり掉頭を振ったりして各々の被って居た白い頭巾を脱いだ。そして真白い生物の走るような形がその葉蔭からチラチラ見えたと思うと、前の川岸に白い塊が幾つも転げて来た。鵯が二三羽ピイピイ鳴いて川上の方へ飛んだ。
『好い景色だなア!』と思わず独語ちながら敷居際へ坐って眩しい眼を数打いて居ると、『お早うございます。』と女中が縁に軽く手を突いて嫣然笑った。
『お客様、直ぐ御湯にお浴りなさいますか。』
『浴ろう!』とタオル片手に楊枝を銜えて、『何所だい?』『御案内致します……』と先に立つ女中に躡いて行くと、竹皮鼻緒の杉下駄を縁先へ直したので、
『内湯じゃ無いのかい?』と問うた。
『ずっとこの下になります……あの湯気の立ってるのがお湯屋でございます。』
『そうか、随分遠いんだネ。』と云いつつ堅爾は下駄の痕をつけるのが惜しいような気のする雪の中を歩いた。歩く度に下駄の下で雪はブクリ、ブクリと鳴った。堅爾の耳にはその音が非常に物珍らしい音であった。やがて長い石段を降りると川に沿った浴室があった。
男湯には一人も居なかったが、板一枚を隔ってる女湯ではジャブジャブ湯を使う音がした。二坪もある程の大きな湯槽には無色無臭の温泉がピタピタ縁を洗って槽の外まで溢れて居た。
堅爾は辷り気味の湯槽の底を用心しイしイ窓際まで行って、ズッぷり耳まで浸りながら外を眺めた。際涯なく高く見える山が、真白く雲の中に聳えて居た。亭々とした松が頂から青い雲の中に手を差伸して逃げ行く薄白い雲を摑もうとしていた。
伸上って窓框の所から下を見ると、硯は一面に真白かった。虎の臥ているような獅子の嘯いているような、狗の蹲って居るような奇岩怪石の間を縫って流れている日高川の水は、真黒く墨のように見えた。しかし自分で自分の眼を疑うようにじっとそれを見詰めて居ると、段々にそれが澄明に見えて来た。遂には川底の滑かな岩も小石の一つ一つも見えるようになって来た。岩に堰かれてゴボゴボと流れ落つる水の泡の一つ一つまでも明瞭と見えた。小い川烏がピィーと鳴いて深緑の渕を潜って再び石菖蒲の生えた岩の蔭に隠れた。
『お早うございます。』と不意に後から声がしたので堅爾は吃驚して振向いてみると其所にはガッシリした五十恰好の男が手拭を引攫んで立って居た。
『お早う!』と堅爾は周章てて会釈した。
『善え湯じゃ。』と飛込みざまブルブルと唇を鳴らしながら顔を洗って『有難い有難い』と独語ちつつ愉快そうにずッぷり頤まで浸ってハァー、ハァーと長い息を引いた。隣の浴室は急に静かになった。トン! と軽く間の仕切板に触れた音がした。それは優しい女の肱が板に触れたのだと思った。と直ぐ堅爾はそれが時子では無いかと思った。
『この村のお方は幸福ですナ。こういうお湯があるのだから……』
堅爾の声は高かった。それは隣りに居る女がもし時子であったなら、直ぐ敏感な彼女はそれと感付くだらうと思って故ら高い声を出したのであった。
『喃! 薪一本焚かいでもこがイな好エ湯が沸くんじゃさか。』と老人はジロジロ堅爾を見ながら、『あなたは何地のお方です?』
『僕は新宮です!』と新宮という言葉に力を入れて言った。
『新宮? へェー新宮?』と老人は堅爾の顔をまたジロジロと視た。
『爺さんは新宮を御承知ですか。』
『知りませんが……あなたは戎屋にお泊りですか……』
『いいえ、僕は梶屋に……昨晩来たばかりです。』
『はア、そうですか。戎屋に新宮のハイカラさんが来ていますのう……』
堅爾はハッ! と思った。しかしわざと沈着いた風をして、
『そうですか、何というお名前ですか……』
『知りませんナ、ただもうハイカラさんで通っていますので……』老人は濁声でハハハと笑った。隣の浴室ではまたザブザブと湯を使う音がした。堅爾は急に恥かしくなって来た。時子―それは自分に空虚を摑ませて置いて捨子をするように、放ッて置ぼりに自分を捨てた時子、其時子をわざわざこんな山奥まで慕って来たかと思うと、彼の捕捉し難い時子はきっと自分を蔑むに違い無い、いっそ思い切って会わずに帰ろうか知ら……などと思って、無意に立ったり蹲ったり手拭を絞って見たり、それを湯の中へペタリと投げて空気に膨らんだ所をそッと摑んで丸い玉を造ってそれを湯の中へ引込みながら、ブルブルと沫を出して見たりして居た。
とかくするうちに隣室の硝子戸がガチャンと鳴って、若い女が急ぎ足に男湯の前を通って出て行った。
堅爾は思わずハッとした。女の俯向いた白い頸筋がチラリと眼に映ると、もう沈着いて居られなかった。
『お先きへ、』と云い棄ててソソクサ出て行って身体を拭き拭き硝子越に見上げると女はもう石段を半分も登っていた。堅爾はその後姿を見ながら『時子か? 時子であれかし。』というような心に充たされながら、あたふたと宿に戻って来た時、もう手拭が板のように氷って居た。
堅爾は食膳に対いながら考えた。一体自分はどうしてこんな所まで出かけて来たのだろう? 時子の手紙は成程感傷的であった。人を牽付ける力もあった。が、時子が果してそれ程強く自分に執着しているだろうか。必ずお忘れ下さいますよう……と二度まで書いてあった。あの手紙の末尾は一体反語に解すべきものだろうか、其儘受容るべきものだろうか。時子の例の筆法で、何方にでも抜けられるように抜穴を造って置いたのでは無かろうか。自分は全体時子にそれ程深く未練を残して居たのだろうか、釣落した魚は皆な大きイ……そしてそれが何となく惜しい……丁度其様に時子に逃げられた、そして居所を隠された、所が突然思余った手紙が来た。その発信の場所を秘していた。もう矢も楯も堪らないでただ仔細もなく時子が恋しくなってここまで来た。例令時子がもう出立してここに居なくっても、左程涙の出る程にまで失望はしないであったろう。ただ自分で自分を、『馬鹿が!』と言って罵るだけでだったかも知れない。所が目星を付けた推測が首尾よく中って、さて目の前に時子が潜んでいるのが解って、直ぐ会えると思うと、さア会う必要があるのか無いのか解らなくなって来た。
『一体俺は何の為に彼の女を追かけて来たのだろう?』
堅爾は暫く無言で機械的に箸を動かしていたが、味も何もよく解らなかった。
『お茶だよ。』と堅爾は茶碗を突出して箸を置き、『戎屋に居るハイカラさんに俺の名刺を持ってッてくれ!』
『畏まりました。』と女中は茶を注いで差出しつつ不思議そうに堅爾の顔を黙って見ていた。
堅爾はやがて名刺を出してその裏ヘ仏蘭西語で、"le lion poursuit la lionne"⦅牡獅子は牝獅子を追跡す。⦆と万年筆でサラサラと書流し、一ト口茶を飲んで膳を突出しつつ『これを持ってッてくれ!』
女中は『はイ、宜しゅうございます、彼の松本さんですのし。』と云ってお膳を下げると一緒に名刺をお櫃の上に載せて出て行った。
時子が名刺を見た時、どんな顔をするだろうか、どんな返事をよこすだろうか、アタフタと飛んで来て、『まア堅爾さん!』と縋り付いて来るだろうか、膝の上に打倒れてしみじみと泣くだろうか、あるいは長い手紙を持たしてよこして『すまないがお目にかかる事だけは御免下さいまし……』と云って来るので無かろうか、などと考えている所へ次の室から、『御免下さい。』という声がすると一緒に襖がスウと開いて、最前の女中が敷居際に手をつかえた。ハッと思って振向くと女中の後に嫣然笑いながら立って居るのは時子であった。
『まア大伴さん!』と時子は叮嚀に叩頭をして、『いつ京都をお立ち?』
『一昨日……』と堅爾はドギマギしながら少しく後へ膝行って坐り直した。
『そう、では、私の手紙を御覧下さいまして?』
『見たから来たのです。』と云ったが急に誤魔化すように、『少し静かな所で休養したいと思って……』
『だって、私、住所を書いて無かったでしょう?』
『……少々困りましたが、消印でやっと見当をつけましてネ。』
『ですけど、お目に懸りたいッて書かなかった筈ですが……』
『そりゃア来てくれとは書いて無かったけれど、ああいうイキサツで別れたきりになっては寝覚が悪い。その上にあんな御手紙を戴いては放擲らかしては置かれません。一度膝を突合して、お互に言いたい事をさっぱりと打明けてから綺麗に別れたいと思って……』
『お待ち下さい、』と時子は冷然として、『貴方と私とはマダ別れる何のという関係にはなっていませんよ。綺麗にも汚いにも私はマダそんな事を考えた事は一度だってありませんワ。』
『果然!』と堅爾は真紅になって俯向いてしまった。
『そんなお話はもうお止め。』と時子は急に調子を変え、元気な晴々した笑顔を作って、『久し振でお目にかかると直ぐこれですもの、私は吾儘ネ。ですけど大伴さん、……あら! 怒ってらっしゃるの?』
『怒っちゃいません。』と堅爾はむッつりとしていた。
『そんなら宜いけれど、折角久しぶりで御目にかかったのに……』
『僕は怒りゃアしないさ。けれども貴女が余り木で鼻を括ったような挨拶をなさるもんだから……』
『そりゃア私の気質ですもの、木で鼻を括るような挨拶をしたからッて、私が貴方に対して悪意がある理由じゃア無し。ネ、宜いでしょう、そんな事……』と時子は溢るるような愛嬌を見せて、『それよりか貴方、私は今大変なものを勉強していますのよ。』
『大変なものとは?』
『ダアウィンやクロポトキンを読んでますのよ。』
『成程大変なものだが、小説の方は此頃もうお止め?』
『人情ッぽいものはもう飽き飽きしました。自分というものを凝視めていると自分自身が立派な小説になってますワ。トルストイやツルゲーネフが面白くても、自分という大きな小説を読んで見ると、もう人の作ったものなんか読む気になれませんワ。実を言うと今までに私は小説を読過ぎましたワ。イブセンのブランドにある言葉を真似るじゃアありませんが、私の今までの考えは皆な物の断片に過ぎなかったのですワ。エイナアとアグネスが人生を恋と花とで出来てるように考えて踊ったり跳ねたりして、危い懸崖から踏外して落ちて破滅しそうな危険が身に迫ってる事も知らないような、そんな不真面目では駄目ですワ。今はもう酒の神のバッカスやサイレナスを美しいと言って喜んでる日じゃアありませんワ。風俗改良、祖先崇拝、婦人間題、勤倹貯蓄、戦後経営、何々主義、そりゃア皆な立派な事には相違ありませんが、ちょッと見よう見真似で少ウしばかりそれも、ホンの少うしばかりチョッピリ真面目になって見たり、威張って見たって、直ぐお酒になって乱痴戯になって下らない結末じゃア悲しいじゃありませんか。小い岩に囲まれたスカンジナビヤを世界の一等国だなんて威張って居たッて、そりゃア駄目ですワ。善も悪も皆な欠片ですもの、私には教会の鍵を河に投げ込んで理想の高山へ登って行くような、そんな勇気は無いけれども、もっともっと全体を見たいの。物の all を見たいの、だから私、新規蒔直しで科学的哲学的の頭を造らなければ……』時子は真剣な調子でそう言って居たが、急に平常の時子に返って、『生意気ネ、私は……』頭を少し傾げて嫣然と笑った。
『偉いなア。』と半分嘲るような調子で『僕などはにもう勉強する勇気は無い。種物屋の番頭さんで……』
『否エ、あなたはもうちゃアんと専門家でいらッしゃるんだもの、私なんか科学の予備智識が余り無さ過ぎますから、何を読んでも解らない事だらけですワ。貴方が暫くでも此方に居らっしゃるなら、千人力ですワ。これから毎日質問に上りますから……』
『そりゃア困る。』堅爾は本当に困ったような顔付をした。
『農学ッて本当に善い学科をお選びになったものネ。』と言いかけて俄かに気づいたように、『午前中は私の勉強時間よ。日課を怠けちゃア良心に済まないから……じゃア失礼してよ。』と蒲団を辷って『左様なら失礼致します。』
時子はさも用のありそうに、さッさと帰ってしまった。しかし『ちと入らッしゃい。』とも『また御伺いします。』とも何とも言わなかった。あの熱情の濃やかな手紙とは打って変った冷たい態度が堅爾には悲しい程物足りなかった。時子が帰ったあとで『ちェッ、生意気な女だ!』と思わず舌打をしたが、矢張り時子の宿へ行って見たいような気もした。
堅爾は何度も北側の障子を開けて戎屋の二階を見た。ツイ目と鼻の=狭い路一つ隔てた向うにある=時子の居室は障子を閉め切ったなり、其中には人の居るらしい気配もない程であった。で、堅爾はムシャクシャする頭を抱えながら気晴しに何度も何度もお湯に浴った。
雪に包まれた山が薄黒い布片で覆われ初めた頃時子は堅爾の室に入って来た。
『どっさり質問があるの……』言いながらノートブックと二冊の洋書とを静かに畳の上に措いた。
質問は進化論に始まって生物学から遺伝学に及んだ。堅爾も余程シドロモドロになりかけたが、好い加減な出鱈目で瞞着される時子で無い事を知って居るから、内心大いに辟易しながらも可成りに答えて置いた。『矢張り専門家に教えて戴かなきゃ駄目ね、お蔭で大変解って来ましたワ。』と言って嬉しそうに帰って行く時子を見た時は、ほっとするような気持がした。
翌る日は正午過に『大伴さん散歩しなくッて?』と言う声が戎屋の二階から聞えた。寝転んで宿の妻さんから借りた『良人の自白』を読んで居た堅爾は、ガバと撥ね起きて障子を引開けながら『はア、参りましょう。』と言った。
『そう、じゃア私、お伺いしますワ。』
時子は縁側をトントンと走って姿を隠したと思うと直ぐ庭の所へ現われて、踏固めた雪の上をコトコトと下駄を鳴らしながら、二三間歩いて堅爾を見上げながら『降りてらッしゃいナ。』と顎で招くようにして言った。
堅爾は始めて遙々こんな山奥まで尋ねて来た功果を知ったように、昂奮を覚えながら段階子を駈け降りた。
二人は温泉場から川上の方へ、一間幅の道路の真中を僅かに一尺ばかり踏み付けた雪の中を足袋を汚さぬように用心しながら、ぽつりぽつりと歩いた。少し煤びたように見ゆる両側の白い雪には杖のあとがあった。犬の足跡があった。人の小便をした所だけが細長くクッキリと解けて、その底から青い苔が見えているのを堅爾は面白くも思った。
三町五町と歩いたが二人は別に話もしなかった。サラサラゴボゴボと流るる日高川の水音を聞きながら、藪蔭を通って板橋を渡って、小い氏神の社のある所まで出て来た。其時、時子は何を思ったか、堅爾を振向いて、『縁ですネ、本当に……』と言って嫣然笑ったが不意を打たれた堅爾は『エー』と言ったまま言葉が出なかった。
それから三日目であった。堅爾は朝から一度も顔を見せない時子の事を想いながら、火鉢に手を翳してぽッ、ぽッと息をする洋燈を見詰めて居ると、遠く縁側の彼方から優しい足音が聞え、やがて衣摺の音まで判然と聞えて来た。
『時子さんだ!』こう思って堅爾は俄かに坐様を直した。途端に障子がスウッと静に開いて、今晩はとも何とも言わないで夢のように、そうーッと入って来た時子は譬えようの無い程美しかった。薄化粧した顔から眉と無く眼となく口となく毛穴の一つ一つから美しい光を発散していた。満面から妖艶な甘い笑が流れ出てようであった。堅爾は魔術で縛られたように、じいッと堅くなって見て居ると、時子は静気無く火鉢の前に坐って、少し膨らんだ左の袂を膝の上に載せた。
『今晩は遊びに来たの』と時子は始めて口を開いて、『質問の連発で嫌われちゃア大変だと思って。』
堅爾は何だか薄気味悪くなってマジマジして居た。
『どうかなさったの?』時子は頭を左へ傾げてしげしげと堅爾を見た。
『いいエ、どうもしないです。』と言った時初めて沈黙の堰が切れたのに気付いた堅爾は突拍子にハハハハと笑って、『白状するが実は貴女の顔を見ると冷ッとする。また難問が出るのじゃア無いかと思って……慄々者です……』
『今晩は質問なんか抜きにして、遊びましょう。ネ、堅ちゃん。飯事でもして遊びましょう。そうれ覚えてらっしゃるでしょう、あの権現の……川原へ降りる石段に、小ッちゃいこれッぱかりのマン丸い穴があったでしょう。あの穴で蓬の葉を摘んで来てお餅を搗いたのネ。』時子は右の中指と親指で猪口ほどの環を造って見せた。
『僕はいつでも其中へ砂を交ぜたり小石を容れたりして嫌がらせをやったものだネ。』
『そうよ。随分悪戯ッ児でしたのネ。』言いながら袂の中から小さい鑵を採出して、『私、宜いものを持って来たのよ、カドベリーのチョコレート……お嫌い?』
『嫌いじゃ無いですが、同じ甘口なら僕にはキューラソウの方が宜いネ。』
『あなたはアルコーリストなのネ、でも昔の堅ちゃんは金米糖が好きだったワ。』
『そうそう彼の頃には金米糖、それから三角四角に切目の入った生姜板、それが一番子供に喜ばれるお菓子だったネ。』
『そうネ。ほラ、覚えてらしッて? 私が金米糖は胡麻の上にお砂糖を塗したのだッて言った時、あなたはそんな事は無いッて、とうとう金米糖を石の上で幾つも幾つも砕いて見たのでしたネ。』
『うん。石の事で想い出したが、僕が高等小学を未だ卒業しない時だったネ、川原で細長い石を拾ってそれへ歌を書いた事がある。和歌をサ……僕も和歌を作った事があるんだよ、こう見えても……あれは何とか言ったっけ……そうそう⦅イダカンヘ イツテキマセウ ニチエフノ ヒルカラワシハ ワタシバデマツ⦆ッて云う歌でした。』堅爾は、ははははと元気な声で笑った。
『イダカン……そうそう井田の観音様をイダカンと略して言いましたワネ。だって私、そんな歌を覚えていませんワ。』
『覚えて居なさらない筈ですよ。僕はその石へ畢生の智慧を絞って作った和歌を書いて、あの楠の樹の下の石垣の上に置いて帰ったのでした。そしてその翌日学校の門の所で、斯々した所に細長い石を置いてあるのを、あなたに与げるからッて言ったのでした。其時あなたは、⦅そう? 有難う、⦆ッて言いなすったから、それを拾って読んで下すった事だとばッかり思って、次の日曜日に僕は渡頭の所で随分と長く待ったのでした。所があなたは顔を見せなかったのです。で、僕は樟の樹の下へ行って見ると其所にチャーンとその細長い石があるじゃアありませんか。其時僕は憤然としてその石を川原の砂の上に叩き付けたのでした。まア言わば一種の失恋だッたのですネ。それは……』
堅爾の声は悲しそうに顫えていた。時子は冷然として、
『そんな事、初耳よ。ビョールソンのアルネのようネ。私がエリーのような可愛い娘だったら……そして二人が黒湖を小舟に乗って渡ったのだったら……ホホホホもうそんなお話はしッこなし。止しましょうネ、もっと無邪気なお話をしましょう。サ、堅ちゃんお手をお出し、お生姜版を上げますワ。』
堅爾は正直に右の手を差出した。時子は笑い崩れながらチョコレートを一つその掌に載せた。外では冷い風がゴウーッと山々の木の葉を揺りながら吼ゆるように峰から峰へと吹き渡った。
約束
『二三日見えなかったネ。』と薬局の窓から顔を出した田原は例の磊落な調子で『さア、上り給え、今日は少し相談せにゃならない事もあるんだよ。』
『私も御相談があって……』と音無は書斎へ通って座に就くか就かないうちに、田原はニコニコ笑いながら入って来て、
『松本艦もいよいよ戦闘力が尽きて大伴船渠へ入ったネ。』
『御存知ですか、実はその御相談に上ったんですが、教会から何か祝ってあげなければなるまいと思って。』
『祝いの事は後で宜いだろう。どうせ一度は此方へ帰って来るだろうから。』
『そうですネ、いつ頃帰られるでしょう?』
『さア、其所の所は判然解らないが、何しろ少し風変りの結婚式だから。』
『風変り? 二月十五日に吉田教会で日高牧師の司式でやるんでしょう?』
『そうだ、しかしそれには時子さんからの註文があるんだよ。』
『どんな註文です?』音無は好奇の眼を輝かしながら訊いた。
『堅爾君がわざわざ日高奥の竜神温泉まで時子さんを追っかけて行った結果、この結婚は成立したのだが、時子さんは約束だけなら承諾するというのです。』
『約束だけ? では挙式の必要は無いじゃありませんか。』
『其所が変った註文なのサ、堅爾君の熱烈な愛情に絆されて約婚だけはする、しかし結婚式を挙げても、直ぐその日から時子さんだけは、上京して図書館通いをするのだッて、随分面白いだろう?』
『そうですか、どういう理由でしょう?』
『僕の所へ来た手紙で見ると、時子さんは堅爾君よりも、もっと愛せねばならない人があるッて云うんだネ。』
『もっと愛せねばならない? あの堅爾君よりも……』
『そう驚かないでも宜いだろうじゃないか。その愛せねばならないというのは、時子さん自身の事さ。時子さんは今、自分で自分を恋してるんだッて、で、自分というものよりも、もっともっと堅爾君を可愛く思う時が来たなら同棲しようッて註文サ、つまり愛情を偽りたくないと言うんだネ。』
『そうですか。それで大伴君も承諾したのですネ。』
『承諾もヘチマもないさ、君、男ッて云うものは結婚式前には、ヘイコラと頭を下げて、どうぞどうぞッて女の前に奴隷のような様子をして見せるのサ。けれども女を手に入れた以上俄に暴君になって虐政を行うんだネ。其時になって女は皆な泣くのサ、アンナカレニナだってそうじゃないか、ウロンスキイのあの口説く時の態度と、結婚後の態度との変りようの甚い事を見給え。時子さんはようくその男心を呑込んでいるんだネ。だから彼の女……仲々食えない女だから、雪を踏んで山を越えて日高奥まで尋ねて行った堅爾君の熱情に直ぐオイソレと感心してしまわなかったんだよ。堅爾君の方では、なアに女というものは偉そうな事を言って居ても、結婚してしまえば此方のものだと思ってるんだろうが、時子さんばかりは、チョックラそうは行かないよ。』
田原は痛快だというようにハハハハと笑った。音無は眼をパチクリしながら、
『御隠居がよくそれを御承諾なさいましたネ。そんな流変りの結婚を……』
『承諾する所じゃ無い、大賛成だ。あの隠居も随分苦労をした人だからネ、堅爾君の性質もようく知っているし、時子さんの気分も呑込めたんだネ。』と云って田原は一寸言葉を切ったが、
『時に、君は知ってるかネ石塚君の結婚を?』
『石塚君が結婚? 誰と?』
『須基子さんとだよ、僕が橋渡しというわけじゃア無いが、まア媒人格となっている。此間皆なと一緒に鹿六へ鰻を食べに行ったろう。あの時サ、あの帰途に隠居と石塚君と僕と三人が落合うて約束を定めたんだよ。』
『そうですか、それはお目出度い、良縁ですネ、何時式を挙げます?』
『式まではマダ間がある。四月に養子の披露をする予定になっている。二人ともマダ若いんだから急ぐ事は無い。石塚君には老人の世話旁財産管理の経験を積んで貰い、須基子さんはナオミさんを付けて二三年東京へ出して勉強させ、切めて十九二十になったら結婚式を挙げさせようかと思ってる。だから東京で時子さんと三人が一緒に暮すだろう、それは大変宜い事だと思う。』
『そうですネ。』と音無は気の無い返事をした。
『そうだろう。君、時子さんは堅爾君と石塚君とを一度に愛して居たんだから、それが堅爾君と結婚して石塚君から今度は叔母さん叔母さん言われるんだからナ。それに今一ツこんがらがった事は、堅爾君が最初ナオミさんと結婚したかったのだからナ。それが皆な一つに縺れ合ったんだから一寸面白いじゃないか。彼所へ君が一つ切り込むとなお、事は面白くなるんだがナ。』と言って田原は意味ありげにハハハハと笑った。
『そんな勇気もありません……』と言ったが音無の耳朶は紅くなっていた。
『だから太地家大伴家両家の将来の為に、二三年を一緒に暮させて意志の疎通を計るのも宜い事だよ。』
『何しろお目出たい、双方が無事に納って結構な事です。』
『しかし君、これは内輪の相談で、マダ誰にも発表しないんだから……全体約束なんて詰らないもんだネ。』
田原は何を思ったか、俄かに口調を変えてそう言ったが音無は黙って畳の上に眼を落していた。
『僕は此間から時子さんの事だとか石塚君の事だとかで、大分時間を空費して、コソコソと内証で相談したり、彼アの此ウのと何年何十年向の事を今から決めて見たりしたが、考えて見れば馬鹿な話だネ、誓う勿れという教は真理だよ。僕も月並に太地の隠居に頼まれて鹿爪らしく媒介顔をして石塚君と須基子さんの話は纏めたがさてそれがどうなるやら解ったものじゃ無い。結局は太地家に何十万という金があるのでその財産の為に時子さんも須基子さんも石塚君も左右せられてるのサ。愛だの恋だのと騒いでも、今日の社会組織では生活問題が大体の基礎になってるからナ。僕等の理想するような社会組織が来なきァ皆な誤魔化しだよ。此間僕は非常に面白い事を見た。それは川向うの小学校長を勤めてる男が発狂して此家へ来た時の話だが、その校長は最初僕の所へ来て頻りに教育勅語だとか道徳だとか言って居たが、帰る時に僕の机の上に置いてあった雑誌のコムレードを黙って持って行くんだろう。それは僕もまだ皆な読んで居なかったんだから、余程持って行くなッて言おうと思ったが、まアまア狂人の事だから放ッて置けと思って其儘にして置いたら、直ぐ二三時間経った後に校長先生またノコノコやって来て、⦅田原君、雑誌を見せてやろう、面白いぞ!⦆ッてそのコムレードを僕に見せるのサ、そしてそれはそれは無邪気にその挿画の説明を僕にしてくれッて言うんだもの。僕は可愛かったネ。で、叮嚀に一々説明してやると大変喜んで、⦅では御礼にこの雑誌を君に進呈する。⦆ッて言うんだろう。不思議なもんだネ、其時に僕が⦅有難う、頂戴しとく⦆と言った言葉は心からの謝意だッたように思う。つまりその雑誌と云うものは校長のものでも無く僕のものでも無く共同の所有物で、それを持って居るものが其時だけ本当に愉快に満足してそれを所有しているので、自分が不必要になると潔くそれを他人に譲るんだネ。それが本当の所有権だろうと思う。吾々はもう空気に対し川の水に対してはそれが自分の所有だと自覚しない程自分のものになっているんだからネ。やがて世界の総てのものに対してそんな感情を有つ時代が来るだろうと思う。だから今日の約束とか誓約とかいうのは畢竟私有財産保護の為であり、利己的な貪慾な心を美しく糊塗した好い加減な名だと思う。』
『では自他の区別が無くなって夫婦なんていうものも皆な共同になるんですか。』
『それは愚問だよ。世の中がそれ程進化した時には其時代の人間の良心というものも比例して進歩するからネ、現に今僕は薬価無請求主義を執っている。けれども本当に僕の薬のお庇で病気が癒ったと思う者は請求しないでも薬価を持って来る、マダその上に芋だとか大根だとかをお礼にくれるよ。仮令病気は癒っても薬価をよう払わない連中は途中で僕の顔を見ると直ぐ横町の方へ隠れてしまったり、無茶に叮嚀なお辞儀をしたりする。その心の苦みを見る時、僕は薬価を貰う以上に気の毒に思うよ。また中には、自分のような貧乏人――朝から晩まで働いて四十銭五十銭しか儲けられない貧乏人が、妻子を抱えて苦しい生活をして居る上に病に取付かれたんだから、医者は無料で薬を飲まする義務があると思ってる連中もあるだろう、それを世間では無茶だと云うだろうが、僕は、少くとも僕一個人にとってはそれを正当の議論だと思う。僕の生活にはそんな人達に薬を無料で与るだけの余裕があるんだから僕は自分の良心に従ってそんな人達にはこちらから進んで薬を飲んで貰うようにしたいと思う。僕が毎日診察に行く憐れな人達が、冬の寒い時に坐蒲団も火鉢も無い汚ない小屋の中で、『おー先生!』と云って僕を迎えてくれるその眼の色には本当に金銭で換える事の出来ない貴いものがあるからネ。僕はそんな時真の人間というものを見るんだ。ある役所の小使をしている男の家に病人があって其所へ僕は半年も往診してやったが、固より薬価なんぞ十分に払えよう筈は無かったが、その男は若い時名古屋あたりの道具屋に奉公した事があったとかで、一貫張りの拵え方を知っていたと見え、役所から帰った暇々に一貫張の机を一つ拵えて、それを礼に持って来てくれたが、僕は本当に気の毒に思ったネ。財産家が自分の親の死ぬ前に大学から博士を傭って来て何千円も無駄な金を使うその孝行よりもこの一貫張を僕にくれる心の方が貴いと思うネ。僕らの唱える思想が危険だなんて言う連中はこの尊い良心の働きを無視した議論で、それの方が僕は余程危険だと思う。狗子にも仏性ありサ。』田原は思わず熱して来たのを悟ったらしく、『や、長いお談議になったネ、僕はこれから往診しなきゃならないから……』
『いや私こそお邪魔致しました。』と音無は起上りながら、『では御祝いの方は当分見合せて置きましょうか。』
『そうだネ、二月十五日午後六時だから、その日の朝、とにかく高牧牧師宛に祝電を打って置けば宜いじゃないか。』
『ね、そうしましょう、教会からの名で。』
『そうだネ。』と云って田原は薬局の方へ入って行った。音無は田原の内を出てその帰り途に太地の門前を通ると玄関前の空地で須基子とナオミとが小さなシャブルで土を掘っていた。
『御精が出ますナ、』と音無は其傍に立つと、須基子とナオミも吃驚して顧盻りざま、
『まア、何誰かと思った。』と言って須基子は仰山らしく驚いた真似をした。
『須基子さん、叔母さんが出来てお目出度う。』
『あら、先生知ってらしって?』と須基子は顔を真朱にして『お目出度うだなんて嫌だワ。』
『お目出度いじゃないですか、須基子さんはあの叔母さんがお嫌い?』
『嫌いじゃ無いワ。ですけれども……』と少し言淀みつつ、『ナオミ先生が叔母さんになったらなお宜かったワ。』
ナオミは聞えぬ振をして後を向いていた。音無は笑いながら、ナオミと聯んで立っている須基子の丈が俄に目立って高くなったのをじろじろと瞻めていた。
後篇 社会観
狂風
『先生はもうお帰りになりましたか。』と言って田原の玄関に立った青年は薬局の方を伸上るようにして覗いた。
『お帰りになりました。御用でございますか……あの大野さんでございましたネ。』と云いながら女中のお菊は奥の方へ入って行った。大野は表の方へ首を出して、『オイ、来給え。もう帰ってるよ。』と言って一寸手招いた。すると法被を着た職工風の男が三人、軒燈の明りを気にしながら忍び歩で玄関先まで来たと思うと、物に追われたかのように急にパタパタと内庭へ駈け込んで来た。
『そんなにビクビクしないでも宜いサ。此家は医者の家だよ。我々は診察して貰いに来たのじゃないか。』と大野は淋しい笑を見せた。
『全くだ、診察して貰いに来たのだ。』と円顔の職工はニヤリと笑った。
『おう、大野君か、もう鳴野君は疾うから来とるよ。裏へ行ってくれ給え。』と云って田原は奥へ引返した。
勝手を知った大野は三人の職工に目配せして台所の硝子戸をゴロゴロと引あけて風呂場の前を通って漆喰の上をカタコトと裏の方へ行った。土蔵の一室を坐敷にしつらえた八畳敷の室には薄暗いランプの光の下に鳴野が所在無さそうに左の掌に顎を載せて小い四角な火鉢の縁に肱を突いていた。
『おう、来たか。上り給え……辻田君や松本君は?』
『来ました、一緒に来ました。』と大野は声を潜めるようにして言った。
四人は火鉢を中にして坐った。鳴野は少し肩を怒らして『どうだい? あれから……』と言って大野の顔を覗き込んだ。
『ますます大変な事を聞込んだのです……』と大野が一寸坐様を直した所へ田原がゴトリと障子を開けて入って来ながら『暗いねエそのランプは、』と言った。
『暗くっても宜いですよ。話は聞えますから……』と鳴野は少しく大野の方へ躙りよって、田原に席を譲った。
『失敬!』と田原は一同に一寸会釈して、『大野君、その後どうしました? いよいよ決行ですか。』
『えエ、決行する事になりました。五工場の中で第一から第四工場までは皆な決束しました。』
『ふん、第五工場は加入しないというのかネ。』
『いいエ、第五工場の職工は人員も少いし皆な我々の説に同意して居るので、全く我々とは関係の無いように見せかけて、そして内部の事情を悉皆我々に知らしてくれる手筈なんです。でなければ重役達が、中でどんな事をするか知れませんから……』
『そうか、それは好都合だ。そして内情は一体どうなってるんです? 搔摘んで言ってくれ給え。』
『こうなんです。彼の工場では毎月我々職工から五十銭ずつの積立をしてそれを相互扶助の共同基本金としているんです。所が先の社長が二年間も肺病で臥てしまって、ろくに会社の事務を見なかったもんだから、其間に重役の悪い連中がその共同基本金を滅茶々々に使ってしまったんです。芸妓買をしたり妾宅を構えたり、甚だしきは購買組合の米を引出して売ったりしたんですもの、それで我々職工からその精算を迫ったのです。所が今の社長は赴任匆々でマダ何にも会社の内情が解らない所へ重役達がいろいろ誤魔を磨るもんだから、社長旨く捲込まれてしまったんですよ。それに非常に頭の堅い人ですから、職工の分際として決算を迫るなんて怪しからぬというんです。我々も最初は手柔かに談判していたんですが、どうも埒が明かないのでとうとう決行する事にしたんです。ですから今晩は一つ先生の智慧を借りに参りました。』と大野は右に坐っている三人を顧眄きながら、『この方が第四工場の松本君、その次が第二工場の林君、その次が第三工場の辻田君……』
三人は叮嚀に叩頭をしながら『どうぞ宜しく……』と声を揃えて言った。
『一致という点にはどうも訓練が出来て居ない連中だから、余程確り臍を固めなきゃア直ぐ砕けてしまうよ。』と鳴野は腕を組みながら言った。
『それは大丈夫です。とにかくもう第一から第五までの工場全体が歩調を揃えてるんですから。』と大野は三人を顧みながら『ねえ、君達、もう大丈夫でしょう?』
『ええ大丈夫です、第三第四工場が中心になって飽まで戦います。』と辻田は憤激したように言った。
『ではこうしよう。』と田原は火鉢の中から真鍮の火箸を一本抜いてそれで軽く火鉢の縁を打きながら、『第一はまず職工全体が固く同盟する事。第二は諸君が平常の通り労働しつつ、重役に対して交渉委員を撰んで穏かに談判する事、それが上策。第三には内部のみで、どうしても解決出来ない時は外部からも――鳴野君のような方に頼んで――交渉委員になって貰うんだネ。それが中策。第四にはどうしても社長や重役が頑固で承知しないなら同盟して罷工するのサ。そして新聞でも治安警察法十七条に抵触しない範囲内で大いに応援するんだネ。ゼネラルストライキとか、直接行動とかいう言葉の流行する今の時代だから、これを一地方の事件にしないで日本の問題にするんだネ。しかし其時余程注意してやって欲しいもんだ。ストライキと云えば直ぐ硝子窓を毀したり機械を砕くというようなサボテージをやる事だと思うのは不可い。正々堂々とした、本当に正義を旗印としたストライキをやって欲しい。ストライキというのは最後の手段だから、それを理想的にやって範を示すんだネ。そうすればストライキというものの真意が解る。ストライキというものは正当の要求を正当にするものだという事を知らさねばならない。不当な要求を不正な行為でするストライキは失敗するのが当然であり、そんなストライキの起る事は国家人類の不祥事だから……其所をよく考えて堂々とやってくれ給え。』
田原は段々と火箸を高く振り上げつつ熱誠を籠めて言った。一同は皆な点頭きながら黙って聞いていた。
『では諸君、こうしよう。』と鳴野は元気な声で、『明晩からこの室を事務室に借切って実地運動に着手しよう。今田原先生の仰しゃった順序に従って、まず上策を講じてみるのだ。で、その宣言書を職工全体に配付しよう。どうせ下策も下々の策も施さなきァ治まらないだろうから、事件の内容を記載した印刷物を株主全体と町内の有志に配付する分をも、更にストライキの宣言書と、そしてストイラキ規約とでもいうような心得を書いたものも一緒に印刷して置くんだネ。そして愚図々々しないでグングンやって行くのサ。同文電報で京阪の各新聞へも通信してネ。模範的にやってみようじゃないか。ストライキと云えば直ぐ乱暴を連想する連中を驚かすんだネ。ナール程ストライキとはあア云うものかと感心させなければ、労働問題の将来も危まれるよ。日本にも将来はストライキが段々起るだろうが、ストライキはあんなにやるべきだという模範を我々が示すんだネ……どうでしょう、先生、此室を貸して下さいませんか、表から出入をしないで、この裏の川原から石段を伝うて出入するようにして……先生に決して御迷惑はかけませんから。』
鳴野は未だ戦わない前からもう凱歌を挙げるように昂奮していた。
『そりゃア此室を使っても宜い、しかし余程注意をしないと駄目だよ。きっと裏切るものが出て来たり、血気に乗じて乱暴するものが出たりするからネ。』
田原は気遣わしそうにそう言って一同を見廻した。
『そうです、その辺は余程注意してやります。』と大野は誠意を籠めて、『法律顧問として南さんに、文書係として鳴野さんに御面倒を見て戴くわけには行かないでしょうか。』
『南君に頼むのも宜かろう。』と鳴野は田原を見ながら、『文書係には牟婁タイムスの通信員をしている大川流二君を頼んでは如何でしょう?』
『そうだネ、何れも適任でしょう……しかし印刷はどうする?』
『僕の謄写版があるからあれをもって来て、明晩から印刷しよう。三千枚も刷れば十分でしょう。』
鳴野はさも愉快そうに腕を擦りながら言った。一座のうちには未知の世界を発見したような昂奮した空気が充ちた。
翌晩から田原の裏坐敷では一時二時頃までヒソヒソと話声が洩れた。下女にコーヒを運ばせたり、ビスケットを鑵のまま持たせてやったりするだけで、田原はちっとも裏坐敷へ顔を出さなかった。鳴野も大野も朝から晩までヒソヒソと何だか計画しているようではあったが、故ら表へは出て来なかった。
そうして四日五日経った後で、田原の経営している新聞サンセットでは『熊野製材会社の内部に小紛擾あるものの如く昨今委員五名社長宅を訪問し何事か交渉する所ありたり。』云々という短い報道をした。しかしその翌日の紙上では『熊野製材会社の内情』と題した一段半の記事が掲載された。同時に町内の株主へは何所から誰が発送したとも知れない謄写版の印刷物が配付せられた。それには社長の無能、重役の横暴などが詳細に指摘されてあった。町内では寄ると触ると製材会社の噂で持切った。
とうとう上策も中策も行われないで下策を執ったのである。製材会社の職工連は朝疾く王子ヶ浜に集合して同盟罷工を誓った。鳴野は小高い砂丘の上に登って厳粛に誓約書を読んだ。そして『我等は飽まで紳士的体度を守り決して不法乱暴の行為をなさず正々堂々正義を旗印としてこの同盟罷工を遂行せん事を期す。』という条に力を籠めて、一段高く声を張上げた時、職工全体は破るるばかりの拍手を以て賛同の意を示した。
一同が大野の発声につれて万歳を三唱して解散したあとへ、会社側の通告に接したと見え警察署から警部巡査数名駈け付けて来た。しかし彼等はただ砂の上に残された縦横の足跡を見たばかりであった。
その日の午後、会社から大野松本辻田等十二名に解傭の通知を出した。そして『もし三日以内に出勤せざる職工は悉く解傭す』云々の通知を職工全体に発した。
さア事件はますます紛糾して来た。田原の新聞では殆ど全面を会社攻撃に用いた。牟婁タイムスは毎号その第二面全体を大川流二の通信文掲載に提供した。そして朝日座で労働同題大演説会を開く事になって町の辻々には大きな広告が貼られた。弁士は鳴野、田原、大野、松本、辻田等であった。
職工凡そ五百名程は演説会の前日から隊伍を整えて町内に示威運動をした。
『鉄ぶち眼鏡の鼠を先に
あまたの鼠がゾロゾロと
かじる共同基本金!
猫が見つけてストライキ!』
という歌を節面白く合唱しながら町を練り歩いた。社長はいつも鉄縁の眼鏡をかけて居るのを自慢にして、金縁は贅沢だといって勤倹貯蓄を説く人であった。
一隊は何度も何度も町外れの熊野製材会社の前へ押掛けて行って万歳を浴せかけた。しかし二回目三回目から、彼等は万歳と呼ぶかわりに、『熊野製材会社アブナーイ!』と叫ぶのであった。
音無が日曜説教の準備をしている所へ警察署の小使が入って来て、『署長さんが、御相談申したい事があるので、今直ぐお出で下さるようにと申しました。』と言い置いて直ぐアタフタと出て行った。
『何だろう? まさかストライキの事では無かろう?』と呟きながら音無は羽織を引掛けて急いで警察署へ行ってみた。
玄関の所に入って行った時、直ぐ左手の事務室で横田署長は音無の方へ背を向けて、大きな赭ら顔の頭の禿げた男と頻りに窃々と話をしていた。
『これは職工達の書いたものじゃア無い。』それは署長の声であった。
『無論、このストライキの張本人は外にあるので、その張本人は言わずと知れた……』
赭顔の男は急に声を潜めた。
『そうだろう。僕もそう思う。そんな原稿用紙を職工達は使やアしない。』
署長がこう言った時、音無の右手に事務を執っていた受付の巡査は『何か御用ですか。』と静かに訊いた。
『へエ、今、署長さんから至急に来てくれという御使でしたから……』
『あ、そうですか。』と巡査は署長に報告すべく起上ろうとした時、横田警部はふと後を振向いて、
『おう、音無君。どうぞこちらへ……』と故と声高く言った。対座していた男は紙片を状袋と一緒に周章てて懐へ入れながら『左様なら、まア万事宜しく……』と云って音無と摺違うようにして出て行った。音無は心の中で『あれが製材会社の重役津本だナ。』と思った。
『どうも御苦労でした。御呼立いたしまして……』と署長は叮嚀に挨拶して、『御承知の通り製材会社のストライキは困った事になったものです。明日一日で出勤しないものは明後日から悉皆解傭と会社側では主張する、職工側では明日の晩朝日座で政談演説会を催すという。今の所では何方も張肱で争うているのだが、職工側も田原君だの鳴野君だのという社会主義者を混ぜて演説会をするのは不利益だ。今の社会主義は破壊主義だから、そう云う連中が一緒に演説をするとなると、警察の方では厳しく取締らねばならない。しかし演説会を解散でもすると職工連はきっと不平不満を爆発さしてどんな大事を惹起すかも知れない。だから君に御足労を願ったのだが、あのストライキの発頭人の一人と見られている辻田という男は、あれは君の所の教会員だという話だから、牧師である君から一つ説きつけて、重役側と何とか話を平和に片付けるようにしてくれまいか。僕も仲に立つ必要があるなら十分に骨を折るから……それから君と田原君と昵懇らしいが、田原君に話をして明日の晩の演説会は労働者ばかりの演説にするように……其所を君から――僕の意見だと云う事を打明けて、よく相談してくれ給え。何卒君、一つ御尽力を頼む。』
署長は白髪の五六本交った少ない顎鬚を左の手で扱きながら何度も何度も軽く頭を下げた。
『辻田君は教会員ですが、もう半年以上も教会に出席しないし、到底僕の言う事は聞入れまいが、まアあなたの御意見だけは、御取次して置きましょう。それから田原君ですネ。あの人はあるいは承知するかも知れませんが、鳴野君はなかなか耳を傾けないだろうと思いますが……』
『まア、一つ尽力してくれ給え、ここで社会主義者がストライキを起したなんて言われては困る。』
署長は口を一文字に結んで音無の顔を見詰めた。音無は署長の苦心にも同情したが、田原や鳴野の意向を平生からよく飲込んで居る彼にはこの談判が遂に不調に終る事をよく知って居た。
音無は警察を出て直ぐ田原の所へ行って見た。丁度往診から帰って火鉢の前に寛ろいでココアを飲んでいる所であった。
『今日は全権公使という格で来たんだがネ。』と音無の言葉の終らない間に田原は莞爾笑いながら、
『警察からの……臨時使節だろう?』と云った。音無は少しく機先を制せられたように、
『実はそうです、もう誰かからお聞きになりましたか。』
『そりゃア君、天眼通だもの……』と田原は可笑しさを堪えるようにして、『僕は最前俥の上から君が警察署へ入る姿を見たんだよ。』と言って、フフフフと笑った。
『そうですか、実は横田署長が僕にこう言うのです、このストライキに社会主義者が混っては労働者の不利益になるから、あなたと鳴野君との演説を明晩見合して欲しいと云うんです……そりゃア到底出来ない相談だろうとは思うが……』
『僕は別に演説をしたいと言うわけじゃア無し、差控えても宜いが労働者が聞くまいて……それから鳴野君も承知しまい、演説して中止せらるればそれまでだが。』
『僕もそう思います。まアそれだけ御耳に達して置けばいいのです、全権大使と云っても本国の意志を取次げばそれで使命を終ったのだから……』
『所が音無君、一つ困った事が起ったんだよ。』と田原は猫板の上にコップを措いて、『今日往診先で聞いた話だが、職工の不心得な男が居て、重役の津本に脅迫状を送ったんだそうな。⦅もし明後日ただの一人にでも解傭を言渡したなら貴様の禿頭はその日限り土台から離れるぞ!⦆ッて云う意味で随分甚い事が書いてあったそうな。最初からそんな下らない事は決してしないようにと呉々言い含めてあったのだが、どうも抜がけの功名をしたがる奴があって困る。』
『津本という人に?』音無は急込むように訊いた。
『うん、彼の津本……重役でもなかなかの権勢ある男でネ、今まで郡長でも署長でも皆な彼の男の御機嫌を伺わねばこの町で仕事は出来なかったもんだ。』
『津本ッて、彼の赭ら顔の大きな体格で……頭の禿げた……』
『そうだ、君はマダ知らないのかい、彼の有名な男を。』
『知らないんだが、……では、今日警察署で見たのはそれに決っている。』と音無は独りで点頭いた。
『警察署に居た?』と田原は言葉忙しく訊いた。
『えエ、私が行った時、丁度その津本だと思う人が署長と対合せに坐って……何だか紙に書いたものを出して……そうです、署長がこれは職工達の書いたものじゃア無い、そんな原稿用紙を職工達は使やアしない……と言っていました。』
『原稿用紙? その脅迫状が原稿用紙に書いてあったらしいですか。』
『確かにそうでした。青い罫の入った小形の紙でした。』
『青い罫の小型の? ふん、そして君はそれを見たかい。』
『津本らしい男がそれを懐へ入れるのを見ました。そして其男は、この張本人は言わずと知れた……とか何とか言ってました。』
『ふーん、』と言ったまま暫く無言で居た田原は、ツイと起って書斎の方へ行ったが直ぐ帰って来て、勝手の所で女中に指図しながら五つになる丈太郎を片手負にしてビスケットを焼いていた妻の貞子の方を見ながら『おい、彼の机の上にある原稿用紙が百枚足りないが、どうしたんだい、知らないか。』
『南さんが持ってらしったワ。昨日のお正午頃……』
『お前が渡したのか、それを……』
『えエ、この間貴方が南さんに百枚お与げするッてお約束なすったじゃありませんか。』
『うん、約束した、与げたのが悪いと云うんじゃないさ。本当に与げたのかッて念を押したのサ。』
『えエ、確かに百枚あげましたワ。』
『そうか。』と田原は直ぐ起って電話口に行って……番! と言った。音無は不思議に思いながら田原の後姿を眺めていた。
『……南君ですか。やア、どうも近頃は大変な事になって来たネ、何だか急に外国の人間になったような感じがするネ、……うん、やるよ、大いにやるよ。罷り違ったら君に弁護を頼むよ……うん差入品だけでも宜い……時にネ、変な事を聞くようだが、昨日の正午、君は僕ん所の原稿用紙を持って帰ったろう……いいや、持って行ったのは宜いんだが、それを君はもう使ったかい、……マダ一枚も使わない、そうか、それなら安心だ。実はネ、重役の津本の所へ原稿用紙……青い罫の原稿用紙へ脅迫文句を並べ立てて送ったものがあると聞いたんで……あるいは君かも知れんと思ってネ、ハハハハ失敬々々……』
田原は快活な顔をして元の坐へ戻って来た。そしてストライキに就いていろんな話をしている所へ、表口に俥の停る音がしたと思うと、周章てて駈込んで来る下駄の音がした。
『急患だナ。』と田原は内玄関の格子戸の隙から外を透して見ようとした時、勢よく其所へ入って来たのは南であった。
『おう!』と田原は眼を円くした。それは何等かの事件を予想したからであった。
『誰も外に来て居やしない?』と南は四辺を見廻しながら、『誠に申訳の無い事をしたので……』
『何です?』と田原は坐様を直した。
『実は……』と言いかけて音無の顔を振返りながら、『音無君だけだから構わないでしょう……実は貴方から戴いた原稿用紙を僕の机の上に置いてあったのです。所が昨晩僕は遅く帰って何にも知らなかったが、最前お電話があったあとでその原稿紙を見ると十枚ばかり上の方を使ってあるんでしょう。で、僕は留守番をしていた弟に、誰がこの原稿用紙を使ったかと問うたんです。すると弟はニコニコ笑って居て何にも言わないんでしょう。段々と叱ったり賺したりして聞糾すと、昨日会社の職工長をしてる大谷という男が来てそれを使ったというんです。』
『ふん、どんな事に使ったんだい?』と田原は顔色を変えた。
『それが怪しからんのだ。大谷はその原稿用紙へ津本を暗殺するの、その禿頭が土台から飛ぶのッて無茶苦茶な事を書いたんだそうな。』
『では、いよいよそれだ!』と田原は凄いような眼付で音無を見た。
『音無君はそれを御承知ですか。』と南は音無の方へ向直った。
『えー、最前警察署でその津本らしい人から署長に見せていたのが確かそれらしいと思ったのです。』
『ふーん、』と南は太息を吐いて、『その原稿紙に書いたものを津本は署長に渡しましたか。』
『いいえ、懐へ容れて帰りました。』
『そうか、そんなら僕はこれから行って、津本の前に這突ばってでもその脅迫状を貰って来る! そうしなけりゃア先生に申訳が無い、左様なら!』と坐を起ちかけて、『もし津本が承知しないようだッたら非常手段を以ってでもその脅迫状を奪い返しますが、……太地家の名義を借用するかも知れませんよ、太地さんと貴方との関係ですから、太地さんにも異存はありますまい?……』
『どんな事に利用するのか知れないが、僕の言う事だったら彼の家の人達は大抵承知するだろう……』田原は浮かぬ顔で南を見上げた。南は静かに火鉢の前へ坐るように腰を屈めて、
『津本は熊野銀行の専務取締だろう、あの銀行の内幕は僕も少々知ってるんだが、余り強情を張ると太地家の貯金を五万なり十万なり取出すんだネ、大びらに取出すと云うんだネ、今、あの銀行から太地家のような大得意先が五万なり十万なりを取出したという事が世間に聞えりゃア、皆ながバタバタと取付けに行くからナ。そうすりゃア彼の銀行も危いよ。時と場合によると僕はその気勢を示すんだ。王道で行かなきゃア覇道を行うんサ。』
田原は黙って点頭いて居た。南はアタフタ出て行ったが、引違えに鳴野と大野とが入って来た。
『先生! 事件は面白くなりましたナ。明日の演説会は面白いですよ。』
鳴野はプーンと酒臭い息を吐きかけるようにして火鉢の前に坐った。大野は上り框に腰を掛けて下駄の後で蹴込の戸をトントン言わせていた。
『しッかりやって下さいよ先生明晩は……』鳴野は太い腕を擦るようにして言った。
『僕は明晩、演説は御免蒙る。大変諸君を裏切るようで済まないが、まア勘忍してくれ給え、事情は後で話すから……』
田原は俯向いて火鉢の火を見詰めていた。鳴野は呆れたように田原の顔を覗きながら、
『演説をなさらない? 今一息という所で我々が手を引いちゃア労働者側の負けになります。明晩先生が演説をしないじゃア、九仭の功を一簣に欠くというものです。そんな事を仰しゃらないで、どうぞ出席して下さい。』
『しかしこの場合、社会主義者がこの運動に加わるという事は、運動の為に不利益を来すかも知れない。我々は主義が世の中に実行せられ理想が現実せられて行けば、何も自分が矢面に立たなくとも宜いじゃ無いか。』
『それは先生、理屈です、理屈と云うものです、理屈はどうにでもコジつけられます。しかし先生が今までこの主義の宣伝にあれだけ犠牲を払われて居ながら、こういう実地問題が湧上って来た時、尻込されたとあっては実に先生の為に惜む、僕は日本の労働問題解決史の一頁を飾る為に先生の蹶然たる憤起を望む……先生、どうぞそんな弱い事を仰しゃらずに、明晩はウンとやって下さい。ここで我党の主義主張を町民に知らせなければ知らせる機がありません。我々は人類の為に……弱きものの為に……虐げられし者の為に……先生、大いに戦おうじゃありませんか。』
鳴野は熱い涙をポトポトと膝に落しながら田原を睨むようにして言った。
『鳴野君、』と音無はその袖を叩えながら、『田原さんにも込入った事情があるんだろうから……まアそう言わないで……』
『音無君、君は黙って居て下さい。僕達は君を信用して居ないんだ。そりゃア君の人格をどうのこうのと言うんじゃア無い。しかし彼の横田署長の妻君は君ン所の熱心な信者じゃろう? だから横田警部は君というものを橋にして我党の内情を探りに来るのは人情の常さ。今日も今日で署長は辻田君を呼んで、二言目には教会だとか音無だとか言って居たそうだ。僕は君と個人としては親しく交際う、しかし主義の上からは僕は唯物論者、君は有神論者、どうしても一致しないから……』
音無は何か言おうとしたが、田原はそれを遮って、『とにかく僕は明晩演説をしない事にしたから、そう思ってくれ給え、あとで詳しく事情は話すが……鳴野君!』と田原は少しく声を慄わして、『君も演説をしないで居てくれれば善いがネ。』
『鎗が降っても火が降っても僕はやります。僕はこの場合決して臆病神に誘われません!』と言いながら起上って『左様なら!』
『左様なら……』田原は俯向いたまま言った。鳴野は大野と伴立って荒々しく格子戸を引開けたまま後を閉めもせずに出て行った。田原は二人の後を見送って悲しそうに、『仕方が無い!』と言った。
残った二人は黙って火鉢の両方に対座って居たが、暫くして南から電話がかかって来た。ハー、ハーと返事ばかりして聞いて居た田原は、『いやどうも有難う、さよなら。』と言って電話を切って、『音無君、津本はとうとうその脅迫状を南君に返したそうな。』と稍々安神したらしく言った。
『そうですか。それは宜かった。』と音無もほっと安堵の息を吐いた。
『しかしそれを見た警官の頭の中に残った印象は何ともする事が出来ないからナ。』と田原は顎髯を摑みながら淋しい声で言った。
翌日の演説会には、とうとう田原は顔を見せなかった。演説会は鳴野の演説半ばで中止解散を命ぜられたと云う事を音無の報告によって知ったのであった。
三日目はいよいよ職工達の運命の決するという日、仲裁に入るものがあったと見え、演武場で会社側と職工側との懇談会があるとは聞いたが、田原の所へは案内状も通知も来なかった。のみならず、今まで何から何まで意見を叩きに来た職工長達からも何の通知さえなかった。田原もさすがに心淋しく思った。どうせこうなるだろうとは思って居たが、腹心の鳴野までが一朝にして自分から離れて終ったのかと思えば何だか自分の今までして来た総ての事が、皆な詰らない犠牲であるように思われてならなかった。今にも五六百の職工達が押寄せて来て口汚なく自分を罵りながら石や瓦を此室へ投げ込んで、『馬鹿、国賊!』とあらゆる罵詈讒謗を逞うして戸障子を打き砕いて引揚げるのでは無かろうかとも思った。ホザナよと呼んで歓迎した基督を一週間の後に十字架に付けたエルサレムの民のように、自分も今に彼等の手で=裏の座敷でいろんな密議をした彼等の手で=悲惨な十字架に付けられるのでは無いかとも思った。
もう日のトップリと暮れた頃、覚也が息喘き駈け込んで来て、『駄目です、先生!』と上り框に腰を卸しながら吐出すように言った。
『何が? どうしたんだい?』と田原は少しアタフタした調子で言った。
『私は演武場の懇談会へ行って来たんです。所がまるで成って居ないんです。懇談会だと云うから職工側にも、意見の一つ位は吐かすのかと思ったら、顆しい官僚振を発揮して、社長が戊申詔書を奉読したあとで、抑も我大日本帝国は古来……と型の如く言って、会社は一つの家庭である、社長は父で、重役は兄である、職工は悉く子であり弟である。苟も子たり弟たる者が父や兄に反抗するとは不孝の子である、忠臣は孝子の門より出でなければならぬのだから不孝の子は即ち不忠不義の臣である。十数日間職務を怠り、国賊同様の者共に教唆されて騒ぎ歩くとは正に戊申詔書の御趣旨に背く不忠漢であると……こう言ったのです。そりゃアその演説にも一通りの筋道は立っているが、しかし社長は自分達の欠点に就いては一口も言わないで、頭から叱り付けようとするのは不可い、あまりに神輿主義です。とうとう職工達と大衝突で会合は滅茶々々でした。今すこウし誰かが柔かに双方を調停してやったら無事に解決出来たろうと思ったのでしたが、……もう今日限りで、いよいよ出勤しないものは解傭するというので、腰の弱い連中はソロソロ規約を破って出勤しそうになって居た所を、やっと喰止めて居るのだそうです。此儘職工を無条件で出勤させるのも心外だし、全部解傭させるのも可愛想だし、どうすれば宜いんでしょう、先生! 今晩中にでも何とか骨を折ってやっては貰えないでしょうか、私はこれから鳴野君や大野君や辻田君たちを訪問してお宅へ集るようにしますから、先生、一つ何とか智慧を貸してあげて下さい!』
覚也は訴えるように言った。黙って聞いていた田原は、
『では、こうしよう。君はこれから南君の所と音無君の所へ行って至急ここへ来てもらうように言ってくれ給え。僕も少し思う所があるから何とか一思案して見よう。』
『ありがたい、どうぞそうしてあげて下さい。実際此儘に踏潰されては労働者が気の毒です。』
と言って覚也が帽子を取上げた時、ジャンジャンジャンと半鐘が鳴った。
『おや?』と二人が顔を見合せた時、大寺の鐘がゴーンゴーンゴーンと鳴り初め、『火事じゃ、火事じゃア。』と言いながら表を東の方へドンドンバタバタと駈けて行く人の足音が騒がしく聞えた。
『火事ですナ?』と言って表へ駈出そうとした覚也を呼止めた田原は、『裏の物干へ行って見よう。一緒に来給え!』
覚也は靴を三尺ばかり離れた所へ、片足々々に脱ぎ捨てて坐敷へ上って来た。そして二人で裏の物干へ登って行った時は、もう王子ヶ浜の方で真朱な焰の雲が燃え上って居た。
『何所だろう?』と田原は欄干に片足かけて伸上り伸上り見て居るうちに、『火事じゃ、火事じゃ、製材所が火事じゃ! えらいこッちゃぞ!』と言う声が聞えた。薄暗い路次を走る黒い影が、『どうせこんな事が起るだろうと思ったよ!』と呟きながら人込の中へ混ってしまった。田原にはその呟くような声が明瞭手に取るように聞えた自分の敏感を不思議に思った。
『先生、大変な事になりましたネ、私は直ぐこれから現場を見て来ます。』と覚也が下へ降りようとするのを引止めて、『止し給え! 下へ行って話そう……』
覚也も思い当る所があったらしく、二人は物干場を降りて、玄関の直ぐ次の室でお茶を飲みながら往来の人達の話を聴くとはなしに聴いた。
『とうとう一番大事の機械が焼けてしまったそうな。』『第三工場から出火したんだそうナ。』『余程な損害だろうよ。』という声が聞えた。
近所の若い者達が玄関へ来て、女中達を対手に火事の話をしだしたので、覚也は田原の家を出て直ぐ下宿へ帰った。
翌日から三日間に亘って警察署では数百人の職工を召喚して訊問したが、皆な聴取書を取られただけで還して貰った。一人も拘留せられる程度のものは無かったが、しかし事件は暗雲に包まれて物凄くある物を模索して居た。
同盟も何時となく砕けて、五人十人と会社へ復帰して行った。ある物は隣県の方へ職を求むべく去った=基本金の権利を放棄して=復帰した職工達は一日十銭ずつの賃銭増額で皆な沈黙してしまった。会社側からは、積立基本金の大部分は購買組合に投資してあったのだが、火災の為に物品も帳簿も焼失してしまったから清算書の提出し得ないのを遺憾に思う。しかし本年度の利益金で何とか埋合せをする云々という意味の長い手紙を株主から職工から町の有志にまで送付した。
怪しい火は種々の風説を産んだが、遂に七十五日も夢の間に過ぎて、殆ど火事の噂も消えかけた頃、一人の若い男が田原の玄関へ来て甚く打萎れながら案内を乞うた。
田原は直接に出て行って会って見ると、それは製材会社に働いて居る小山という機械部の職工で、時々胃病が起るので、よく診察を頼みに来る男であった。
『小山君か、また胃が痛む?』
『いいえ、一寸先生に御伺いしたい事がありまして……』
『そうか、此方へ上り給え。』
田原は小山を診察室へ案内して廻転椅子に腰を掛けさせた。
『先生、私は今度裁判所へ呼出される事になりました。』
小山は泣かんばかりに打悄れて居た。
『え? 君が……どんな事件で?』
『例の会社の火事の一件で……』
『火事の? 今頃それがどうしたというんだい?』
『どうもこうもありません、何百人も調べられた中で、私一人が有力な懸疑者になってしまったのです。』
『それは、どうした理由だ? 君のような温順しい人間が……』
『実は彼の火事の晩、私は機械の番人として宿直に当って居たのです。十日も十五日も機械は動かさず、火の気も無いんですから、大丈夫だと思って町へ来て……悪い事とは知りながら酒を飲んで遊んで居たんです。』
『では、その酒屋の主人に何時頃から何時頃まで其所に居たという事を証明して貰えば善いじゃないか。』
『はい、それはもう警察の方でも、ちゃんと調べてくれましたのです、しかし私がその酒屋を出て三十分後に火事が起ったのです、しかも私の宿直室から……私があの松原の所から宿直室の屋根がパアーッ! と光るのを見て駈付けたのでしたが、私の行った時はもう機械室一面が火の海になっていましたのです。』
『何所の酒屋か知らないが、そこから彼所まで三十分で行けるか行けないかそれを詳細に調べて貰うんだネ。』
『へえ、警察の御調べでは、走って行って十分、普通に歩いて二十分から二十五分と仰しゃるのです。』
『そうか、では僅か五分十分の争いなんだナ。困ったなアそれは……』田原は小山の顔を不便そうに見た。小山はポロポロと涙を流しながら、
『私には一人の年老った母親があります。それがもう長い間フラフラ病で苦しんでいるんですが、一度先生に御診察を願いたい願いたいと云っていますが、何さま私の薬価も碌々御払いしないのですから……その母が……万一私が監獄へでも入れられたなら如何なるかとそれを思うと夜の目も寝られません……』
『そんな心配は要らないさ。身に覚えの無いものは飽まで覚えが無いと云うサ。もう今の時勢は昔のような推定裁判はしないからネ。皆な証拠裁判だから……そしてそのおッ母さんと云うのは明日からでも此家へ通うようにし給え、一寸も心配は要らないから……』
『有難うございます……』と云って小山は落つる涙を拭おうともせず、『私は警察でも区裁判所でも頻りに私と先生との関係を尋ねられましたが、あれは何故でございましょうか、此間も部長さんが、お前は会社で危険な書物を職工に配ったそうなが……と尋ねられました。私は、いいエ危険な書物など配りはしませんと申しますと、『法律と権威』という小い本を配ったろうと言われるので、はアそれなら私は配りましたと申したのです。実は鳴野さんから頼まれまして、どんな事を書いてあるのだか中を碌々見もしないで、あれを五十冊程職工に配ったのです。部長さんがそう仰しゃるので、どんな本か読んで見たいと思うのですが、私の所には一冊も残って居ませんし、与げた友達も皆な読まないで何所かへ収い込んだり失ったりしてしまったそうですから……どうぞ一冊下さいますまいか。私は一度篤と読んで見たいと思うのでございますが……』
『君はまたその本を職工に配ったと、警察で正直に言ってしまったのかい。』
『はい、悪い事だとは思いませんから、鳴野さんの仰しゃるには、これは田原先生が翻訳した大変有益な本だから……』
『え? 僕が翻訳したと君は警察で言ったのか。あの本を……』と小山の言葉を遮って、田原は椅子の脚を摑みながら、身体を前に屈めた。
『えー、そう申しましたのですが、あれは先生の翻訳じゃアございませんですか。』
『……』田原は小山の顔をじっと眺めて居たが、『可愛い男だナ君は。そんな男が監獄へ入れられるようでは世の中は闇だよ。』
『ええ、マサカ監獄へ入れられるような事は無かろうと思いますが、私は裁判官の御方にハキハキと受答えが出来ないから、伯父を頼んで一緒に行って貰おうと思うんです。』
『それは宜いだろう、親類だったら裁判所でも許すだろう。』
『そうでございましょうか……』と小山は暫く考え込んで居たが、『先生あの晩私は松原の所で妙な者を見たんです!』
『妙な者? どんな者だい、それは?』
『私が松原の所へ来た時、私と摺違いに黒い法被を着た男に出逢ったのです。本当にそれは不思議に、サッ! と私の眼の前を通ったのです。私はその人の顔も姿もチャーンと覚えています。それは確かに私も先生もようく知った人なんです。しかし此事は先生にも誰にも申上げないで、ただ、私の夢か幻として置きましょう。それから工場の近くの人達は火事の前にドーン! と大きな音がしたと言いますが、それもタンクが破裂したんだと私は言って置きました。……先生、では明日から伯父と二人で行って来ますから、母の事を宜しく頼みます。』
小山は何度も何度も頭を下げてトボトボと出て行った。田原は玄関の所まで見送ったが、
『小山君、一寸待ち給え!』と言って薬局へ入って行って、薬袋の中へ五円紙幣を一枚四つに折って入れた。
『これは君、餞別の薬だよ。』と言って田原がそれを小山の眼の前へ突つけた時、『はア』と気の無い返事をしながらそれを受取ったが、指先で二三度捻くり廻して見て、『こんな事は……』と言って、その袋を畳の上に投げるように措いてスタスタと出て行った。
田原は別に追かけもしないで、『正直な男だ……』と言って袋を取上げた。そして薬局へ入って行ったが、『おい、平石、薬屋へ電話をかけてエンサン加里を一ポンド直ぐ持って来るように言え。』
台所に居た平石は直ぐチリンチリンと電話をかけた。暫くして薬屋の小僧が自転車で駈付けた。そして通帳へ矢立の筆で記入しながら、『塩没をよう使いますノシ』と言った。
『そんなに沢山使やしないだろう?』と田原は何の気無しにその通帳を手に取って繰返して見ると……日、エンサン加里二ポンド、鶏冠石……匁、硫黄……匁という文字が稲妻のように眼の前に閃いた。田原は思わず、『この使は誰が……』と間おうとしたが、ぐッとその言葉を呑込んで、フイと診察室へ入ってしまったが、『先生、あの晩私は松原の所で妙な者を見たんです!』と唯ッた今言った小山の言葉を憶い出してガツガツと慄えた。
翌る日は朝から雨も降り風も吹いた。三輪崎から乗船する積りで船待をしていた乗客は、午前十時頃に『船は風波の為に三輪崎へは寄港しない。』と云う電報が来たというので、皆ブツブツ言いながら勝浦まで車を走らせた。小山も伯父と二人で三輪崎の片岡屋という宿で休んで居たが、船が着かないと云うので明日まで延そうかと言っている所へ、隣室の客が『この天気では、明日も明後日も船は来ないかも知れないですよ。』と言ってくれた。もし其様な事があっては裁判所への出頭期日にも後れるからと思って、二人は直ぐ勝浦まで俥を走らせて、やっとの事で乗船したのであった。
紀州丸という三百二十噸の船は勝浦港を出て太地の鼻へ差かかると直ぐもう木の葉のように揺られた。まだ出港して三十分も経たないのに三等室の其所此所でゲエー、ゲエーと嘔く声が聞え初めた。元来胃の弱い小山は一堪りも無く胃の腑を空にしてしまった。
船は十二時過に串本港へ入って、其所で五時まで停船すると言っていたが、二時頃に天候が少し善くなったというので、この航路に馴れている船長は大胆にも其所を抜錨した。しかし船が潮の岬を越した時は、もう三等船客に生きた顔色のものは一人も無かった。毎日の航路に慣れたボーイまでも、ボーイさん、ボーイさんと、彼方からも此方からも金盥を請求する声を聞かぬ風で隅の方に半身を壁にもたせて両足を畳に強く踏張っていたが、ややともするとズウー、ズウーッと身体が摺れて仰向に寝そべるのであった。其所此所で悲鳴を挙げるもの、念仏を唱えるもの、血を吐くもの、若い女も年寄も、着物がまくれて、脛も露わになって、右に左に転々と翻弄され初めた。
『苦しい! 苦しい!』と呻吟きながら小山は蚕棚の縁に縋りついて畳に嚙み付くようにして危く転び落ちるのを免れていた。『これはエライ、やり切れん!』と言った伯父は起きて位置を換えようとしたが、どうしても半身を起す事が出来なかった。
『南無阿弥陀仏々々々々々々…………』
『助けてくれ!』
『皆な甲板へ出よう、こんな所に居ちゃア沈没した時、皆な死んでしまうぞ……』
『出て行けるものか、起きる事も出来ないじゃないか。』
船客は苦しい声で……しかも自分と自分を元気づけるように無闇に大きな声で叫んだ。しかし段々と叫び疲れて皆な黙って転がりながら悶えて居ると恐怖の度が一層強く室内に襲って来るのであった。泣いても叫んでも唸っても矢張り人声のする所には皆なの心に幾分の安神があった。
突如一人の男は丸裸になって叫んだ。
『船長を呼べ船長を!』
『ずっと沖へ船を出してしまえ!』
『沈みはしない! こんな浪位で沈没するものか。皆な勇気を出せ。歌を歌え歌を!』
『馬鹿! 皆な上衣を脱げ! 女の方は帯を解いて成だけ身軽になりなさい!』
『おい、ボーイ! どうなるんだい、これは?』
また一頻り口々に叫んでいたが、直ぐに段々とその声も低く少くなってしまった。荷物が転がる、信玄袋が頭に落かかって来る。半裸体になった男女の足と足とが打ッかる。頭と頭とが搗ち合う。見ず知らずの人達、それが若い女であろうが、年寄であろうが、裸体であろうが、襦袢一貫であろうが、無我夢中で、皆な眼を閉じたまま手を握り合い首を抱え合い、足首に獅嚙みつき、腰紐を摑み合いながら、とうとういつの間にか皆な一つ所に団まってしまった。
小山はふと眼を開けて『伯父さんは?』と思って周囲を見ようとしたが、ただ其所ら一面に黒い髪の紆るさまと、白い歯と、裂けた唇とが幾つも幾つもおぞましく見えたばかりで、直ぐ眼が眩んで何にも見えなくなった。
グーッ! と船が何方かへ傾いたと思うと、小山は誰かの腕が自分の首に捲付いて居るのを知った。息が詰るので首を横に捻じ廻そうとしたが腕はますます堅く締めつけるのであった。その腕を撥ね除けようとしたが、両手は誰かに確乎と握られて居た。足を踏張ってみようと思ったが、其上に幾つも幾つも人の身体が重り合っているらしかった。
『うーん!』と力一杯後の方に仰反ったと思うと何所かで、ガーン……と恐ろしい響がした。ワアーッ! と人の泣くような叫び声が聞えた。
『伯父さーン!』と云おうとしたが、急に苦しくなって咽返った。それは汐水を飲んだのであった。
小山は力のあらん限り手を振り足を振った。頭を左右に掉った。そしてやっと首に捲付いていた腕が除れ両手両足が自由になったと思ったが、もう身体はどうする事も出来ない程疲れ切っていた。しかし子供の時から水泳が上手であった彼は息を詰めながら無茶苦茶に頭を振った。冷たいものがピタリと脊から獅嚙付いて来たが、もうそれを振放そうとする勇気も無かった。
天地の覆り返るような危怪な響がグーンと響いたと思うと小山の身体は何百尺も高く投げ上げられたように感じた。それは正宗のような銘刀で、頭の頂返から足の尖までスカリ! 真両つに断割られてしまったような感じであった。
『あッ!』と思った拍子に、小山は実に明瞭と自分自身の全裸体を見た。しかもそれは今までのような瘠せこけた自分では無く、力に充ち血汐に溢れた美しい青年の自分であった。
雪のように白い肌が美しい自分の傍に近寄ったと思うと小山は本能的にその可愛い人魚を緊と抱きしめた時、彼は生来初めて『歓喜』というものに打ッかったのであった。
其時彼にはもう時間も空間も無かった。恐怖も危難も無かった。水と陸との区別もなかった。ただもう芳烈な肉の香が彼れの全性全霊を包んでしまった。この美しい一瞬間のうちに彼は新しい不可思議な世界で、健康も恢復し愛にも酔い情にも堪能した。しかし彼れが今一度人間の意識に立返ろうとした時、彼れの前には恐ろしい怪獣のような醜い顔が十も廿も、怪しい声を立てながら呻吟きながらコロコロと転がって来た。しかもそれは皆な呪と怒とに満ちた忌わしいものばかりであった。
彼は死物狂になってその怪物を、はち飛ばした。そして今一度その美しい人魚の顔を見たい、その白い肌を抱いてみたいと思った時、パッ! と真黒い怪物が何所からとなく飛んで来て、大きな鉄のような手で小山の頭をグッと引摑んで水の底へ叩き込んでしまった。
紀州丸の沈没! 乗客船員百七十二人行方不明! 死体漂着十二名!
田原が往診からの帰途、その貼出しを新聞社の前で見たのは其日の六時頃であった。
もう其時はカラリと雨が霽れて、ただ狂暴な疾風が想い出したように二分三分の間を置きながら、権現山の立木を根こそぎ吹いて吹き飛ばそうとして、これでもか、これでもかと言わぬばかりに蹴とばし撥とばしていた。峰の松はビューッ、ビューッ! と妙な呻吟声を立てて頑張り、押倒しへし倒されながら、どうしても其所を離るる事の出来ないように宿命された雑木は、ガッシリと巌に獅嚙みついたまま、嫌だア、ヤだア! と頭を掉りながら喚いてるように見えた。
『恐ろしい天気だ!』と呟いた田原の頭には、小い木片に取りつき縋りついたまま吼え狂う浪間に捲いて捲込まれて行く脆弱い小山の身体が明瞭と浮んで来た。『先生!』と云って自分の足に縋りついて来るようにも感じた。
運命
『音無君、もうお寝みですか。』
『起きてますよ。何誰?』
『田原です、一寸開けてくれ給え。』
『あ、田原さんか。』とランプを片手に玄関へ来て掛鍵を外した音無は、『さあ何卒。少し早過ぎるとは思ったが、祈禱会が済んで皆な帰ったので、』と云いつつ先へ立って案内した。
『まだ九時頃だろう。』と田原は玄関に外套を脱棄てつつ書斎へ通って、四角な卓を央に音無と相対いになった。
『実は、今晩に限ったわけでも無いが、急に相談したい事があって、』という田原の調子は頗る更まっていた。
音無は何だか不安に脅かされるような気もしたが、故と沈着すまして、『どういう御相談ですか。』
『実はネ、僕ももう医者という仕事を廃そうと思ってる。』と田原は低い沈んだ調子で、『それから五六年この土地を離れようかとも思ってる。』
『医者を廃す?』と音無は寝耳に水の意外の相談に思わず眼を睜って『それは全体どういう理由で?』
『どういう理由というほどの理由は無い。ただ、医者が嫌になった。医者というものに使命を感じなくなった、というだけサ。』
『余り簡単過ぎてもう少し聞かないと解りませんが、どういう理由があるにしろ、今更医者を廃さなくても宜さそうなもんですナ。』
『君は牧師に使命を感じなくなっても、信者から頼まれれば説教もするし祈禱もするかい?』
『そんな例を持出されると返事に困りますが……』
『そうだろう? 誰だって職務に使命を感じなくなって、ただ飯を食う為ばかりになったら、迚も辛抱していられなくなる。世間には、ただ飯を食うのを一大事と思ってるものもあるが、少くも我々は其様な不真面目な無意味な生活に甘んずる事は出来ない。君はチェーホフの六号室を読んだろう。僕の心事はアレだ。僕の目下の境遇は丁度あのアンドレエ・イエフィミッチだ……』と田原は二人の央の卓上に頰杖突いて、『僕とアンドレエ・イエフィミッチとは経歴が抑殆ど同じだ。僕も最初は兄貴の勧めで宗教を研究して牧師になろうとしたもんだ。所が家代々医者をやって来たもんだから、矢張り自信も無しにツイ医者になったものの、どうも僕は医者が天職で無いと見え、今まで随分本業以外に種々の計画を立て、憤慨したり騒いだりした。今から思うと馬鹿げた程空想を燃やしていたもんだ。所が世の中には変な人達が居て、僕等が真面目に憧憬れているその憧れを利用して、一コペックおくれ十コペック貸せと云って来るんだネ。あの猶太人のモセイカのような男が僕を先生々々と崇める真似をして、僕から何度も何度も酒代を絞ったものだが、僕は主義だとか理想だとかに夢中になっていて、真に理想の為に戦おうとする人間とその卑しい根性の男とを見分ける事が出来なかったのだ。僕を先生々々と言って頻りに僕の主義に賛同するように見せかけ、やれ、何所の学校の校長がどんな事をしたとか、やれ政治がどうだとか町長がこうしたとか、種々な材料を担ぎ込んで来て誠しやかにそれを話すんだろう。人間というものは浅ましいもので、僕が呪っている社会に、ありそうなまたあり得べきような事を話されると、それが皆な事実のように考えられて、一も二も無く⦅そうだろう現代には其様な事が有り勝だ。⦆と言って、ツイそれを信じてしまうんだネ。そして演説会を開いたり新聞雑誌へ投書したりして大騒ぎをしたものさ。けれども後から考えると、其様な材料を担ぎ込んで来た男が疑わしくなる。いよいよ調べて見ると、其奴は僕に演説会を開かしてその会場費の上前を撥ねて一杯飲みたい為に、有りもしない事を揑造して僕を利用したんだという事が解ったり、会社の内部にこんな腐敗があるとか、何所にこんな事実があるとかいろんな話を持込んで来て、理想の実現に汲々としている僕の心を唆るんだね。僕は其手に今まで幾度乗せられたか知れない。本当に僕を理解してるように見えた男、それは僕の為には生命を賭けても尽そうと云って匕首を懐に呑んで、僕の家へ出入して僕を保護して居た男であったが、しかし其男だって遂う本音を吹いて、僕に七百円の無心を吹掛けた。それは馴染の女郎を受出そう為であった。こんなような事が僕には数限りなく経験されたので僕も先生々々と言われる事がつくづく嫌になってしまった。けれども僕の眼の覚めなかった頃は皆なそれが主義に忠実な熱心な男だと思って居たのサ。所がふとした事から、近頃僕はその連中が皆な一コペックくれ! と手を突出す猶太人のモセイカだと知ったのだ。だから、君、僕はもう、玉石共に捨てようと思うんだ。それは僕の本意ではないが……』
田原はほっと太息を吐いて腕を拱いて居たがまた静かに口を開いた。
『君! 千八百七十六年の三月三十日に、ペテルブルクのカザン寺の前で、男百三十一人と女三十四人のアナキイストが赤旗を打振って大騒ぎをした事を知って居るだろう。あの赤旗事件から露国の政府は実に残酷な程厳重な圧迫をアナキイストに加えたもんだ。言論の圧迫は勿論有らゆる方法で彼等を虐めつけた結果翌年になって有名な百九十三人事件が起ったのだろう。当時の露国で虐められた青年達を本当に不便だと思う。如何に主義に忠実な青年達でも、あらゆる自由を束縛されて監視されては溜ったものじゃ無かろう。』とキッパリ言葉を断って、『僕の宅へも、ノマノフ家の迫害から逃げた連中のような人達……ライフル銃を肩げて放火犯人を捕縛して行く警官を見ては、直ぐ自分も彼の放火犯人のように縛られて暗い所へ叩き込まれるのでは無かろうかと想像するような、追跡妄想狂のイヴァン・ドミトリッチのような男が何人も何人も逃げ込んで来た。僕はそういう連中を出来るだけ保護し同情もした。丁度あの院長アンドレエ・イエフィミッチが六号室へ行って、イヴァン・ドミトリッチに同情してその話を聞いて居るうちに、とうとうその哲学に感心してしまったように、僕もその連中と同じ哲学を信ずるようになった。そして僕は自分を彼等と同主義だと思い、彼等も僕も同じ主義者だと思って居たのだが……僕は段々と自分の説と彼等の説との相違点を発見し出した。第一僕は絶対の唯物論者になり得ない、僕はどうしても汎神論者である。唯物論に対する唯霊論者である。それから僕だって矢張り彼等と一緒に私有財産制度を改良したい。と言って自他の区別なく無茶苦茶に他人のものと自分のものとを一つにするような事をせられては困る。物は総てに進化の行程があるんだから、その理法を無視して一足飛に現状から理想の世界へ入ろうとするのは無理だと思う。所が、僕の所へ逃げ込んで来た連中は余りに過激な理想を抱き過ぎて居た。彼等は思想した事は直ぐ実行出来ると思うて居る。だから恋愛自由論を唱うると直ぐ無茶苦茶に恋をしたがる。家庭破壊論を僕が書くと、直ぐ彼等は僕の家庭ではどんな事をしたって宜いのだというような迷信をするんだ。僕が家庭破壊を主張するのは因襲に囚われた悪家庭を破壊して新しい美しい家庭を建設せよと云う進化の法則に遵った議論なんだ。所がそれを誤解して彼等は皆な僕を裏切ってしまった。彼等は何と言う?⦅田原は怪しからん、財産私有制度を非認しながら金を貯める、自由恋愛論を唱えながら他人の恋を妨げる、家庭破壊論を書きながら妻君を愛したり子供を大事にする。平等主義を唱えながら、我々同志が百日の換刑に行く時、その罰金四百円を出してやらないで、妻君の妹にオルガンを買ってやった。⦆まアこんな調子で遂には足を挙げて僕を蹴るんだネ。で、僕は猶太人のモセイカのような乞食根性の男から逃れて、またイヴァンのような男の哲学に囚われてしまったのだが、その為に僕はまた一方ならぬ苦痛を背負わされたんだ。僕の哲学なり思想なりは、イヴァンの哲学や思想と一致点はある。しかし全然同一じゃ無い。今は彼等と僕は全く反対の位置に立って居るのかも知れない。しかし音無君、そこが運命だ。僕は今あの六号室にある何とかいう市長のような男に、イヴァンと一緒に六号室へ閉じ込められるばかりか、兵隊上りのニキタのような荒くれ男に、床の上に打ちのめされて、血反吐を吐いて往生せねばならぬ終局を見るかも知れない。』と田原は憮然として音無の顔を見て居たが、冷たい茶を一口飲んで、『そうそう彼のイヴァンは旨い事を言った。ダイオゲネスは桶の中で日なたボッコをしながら、橙やオリーヴを食って太平楽を並べて居た。しかし彼の男を露西亜へ伴れて来て見ろ、直ぐに風邪を引いて凍えて死んじまうだろうッて。本当にそうだ。露西亜のような革命の本場でこそ、ガボン長老のような男も出、バルジイナのような女も出たんだが、我々日本人が其様な人の伝記を読んで、直ぐ其様な人の真似をしようと思うのは、それはダイオゲネスを寒い北の国へ伴れて来て桶の中に入れて路傍に転がして置くのと同じ事さ。⦅王様、あなたは私の日向ボッコの邪魔になるから、其方へ退いて下さい⦆なんて言うまでも無く、疾うの昔に凍えて死んで居るだろうよ。我々国情の違う日本人が、露西亜人や独逸人の真似をしたってそれは駄目だ。実行どころじゃない。そんな小説を読んでも、クロポトキンの著書一冊読んでも直ぐ凍えて死んじまわねばならない運命に陥るんだ。僕なんかは彼のイヴァンのような人達に同情して彼の人達を食客に置いた事だけで、もう恐ろしい運命が身の上に落かかって来そうに思われる。今の場合僕は、彼の人達と僕とは思想の根抵が違うという事を、どれだけ強く主張した所でそれは駄目だ。アンドレエ・イエフィミッチが、⦅俺の思想はイヴァン・ドミトリッチと全然同一ではない⦆と叫んだ所で市長はそれを取上げないで無理に六号室へ閉じ込めてしまったように、僕もそれと同じ運命に陥るかも知れない。まア総ては運命サ。僕は今までの事を考えると、皆な思いも掛けない意外の結果になって居るが、さてそれは人間の力で何ともする事の出来ない事だから仕様が無い。彼の原稿用紙の一件、成程あの脅迫状は南君が奪還してくれた。しかし警官の頭に鋳込んだその印象というものは、どうしたって残っている。僕も最初の程はあの脅迫状を書いた男を怨んだ、軽率な男だと憎みもした。しかし後になって考えた。実際あの当時、劇場で大演説をやろうと決心した頃の僕達の頭では、あの津本というような男を心から憎かったので、口にも言わず筆にも書かなかったが、腹の底では彼の脅迫状に書いてあった以上の事を考えていたかも知れない。僕はそれが為めにどんな迫害が来てもそれを甘んじて受けるが当然だと思う。それからあの会社の火事だ。よし彼の火事が、失火にしろ放火にしろ、また誰かが僕の薬局から薬品を盗み出して行って、怪しからん事をしたにしろ、それを僕が全然知らぬ存ぜぬと云って逃れようとするのは悪い。あの火事の起った時、我々の頭に、自分の家が焼ける時のような悲しい感じが無かったじゃないか。僕はあの時裏二階の物干から見て居たが、下の路次を走る人が『どうせこんな事になるだろうと思ったよ。』と云いつつ走ったその声を明瞭聞いた。其時僕の心でも『そうだ』とその闇の中の声に調子を合した。それは矢張り火事を喜ぶ心だったのだ。すると放火犯人と同じ罪を負わねばならないサ。基督を十字架に磔けたポンテオ・ピラトも、それを賛成した民衆も罪状に区別は無いからネ。それから音無君!』と田原は潤んだ声で、『僕はあの小山伯父甥の最後を不便に思う。あの正直な無罪な男――神様のような男を波の中へ埋めて殺したのは誰の責任だと君は思う。警察でも裁判所でも無い。それは全く彼の時のストライキを賛成した者全体がその責任を帯びねばならない。僕は小山の死に対して自ら十分の責任を負う。殺されても仕方が無いと思う。今まで僕達は妙に官憲を白い眼で見て居た。しかし僕の宿命観から言うと、今晩警官が僕の所に来て、其場で僕を殴り付けてアンドレエ・イエフィミッチのように残酷な目に遭わされても僕は致方が無いと思う。それは原稿用紙の一件から火事の事から、それから君は知らないだろうが、僕の翻訳した法律と権威――あの秘密出版物を鳴野君は小山の手を通して会社へ五十部程配ったらしい。正直な小山は何も知らずに警察でそれを饒舌ったらしいのだ。そんな材料が重なり重なり警官の眼の前に横わって来る時、その警官が僕に対して危険、悪漢、あらゆる悪名を以て僕を縛りに来ても、それは彼等の為すべき事を当然になしたので、決して憎むべきではない。ただそういう迫害する者と迫害せられる者とがこの世の中で一所に落合わねばならないという其運命を悲しく思うだけだ。しかしそれは、どうしたって逃れッこの無い事だから……』
段々と田原の話に引込まれて行った音無は片唾を飲みつつ、
『御意見は判りました。徹底した宿命説ですが、どうしても医者を廃さねばならないと仰しゃるには、もっとその医業に対しての深い理由がございましょうネ、単に使命を感じないと仰しゃるだけで無くッて……』
『恐ろしくなって薬を盛る事が出来なくなったのサ。アンドレエ・イエフィミッチは疑った。三十人の入院患者が三十五人となり四十人となり、日一日、年一年毎に患者の数は殖える。が此町の死亡率も病人も些とも減りはしない。すれば、医者の薬は癒して居るのか、殺しているのか……』と田原は苦笑しながら、『病人が医者の所へ来るのは病気を癒して貰いたいからだがこの薬ならこの病気に必ず効くというものが一服でもあるか。大抵効くだろう? 位な薬を飲むので、それで癒るのは、そりゃア薬で癒るのでは無くッて病気が癒るのだ。自ら癒るのサ。砂糖水を飲んでも癒る病人まで、舌を出さしたり、眼を剝いて見たり、脈を握ったり、胸を叩いたり、人間の身体を翫弄にした上に聴診器や金時計で嚇しつけて高い薬価や診察料を払わせるなんて本当に地獄行きの沙汰だよ。アンドレエ・イエフィミッチは、医者の丸薬や水薬で人間の苦痛が癒るもんなら、哲学も宗教も不必要だと云ったが、それ程の高処から見ないでも、新薬が出来れば出来る程病人の殖えて行く事実を知ったなら医は仁術だなんて言われた義理じゃアない。維納の模範病院も熊野の浦の藪医者も五十歩百歩さ。』
田原は次第に昂奮して段々とその語調が荒くなって来た。常から能弁ではあるが、これ程熱烈な雄弁はマダ聴いた事が無かったから音無は思わず聞惚れて感に堪えた。
『こういう事を云うから僕は睨まれるのだ。』と田原は調子を一転して呵々と笑い、『依々して六号室へ打ち込まれて血反吐を吐かされない前に、早く逃げ出そう。そしてこの土地を離れて何所かへ行ってしまおうと思う。』
『よく解りました、』と音無は二つ三つ点頭いて『お説はマダ十分に合点めない点もありますが御決心はよく解りました。僕達が生中な理屈を云っても思い留る貴方で無いから何にも申上げませんが、奥様は御承知でございましょうナ。』
『承知も不承知も無い、断行すると云ったら断行する。』
『それは乱暴だ!』
『乱暴は認める。だが、思い立ったら直ぐ咄嗟に実行するが僕の気象だ。そこで実は君に頼みに来たのだ。僕は時機を見計ってとにかく一旦新嘉坡辺へ行こうと思う。』
『時機? それは何時頃でしょう?』
『それは盗人の夜来るが如しサ。その時機はいつ来るか解らない。今夜か明日か、また来年かそれは明言出来ないが……』
『では場合によっては明日にでも?』
『そうだ、明日にでも実行する!』
『それは余り早急過ぎる!』
『突然聞く君には早急だろうが、僕にして見れば熟慮断行で、今此事を君に話すまでには散々熟考に熟考を重ねたのだ。決して一時の気紛れや客気に逸ったのでは無い。僕だって流行る医者として患者に尊敬され、妻子と一緒に楽しく暮したいと思わない所以は無い。放胆な空想論はしても理屈は理屈、人情は人情。可愛いい女房子を振捨て、天涯万里に漂泊って悲歌慷慨するのを快とする齢でも無いし、釈迦や基督や昔の聖者のように、人間の大いなる艱みを抱いて世を遯れるわけでも無い。それには説明出来ないある威力==宿命と云おうか、何と云おうか、ある大きな力が僕を引摺って行くので、今までの僕の遭遇した総ての事件が、皆な僕を其方へと追いやるんだ。それには抵抗する事も楯を突く事も出来ないんだ。僕だって未練は十分にある、妻子や周囲の事情に後髪を牽かれないでも無いが、仮令一時思い止って見た所で、断末魔にカンフル注射や酸素吸入をするようなもんで、この宿命をどうする事も出来ない……』
『よく解りました。』と音無は大きく点頭いて、『そう御決心なすったものをもう動かす事は出来ないから何とも申上げませんが、新嘉坡というのは何か恃でもあるんですか。』
『真更浮草の風に吹かれて漂うように出かけるわけでも無いが、まア当分新嘉坡に留まるかあるいはもっと遠走りするか、それも決まって居ないのだ……孟買には以前三年程居た事があったのだから……』
『それで何時帰られます?』
『さア、』と田原は暫く沈吟した後太い嘆息を吐いて『三年で帰るか、五年で帰るか、あるいは永遠に帰らないか何とも解らんが、何だかもうお名残で、帰って来る時は骨壺に入っているような気もする。それで実は後々心残りの無いように、今晩君に後事を頼みに来たのだ。』
余りに真剣らしいので音無は不思議に思いながら田原を見ると、その眼には一杯の涙が溜って居た。田原は自分と自分を励ますように礑と膝を敲いて、
『こう決心はしたもののただ何となく気に懸るのは、俗に男子閾を跨ぐれば七人の敵ありというが、僕の周囲にも無数の敵が始終僕を遠巻にしていて、何時なん時其奴等が飛蒐ってこの咽喉を締めるかも解らんような気がする。……イヤ真実僕には其様な予感がある。こうなると六号室のイヴァン・ドミートリッチ然として来る。だが、何だかそんな気がして堪らんから……』
音無は急に悲しくなって黙って俯向いてしまった。
『音無君、あの新聞も今では一杯々々に立行くが、石塚君一人では難かしいから僕の在ない後は君の助勢を頼む。四月になると太地へ養子入籍の手続きを済して、須基子さんとナオミさんと上京した後の隠居の世話や家事の取締をする事になるんだが、何しろ年が若いから万事につけて君の面倒を頼む。それから堅爾君も彼アやって家庭を作ったのだから=少し変則だが=まア安心、最後に僕の一家だが、妻は御承知の通りの女、諦めの悪い女と云うでは無いが、僕が居なくなったら淋しくもあろう。愚痴も出よう。勿論信仰の無い者に宗教を強いても無効だが何卒自発的に信仰の出るように導いて貰いたい。それから児供だが……』と田原は有繫にホロリとして声を途切らした。『親は無くとも子は育つというが、親が有りながら捨てられる子は不便だ。成長くなったらさぞ僕を怨むだろうが、こういう運命の父を持ったのが因果と諦めてもらう外は無い。まだ六歳と四歳で東西も解らんが、僕も今直ぐ彼等が路頭に迷うような事をしてはない。どうかこうか、やって行けるだけの貯えもしてある。君も知っての通り僕には金持の親類が何人もある。僕の甥には百万長者もある。兄貴だって何十万の財産家だ。しかし僕はそういう親類の金持があるからッて、それを当にさせる事は望まない。僕が何とか一つ蹴躓いた時は、親類中は御互いに撥ねつけ合いに決っている。そりゃア普通の人間達のように、因襲に囚われて無闇に先祖の位牌を有難がるような連中ならいざ知らず、僕の親類は皆な一風も二風も変っていて、そんな因襲から解放されている。だから僕が僕の勝手で遠方へ行ったからッてそれに同情して僕の家内を世話するような連中は一人も居ないだろう。⦅彼りゃア吾が勝手に外国へ行たんじゃないか。⦆と云うだけだろう。僕はそれが正当だと思う。何も僕は僕自身の運命に服従するんで、彼等には彼等自身の服従すべき運命が別にある。それを混淆にしちゃア不可い。僕は親類達の心をよく呑込んで居る、だから僕が居なくなった後の事を親類達に、どうこうして貰おうとは思わない。だから親類中がどんなに冷淡であっても決してそれを怨まないように妻に言聞けてくれ給え。世話をしない者が悪いので無くて、頼みに行く方が間違ってるんだから……甥の東家と、橋屋の友木とは、ちょいと面白い気象だから何とか世話もするだろう、しかし僕はそれにさえ深い頼みは掛けない。なアに世の中の事は何とかなるようになるサ。金持の親類を恃にするのは砂糖壺の中にある砂糖を外から舐めるようなものサ。あるにはあるんだが幾ら舐めたッて甘くも何ともない。万一にも一寸甘い! と思ったらそれは万々分の一の落こぼれサ。』と言って田原はハハハハハと力の無い高笑いをした。
音無は腕拱きつつ黙然と聞いていたが、腸の底からジワジワ鈍染み出していた溜涙が田原の高笑いと一緒に一度に堰を切ったようにポタポタと落ちた。
改悔文
その翌朝音無は朝飯を済すと直ぐ田原を訪問したが、もう玄関には五六人の患者が詰めかけて田原は忙しそうに診察室から薬局へ出たり入ったりして居た。
『まア家に居てくれて宜かった。』と心の中で点頭きながら内玄関の所へ行って見ると、其所で哲子と丈太郎とが仲よく遊んで居た。
『丈太郎さん、お葬式ごとをしましょうね。』
『うん、誰が死ぬの?』
『パパさんが死ぬのよ。』
『ううん、私きが死にたいよう。よう姉さん!』
『じゃア、お死になさい。』
『うん、わいき死ぬよ。』
丈太郎は小さな真黒なものを持って来て哲子の前の木箱の中に入れようとした。音無は何気なく覗いて見ると木彫の骸骨が入れてあった。
『これが丈ちゃんの死んだのかい?』
『うん、わいき《﹅﹅﹅》の死んだの。これからお葬式をするから叔父さんも手伝っておくれよ。』
『丈太郎さん、』と哲子は可愛いい顔を傾げながら、『それよりかパパさんもママさんも、あんたも私きも皆な一緒に死んだとしようネ。』
『うん、そうしよう。一緒に死んだと、面白いナア。』と丈太郎は直ぐ同意した。
二人はまた『これがパパさん、』『これがママさん、』と少し大きな骸骨を持出して来た。
丈太郎はまた二つの骸骨を持出して来た。哲子は、
『私き今日は死にたい事無いんじゃけど、マア致方が無いワ。』と哲子は小い骸骨の一つ、それを自分の分として箱へ入れつつ偶と音無の顔を見上げて、『叔父さん、重いよ手伝っておくれエ。』
無邪気な子供の遊びだが、場合が場合だから何だか虫の知らせであるような気がして、音無は思わず顔を曇らすと、
『ヤア、叔父さんが泣いてらア。』と丈太郎はニコニコしながら、『笑止しいナ、叔父さん、こりゃア嘘の葬式じゃのに。』
『またお葬式ごとかい?』と坐敷の縁側から開き戸を押しながら出て来た貞子は音無を見つつ『あ、音無さん、さ、どうぞ、』と先へ立って座敷へ案内した。
音無は八畳の真中へ静に座わった時、『やア、昨晩は失敬した。』と言いながら手術着の袖をまくり上げながら田原が入って来た。
『失敬しました。』と音無は一寸頭を下げたが、その瞬間に昨日までの田原家と今日の田原家とはまるで違った家のような感じがした。何故だろう? と音無は自分の眼を疑うようにキョロキョロと室中を見廻したが田原はニヤリニヤリと笑いながら音無の顔を眺めて居た。
『そうか。』と音無は頻りに点頭きながら、まず壁を見、次に硝子戸の塡った書棚を見た。壁には此間まで掛っていたクロポトキンの肖像もマルクスの顔もカアペンタアの写真も見えなかった。書棚には昨日までキラキラと背文字を光らせて居たクロポトキンやマルクスやラサールなどの著書が一冊も見えなくなって居た。
『さては、いよいよ本当になるのだナ。』と思った音無は胸がドキン! とした。しかし田原は別に平常に変った顔色も見せず、新聞や雑誌の話をして居たが、急病患者があって俥で迎えに来たというので、アタフタと出て行った。
音無はそれとなく貞子の心に探りを入れて見たが、ちっとも変った様子が見えなかったので、まず安心と田原を辞して久々で太地家を訪問しようと思って町を権現の方ヘサッサと歩いて居ると、向うから江戸腹掛の丼へ何だか一杯膨ませた若い男が、ニコニコ笑いながら来るのに出逢った。
『よう、音無君、僕はこれから君の所へ行こうと思って……』
『鳴野君か、全然労働者の姿になって居るもんだから……』
『姿ばかりじゃ無い、もう此節は心も肉体も悉皆労働者になってしまったのだよ。』
鳴野は肩を揺りながら言って、『御宅へ伺っても宜いだろう? これから……』
『ああ、行こう。僕も別に何所へ行かねばならぬという事は無いんだから。』
鳴野は何だか気忙しいように先に立って歩いた。そして二人は牧師館へ行って一緒に食事をしながら四方山の話をしたが、鳴野は急に坐様を直して、
『音無君、僕は今日君に謝罪に来たんだよ。』と言って暫く俯向いて居たが、『僕はもう断然筋肉労働者になる。今までのように社会だの政治だのと言ってノラクラ遊びながら大言壮語して居たッて詰らない。僕はかつて君に失敬な事を言った。彼の頃の僕の頭は唯物論で固められきッて居た。だが、僕は其後種々と考えた。考えた結果は人間というものの余りに小い事を考えつけたのだ。無限の宇宙! それは何という恐ろしい言葉だろう? 吾々はこの悠久な宇宙の間に産れて来て、たッた五十年六十年生きる為に、一体何をして居るんだろう。啀み合ったり引搔合ったり、まるで猛獣のように悲しい生活をして居るじゃないか。我々はこの不整頓な駄獣の群のような現代を改革しよう向上せしめようと言って、矢張り駄獣のように猛獣のように啀み合ったり蹴飛ばし合った所で何になる? それでは駄目だ。まず空吠を止めるんだ。付元気で大言壮語する事を廃すんだ。沈黙して沈黙して全世界がシイーン! と静まった時、総ての問題が解決するんだ、寂滅為楽だ! 僕はそう思ったからいろんな下らない物を川へ投げ捨てた。書籍も焼棄てた。そして沈黙して一生懸命に働いて見る決心をした。根限り働いて働いて働き通して見ようと決心した。それが罪業の深い僕のなすべき大きな贖罪だ!』
鳴野は凛然としてこう言った。音無は黙って聞いて居たが、
『罪業? 君の思想でも罪という事を感じる事が出来ますか。』と問うた。
『僕は今まで総ての罪悪を総て社会組織の不完全から起るものとして居た。道徳というものは滋養物を食わす事だというフォイエルバッハの説を本気に唱えていた。また宗教なんて頭から馬鹿にして居たものだが近頃はそう思えなくなった。僕は窃盗罪にも強盗罪にも、殺人罪にも相当する大悪人だという事を知った。……僕一人で、僕が唯一人で引受けねばならない罪がある。その大きな罪を発見した僕には、もう今までのような態度では居られなくなった。僕は大きな罪悪を身に引負うて居る、だから僕は一生懸命に働いて、真面目に残る半生を送って一切の罪を贖おうと思う。』と言って鳴野は腹掛の丼から一冊の小い和綴の本を出して、『此所だよ今僕の願ってる所は……』
音無は鳴野が開いて自分の眼の前に差出した所を読んでみた。
サラニ余ノカタヘ心ヲフラズ一心一向ニ仏助ケタマヘトマウサン衆生ヲバタトヒ罪業ハ深重ナリトモカナラズ弥陀如来ハスクヒマシマスベシ。コレスナハチ第十八ノ念仏往生ノ誓願ノトコロナリ、カクノゴトク決定シテノ上ニハ寝テモ覚メテモ命ノアランカギリハ称名念仏スベキモノナリアナカシコアナカシコ
『そうだ、重きを負えるもの我に来れと基督の言ったのも其所だ。』と音無は眼を閉じて考え初めた。そして昨晩田原の話したその話の何所かに鳴野の姿がちらついて居るように思われてならなかった。
⦅仮令、あの火事が失火にしろ放火にしろ、また誰かが僕の薬局から薬品を盗み出して行って怪しからん事をしたにしろ……僕はあの小山伯父甥の最後を不便に思う。彼の正直な神様のような男を波の中へ埋めて殺したのは誰の責任だ……⦆
音無の頭の中にその会話の節々が断続して繰出される時、眼の前に恐ろしい光景がフィルムとなって現われた。
⦅やッつけろ!⦆と叫びながら闇の中をスタスタと浜の方に駈けて行く憤怒に燃えた男の姿がアリアリと見えた。……熊野灘は荒れに荒れてゴーッ! という恐ろしい響と共に、大きな紀州丸は海底深く沈んでしまった。……助けてくれエーと叫びながら浪間に浮きつ沈みつして居る痩せこけた小山の姿が見えた。しかもぺとぺとに濡れて肉体にぴったりと捲付いて居る着物の縞柄まで明瞭と見えた。……『さアもッと大きい盃を持って来い! 歌え歌え踊れ踊れ。』と云ってヘベレケになって酔狂って居る鳴野の姿が現われた……踊り狂っている鳴野の懐からパタリと畳の上に落ちたものがあった。見れば九寸五分だ!
音無は身の毛の弥立つように感じた。こんな幻覚の後に、今眼の当り鳴野が⦅タトヒ罪業ハ深重ナリトモカナラズ弥陀如来ハ救ヒマシマスベシ……⦆と改悔の文を唱えて居るかと思う時音無はその閉じた眼を開く事が恐ろしいように感じた。
『じゃア君、失敬するよ。』と言う声に驚いて眼を開けて見ると、其所には頼もしげな生々した鳴野が輝くような眼で凝然と音無を見詰めて居た。
行方
六月の初であった。音無が二階の書斎でツルゲネーフの『父と子』に読耽って居ると、玄関で『今日は……』と聞き慣れない声がした。誰だろう? と思いながら降りて行って見ると、硝子戸の外には色の浅黒い、四角な顔の大男がハンケチで汗を拭きながら立って居た。
『何誰です?』と戸を開けながら聞くと、
『僕は警察署の樽本です。』と言いつつ名刺を差出した。
『そうですか、何卒お入り下さい。何か御用事で?』
『一寸お尋ね致したいのですが、東京から赤穂という男が見えませんでしたか。』
『赤穂? 知りませんですな、そんな人は……赤穂何と言うお名前ですか。』
『赤穂初という男で、其男が『労働者の福音』という秘密出版をやって、紀州へ逃げて来たという事なので……』
『労働者の福音? そりゃア僕とは全く関係の無い書物じゃありませんか。』
『だッて福音というんだから、基督教の事を書いてあるんだろうと思う。』
『違いますよ。それはきっと社会主義の書物でしょう?』
『そうかも知れません。まアまア基督教と似寄ったものさ。』
言いながら樽本は坐敷をぐるぐる見廻して居たが、『やア失礼致しました。』と言って出て行った。音無は変な事を言う男だと思いながら書斎へ引返したが何だかそれが気になってならないので、直ぐ田原の家へ出かけて行った。
丁度田原が往診先から帰った所であったので、樽本の訪ねて来た事を話すと、
『うん、その書物は二三日前に僕の所へ送って来た。別に大したものでも無いが、同盟罷工の事を書いてあるので発売禁止になったのだろう。』
『秘密出版じゃア無いのですか。』
『なアに、秘密出版にする程のものじゃア無いのサ。』
『そうですか、しかし名前も何にも知らない赤穂君が僕の所へ来ていないかッて言うのは、どうした理由でしょう。』
『多分僕の所へ来て居ないかと思って、遠廻しに君の所へ尋ねに行ったのかも知れないよ。』
『そうでしょうか、ではその赤穂君が来る筈なんですか。』
『来やしないだろう? 僕はもう近頃、あの連中と殆ど通信しないで居るんだから。』
話して居る所へ覚也が入って来て、『先生、僕は今警察へ喚ばれましてネ。』と言った。
『警察へ? どんな事で?』
『納本が着かないと言うんで……』
『納本をしなかったのかい。』と田原は疑ぐるように覚也の顔を見た。
『納本は毎号僕が帯封を書いて、必ず発送して居ます。それだのに、どういうものか、内務省へも県庁へも検事局へも本月の廿日から廿五日まで六日分が届いて居ないというんです。』
『不思議だネ。それは? 君の方では間違いなく発送したのかい。』
『ええ間違い無く発送しました。多分何かの行違いでしょうよ。』
『六日分も未着っていうのは不思議だネ。』
田原は頻りに頭を傾げて居たが、何か思い当る事でもあるように、
『石塚君、近頃掲載差止命令が来やしなかったかい。』
『一昨晩の二時に一つ来ました。』
『どんな記事の?』と田原の顔は色めいていた。
『なアに、何でも無い事らしいのでした。中村、根本某々の犯罪事件は予審中に付新聞紙に掲載すべからずと書いてあっただけで、それが、どんな事件やら、何をしたのやらさっぱり解らないんです。』
『え? 中村も根本も……』と田原は甚く驚いた様子であった。
『先生はその事件を御承知なんですか。』と覚也が問うた時、書生の平岩が次の室から、
『石塚さんにこの御手紙を……只今新聞社の小使さんが持って参りました。』と言って鼠色の封筒に入った一通の手紙を畳の上に措いた。
覚也は『区裁判所からだ……』と呟きながらそれを披いて中から美濃罫紙を取出して、畳の上に拡げた。三人が額を鳩めて読んで見ると、
検秘第五号
新聞紙掲載差止命令中一部解除通知
曩ニ掲載方差止タル事件ニ付左ノ事項ニ限リ其掲載方ヲ許ス
中村、根本初メ男七名女一名共謀シ、英領新嘉坡ニテ秘密出版ヲナシ過激ナル行動ヲナサントシタルコト発覚シ右八名ニ対シテハ既ニ起訴セラレ今ヤ予審中ニシテ其内容ハ勿論公証スルコト能ハザルモ既ニ犯罪行為及ビ嫌疑者ノ犯意明確トナリ其以外ニ捜査及ビ起訴セラルベキモノナシト見込ム
右通知ス
とあった。田原は最後の『其以外ニ捜査及ビ起訴セラルベキモノナシト見込ム。』と云う条を二三度読返して頻りに軽く点頭いていた。
音無は田原の家を出た足で、信者の家を二三戸訪問して帰ったが何だか田原の事が気に懸って堪らなかった。
寝室へ入ったがもう初夏の温気に汚水を離れた蚊が、ブーン、ブーンと二羽三羽襲って来るので、どうしても眠付かれなかった。で、洋燈に火を点けて本棚の小説を四五冊枕もとへ投げ出して置いて、蒲団の中へ藻繰り込んだまま右の手を後の方へ盲目滅法に伸して、ハアハアと小い欠伸をしながら、其所にあった小説を一冊手探りに探って顔の上に持って来て見ると、それは木下尚江の『乞食』であった。
白ッぽい表紙に印刷した清朝初号活字の『乞食』という字を見た時、音無の頭には直ぐ中村の顔がアリアリと見えた。
それは前の年の秋の初であった。音無はこの『乞食』という小説を書店で買ってそれを携って田原の家を訪問すると、入口の所に立っていた田原が、
『おう、音無君、丁度宜い所へ来た。今ネ、東京から来て居た中村君が、もう明日此家を立って新嘉坡の方へ行くので、お名残に熊野川の模型を少し見せようと思っている所だ。』と言って、ニコニコと笑っていた。
『熊野川の模型? 模型ッて何ですか?』
『全態を見せる事が出来ないから、一寸川口だけ見せて、それで我慢して貰うのさ。』
『そうですか、お供しましょうか。』
『行こう、薬屋の中口も来るんだし、大学に居る親類の子も一緒に行くんだ。薬種屋と医者と牧師……ちゃーんと道具は揃ってるネ、ハハハハハ』
音無が中村と親しく話したのは此時であった。一同が舟の繫いである所へ行って、舟夫の来るのを待って居る間に、中村は音無の手に提げている『乞食』を見て、
『それは木下君の『乞食』でしょう?』と問うた。
『えエ、そうです、今買って来たばかりで……もうお読みになりましたか。』
『木下君から贈って来たが、それは君、トルストイズムだよ。』
『そうでしょう、彼の人の書いたものですから……』
『もう君、トルストイアンでもあるまいじゃないか、今頃……』
中村は聊か音無を軽蔑むような調子で言ったのであった。
音無はその本の表紙を見詰めて居たが、その当時中村の言った言葉が一々記憶の淵から浮み出して来た。そして其時の事を彼アであったこうであったと繰返し繰返し考えて居るうちに、うつうつと眠ってしまったのであった。
ドンドン! ドンドン! と厳しく表戸を敲く音がしたので、音無は吃驚して飛起きた。『何誰ですか。』と言いながら寝巻のまま玄関へ出て、戸を引開けて見ると、マダ一度も会った事の無い背広姿の男が、つッと中へ入って来たと思うと、昨日白くなったばかりの巡査服が三つも四つもドカドカと押込んで来た。
『やア、昨晩大層夜更しをしたので朝寝坊を致しました……清潔法の検査ですか。』
言葉の終らないうちに、背広服の男は一枚の名刺を音無の前に差出して、
『大審院の命令で……一寸御尋ね致したい事がございまして。』と言った。
『大審院? どんな御用で?』
言いながら音無はその名剌を見ると、五号活字で『検事四村百蔵』とあった。大審院とは恐らく四村検事の口から出任せに言った言葉であったろうが、音無の境遇と大審院とは余りに懸隔が甚だしかった。だから音無にはその言葉が何かの間違いだろうというようにしか感じられなかった。殊に清潔法の検査と大審院との連絡は全然取れなかったのである。
『清潔法の検査じゃア無いんですか。』言いながら外を見ると、其所には五六人の白い洋服が立っていた。
『赤穂君がお宅に宿ってらっしゃいませんですか。』
検事は静かに尋ねた。音無の心は此時空虚を打つ人の心を嘲笑せざるを得なかった。
『赤穂君? 樽本さんが昨日もそのお方を尋ねて来られましたが、私には其様なお方の名前も知りませんのですが……』
『一寸お宅を調べさせて戴きますが……』
『さあさあ、どうぞ御調べ下さいませ。』
音無は何心なくこう言ってしまった。けれども、どうしたものか、余り総てが意外であったから、驚く暇も腹の立つ余裕も何にも無かった。
検事は巡査を指揮した。一人は表に立番して居、一人は裏口へ走って行った。検事は五人の巡査を率いてまず二階の寝室と書斎とに上って行った。音無は其所らあたりの雨戸を引明けて置いて二階へ行って見ると、巡査は皆な書棚の前に立って各々に五冊十冊ずつの書籍を引出して、彼方此方に陣取って、その頁の一枚一枚を調べて居た。
この様を見た音無の心の中では、冷たい皮肉な笑声が聞えた。
『赤穂君は、そんな書物の間には居ませんよ。』
音無はこう言って、ニコニコ笑いながら検事の顔を見たが、
『もし、御通信をなすってらッしゃるかも知れませんから……』と言った検事の顔は真面目であった。
『ああそうですかそうですか。』と言って音無は窓框の所に腰を掛けて検事や巡査のする事を暫く凝然と見詰めて居るうちに、突然『家宅捜査! 家宅捜査!』と心の中で叫ぶものがあった。しかし全体何の為に巡査の七人も来てこんな大騒ぎをするのだろうと思うと、それが途方も無い勘違いから来た滑稽では無かろうかというような感じもした。
一同は書物を一通り調べた。それから古い手紙を一々読み初めた。手帳類を見た。押入の中の蒲団から行李からありとあらゆるものを悉皆調べた。
『これは何の為に使うものですか』と一人の巡査は小い箱の中にあったカアドを捻くりながら言った。
『それは仏蘭西語の復習カードです。』
『カアド? 花合せのようなものですか。』
『いいえ、違います。言葉を忘れないように書いて置くのです。』
『これは何の薬ですか。』と別の巡査が訊いた。
『それは薬じゃありません、ギブスです。』
『ギブス? どんな事に使うのですか。』
『なアに、一寸悪戯をして見たのです。』
『悪戯を? どんな事に?』
『こんな物を作って見たんですが……』と音無は笑いながら、床の上にある泣きかけた天の使を指した。
こうして、七人の巡査は室内のあらゆる場所から、あらゆる物を調べた。ある者は白い服に埃のかかるのを気にしながら天井を覗いた。ある者は床下を覗き込んだ。ある者は便所の中を検べた。
最初から終まで書籍と手紙とを必死に調べて居た検事は、静に音無の所へ立って来て、
『ホンの形式ですが、身体検査を致しますから……』と言って、懐を着物の上から静に押えて見て、それから両の袂を窃と握って見たが、『どうも失礼致しました。』と頭を一寸下げた。
『さア引揚げよう、押収するものは無し!』と検事は屈託したように言って靴を穿き初めたので、七人の巡査もドヤドヤと庭に降立った。
『一体何事だろう?』と心の中で言いながら出て行く巡査の後姿を見て居ると、引違えに平野という刑事巡査が入って来た。平野は音無と四五回話合った事のある男で、舌の廻らない和歌山弁で、他人と対話する時、いつもキマリ悪そうに羞む男であった。
『音無はん、えろう済みませんけろ、一寸署まで行て戴けませんれしょうか……直ぐ済むやろと思いますさかイ。』
人間の善さそうな平野は顔を紅らめながら言った。
『宜しい、参りましょう。』音無は直ぐ羽織を引掛けて、平野と一緒に警察署へ行った。行く途々、『一体何の騒ぎだイ?』と訊いて見たが平野は『さア、何れすやろ。我々のような下級な者には、さッぱり雲を攫むようで判りまへんさかイ。』と言った。
警察署へ入って見ると正服和服の巡査が二三十人ガヤガヤと忙しそうに右往左往して居た。
『ろうろ、此方へ……』と平野は音無を裏の方の一室へ案内した。
平野が小腰を屈めて出て行くと引違えに一人の正服巡査が入って来て、『ああ暑い暑い』と言いながら音無の前に腰を掛けた。
二人は黙って対坐ったまま一時間程待ったが何の沙汰も無かった。
『君、僕はマダ昼飯も朝飯も食べて居ないんだから、早く済ましてくれないかネ、一寸署長にそう言ってくれ給え。』
音無は堪り兼ねてこう言ったが、『今に何とか言って来ましょうよ。』とその巡査は平気で坐って居た。
もう三時過ぎた頃、音無は裏庭の便所へ行った。するとその巡査は直ぐ後へ囁いて来た。帰りに自分の隣室を覗いて見ると、其所には田原の甥に当る東家が、頻りに鉛筆を動かしていた。それは退屈凌ぎに対手の巡査の顔を写生しているのであった。
東家は音無の顔を見て、苦笑しながらチョイと点頭いた。
音無はペコペコに空いた腹を抱えながら、『どうしたんだろうナ、早く済してくれれば宜いが……』と繰返しながら窓の外を眺めたり、硝子越しに事務室で物を書いている巡査を覗いたりして居たが、四時頃に表からドヤドヤと四五人の正服巡査が入って来た。続いてこの間始めて見た樽本刑事が『やア、えらかったえらかった。』と言いながら入って来た。
『何所へ行って来たのだろう?』と思って、少し首を左の方に伸して見ると、入口の所に色の小黒い凛々しい顔に、クリクリした眼を輝かしながら口を一文字に結んだ鳴野が立って居た。
『おや! 鳴野君も……』音無は思わず小声で叫んだ。
『鳴野が来た?』と巡査が硝子戸の方を顧盻いた時、もう鳴野の姿は其所に見えなかった。
やっと五時頃に音無は部長に伴れられて二階へ上って行った。其所には四十恰好の薄い八字髯を生やした背広服の男が四角な机を前にして坐っていた。
『あなたが音無信次君ですか。』と言って物優しく住所原籍、職業を訊いた。
『基督教は新教ですか旧教ですか。』
『新教です、長老派です。』
『田原君とは御交際なさいますか。』
『えエ、大変親しく交際っています。』
『それはどんな御関係で?』
『あの方の兄さんが、私の居ます教会を創めて建てたのですから……』
『鳴野君とも御親しいですか。』
『鳴野君は私が神学校に居る頃からの友人でございます。』
問答はこれだけであった。四時間も五時間も待たして置いての訊問だから、どんな意外な質問が出るだろうかというように、待構えて居た音無には少々呆気なかった。
『有難う、どうぞお帰り下さい!』と男は明瞭言った。
音無は安心したような、不平なような心持で二階を降りて来て、表へ出ようとすると、『おうい音無君!』と後から大きな声で呼止めたのは樽本刑事であった。
『はア。』と気の無い返事をして振返ると、樽本は不思議そうな顔をして、『君、もう済んだのかい?』と問うた。
『済んだんだよ。たッた五分間で……』
『高田検事が帰れッて言うたかい。』
『帰れと言ったから帰ってるんだよ。』
音無はやや得意気に石段を降りた。『そんな筈は無いが、』と言いたそうに樽本は音無の後姿を見詰めていた。
夕御飯を済して直ぐ音無は田原の所へ行って見た。
『君所もやられたッてネ、牧師が家宅捜査を受けるッて、世は澆季だよ。』と言って田原はハハハハと笑った。
『何が何やらさっぱり見当が付かない。全体何を調べに来たのでしょう?』
『僕にも解らない。僕の所もやられたんだよ。』
『そうですか、矢張り大審院から来たッて言いましたか。』
『うん、何とかいう判事が、そんな事を言っていた。大審院は可笑しいネ。』
話している所へ東家が靴音高く入って来て、『やアやア、大変だった。何だい、この騒ぎは。』
と言って上り框へ腰を卸した。
『お前の所もやられたのか?』
『今朝僕がやっと御飯を食べようとして居る所へ加納とか何とかいう警部が巡査を五六人連れて来て、家宅捜査をやると云うんだろう。何の為だか知らないから、さアさア何卒ッて歓迎したのサ。天井裏から床下から事細かに調べたが、一番閉口したのは絵ノ具と鑵詰の説明だッた。単に絵ノ具だと言っても巡査は承知しないんだ、さも恐ろしい劇薬か、爆発薬かのように、ビクビクしながら、何という名で、どうするものかッて聞くんだろう。仕方が無いから絵の具は一々捻り出して色を見せてやったが、困ったのは鑵詰だったよ。マルガリンだと言ってもエッキスだと言っても一々中を開けて見ろと言うんだから堪らない。そう一々開放された日には、皆な腐敗するからと云うんで、一々レッテルを読んで説明したり、そのレッテルに小い牛の絵が描いてあるので、内容が牛肉だという事を承認して貰ったりしたのだが、随分滑稽だったよ。これから先の警官には家宅捜査学というものを教えて置かないと困るねエ、』
東家はさも可笑しそうに笑った。音無は東家の方へ向直って、
『あなたは最前、巡査を写生して居たでしょう。』と問うた。
『うん、あんまり退屈だから三ツばかりスケッチした。』東家は靴を脱いで坐敷へ上りながら、
『面白い事があったんだよ、面白い事が、』
『ふん、どんな事が?』田原はニコニコ笑っていた。
『一昨日だった、僕は去年の冬自分の考案で拵えたあの応接室のストーヴを写生して居たら、妻が来て⦅もう六月にもなってストーヴでもあるまいから、女中に片付けさせたらどうです⦆ッて言ったから、日本の女はそれだから困る、何もストーヴと云うものは冬ばかり必要じゃ無い。此町のように雨の多い所では、時々ストーヴを焚いて空気を乾燥させねばならん、さア何か持って来い一燃し燃そうッて、僕は突如棚の上にあった婦人雑誌を五六冊持って来て、それを引破ってストーヴに捻じ込んで、それを焼いてしまったのサ。なアに、平生から僕が嫌いな伯爵がどうしたとか、男爵がこうしたとかいう、月並な家庭小説を征伐したのサ。僕は今の婦人雑誌を大嫌いだから、丁度宜い時だと思って秦の始皇をやったのだが……』と云って東家はフフフフと噴飯した。
『どうしたんだい? それが……』田原は髯を下に引張りながら東家の顔を覗き込んだ。
『所が今日の騒ぎだろう、多勢やって来て家宅捜査をしたが、最後に警部が、ひょい! とそのストーヴの蓋を除って見て、⦅ああもう、ちゃーンと整理してある!⦆ッて言うんですよ。』
田原も思わずハハハハと笑った。『整理してあるは宜かったネエ。』と音無は悦に入った。
『それからマダこんな事があった。』と東家は少し膝を乗出して、『僕は警察へ合意同行とかいう奴をやられて、四時間も検束された末で、何とかいう検事が僕を二階へ呼上げて住所姓名を訊くんだろう。僕は思ったネ、全体今朝から彼の人達は何をした? 多勢の警部や巡査を僕の家へ出張させて、隅から隅まで引搔廻して調べさせて置いて、それから僕の住所姓名を訊くッて、天下にこんな不合理があろうか、実際今更僕の住所や姓名を問わねば僕が誰だやら知らない位なら、今朝からの騒ぎはどうしたというんだ? 何所の何某の宅だやら知らないで盲目滅法に僕の家を引搔廻したのだろうか。僕の住所も姓名も知って僕の宅を調べたのなら、今更何も僕の住所姓名を鹿爪らしく訊く必要は無いだろう? 判り切った事を訊くのならそれは繁文縟礼だし、知らないで訊くのなら今朝からの騒ぎに対して責任を帯びねばならないとこう思うたネ。まず其様な知れ切った事を問答するよりも第一知らねばならない事は、僕を訊問する人が何所の誰かと云う事だと僕は思ったネ、で、僕は鉛筆とノートブックを取出して、⦅そう仰しゃる貴方の御名前は?⦆と訊いたのサ。』
『検事の名を訊いたのか?』と田原は喉を軽擦るようにして言った。
『しかし僕のこの理論は通用しなかったよ。そしてとうとう悉皆族籍番地を言わされたネ。』
音無も東家もドッ! と声を揃えて笑ったが、田原は少し首を炊げて何だか考え込んで居るようであった。
音無は田原の家を出て、教会の長老をしている倉田の家へ行った。門の所から敷石伝いに奥まった坐敷の方へ入って行くと、玄関の所で倉田が『ああ来た来た先生が来た。』と言って此方を見て居た。坐敷では洋燈がカンカンと燈っていた。
『先生かノシ。』と妻君の竹乃が出て来て、『とても、今日はエライ事じゃったわノシ。』
『お宅もやられましたか?』音無は豈夫と思った倉田の宅まで家宅捜査の手が伸びたと聞いた時、意外に驚かされた。
『やッと今片付いた所です。』と倉田は廊下の所で衣類の埃を払いながら、『今朝、私は教会の屋根を修繕する事で先生に御相談したい事があって御宅へ参ったのですが、入口の戸を開けようとすると、巡査が立って居て、⦅入っちゃア不可せん!⦆ッて云うんでしょう。私は吃驚して⦅どうしたんですか。⦆ッて問うて見たが、巡査は何にも言ってくれないので、多分赤痢にでもなったのかなアと思って、大周章てに周章てて田原さんの所へ行って見たのです。所がドクトルさんの所も巡査が立って居て入れてくれないんです。どうした事だろう、先生もドクトルさんも皆んな赤痢かコレラに罹ったのか知らと思って、家へ帰って竹乃にその話をして居る所へ、ドヤドヤと十人ばかりの巡査が入って来たのです。何事か知ら? と思ってる所へ、部長さんが、⦅御宅には音無さんから何か預ってるだろう?⦆ッて言うんでしょう。⦅いいえ、何も預って居ません、⦆と言ったが、もう其時巡査は皆な坐敷へ上ってるんでしょう。⦅とにかく一応調べるから……⦆ッて、さアそれから家宅捜査が始まったのです。所が私の所はこれで家宅捜査が二回目です。』
倉田は俄かに気がついたように、『まア何卒こちらへ……』と音無を一室に通した。
『ふん、私から預物ッて言いましたか。』
『えエ、どうも警察から御調べを受けねばならぬようなものを預った覚えが無いので、多分何かの間違いだろうと思いましたが、私は部長さんにこう言いました。⦅どうぞ隅から隅まで御調べ下さいませ、もし私の宅に、これは家庭教育上不可いというものが、ただの一つでも出て来たなら、如何な処分でも受けます。⦆すると部長さんはニコニコ笑いながら押入から戸棚から実に几帳面に調べ初めたのです。』
『本当に父さんは、あんな事を言うたんじゃワノシ、以前此家の弟の事で、家宅捜索たら、捜査たらいうものをやられた時、父さんは中原判事さんの前で矢張りあんな宏言を切ったんじゃワノシ、其時判事さんが、⦅本当に倉田さんの御宅は感心じゃ、何所へ行ても大抵家宅捜査をしたら、博奕の道具が出て来るか、変な絵が出るもんだが、お宅にはそれがない!⦆ッて、とッても感心して帰ったワノシ、それで父さんは今度も其手を演ったんじゃワノシ。』
竹乃は傍から容喙しながら、バケツの中の雑巾を絞って居た。
『今までも、かかったのですか。』と音無が問うた時、倉田はニコニコ笑いながら、
『実は大掃除をやったのです。』
『家宅捜査の最中に?』
『そうです。実は此家の二階には町内の集会所の道具やら、いろんな物が山のように積んであるので、毎年毎年清潔法の時大弱りなんです。所が今日の家宅捜査で、七八人の巡査が二階へ上って一々迦羅俱陀を調べるんでしょう、私はふと思い付いて、妻にバケツと雑巾とを持って来させて、丁度宜い幸いだから、巡査さんに⦅どうぞこの簞笥一寸頼みます……恐れ入りますがこの長持を一寸……⦆と云う風に手伝って貰って、とうとう悉皆綺麗に清潔法が出来ました。向うは家宅捜査、こっちは清潔法、官民合同……一挙何とか云うんですネ、これが……』
倉田は呵々と笑った。音無も東家に聞いた話を語って、
『ねエ、何の間違いから、こんな事になったんだろう?』と言って居る時、玄関の所から、『先生、あったワノシ、あったワノシ……』と云いいながら竹乃が頻りに手招きをした。
『何があったのです?』と音無は玄関の所へ走り出た。倉田も続いて出て来た。
『御預り物はこれですよ。』と竹乃は新聞包みを左の手に差上げて言った。
『そうだそうだ、それだ。』と音無は手を拍って笑った。
前の晩音無は田原の家を出ての帰途に倉田の家を訪問したのであった。風呂に浴って十二時頃まで話し込んで居て、帰ろうとした時、妻さんの竹乃が、『先生、御大事の預り物は如何致しましょう?』と言った。音無は一寸ドギマギして『何にも預けて無い筈だが、』と思って居たが、十日程前に下駄を一足預けた事を想い出した。
『あああれですか、あれは大事のものですから、何卒大事に預って置いて下さい。』と言った。下駄というのはボール紙に薬液を塗布て籐表擬いにした二十四銭の安物であった。
音無はそれを買って倉田の所へ穿いて行ったが、夕立が降って来たので、それを預けて置いて高下駄を借りて穿いて帰ったのであった。
『それじゃア確かに預かって置きますワノシ、お大事のものじゃさか……』
竹乃は大きな声でわざとムキになってそう言ったのであった。
音無は竹乃の差出した新聞包みを見ているうちに、ふと前の晩に此家を出た時、門の所から大きな黒い影が権現の境内へ、すうーッと隠れてしまった事を想い出した。音無は礑と膝をたたいて、『そうです、そうです、それに違いない。お大事の預り物……と昨晩奥さんは仰しゃいましたネ。』
三人はその新聞包を眺めながら、一度に笑った。音無の頭の中では、その黒い影が頻りに徂徠した。
音無が牧師館へ帰ったのはもう十時だった。床をのべて寝ようとして居る所へ、『音無君、音無君、』と戸を敲く者があった。
『石塚君?』言いながら音無は洋燈を片手に出て来た。
『まア開けてくれ給え、僕は今、田辺から帰ったんだ。』
『そうか、留守中に大変な事があったよ。』音無は掛金を外して置いて覗いて居ると、
『そうだッてネ、田辺も大騒ぎだったよ。』と言いながら覚也は勢よく硝子戸を引明けた。
『何事だろう? 全体……』と音無は石塚が新しい意見でも齎したか知れないと云うような眼付で問うた。
『さっぱり解らない、何でも事は中村、根本が新嘉坡で企画んだ出版法違反に関連しているらしい。どうやら日本全国で、同氏等の出版物を貰った者は悉く捜査されたらしい、随分大騒ぎだよ。』
『だッて、僕なんかは紙片一枚貰やアしないじゃないか。』
『ネエ、随分田辺でも大騒ぎだったよ。』
『君の下宿も調べたと云う話だよ、昨日。』
『え? 僕の留守中に?』
『うん、それに就いて面白い話があるんだよ。』
『面白い話? どんな事が……』覚也は坐様を直した。
『君の留守中に巡査が三人行って、机から本箱から行李から悉皆調べて二品押収して行ったものがあるそうだ。』
『押収? 何を押収したんだろう?』
『一つは小い赤表紙の書物だったそうなが、一つはそりゃア奇抜なものだったという話だ。』
『赤表紙の書物、ははア、やられたナ。僕は赤穂初君の『労働者の福音』を置いてあったんだ。田原さんに貰って……しかし彼れは発売禁止になっただけだから差支えはないが今一つの奇抜なものッてのはそれは何だろう?』
『さ、それが面白いんだ、君の居る室には、君の居る室には、松に鶴の絵を描いた襖の入った、袋戸棚があるだろう?』
『うん、ある、しかし彼の中は鼠の糞だらけで僕は開けた事が無い。』
『所がだ、巡査先生其所を引開けると、紙袋に入れた薬品が、奥の方に隠してあったじゃないか。』
『え? 薬品が?』
『そうさ、君は隠した覚えが無い?』
『馬鹿な事を言え。』
『馬鹿じゃない、現在あったから致様がない、長手な紙袋に入れた、黄色い粉薬があったんだッて。』
『粉薬? 何だろう?』
『巡査はそれを引出して見た所、何だか解らないと云うので、前の杉本ちゅう薬種屋の主人を呼んで来て鑑定させたが矢張り解らなかったそうな。』
『ふん、何だろう? 黄色い粉薬?』と覚也は頻りに首を傾げていた。
『実はこうなんだ。』と音無は可笑しさを堪え堪え語った。『なあに、それはネ、去年の夏西国順礼の道者が宿った時、置忘れて行った麦の粉なんだッて、初田餐粉だッて、多分雨にでも濡らしたのだろう、変な匂いがするので、女中が袋戸棚の中へ放り込んで置いたのだッて。それが発酵して妙な色になっていたもんだから、とうとうそれを危険な薬品と認めて押収して行ったんだそうな。』
『何だ、馬鹿々々しい、女中がそんな話をして居たかい?』
『うん、僕は其話を女中さんから聞いて本当に可笑しかったよ。其他、まア奇談怪説ばッかりだよ。』
音無は東家の話から倉田の下駄の話から一々それを面白可笑しく語った。
『家宅捜索の目的は其所にあるのサ、総てが笑話で済めばそれ程結構な事は無いじゃないか。だから家宅捜査なんて云う事は時々有っても宜いんだよ。不意に調べられて閉口するような家庭では困るじゃないか、では、僕も笑い話の一つを御紹介しよう。今朝こんな事があったのだよ、僕の宿って居た宿の直ぐ隣りにネ。』と覚也は身体を揺りながら、『何でも鳴野君とどうとかした関係からだと聞いたんだが、田辺で有名な芸妓が今朝寝込を討たれたんだよ。巡査が五人ばかり、村田四郎蔵という検事に引率されて乗込んだが、まさか独り寝に臨検でもあるまいと、芸妓先生ボンヤリして居ると、片ッ端から鏡台と云わず簞笥と云わず調べられたんだろう。所が簞笥の横に小い桐の箱が……まア紫のリボンで縛られてでもあったと思い給え。それへ一人の巡査が手を掛けたんだネ。すると芸妓先生、きゃアッ! と叫んでその桐の箱を引奪って確と抱きしめたんだ。素破こそ! と云うので巡査がその箱を捩ぎ取ろうとすると、
『こればッかりは、こればっかりは、どんな事あったッて見せられまへん……』と云ってその箱を抱え込んでしまったんだろう。さアそういう他人に見せられないものが目的で踏込んだ警官だから、うんそうかと云う訳には行かない、強いてそれを見ようとすると、
『そんなら、検事さんだけなら、見て貰いますワ。』と云ったんだそうな。
『よしよし、そんなら僕一人で見よう。』
『巡査はん達に次の室に行てて貰いましょう、これは、わたいが大事の大事のもんやよって……』
『では別室で見せて貰おう。』
こんな事で、村田検事と芸妓君とは別室へ閉籠ったワケなんさ、所がそのコントラストが面白い、芸妓というのは小万と云って頗るの美人、検事というのはそれは謹厳な渋面作った男、その二人が対坐したまでは宜かったが、さてその箱にはどんな大事な品が入って居るかと思えば……君、何百通という艶書じゃないか、小万は町の財産家の息子で糸屋という医学士を愛して居たのだそうなが、糸屋も小万を落籍させようとまで思って居たのが、家庭の都合で、とうとう大阪の方へ行って親の撰んだ女と結婚する事になったという、所謂世間普通の情話があったという事サ。所が、糸屋が結婚前に、小万から貰った何百という手紙を小包にして、⦅これまでの縁と諦めてくれ、綺麗サッパリと別れよう、この手紙は今まで大事にしてあったのだが、焼くのも心苦しい、と云って持って居ては尚更悲しい。だから思い切って御返しする。⦆と云う意味の手紙を添えて返して来たんだそうな。小万は二三日泣いて泣いて泣通したそうなが、面白い事を考えたものだよ、君、小万はネ、何百というその手紙をチャーンと整理して、自分の出した手紙とその返事と、つまり往信返信を一々綴合して、まア立派な生きた小説を綴ったんだネ、そして、⦅わたいと糸屋さんとは、もう此世で連添う事が出来んのやよって、せめて手紙だけなりと、夫婦にしてやろう⦆ッて、つまり比翼状を作ったんだネ。そしてそれを大事に大事に桐の箱に容れて、毎日毎晩暇さえあればそれを読んでポロポロ涙を零して居たのだッて。で、小万はまず大体自分と糸屋医学士との関係をオロオロ声で物語って、いよいよ本文に取かかった所、検事がそれを見ようとした所、どうしてどうして手も触れさせないで、⦅一ふで参らせ候、あなたと私とがこうなったのも、元はと云えば……⦆と一々読み初めたんだそうな。村田検事も大いにアテられて⦅もういい、もう解った。⦆と云って宜い加減に切上げようとしたが、なかなか承知しない。
『ね、検事はん、あたいがこう言うてやったのに、糸屋さんはこない言うて来やはるんですもの、そりゃア糸屋さんが無理だッしゃろ。』
という調子で、村田検事は散々油を絞られて、頭を搔きながら帰ったッて、僕の出立前に宿の妻さんが、その小万を呼んで来て、大騒ぎサ、小万は泣くやら笑うやら……』
音無も覚也も腹を抱えて笑い崩れた。
もう遅いからというので、覚也は音無と枕を並べて寝た。翌朝十時頃まで寝て二人が十一時前に朝昼兼ねた御飯を食べて居る所へ鳴野がひょッくり入って来て、
『大騒ぎだッたネ、今朝の大阪朝日にもうちゃアんと載ってるよ。』と云って畳の上に一枚の新聞を投げた。
音無は周章ててそれを拾い上げて三面の下の方を見ると其所には二号活字で『新宮町の大捜査』と題して一段程の通信が載っていた。其中程に三号活字で『不穏なる牧師』という標題で音無の事が十四五行書かれてあった。音無は『僕も一躍して有名になったなア。』と言ってハハハと笑った。
其日も其翌日も音無は田原の家を訪問したが、何の異状も無く田原は忙しそうに診察していた。
三日目の朝音無は田原の家を訪問して見ると、表の格子戸に『病気デスカラ本日ハ診察シマセン、薬ダケハアゲマス』と書いた紙が貼られてあった。
『どっかお悪いんですか。』少々不安を懐きながら音無は内玄関の所から書斎の方を覗き込むようにした。
『音無君か。上り給え。』奥の方から田原が呼んだので、ツカツカと上って行って見ると、別に病気らしくも無く、机に対って英訳小説を読んで居たのであった。
『御不快なんですか、今日は……』
『少し頭が悪いんで、』と言ったが、『いや、なアに別に大した事は無いんだが……』
『京阪の新聞にはいろんな事を書いていますね、私共にはさっぱり判りませんが……』
音無は話の端緒を手繰り出そうとしたが、田原は一向そんな事には興味の無いような顔付をして居たが、読みかけた書物をパタッ! と閉じて、右の掌でその表紙を撫で廻しながら、『音無君、世の中の事は総て皆な必然だネ。』と言った。
『偶然は無いと仰しゃるんですか。』
『東家が自分の考案したストーヴを、応接室の装飾にして置いたという事に何の無理は無い、それから妻がもう夏だから片付けようと言ったのも当然の事だ。其時東家が平生から嫌っていた低級雑誌を、そのストーヴに投げ込んで焼いたという事にも不思議はない。そこへ警官が何だか知らないが捜査に来て、その灰を見た時、ちゃアんと危険な書類を焼払って証拠を堙滅したと思うのも、警官としては実に当然の事なんだ。もしそう思わなかったなら思わぬ方が間違っている。其時、そんな馬鹿な事は無い、実際はこうだと云った所で、そりゃア人間同士の間には通用しない弁解だ、東家もその妻も警官も三人は三人ながら、当然為すべき事を為したので、それが為に東家が一生如何な苦痛を脊負わされようと、それは皆な当然の結果だと思はねばならない。そう云う僕だって矢張りそうだ。僕は製材会社のストライキの時確かに黒幕になった。そしてその結果はあんな事になってしまったが、取りようによっては、どうにでも解釈されるんだ。此間の家宅捜査の時に、一人の巡査が僕の本箱の後から一枚の葉書を拾い出して来た。それは以前此家で書生をして居た根本が、新嘉坡に居る中村君の所へ行く事になって、三輪崎から乗船する時、彼所の船宿からよこした葉書だった。その葉書には簡単に、
『長々御厄介になりました。
先生の所に居た数ヶ月は暴風雨の前の静けさであった。
彼地へ行ったら、うんとやります!
とこれだけ書いてあった。それはあの根本が僕の所で毎日ごろごろと寝こけて遊んでばかり居たが、いよいよ決心して新嘉坡の護謨林で働こうと云う気になった時の、偽らない感想ではないか。しかし今度の騒ぎにその根本も加わっているらしいが、⦅暴風雨の前の静けさ⦆だとか、⦅うんとやります!⦆とかいうような言葉も、取りようでは如何にでも解釈が出来る。殊に僕は医者で、根本は薬局生だ、いろんな薬の調合も問わるれば、正直に教えてもやった。薬局に居た根本が出立の際に、その荷物へ何を容れて行ったか知れたものでも無い。だから僕は思う、あの葉書一枚があるいは僕の一身に、どんな祟をするかも知れない。しかし、仮令どんな災難が降って来た所で、それは誰が悪いのでも何でもない。それが為に艱難が僕の身に及んで来るとすれば、僕は甘んじてその艱難を受けねばならない。それは何とした所で、どう狂った所で飲むべき盃は矢張り飲まねばならないんだから……』
『つまり、諦めるんですネ、そんなに……』
『うん、諦めると言っても宜い、決心するといっても宜い、自ら進んでその運命のままになるのが自由だと言っても宜い。僕なんかは今まで、自分の浅い智慧と短い経験で、一つの主義主張を作って、その自分の立てた主義なり主張なりを振翳して、一寸でもそれに適わないものは皆な蛇蝎視して軽蔑して来たが、それは全然間違っていた。世の中の事は、そんな簡単なものじゃア無い。我々は真理だの主義だのと言って却って、世を乱したり人を苦しめたりする事があるかも知れない、それかと言って世間から悪党のように忌嫌われて居る男が、どんなに善事をして居るかも知れないんだ。とにかく我々は、もっと深く考えなければ不可い、だから僕は一旦精神上の無産階級になってしまって、新に人生観を築きあげようと思う。それには矢張り今までのように、時計や聴診器で人を嚇かして居ては駄目だと思う。もう僕は経済学にも社会学にも哲学にもまた本職の医業にも飽が来た。皆な詰らないものだと思い出した。のみならず近頃はこうして畳の上で旨い物を食って安楽に活きて居るのが恐ろしくなって来た。』
田原はこう言って、堪え切れないような苦痛の色を面に表わして俯向いてしまった。
『では、あなたにはもう敵というものがありませんですか。』音無は取りつく島が無かったので、こんな不得要領な事を言ってみた。
『敵? そんなものは無い、一切衆生は我が子なり! というのは真理だろう、敵を愛せよという教えはマダ深さが足りない、敵なんていうものを認めるうちは駄目だ。』
田原はそう言って、凝然と音無の顔を見て居たが、ホロリと涙を膝の上に落した。音無も過る夜の物語りを憶い出してハラハラと熱い涙を零しながら俯向いてしまった。
其晩であった、音無は始めて吊した蚊帳の中で『ク公爵の幼年時代』を読んで居ると、勝手口の戸をコツコツと敲く者があった。
『何誰です?』と言って高窓の所へ行って見ると、窓の下に立っているのは、確かに田原であった。
『田原さんじゃありませんか。』と音無は恐ろしい物でも観るように、そっと硝子窓を引開けた。
『今朝程は失敬した。』と言って、田原は音無の顔を見上げながら、『君、其所の運動場へでも行こうじゃないか。』
『参りましょう。』と音無は寝巻のまま勝手口から出て行った。二人は直ぐ裏手の小学校の運動場へ出て行った。
『君、いよいよ実行する時が来たよ。』
『いよいよ先達て仰しゃった御意見を?』
『あんな騒動のあった後で、出て行くのは少々立後れの気味で不味いが、それも仕方が無い、まア行く所へ行こう!』
田原は土塀に添うて自分の影を踏みながら、しんみりした声でこう言った。
『では、かつて御話しの御意見を、いよいよ御実行なさいますのですか。』
『少々立後れた。もう十日も早く決行する筈であったが、矢張り凡人だからナ、いざとなると、どうも決行出来ないもんだ。あんな騒動の後で出て行くのは不味いけれども仕方ない。世間の奴は僕の家出と今度の騒動とを一つにして考えるかも知れないが、どうでも言いたいように言わせて置こう。一面から見れば確かに今度の騒ぎが僕の決心を速めたんだから、全く関係が無いとも言えないサ。』
『では、もう奥様にもお話しなさいましたのですか。』
『言やしない。しかし僕の常平生の行動を知ってる妻は、僕が突然この日本の地を離れてしまった所で、そりゃア嘆くには嘆くだろうが、幾分か普通の女とは異なった考え方をするだろうと思う。』
『では、奥様に何所へ行くと仰しゃるのですか。』
『一寸東京まで、中村や根本に面会に行くと言って……』
『入獄してる中村さん達を御見舞いに行らっしゃると仰しゃれば、御心配なさるでしょう? 奥様は……』
『しかしネ、あんまり何でも無いような事を言って安心させて置いても却って可哀そうだから、都合によれば自分も何かの引懸りで一二ヶ月未決に投り込まれるかも知れない……位な事は仄めかしてあるんだ。』
『それは奥様が可哀相です。』
『なアに、この世の中の親子夫婦兄弟朋友は皆な遅かれ速かれバラバラになってしまうんじゃないか。千年も万年も永恒不窮に固く結縁されて居るように思うのは人情だが、どうしてどうして、運命の力は無慈悲で残酷だ。思わぬ時に思わぬ出来事があって、泣いても叫んでも皆な個々別々に引離して底の知れない闇暗の穴に投げ込まれてしまうのサ。僕の身体にはもうその運命の鋭い爪が、ガッシリと打込まれている。僕は偉そうに今度の事を自分で決断するように口では言っているが、これは僕の自由意志でも何でも無いんだ。恐ろしい恐ろしい運命の爪が僕を引攫って行くんだ。そりゃア君、僕だって此儘安楽に此所に居たいサ、しかもそれは出来ない。僕は可愛い妻子にも、友人にも故郷にもこの日本の国にも永恒に訣れるのだろう? 空想的な恐怖に脅かされて居るかも知れない、悪霊に取憑れて居るかも知れない。こうした運命を担った僕と夫婦になった妻には可哀相だが……まア仕方が無い。』
『では、何時御出かけなさいますか?』
『明朝疾く……で、僕は未練なようだが三輪崎まで妻を伴れて行く、そしてそれとなく妻に得心させて置こうと思う……』
『そうですか。』と言ったきり音無は黙って地に映る田原の黒い影を見詰めて居た。
『しかし君、あるいは三ヶ月後にひょッくり帰って来るかも知れず、それとも二年三年後になるかも知れず……もう今晩ッきり君とも永遠に会われないかも知れず……』
中空に鏡のように懸っている月を振仰いだ田原の眼には涙が光っていた。
『こんな事を御尋ねするのは甚だ失礼ですが……』と音無は少しく躊躇して、『中村さんや根本さんが、どんな事をなさったのか知れませんが、彼の人達が何だか企画みなさった策源地へ向けて御出発なさるという事に就いては、何だか私にも変に思われないでも無いので……』
『それは御もっともな御尋ねだ。しかし僕は何も行先を新嘉坡と決めた訳じゃア無い。印度へ行くやらモスクワ辺へ行くやら、僅かばかり知って居るエスペラントを杖に世界中のエスペランチストを尋ねて廻るやら、行先は殆ど確定して居ないのだから……そして君、僕があの中村や根本等の事件と関係して居るだろうなどという心配は決してしないで下さい。そりゃ大丈夫だから、僕もそうまで空想家にはなり得ないんだから。しかし万一僕と彼等との間に何等かの引懸りが出来るとしても、それは丁度君の下駄や東家のストーヴや石塚君の麦の粉と同じだと思ってくれ給え。』と言って、『そうそう石塚君と云えば、彼の男の将来を宜しく頼むよ、新聞紙も永く続かないだろうが、万事君、相談相手になってやってくれ給え。僕の家内の事は親類中が誰一人世話をしないでも、妻は妻一人で切り抜けて行くだけの勇気は与えてあるから……じゃ失敬する、明朝は疾いからもうお眼に掛らないで行く、行く先々から時折の便りをするから、さようなら!』
田原は手を伸して音無と堅く握手した。田原の手は冷たかった。
田原は杉の生垣に沿うて表の方へサッサと出て行った。音無は余程追かけて行って、今一言何だか言って置こうと思って駈け出そうとしたがどうしたものかその勇気が出なかった。
『とうとう実行するのかナ……』と呟きながら硝子戸を閉めて床に入った音無は、静と眼を閉じて居ると、彼がこの町へ来て初めて田原に会った時から今日までの田原の生活の転変がフィルムを展開するように代る代る心に泛んで来た。
あの頃の田原は極端な階級闘争を夢想して居た。富豪から往診を頼みに来た時は『往診料を先払にしなけりゃ嫌だ!』と言って撥ね付けて置いて車賃も薬価もくれる気遣いの無い貧乏人の所へは、何を措いても直ぐ駈けつけてやったのはそれは資本家に対する一種の反撥心から来たのであったろう。家庭にあった大きな梅の樹を斫倒して薪にしたのもその頃の事であった。
『こんな立派な古木を、勿体ないじゃありませんか。』と言った時、『僕は此頃株とか資本とかいう言葉が嫌で嫌で堪らない。毎日毎朝この梅の株を見る度に株という言葉を連想するのが嫌だから打ち斫ってしまった。』と答えた言葉が今に耳に残って居る。
何かの話のついでに聖書の中にある『汝の敵を愛せよ。』という文句に就いて彼はこういう事を言ったのであった。
『汝の敵を愛せよと言う事は真理に相違ない。神は善き木にも悪しき木にも等しく雨を降らす、その日を善人にも悪人にも照す。しかしそれは神に於て始めて出来る事であって、我々人間に、マダ善悪正邪というような区別の存在する間は、何所までも悪を悪としてこれに敵し、悪を敵としてこれを憎まねばならない。悪む以上は其人の霊魂だけを悪んで身体を悪まないという理由には行かない。罪を憎んで其人を憎まずというのは一種の空想である。我々はもう心と物とを二つに分けて考える事は出来ない。随って其敵を悪むに当っては、勢い其人の身体をも悪み、なお進んでは其人の所有物や事業にも害を及ぼすような事になるのは已むを得ない事である。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いといったのは一面の真理である。僕もこれまで多少成功主義の生涯も送った。悔悟の時代もあった。無抵抗主義に心を傾けた事もあって、人と争う事が絶対の罪悪である、敵を悪む事は極端に下劣な事であるとも考えて見たが、今から見れば、そんな事は皆な未熟な信仰であったと思う。我々が人間である限りは、何所までも罪悪との奮闘を続けねばならぬ。悪人を敵としてこれを斃して行かねばならぬという事に気がついた。こうして我々が敵を悪み戦う事によってのみ、社会人類の幸福が増進するのである。』
其時自分は随分その議論に対して猛烈に反駁してトルストイの無抵抗主義を主張したのであったが、『それ、其通りに無抵抗を標榜しながら、矢張り猛烈に抵抗して来るじゃないか。』と言った。
其頃の田原の家には玄関番とも食客とも附かない青年が始終五六人ゴロゴロして居た。大抵東京大阪から流れて来たもので相当教育もあるらしかったが、家事や薬局の手伝いをするでも無く、真面目に勉強する容子も見えなかった。どういう縁故があるのか、どういう意で置くのか、聞いても見なかったが、何しろ医者の書生らしくない青年が、よく頼って来ては表坐敷の二階で暢気な顔をして、ノッソリしていた。
二年前の春であった。泉州の堺で開いた牧師会へ出席した時、田原から頼まれて、貞子(田原の妻)とその妹の勝代と、それからやっと三歳に明けた丈太郎とを伴れて勝浦から紀州丸へ乗込んで和歌浦まで一緒に行ったのであった。
四人がボーイに案内されて二等室へ入って行くと、其所には色の黒い大きな男が胡坐をかいて坐って居て、
『やア、奥さん、何所へ?』と言った。
『一寸名古屋まで……』と貞子は顔の筋肉一つも動かさずにブッキラボウに答えただけであった。しかし男は大層親切らしく船中何くれとなく世話をした。無邪気な丈太郎は其男に抱かれて甲板へ出て行ったり、菓子を買って貰ったりして喜んで居た。其男は平生田原に診察でもして貰う懇意な人だろう位に思っていたが、和歌浦へ上陸した時、芦辺屋の二階で貞子は眉根に皺を寄せながらこんな事を言ったのであった。
『音無さん、私今日は本当に不快でしたワ、彼の男は橋本刑事なんですよ。迷信臭いッてお笑いなさるか知れませんが、御承知の通り、宅は平生からあんな突飛な事ばかり言ってるでしょう。私は其事を思うとあの刑事が丈太郎を抱いたり甲板へ伴れて行ったりしてくれるのを見ました時、何だか三年五年向うの事を取越して考えて見ましたの……万一にも宅が何かの間違いで遠い所の監獄へでも入れられるような事があって、其時牧師である貴方に伴れられて……刑事に尾行せられながら船に乗って行く……と、私はそんな事を想って、シーンと身が締るように、本当に不快でしたワ。』
『そんな馬鹿な事を!』と云って其時ただハハハハと笑ったのであったが、今夜の田原の言葉から推して考えると、其頃の貞子の心根が今になって始めて明瞭判って来た。貞子はもう二年前から今度の悲しい出来事を予感して居たのだ。
こう思った時音無の心の底には其当時の事が明瞭とパノラマの様に見えて来た。
勝浦へ行く途々俥の上から眺めた白菊の浜の浪は絵のように美しかった。船室へ降りて行く階段の真鍮の欄干は綺麗に磨かれてあった。前歯の一本欠けたボーイがコーヒを持って来た。三つになる丈太郎は、船がグーッと浪の中へ入って行く時、『チャチャさん=おッ母さんの事=この家は何所へ降りて行くならのウ。』と言った。丈太郎はマダ船と家との区別を知らなかったのである。船の揺れるのを家が坂を降りて行くと思ったのだろう?
いつのまにか音無の眼の前には、広々とした海が見えて来た、雨が降り風が吹き初めた。山のような怒濤が紀州丸を木ノ葉のように翻弄し初めた。
音無は物の怪に魔されたように蒲団の端を両手にグーッと握りしめて、両足を屈めた。
『あの紀州丸、自分達の乗って行った紀州丸が沈没したんだ。食事の前に叮嚀に挨拶に出て来た事務長も、前歯の欠けたボーイも皆な死んでしまったのだ。製材会社で働いて居た小山も……彼の弱々しい小山が裁判所へ喚出されて行く途中で……』
音無はガバと撥ね起きて、蒲団の上に坐った。『タトヒ罪業ハ深重ナリトモカナラズ弥陀如来ハスクヒマスベシ』と書いた小形の和本が鳴野の手と一緒に壁の所へ見えるように思った。
恐ろしい恐ろしい運命の爪が僕を取攫って行くんだ……空想的な恐怖に脅かされて居るのかも知れない……悪霊に取憑かれて居るのかも知れない……とたッた今言った田原の言葉はひしひし音無の胸を締めつけた。
音無はまた蒲団を引被って寝て見たが、何んとなく悲しくなって来たので、今度は心を静めて、そッと半身を起して黙禱し初めた。五分十分ただ、『主よ主よ』と祈って居たが、神経が余程沈静して来たと時、ふと一ヶ月前に晩雅楼で枯木のように極めて自然に永眠した松蔵爺の安らかな死面が歴然と眼底に浮んで来た。
長い間不幸な病人の慰安者となり看護人となって死水を取ってからは、世に棄てられた憐れな乞食の友人となって、天涯に寄辺の無い流離子らを温かい愛の懐に抱いて慰めつつ七十六年の長い生涯を終った渠れ松蔵爺の死面には真に崇高い聖者の面影があった。
危篤だと聞いて音無と一緒に駆け付けた田原は『嗚呼、何という尊い美しさだろう!』と思わず感嘆して叫んだのであった。両手を帯に挟んだまま直立して松蔵爺の死面をじっと凝視めていた時の田原の顔には言い知れない感激が溢れていた。
学問も智慧も才能も無い松蔵が、善人という性質を唯一の資本として、南洋から印度、南北米大陸を流れ渡った末が、縁も由緒も無い熊野の浦へ落着いて、余生を病人と乞食とに捧げたというこの眼前の事実がドレ程田原の心を感激せしめたのであろう。
『アレだ!』
音無は思わず膝を打いてまた眼を閉じた。神々しい松蔵の死面と、凝然とそれを見詰めて居る田原の姿とがアリアリと眼前に浮んで来た。
『そうだ! 田原はこれまで冷静な哲学と火のような熱情との激しい戦闘をドレほど長く続けて来たろう? この精神的苦闘が、彼れに如何な煩悶を与えたか、またどんな光明の一路を照したかは知らないが、最後の決心をした機縁となったのは確かに松蔵の美しい死であった。きっとそうだ!
明日の朝、彼れは此地を去る! 可愛い妻子を残して去る! 去って何所へ行く? 往く日も来る月も、所変れば風も変る長い長い旅路、彼の過激な革命家の意気も、貧者の友であった救世者の熱心も全く打忘れたように普通の平凡なる一善人として、晨には哲学者の門を敲き夕には蛮人の群を訪いつつ、雲を送り山を迎えた末、畢波羅樹下の軟かい青草を褥として枯稿した形容を横えながら眠るが如き大往生をして、袒裸の土人に囲繞されて、『嗚呼、平和なる涅槃よ!』と合掌礼拝されるが恐らく彼れ畢世の大本願であろう!』
左さま右さま田原の生涯を思い難んだ果がこの空想の光景を彷彿した時、音無の前には果して美しい光景が展開された。不可思議な音楽さえ天の一方から聞えて来るのであった。
哀別
『御宅ですか。』と音無は白々しく玄関先から声をかけた。
『あ、音無さん?』と診察室の襖を開けて半ば顔を見せたのは貞子であった。
『どちらかへ行らっしゃいましたか。』と音無は重ねて自己を欺きながら問うた。
『まア御上り下さいまし、私、今お伺いしようかと思っていた所です。』
『そうですか……』と音無はもう胸を轟かすのであった。
二人は診察室の小い卓子を中に対坐った。
『音無さん、宅は今朝東京の方へ参りました、私、三輪崎まで送って行きましたが……』
見る見る貞子の睫は涙に濡れた。音無はもう堪え切れなくッて、出来る事なら其場を逃げ出したく思った。
『東京へ行くと仰しゃいましたか……』
『えエ、中村さんや根本さんに面会に行くのだと言いましたが、不思議なんですよ。私共が彼の三輪崎の片岡屋の二階へ上って行くと、其所には和歌山へ行くのだとか言って樽本刑事と署長さんが行って居まして……宅に一寸面会したいと仰しゃるんでしょう。宅は平気で樽本さんのお部屋へ入って行きましたが四五分間何だか窃々話して出て来ました。そして宅は大層打悄れていろんな事を仰しゃるんでしょう……哲子や丈太郎の事、それから私の身の上の事、まるでもう二度と会われない、永い永い訣れでもするように……それから……これは迷信だと御笑いなさるかも知れませんが、私、本当に気味の悪い幻を見たのですよ。』
貞子は色を蒼くして一寸首を竦めた。音無はギョッとして、
『幻? どんな事です?』
『本当に奇態なんですワ、もう船が着いたので、宅がふいと立とうとした時、羽織の下に、宅の羽織の下に……』貞子はブルブルと身を慄わした。
『羽織の下に? どうしたんです?』
『三勝半七の芝居で見るあの舅のように、確に……確に宅は縄で縛られていました。たしかに……たしかに宅は縄で縛られていました。それは幻でしょう……幻でしょうが私の眼には確かにそう見えました。それから署長さんも樽本刑事も、偶然あの宿で落合ったに相違ないんですが、それが矢張り私の心では、ホンの偶然のようには思えないんです。』
音無は卓子の上に両肱を突いてガツガツと顫えていた。
『それから私は帰り途で、あの二軒茶屋の所で鳴野さんに会いました。俥が三挺、前の俥には平野刑事、後の俥には宇田部長が乗っていました。俥が摺れ違った時、私は(あ、鳴野さん!)と声を掛けたのですが、丁度降り坂でしたから、御互いに振返っただけで……』
『え? あの鳴野君?』音無がわざと元気よく話しかけようとした時、チリンチリンチリンと鈴の音がして、玄関で『号外!』という声が聞えた。貞子も音無も思わず言合したように玄関へ出て行った。
『まア、あの中村さん達の……』
貞子は号外を握ったまま畳の上に投げられたように坐った。
……以下原稿紙八十四枚削除……
破約
田原が故郷を離れてから、もう三月を経過した。時子と堅爾の結婚式へ列する為に京都へ行った太地の隠居もマダ帰って来なかった。
太地の家は須基子とナオミぎりで、須基子は此頃毎日花壇弄りをしていたが、ある日の午後ひょッこり庭口から音無が入って来たので、『音無先生が入来しってよ。』と嬉しそうに言った。
『まアよく入来しった、』と花壇に水を遣っていたナオミは如霧を措いて眷かしそうに近寄りつつ、『随分お久し振でしたワネ。さア何卒お上り下すって。』
『イヤ、今日はそうしちゃいられんので。丁度御門前を通り掛ったら、須基子さんのお声が聞えたから鳥渡くらお寄りしたので……』とステッキを背後に凭れながら、『今日は立咄しで、御免を蒙ります。』
『そう、失礼ネ。それじゃアお世辞を申しませんから、』とナオミは嫣然して『石塚さんは近頃ちッともお見えになりませんが、別に変った事もございませんの?』
音無はステッキでコツコツ庭石を叩きながら、『田原君の仕事の跡片附や留守宅の世話やらで多分忙がしいんでしょう。』
『本当に田原さんでもさぞ奥さんが御心配でしょうネ。私も一寸お見舞に上ろうと思ってるんですが、御不幸というのではなし、何と申上げて宜いか御挨拶の申上げように困るもんですからツイ御無沙汰しています。一体どうなすったんです。奥さんにまで黙って飛び出しておしまいなさるッてのは。』
『さア。どういう理由か、僕にもよく解らん。』
『新嘉坡へ行らしったッて、本当にそうですか。』
『新嘉坡へ行ったらしいという話だが実際はどうだか解らん。もう消息がありそうなものだと思うが、何にも云って来ないから、何処に何をしているやら全然解らん。』
『何しに行らしたのです?』
『何しにだか、それも解らん。田原君に云わせれば運命の大威力に引摺られて行ったのだが、こういう精神状態は虚偽で無いとしても、始終火山の燃ゆるように沸騰している田原君が俄に死火山となって西行や芭蕉のようになり切れるもんでも無い。新嘉坡へ行ったには何かある目的があるんじゃないかとも思うが、それは何とも云わないから解らん。』
『でも随分思切っていますネ。』
『もっともあアいう心持には誰も時々なりますが、断行する勇気は有る人と無い人とある。』
『そんな人騒がせをする勇気は無い方が宜うございますワ。』
『音無先生、』と須基子は唐突に横合から嘴を容した。『今夜は叔母さんが東京から帰ってらしってよ。』
『そう。』と音無は笑いながら、『嬉しいだろう、須基子さん。』
『嬉しいワ。それから叔父さんもお祖母さんも京都から帰ってらっしゃるのよ、時……』と言掛けて口籠ったが、直ぐ言直して、『叔母さんも御一緒よ。』
『そう、』と音無は大きく点頭きつつ須基子をじっと見、『好い叔母さんが出来て須基子さんも幸福だネ。』
須基子は羞恥むような擽ぐったいような妙な微笑を洩らした。
『世の中ッて妙ですワネ。時子さんが今夜ッから此家の主婦になって、松本時子さんが大伴時子さんと変るんだから、』ナオミは感慨深そうに小さい嘆息をして、『女が自分の姓を棄てるという時は変な気持がしましょうネ。悲しいでしょうか、嬉しいでしょうか。』
『そりゃ難問だ。女になって見んけりゃ解らん、』と音無は呵々と笑って、『だが、女は所望一生に一度は自分の姓を棄てるのが習慣になってるから、悲しいと云っても嬉しいと云っても惰力的に鈍くなってますネ。貴女も今に古座ナオミさんで無くなるから、其時になればよく解りますサ。』
『私?』とナオミはポウッと顔を染めながら、『私、イツマデも古座の姓を棄てない所存です。』
『棄てない所存でいても棄てる時が来ます。』と音無は皮肉な微笑を泛べながら、『女ッてものは独身の時は力んでいますが、卒となると案外馬鹿にし切ってる男にさえ脆くも降参してしまいます。時子さんを御覧なさい。……もっとも貴女は別ですがネ。』
『随分皮肉を仰しゃいますネ、』とナオミは片頰に微笑を見せながら故とらしくツンとして、
『私を別になさらないでも宜しゅうございます。』
『やッ、こりゃ失策った。貴女を問題にする所存じゃ無かった、』と音無は頭搔き搔き、『だが女ッてものは、近い例が時子さんのように学問があっても……イヤ、もう云うまい、云うまい。ウッカリするとまた尻毛を攫まる。』
『音無先生、』と後向きに花壇の隅に踞座んでいた須基子は顧眄きざま、『叔母さんに密告けますよ。』
『おや、伏勢が飛出したネ、』と音無は笑いながらステッキを抱え直しつつ背後へ二歩三歩帰り掛けて、『退却退却、捲土重来だ!』
堅爾夫婦が帰ったと聞いた四日目の朝、音無は太地の家へ喜びに行った。新婚の夫婦を迎えたらしい花々しい気分が玄関先きから溢れている事と思いの外、家中が寂寞閑と静まり返っていた。
玄関に立って何度も音なったが取次の返事が無かった。家中が皆不在という事もあるまいがなと訝りながらも、格別懇意の間柄ではあり、取次が無くとも通ろうかと思う処へ飛んでもない時分に女中のお末がガラリと障子を明けて音無の顔を見ると、『おやッ、』と云ったぎり奥へ駆込んでしまった。
何だか侮辱されたような、狐に魅まれたような変な音がして、奥へ通ろうという方角もなく茫然としていると、暫らくしてナオミが蒼白い不安な顔を出して、
『まア、お上り下さい。』
『どうしたんです。変った事でも起ったんですか?』
『まア、お上り下さい、』とナオミは機械的に繰返して、先きへ立って自分の部屋に案内した。
『どうしたんです、』と音無は蒲団に坐りながら、『痛く陰気ですナ。』
『大変なんです。』とナオミは両膝に手を叉にして面を伏せつつ、『もう少し先刻堅爾さん御夫婦に御隠居さん迄警察へ喚ばれたのです。』
『警察へ?』と音無は眼を円くして、『どうして?』
『そればかりじゃ無いので、』とナオミは声を潜めて、『昨日の午後町内の銀行が皆調べられたそうです。』
『どういう仔細で?』
『仔細は知りませんが、何でも此家の預金高と田原さんとの取引関係を調べたそうです。』
『田原君との取引関係?』と音無はギクリとした。ギクリと応える理由があるわけでは無いが、ただ何となく不安な心持がした。
『何しろ田原さんは失踪同様なわけでしょう。種々な風説も立っています。田原さんの御身上に何か事件でも起ったんじゃないかと……』
『さア……』
何とも判断し兼ねて暫らく黙念としていると、廊下に蓮葉な足音が聞えてガラリと襖を開けたのは時子であった。
『おや、お帰んなさいまし。』
『私、喫驚しちまった。警察で調べられたのは生れて初めてよ。』とベッタリ坐って両手で熱った顔を押えていたが、ふっと音無の在るのに気が附いて、『まアどうしたら宜かろう。音無さんですネ。余り喫驚して気が上ずッちまったもんだから、お客様の在らッしゃるのも気が付かないで、』と時子は顔を赤くして慌てて席を辷って下座に就き、『暫らく……』と挨拶を済ましてから更めて両手を突き、『これからは一層お心易く』と慇懃過ぎるほど頭を下げた。
『まアまア、そんな堅苦しいお辞儀はヌキにして、』と音無は軽く挨拶を済ました。『それよりもどんな事を訊かれました?』
『私のは簡単で何時結婚したかとか、財産が有るかとか、田原さんとはどういう関係だとか、訊く事は簡単なのですが、お前呼ばわりですから厭になッちまいましたワ。』
『御隠居さんや大伴君は?』
『母は下の部屋で署長さんと密々話していましたが、堅爾さんは何処におりましたか知れませんでした。』
『一体まアどういう事件なの?』とナオミは訊くと、
『そんな事は何にも云わないから少とも解りませんワ。』
『どういう仔細なんだろう?』と音無も首を傾げて、『豈夫か田原君が詐欺もすまいし……』
何時の間にか隠居のお常が帰って来たと見えて廊下を通りがてら襖の外から声を掛けた。
『阿母さん』と時子は部屋の中から呼んだ。『音無さんが来ていらッしゃるのよ。』
『そう、』とお常は襖を開けて不安な顔付をしながら入って来て、『音無さん、好い修行をしました。此齢になって警察のお調を受けるなんて望んだって出来ない事です、』と皮肉な苦笑をしながら怠儀そうに座に就き『そうそう、勝手な事ばかり云って……先日は結構なお祝い物を有難う存じます、』と叮嚀に礼を述べ、『若夫婦も来ましたから実は御披露を兼ねて二三日中に皆さんをお招きしたいと思ってる処へ此騒ぎで何ともハア……』
『御災難ですナ。どういう事件か知らないが、御老人まで呼出さないでも宜かりそうなもんですナ。』
『本当に音無さん、』とお常は脊を円くして、首を突出し、『豈夫か其方とも云いませんが全く芝居のお白洲です。何故財産を不動産にして置かないのだ? 亜米利加で堅爾は何を勉強して来た? 晩雅楼は田原にくれてやつたのか?⦅とお常は一々身振をして⦆本当に寿命が縮まってしまいました。親子三人一度に警察のお調べを受けるなんて、本当に外間が悪い。一体まア音無さん、どういう理由なんでしょう?』
『さア……』と音無は腕拱いてじっと考え込んだ。
『やッ、音無君、』と警察から帰った堅爾はナオミの部屋に飛び込みざま軽く会釈すると同時にドッカと坐って、
『痛い目に会った。』
『何だネ、御挨拶もしないで、』とお常は堅爾を嗜めた。『まずお祝い物のお礼を仰しゃい。』
『まアまアお礼なんぞは宜い。お礼を云われると却って赤面する。』と音無も軽く会釈して、『それよりか君はどんな尋問を受けた?』
『そうそう、有難う、』と堅爾は無造作に頭を下げ、『帰って来る早々警察と来たんで大いに面喰ってお礼も何も滅茶苦茶だ。』
『どんな訊問をされた?』
『一向要領を得ないが、去年の春アラスカへ行った時、アラスカ労働組合の会長を尋ねて来た中村と云う男があった。外国旅行先きの日本人同士だから一度や二度は口を利いた事もあるが、その男と僕との関係を頻りに詳しく訊くんだ。』
『中村?』と音無は膝を乗り出して、『新嘉坡に居た中村春吉君じゃないかネ。』
『そうかも知れないが、君は其男を知っているのかエ?』
『イヤ、会った事は無いが、新嘉坡に居た中村なら労働新聞という新聞の主筆だか発行者だかで、毎号田原君の処へ新聞を送って来た。』
『それ、それ、それだ!』と堅爾は膝を礑と叩いて、『其男と田原君とを中心とする事件が持上がったらしいんだ。そこで僕がアラスカで其男に会ったという事がどうして知れたか其筋に解ったので、何でも田原君と中村と僕との三人の間に何かの連絡が有りはしないかという嫌疑なんだ。』
『どういう事件なんだ?』
『そこが解らんのだがネ、どうも田原君が今何所に居るのだか、それすら見当が付かない。』
『うん、誰にも解らないんだ。』と音無は首肯いた。
『兄貴が死んでから田原君に財政整理をして貰ったのを警察ではよく知っていて、イクラ礼をしたかと訊かれた。礼なんぞは一文も出さないというと、其んな筈は無いと飽くまでも追究された。何にも疚しい事は無いから平気だが、警察で訊問されるのは余り好い心持じゃ無いナ。』と堅爾は苦笑した。
音無は無言で二つ三つ続けて点頭いた。暫らくは田原の追懐が胸一杯で堅爾も時子も忘れていた。
音無は田原の外遊が西行や芭蕉の遯世と略ぼ似通ったただの精神的欣求の為めばかりだとは初めから思っていなかった。必ずや明らさまに打明けられない理由や渡航後の計画があるに違いないと窃かに想像しては居たが、今警察が、太地家を取調べたというについては、新しく何事か湧上って来たのではないかと思われて急に田原の留守宅が気に懸り出した。
『それじゃア今日は失敬する、』と俄に思付いたように座を起った。
『まア宜いじゃないか、』と堅爾も留めれば、『お宜しいじゃありませんか、御緩りなすっても、』と時子も一緒になって引留めた。
『イヤ、またユックリ参上る。今日はお取込だし。僕も田原君が心配で沈着いていられんから失敬する、』と云いつつ音無は四人に送られて太地の玄関を出た。
太地を尋ねる時は、時子がどんな顔をするだろう。弟のやうな石塚を手玉に取るように弄り物にしたり、心にも無い媚を作って自分の道念を試そうとした時子、男の愛を風船玉のように翫弄にして脹らましたり萎びさしたりして、挙句が破裂らしても何とも思わない蓮葉者の時子、純潔だの処女の愛だのと頼りに処女主義を口にしていたその時子が腸の底まで読まれてる苦手の自分の前へ出る時どんな顔をするだろうという興味が肚の中に沸々としていたが、田原の身上に関する事やら、太地家の事件が突然頭の上に落ちて来た時はもう時子どころで無かった。太地の家の笹竜謄の紋を付けた紫紺の羽織を着た時子を見ても堅爾の妻と思う外は苦笑も反感も冷笑も無かった。
音無は太地の家を出て、途々いろんな事を考えながら、何処をどう行くという方角もなく屈託顔にブラブラする中に何時の間にか田原の家の前へ来た。
『私は覚悟していますワ、』と貞子は少しも狼狽えた気色なく、『所詮良人の事ッてすもの、札所廻りの六部のような心持で影を隠したので無い事は解ってますが、ただ皆さんに御迷惑が掛らなければ宜いがとそればッかり心配しています。』
『そりゃア大丈夫ですよ、』と音無はさも知れ切ったと云わぬばかりの万事を呑込んだ顔をして、『田原君の事ですもの。人に迷惑を掛けるような事をして置くもんですか。』
『私も他人様に御迷惑を掛ける事はしていなかろうと信じていますが、』と断言りつつも貞子は物案じ顔に、『太地さんの皆さんが警察でお調べをお受けになったのはどういう廉なんでしょう?』
『それが要領を得ないのですが、田原君が家を出る時何千円かの金を持っていたらしいので其金の出し手は誰だろうという疑問が警察側にあると見えますナ。そこで太地の家は先代以来田原君と親族同様の関係になっていたのと、最一つ甚だ拙いのは例の新嘉坡事件の中心人物である中村という男と堅爾君とは先年アラスカで偶然会っているそうです。どうして嗅付けたか知らぬが、警察では此事を知っていて、堅爾君と田原君と中村君と三人の間にある黙契が成立ってるように思い、それやこれやから太地家を新嘉坡でやった秘密出版事件の資本供給者と睨んだらしい。太地の家のものの調べられたのは皆金銭関係で、此町の銀行も皆帳簿や取引関係を調べられたそうです。』
『まア!』と貞子は眼を睜った。
『処が何でも無い。警察ではそんな筈は無い、家事整理の時はイクラ礼をしたの、晩雅楼は無償くれたのかと、根掘り葉掘り訊いたそうです。』
『先ア、お気の毒ですワネ。』
『何アに、そんな事は御心配なさらんでも宜い。実際田原君が迷惑を掛けているなら知らん事、何にも痕方の無い事を藪睨みの誤解をされたからッて此方に対して不快の感を持つ理由が無い。其位な事は堅爾君は勿論太地の老人にだって解っています。』
『でも良人の事件の為めに、お年寄までが警察へお呼出されになったてのは、真実に済みませんワネ。』
『それよりか奥さん、』と音無は貞子が余り沈着いているのが戻かしそうに、『田原君の方が大事ですよ。』
『良人の方は覚悟しています。私は三輪崎で別れました時、何にも云わないでも良人の心持がよく合点めました。それからは私も覚悟が定まっているのです。あの三輪崎の浜が最後の別れでもう一生良人には会う事が出来ない……』と貞子は健気に言放ちながらも俄に言葉を途切らしてしまった。
『立派なお覚悟だ、』と音無も半ば声を飲みつつ、『そう伺えば安心です。今度の事件は唯の一時の嫌疑で直き無事に落着するとは信じていますが、万に一つですナ、人間は何時どんな運命に虐げられるか解らんから、仮に面白からぬ事が田原君の一身に起ったとしても、貴姐は少しも驚く事は有りませんよ。どんな運命が墜落って来ても泰然としていらッしゃい。吃驚しちゃ不可ませんよ。』
『大丈夫な心算でございます。』と貞子は密と涙を拭きつつ嫣然微笑んで、『何卒無事で済むように祈ってはおりますけれど、畳の上で死ぬのも如何な所で死ぬのも悉皆運命ですワ。罪が有っても無くても、こういう運なら仕方がないので、私は疾うから諦めています。第一、良人の身になりましたなら、自分の思う通りの事をしてそしてその為に知らぬ他国へ行って死んだって本望でございましょう。』
音無は無言で幾度も点頭き、貞子の潔気な言葉に感激して暫らく瞑目沈吟していた。何んにも知らない哲子と丈太郎が無邪気にキャッキャと騒ぐ声が庭先から聞えて何んとなく胸の慼るような心持がした。
覚也は約婚以来一度も太地の門を潜らなかった。罷々迂路をして門内の須基子を垣間見、時折は門前の飽気ない立咄しを牽牛織女の逢瀬のように楽む事はあっても決して閾を跨げなかった。それ故、如何に拠ろない必死の場合であっても、いよいよ入籍披露を済ますまでは決して出入をしないと盟った手前に対しても太地の門を潜るは後目痛くて躊躇された。
加之ならず、太地の家の空気は変っている。堅爾とは昔しの同窓ではあると云う条、十何年も山海万里を距てていた上に、帰朝早々故郷を去って旧交を温める機会が乏しかった、且其上に自分を手球に取って舌を出して笑った時子が現に堅爾の妻として一家の采配を揮っておる。覚也の怯懦心は縦令敵地に入るほどでなくとも底の知れない、急流を瀬踏みするの恐れを抱いて逡巡がざるを得なかった。
が、思切って玄関に立って、『御免下さい、』と云うと、暫らくして弱しい跫音が廊下に聞えて、すウッと障子を開けたはナオミで、
『おや、お珍らしい。さア何卒、』と平生の馴れ馴れしい調子で覚也を自分の部屋に案内し、『暫らくお待ち下さいよ、』と言いつつ部屋をソソクサと出て行った。
三分経ち、五分経ち、十分二十分経ってもナオミは顔を見せなかった。誰よりも先きに須基子が一番に顔を出しそうなものと思った事も空頼みとなって、覚也は焦々したりモジモジしたりしていると、
『お待たせしました、ツイ手離せない用事がありましたので、』と云いながら、ナオミが入って来た。
『どう致しまして、御用の処をお邪魔しました。』
『否エ。』とナオミは平生のように嫣然したが、何処か調子が余所々々しかった。
『実は御報告旁御相談に上ったのですが。』と覚也は努めて冷静を粧って、『僕の新聞が財政上の都合でもう発行が出来なくなったんです。』
『えッ、』とナオミは喫驚して眼を睜った。
『其善後策を御相談に上ったのです。』
『まア、』とナオミは深い嘆息を長く引いた。
『堅爾君御夫婦がお帰りになってるそうなが、鳥渡お目に掛れませんでしょうが?』
『飛んでも無い事になりましたワネエ、』とナオミは再び深い嘆息をして、『堅爾さんにですか、』とナオミは当惑そうに眉を顰めて、『堅爾さんは先刻から頭痛がするってお臥みになってますから、お取次しても難かしゅうございましょうよ。』
『そうですか。御病気なら仕方が無い。また明日にでも上る事にしましょうが、御隠居さんは在らッしゃるでしょう?』
『はア、在らッしゃいますが、唯今生憎お客様で……』とナオミは言憎そうに、『今日はお目に掛らないから宜しく申上げてくれと先刻仰しゃいました。』
『そうですか、』と覚也は面白からぬ顔をして、『時子さんは?』
『時子さんも矢張りお客様のお対手をしてらッしゃるので、今日は失礼すると仰しゃいました。』
『須基子さんは?』と覚也の顔色はもう変っていた。
『在らッしゃいます、』とナオミは気の毒そうに覚也の顔を見、『ですけれど唯今お稽古中でお目に掛る事は出来ないからと、御隠居さんの仰しゃりつけでございます。』
『須基子さんにも?』と覚也は覚えずブルブルと慄えた。
ナオミは俯目に暫らくじっと考え込んでいたが、やがて面を挙げて『石塚さん』と気の毒そうに同情の籠った声で、
『貴方のお心持をお察しします。こんな冷たい待遇を受けようとは貴方は思っていらッしゃらなかったでしょうが、これには種々事情があるので、何れ今晩にも音無さんに委しくお話ししますから、今日は此儘黙ってお帰りなすって下さい。』
『音無君に話さないだって、』と覚也は迫込んで、『事情があるなら僕自身直接に承わりましょう。』
『そんなにお急ぎにならないで、』とナオミは声を潜め、『お腹の立つのは御道理ですが、ここで貴方が大きな声をなすっては却って面白くないから、何にも仰しゃらないで黙ってお帰り下さい。』
『黙って帰れってなら黙って帰りましょう。』と覚也は顔色を変えてブルブル慄えながら、『だが古座さん、貴姐も御承知だろうが、僕とここの家との関係は戸籍上の手続きこそ済まないでも玄関払いされる唯の他人同士ではありませんよ。仰に従って黙って帰りましょうが、自分の霊を傷つけられた怨みは一生忘れませんからネ。』
ナオミは気の毒そうな顔をして何度も黙って点頭いた。
其晩ナオミは普無を訪問した。
『そういうわけで、私、石塚さんに本当にお気の毒で堪らなかったのです。』
『じゃ何ですか、』音無は眼を円くして、『石塚君の約束を破談にしようというんですネ。』
『結局はそうなんです。』
『そんな乱暴な事があるもんですか。たとえば田原君がどんな事を仕出来そうと石塚君には何の関係も無い。第一田原君の事件からして何でも無い。大方今頃はもう放免になってるかも知れない。』
『それがそう手軽い事件で無いらしいと云うんです。』とナオミは四辺を憚るような低い声で、
『石塚さんが入来った時は丁度大野弁護士をお招きして相談最中だったのですが、大野さんは警察側の意見もお聞込みになってるそうで、事件の発展次第では太地家にも意外の飛塵が振り掛るかも知れないというので、御隠居さん初め堅爾さん御夫婦も青くなっておしまいなすったのです。』
『どういうわけで?』
『法律上のお話は私にはよく解りませんが、……』
『ふウむ、』と音無は腕拱きつつ太い息をして、『困ったナア。そんな事とは知らなかった。』
『御隠居さん初め、田原さんには今まで色々お世話になって親戚同様の関係ではあるが、家には代えられないからお気の毒でも此際思い切って一切の関係を解いてしまいたいという皆さんの御相談が定まったのです。』
『そんな馬鹿……』と音無は苦々しげに、『そんな馬鹿な事を周章てて仕たって、過去の関係が消えるもんじゃない。生中小細工をすれば却ってますます嫌疑を増す道理だ。』
『私もそう思いますが、大野さんの御意見で、御隠居さんが何でもそうしなければ太地の家が危ないと気を揉んでらっしゃる。』
『堅爾君は黙ってるんですか?』
『あの方は阿母様の前では口が利けませんからネ。それに時子さんが矢張り一緒になって……』とナオミは較や曖昧に言葉を濁らしたが、やがて何んとなしに皮肉な微笑を口辺に寄せて、『もう家じゃ時子さん天下ですよ。それから音無さん、今日太地家の財産は須基子さんの分も堅爾さんの分も全部時子さんの名前に切換えられる事になったんですよ。』
『全部時子さんの名前に?』と音無はますます呆れた顔をした。
『えエ、そうした方が此場合安全だという時子さんの考えに、お二人とも御同意なすったんです。無論こういう変則な処置をお取りになったのは大野さんの法律上の御意見が基礎になってるんですが、私はこの場合田原さんの御宅の為に何とかしてあげたいと思うのですが、肝心のこういう時の頼みになろうという時子さんまでが少とも力になって下さらないで、口先ではお気の毒だお気の毒だと仰しゃるが、心の中では御自分達の利益ばかり考えていらっしゃるんですもの……』
『もっとも人間てものはミンナそんなものだ卒となると頼みになる奴は一人もない。』と音無は吻と嘆息をして、『それにしても石塚君は気の毒だ。失望して自棄にならなければ宜いがナア……』
『私、本当に石塚さんにお気の毒で堪らないのです。』とナオミは染々気の毒そうに顔を曇らした。
『大野さんのお咄では、』と暫くしてナオミは再び言葉を更ため、『石塚さんも事によると何とかの論説で起訴されるかも知れないというのです。』
『そりゃア警察の遣口一つで何とも解りませんネエ。』
『ですから御隠居さんはますます青くなっておしまいなすったんです。可愛い孫を罪人に妻合しては先祖に済まないと仰しゃるんです。』
『そりゃア犯罪にも由るサ。一概に犯罪だからッて忌避する道理は無いが、そんな事は左に右く石塚君はマダ起訴されるかドウカ解らず、起訴されるにしても必ず有罪とは定らんじゃないか。』
『何にしろ御隠居さんはもう、石塚さんを田原の連累者と定め込んでらッしゃるから。』
『困ってしまうナア、』と音無は吻と歎息をして、『実は今度の事件を僕はそれ程の重大事件とは思わんのです。大野君が法律上の鑑定がそうだと聞いても矢張何でも無い小事件と思ってるのです。況や石塚君が新聞の社説に書いた論文などは何でもない事です。だから石塚君と来たらまるで無神経です。無論これが為に起訴されるとも思わず、事件其物を極めて小さく考えているのだからこれが為めに一生の運命を破壊するような不幸が落ちて来ようとは恐らく夢にも思ってますまい。貴姐のお咄に由ると、玄関払い同様な目に会って痛く憤激したらしいが、それは一時のムカムカとしただけで、これが婚約破壊の無言の宣告だとは決して感づかなかったでしょう。それほどマダ単純な正直な青年ですから、いよいよ破約と聞いたらそれこそ真に一生の致命傷で自棄になるか気が違うか、一生を葬むってしまうような気の毒な事になるかも解らん。』
『真個にお気の毒で堪らないのです。』とナオミは下を向いてホロリ一雫落した。
『須基子さんはマダ児供だからそれ程でもあるまいが、石塚君は自分の霊魂よりも須基子さんを大切に思ってるのだから、須基子さんを失ったなら石塚君の霊魂も一緒に亡びてしまう。石塚君の生命に代えてもと思う真の熱愛がどれ程須基子さんの一生を幸福にするか知れないと我々は太地家の為めに喜んでいたのだが、こういう貴い愛を些細な嫌疑ぐらいで破壊して将来のある青年を精神的に殺すなんて実に残酷極まる。ナオミさん、』と音無は我知らず激昂して、『貴姐はこういう残酷な相談をするのを黙って聞いていたんですか?』
『そう仰しゃられると私も申訳が有りませんが、家庭教師という条矢張使用人ですワ。御隠居さんを動かす力もなし、時子さんに反対出来る位置でもありませんワ。私が頑張って見た処で何の役に立ちましょう。あれ程深い関係であった田原さんの御家族にさえ思い切った事をなさる場合ですワ。私は無論意気地の無い人間ですが私の立場も察して下さい。』とナオミは更に言葉を柔げて、『もっとも其中には事件も落着しましょうし、石塚さんの嫌疑もきっと晴れましょうし、余炉さえ冷めれば再び恢復しはどうにでもなります。ですから石塚さんにも決して失望なさらないように貴方からよく慰めて下さい……』
と云いつつナオミは一封の包みを懐中から出して、
『私、実は明日にも須基子さんと一緒に暫く遠方へ行くように吩咐かりました。もっとも前から上京する予定になっていましたが、今度の騒ぎで急に繰上げましたので、明日か明後日かはマダ判然しませんが多分もうこれぎりお目に掛れまいと思います。それで実はお暇乞を兼ねて上ったのですが、このお金は誠に少しばかりで、差上ると云っては失礼でございますが、石塚さんの今後のお入用なり何なりにお費いなすって下さいまし。』
『これは金ですか、』と音無は手にも触れずに苦り切って、『太地家からくれたんですか?』
『否エ。私の。ほんのポッチリでお恥かしゅうございますが、』とナオミは顔を赤くしつつ紙包みを音無の膝近くへ押進めて、『石塚さんもこれからは定めしお入用が多かろうと存じますから、何卒私にも同情の御用をさせて戴きます。』
『貴姐の御厚意なら石塚君も感謝して受けましょう、』と云いつつ音無は包みを請取ったが、俄に怪訝な顔をして鳥渡首を傾け、『失礼ですが披けて見ます……』包みを披いて、『こりゃ大金だ!』と矢庭に投出し、『太地家からの手切金なら石塚君は請取りますまいよ。』
『好い加減に仰しゃい、』とナオミは片頰に笑みを浮べながら凛乎とした調子で、『私が手切金の取次をする女か女でないか少しは私の人格を見て下さいまし。貴方にも似合わない事を仰しゃる。』
『悪るかった、』と音無は羞恥わるそうに頭を搔きながら、『こんな大金を石塚君だって無闇と頂戴する事は出来まいが、左に右く御厚意を伝えましょう、』と音無は包みを片寄せて、『此場合金の要るのは看え透いてるから、御厚意に増長って拝借するとでもして戴くのですが、イクラ有ります?』
『三百円だけでございます。』
『三百円あれば相当な弁護士も頼めるし、石塚君も大喜びで感謝しましょう。』と音無は喜色を面に泛べつつ、『金を貰ってお諂かるでは無いが、貴姐のような人情に厚い人もあるし、時子さんのような昔の友達を死地に陥れる冷酷な人もあるし、様々ですナア。』
『否エ、時子さんだってそんな不人情な人じゃ有りませんワ。唯こう申しちゃ失礼ですが、あの方は少し嫉妬心があるようですワ。』
『少しどころか、大有りです。僕はチャンと見抜いてる事があるんです。黙ってはいますがネ。』
『夫れにあの方は唯男を弄かうばかりでなく多少か移り気でいらッしゃるようですワ。』
『まア一と口に云えば浮気者サ。あの女の為めに一生を誤った者は僕の友人中にも沢山ある。石塚君なども捌毛序に手玉に取られた一人だが、万更何でもないものを弄かったのでなく、矢張りイクラか気があったんだろう。』
『貴方も矢張何ですッてネ?』とナオミは皮肉な微笑をした。
『僕かい? 僕こそ捌毛序に猪爪を出して見たのサ。』と音無は面羞げに顔を赤くして、『悪戯小僧が動物園の猿に石を投げるような心持で鳥渡弄かって見たんだろうが、こんな朴念人じゃ張合抜がしたろうが此方も好い面の皮サ。』
『罪ですワネ。貴方のような世馴れた方ならまだしもの事、石塚さんのような初心な方を弄かうのは、本当に罪ですワネ。』
『しかし弄かわれる方も悪いんですよ。畢竟隙があるから乗ぜられるんですからナ。』
『そう云やそうですけれど、時子さんのは別段ですワ、』とナオミは一段声を落して、『此場ぎりのお話ですが、今度の破約も御隠居さんの一酷は解ってますが、時子さんの余まり冷淡過ぎるのが解らないのです。矢張嫉妬心が幇助っているんじゃないかと思って。』
『もしそうなら実に怪しからん。』
『そりゃア私の邪推かも知れませんがネ……』
ナオミが何か言い出そうとした時、『音無君、音無君、』と戸外から叫びつつ、ガラリと格子を開けて飛込んだ覚也は、音無に電報を突つけたまま声が出なかった。
やっとの事に喉笛の破裂けるような声を甲走らして『田原先生が死んだ!』
……以下原稿二十五枚削除……
ひかり
もう隣りの時計は二時を打った。音無は蒲団を引被って見ても眼を閉じてみても、どうしても眠られないので、うーん! と唸りながら両足を揃えて、パッと蒲団を蹴ったので頭の方の蚊帳の釣手がプツリと断れて、ザラザラした麻布が顔の上にふわりと落ちかかって来た。
両手で蚊帳をまくって寝床から飛出して、窓を引開けて見たが外は真闇であった。裏の竹籔が風に脅かされてザアザアと鳴っているのも淋しかった。
ランプに火を点けて机の前に坐ったが、ぼうッと上気したようで、ちっとも頭が纏らなかった。
アーッ! と強いて欠伸をして見たが、何だかむしむしと腹立たしくなった、起っても坐っても居られなくなったので、側にあったノートブックに書いた説教の原稿を手に取上げるや否や、真半からそれを二つに引破って机の上に打きつけたが、その瞬間に吾れと吾が行為に昂奮して、その原稿をびりびりびりびりと細かく引裂いてしまった。そしてグッタリと疲れ果てたように両の肱を頰杖に突いて、涙ぐんだ眼でランプの笠を見詰めていると、ブーンと微かな唸りを立て、粟粒程の円い黒い虫が飛んで来て、パチリ! と小さい音を立てて笠の上に宿ったが、どうした機みに足を踏辷らしたものか倒まになって頻りに藻搔いていた。音無の眼にはこの小い虫の苦悶も決して他事では無いように思われた。
虫はやっとの事で起直ったがやがて六つの足を両方へ出来るだけ広く踏張って身動きもしないで居た。此虫は今、何を考えているのだろうと思っていると、今度は真黒い徳利の形した米粒よりもやや小い虫が飛んで来た。よく見ると右の足は三本あるが、左の足は一本しか無かった。『こんな虫でも生の為には恐ろしい戦場を見て来たらしい。』
糠のような小い虫が飛んで来たと思うと、一分あまりの長い四本の足を両方に踏出して静かに何物かを視察するように歩き出した。何だかその虫の態度が小面憎いので、ぷッと息を吹掛けると二三寸向うの方に吹飛ばされて其所へぺたりと蹲んでしまった。と同時に分銅の形した黒い二分ばかりの虫が傲然と笠の上に飛んで来て、六本の足を動かしながら歩き出したので、指の先でそれを弾くと其虫はくるりと仰向になって死んだ真似をしていた。
『彼奴の為おる事を見い!』と呟いて居ると今度は灰色した羽のある一分五厘位の虫が二寸余りの長い長い触角をズウッ! と前方に投出したまま笠の縁に宿って、ピリッとも動かないで静として大哲学者のように黙想していた。音無はこの虫が自分の身体の十倍以上もある長い触角のその尖で、彼れの未知の世界を探り考えているのかと思えば何かがその虫が恐しいもののようにも、崇高なもののようにも思われた。
神主のような服装した薄青い羽の二分ばかりの虫が飛んで来て、ピョイピョイと横這に斜に跳ぶのが滑稽じみて居るように可笑しみを感じていると、今度は同じ種類の虫で後半身の黒いのが来て、二つは寄ったり離れたりしつつ笠の上で頻りにパチッ! パチッ! と小い音を立てて居た。
ランプの心が、ジイジイジイと息をする度にこの小い虫の世界が、何等かの異変でも起ったかのように、周章てて右に左に動きありくのであった。
『まア美しい!』と呟きながら、眼を近づけたのは全身が金茶色で、羽に白と薄茶の斑文のある一分ばかりの可愛い小い虫であった。体の割合に足が長い、三分もあろうかと思われる長い六本の足を伸したり縮めたりしながら軽快に歩き廻るさまは、絵で見た女優カルヴェがカルメンに扮して、恋人ホセに薔薇の花を投げる時のような態度だと思った。
すると次には翡翠の衣を着たやや大きい三分ばかりの虫が来て、金茶色を軽蔑したようにノソノソと歩き廻っていると、何所からともなく白絹を纒うた少女のような足の長い華奢な小い小い細長いのが二つ連立って来て、頗る軽快に跳ね廻った。
『何と云うダンスだろう?』と凝然と見詰めていると、俄かにパタパタパタと大きな響き=比較的=がしたと思うと、濃茶色の一寸ばかりの虫が飛んで来て、笠の上を縦横に這廻ったので、今までの小虫共は皆な散り散りばらばらに何所かへ逃げてしまたったが、長い二寸程の触角を有った哲学者は、縁の方へ一二分躙っただけで矢張り天下の形勢を眺めていた。音無はその大きな羽のある虫を右の指で一寸摘んで見たが、それは小供の時鯇魚を釣る為によく捕った川螻蛄というのであった。
暫くしてまた以前の虫が十も二十も三十も飛んで来てランプの笠一面に歩き廻っていた。パサパサパサパサと微かな音を立てる者、パチン! パチン! と小い響を立てるもの、音無の眼の前は俄かに面白い眩るしい舞踏場となっていた。
音無は夢中になってその一つ一つの舞を観、踊りを眺めていたが、この舞踏場の片隅の方に、憐れな一つの屍体を発見した。それは茶色の舞衣を着た小い虫であったが、長さ四分もあろうと思う長い二本の足と二分足らずの短い四本の足と、三分ばかりの触角とを前の方に投げ出したまま、ぺッたりと横になって死んでいるのであった。音無にはこの小い虫が、何時此所に来て、そしてどんな事件の為めにどうして死んだかという事が知られなかった。しかし其所には確かに一つの屍体があった。音無はその小い屍体を見詰めて居るうちに何だか知らないが、悲しいような、恐ろしいような気持に襲われたので周章ててぷッと洋燈を吹消して、蚊帳の中に藻ぐり込んだ。蚊帳は釣手の切れたままであったが、其儘にして置いた。
音無は翌朝眼を覚して顔に捲きつく蚊帳を撥ね除けて見ると、開けッ放した儘にしてあった窓の外には、カンカンと日光が照り栄えて、竹の葉が涼しそうに風に嬲られて居た。
『何時だろう?』と言いながら机の側まで躙り寄って時計を見ると、もう九時前であった。
『九時! それは汽船の出る時間だ!』
音無は両腕を拱いて窓の外を眺めた。山を隔てた一里半向うの港で汽笛がボウーッと鳴るように思われた。須基子とナオミが人目を忍ぶようにして汽船に乗込む様が明瞭と眼底に泛んで来た。
両の頰が冷たく感じたので、はッと気付いて、周章てて涙を拭った音無は両の手を机の縁に突張って膝を畳に突きながら、ふとランプの笠を見ると、昨宵の大舞踏場には何十と無く小い屍が横わっていた。滑稽な身振をした神主も、金茶色のカルメンも翡翠の美人も、華奢なダンサアも、髯の長い哲学者も、皆な死んで居た。殊に悲惨なのは外へ滲み出た石油に浸って、油壺の外で酷たらしい死様をしていた何十の虫であった。
『何故死んだのだろう? この虫は?』
音無は大きな謎に打ッかったような気持で凝然と沢山な虫の屍体を見詰めて居たが、
『そうだ、彼等は光りを慕って死んだのだ! 光を見て死んだのだ!』
こう叫んだ音無は狂人のように机の上を力任せに敲いた。
追跡
『おうい、音無君。』と言いながら入って来た覚也は余程昂奮していた。
『どうだった君、結果は?』
『結果も何も無いサ、百二十円の罰金だ。』と身を投げるように畳の上に瞠乎と坐って、『僕は最前廃刊届を出したよ、新聞の……』
『うん、そうか……』と言ったまま音無は沈黙していた。
『僕は新聞で論説を書く位の事で以って満足出来なくなった。こんな下らない矛盾だらけの世の中を改革するには強烈な意識を有った犠牲者が出なければならない……僕は田原先生の態度に不満を抱く、あれだけの貧民の友であり社会の先覚者でありながら、中途半端に忽然と姿を隠したなんて、僕は先生の為に惜む。そりゃア、君に言わすれば万事が宿命だとか運命だとか言うだろうが僕には其様な事は信じられない。僕は僕自身の努力によって、ミレニアムが現出出来ると思う。我々から自由という思想を奪ってしまったら、もう我々は石ころも同様だ。僕は差当り僕の自由意志に随って為すべき事業がある、僕は今一寸の猶予も出来ない一事業がある……』
『猶予の出来ない事業?』と音無は眼を睜った。
『うん、直接行動だ、僕は僕の自由意志に随って……』
『直接行動? それはどんな事だい?』
『僕の手で僕自身の至福時代を造るのサ。』
『何の事だか僕には解らない、もっと具体的に説明してくれ給え。』
『別に説明しないで置こう。僕は失った物を自ら奪い還すのだ、僕自身の努力で。』
『では君、須基子さんに対して何とかしようと云うのか。』
『それ以上は聞かないで絶対に僕の自由に一任して置いてくれ給え。』
『そうか、では僕は君の意志を尊重しよう。しかし君、注意に注意しなければ……』
『有難う、僕も其辺はよく心得て居るから安心してくれ給え。』
『ではその罰金の方は僕が此間ナオミさんから預った金で処分して置く。それから新聞社の後始末は?』
『新聞社は清水君に一任して置いた。清水君が別に隔日刊行の新聞を出すだろう。新聞社の在来の賃と借とを相殺して総ては清水君に任して終ったから君に面倒は懸けない。』
『では新聞社と全く縁が切れたんだネ。』
『うん、今日から全然自由の身だ。』
『そうか、そして君はマダ此町に暫く居るだろうネ。』
『それは解らない、僕の意志の動くままに行動するから。』
『解った、万事君の心は僕に解っている。田原君の家出を引止める事の出来なかった僕は矢張り君をも強いてどうという事は出来ない。田原さんはあアして総てを振捨てて出て行った事を宿命の力に引ずられたのだと云ったが、君は君の自由で出て行くというのだろう。僕には唯そうした人間の運命を静かに眺めているより外に策が無い。』
『有難う、僕も君の意志をよく知っている。だから仮令僕が何所へ行こうと、時々君に安否だけは消息する、又時によると君の御世話を頼まねばならない事があるかも知れない……』
『それは御互いだから。』
『では、失敬するよ君、僕は今日中に下宿を引払う心算だから、事によっては今晩此家へ来るかも知れないよ。』
『ああ来給え来給え、暫く一緒に居ようじゃないか。』
『さよなら……』
覚也は入って来た時とは違って余程冷静な態度で起ち上った。
『君、君、一寸待ち給え、これはネ、此間ナオミさんから預った金だ、ナオミさんは君の事件が縺れて行った時、弁護料も要るだろうし……という好意から僕に預けてあったのだ。これを此儘持って行って其罰金を納めて置き給え。』
音無は机の抽出しから紙包みを取出して来て、それを覚也に渡した。覚也は一寸躊躇していたが、
『では当分借りて置こう、僕は今朝貯金を少し取出したんだけど……』と云って、それを懐に入れた。
『左様なら、荷物を直ぐ送って来給え、留守を開けないで待っているから。』
『有難う、直ぐ俥で送るよ。』覚也はサッサと下宿の方へ帰って行った。
音無は読みかけて居た旧約全書の次を読続けて、スリヤのナアマンが預言者エリシャを訪問した記事を次の日曜の説教題にしようと思ってそれを頻りに考えて居る所へ、覚也からの荷物が届いた。大きな行李が二つと机と本箱が二つと蒲団が一組とであった。
三時四時になっても覚也は見えなかった。五時頃になってもマダ見えないので、下宿までブラブラ歩いて行って見ると、下宿の妻さんが出て来て、
『石塚さんですか、石塚さんは二時頃に勝浦の方へ俥で行らっしゃいました。』
『勝浦へ? 今晩帰るって言いましたか。』
『いいえ、もう此家は御引払いになりました。多分今晩七時の汽船で大阪の方へ御立ちになるんでしょう?』
『そうですか、そんな事を言っていましたか。』
『明瞭とは仰しゃいませんでしたが、勝浦の商船会社へ電話をおかけになっていましたようでしたから……』
『ああそうですか……』と言った音無の心には一種の不安が浮んで来た。
覚也が勝浦へ着いたのは四時半頃であった。マダ乗船まで三時間もあると云うので、小舟を頼んで赤島温泉へ渡って行った。左手の二階坐敷に案内されて明放した窓から海の方を眺めて居ると、廊下の所から静かな跫音が聞えて、
『まア、石塚さんじゃ無くッて?』と声をかけたのは時子であった。
『ああ、時子さん、』と言ったまま覚也は張裂けるような胸を抑えて凝乎とその顔を見詰めていた。
『御免下さいナ、本当に宜い所でお眼にかかりましたネ。』と言いながら入って来た時子は覚也から三尺ばかり離れた所に坐って、『先達ては本当に失礼致しましたワネ、丁度いろんな問題が起ってゴタゴタして居た時だッたので……』
『えエ、遺憾なく玄関払いを食わされまして……』
『まア其様な事を仰しゃらないで下さい。実はあの時……』
『御弁解はもう充分です、私にはちゃアンと万事が解っていますから。』
覚也は時子の言葉を打切って、語を続けさせまいとした。
『弁解じゃありませんが、事実は事実として一通り申上げて置かなければ、』
『事実は何とした所で事実です。僕と太地家とは玄関払いをされるような其様な間柄じゃアありません。』
覚也の声が少しく顫えて居たので、機を見るに敏な時子は、暫く黙っていたが、
『失礼ですが、私、あなたが、これから何所へ行らっしゃるかようく存じて居ますワ。』
『それがどうしたと云うんです?』
『どうも致しませんが、あなたは須基子さんにお会いなさろうと思ってらッしゃるんでしょう?』
図星を指された覚也はグッと行詰ったが、思い切って、『そうです。』と言い放った。
『ではネ、石塚さん、私、本当にあなたのお力になりますワ。』
『力に? それは如何な事です?』
『あなたの目的が達しられるように及ばずながら……』
『目的が達しられるように? 宜い加減な事を仰しゃい、訪ねて行けば玄関払を食わせて……そして当人を遠方へ隔ててしまって、そして今更力になるッて?』
覚也は冷笑するように言って肩を聳やかした。
『まア静にお考え下さい、あなたは確かに須基子さんを愛して居なさるが、もし須基子さんにあなたを愛する心が未だ萌していないとすれば、どうなさるんです。』
『それは貴女の要らないお世話です。』
『いいえ、そうじゃアありませんワ、第一この縁談というのが、太地のおッ母さんと、田原さんと貴方とお三人きりで纏めた話なんでしょう。肝心の須基子さんはマダほんのネンネエで、愛も恋もありゃアしませんワ。』
『須基子さんと僕との問題は僕と須基子さんと二人で決めます。僕はもう第三者の手を煩わさない!』
『それは乱暴ですワ。石塚さん、もう暫くお待ち下さい、須基子さんはマダ何にも知らないんです。あなたが太地家へ入籍するッて事も知らないんです。あの無邪気な初心な小娘を脅かすのは、そりゃア残酷です、ネ、石塚さん私……本当にお願いですから、暫くお待ち下さいまし。』
『僕はもう直接行動を執る事に決めたのです。僕の自由は何人も妨害する事を許しません、どうぞ貴女もそれ以上仰しゃらないで居て下さい。』
『そう?』と時子は悲しそうに覚也の顔を見詰めていたが、『私は前科者ですからどんなに弁解したって、お信じ下さらないのも御もっともです、じゃア何にも申上げますまい。けれども唯一つ申上げて置く事があります、それは私と堅爾さんとは戸籍上夫婦であっても、真実はマダ結婚して居ない事です。私は戸籍だの許嫁だのという事はホンの形式だと思いますから、本当の結婚ッてのは、御互いに愛情が生じて、恋が成立してそれから後の事でしょう。大変失礼な申し様でございますが、あなたの頭には約束だとか許嫁だとかいう事に非常な権威をお認めになる伝統的なお考えがお有りなさるんですワ。堅爾さんは私を愛して居て下さるけど、私には堅爾さんを愛する心がマダちっとも起りませんから夫婦でも何でも無いんです。だから私は結婚後半年になっても、まだ全く他人なのです。私は未来に於て夫婦になっても宜いという約束の証に入籍して置いただけです。そしてどうかして堅爾さんを愛したいと思って焦っていますけれども私はマダ堅爾さんよりも誰よりも私自身を可愛く思います。だから私は堅爾さんに身を委せないのです、私は貴方のような物の解ったお方が、須基子さんを愛してあげて下さる事を嬉しく思います。だけど須基子さんの方に、本当の愛情が起るまで、貴方は御待ち下さいませんでしょうか。ネ、石塚さん。』
時子は真面目な顔付で涙さえ浮べながらこう言って覚也の顔を覗き込んだ。けれども覚也は憤ろしいような面地で、
『何とでも理屈は牽強けられます、たんと気儘をなさい! 私は私で行くべき途を行ってみます。左様なら!』
覚也は席を蹴って室の外へ出て行った。時子は追縋るようにして、
『石塚さん、須基子さんに愛の眼覚めの来る日まで……ネ、何卒須基子さんの脆弱い心を圧迫しないで置いてあげて下さい。』
『圧迫? 何を仰しゃるのです? 僕は自由を尊重します。僕は自分の自由を尊ぶと同時に、須基子さんの自由をも尊重します。』
覚也は蟀谷の所をピリピリと動かしながら二階を駈け降りた。そして下で女中に茶代を渡して直ぐ渡舟を出すように頼んだ。
十五六歳の男の子が小舟を出した時、覚也は待兼ねたようにそれに跳乗った。そしてわざと顧盻かないで居たが、一町ばかりも岸を離れた時、ふと二階の方を見ると、其所には矢張り時子が立っていた。
七時前に汽船竜田丸は勝浦港を出た。覚也は船室の中で、赤島温泉での思わざる時子との邂逅を夢では無かったかとも思った。不意に時子から投げつけられた会話を片っ端から少しずつ解してみた時、時子の言った言葉には十分の条理が立っているようにも思われた。しかし強いて掉頭を振って『どうしたッて須基子さんに会わねばならない!』と心の中で叫んだのであった。
潮の岬も日の岬も案外静かに過ぎて、翌日の午後二時前に船は大阪の川口に着いた。
『皆さん、唯今艀舟が参りますから、お仕度を願います。』
ボーイはこう言って下駄箱から靴や下駄を取り出して揃え初めた。
『あア、とうとう着いたかなア。』と覚也は直ぐ一時間二時間後の光景を幻に描きながら身仕度をして居ると、
『勝浦からお乗りになった石塚覚也さん……石塚さんは何誰でございますか。』
ボーイは室内を物色するように見廻した。
『石塚は僕だ、どうしたの?』
『一寸一等室の応接室へお出でを願いたいのでございます。』
『はア、今直ぐ……』と言ったが、何の用事だろう? と心の中で頻りに考えながら、ボーイに躡いて行って見ると、其所には四十恰好赤ら顔の、縞の羽織を着た、商人風の男が待っていた。
『あなたが石塚さんでございますか、別に用は無いのでございますが、一寸何地へお出でになるのかお尋ね致したいと思いまして、』
『僕ですか、僕は一寸西ノ宮の附近まで参ります。』
『御訪ね致すお家は御承知なんでございますか。』
『いいえ、何の辺か知りません。』
『左様でございますか、いやどうも失礼致しました。』
男は叮嚀に頭を下げて出て行った。不思議な事を聞く男だナと思ったが、別にその姓名も聞かなかったのである。
やがて乗客は皆な陸へ上った。覚也は『梅田まで……』と言って辻俥を招いた時、最前応接室で会った男が群集の中からチラと顔を見せたと思うと直ぐ見えなくなった。
覚也の俥は石炭滓のようなドス黒い路を曲りくねって走った。前に一挺と後に一挺と三挺の俥は二三間ずつ間隔を置いて走っていたが、何かの拍子に覚也がふと後を振向いた時、その俥には最前の縞の羽織が乗って居るのに気付いた。
梅田から香櫨園までの切符を買って電車に乗込んだ時、前後の俥に乗っていた二人の男も一緒に乗込んで来た。二人は窃々と何だか話し合って居るので、近寄って名乗りもしなかった。
電車が香櫨園に停った時、覚也は周章てて『此所だ此所だ』と小声に言いながら小い革袋を片手に車を出た。そして交番の前を松並木の方へ堤に沿って歩いて居ると、最前の二人が十四五間後から狐鼠々々と尾いて来た。
覚也は初めてそれが自分に尾いて来る役目を有った人達だという事に気付いた時、頭の中がグーン! と鳴った。しかし気を沈着けて五六間後の方へ引返して、
『一寸お尋ね致します、川尻と申すのは此辺でございましょうか。』と慇懃に問うてみた。
『左様でございます、此辺をズッと川尻と申すのでございます。』縞の羽織は親切に答えた。
『恐れ入りますが、此辺に一月ばかり以前紀州の新宮から引越して来た、太地ッて申す家がございませんでしょうか。』
『太地さん? 太地何誰さんでございますか。』
『太地須基子、あるいは古座ナオミ何方かでございます。』
『一寸お待ち下さい、直ぐ調べて参りますから、』
男は交番の方へ走って行った、紺の三紋付の羽織を着た男は杖で道芝をポツポツ打きながら覚也から三間ばかり隔った所に立っていた。
『判りました、直ぐ其所でございます、御案内致しましょう。』
縞の羽織はニコニコ笑いながら先に立って堤を二町ばかり行って左の方のダラダラ坂を降りた。そして三人は二町ばかり町の両側を見ながら歩いたが、須基子の名もナオミの表札も見えなかった。
『たしか此辺だと聞いたが……』と縞の羽織が四角の所で彼方此方と眺めている内に、覚也は向側の大工の家に行って、
『一寸お尋ね致します、此辺に太地さんてお方は居らっしゃいませんでしょうか。』と訊いてみた。
『あ、彼の紀州の?』と若い職人は板を削る手を止めて言った。
『そうですそうです、一ヶ月程前に引移って来ました……』
『そのお方は丁度この隣に居ましたが、昨日転宅なさいました。』
『転宅? どちらへ?』
覚也の言葉は余程周章てて居た。勝手の所から前垂で手を拭き拭き出て来た妻さんが、
『太地さんはお三人で東京の方へお引越しになると申されましたが、あなたは石塚さんと申すお方ではございませんでしょうか。』と云った時、覚也は不意を打たれてギクリとした。
『そうです、僕は石塚ですが……』
『そうですか。お手紙を預ってございますので……』
妻さんは机の抽出から一通の手紙を出して来て覚也の前に措いた。覚也は急いで手紙を取上げて其裏を引くり返して見たが、其所には『古座ナオミ』とあったので、淡い失望を感じながら中を披いて見ると、
御尋ね下さる由時子様よりの電報にて承知仕り候え共、少々都合これあり本日当地を引払い申し候う。
これより四国に渡り諸所を見物致し候うて東京に参り予々計画致し居り候う通り須基子様の学校を取定め候う上万事御通知申上ぐべく候間何卒夫れまで暫く御待ち下され度候う。
とあった。覚也はワクワクと慄えながらその手紙をポケットに捻じ込んで、さて須基子の行先を詳しく尋ねようとしたが、舌が硬張って物が言えなかった。
救霊団
『御免下さい、伊賀君は御宅ですか。』
『何誰でございますか。』言いながら中から障子を開けて畳の上に手を突いたのは二十一二歳の色の白い平面の娘であった。
『私は石塚覚也と申します、伊賀君とは学院時代によく御交際願いました者です。』
『左様でございますか、私は伊賀の家内でございます。さ、何卒お上り下さいまし、今直ぐ帰って参りますから。』
『では御免下さい。』と言って坐敷へ上った覚也は毀れかけた椅子に腰を掛けながら坐敷の有様を隅から隅まで見た。
二軒の長屋を打抜いたらしい十二畳敷の長方形な坐敷の片隅の方には、洋紙に讃美歌の五十番を書いてピンで貼つけてあった。其前には不細工な高い説教台があって上に載せてある金縁のバイブルが一冊異常に輝いていた。
畳は茶色になって其所此所が破れ、汚い鼠色の段通が二枚敷かれてはあるものの、それさえ其所此所に穴だらけであった。
覚也は連日の苦悶と疲労に頭がボウーッとなって居た上に、こんな不思議な光景を観たので、言い知れない悲しさが胸に込み上げて来た。
ガタリ! と障子が開いたので、吃驚して振返ると、其所には色の蒼白い伊賀が立って居た。
『やア、珍らしい、石塚君じゃア無いか。』
『大変御無沙汰しました、随分久し振だったネ。』
二人は四年目の邂逅に堅い握手をしたが、
『石塚君、大変血色が悪いよ。』と言って伊賀は凝然と覚也の顔を見ながら、『何か精神上の変動があったんだネ。』
『うん、随分あったよ。』
『何だ? 例の一件からだネ。』
『まア、そんな所だネ。』
『去年の秋、君は結婚したッて誰かから聞いたと思う、音無君からだったか知ら?』
『実はネ、僕は田原さんの世話で、太地家へ入籍する事になって居たんだ。所が突然田原さんは死くなる、新聞社は潰れる、僕は罰金百二十円を仰付かる、いろんな紛擾があって、とうとう破談になったような形サ。』
『じゃ、失恋したというんだネ。』
『失恋という所までは行かないんだが、……実はネ、僕は三週間前に新宮を出たのだ。』
『ふん、新宮を出て何所に居たんだネ。今日まで、』
『こうなんだ、僕の結婚した須基子さんという娘が、家庭教師と一緒に西ノ宮に来て居ると知ったので、僕は急に思い立って音無君にも誰にも知らさないで、下宿を引払って来たんだ。そしてやっと川尻で住所が判ったかと思うと一日前に四国の方へ行ったと言うじゃないか。で、僕は無闇に高松へ行ったのだよ。そして鉄道ホテルに宿って宿帳を調べてみると、前の晩に須基子さん達は其所へ宿って居るじゃないか。』
『ふん、其所で遭ったのかネ。』
『否エ遭えなかった。丁度僕の着いた朝、金刀比羅の方へ行ったというので僕は翌朝の一番列車で琴平町へ行ったんだ。彼所のネ、虎屋という宿の番頭に頼んで最寄の宿屋を調べて貰ったら芳橘というのへ泊って居るんだろう。で、早速行って見ると、唯タ今の汽車で多度津へ立ったというじゃないか。僕は早速停車場へ駈け付けたが、僅か三分の違いで乗後れてしまった。そして僕は九時半の汽車で多度津へ行って見ると、丁度愛媛丸が臨時寄航だと言って、もう乗客がぞろぞろ乗込んで居るのだろう、僕はその乗客の中に須基子さん達が居るかも知れないと思って、群集の中を血眼になって探したが居ない。で、築港の方へ走って行って桟橋の上を歩いて居る乗客を見ていると、丁度甲板へ登る梯子の下に、須基子さんとその家庭教師と女中が立って居るじゃないか。僕は早速切符を買いに走って行ったが、もう満員で売らないと言うんだ。折角切符を買った連中までが次の定期船まで待たねばならないという騒ぎで入場口はまるで喧嘩のような大混乱だろう。僕は仕方が無いから、また築港の所へ走って行って甲板を見たが、もう須基子さんらしい影も容も見えないんだろう。とうとう船は遠慮なく出てしまった……』
覚也の眼には涙が泛んで居た。伊賀は慰めるように、
『ふん、それからどうした?』
『僕は仕方がないから、下山手通りに居る友人の玉野君の所へ電報を打ったのさ。』
『どんな電報を?』と伊賀は同情というよりも寧ろフィルムの展開を興ずるように問うた。
『通俗小説か、活動写真のような話だがまア聞いてくれ給え、
タイヂスギ ゴゴ七ジフネツク ヤド ユキサキタノム
こう電報を打って置いてネ、僕は十一時十分の汽車で高松へ引返して、其所から七時半に定期船へ乗込んだのサ。そして三時頃に玉野君の所を敲き起したが、怪しからんじゃないか、電報は着いて居ないんだよ。どうしたんだろう? と思いながら取敢えず玉野君の所で泊めて貰って、八時過に朝飯を戴いていると、妙な男が玉野君を喚び出しに来たんだ。』
『妙な男が? 何の為にだろう?』
『玉野君は其男に、僕と玉野君との関係から太地家の事から詳しく訊かれたのだって、玉野君は知ってるだけの事は答えたそうなが、何だか気味が悪いから、僕に早く出て行ってくれろって言うんだろう、殊に玉野君のお袋は⦅此家は陸軍の恩給を頂戴してる家だから、いろんな疑いを掛けられて、恩給を頂戴出来なくなっては大変だ⦆ッて慄え上ってるんでしょう。僕も久し振に尋ねて行った友人から、出て行けと言われた時は本当に辛かったよ。けれども何様玉野君も教員という職で飯を食ってるんだし、一身上に不利益な事でもあってはならないと思って、十二時前に失敬したのだが、其時マダ僕が高松から打った電報が着いて居なかったよ。船脚の遅い汽船よりも十五時間後れてマダ電報が届かないんだもの、文明も科学も僕一人には何の役にも立たないんだよ、君。』
覚也は段々と昂奮して来た。伊賀は俯向いて机の上を掌で横に撫でながら、
『ふん、どうしたんだろうネ、それは、』と気の毒そうに言った。
『電報が着かなかったから、須基子さん達が何所へ宿ったか全く手懸りは無かったのだけれど、玉野君が妙な男に会った時其男が⦅ミカドホテルに宿っている太地須基子、古座ナオミを知っているか。⦆ッて訊いたというので、僕は早速ミカドホテルへ行って見たのだ。』
『ふん、それから?』と伊賀は好奇心を唆られたような調子で問うた。
『所がネ、太地さんには波止場から妙な男が三人も躡いたんだって、』
『太地さんにも? そんな事は無いだろう?』
『いや、本当だ、多分それは僕が多度津から玉野君に打った電報を調べた結果、須基子さん達を注意したのに相違ない。』
『じゃア、君は須基子さんに逢ッたのか。』
『ホテルではネ、こう言っていたよ、⦅何だか見ず知らずの人が躡いて来るようで、不安だからと仰しゃって、東京の方へお立ちになりました。⦆ッて、僕は落胆しちゃッたよ。』
『では、太地家はもう東京へ引越してしまったのだネ。』
『そうらしいから僕は東京へ行って随分聞合して見たが、ちっとも判らない。』
覚也は両の手で頭を抱えながら沈欝な顔付をして机の上を凝乎と見て居た。
『じゃア君、東京でもとうとう会えなかったのだネ。』
『僕は不快で堪らない事があったから、少々自暴自棄になって帰って来た。』
『不快な事とは?』
『僕は大阪の川口へ着いて以来今日まで丁度三十二の恐怖の影に付纏われたんだ。』
『恐怖の影? ふふん、解った、最前僕が此家へ帰る時、其所の四辻の所に二人立って居たよ。』
『実に不快だった、僕はもうやり切れない、一体あんな事をしてどうする積りだろう?』
覚也はゴシゴシと頭を搔いた。
『所が君、太地の娘さんに逢ってどうするつもりなんだい?』
伊賀は励ますような調子で覚也の顔を眺めながら言った。
『どうもこうも無い、一度本人に逢ってみて、本人が変心しているッて言えば僕は僕自身で自決すれば宜いんだし、本人が僕に対して愛情を維持していると言えば僕は誰が如何な反対をしようが極度の手段を尽す積りだ。』
『極度の手段?』伊賀は危むように問うた。
『そうさ、生命にかけても目的を果すのだ。僕はそうなると手段と方法を択ばない。』
覚也の眼は血走って来たが、果てはハラハラと涙を流して俯向いてしまった。
『解った。要するに君は信仰を失ったんだネ。』
『そうだ、在来のような信仰はもう僕の魂の中に芥子種程も残っていない。僕は僕自身の魂を信ずるだけだ。』
『石塚君、僕にはようく君の心が解る、僕にも其様な経験があった。僕は愛した婦人に全く捨てられたのだった。しかし君のはマダ捨てられたという訳じゃなし、前途に光がある。危険だ危険だ、君、用心しなけりゃ今に君は意識の統一を欠く、Black Monk の Kovrin のような幻を見ちゃ行けないよ。黒い影が何百何千出ようと其様なものに脅かされてはならない。石塚君、御互いは五年前に上野でやった天幕伝道時代の信仰に立返ろう、ネ、石塚君、僕に祈らしてくれ給え。』
伊賀は覚也の肩に手を懸けて涙を流しながら祈った。しかし覚也は冷やかに涙ぐんだ眼を睜って居た。
『石塚君、君の魂は今冷くなって居る。君は熱烈な恋心で須基子さんを慕っていると思うだろうが、それは嘘だ。君は今冷酷と猜疑と嫉妬とで総てを見て居る。太地さんが君を突放したと思って、君は怨んで居るんだ。君に付纏った黒い恐怖の影までが、君の恋を邪魔すると誤解してるんだ。君の話によると、その縁談というのは太地の婆アさんと死んだ田原君と君との三人が勝手に決めた話じゃないか。須基子さんの心にはちっとも触れて居やしない。間違っているよ君、須基子さんてマダ十六や七で恋も愛もあるものか、子供じゃアないか、時節を待つんだ時節を……』と伊賀は軽く覚也の肩を打きながら言った。覚也の心では『時子さんもそんな事を言ったッけ。』と思った。
『君、社会を愛し給え社会を、人類を愛し給え人類を、世の中には君の愛の手を待っているものが沢山々々ある。まず第一に須基子さんを愛し給え、本当に愛し給え、憤怒や嫉妬や猜疑を投げ捨てて……』
覚也は頂垂れて何か考え込んで居た。伊賀は優しい声で勝手の方へ行きながら、
『花子ちゃん! お茶を持って来て下さい、花子ちゃん!』と云った。
『はい。』と答えて十六七の円顔の娘が土瓶を提げて来てそれを机の上に置いた時、
『おうい、伊賀の馬鹿野郎……何だ? 耶蘇の馬鹿野郎……』と障子の外で呶鳴る者があった。花子は周章てて勝手の方へ逃げて行った。覚也は吃驚して障子の方を見ると、
『ワハハハハ伊賀の馬鹿野郎!』と言いながら障子を開けて上り込んで来たのは、五十恰好の大きな男で、垢塗れな薄汚ない単衣の胸を左右に開けて、毛むくじゃらな臑を剝出して畳の上に瞠乎と胡座をかいた。
『伊賀の馬鹿野郎、お花をどうする積りだい、さア返せ、今直ぐ返せ、あれは俺の子じゃ、煮て食おうと焼いて食おうと俺の勝手じゃ。』
『おい、吉岡、今日は幾等儲かった?』
伊賀は途方も無い返事をしたが、吉岡は最初の元気は何所へやら消え失せて、『先生、今日は一円儲かりましたよ、一円……』と急に善人らしい顔付をして笑った。覚也は吉岡を狂人だと思った。
『一円? また飲んだのだろう?』
『ヘヘヘヘこの通り、ちょッぴり引掛けて来ました。』
『困るなア君には……さア吉岡、讃美歌を歌おう、大きな声で歌うんだよ。』
十字架にかかりたる、主エスをあおぎ見よ……そは我が犯したる……
伊賀はベースの太い声であったが、吉岡は身体に似合わない美しい丸みのある声で、しかも正確な節で終まで一緒に歌った。
『さア、吉岡、お祈りをしてやる、静かにして居るんだよ。』
と言ったきり伊賀は何も言わないで黙って瞑目していた。吉岡も俯向いて眼を閉じていた。二分三分の後伊賀は極めて小い声で、
『天のお父様、この吉岡を可愛がってやって下さい……』と言ってまた黙ってしまった。
『先生、俺ア悪かった、矢張りお花をあアやって先生の所へ御厄介なろう、女郎に売飛ばすのは可哀相だからなア。』
吉岡はこう言って赭黒い手の甲で涙を拭いた。
『よしよし、僕が引受けた、さア送ってやるから帰れ!』
伊賀は吉岡を伴れ出した。覚也も物数寄にその宅へ行って見たが、二畳敷一室の割長屋には小い筵の切片が二つ敷いてあるだけで、笠もホヤも無い電気のコードだけが天井の真中からぶら下っていた。
隅の方に何だか黒いものが動いていると思ってよく視ると、其所には七八歳の女の児だか男の児だか判らない子供が膝頭を抱いて屈んで居た。吉岡は筵の上に胡座をかきながら、
『おい芳坊、先生だぞ、叩頭をしないか、おじぎを……』と云った。
芳坊と呼ばれた子供は薄暗い室の隅で、ゴソゴソと動いたと思うと、垢まみれの黒い顔の中から前歯の二本脱けた蝠蝙のような口を開けてニヤリと笑った。覚也はそれを見た時、身の毛が弥立つように思われた。
『先生、今晩は俺アこの芳坊を抱いて寝るからなア、心配しねえで下さいよ。』
『よし、お金は幾ら余ってるんだい?』
『屋賃を三日分払ったから、もう十三銭しきァ残っていない。』
『ではその十銭を寄越せ、米を貰って来てやるから。』
『頼みましょうか先生、お花に持たせて下さい。』
吉岡は帯に巻付けていた十銭銀貨を出して伊賀に渡した。伊賀はそれを受取って帰る途々こんな話をした。
『僕の所に居るお花って娘は彼の吉岡の娘なんだ。此間から女郎に売るッて言出したんで、僕は種々意見をしてお花を取敢えず引取ってあるんだが、彼の娘を売れば四十円五十円の金が手に入ると思うと、もう矢も楯も堪らなくなって僕の所へ乱暴に来るんだネ、其時僕はいつも彼の男と一緒に讃美歌を歌ってお祈りをしてやるんだ、そうすると四五日はお花を売ろうとする心が起らないんだネ、所がまたやって来るんだ。それから君、彼の男は去年の春から三回結婚したんだよ、三回! 驚くだろう? 最初の女はネ、五十幾つになる乞食で、布袋のように腹が膨れて居たんだ。二月程も同棲しているうちに死んだよ。僕はその女の葬式をしてやったが、一月も経つか経たないうちにまた苛い肺病患者を引張り込んで来てネ、彼の芳坊ッてはその女の伴子なんだが、それは三十七八の一寸美しい女だったが四十日程居て死んでしまったよ。それからまた六十余りの乞食を引張り込んだがそれは盲目安という按摩の妻で、吉岡と盲目安とが大喧嘩をしてネ、とうとう廿日程前にその婆アさんは盲目安に奪上げられてしまったんだ。それ以来吉岡は毎日酒ばッかり飲んで僕の所へ『お花を女郎に売ろう』と言って荒れに来るんだよ。君、吉岡はもうあれで五十七歳だよ、それでもネ、生の慾望というものは……』
伊賀がこう言った時、覚也は生来かつて見た事の無い不思議な世界へ引張って来られた事を知った。
『彼の芳坊はもう八歳だが、マダ生れて以来蒲団を着て寝た事がない。此間吉岡が二日も三日も家へ帰って来ないので、僕の所に伴れて来てやったが蒲団を出してやっても、それを敷いて長くなって寝る事を知らないんだ、最前見たように隅の方へ行って円く曲溜って寝るんだネ。』
『ふん、ふん』と言いながら聞いていた覚也の眼には伊賀が急に尊く見えて来た。
『石塚君、自然主義だの、デカダンだのッて、まだまだ浅薄だ、人間のドン底に入って見ると主義だの理想だのッて其様な生優しいものは無いよ。腐肉と黴菌と虱と南京虫と罪悪との巣窟へ入って、死にかけた人間が死にきれないで、生きたい殖えたいッて呻吟って居る様を見た日にゃア……ああああ何という恐ろしいこッたろう?』
伊賀は頭を少し前の方に傾けて憂わしそうな顔をした。
『有難う、僕は新しい世界を見た、君、暫く僕を宿めてくれないか。』
『南京虫に食われるぞ。』
『そんな事は覚悟の上サ。暫く置いてくれ給え。』
『腐肉の蠢動を研究し給え、しかし其所にも人間の霊魂は閃めいているからナ。』
言いながら伊賀は覚也の方を顧盻いて莞爾と笑った。
花環
『どうしたッてこうしたッて、我々は自分自身の力で何ともする事の出来ない大きな力に縛られて引摺られて行くのサ。』これは貞子が度々田原の口から聞かされた言葉であった。だから貞子は六月の七日に田原と三輪崎で訣れた時、田原の羽織の下にチラと見た縄目は自分の心から描いた幻覚だろうとは思いながら、夫の行先々でどんな変事が起ろうも知れないという心配は寝ても覚めても心の片隅から取除く事は出来なかった。だから九月の十八日に田原が死んだという簡単な電報を受取った時、驚くには驚いたが、何だかそれが飛んでも無い間違いから起った誤報であって、『何だッて、俺が死んだという電報が来たッて? それは面白い!』と云いながら、ひょッこり入って来るように思われてならなかった。
毎日の新聞を注意して見て居ると、田原の死因に就いて、宜い加減な当推量ばかり真しやかに書立ててあった。ある新聞には自殺だと書いてあった。しかし田原は決して決して自殺を企つるような性格では無かった。何とかいう英国の陸軍大将と軍国主義に就いて大激論をした末、その将軍の指図で絞殺されたのだとも書いてあった。けれども家出をしてからの田原にはもう軍国主義だの非戦論だのというような事で、生命がけの議論をするような客気は無かったろうと思われた。けれども某新聞には、田原が新嘉坡に上陸後間も無く労働者の大ストライキがあって、その騒動を鎮静に来た警官の為めに誤って殺されたのだと書いてあった記事はやや貞子を点頭かしめたのであった。
ストライキとはどんなストライキだったかその記事では明かに知る事が出来ない。けれどもその騒動は余程新嘉坡の官憲を驚かした大事件であったに相違ない。捕縛されて本国へ送られた中村や根本の残党がその騒動の張本人であったかも知れない。其所へひょッこり行合した田原が何かの間違いで警官の為に殺されたという事は決して考えられない事では無かった。
『そうだ、きっとそうだ、騒動には何の関係もなかったのだが、流弾に中って死んだのだ!』
貞子は心の中で独り決めにこう決めてしまったが、さて、いよいよ流弾に中って死んだのだと決めてしまうと同時に、急に生前のいろんな事が思い出されて、張り詰めて居た気も俄かに緩んで、もう何事も手に付かず、唯毎日毎晩泣明し泣暮すばかりであった。
そうして、涙の中に悲しい冬は過去って、新しい一月が来た。しかしお目出度いとも言えなければ、悔み弔いも言えない田原の家へは誰も来なかった。淋しい元日も貞子は泣き暮した。二日の朝音無が気の毒そうな顔付をして入って来た時、貞子は始めて思う存分の事を言って音無を怨んだ。家出をする前に田原から二度までもその決心を打明けられながら、何で自分にそれを言ってくれなかったか、もし其事を言ってくれたなら、例令その決心は翻えす事が出来なくとも、彼の事はこうこの事はあアと、ちゃんと決りをつけて置くのであったに……と貞子は始めて甘えるように泣いて見た。駄々を捏ねるように怨み言を並べて見た。
涙に誘われて居た音無は、思い切ったと云うような態度で、
『奥様! よく言って下さいました。僕も田原君から彼の事を打明けられた時、何とかして御引留してみたいとは思いました。けれどもそれは僕にどうしたッて出来ない事でした。何と言って宜いでしょうか、田原君は本当に宇宙の大勢力というようなものに、グングンと引張って行かれました。強い強い力に縛られて行くのでしたから、私はもう断念して居ました。しかし奥様、あなたはマダあの鳴野君の事は御承知ないのでしょう。』
『知りません。鳴野様がどうなさいましたの?』
『暮の二十四日に予審が決定になって、重罪公判に廻されました。高尾君も一緒に。』
『まア、どんな罪名で……』
『僕の友人が鳴野君の弁護をしてくれて居たのだが、今朝その弁護士から詳しい手紙が着きました。私はその手紙を読んで本当に驚いたのです。奥さん……』と音無は声を潜めて、『あの製材会社の放火はその犯人が鳴野君だという事に決定されました。そして光明寺の高尾君も共犯者として……』
『まア、いよいよそんな事になったのでございますか、だッて私はどうしてもそれを信ずる事は出来ませんワ。』言って貞子は賢しそうに眼を瞬った。
『僕もそう思います、しかし予審の結果は遂に有罪と認められたのです。光明寺の高尾君は最初から知らぬ存ぜぬの一点張りで押通しては居るが、家宅捜査の結果仏壇の下からダイナマイトを包んだ風呂敷包を発見されたのだから、どうしても言逃れようが無い。それから鳴野君の申立を一口に言えばこうなんです。鳴野君は熊野川で鮎を捕る為に鉱山の坑夫からダイナマイトを七本買った。それを風呂敷包みへ入れて光明寺の仏壇の下の戸棚へ隠して置いてあった。所が家宅捜査の際発見されたのは五本しか無かったとすれば、其中の二本を誰かに盗まれたに相違ない。それから鳴野君の労働服――あの法被と江戸腹掛と紺の股引――が彼の火事の晩に誰かに盗まれたと云うのです。だから弁護士はそのダイナマイトを売った坑夫と、その法被や股引を盗んだ男とを早く厳探してくれるようにと其筋へ掛合って居るんだそうです。ストライキを企てた連中の誰かが、鳴野君の法被を着てそのダイナマイトを二つ盗んで、あるいは無謀な事をやったのかも知れません。で、警察が鳴野君の申立に信を置いてその法被の行方を厳重に調べてくれたなら、あるいは鳴野君も高尾君も無罪になるかも知れないんだが……しかし困った事には……』と音無は左の掌で頰べたを撫でながら眼を畳の上に落した。
『困った事? それはどんな事でございますか。』
『弁護士も非常に困っている事が二つあるのです。その一つは鳴野君の家宅を捜査した結果、田原君から、ダイナマイトの事に就いて手紙を送ってあった事です。それから今一つは田原さんの始終取引なすった薬種店から爆発物の原料を、田原さんのお名前で買ってあるのです。だから弁護士も言うのです。鳴野君の申立は徹頭徹尾一貫しているから、決して彼の放火犯人では無い、しかし田原さんから爆発薬の事を教えて貰った事実があり、薬局からその薬を田原さんに内証で買った形跡がありとするなら、他に有力な反証が上らない限り如何ともする事が出来ないとこう言うのです。』
『まア、そんな事を宅は鳴野さんに教えたんでしょうか。』
貞子は疑うような眼付で音無の顔をジロリと見た。
『僕はその事実がどうかこうか知りません。しかし現にその証拠が押収せられて居るなら何ともする事は出来ないです。そこで僕は奥さんに申したい事があるのです。』
音無は何か大事件でも話し出すように坐様を直した。
『どんな事でございます?』と貞子も眼を睜った。
『そりゃア奥様は諦め言葉だと仰しゃるかも知りませんが、私はこう云う事を申上げたいのです。田原さんが仮令彼の時家出を思い止りなすった所で、矢張り今度の鳴野さん達の懸疑事件で大変な御迷惑をお受けになるのです。それはどうしたッて逃れられない事です。だから家出をなすッてあアいう運命に陥りなすッたのも、家に居なすっても、飛んでもない懸疑で彼是言われるのも結局は同じ事です。大変残酷で無情な話だと御考えなさるかも知れませんが、私は寧ろ田原さんが、ああして自分の思う通りの行動を執られた結果不慮の死を招きなすった方が、お宅に居られて、下らない放火事件というような事で憂目を見られるより、ずっと御満足だったろうと思われます。これは決して通り一遍の諦め話ではありません。奥様、私自身では田原君の亡くなられた事に対してこんなに考えているのです。それから……』と言いさして貞子の顔を見たが、貞子の眼には涙が一杯浮んで居た。音無は少し顫えを帯びた声で、
『あんまり苛い言葉だと仰しゃるかも知れませんが、奥様は田原君の亡くなられた事に対してそう諦めて貰いたい。それからあの庄平=田原の実兄=さんの事をお考え下さい、彼の方は可愛い幼子を三人まで残して夫婦一時に名古屋で地震の為に死んだじゃありませんか、哲子さんも丈太郎さんも俄かに父親に亡くなられたのは不便です、それは同情致しますが、彼の庄平さん夫婦の遺児であるエノクさんやピリポさんに比較して見ると哲子さんも丈太郎さんもあなたという母親だけ残っているじゃありませんか。で、奥様、僕に今一歩進んで言わして下さい。いよいよ田原君の亡くなった事が決定した以上、直ぐ起る問題は貴女方残る三人の問題です。田原君は僕にこう申しました。親類中は皆な一風変った人達ばかりなので、『なアに彼りゃア自分勝手に外国へ行ったのじゃないか。』と云って後の事は誰も手出しをしないかも知れないが、それは決して怨むべき事ではない。人には各々に担って行かねばならない運命があるんだから……と申されました。で、奥様、思い切って言わして下さい。この後始末を親類中が相談の結果、哲子さんは誰の所で丈太郎さんは誰の所でというように、二人を一人々々親類に引受けて育てる事になった結果、貴女の姓が田原で無くなり、元の鳥出の姓を名乗らなければならなくなった所で……それは其様な事はあろう筈はありませんが……例令そうなった所で、あなたは二人の生立ちを蔭ながらでも見て居る事が出来ます。哲子さんも丈太郎さんも、産みの母が生きているのだという希望を持つ事が出来ます。エノクさんやピリポさん達は其点に於て本当に可哀相です。しかし彼様に幸福に成長して行くじゃありませんか。物は取り様です、夫婦共一時に煉瓦に打たれて死んだ庄平さん達の事を考えてお諦めなさるより外はありません。僕の申上げた事がお気に障りましたら御免下さいまし、しかし僕はそう思うので、そんなに極端までのお覚悟を有たれる必要が確かにあると信じますから、思い切ってこう申上げたのです。』
音無は言終って吻と太息をついた。貞子は左の指先で鬢のほつれ毛を弄りながら俯向いて居たが、涙は引切りなく憂いに瘻れた両の頰を伝って流れた。
一月の廿四日に田原の遺骨は小い四角な箱に収められたまま送り届けられた。
さぞ、打湿った涙の中に親戚一同が悲嘆に暮れて居ることだろうと思いながら音無は二時頃に田原家へ行って見ると、どうしたものか騒動でもあった後のように、一家の中には非常に喧騒な空気が漂うていた。
『そんな馬鹿な事があるものか、我々が折角船まで行って迎えて来た遺骨を、屋根の上にでも天井にでも投り上げて置けとは何事だ!』色の浅黒い額の長い男は火鉢の縁を煙管の雁首で殴りながら言った。
『それは君が意味を取違えたのだ、兄貴は其様な意味で言ったのじゃ無いよ。』と言いながら縁側の所から出て来たのは東家エノクの弟ピリポであった。
『しかしそう言ったじゃないか、現に……』と憤怒に燃えた眼でピリポを睨みながら言ったのは田原の甥で、ピリポの従兄に当る治という男であった。
『言った、確かに兄貴は言った。しかし兄貴の考えでは遺骨という物は必ずしも棺に入れて墓へ葬らねばならないという規則も何も無いのだから、屋根の上に置こうと天井に置こうと差支えはないと言ったのだ。つまり其様な形式から自由にならねばならないと言ったのサ。』
『では葬式をしないでも宜いと言うのかい、そう言えば……』
側から一人の男が容喙をした。ピリポは少し笑い顔で、
『そうだよ、葬式というような事は、しても宜し、しないでも宜いんだ。叔父さんが現に此家で死んでいるのなら、そりゃアその屍体を焼くなり埋むなり何とか処分をせねばならないが、こんな一握りの灰になって帰って来た以上、この灰は此儘床の間に置いても宜い、簞笥の中へ収って置いても差支えないんだ。だから兄貴は君達のように葬式葬式ッて騒ぐのに反対するんだろう?』
『そんな乱暴な、まるで破壊な事を云う……』と治は腹立たしそうな眼でピリポを睨んだ。
『何だい、マダ愚図々々言ってるんか。』と大声で言いながら其所へ入って来たのは東家のエノクであった。
『どうしても治さんは棺箱と輿とを拵えて、それを担いで行列を組もうと云うんだ。』ピリポはエノクの方を眺めながら言った。
『輿を? そんな形式的な事は廃せ廃せ。』
『だッてもう大工が来て居るんだぜ、兄さん。』
『もう拵えにかかって居るのか。』と言ったままエノクは鉋の音する裏の方へ走って行った。それと見て治も後を追うた。
最前から口々の議論を黙って聞いて居た、中野という貞子の姉聟は、事容易ならずと見て取ったか、周章てて裏の方へ駈けて行った。
音無は硝子越しに裏口の方を見て居たが、何だか大声で二言三言争うような声が聞えたきり、ピタと人の声も鉋の音も聞えなくなった。そして中野とエノクと治とは黙って坐敷へ戻って来た。
『私は双方に理解があります。』と中野はエノクと治の顔を見較べながら、『エノクさんは畢竟亡くなられた田原さんの意志を尊重しようと仰しゃるのです。成程田原さんは私共にも度々そう仰しゃいました。自分が死んだら葬式という事をしてくれるなッて。あの晩雅楼で亡くなった太地の利雄さんを大変賞めて居られたのでした。だから全然葬式を廃そうと仰しゃるエノクさんの御心は私によく理解出来ます。しかし治さんの仰しゃる事も道理です。亡くなられた叔父さんの遺骨を成るたけ鄭重にそして立派な葬式になさろうと仰しゃるのは、それも最も至極な御考えです。で、私に其中間の説を立てさせて下さい。エノクさんの仰しゃる通り、棺箱だとか輿だとかいう事は廃して、そして明早朝葬式だけを鄭重に致しましょう。サ、そうして両方の説を折衷致しましょう。』
中野が双方をこう調和した時、エノクは直ぐ、『それはそうしても宜いでしょう。』と言った。治も遂にその折衷説に賛成した。
葬式の相談だけにでも彼れだけの争論があるとするなら、此後彼の一家の後始末に就いてはどんな口論が起るかも知れないなどと思いながら田原家を出た音無は、翌朝疾くその葬式へ立合った。
一家親族の主立った人々が二十人ばかり、もう座敷に円座を作っていた。東京に居るのだという田原の唯一人の姉である美知代というのも来て居た。昨日口角沫を飛ばして喧嘩したエノクも治も今朝はもう仲の善い従兄同志として、いろんな事に斡旋して居た。
三人兄弟が二人まで変死して、唯一人生残っている盛久という田原の兄が、死生観というような事を簡単に語った。その話の要点は⦅木の葉が一枚散るのも、獣が一疋死ぬのも、人間が一人死ぬのも皆なそれは神の定めた法則に遵うのだから、その死様がどうであろうがこうであろうが決して悲しんではならない⦆と云うのであった。
音無も簡単な弔文を読んだ。そして治とエノクとピリポとは途中代り代りに遺骨を納めた小い箱を提げて南谷という墓地まで行った。一行が小山の麓まで行った時に、右手の茅原がボソボソと動いたと思うと、其所から大きな一疋の犬が飛び出して来て、突如貞子に跳び縋りながら、ワンワンと頻りに吠えた。
『まア、ブラウ?』と貞子は顔色を変じて裾模様の汚れるのも気にしないで犬の頭を撫でてやった。ブラウは田原が家を出る時、貞子の俥の後に躡いて三輪崎まで走って行ったきり、其後ちッとも姿を見せなかったのであった。
『お前は彼の日から今まで何所に居たんだ? え? ブラウ!』
貞子はこう言って凝然とその頭を見詰めて居たが、『何所から帰って来た?』と言いながらハラハラと涙を零した。もし傍に人が居なかったなら、『お前はきっと主人の行衛とその最後を見て来たに相違ない。サ、詳しく話して下さい。』と言ってブラウの首を抱いて泣いたに違いない。
やがて一行は山の上に登った。二坪ばかりの小い墓場には地震の為に変死した庄平夫婦の墓石があって、その右手に小い穴が掘られてあった。人夫は治の手から遺骨の箱を受取ってそれを埋めた上に二尺ばかりの小い木標を建てた。
田原清一之墓という文字を書いた木標が貞子の眼の前に白く明瞭と見えた時、去年の九月以来、疑問の裡に過して来た田原の死という事が、始めて判然と意識された。
『とうとう亡くなられたのだ!』こう思った時貞子はグラグラと眼が舞うように感じて、傍に立って居た従妹のお絹の肩によろよろと跟蹌けかかった。
貞子は初めてハッキリと夫に死訣れたと思うと、その墓標の前に跪いて両手を合せてそれを拝みたかった。しかし三尺ばかり小高い所に立って居た義兄の盛久が『拝むのじゃないよ。』と言ったので、余儀なく墓標を見詰めたまま立って居ると、音無はピリポの持って居た小い花環を貞子に渡して、『これを彼の慕標におかけなさい。』と言った。
貞子は音無の言葉を聴いた時、救われたような嬉しさを感じながら、その花環を掛ける為に一歩墓標に近づいた。貞子は産れて初めての言い知れない恐ろしいとも悲しいとも判らない感情でその花環を墓標にかけながら、『あなたは亡くなったのですネ。』と心の中で静かに言って熱い熱い涙をポトポトと土の上に落した。お絹はもう堪らなくなって声を立てて泣出した。音無もハンケチを眼に押当てて俯向いてしまった。
ザワザワと薄の枯葉が動いたので、一同が吃驚して横手の方を見た時、二十前後の青年が盛んに煙の立登る一束の線香を手にして枯草の中から出て来た。
『誰だろう?』と思って居るうちに、青年はその墓標の前に線香の一束を供えて『先生!』と喉の張裂けるような声で一口叫んだまま土へ食い付くようにして頂垂れて居たが、やがて起上ると同時に狂人のように草原を下の方へドンドンと走って行った。しかし一同の中に其青年を見知った人は一人も居なかった。
『さア帰ろう!』と言ったのは盛久であった。一同は残惜しいというよりも寧ろ物足りないと云う感じで、見返り見返り墓地を離れて山を降りた。山の中ではブラウが頻りにワンワンと啼いていた。
上京
音無が伊賀に見送られて三ノ宮駅から新橋行の汽車に乗込んだのは午後の九時であった。
『石塚君に会いたかったのだが残念だった。君から宜しく言って下さい。』
音無は窓から首を突出しながら言った。
『あの聖書会社の社長は、なかなか太ッ腹だから大丈夫だよ。石塚君の方は僕が引受けて置くから、君は上京して太地家の行衛を調べ出して彼の結末をつけてやってくれ給え。』
『何とかして調べて見よう。そして君まで手紙を出すかあるいは帰途に立寄って詳しく話すか何れかにする。』
言って居る時、インバネスを着た三十五六歳の色の白い男が音無と伊賀との会話しているのをチラと眺めながら列車の中へ入って来た。
『来たぞ!』と伊賀は小声で言った。音無は『うん、』と点頭いたが、その途端に相図の笛がピーイと鳴って汽車は静かに動き出した。
『左様なら!』と言いながら音無の手を確と握った伊賀は、『音無君、短気を起さないでネ。』
『安心し給え、海千山千の僕だから。』
『左様なら。』伊賀はじっと汽車を見送って居たが、汽車が構内を出てしまった頃、窓から首を引込めて、座席に腰を卸しながら、最前の男を見ると、男は一間ばかり向うの方で頻りに赤新聞を読んで居た。音無はこの男が何所まで行くのか、そして交替の時、どんな合図をするのかそれを知り度いものだと思った。
九時四十六分に汽車は大阪駅へ入った。すると其男はマダ汽車の動いて居る内に、窓の中から首を突出して、プラットホームの方を見て居たが、汽車の停った時、右の手にハンカチーフを握ってそれを一寸差出した。すると乗客の群から二三間離れて立って居た洋服姿の男が同じく白のハンカチーフを一寸振った。そしてインバネスが汽車を出て洋服に小い手帳のようなものをそっと手渡したが、洋服はキョロキョロと四囲を見廻しながら入って来て音無の右隣りへ腰を掛けた。
『御苦労様ですネ。』と音無が笑いながら声をかけると、『やア、どうぞ悪からず。』と洋服は一寸帽子に右の手をかけて会釈した。京都駅でも大津駅でも同じ方法で交替したが、彦根へ着いた時、大津から来た和服の男は頻りに窓の外を眺めて居ても、一向交替らしい男が来なかった。ブツブツと口の中で何だか呟いて居たが、汽車を出て窓の外で頻りに改札口の方を眺めて居ると向うから色の白い若い男が息せき駈けて来て、
『終列車だッて電話が掛ったもんだから、主任は居ず大魔胡つきサ。』言いながら長いマントの前を一寸開けて、金釦を見せてハハハと軽く笑った。
『馬鹿な、終列車は此駅へ停車しないじゃないか。』
『ねエ、主任は少しボンヤリだから。』
マントは急いで列車に入って来て、音無の前に腰を掛けた。余程周章てて駈付けたと見え、頻りに額の汗を拭いて居た。
汽車が十分ばかりも闇を縫って走ったと思う頃音無はポケットから名刺を出してそれをマントの前にそっと差出しながら、『どうも御苦労さまですなア。』と言った。マントは周章てて鳥打帽を一寸脱ぐ真似をしながら『はあ、どうも……』と言いながらその名刺を受取った。
『どうも御苦労さまですナ。』と音無は同じ挨拶を繰返した。
『いいや、あなたこそ御迷惑でしょうが、どうぞ悪からず……』
『掏摸の用心になって安心ですよ。』
『しかし御察し申します、御迷惑の点は……』
『それは実の所嬉しいものじゃアありませんが、あなた方だッて愉快じゃア無かろうと思います。』
『実の所、私共はこうして貴方がたに近寄っては不可いのです。あなた方の御自由を束縛してはならないんですから。』
『君はこうして我々に躡いて来るのが専門ですか。』
『いいえ私は専門じゃありません。だからヘマな事をやりましてネ、時々……』
『ヘマな事? どんな事をなさいましたのです?』
『二月程前でした、私は余りお気の毒だと思って、同情し過ぎた結果、見失いましてネ、月給百分の二十をフイにしましたよ。』
『僕は逃げも隠れもしないから安心し給え。』
『有難う、まア可愛がって下さい、罰俸を食えば年末賞与が無く、お負けに昇級出来ないと来るのですから。』
『どんな種類の人達にそうやって躡いて行くのですか。』
『そうですナ、純粋の発狂人、直奏狂、顕官に漫りに面会を求める者、○○人、それから近頃は敬神狂というのが時々あります。これは一番始末に終えない連中で、何かと云えば神国々々言って途方もない事を仕出かしますからナ……』
『では僕はどの統系に属するんだろう? 矢張り敬神狂の方でしょうか。』
二人は声を揃えてハハハと笑った。
『失礼します、もう直きですから、』と言ってマントは昇降口の所へ出て行った。
米原で入って来た男は頭の少し禿げた四十男で、長い旧式の羽織の紐を弄りながら、
『あなたですか、どうした事です?』と笑いながら言うので、あるいは其男が知人ででもあるのかと思って凝乎とその顔を見ていると、
『お顔を見ると直ぐ躡いて行く必要があるか無いかが解りますよ。』と云って煙草を吹かし初めた。
『顔で区別出来るのですかその人の思想が……』音無は笑いながら問うた。
『そうですよ。躡いて行く必要があるお方なら、其方のお顔は大抵悲観しています。貴方のように円満な人相のお方は其様な必要はありません。』
『では僕の思想も顔のように円満だと仰しゃるんですネ。』
『そうです、私共は人相を観ると直ぐ其人のお心の底まで解ります。』
二人はいろんな話を三十分も続けたが、そのうちに音無は睡くなって、窓へ頭をもたせたままうつうつと眠ってしまった。
名古屋々々々! と呼ぶ声に眼を覚した時、もう其男は前の腰掛に居なかった。それから豊橋、浜松、静岡、沼津の各駅でそれらしい男が交替に入って来たが、別に話かけもしなかった。
翌日午前十時十分に汽車は国府津駅へ入った。音無は窓から首を出して交替の男を見ていると、大島総の羽織を着た丈の高い顔の細長い男が入って来て、
『貴方が音無信次君ですか、打解けて話しながら参りましょう、私は名刺を差上げたいのですが、差上げる訳には参りませんから、一寸御覧下さいませ。』と云って細長い名刺を音無の眼の前に差出して直ぐそれを引込めた。名刺には海崎種次郎と書いてその右に長々しい肩書があった。
二人は打解けていろいろ話して居るうちに海崎は音無の顔を覗きながら、
『どうせ貴方は私の近くに御宿りでしょうから……』と意味ありげに言った。
『貴方のお近く? 貴方は何地にお住いですか。』
『僕は芝の今里町です、もう彼所に四年ばかり住っています。』
『そうですか、僕は麹町の方に行きます。』
『麹町へ? あの太地さんの所へ御泊りじゃないんですか。』
音無は不意打に太地という言葉を聞いたのでギクリ! とした。そして慄えた声で、
『太地? あの太地お常さんですか。』と問うた。
それ見よ、隠したッて駄目だと言わぬばかりに海崎は得意らしく、『彼所へ行らッしゃるんでしょう? あの猿町の太地さんへ。』と言った時、音無は図らずも太地の住居が知れたので、胸の動悸を静めながら、出来るたけ沈着を見せつつ問かけた。
『太地さんは猿町のどの辺に居られますか。』
『四十八番地で、共栄女学校の裏手です。』
『そうですか、大伴さんも御一緒に居られますか。』
『大伴時子さんですか、彼の方はお一人で台町の方に居られます。』
『別居して居るのですか、彼の時子さんは……』
『そうです、太地さんの所は家庭教師と娘さんと三人暮しです。』
『堅爾君は京都の方に居られるのでしょうか。』
『堅爾君? 時子さんの夫でしょう?』
『えエ、そうです。今何所に居られます?』
『彼の方は疾ッくに亡くなられましたよ。』
『え? あの大伴堅爾君が亡くなられた?』
『それはもう半年も前の事です。あなたはマダ御存知無いのですか。』
『知りません、ちっとも知りません。それは驚いた、どんな病気で亡くなられました?』
『どんな病気ッて随分悲惨でしたよ。』
『悲惨? どうしたのですか。』
音無は根掘葉掘り問うたが、海崎はとうとう明瞭と言わなかった。
二人は横浜駅で下車した。改札口を出た時音無は海崎を顧盻きながら、
『君、僕はお願いしたい事があるんだ。実はネ、君も予て聞いて居られるでしょうが、彼の太地家が東京へ移転する一原因になった田原清一君の未亡人ネ、その未亡人が今度何所かの神学校へ入学したいと云うので、僕は実の所その用件で上京したんだが、』
『はあ、そうですか、それは大変結構な事でございますネ。』
『所がだ、最初神戸の方の神学校へ入学する手筈になって居たのだが、僕が交渉中に君達のような方が訪問したので、学校では急に恐けづいて謝絶されてしまったのだ。だから横浜へ行っても僕の交渉が済むまで訪問しないように君から先方へ話してくれる訳には行かないでしょうか。』
『宜しい、宜しい、僕は程よく言って置きます。その学校ッてのは何所ですか。』
『山手通りの二百九番地です。』
『では本牧行へ乗って行けば宜いのですから其所までお伴致しましょう。』
二人は本牧行の電車へ乗ったが、小いトンネルを通り抜けた所で下車して坂路を左の方に登った。坂の登り口に二階建の小い家があって、その表に『秘密探偵社』という四角な金文字の看板が懸って居るのを見た時音無は蝙蝠傘で一寸その看板を指しながら海崎の顔を見て冷たく笑った。海崎は頭を搔きながら、『違いますよ、僕達はあアしてお金を儲けるんじゃアありませんから……』
『失敬々々、僕はそんな意味で言ったのじゃありません。』
二人は張の無い声で笑った。やがて坂を登り詰めて右へ左へ曲りながら二百九番を訪ねあてた時、海崎は、
『じゃア失敬致します。又東京でお目に懸りますから……』と言って門の所から引返した。
音無が玄関へ行ってベルを押すと、其所へ出て来た女学生は、吃驚したように、
『まア音無先生じゃアありませんか。』と云ってツカツカと側近く進んで来た。
『木田さんですか……そうそう貴女はこの学校に居らッしゃるんですネ。』
『すネエは驚くじゃアありませんか、私、もう此校に二年も居ますのよ。』
『それは宜い、実はネ僕はあの田原の妻君を此校へ入学させて貰おうと思って来たのですよ。』
『田原の奥さんが? そう……』と言ったが思い出したように、『まア何卒お上り下さいまし、今舎監の方をお呼び致しますから……』
音無は応接室に導かれた。木田は裏の方ヘトントンと廊下伝いに走って行ったが、やがて小柄な顔のまん円い四十格好の女が入って来て、丁寧に挨拶をした。
音無は手短かに貞子の略歴と希望とを陳べて校長への紹介を頼んだ。
舎監が出て行って間もなく廊下に靴の音が聞えて、少し紅ら顔の胸の張った三十五六とも見ゆる金髪の婦人がドアを押して入って来た。
『まア、音無さん? 私、フラワアです。山田に居らッしゃるミス・ライカから貴方と田原の奥さんとが此方へ行くかも知れないからッて詳しい紹介状が参っています。』
『そうですか、それはどうも……』
音無は感謝の念が心の底から湧上って来た。それは神戸の学校へ入学の手筈が喰違って当惑している時、ふとミス・ライカに出会って其理由を話したのだが、其時ライカは横浜にこういう学校があるという話をしてくれただけで、別に紹介状を書いてあげるとも何とも言わなかったが、其様な親切な先廻りをしてくれてあったのかと思った時、本当に嬉しかった。
『何時こちらへ?』とフラワアは溢るるような愛嬌を顔に湛えながら言った。
『十一時二十分の汽車で……』
『そう? 田原さんも御一緒に?』
『子供も二人ありますし、とにかく入学を許可されるかどうか御伺い致しました上で電報を打つ心算でございます。』
『否エ、その御心配要りません。ミス・ライカの御手紙で悉皆私、事情を知っています。可哀相ネ本当に、私共は其様な境遇に居なさるお方を保護しましょう。二人の子供さんは信者のお方が預って下さいます。奥さんは寄宿舎へ入って一生懸命に御勉強なさるが宜しいでしょう。私、もうちゃアんと心の中でお部屋まで用意してあります。』
音無は重荷を卸したようにほっと安堵の思いをした。
『では入学を許可して戴けますか。』
『ええええ宜しいとも、お子さん達の事も私、何とかきっとお世話致しますから。』
『どうも有難うございました。』
音無は心から嬉しそうに頭を下げた時、ドアをノックする者があった。
『どなた。』とミス・フラワアは声をかけた。
『木田です、お差支ありませんですか。』
『木田さん、どうぞお入りなさい。』
ドアを開いて木田はニコニコ笑いながら入って来た。
『木田さん、音無さんはお国の方ネ。あなた田原の奥さん御承知?』
『ええええようく存じています。』
『近い中に此校へ来ます、嬉しいでしょう?』
『いよいよ来られますか、本当に嬉しいですワ。』
話して居る所へ小使が来て、怪訝な顔付で音無を覗き込みながら、
『このお方が音無さんにお目に懸りたいと申して表にお待ちですが、此所へお通し申しましょうか……』と言った。音無はその名刺を見た時、今までの安心も希望も何所かへ飛散ってしまって、むらむらと腹立たしくなった。
『いや、僕が出て行ってお目にかかります……』
音無は校長と木田とに、貞子が上京したなら直ぐ同伴する事を約束して、二人の子供の事をくれぐれ頼んで置いて玄関へ出た。ミス・フラワアも木田も其所まで送り出して来た。
『左様なら!』と挨拶して芝生の所まで来ると其所には自転車を片手で押えながら、玄関の方を眺めつつ音無の出て来るのを待構えて居る二十七八の洋服姿の男が立っていた。
『あなたが音無さんですか。』
『そうです。何か御用事ですか。』
『二十二日に鳥羽から汽車にお乗りなさいましたですか。』
『いいえ、僕は神戸から来たのです、そんな事を訊いてどうするんです?』
『田原の未亡人は何というお名前ですか。』
『貞子というんです。』
『お年齢は?』
『其様な事は宜いじゃないか君、近々に此校へ入学したら直接に訊けば判るじゃないか、マダ入学もしない前から、そうほじくられちゃア困るよ君、神戸でもその手で閉口したんだから……』
『いや失礼しました、ではお出でになってからお伺い致しましょう。』
男は自転車を推して外へ出て行った。最前からこの有様を見て居たミス・フラワアは心配らしく駈寄って来て、
『Detective?』と言った。
音無は Yes と言って宜いか No と言って宜いか一寸途迷うていた。
音無は帰り途に、横浜駅から貞子宛に、『ニウガクデキル三ニンツレテスグタテ』と電報を打って置いて、プラットフォームへ行って電車を待っていると、
『大層お早うございましたネ。』と言って後から声を掛ける者があるので、吃驚して振返って見ると其所には海崎がニタニタと笑いながら立っていた。
同情
音無は富士見町の淀野宅へ行って玄関のベルを静かに押して取次の出て来るのを待っていると、障子がサラリと開いたと思うと、
『おや! まア音無さんじゃありませんか。』と言ったのは派手な明るい縞柄のお召に、紫縮緬の羽織を着た夏子であった。
『やア、奥さま突然お伺い致しまして……何所かへお出かけじゃア有りませんか。』
『いいえ、今日は丁度約束の物を一つ書き上げたので、今までお客様といろんなお話を致して居たのでございます。』と言って夏子は音無の顔を眺めながら、『今、もう音無さんのお出でる頃だろう? ッて、宅と話して居た所でございました。さ、何卒お上り下さいまし。』
『どうして其様な事を?……』
『そんな予感がありましたので……』
夏子が嫣然笑って居る時、中廊下の所から若々しい顔を出した淀野は、
『やア、音無君、よくいらッしゃいました。今も家内と君の事を言って居た所だッた。さ、上り給え。』と言いながら、玄関へ出て来て、『君も偉らくなったもんだ、今朝から三度もマダ着かないか、マダ見えないかッて天からお調べがあったよ。』
『あ、そうですか、読めました。読めました。今もそのお使いに送られて此家まで来たのです。』
『御迷惑でしょうネ、随分……』
『いいえ、不案内の所へ行くには却って便利です。』
言いながら音無は淀野に案内されて二階座敷へ上って行った。程なく夏子も入って来て三人は卓子を囲んだが、淀野は悉皆心の戸を開いたというような顔付で、
『時に今度は何の御用で御上京なすッたのですか、牧師の会合でも……』
『いいえ、例の田原君の一家の事で……』
『田原さんは新嘉坡で本当にお気の毒な事でしたワネ、そしてその後をどうなさるのでございますか。』
夏子は同情深い眼で音無を見ながら問うた。
『今度、未亡人が伝道学校へ入学する事に決心なすったので、その掛合に来たのです。』
『尼さんになるのですか。』と淀野は少し驚いたように言った。
『そうです、暫く浮世を逃れて専心宗教を研究して見たいと申すのです。』
『どうしてまた其様な事を思い立ったのでございますか。』
夏子は心配そうに問うた。淀野も『ネエ?』と言って夏子に調子を合せた。
『田原君の亡くなった後で、いろんなガタガタがあって、貞子さんもつくづく故郷が嫌になられたのでしょう。』
『御親類に東家さんというような富豪があるじゃありませんか。』
『そうです。だから田原君の残してあった幾許の貯金を東家君に供託して、月々それで三人が食べて行かれるだけのものを利子として貰う事にしたのです。』
『そうですか、それならまア御結構でございますワネ。しかし学校は何年で卒業でございますか。』
『三年です。そしたら独立して所謂バイブルウーマンになるのです。』
『バイブルウーマンッて、どれ程の俸給で傭われるものでございます?』
『まア精々十二三円ですネ。』
『唯ッたそれッぱかり? 本当ですか。』夏子は驚いたように眼を円くした。
『そうですよ、日本の牧師給が、平均二十四五円ですからネ。今から七年前に海老名弾正君が本郷教会で四十円、植村正久君が番町教会で唯ッた二十五円だったのですからネ。』
『牧師ッて其様に薄給なものですか。』と淀野は呆れたように傍から容喙をした。
『そうですよ、僕なんかも、一ヶ月に日曜学校だとか祈禱会だとか云って平均二十回の集会をするが、俸給二十五円だ。しかし一回の集会に対して一円廿五銭の謝儀をくれるという事は本当に感謝すべき事ですよ。まア考えても御覧、一体日本の習慣というものは、鐚銭一文を神仏の前に投げて天下泰平五穀成就家内安全を祈ったのですもの。』
『とにかくそれではお気の毒ですネ。』と夏子は少し頭を傾げて何だか考え込むような風をした。
『音無君、久し振だから何所へ行って一緒に御飯でも食べて来よう。そして此家へ宿り給え。』
淀野がこう言った時音無は心から嬉しそうな顔をして、
『有難う。しかしエスピヨンが来ますよ。』
『大丈夫、其様な事に対しては僕等夫婦は何とも思って居やしない。』
『有難う、では四五日御厄介になります。』
音無は初めて寛いだように椅子に凭れかかって壁の油絵を眺め廻した。
翌朝音無はミス・フラワアから一通の手紙を受取った。それは是非面会したい事が出来たから直ぐ来てくれとの意味であった。で、朝御飯を済すと直ぐ横浜へ出かけて行った。貞子の入学が俄かに許されないと云うのでは無かろうかあるいは子供を預る人が出来たから其人に会えと云うのでは無かろうか、などと車中でいろんな事を想像しながら伝道女学校へ行って見ると、ミス・フラワアは少し当惑したような顔付で音無を迎えて、
『音無さん、私、田原さんネ、是非御世話したいのですよ。しかし子供さんを預る家が見付からないので困ります。どうしましょうかネ。』と言った。
『寄宿舎へ一緒に入れて下すったら如何でしょう?』
『それがネ、お一人が坊ちゃんでしょう。私の学校では男のお子は決して預らない事に決めています、今までよく十一二になる男の子を伴れて寄宿したいッて申込がありましたが、私それを御断りしましています。』
『では舎監のお方の自宅へお預り願えませんでしょうか。』
『私、最初からその心算でした。けれどもそれが……』
音無には大体の様子が解った。昨日の男が舎監の所へいろんな事を訊きに行ったので俄かに恐気がついたのだと想像された。で、それから一時間ばかり種々と相談したが、結局音無の思う通りにならなかった。
『ネ、音無さん。私本当に田原さんを入学させて上げたいのです。お子供さんの事を何とかお考え下さいまして、田原さんを此校へお入れ下さい、私、十分お世話致しますから、』と言ったフラワアは愛嬌のある眼で音無の顔を凝然と見詰めながら『ねエ、お国にはいろいろの習慣がありますから……私は小鳥のように自由ですが……』
音無は黙って考えて居たが、ふと昨日出会った木田の事を想い出して、
『今日は土曜で学校もお休みのようですから、私、木田さんと御相談致します。』と言った。
『それは宜しいです、此所へ木田さんを呼びましょう?』
『いいえ、私はこれから友人の佐藤君を訪問したいので、木田さんに案内して戴きます。』
『そう? では木田さんにもその子供さんを御預りする家を考えて置くように言って下さい。』
『えエ、無論御相談して見ましょう。』
音無は校長と握手して訣れた。
『木田さん、矢張り母子別々に暮すッて事は善く無いネ。』
音無は公園のベンチに腰を掛けながら言った。
『駄目ですよ、先生そんな事が出来るものですか。本当に心からお世話して上げたいと言って彼の哲子さん丈太郎さんをお預りした人があったとしても、長い年月の間にはきっと紛擾が起るに決っていますワ。それに強って預って下さいッて頼んでそれが旨く行くものですか。』
『ねエ、僕もそう思う。どうしようか知ら、もう電報を打ったのだから、家を畳んで四五日中には新宮を出立するだろうし、と言って今更見合せよと言ってやる訳には行かず……』
『先生、田原の奥さんは、どうして俄かにお子さんを抱えて伝道学校なんかへお入りなさろうと決心なすったのです?』
『それには種々込入った事情があるんだよ、なにも単に亭主に死なれたからと云うばかりじゃ無いんだ。』
『ねエ、そうでしょう。何か深アく感じなすった事があるに違いありませんワネ。どんな事なんです? 先生は御存知でしょう?』
『知ってると云えば知って居るんだ……人生てものは随分可笑しなもんだ。』
『どんな動機で新宮を引払いなさるようになったの?』
木田は音無の側へ摺寄るようにして腰を掛けた。
『人間てものは大きな敵よりも案外小い敵に恐けるもんだネ、僕は近頃つくづく其様な事を考えてる。』
『大きな敵小い敵ッてどんな事?』
『貞子さんの事で考えて見てもそうだ。田原君がフイと家を出てしまったのは去年の六月だった。そりゃア一家の大黒柱に行衛不明になられたんだから、貞子さんの悲しみッてものは譬えようの無い程でしたろう。けれども貞子さんはジッと持堪えたです。健気な程確乎した覚悟で居られました。それから九月の中頃に田原君が亡くなられたという電報を受取った時も、マダ貞子さんは覚悟の臍を固めて、どうしたッて自分は此所に踏止って二人の子供を育て上げて立派にして見よう。世間が何と言おうが鹿と云おうが、飽までこの町で戦って見ようというような勝気が有り過る程ありました。
この一月の二十四日に田原君の葬式をした後で、あの船町の家を引払って、東家のピリポさんの有っている中ノ町の宅へ引越したのですが、ピリポさんの兄さんのエノクさんも種々と骨を折る、土岐の治さんも同情して何くれと尽して居たが、何様あなたも知っての通り彼の一族は頗る自我の強い人達ばかりですから、貞子さんも余程苦しかったでしょう。全く我々には想像も出来ないような事件が三日にあげず突発して、それが為めに貞子さんは毎月何度泣かされたか知れない。しかし貞子さんは其様な内々のゴテゴテや角突合は、ウンと歯をくいしばって我慢して居たが、一つどうしても堪え切れない事件が起ったのです。』
『堪え切れない事件? どんな事?』
『それが僕の所謂何でも無い事件なんです。たしかこの七月頃でした、僕は久し振りで貞子さんの家をお尋ねして玄関から案内を乞うと、出て来た貞子さんは真紅な顔をして、黙ってこう右の手を振るのです。僕は何か大事件でも起ったのだと思って直ぐ引返したのですが、矢張り気懸りですから夕方また伺って見ると、貞子さんは何時に無くゲッソリ悄気込んで居るのです。どうなすったのですかッて尋ねても何とも言いませんでした。理由は申されませんでしたが、何となく其後貞子さんは滅入って行くのでした。僕もどうかしてその原因を知りたいと思って気をつけて居たのですが、二月程以前にこんな事があったのです。』
音無はオヴァアコートの襟を一寸直しながら木田の顔を横目に見た。
『どんな事が?』木田は貞子の身の上に落懸る大事件を予想しながら訊いた。
『それがまた何でも無い事なんだ。僕は二月程以前に東家君と二人が高芝村へ旅行して彼所の串本屋へ泊ったのです。』
『串本屋、ああ私、知ってますワ。』
『あすこの妻さんと東家君との会話を僕は傍で黙って聞いて居たのですが、あの妻さんはなかなか確乎者ですネ。』
『えエ、偉アい妻さんですワ、何でも旦那さんに死訣れなすッたんでしょう?』
『そうだッて、夏の熱い日に鰹魚を釣りに行ったきり、帰って来ないんだそうだ。屍体も上らなければ舟も見えないんだッてネ。』
『そう? そんな悲惨があったのですか。』
『処が、あの妻さんの言う事が面白い。⦅もうそれから十三年にもなるんじゃが、どうしたッて亭主が死くなったとは思われん、海へ落込んだのなら海の底で無事に生きて居る様に思う。誰でもお前の亭主はこの下に居ると教えてくれる人があったら、私は今でも其所から海の中へ跳び込んで見る。⦆ッてこう言うんです。つまり死んだと思われないのが、あの妻さんの生命なのだネ。』
『では亡くなられた主人は妻さんの心の中に明瞭生きてらッしゃるんですネ。』
『まアそうなんでしょう。妻さんと東家君とは十二時頃までいろんな話をして居たが翌朝僕達は森浦まで引返して来て、彼所で巡航船を待つ間に東家君は海の景色を二枚写生した。やっと十二時頃に巡航船が着いたので、僕等は五六人の旅客と一緒にそれへ乗込むと、運転手が出て来て、僕達に次の船まで待ってくれろッて言うんでしょう。機械に故障でも出来たのかと思って理由を訊いて見ると、この船へは普通のお客様を乗せないッて言うのです。』
『普通のお客様? どんな事なんです?』
『ねエ、面白い言葉でしょう。東家君はその言葉が癪に障ったと見え、普通のお客様を乗せないで誰を乗せるんだい! と言ったのです。すると船室の中から八字鬚を伸した赤ら顔の大きな男がひょいと顔を出して直ぐ引込んでしまったのです。東家君はその男の顔を見た時、大声で、⦅何故我々を乗せないんだ、理由を言え!⦆ッて呶鳴ると、運転手が東家君を宥めるように、『今日は鉄道院から局長さんがお出でになったので、佐原さんがこの舟を借切ったのですから、何卒次の船までお待ち下さい。』ッて頼むように言うのでしょう。其時僕はもう浜へ降りて居たのです。しかし東家君はなかなか降りないで頻りに大声で佐原とかいう男を罵倒していました。しかし幸に其所へ巡航船が一艘入って来たので、僕達はそれへ乗って帰ったのです。それから僕は翌日貞子さんを訪問して串本屋の妻さんの話やら佐原という人と東家君との呶鳴り合った事を詳しく話したのです。僕は何の気無しに面白可笑しく話したのですが、貞子さんはその話しに大変感激してしまってホロホロと涙を零しなさるんでしょう。』
『どうなすッたのでしょう? それは……』
『それは僕にも解らない、が、しかし大体は察しられる、串本屋の妻さんが亭主は死んだと思わない。矢張り海の中で無事に生きて居ると思うと云った言葉が貞子さんの神経を非常に刺激したらしい。それから貞子さんは佐原という人の事に就いて私にこんな事を話しました。
⦅この夏あなたがお出で下すッた時、私は玄関からお帰り下さいッて手真似で申したでしょう、あの時は佐原さんがお出でになッて居たのです。)
貞子さんはそれだけ言って暫らく黙って俯向いて居られたが、とうとう一時間ばかりもかかって私に佐原さんの事を詳しくお話しなさいました。それはつまり佐原さんが若い頃、貞子さんのお隣りに住っていて、ようく貞子さんを知って居たというのです。その佐原さんはもう立派な養子もあり孫もあるような身分ですが、貞子さんの所へ来て度々いろんな事を言ったのだそうです。子供二人の教育を引受けてやろうとか、そう欝いで居ては身体の為に悪いから遠方へ旅行したら宜いだろうとか、それは佐原さんは財産家だし立派な紳士ですから決して卑劣な心から其様な事を言われたのでは無いでしょうが、それがまた貞子さんの心を非常に刺激したらしいのです。畢竟自我の強い親戚達ばかりの中へ、そうした異性からの不意の深切が現われたという事は貞子さんに取っては奇蹟だったのですネ。しかし貞子さんはキッパリ佐原さんの厚意を斥けてお了いになったのです。すると佐原さんは非常に落胆して、⦅自分はあなたとあなたの一家を本当に清い心で同情して居たのだが、そんなに誤解され排斥せられるのは情ない⦆ッて泣きながら言われたそうです。』
『佐原ッて云う人は貞子さんを本当に愛して居たのでしょうか。それとも劣情の爪を磨いで居たのでしょうか。』
『それは僕には解らない、佐原ッて云う人は田原君と交際もして居たろうし、心から遺族に同情して、其様な親切を言ってくれたのかも知れない、しかし貞子さんの執られた方法は賢い致方だと思う。』
『本当に佐原さんに其様な清い清い厚意があったのでしたらそれを退けるは可哀相でしょう?』
『いいえ、僕はそう思わない、人間というものはそうしたものでない。打明けて言えば僕だってそうだ。此間中から貞子さんの為に全然没頭して奔走して居るが、深アく考えて見ればこれも一種の恋愛だ、こう言うと直ぐ貴女は⦅下らない!⦆と仰しゃるでしょうが、僕は自分をその下らない人物として観る時が度々ある。総て人間というものは心の戸を全く打開けて話し合う程度の交際をする時、もうそれは一種の恋愛だ。佐原という人だって真の同情から貞子さんの世話をしようと云った所で、いつしかそれは普通の恋愛に変って来る。貞子さんには丁度串本屋の妻さんのように、田原君という人がチャアンと心の中に生きて居るんだ。仮令遺骨は受取っても、葬式はしても、心の底の底を叩いて見れば決して田原君が此世から消えてしまったとは思われないのでしょう。其所へ如何に親切であっても同情であっても佐原という人の影がさして来る時、貞子さんは意地悪を言って虐めに来る人達よりも、下らない事を言って有りもしない噂を立てる人よりも、佐原君が憎くなるのでしょう。やアやア言って虐める人達は貞子さんの心をますます明るくして、其所に田原さんを活かしてくれるが、同情や親切で心に黒い姿を映されるのは貞子さんには堪えられなかったのでしょう。それとも彼の佐原という男が、本当につまらない男であって、貞子さんはそんな汚らわしい事を聞かされた以上、一日もあの地に居られないと思う程腹を立てたのかも知れない。僕にはどっちだか深い理由は解らないが、一ヶ月程前に貞子さんが教会へ来て⦅音無さん、私ネ、五六年の間全く尼さんになりすましてこんな世間から暫く離れてみたいのです。方法がありませんでしょうか。⦆ッて言った時、僕はその言葉が真実貞子さんの心底から湧出したものだと思いました。で、早速神戸へ行って伊賀君とも相談し、此所までやって来たのサ。』
音無は小い溜息を洩して靴の上を凝然と見詰めていた。
『少ウし、私にも貞子さんのお心が解ったようですワ。』
木田は起上って軽く膝の所を撫でながら、『では、アグネス修道院へお入りになったら如何です?』と言った。
『アグネス修道院? あの芝の?』
『えエ、彼所はきっと其様な境遇のお方を収容して下さるでしょう?』
『そうだネ、では今日帰りがけに一寸立寄って見ようか知ら……』
『彼所の院長さんと……それあなた御承知でしょう、彼の松本時子さんと大層親しくしてらッしゃいますよ。私、松本さんに度々お遭いしましたワ。』
『そう? 時子さんと修道院長と親しい?』
音無は不可思議な響を聴いたように、ギョッ! として木田の顔を見上げた。
冷たい風が二人の間を吹いて公園の常盤木がザワザワと揺めいた。
告白
『本当によくお出で下さいましたのネ、私、心から御礼申しますワ。』
時子は叮嚀に頭を下げた。
『僕も石塚君が早速来て下さったのを嬉しく思いました。』
音無は覚也の顔をチラと見ながら言った。
『私は丹波の方へ聖書販売に行って居たのですが、丁度予定の行動を了えて伊賀君の宅へ戻って居たので、音無君の電報を受取ると直ぐ出発して来たのです。』
覚也は左の指で薄い八字鬚を撫でながら言った。
『私の身の上から申上げますワ。何卒音無さんも石塚さんも虚心平気でお聞き下さいまし、私、大胆に申上げますから……』時子は例の如く頭を少し傾げて、膝の上で揉手をしながら、『私、赤島温泉で石塚さんに一寸お話し致しました通り、亡くなった堅爾さんと結婚の約束は致しました。しかも戸籍上の手続も致しました。だけど私、夫婦にはとうとう成れなかったの。幼馴染の堅ちゃん時代を想い出してそのうちには尊敬も出来、愛情も起るだろうと思って居ましたのですが、とうとう幸か不幸か私は堅爾さんに身も心も許す事が出来ませんでした。田原さんの家出をなすった後で私は呼寄せられて東京から新宮へ参りました。そして太地家の財産を悉皆私の名義にしてしまったのも事実です。彼の場合あアした処置を執るのは本当に没義道のようでございましたが、私一人が悪者になれば宜いのだと思いまして、あんな非常手段を講じたのでございます。現在血を分けた実子に財産を譲らないで嫁の名義にしてしまったというに就ては、本当にどんな誤解を受けても致方が無いのでございます。世間では単に田原さんとの関係を疑われるのが恐ろしくッて、あんな卑怯な事をしたと思っているでしょうが、あれには込入った事情がございますのです。私と堅爾さんとは竜神温泉場で結婚の約束をしてしまいました。そして太地のおッ母さんも京都までお出で下すって吉田教会で、日高さんのお世話で式は挙げましたが、翌日私は直ぐ東京の方へ出立したのでございました。世間の人達は結婚式という形式と精神的の夫婦になるという事とを混淆にして考えて居なさるんでしょう。私、それを大変な間違いだと思いますの。で、私は式は挙げたが其儘東京へ来て図書館へ通っていましたのです。所が一週間ばかり経っておッ母さんから悲しい手紙を受取ったのです。其手紙には⦅結婚式を挙げて置きながら、夫と別居するという不自然な事に対しては、自分も大変反対ではあったが、それは大変宜い事であった。あなたが東京へ行った後で、堅爾と自分と二人が同じ室に寝ていると、夜半頃に堅爾はむッくりと起上って、『白い者! 白い者!』と恐ろしそうな顔付をして言っていた。堅爾の父親は二十八九の歳から矢張りあの『白い者』に脅やかされたのであった。そして遂には何にも言わないで黙り込んでしまった。堅爾も可哀そうだが親の遺伝で、同じ病気に罹ったのだ。⦆ッていう意味が書いてあったのです。しかし私は軽度の神経衰弱だ位に思って絶えず手紙を往復して慰めていました。所が突然田原さんの家出事件があり、私までが警察へ喚出されたので、紀州へ帰りましたが、おッ母さんの観察では、どうもああ云う事件のあった所へ堅爾さんを置くのは宜くなかろうと云うので、私は直ぐ彼の財産の処置を付けて上京すると云って暫くの間赤島温泉に隠れて居たのでした。おッ母さんのお話によると、亡くなった父親というのは随分死ぬ前に浪費い散らしたらしいのです。堅爾さんの病もきっとそうなるだろうと云うので、万事おッ母さんの指金で私の名義にしてしまったのです。それからある晩堅爾さんは、おッ母さんのお室へ入って行って、⦅今にこの町の人達が押寄せて来て僕を浜に引張って行って袋叩きにする!⦆ッて顔色を変えて言ったのだそうです。おッ母さんは御自分の夫を介抱なすった経験がありますので、其様な事があった後で直ぐナオミさんと須基子さんとを暖い所で暫く静養するようにと申して旅立たせなさいましたのでございます。其後堅爾さんは京都で暫くおッ母さんと一緒に暮して居なすったのでしたが、どうしても病気が思わしく無かったのです。勿論他人様には、ちっとも異らないのですが、時々変な事があるので、昨年の暮にとうとう思い切って根岸の病院へ入院させたのでした。病院では毎日農業経済の書物を翻訳して居るので、看護人達も何だか病院の事を研究にでも来ているのだ位にしか思っていなかったようでした。私も時々訪問してみましたが、その翻訳を読んで見ますと段々々々滅茶滅茶になって行くのでした。入院の当時、院長さんが二三ヶ月も居れば全快するだろうと申すので、仮令退院しても私だけは堅爾さんと同居しますまいと思いまして此所に独りで住っていたのでございます。所が堅爾さんは……堅爾さんはとうとう病院で亡くなりました。』
さすがに時子はホロリとして俯向き込んでしまった。音無も覚也も、もう時子の言葉を寸分疑う余地は無かった。
『其様な悲惨な事があったのですか……』と音無は太息を吐きながら言った。
『ちッとも知らなかったもんですから……』と覚也も腕を拱いたまま、眉間に縦の皺を寄せながら涙ぐんでいた。
『私も幼馴染の堅爾さんは愛してあげる事も出来ましたが、とうとう大人になっての堅爾さんは愛してあげる事も尊敬してあげる事も出来ませんでした。それは本当に私に取っても堅爾さんに取っても不幸な事でございました。けれども……けれども音無さん、石塚さん、私は唯一つの善事を為たように思われます。』と少しく時子は躊躇して、『そんな遺伝を残さなかったという事は私が社会に対する小い小い貢献だと思いますの。こんな事は何でも無いような事でしょうけど、結婚式結婚届も済んでの上に、社会に対してこの義務を尽したッていう事は、私に取っては本当に苦しい大きな事業でした。それが為にはいろんな悪評も立てられ、堅爾さんにも気の毒でしたが、そんな恐ろしい遺伝を有っている人と知らずに軽率に結婚したのが悪かったのですから、万事私一人でその重荷を脊負いましたノ。しかしもう私は太地家の財産を悉皆須基子さんのお名前に書替えましたから……』
時子は覚也の顔をジロジロと眺めて居たが、鈴のような眼から溢るる熱い涙は美しい白い頰を伝って流れた。
洗礼
『おや、時子さん、丁度宜い所でした。今お末を迎えに遣る所でしたのよ。』
ナオミの顔には唯事ならぬ事件の発生を暗示していた。
『須うちゃんがお悪いの?』
『えエ、そうなのよ、風邪だ風邪だッて梶木さんが仰しゃるもんだからその心算で安心して居たのですが、余り熱が冷めないので、今朝東京病院の高村博士に来て戴いたら、高村さんはこう仰しゃるのよ。⦅結核性の脳膜炎だからここ二三日の中に意識が朦朧になるだろう。⦆ッて、私、本当に驚いてしまいましたワ。』
ナオミは眶に涙を一杯溜めながら、時子を見上げた。
『大変ネそれは、おッ母さんにもうその病状をお話し下すったの?』
『いいえ、御隠居様も少し御気分がお悪くッて今朝からお寝みでいらッしゃいます。』
『困りましたネ、それは……とにかく私、おッ母さんにお目にかかりますワ。』
時子はナオミを玄関に残し置いて裏坐敷へ入って行った。
『おッ母さん、お加減が宜しくないッて、如何でございますか……』
元気付けるように言いながら襖を引あけると、丁度お常は半身を起して薬を服もうとする所であった。
『お待ち遊ばせ、お湯を汲んでまいりますワ。』
時子は枕もとにあったコップを提げて勝手の方へ出て行った。引違えにナオミが周章てたように入って来て、
『御隠居様、唯今、音無さんと石塚さんとがお見えになりました。』
『え? 音無さんと石塚さん?』お常にはその言葉が信じられないようであった。
『えエ、一寸お目に懸りたいと申しまして……』
言って居る所へ時子が入って来たので、お常は時子の顔を眺めながら、『今、音無さんと石塚さんがお見えになったッて? あなたはもうお会い申したの?』
『えエ、今朝程お二人でお尋ね下さいまして……いろいろとお話を承りました。』
『石塚さんはどうなすッていらッしゃるの?』
『神戸の方で貧民伝道をなすってらッしゃる伊賀さんと申すお方の許にいらして、聖書会社の方に働いていらッしゃる御様子でごさいます。』
『お達者でいらッしゃるんでしょうネ。』
『ええええ大変お丈夫で、新宮時代とは異って円満なお方にお成りのようです。』
『そう?』と言ってお常は一寸考えていたが、『少し音無さんとも御相談せねばならない事がありますから、音無さんだけ、此方へお通し申して、石塚さんには明朝でもお出で下さるように……お宿はお末に命令けて品川の何所かへ御案内するようにして下さいまし。』
『は、畏りました。では、私、直接に石塚さんにそう申し上げますワ。』
時子は玄関の方へ急いで出て行った。そして暫くして、音無を先に立ててお常の室へ入って来た。
『まア、音無さん、何と御挨拶申して宜しいやら……』
お常が静に頭を下げた時、『先生! ナオミ先生! 早くお出で下さい、早く早く早く!』とお末の急遽ましい声が聞えたと思うと、続いてガチャーンと物を投げるような響がした。
『須基子さんのお部屋!』言いながらナオミは色を変えて飛出して行った。時子も周章てて後を追うた。お常も呟きながら後に躡いて出た。
『どうなすッたのです?』と言いながら音無はお常を扶けながらその室に入って見ると、
『馬鹿よ! お末は本当に馬鹿よ! 私の頭に大きな大きな石を載っけたり、針でキュッキュッと突刺したりするんですもの……』
そう言いながら須基子はトロリとした眼付で蒲団の上に静かに仰向いていた。上蒲団が半分ばかり撥ね返されて、水枕と氷嚢とが坐敷の隅の方に投げられてあった。
『どうしたと言うの? 須基子!』
お常は叱るように言った。途方に暮れて居たナオミは水枕を提げて来て、そっと須基子の枕の下に入れようとしたが、須基子は右の手で強くそれを撥ね除けながら、
『そんな大きな石を持って来なさるのは何誰です? 私を殺しなさるお心算なの?』と言って両の手を自分の眼の前で交互に動かして居た。
『まア吃驚しました事、今、お嬢さんは御自分のお髪をグッと引張りなすッて、水枕も氷囊もパッ! とお投げになったのでした。』
蒼白くなってブルブル顫えていたお末は氷囊を提げたまま障子の側に立っていた。
『末! 早く梶木さんの所へ行って、今直ぐお出で下さいッて……早く行ってらッしゃい!』
お常はそう言って置いて、須基子の顔を凝然と覗き込んだ。
一時間ばかり経って医者の梶木は入って来た。脈をとって見たり瞼を引くり返して見たり、脛を叩いて見たりして居たが、『あーッ!』と小い溜息を吐いて、『御隠居様、一寸……』とお常を廊下の方へ誘い出して行って、何だか窃々と話して居たが、梶木は再び入って来て須基子の枕もとに座った。一座には驚愕と危惧の空気が漲った。
『時子さん、ちょいと此方へいらッしゃい。』と呼んだのはお常の声であった。
『は、』と小い声で答えて出て行った時子は暫くして廊下の外から襖を少し開けてナオミを手招いた。ナオミの出て行った後で、音無はワクワクと慄えながら、梶木の側へ躙り寄って小い声で、
『病名は?』と訊いた。梶木は側にあった処方箋へ『結核性脳膜炎、既に頸部硬直、意識朦朧。』と書いて見せた。
音無は思わずギクリ! として少しく伸上りながら、恐しいものでも見るように須基子の顔を覗いた。須基子は頻りに両手を眼の前で動かしながら口の中で何事かを呟いていた。
やがて高村博士と一緒にお常もナオミも入って来たが時子だけは見えなかった。
博士の診察では二三日異常は無かろうと言うのであった。
音無は貞子の事が気懸りなので、六時頃に太地の家を出て帰りがけに覚也の宿を訪ねて見たが、太地からの使で唯ッタ今出て行ったというので其儘富士見町の淀野の所へ帰ってみると、貞子から『明日立つ、』という意味の電報が来ていた。
翌る日の午前十時にはアグネス修道院の院長ミス・イーストに面会して、貞子等母子三人の事を頼む筈になって居たので、音無は九時前に淀野の家を出た。
行って見るとミス・イーストは非常な好意を以て快く三人を預る約束をしてくれた上、
『お嬢さんと坊ちゃんとだけは毎月十円ずつお出しなさい、おッ母さんは聖書を研究なすッたり音楽を習いなすったりして専心御勉強なさい。お金は少しも要りませんから、』と言ってくれた時、音無は本当に大きな重荷を悉皆肩から卸して終ったように嬉しく感じた。
『それでは本人が参りますと、一度私が三人を伴れて参りますから……』
『いいえ、あなたがお伴れ下さらないでも停車場から此方へ直ぐにドシドシお出で下さい、贋の田原さんはありませんでしょうから……』
イーストは人の善さそうな顔をして笑った。
『有難うございました、何分宜敷……』
音無とイーストとは貞子母子三人の為めに神の祝福を祈って訣れた。
音無はその足で直ぐ太地の家へ行って見ると玄関には二足の靴が脱がれてあった。
『御免下さい!』と周章てて言うと、『音無さんですか……』と答えながら出て来たのは時子であった。
『どうです? 其後は?』
『いけませんの、今、高村博士が診察していて下さるのですが、もう余程意識が乱れていますのよ。』
『そう? それはいけませんネ。』
音無は時子に導かれて病室へ入って行った。其所には覚也も来ていた。枕もとに坐っていた博士は、
『暫く様子を見た上で、食塩注射をして見ましょう。マダ幾分か意識があるようですから、お言葉でも掛けたい御希望の方は今のうち掛けて御覧なさい。こんな事は申上ぐべき事ではありませんが……』と云って次の室へ起って行った。
ナオミはポトポトと涙を流しながら、『須うちゃん! 須うちゃん! 私がわかッて?』と言いながら顔を覗き込んだ。
『古座ナオミ先生……先生のお髪は綺麗ネ』
『須基子! わ、わたしは……』
『大事の大事のお婆アさまだワネ……』
『そうか、そうか、よく言っておくれだ。』
お常は涙を飲込みながら須基子の右の手を取って二三度振った。
音無は覚也を伴れて来て枕もとに坐らせた。
『須基子さん、この……このお方を御承知ですか。』
音無は覚也の肩に手をかけて揺りながら涙声で言った。須基子は可愛い眼を睜って、
『石塚さん……新聞社の石塚さん……』と細い声で言った時、お常は急に少しく伸上って、
『須基子! そのお方はネ、今日から太地覚也さんだよ、太地覚也さん……わかりましたか。』と言った。音無もナオミも思わずお常を振向いて見た。しかしお常は正気であった。
『太……地覚也さん、タ……イ……ヂ……』
須基子は頻りに四囲を見廻すようにして、両手で眼の前の空を摑んだ。
『須基子! 太地覚也さんだよ。』とお常は須基子の方に念を押して置いて、『石塚さん、あなたは本当によく来てやって下さいました。もう二三日も遅くなれば、この娘はもうお顔を見わける事も出来なかったでしょう。私は、私は貴方にお約束申した事を決して決して反古には致しません、あなたは彼の約束の日からもう太地覚也だったのです。今、須基子の口から唯ッタ一口でも『太地覚也さん』と言っただけで何卒私の約束を果したものとお思い下さいまし。左るかわり何卒、あの罪も咎もない須基子を妹だと思って……何卒妹か姪かだと思って断末魔を見届けてやって下さい。ね、覚也さん……もう石塚さんとは申しますまい……あアあ、私も何十年来随分苦しい目に会いました。しかし……』
お常の声は曇ってしまった。一座は皆な涙の中に閉じ込められた。
『どうもお気の毒だが、いけないようです、しかし最後まで尽すだけは尽しましょう。』
いつの間にか須基子の手を握って脈搏を診て居た博士は次の室に居る梶木を麾いた。
博士は食塩注射をする為に須基子の雪のような白い胸を披けて小い脱脂綿の断片で右の腋の下を拭き初めた。一同の視線は悉く須基子の体に注がれた。
小い猪口を伏せたような可愛い乳房が、プクリと膨れて、清かった十六年の生活を物語って居た。
博士は二本の太い注射針を無雑作に皮下へ突刺した。そして梶木の方へ合図をすると、梶本は恐る恐る二聯珠を握って、空気をコルベンに送り初めた。
覚也は音無とお常との間に座って、戦く手に堅くハンカチーフを握り〆めながら須基子の白い胸を見詰めて居た。時子は覚也の後に坐ってその背に額を押付けながら啜り泣いていた。
護謨管を伝って食塩水が須基子の皮下へ送られるのを見た時、一同は堪え切れないような顔付をして博士の所作を必死に眺めて居たが、梶木の手にして居た二聯珠の握りようが厳し過ぎたと見え、ボウーン! と短銃でも射ったような大きな響きがして、コルベンは粉微塵に砕けてしまった。
けれども須基子の閉じた眼は開かれないで、苦しそうな息使いが依然として室の外までも聞えていた。
『注射はもう廃しましょう、十分廿分の生命を延した所で仕様もありますまい。』
顫えながら冷酷に言放ったのは音無であった。博士は小さく点頭きながら、
『遠方から御面会にお出でるお方でも御座いますならば……』と言った。
『いいえ、誰もありませんが……』とオロオロ声で言ったお常は、『じゃア、先生もうこの子の生命はどうにも仕様がありませんのでしょうか。』
『確実にどうと言う事は申されませんが、今日の私共の有っています智識では、此上食塩注射をすれば、半日か一日の生命を延す事が出来るだろうと、申上げるより外ありません。』
『解りました!』とお常は深く点頭いて須基子の顔を差覗いたが、其儘畳に喰い付くように泣倒れてしまった。
『音無君、須基子さんはマダ洗礼を受けて居なかったのだ。息あるうちに授洗してあげて下さい。』
覚也の声に励まされて音無は頭を抬げながら、『御隠居様、お差支はございませんでしょうか。』
『この娘の両親の行って居る所へこの娘を遣って下さい。そして私にも何卒洗礼をお願い致しましょう。』
『え? 御隠居様も?』
『ええ、長い年月、私も随分魂を頑固にして無宗教で居ましたが……今須基子と一緒に洗礼を受けます……』
ナオミは勝手元に走って行って、硝子の皿へ水を盛って提げて来た。音無はまずお常に洗礼を授けて、それから須基子の枕もとに坐ったが、皿の中に浸した右の手の爪先が顫えて、カチカチカチとその底に触れる小い音が夢のように聞えた。
父と子と……聖霊の名により……太地須基子に洗礼を授く……
途切れ途切れに辛うじて終まで言い得た時、須基子は右の手を少し動かしたと思ったが、両の眼をパッチリと開いて天井を見るようにした。美しい額には洗礼の水が光っていた。
覚也も時子もナオミも額を一所に鳩めて、
『須基子さん! 須基子さん!』と呼んだが、何の返事もせずにまた眼を閉じた。
五分間程同じ呼吸が続いたと思うと、何かに驚かれさたように一寸眼を見開いたが、俄かに呼吸の模様が変って来た。
『高村先生……須基子さんが……』とナオミは泣きながら呼んだ。次の室から駈け込んで来た博士は須基子の右の手を握って考えていたが、『どうもお気の毒さまですが、』と言いながら一寸眼を引開けて『瞳光は全く開いてしまった……』と呟いた。
『あ、須基子……お前はもう死ぬのか……』お常は須基子の肩先に膝を突つけて泣いた。
『石塚君、最後の握手をしてあげなさい。マダ息あるうちに……』と音無は励ますように言った。
覚也は何も言わずに須基子の右の手を堅く握って凝然とその顔を見詰めていた。
『須うちゃん! 九年の永い間、ようく私の言う事を温順しく聞いて下さったのネ。須うちゃん! 天国で待っていて下さい……』
ナオミは左の手を握ってホロホロと須基子の胸の上に涙を落しながら、蒼白い美しい顔を覗き込んだ。
須基子の呼吸は一刻一刻に薄れて行って、微かに頭を動かしたと思った時、
『あ、最後です!』と博士は音無の後から言った。一同は死んだ人のように、ピタリ! と一時に静まり返った。石のような冷たい沈黙が室内を鎖した。
我等の心強し、最も願う所は身を離れて主と共に居らん事なり……
音無は哥林多後書五章の八節を明瞭に暗唱した。
底本:「近代日本キリスト教文学全集5」教文館
1975(昭和50)年6月30日初版発行
初出:「宿命」福永書店
1919(大正8)年12月30日発行
※旧仮名遣いは、新仮名遣いにあらため、ふりがなを付しました。
※「夫れ」は「それ」に、「能く」は「よく」に、「能うく」は「ようく」に、「斯う」は「こう」に、「斯んな」は「こんな」に、「若し」は「もし」に、「此の」は「この」に、「此れ」は「これ」に、「此の」は「この」に、「其の」は「その」に、「先ず」は「まず」に、「又た」は「また」に、「不図」は「ふと」に、「呉れ」は「くれ」に、「兎に角」は「とにかく」に、「兎もすれば」は「ともすれば」に、「偖」は「さて」に、「愈々」は「いよいよ」に、「乍ら」は「ながら」に、「抑も」は「そもそも」に、「軈て」は「やがて」に、「尚お」は「なお」に、「唯」は「ただ」に、「猶お」は「なお」に、「之れ」は「これ」に、「苟も」は「いやしくも」に、「稍や」は「やや」に、「甞て」は「かつて」に、「嘗て」は「かつて」に、「尤も」は「もっとも」に、「態と」は「わざと」に、「併し」は「しかし」に、「呀」は「おや」に、「漸く」は「ようやく」に、「左も」は「さも」に、「亦」は「また」に、「繁々」は「しげしげ」に、「復た」は「また」に、「碌に」は「ろくに」に、「序で」は「ついで」に、「彼んな」は「あんな」に、「先れ」は「それ」に、「扨て」は「さて」に、「益々」は「ますます」に、「宛」は「ずつ」に、「是まで」は「これまで」に、「是ばかり」は「こればかり」に、「然んな」は「そんな」に、「然う」は「そう」に、「彼ア」は「あア」に、「了う」は「しまう」に、「了った」は「しまった」に、「或る」は「ある」に、「或は」は「あるいは」に、「既う」は「もう」に、「怎う」は「どう」に、「窃と」は「そっと」に、「先ア」は「まア」に、「恁う」は「こう」に、「些も」は「ちっとも」に、「種んな」は「いろんな」に、「爰」は「ここ」に、「何う」は「どう」に、「全で」は「まるで」に、「確と」は「しかと」に、「遉が」は「さすが」に、「偶と」は「ふと」に、「倩々」は「つくづく」に、「旁」は「かたがた」に、「凭う」は「こう」に、「寧そ」は「いっそ」に、「瞠乎」は「どっか」に、「薩張り」は「さっぱり」に、「开んな」は「そんな」に、「抔」は「など」に「嘸」は「さぞ」に置き換えました。
※「近づけなかったのみならず」は「近づけなかった。のみならず」に、「貴女も車をお降りなさいナ」は「貴方も車をお降りなさいナ」に、「間がある此儘」は「間がある。此儘」に、「反対え艶な容子不と似合に」は、「反対え艶な容子と不似合に」に、「英書が五六十冊トルストイや」は「英書が五六十冊、トルストイや」に、「確手した年寄の」は「確乎した年寄の」に、「読んで見ますワ』」は「読んで見ますワ。』」に、「二階の方を振仰いて」は「二階の方を振仰いで」に、「芝生が見えた芝生は」は「芝生が見えた。芝生は」に、「洒落れたもんじアありませんが」は「洒落れたもんじゃアありませんが」に、「お堂を建ていでも」は「お堂を建てないでも」に、「私は思いました⦅手向えば」は「私は思いました。⦅手向えば」に、「旦那方と同しように」は「旦那方と同じように」に、「駈け上った其所には」は「駈け上った。其所には」に、「長い間不幸な病人の病人の慰安者となり」は「長い間不幸な病人の慰安者となり」に、「音無は言終って吻と」は「音無は言終って吻と」に、「天井に置こうと支えはないと」は「天井に置こうと差支えはないと」に、「中野とエノクと環《たまき》とは黙って」は「中野とエノクと治とは黙って」に、「喧嘩したエノクも環も」は「喧嘩したエノクも治も」に、「今何所に居られます?。」は「今何所に居られます?」に、「では本牧行へ」は「では本牧行へ」に、「貞子とが上京したなら」は「貞子が上京したなら」に、「エスピシヨンが来ますよ」は「エスピヨンが来ますよ」に、「預らない事に決めて、います、」は「預らない事に決めています、」に、「見ると最も四時である」は「見ると最う四時である」に、「縁側の欄干に恁れて」は「縁側の欄干に凭れて」にあらためました。
※底本でばらばらにもちいられている「ポッケット」「ポケット」は、「ポケット」に統一しました。
入力:它足
2023年7月14日作成
附録
Oドクトルと私との関係(『生を賭して』)
沖野岩三郎
汎神論者のO先生
明治三十九年の夏、私は神学生として此町へ夏期伝道に来た時、よく私の説教を聞きに来たOドクトルは、或日私にドラモンドのアッセントオブマンを読む事を勧めた。私は毎日彼れの書斎へ行って種々の本を借りて読んだ、其頃の彼はまだマルクスのキャピタリズムを盛んに説いて居て、そして伝道的な社会主義者であった。
明治四十年の六月、私が愈々此の町へ永住する事に決めて以来、どうしたものか私が彼を訪問するか、彼が私を訪問するか、殆ど一日として相往来しない日が無い程であった。四十年の末頃から彼れの思想は段々急激になって来て直接行動と云う様な言葉を吐くに到った。併し乍ら不思議にも彼れは唯物論に讃成した議論をちっともしなかった。
彼は明治十五六年頃に大阪西教会で洗礼を受け、其後米国に行ってオレゴン大学を卒業して帰ったのであるが、在米中既に基督教の信仰を捨てて居たと見え、前年大阪の川邉貞吉君が来て、
『米国で僕はO君の為にどれだけ伝道を妨害せられたか知れない。』
と苦い顔をして言われた。加之彼れは帰国当時は随分自由放縦な生活をしたらしいが、思う所あって再び印度に行って孟買大学の教授達と交際した結果、汎神論の哲学に深い興味を持って帰ったらしい。そして再び町で医を開業して結婚後打って変った謹厳な生活を始めたのであった。
だから彼は徹頭徹尾汎神論で押通した。K、S君と議論をした結果、彼は斯う結論したのを私は聞いた事がある。
『畢竟、君のは唯物論で、僕の唯霊論だ、唯霊論即ち汎神論だ、僕が薬価無請求主義を実行して居るのも、僕の薬其物よりも僕の盛る薬が病を療すと云う患者の信仰が七八分手伝って居るからである。だから僕はその無形な他人の信仰に対して代価を請求する権利が無いだろう。と言って彼等は放って置いても代価を持って来る。偶に持って来ない者があっても其の男に途で出逢うと顔を外向ける、そして僕の口が持て来いと説教しないでも、彼等は自然に持って来て呉れるのだ。』
彼は其後大阪の或新聞で自分が汎神論者であると云う事を明確に発表した。そして彼れの診察室には世界地図が貼られてあった。何の為かと聞いたら、患者が愚痴をこぼす時、一々夫れに相手になって居ては腹が立つ、面倒臭く思う。だって彼等は此所で夫れを言わないでも何所かで言うのだろうから、僕は此所を彼等に愚痴を言う室に貸してやるんだ。けれども其時六ヶしい書物を読んでは悪し、外の仕事も出来ないから、愚痴を聞く風をしつつ、此の地図を見て、旅行した昔の事などを想い起すんだと答えた。これも矢張り彼が汎神哲学の実行であったのだ。
私がOドクトルと交際出来たのは、彼が唯物論者で無かった事と、彼が私の信仰の立場を能く了解して居て呉れたからであった。彼が私と交際出来たのは私が彼れの説を悉く排斥しないで、よく語敵となったのと私が彼と文学上の趣味を一にして居た故でもあった。
私が訪問する時、座敷に種々な印刷物が散ばって居るのを見て夫れを読もうとすると、
『これは君の嫌うものだよ。Y署長に渡されては大変だ。』
などと笑い乍ら夫れを片付けてしまうのが常であった。だから私は四年間彼と親密に交際したが、例の破壊的な記事のトラクトを唯の一部だって貰った事もなく、彼から基督教攻撃の嫌な声を聞かされた事もなかった。さるかわり彼の乾児達が口を極めて基督教を罵っても別に夫れを制止もしなかった。
彼れが最も熱心に唯物主義を称道したのは明治四十年四十一年の両年であったが四十二年の末頃から俄かに其の鋒鋩を収めた。或日彼は私に、
『二年間程蟄居して仏蘭西語をやって見たいと思う、もう種々な議論は飽いた。これから文学に筆を執って見たい。』
と言ったのが起りで、私と共同して『サンセット』と云う雑誌を発行する事になったのである。で彼れは丸善から種々の短篇物を買入れて読んで居た。そして私のやって居た英語研究会へも来て、時々ナショナル読本の二や三を若い人々に教えた事もあった。
同主義者N、Hが、一娼妓を落籍させようとして其の資金調達を彼に依頼したのを、きっぱり謝絶した事からNと彼との間は全く離れてしまった。随って彼れの門戸は唯物主義者の出入が絶えたと言ってよい風であった。私は彼が将来翻訳文学者として世に立つに至らん事を希望して居た。サンセットに載せた訳文などは中央の文壇へ出しても決して耻じない文であった。
四十三年六月二日の晩、彼は午後六時頃私の宅へ来た。そして種々話をして居たが、丁度其晩和歌山の銀行員で、明治学院神学部出身のYと云う男が油屋旅館に来て居るから夫れを訪問してみようじゃないかという私の勧めに従って彼は私の家を出た。
二人が警察署の側の石橋を渡ろうとする時、向うから刑事巡査が二人来た。
『やア御揃いで何所へ。』とA刑事が言った。
『秘密会議に。』と私は洒落を言った。
『何、油屋へ行くんだよ。』とOは言った。
私共は油屋へ行って十一時頃までYと語って帰った。郵便局の曲り角で私は彼に別れようとしたが、不図其晩私は教会の長老O、Yの宅へ風呂を浴りに行く約束をしてあった事を思い出した。其所の下女が律義な女で、私が行くと言ったら十二時過ぎても自分が浴らないで待って居る事を思って、私は十一時過ぎであったがO、Yの宅へ行った。果して下女は私の来るのを待って居て呉れた。私は風呂を済して其所の妻君と二十分許り語合って帰ろうとした。すると妻君が、
『先生、御大事の預り物はどうしましょう。』と言った。私が『あれはもう二三日御預けして置きます。』と答えて帰ったのは、もう十二時過ぎであった。
翌朝私は寝床を離れて、まだ寝巻のままで居る所へ十数名の警官と検事とが来た。正午過ぎに彼等は引揚げたのであったが、午後長老のO、Yの宅へ七八名の警官が出張して、
『沖野から何か預ってあるだろう。』と言って遂に十人の子持である、Oの大きなダダ広い家宅は隈なく調べられた。所が私の預けた大事の品物が出て来た。夫れは古新聞紙に包んだ私の古下駄であった。私は警察で一応取調べを受けた。厳めしい警官は私の身元調を書いたが其の職業に、
『キリスト教 卜師。』とあった。羊羹色の木綿の単羽織を着た私は『卜師』が彼等の眼には実に適当な肩書だろうと思われて失笑を禁じ得なかった。
卜師の取調べが済んだ後Oドクトルを訪問すると、矢張り家宅捜査の大混乱後で其の話で持ちきった。
六日に彼は此地を永遠に離れて東京へ行った。私が彼と書信の往復を始めたのは十一月の初めであった。彼は其第一信の中に、
此処には随分多くの本がありまして宗教の本などは大概何でも揃って居ります。バイブルや仏書抔も読み私の信仰の上に多少発明する所もありました。私のこれ迄の汎神的信念も理屈の上から云うと申分はなくとも凡人なる我々の感情はどうもまだ之に満足が出来兼ぬる所があります。と云って今更偶像を拝むと云う訳にも行かぬが、何か知らん超絶的のものを求むるような心も起ります。兼て御示しの『キリストの模倣』手に入り次第読んで見ましょう――
云々とあった。第二信中には
僕もケンピスの本を読んで居るが、矢張り福音書へ直ぐぶっつかった方が自分の心にシックリ合う所を自由に探し出すの益があるように思う………子供の教育についてはエライ人間にしたり、奇抜なものにしなくとも只身体が丈夫で善き人にして貰えばよいと思う少々ウスノロでも平凡でも一向差支えがない……
とあった。彼が獄中で読んだ基督の模倣は、日高善一君の訳書であったが、クラシックな書中に耽溺だとか何だとか当世の詞が用いてあって却々面白いと、或人に言って来たそうである。
第三信には
…………谷口の婆アさんが私の事を思って呉れると聞いて非常に感じた。私は是迄自分の苦痛では泣いた事がない、人に同情したり同情しられた時はわけもなくつい涙を溢す此間の御手紙で谷口老婆の事をよんだ時止めどなく涙が出た。
私は毎月雑誌を読んで居る。文学宗教の方面の事は少しはわかって居る。政治や社会の事は今更知りたくない、福音新報社から宗教と文学と云う雑誌が出たそうながまだ見ない、私が久し振りで聖書を読んだ感想は近々纏めて書いて見ようと思う一口に言えば馬太廿六ノ三十六節以下で、哀愁懐疑煩悶矛盾に満ちた我々近代人と同じ血が二千年前のキリストの身体にも通って居た事、これ軈て我々が彼に親むべく近づくべき点であると云うような感じである。……
私は彼が獄中で聖書を読んで呉れると云う消息を得る度に涙を以て祈った。
第四信には
………十二月号の新人をよんで見ました、海老名先生相変らず健在のようですが、一般に霊の饑饉など云う寂しい空気がただようて居るではありませんか、Kはキリスト抹殺論を脱稿して出版の計画をしてるそうです、これは二十年も前に、私がアメリカに居た時分聞いた事で、随分古い考えだと思います、今の進んだ人々の頭にはあまり幼稚なものでないかと危まれます。
とあった。第五信はもう死刑の宣告を受けて三日後に書かれたので、長い手紙であった。其中に
………昨日教誨師の曰わるるに、近代の人は死と云うものを左程恐れないようになって居るから伝道をするのに死の問題よりも寧ろ生の問題を説く事が必要だと、私はこれは大いにそうだと思います、一般に近代人の心が其所へ向いて居るのは事実でありますまいか……
云々の句があった。
第五信を受取って三日の後に私は半紙五枚綴五千字に余る彼れの長論文を受取った。夫れは一月六日に脱稿して差出してあったらしいが二週間を検閲に要したものと知れた。これは実に博弁宏辞の彼れの一生涯に於ける、最後の議論であった。今其全文を書いて見よう。
Oドクトルの基督録
G、O、兄。兄は私が近頃聖書を読んだ感想を聞きたいとの事でしたから茲に少しく書いて見ようと思います、所が私は聖書というものを、二十余年前に読んでから、其後は殆んど顧みなかったというほどで、これに関する何等の知識もありませず、且つ今は傍らに参考書も尋ねて見る人も無いのですから、私の思う所が全く見当違いの解釈であったり、先人によって言い古された批評であるかも知れません。それで唯だ私が斯う云う境遇に居て、斯う言う感想を胸に浮べたと言うだけの事を兄に見て頂くの外は無いのです。
G、O、兄。私が今深い興味をもって見て居るのは、イエスがゲッセマネの園に於る祈祷の条と、其あとさきの所です。人々が聖書を読んでイエスの性格について感ずる点は各々皆違いましょう。或人は彼の強い権威に感じ或人は彼のやさしい愛とか恵みとか言う方面に感じるでしょう。が、私の此処で特に心を引つけられるのは寧ろイエスの気弱い所憫れに痛ましいと言ったような所です。
イエスが其の新しい教を宣伝うるについては、当時の権力者たるパリサイの学者、長老、祭司の長などから烈しい迫害を受けると言う事は、素より覚悟して居られました。又終には彼等の手に附されて十字架に釘けられるという事も予め承知して居られました。そして愈々其時が近づいたので、弟子等と共に告別の晩餐に就き、それから彼らをゲッセマネの園に携えて行って父に祈祷を棒げられたのです。我々が今此の祈祷の文をよんで見ますと、イエスが其眼前に迫った十字架の事に想い及んで、如何に強く悼み悲まれたかを察する事が出来ます。彼はこれまで他人の上を思いやられて、屡々哀しんだ事もありましょう。同情の涙を流された事もありましょう。併しながら彼れ自身の為めに、これほど烈しい苦痛をば感じられたという事は、まだ無かったのです。彼れが嘗て野に悪魔の試みをうけ、四十日四十夜食う事をせず、飢え給うた時でさえも、決して憂い哀しむという事はなく、尚お『サタンよ退け』と大喝する程の勇気をもって居られました。然るに此場の光景はどうでしょう。彼は『我が心いたく憂えて死ぬるばかりなり』とも言われました。また『痛く哀しみ切りに祈りて、其汗は血の滴りの如く地に落ちたり』とも記されてあります。そうして『アバ父よ汝に於ては凡ての事能わざるなし――若し適わば此時を去らしめ給え――此杯を我より離ち玉え――されど我心のままを為さんとにあらず、聖旨に任せ給え――』と一度ならず、二度ならず、三度までも同じ事を繰返して祈られました。
G、O、兄。これが最も強く私の胸を撃つ所です。イエスは初めから自己の地位をよく悟って居られました。十字架の苦を受けて父の栄を顕わすという使命を確信して居られました。従って今この苦痛の境界から脱れ出る事が、父の聖旨でないという事も充分に弁えて居られたでしょう。それは彼が自ら『父の我れに賜いし杯を我れ飲まざらんや』と言われた詞によっても明らかであります。然るにこのような祈祷を幾度も幾度も繰返されたと言うは、如何に女々しく未練な事でしょう。
G、O、兄。併し乍ら私は茲が大いに味うべき点だと思います。イエスの祈祷の言葉、夫れ自体について見ましても、彼がこれを以て必ずしも父に聴かるべきものと信じて居られたものとは取られません。否な信よりも寧ろ疑の方が多かったようです、が斯う言う悲痛の絶頂に及んで、その使命の何たるを顧るの遑もなく、苦悶と懊悩の極、生慾の叫びが口を衝いて出るに托かせたと言う事には、其処に何の不思議がありましょうか、私は却って尤も至極な事だと感じるのです。
夫れにつけても思わるるのは、此の福音書をかいた人等の事です。彼等はイエスの為し給うた他の事については、往々筆を省いて書き漏らした所もあります。然るに此時のイエスの心理状態――一面から見れば彼の最も大なる短所とも欠点とも言わるべき事――をば四人ながら筆を揃えて伝えて居るのです。中にヨハネは唯だ『今我が心憂え悼めり何を言わんや、父よ此時より我を救い給えと言わんか。否な、これが為に我は此時に至れるなり』と記したに過ぎませんが、私は此の短い詞のうちにイエスの煩悶と疑惧の心持が最もよく現われて居ると思います。イエスの教を奉ずる人等として、斯ういう事を記すのは実に忍びなかった所でしょうが。それを敢てしたと言うのは、彼等が皆な此時の事に深い意義を認めたからではありますまいか。
それから更に弟子等の行動を見ますと、此場合に一層の矛盾と疑惑の心事を曝露して居るようです。彼等は初めイエスを見た時、一切を捨てて従うたというほど信仰の篤い人々で、其後は常に彼と寝食を共にし終世渝るべからざる師弟の契りを結んだ間柄であったのです。勿論偉いなるイエスの心は彼等によく解らなかったでしょうが、少くとも他の何人よりも多く彼を理解し、彼を信頼して居た人等です。然るに一たびイエスが捕われて祭司の長の許へ引かれるに当って、彼等弟子等は皆こそこそと逃げてしまい、中庭までついて来たのは唯一人のペテロだけでした。而かも彼は嘗て、『主よ我れに獄までも死にまでも爾と共に行かん』とまで、決心した人であるにも係らず。其処でイエスの弟子と呼ばれる事を塊じて『我れ此人を知らず』と放言したのです。さて此辺も一寸考えて見ますと、弟子として甚だ不実なあるまじき行だと言われましょうが、よく此時の情況を思いやるならば、それが必ずしも有るまじき事で無く、却って人間の弱点として、而かあるべき事だと首肯かれます。これは今私が言うまでもなく、イエスは予め此事のあるを知り給うて、『惑いに陥らざるよう目を覚まして祈れ』と言われ、またペテロには特に鶏云々の詞を警告せられました。イエスの心では自分がこれから捕われて行くのは、全くの寃罪ではあるが、若し罪人という名をつけられて、罵られ唾せられ、鞭うたれるに至るならば、日ごろ自分を信じて居る人等でも、終には疑を起して見捨てるであろう。その場合には彼等がそう云う行動をとるのは強ち無理ではないと思われたのでしょう。私も茲で弟子等の心に一片の同情を寄せると共に、イエスがよく人情の機微を察して居られた事を感ぜずには居られません。
G、O、兄。私は尚おイエスの犠牲という事について考えるのです。イエスの十字架は人の罪を贖わんが為に、自ら進んで出た自己犠牲であるというは疑のない所です。併しながら又他の一面から考えて見て、彼は父の予め定め給うた旨――則ち運命――によって、他から余儀なくされた強制的の犠牲ではなかったでしょうか。これは独りイエスに就てのみ言うのではありません。昔から種々の教や国の為めに斃れた。多くの殉教者や戦死者、彼等は皆多少の自己意識を以て各々行かんとする所に行ったのでしょうが、それと同時に又免るべからざる境遇の圧迫を受けて、痛ましい終を遂げたものとも見られます。畢竟我々が自由の意志によって為すという事と、運命によって為させられるという事とその差別は何でしょうか、その境目は何所でしょうか。少くとも今の私にはわからないのです。
G、O、兄。私がこんな事を言うのは、決してイエスの徳を毀けんが為でもなく、また十字架の価値を下げんがためでもありません。但だ私はイエスというものを我々と緑の遠い人間から全く飛離れたものとして見ずに、彼にも我々と同じような血が通って居たという事を味いたいからです。彼の山上の垂訓は甚だ立派な道徳です。併し唯だそれだけの事ならば、他にも尚お立派な道徳を教えた人もありましょう。彼の奇蹟を行うた力は偉大なものです。併しこれも亦、唯だそれだけの事ならば他の魔法使や手品師の模ね得る所でしょう。そういう事よりも私の最も烈しく感ずる所は救世主という強き自覚をもったイエスが死に面して経験せられた悲痛なる心理状態にあるのです。
十字架の悲劇は、神の子の自覚が強かっただけ、それだけ大きなものでした。併しながら私は彼の死を見て、決してヒロイックなものだとは思いません。昔の軍談にある竹を割ったような単純な、頭脳の粗雑な豪傑とは違い、彼が死に至るまでの径路を辿って見たならば、其心理には我々近代人が経験するに均しい、懐疑や煩悶の念も起ったでしょう女々しく未練な所もあったのでしょう。しかもイエスの如き崇高な偉大な性格にして、尚おこの痛ましい弱々しい一面を備えて居られたという事は、これ軈て我々凡人の傚うべく、近づくべく、又親しみ得べき所以ではありますまいか。
G、O、兄。斯く考えて、私は大なるイエスを少しく伺い得たように思います。(四十四年一月六日)
私が、此の手紙を受け取った翌日、彼れは断頭台上に其身を横えたのであった。四年間の交を結んだ私は、彼れが斯る基督研究の論文を絶筆とせられた事を深く心に刻んで居るのである。
底本:「生を賭して」警醒社書店、弘榮堂
1919(大正8)年7月6日発行
※国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらため、振り仮名を付しました。
※「受けました検事の質問中に」は「受けました。検事の質問中に」に、「見られます畢竟我々が」は「見られます。畢竟我々が」にあらためました。
入力:它足
2023年10月18日作成
コスモポリタンの悲しみ
沖野岩三郎
一 宗教より
釈迦は『一切衆生は吾子なり』と言った。釈迦の眼中には地境も国境もあろう筈はなかった。一切衆生は皆な彼の愛する所である。況んや偏狭な愛国心があって、啀み合ったり咬合うような悲しい事は彼の取らない所であった。況んや全世界を印度が統一するの、日本が統一するのという馬鹿気切ッた事を彼は考えなかったに相違ない。印度が英領になろうと仏領になろうと、釈迦の創立した王国は決して崩れない、彼れの王国は今や東洋全体の人心を圧し行きつつある。今、釈迦が出現しても決して印度の独立運動などをしないだろう。何となれば彼は世界人であるから、彼れの国土は熱帯地域の印度という国境上に閉込められては居ない。彼の天国は田畑でも山川でもない。彼は人間の生きた心の中に絶大な王国を建設している。
基督は釈迦に比して余程人間的であった。彼の血管には抑え難き愛国的義憤があった。彼は猶太国の滅亡を痛憤していた。しかし、彼の宗教心は世界的であった。彼の眼中には祖先伝来の深い深い偏狭な伝統的精神を苦も無く投げ棄て得る勇気があった。
エルサレム城を中心として世界の政治を統一し得るという空想を彼は弊履の如く投げた。ダビデ大王の血統として崇められる偏国家的の尊称を彼は甚だしく忌み嫌った。
基督の生れた猶太国は亡びてしまった。基督の懐いていた愛国心は甚だ希薄であった。しかし基督は全世界の人々の心の中に王国を樹てようとしている。今や彼は世界を自分の国としつつある。彼が今やこの世に現われても、決して猶太の独立だとか、エルサレム城の恢復など云う愚な事に力を尽しはしないであろう。
コスモポリタンの模範を宗教家に探る時、釈迦と基督を発見し得る。彼等は国家というような小さい事に眼を放っていなかった。彼等の眼には宇宙があり永遠があった。浄土があり天国があった。猶太、印度、そんな小さい小さい、石ッころ程の国土に目を暮れては居なかったであろう。
芥子中に八万四千由旬の須弥山を蔵し得たのである。印度だの何だのと、それは芥子粒の中の小さい小さい塵芥同様のものである。
電光の東より西にまで閃くが如く、イエスはこの世界に再臨すると云った。そしてその時天のこの果てより彼の果てまで四方よりその選ばれしものを集むると云った。イエスの眼中に国土も国境もなかった。
釈迦や基督の教の広大な所がどこにあるかと云うに、それは小さい国家というものに籠じ込められないで、世界的人類的の教を説いたからである。国家の上にあって国家を指導する教を説いたからである。コスモポリタンの原祖となり得たからである。
宗教家として誇るべき点の大なるものが何であるかと云うなら、コスモポリタンたり得る点であると思う。
二 文芸美術より
文芸に国境の無いのは、宗教に国境の無いのと同じ事である。我々が一つの展覧会場に立つ時、眼前に陳列される絢爛な色彩は我々を即座に時間的に空間的に広い世界に運び去る。美術家の筆になった美人の像はそれが昔の人であろうが現代の人であろうが、野蛮人であろうが文明人であろうが、そんな区別を許さない。その美しい風景画はそれが瑞西であろうが伊太利であろうが、美しいものは美しいと眼に映ずる。摺鉢を倒にしたような富士山や、牛の小便程流れている那智の滝を三国一だの世界一だのというような偏狭な愛国心は毫も起らない。美術上から云うなら、楠正成よりもミカエル、アンゼロの方が何百倍の偉人であり。○○○○よりもロダンの方が遥かに偉大な芸術家である。美を美と云い妙技を妙技と称うる人の心は皆なコスモポリタンである。国産奨励だの、東洋医術だの西洋美術だのと変な名を附けたり区劃を置くともう駄目になってしまう。陳列に日本画、西洋画の区別をするさえ詰らない事である。
文芸品に就いて近代人がコスモポリタンとなりつつある一例は翻訳書を見ればすぐ解る。福池櫻痴時代の翻訳は西洋人の名前をそのまま用いては誰も読まなかった。ヘダ、カブラなどと云った所で、それは藤の名だか、食料品の名だか解らないのみならず、たとえそれが艶麗な婦人の名だと知っても、異人の娘だと思えば、誰もその物語に眼を濺がない。そこで、江田、蕪子などと滑稽な名をつける⦅この引例は明治四十年頃であるが⦆ジョウジを襄二、コセットを小雪、ルイスを瑠璃子、アウガスチンを王賀忠一などと変名して、地名まで日本の地名に変えなければ読まなかったのであった。お妻八郎兵衛や、三勝半七などに眼を泣腫らす連中にも、ノラやカルメンは、『なんだ異人の夫婦喧嘩か!』と云って一顧の労をも与えなかった愛国的精神が段々と砕けて来て、今ではチャプリン、デブ君などが日本の大人子供達の一番親しい友達となり、浅草公園では澤村訥子も名優キーナンも、安藤文子もメーベル・ノーマンド嬢も、ウィル・ロジャースも尾上松之助も混然雑然として多くの観客を引いてい、有楽座あたりでも、守田勘彌とケネス・ハーラン、森律子とマッジ・ケネデーが相続いて演出していて別にそれを怪しまないのである。だから文学書は本名そのままで愛読せられる。花子に対する涙も、メリーに対する涙もその分量に等差がない。
今日の日本ではマダ仏教信者に頑固な国家主義者があり、基督教徒に偏頗な西洋かぶれの人達が少くない。そして排外的な偏頗な思想を愛国心だなどと誤認している人達が沢山ある。けれども芸術と文学は上から下から日本国を奪い去って西洋諸国に同化させて行きつつある。もう今日の少年からチャプリンやデブ君を追退ける事は出来ない、もう今日の青年からモウパッサンやストリンドベルヒの産んだ息子娘達を取去る事は不可能である。
高踏的にも民衆的にも芸術というものを愛好する結果はそれ等が皆なコスモポリタンとなりつつある。
三 同胞主義に
宗教や芸術はこうして我々を世界的に導いてくれる。そして本当に自分が最早コスモポライトの思想を解するコスモポリタンであると自覚した時、その人の心に世界という大きな国が産れ、その新世界に於ける一つの道徳が出来、主張が出来るようになる。それは痩我慢をして、肩肱張って自我を主張し自国を膨張させようとするのでなく、大きな世界を造って、その世界の民としての自己を発表し、全世界の人達をその広い舞台に引入れようとするのであって、他を排斥し、自分のみを膨張させようとするのではない。
上杉謙信が武田信玄に塩俵を送ってやったという心も、ナイチンゲールが赤十字社の開祖になったという心も、それはやがてコスモポリタンの道徳である。一切衆生我が子なりと喝破した釈迦の言葉も、己れを愛する如く汝の隣を愛すべしと言ったイエスの言葉も、皆なそれはコスモポリタンの道徳である。この釈迦とイエスとの言葉二つあれば、もう世界は平和であるべき筈である。上杉謙信とナイチンゲールの道義があれば世界に戦争などの起ろう筈は無いのである。然るに世界はいつまでも喧嘩の絶間が無い。それは各々が小さい国家という貝殻に閉じ籠っているからである。で、何とかしてコスモポライトの思想を多くの人々に有たせたいという希望から種々の運動が起る。千八百九十年頃からトルストイの唱え初めた非戦無抵抗主義などは基督教から出発したコスモポリタンの大きな道徳論であった。
人間が皆な仲よく暮そうという議論が、むつかしくなった時、同胞主義、平等主義、博愛主義などいう議論が起って来るのであろうが、私の思っているコスモポリタンには、そうむつかしい議論を要しない。
人間と人間とが殺し合う為に、国と国とが何百万人の兵隊を繰り出して血の海を築くという恐ろしい事が何故止まないのであろうか。人と人との間に築いた塀を取除けて、国と国との間に築いた砲台を取除いて、維新後四民平等になって、武士までが腰の大小を取上げられたように、世界から喧嘩道具の武器を何故取上げられないものであろうか。
どんな孝行な子供でも、親というものをどんなに有難がる子供達でも、
『こう子供が多くなっては、やり切れない。隣りの家へ行って、何でも宜いから引ッたくッて来い、愚図々々言えば、相手を打殺しても宜い、俺の命令だ!』というような親の命令を唯々として聞く者はないであろう。
『互いに相愛さなければならない。』というコスモポリタンの道徳は太古から存在しているが、いつの世も国家という国境道徳がそれを破壊して、『互いに相争え!』と命令する。
この肩肱張って互いに相争う国家道徳というものをコスモポリタンは非常に嫌う。これを何とかして破壊して、世界人にコスモポリタリーな美しい愛に溢れた道徳を持たせたいというのがコスモポリタンの願いである。だから私の思っているコスモポリタンの道徳というものは主観的、精神的、宗教的のものであって、唯心的である。
『王様、少しく右ッ側へお寄り下さい、太陽が当らないから寒うございます。』と云い得た哲学者の言葉を面白いと思う人はそれはコスモポリタンである。太陽が総てのものを温かく照すように、我々は平等な愛を得たいのである。
コスモポリタンのこの願いというものが、昂じて主義主張となり信仰となって熱烈に宣伝する時、それが唯物論の社会主義や無政府主義と行方を異にするのである。唯物論者が物質的に人間を改造しようとする時、コスモポリタンは精神的に人間を改造しようとするのである。そして同胞主義が高潮せられるようになる。
日露戦争の最中に、万国社会党大会の席上で、日本の代表者片山潜君と、露国の代表者プレカノーフとが各国代表者の前で握手したという如きは、コスモポリタンの思想である。日露の戦役が始まっても、断然自国へ帰らないで、東京の中央に停って平然として宗教を伝えていた偉僧ニコライの心情もコスモポリタンの心である。その当時万歳々々の声が国民の耳を聾する時、如何なる迫害をも恐れず平和非戦の議論の絶叫した青年達の主張もコスモポリタンの主張である。
四 誤解され易き心理
コスモポリタンは『世界の人類総てが互いに相愛せよ。』という。その単純な原理から非戦論を説く、軍備撤廃を説く、絶対無抵抗主義を説く。その時、反対論者の常に口にする所は何であるか、それは万口一様に、
『もし自分の国が軍備を撤廃しても、外国が撤廃しなかったなら、直ちに攻滅されるであろう。』と云う。コスモポリタンの心は常にこの議論に憤慨するのである。
開闢以来今日に到るまで、軍備の拡張をなしつつ滅びた国家が果して無いだろうか、軍備を拡張する事に因って多くの国家は滅びるのではないか。しかし軍備を撤廃した為めに滅びた国がどこにある? 否、軍備を悉く撤廃して模範を示そうとする程のコスモポリタリーの国家が出なければならない。
非戦論者や無抵抗主義の論者が、軍備撤廃を説く時、コスモポリタンとしての苦しい心理状態がある。それは彼等が直ちに国賊、非国民などという言葉の為めに、充分に言いたい事を言い得ない点である。
中江藤樹は泥棒に着物を奪われ大小をも奪われた。しかしそれが為めに藤樹の価値はますます高くなった。釈迦は浄飯王の位を嗣ぐ事を拒み中天竺という国王の位を棄て、カビラ城を棄て一家一族を捨てて大宗教家となった。イエスは自身を十字架上に捨てて救世主と仰がれた。国、城、王位、家総てを捨ててしまった釈迦の心理が解るならコスモポリタンの心理も理解出来る筈である。国賊だの非国民だのという攻道具を持出して攻立てるまでもなく、コスモポリタンの心は世界的なのであるから、小さい一つ二つの国が潰れた所で、大なる世界が立派になって行けば宜い。その意味から云うと、印度人が独立運動をしたり、朝鮮人が独立運動をするなどは小さい量見である。全世界到る処が自分の国だと思えば、そうヤキモキしないでも宜いじゃないかと云いたいのはコスモポリタンの心理である。しかしそんな事を朝鮮人に言う朝鮮人があったならそれは朝鮮を売る非国民扱いにせられる。そんな印度人は印度人から憎まれる。コスモポリタンは小を捨てて大を取ろうとするのであるから、小を固守する人達と常に衝突する。
国家主義者とコスモポリタンとの会話の中にはいつも型に篏った一つの誤解がある。たとえばコスモポリタンが軍備撤廃を主張すると、国家主義者は、『軍備撤廃をすればこの国が潰れる!』とすぐ叫ぶ。そしてコスモポリタンを逆賊のように見る。それは他の国々には軍備拡張をさせて置いて、自分の国だけの軍備を撤せよというように聞くのである。けれどもその時コスモポリタンは『こんな国なんか潰れてしまっても宜いじゃないか。』と云い切る事が出来ない。何となればコスモポリタンといえども、彼等の生地がある。愛郷心がある。愛国心も執着心もある。彼等はバガボンドでは無い。無神経ではない。だから如何なる場合にも、自分の国を叩き潰してしまう蛮勇を発揮し得ない。そこで彼等の言行が不徹底になる。唯物論的社会改良家が憤起して、単なるコスモポリタンを軽蔑する。かくしてコスモポリタンは国家主義者からは非国民扱いにされ、謀叛人扱いにされ、革命的社会改良家からには生温い空漠とした者として排斥されるのである。
尼港問題の如き悲惨な事件の発生した時、コスモポリタンは人一倍悲しむ、人類中にかかる悲惨事の有り得る現代を悲しむ。しかし国家主義者のように血涙を揮って『讎を返せ。』と叫び得ない。コスモポリタンの眼には、尼港で日本人が七百人殺されたと聞く以前に、仏蘭西の塹濠で幾十万の青年の殺された事を悲しんだ。何百万何千万の人間が五年間に殺されたという事を悲しんだ。五百七百という多数の人間が殺された事を、世界の悲惨事の統計の最低部位に発見せねばならぬ程恐ろしい世の中となっている現代を悲しむ。そうして、それを救うの方法は何であるかというに、ある人々の主張するような暴力革命を是認出来ないのである。だから何事が起っても非愛国的に見られ、生温く見られる。
洋服を着て、西洋風の家屋に住んで、洋食を食って、外国語を話す程度のコスモポリタンならば、お金があって好きな国へ行って住む事の出来るコスモポリタンならば、それ等の人達には左程の苦痛もなかろうが、今の世に於て本気に真面目に世界人になろうとするなら、矢張り釈迦のように総てを捨て去る決心が必要であり、基督の如く十字架を眼前に見詰めつつ生きて行かねばならない。
五 コスモポリタンの愛国心
小さい自分の腹を象のように膨張させようとする蛙が侵略的国家主義者であるなら、小さい金魚鉢の中でアプアプ言ってしんでいる小魚を広い池の中に放ってやろうというのがコスモポリタンの道徳である。だからコスモポリタンの愛国心はいつも小さい金魚鉢を気にする。小さい腹を気にかける。たとえば日本の現代を見てもコスモポリタンの憂国の情の国家主義者の憂情と違う。
『もし日本が軍に敗けたなら……』こんな事を思うのがコスモポリタンの愛国心である。朝鮮は日本から離れて独立しようとしている。政治上別に力も無さそうに見える観光団が来ても、その袖に縋って泣きつこうとする程の心持を見せている。こんな時にコスモポリタンは漫りに『不逞』の字を弄び得ない。もし仮りに日本人と彼等と地位を転倒していたとするなら、どうであろうか、日本人の方が何十倍猛烈に彼等に反抗するであろう、そしてその反抗者を忠魂義胆な愛国者と言うであろうと思う。こうなるとコスモポリタンは人道主義から見て常に公平な物の見方をする。井伊大老を殺した水戸浪士も伊藤博文を殺した安重根も、国を思う一念は同じであると思う。
日本人が米国で土地所有権を許されないと云って、米国を非難する時、コスモポリタンはまず、日本が外人に土地所有権を許しているかという事を考える。日本の労働者が北米で排斥されると云って憤慨する時、まず、もし米国の労働者が日本へ二十万三十万を押渡って来たなら、日本の労働者は排米を唱えないだろうかと考える。
『生きて帰る者僅かに三人!』それを痛快がる日本人ではないか。十万人の元冦が三人を残して悉く死んだのを痛快がる日本人の心持を、露領へ侵入していた日本人を惨殺して痛快がる露国人の心持に移して考えるのが、コスモポリタンの心であろう。だから彼等の愛国心というものは、公平に見て自分の国が善良な国であれかしと庶幾う心である。天上から見下しても、地下から見上げても、善だと思う行いに充ちた国にしたいというのがコスモポリタンの愛国心である。けれどもそんな国はこの世界に有りそうにも無い。だから彼等はいつも、非愛国者のように思われながら、心の中に美しい平和な国を夢みつつ国家主義者や軍国主義者から苦しめられつつあるのである。
底本:「地に物書く人」民衆文化協會出版部
1920(大正9)年12月5日発行
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらため、振り仮名を付しました。
※国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
入力:它足
2023年4月18日作成
あとがき(『平田篤胤』)
沖野岩三郎
平田篤胤は六十八歳まで生きていました。四歳から学問をしはじめたとすれば六十四年間書物を読んだ事になります。六十四年といえば二万三千三百六十日です。その日数を毎日一冊ずつの書物を読んでも二万三千三百六十冊です。ところが篤胤の読んだ書物の数は、どうしてもそれ以上です。それは一切経一部六千七百七十一巻を三回読んだというだけでもわかります。篤胤は多分十万冊以上の書物を読んで、それを記憶していたらしい。
久保田藩に石川元長という医者の博物学者がありました。ある日元長は篤胤に会って自分のもっている博物学の書物の中にわからない所があるのを質問しますと、それは何という書物に書いてあるのかと問い返しました。元長の家にある書物は世間にあまり見られない珍本でしたが、その書名をいいますと、それは名をきいたことはあるが、まだ見たことがない。持って来て見せてくれまいか。そうすると質問にたいして明日お返事をするといいました。そこで元長は夕方その博物書三十冊をもって行き、翌日朝訪ねると、篤胤はその三十冊をすっかり読んでその内容をはっきり記憶していて、元長の質疑を精しく説明したということです。
篤胤は旅行中宿屋の主人から一冊の書物を借りて読んだことがありました。それから幾月か経った後に、またその宿へ泊りますと、宿の主人が篤胤の所へ来て、以前お貸し申した書物はその後他人に貸したところ火事にあって焼けてしまいました。あの書物は世にも珍しい書物ですが、何とかして手に入れられないものでしょうかと、訴えるようにいいました。すると篤胤はその宿屋の主人が、そんなに書物を愛するのを知って、では、紙をもっていらっしゃい、私が書いて上げましょうといって、その書物を一字もまちがわず書いてやったという話もあります。
この読書力とこの記憶力とがあったから、門人の生田道滿は古今五千歳の一人だといったのです。
それだけの読書力と記憶力とをもっていた篤胤は、この上もなき勉強家でありました。服部中庸が本居大平に送った手紙の中に『書見著述にかかり候うては二十日三十日にても昼夜寝ることなく、つかれ候ふ時は三日も五日も飲食をせずして臥し、又覚め候ふ時は元の如し、なかなか凡人にては御座無く候ふ。』と、書いてあるが、実際柴崎直古や新庄道雄は眼のあたりそれを見て驚いたものです。こんな異常性の体格をもっている篤胤でしたから、左の肱が腐れるまで机にもたれて勉強したのです。一箇月に六回しか横になって寝ないで、書物を読み、著述に従事したという篤胤のような勉強家は、ほんとうに五千年間にたった一人であったかも知れません。その勉強の結果は一部で三万枚の大著述もでき、一部何百巻という書物も書かれたのです。まだその上に世間に出してはならないという著書もたくさんありました。
篤胤の著書を見ますと、とても口ぎたなく反対者を罵ってあります。これでもか、これでもかと。こきおろします。けれどもそれは学問上の議論であって、人間としての篤胤は非常に情にもろいおとなしい人でした。外から帰って来ると腰の大小をとらない前にまず子供たちをだいて可愛がりました。それから時時家内中集って和歌や俳句をつくったりして楽しみました。久保田へ帰ってから江戸に残してあった孫たちをなつかしがったことや、自分の妻や子供に死なれた時のなげきなど、その和歌をよんだだけでも思わず泣かされます。
篤胤は苦心して易学の書物を二部書きました。まだそれを世に出さないうちに、門人生田道滿が『古易大象経伝』という書物を書きました。篤胤はそれを読んで非常に感心して、一尺の錦は千丈の布よりも鮮かであり、一寸の剣は一尋の棒よりもするどいといって賞め、自分の書いた二部の書物は世に出さないから、この『古易大象経伝』を出版するがよいといって、その書物の序文を書いて発行させました。たいていの学者は、自分の弟子が自分以上の書物を書いたのを見たならば、何とかかんとか、けちをつけて、その弟子の名高くなるのを嫌うものですが、篤胤はそんなけちな根性はもっていませんでした。
篤胤は神道家神道を知らず玄学者仙術を知らず、儒者儒学を知らず、仏家仏意を知らず、医者医学を知らず、兵家兵機を知らず、易学者易を知らず、暦学者暦を知らずといって、あらゆる学者を罵ってはいますが、圓明院行智というお坊さんや萩原梅塢という仏教学者を尊敬して大変なかよく交際しています。
とにもかくにも、不思議なる存在です。今や日本は大東亜戦の真最中です。われわれ日本人が大東亜の平和の土台を築いて、大東亜の文化を世界の模範として示すには非常な努力が必要です。この時にあたって私は平田篤胤伝を書きました。日本人がことごとくこの篤胤の心をもって心として奮闘するならば、必ずその目的を達することができると思います。私は申します。『平田篤胤伝を読んで感奮しない者は日本人でない。』それは決していいすぎた言葉ではありません。
日本国民よ、ことごとく平田篤胤となって奮闘しましょう。そしてこの戦を戦いぬきましょう。篤胤の詠んだ二首の和歌を、も一度読もうではありませんか。
なせば成りなさねば成らず成るわざを成らずとすつる人のはかなさ
花鳥を吾れもあはれと見てはあれどあはれと歌ふひまなかりけり
終にのぞんで一言いいそえておきたいことがあります。それは篤胤が少年のころ、ばか正吉といわれ、十九歳になっても四書五経の素読もできなかったという説です。これは明治十四年に大和田德胤という人が発表したものに書いてありますが、私はそれを信じかねます。篤胤が八歳で学びはじめたのは漢学であり、十四歳の時友人たちと学問上の論議をしたという事を考え合せると、どうしても白痴であったなどとは思われません。年も一つちがいで、少年時を同じ久保田にすごした親友の小野崎通貫が、四十五年目に帰って来た篤胤を非常に信用して藩主にすいせんしたことも、篤胤が少年時代に俊才であった一つのしょうこです。ばかであった幼友達をあんなに藩主にすいせんするはずはありません。
底本:「平田篤胤」金の星社
1943(昭和18)年3月5日発行
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらためました。
※国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
入力:它足
2023年4月25日作成
合掌(『声なき凱歌』)
沖野岩三郎
野戦病院とは名だけで、古ぼけた民家の台所だの物置小屋だのに藁を敷いて病室にしているのである。それも此の部除が非常な危険を冒して、やっと引っこして来たばかりで、まだ設備というところまで手が届いていない。
そこへ一つの担架が著いた。発著部の兵が鉛筆と紙とをもって駈けより、部隊号、氏名、原籍、留守担当者などを聞いて書取りはじめたが、担架の上の負傷は胸を射ぬかれているので、とぎれとぎれに答えていたが留守担当者はと問われた時もう返事が出来なかった。
『もう病院に来たんだ。心配はねえんだから元気を出しなよ、で、ルスタントウ者は何て言う人かい。』
『おふくろです。』
『いや、名前をきいているんだよ………ただおふくろではわからんじゃないか。』
ここまで問答はつづいたが、もう負傷兵は何にも言えなかった。看護兵が手首を握ってみると、脈がみだれている。
大急ぎで手術室へかつぎこみ、担架のまま土間におかれた。そこへ軍医が来た。負傷兵のズボンがぬがされた。ふとももに長いハリがつきさされ、高くかざした容器から、リンゲルが見る見るすいこまれて行った。軍医はその手首をにぎってじっと其の顔を見すえた。ハリをぬいて、バンソウコウがそのハリのアナを白くくっきりとかくした。
軍医はカンジャの右手をしばらく、にぎっていたが、やがて無言のまま胸の上に引きよせた。それから左手をとって胸の真赤にそまったホウタイの上で、両の手を指一本ずつくみ合わせた。それから直立し、最敬礼した。で、みんな、やはり立って頭を下げた。
これは昭和十五年四月に、准尉松坂忠則氏が発表された傑作『火の赤十字』中にある一章の概要である。私がそれを読んだのは同月二十日の朝であった。
その時私はそこの所を繰返し読んだあとで静かに合掌した。合掌しているうちに、書物の上にほろほろと涙が落ちた。日本精神のありがたさを、しみじみ思ったからである。
日本にはこれまで神道十三派仏教五十七派基督教二十三派が伝道されている。まだその外に回回教もあればモルモン教もあった。あらゆる全世界の宗教が入りこんで来ていた。と、同時に明治の初年に外国の物質文明だけを取り入れた日本の教育は無神論の思想を若い人たちに深く植えつけた。だから此の頃召集されている青壮年のうちには、生まれてから一度も祈りの言葉を口にしない者、一度も心から神仏にむかって合掌したことの無い者が絶無だとは断言できない。けれども日本の兵士は悉く強い。その最期に皇居を遥拝することと、天皇陛下の万歳を唱えることを忘れない。
松坂氏の書かれた此の兵士は、野戦病院にかつぎこまれると同時に、看護兵の質問にも十分な答が出来ず、皇居遥拝の時間もなく、天皇陛下万歳を唱える時間もなく、担架の上で死んで行ったのである。此の負傷兵は幼時からどんな宗教を信じていたか、それを知っている者は一人も其の場にいない。けれども彼を手術した軍医は彼が息を引きとると同時に、其の両手を胸の上で合掌させてやったのである。
此の合掌は此の兵の最後の皇居遥拝であり、万歳の三唱であり、君が代の奉唱であり、上官達への訣別であり、故郷に在る一家親族への最後の挨拶であり、そして一家親族と共にした彼の信ずる宗教の祈でもあったのである。
情あり慈悲深い日本の士官は、その部下の死に当って、こうしたいつくしみに充ちた処置をするのである。しかも上長官である軍医は、その一兵士に対って最敬礼をするのである。
松坂氏の書かれた『火の赤十字』中の此の一章を読んだ時、私は日本精神の美しさ、日本の軍人が悉く心を一にして身命を国家に捧げる其の根源が明にせられたように思った。
死にし子は、息を引きとると同時に、真赤になった繃帯の上に、両手を組合せて合掌していたのであると知った其の両親は、此の軍医の親切なる行為を、数巻の読経よりも、永い宗教的儀式よりも、更に尊く感じたであろう。その一家が神道の信者であろうと、仏教の信者であろうと、基督教の信者であろうと、何という微妙な、深甚な宗教意識に富んだ軍医の行為であろう。
関根文之助君が『声なき凱歌』を書いた。私はその原稿を通読すると同時に、松坂氏の著『火の赤十字』を、も一度読み返してみた。そしてやっぱり涙と共に合掌せざるを得なかった、日本の兵士は其の宗教の如何を問わずことごとく強いのである。けれども日本精神と宗教との関係は、事ある毎に其の材料を集めて研究すべき重要な問題である。今関根君は基督教側からその研究資料として『声なき凱歌』の一篇を世に送り出したのである。本書の中に書かれた総ての人たちも、みなその胸の上に両手を組み合せて最後の万歳と祈とを捧げた人たちである。私は此の原稿を読み続けた後、静に眼をとじて合掌した。それは此の忠勇なる人たちに対する感謝と讃美だったのである。
底本:「声なき凱歌」日曜世界社
1943(昭和18)年5月20日発行
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらためました。
入力:它足
2023年10月15日作成
国家神道神社神道の結末(『日本神社考』)
沖野岩三郎
前述の如く仏教寺院がどんな山間僻地にでも、必ず存在するようになったが、それでも神社の数は寺院の数倍に達するほど多く建てられた。人皇六十代醍醐天皇の延喜五年から延長五年まで二十二年の歳月を費して調査した延喜式によると、祭神三千一百三十二座を、二千八百六十一社に祭ってあった。けれどもこれは名神大座から名神小座までの名高い神社であった。この他名神の列に入らない小さい神社は、何万何十万にのぼったであろう。これらの神社は仏教の勢力でも、どうすることも出来ない強いものであった。
仏教が渡来して以後、この仏教の教を仏道と云ったのに対して、神社の教を神道と云った。この神道は仏教の如き深い教理も哲学もなかったが、単純なる太陽教の意味は、国民の間に強い潜勢力を持っていた。その理由は太陽教主すなわち後の天皇は、太陽神が人間の形を取った現人神であると信じていたから、国民に対して絶対の権威をもっていた。これを今日の言葉で云えば、国家神道というべきもので、いやしくも日本国民たる者は、この太陽教主を神としてその命令に絶対服従しなければならなかった。それと同時にこの太陽教主を一言一行も、これを批許する資格は国民になかったのである。天皇は太陽である。その太陽は地上に雨を与えず、草木が枯れつくすほどの日でりを与えても、長雨がつづいてノアの洪水ほどの大事件が起っても、これを非難することは出来なかったのである。それと同様に雄略天皇がどんなに殺伐であっても、この帝は悪人なり、人を殺すを以って業となす。と史上に明記せられたほどの武烈天皇に対しても、この天皇が絶対の権威を持つ太陽教主であるが故に、時の国民は一言半句も恨まず、悲しまなかったのである。それは国民全体が、太陽が一時光を放たない日蝕になったのだと思う程度ですましたものである。この太陽教主に対する尊敬は、いかに仏教が皇室を占領しても、決して消え去らなかった。孝謙天皇は剃髪の尼僧で、二度目の即位式をしたが、やはり古来の神式に従われたのであった。その後歴代の天皇が即位式を行う時は、全国の寺院に命令して決して鐘を鳴らさしめなかったのであった。だから国民は手を合わせて仏像を拝すると同時に、神社に対しても合掌を忘れなかったのである。全国到る所に建てられた神社の前を通行する者は、必ず礼拝を怠らなかったが、名ある人はその神社に幣(ぬさ)を奉ったものである。然るに長い道中には幾十幾百の神社があるので、一一幣物を捧げることが出来ないから、幣袋という袋の中に、青赤白などの小さい布片を入れて持っていた。そしてその小片を少しずつ神社に捧げて、ぬさの代りにしたものであった。
菅原道眞が宇多天皇のお供をして奈良に行った時、東大寺の鎮守手向山八幡の社前を通ったが、幣袋を用意していなかったので、
このたびは幣も取りあへず手向山
紅葉のにしき神のまにまに
という和歌を読んだ。その意味は、この度は天皇に随行して来たので、自分勝手に神社に参ることが出来ないから、幣袋の用意をして来なかった。だから幣を奉りたいがそれが出来ない。けれども今凉しい秋風が深紅な楓の葉をちらちらと吹き散らしている。どうぞこれを神様のお作りになった幣だと思って、お許し下さい、というのである。
昔は山の頂を国境または村境としていた。境とは坂合の意で、その峠には必ず小さい神社があった。それは坂の両方を守る神を祭ってあるので、どちらから登って来た人でも、そこでこの鎮守神に幣を手向けたものである。峠とは手向けの意味である。
こんなに神社が多かったので、教理も哲学も持たない神道が、仏教に対抗し得たのである。さてこの神道は、国家神道、神社神道、宗派神道の三つに分れていた。
国家神道とは国家と切り離すことの出来ない道で、太陽すなわち太陽教主を信じてその命令に服従することである。この信仰は崇神天皇の時まで続いたが、崇神天皇が同殿同床の天照大神を、宮城以外に祭った、その時が国家神道と神社神道の分れる最初であった。天照大神は過去の太陽教主で、崇神天皇はその当時の太陽教主であった。たとえ教主であっても、死して隠り身となった以上、その隠身は大国主命の配下に属さなければならなかった。その隠り身である天照大神と崇神天皇とが、同室内にいる時、どうしても崇神天皇が主として祭られる現人神であり、天照大神はその相殿である。つまり同居人に対して主人が別居を申出たのである。そして天照大神は伊勢神宮に祭られ、皇居と神宮の別がはっきりした。この国家神道は昭和二十一年一月一日まで存続して、強い権威を持っていたのである。ところが明治維新後、皇室と神社神道とが固く相結び、皇室はあらゆる神社の総本家の形となり、国家神道と神社神道との区別がなくなった。その代り天理教、金光教などの十三派の宗派神道が起り、国家神道神社神道とひそかに対立する形になった。
明治二十七年に日本は清国と戦って勝利を得た。これは日本が太陽教主の天皇を載いているためであると、国民は一致して信じていた。ついで明治三十七年に日本は世界の六分の一を占めている大国ロシヤと戦って、再び勝利を得た。この戦で日本軍は銃剣の勝利は得たが、戦後敗戦国のロシヤから猛烈な思想を日本へ持ちこんで来た。その応援はドイツ、フランス、スカンジナビヤ諸国で、これらの数個国から日本に送って来たナチュラリズム(自然主義)ソーシャリズム(社会主義)ニヒリズム(虚無主義)アナーキズム(無政府主義)コンミニズム(共産主義)などの思想は、小説となり論文となって全国民に接近して来た。これはまさに日本開闢以来の大事件であった。これを如何にすればよきか、という問題は、政府当局者が責任をもって解決すべき義務があった。そこで政府当局者は額を集めて協議した結果、国家神道、神社神道を復活することが最上策であるとしてその実行に着手した。その第一は天皇を昔ながらの太陽教主として、神聖犯すべからざるものと信ぜしめることであった。ある年の文官高等試験委員をしていた某博士は学生に対して、天皇が親を殺せと命じた時これに従うべきか否やという問題を学生に与えたことがあった。また文学博士法学博士の二つの学位を持っている某男爵は、瞑想的宇宙観という一書を現わして、日本国と外国とが戦端を開いた時、外国の主張が正義であり、日本の主張が不義であった時、平常正義を唱道するキリスト教信者は、正義について不義の祖国を攻撃するや否やという問題を提供したことがあった。知識階級にはこんな学者達が論陣をはって国家神道を皷吹すると同時に、一般青年に対しては全国の神社に参拝せしめ、その祭礼を盛んにすることによって外来思想を防止しようと計った。そこで全国の小学生徒は年祈祭り、紀元節、天長節には教師につれられて氏神に参拝しなければならなくなった。青年達は市町村長の命令で祭典に参加し、のぼりを立て太鼓をたたき笛を吹き、みこしをかついで賑かに祭礼を行ったのである。しかもみこしが通過する時、二階から見下すようなことがあったならば、警官が踏みこんでこれを引きずり下した例もあった。村長はこの祭礼の祭主となり、あたかも昔の将軍が通行する時、目張りをさせたのと同じ形式を取ったのであった。ところがこうして祭典を盛んにしてみると、神社が多すぎる。明治三十九年末の調査では全国の神社数十九万二百六十五であった。これだけの神社に有資格の神職をおき、村民を思想的に教導して真の日本精神を復活せしむるためには、その指導精神を持つ神職を、一社に一人ずつおかなければならない。けれどもそれはとうてい不可能事であった。そこで日本の神社行政は、この神社の数を減じ、一社に一人の神職をおき、これを判任待遇として相当の月給を支払わしめることにした。その結果明治四十年末には神社数四万を減じて、十五万二千となった。更にこの神社合併を励行して、明治四十一年末には十一万七千八百十八社になった。しかしこの神社合併によって、いろいろな弊害が生じて来た。祖先代代拝んで来た神社を、その中の一番大きい神社に合併せられる時、氏子達がこれに反対するのは当然のことであった。一村に稲荷神社と八幡神社と金刀比羅神社と天満宮の四社があって、それを八幡神社に合併しようとしても、他の三社が承知しないので、幾度か村会を開いた結果、稲八金天神社という名にして、合併を承認させたという話がある。こうして稲八金天神社が祭られている時、年を経るに従ってその神社の祭神が氏子達にもわからなくなってしまう恐れがある。そんなことがあちらこちらに起って来て、いつのまにかこの神社合併の励行も下火になってしまったのである。
そうしているうちに外来思想はますます強く日本人の心を支配するようになった。
明治四十一年七月に西園寺公望、原敬等の内閣にとって代った第二次桂内閣は、総理大臣、大蔵大臣の二相を陸軍大将桂太郎が兼任し、司法大臣には岡部長職、文部大臣には小松原英太郎が当り、陸軍大将山縣有朋の後援する長州閥内閣を作り、強硬なる国家神道を断行することとなり、ついに明治四十三年六月の千九百十年事件に、急進主義者二十四名に死刑の宣告をして、その半数を特赦無期懲役とし、半数を死刑に処した。これは今日から見ると乱暴極まる非立憲的の裁判であったが、日本人の誰一人これを非難するものがなかったのは、実に神社行政の結果であった。この事件以後、小学児童の氏神参拝がますます厳格になり、敬神愛国の思想が強く鼓吹されるに至った。その後大正昭和にかけて、いうところの国家神道は、神社神道となって日本の思想界は、伊勢神宮を中心として統一する形式となってしまった。
日本歴史の二大古典である日本書紀と古事記の二書のうち、古事記を排斥し、日本歴史は日本書紀によるべきものという思想を主張したのは宮内省内務省文部省軍部であった。それは古事記の巻頭が天之御中主神から書き始められ、日本書紀は国常立命から説きはじめているからである。そして日本書紀は天照大神を中心として論ずるに便利であり、古記事はあくまでも天之御中主命を中心とするため、天照大神は歴史中の一時代統政者にすぎない。
当時の為政者は新しく神社神道を日本に発達せしむるため、あくまでも伊勢の皇大神宮中心の神社行政を行おうとしたのである。それがため天照大神を万物の創造主となし、日本人のみならず全世界の人々すべてが、天照大神を神として礼拝すべく、その子孫である天皇を世界の天皇とすべきだという思想が、日本の為政者から強く宣伝されはじめたのである。これがために古事記派の学者は、その言動を束縛されるに至った。ここに於いて頭山滿氏今泉定助氏等五名から、神祇院に御伺書というものを提出した。その文中に、邦家再興の古典たる古事記を以って神典とし、日本民族本来の信仰伝承なりとして講述せる著書の多数が、発行禁止の処分を受け居る有様は、青年子弟の教養上最も速かに解決を要する問題である、という意味が書かれてあった。そしてその御伺事項というのは左の通りであった。
第一問、古事記を以って非議すべからざる皇国の神典なりと解すべきや、あるいは支那思想を以って記述せられたる書籍なるが故に、国体違反の点を含むものと解すべきや。
第二問、古事記冒頭の天地創成の伝承は日本民族の信仰なりや、あるいは支那伝来の信仰なるや。
第三問、天之御中主神を否定し、あるいは軽視する処論の如きものこそ、神典冒涜の説として禁絶すべきものにはこれ無く候や。
第四問、天照大神は一日本民族国家の中心主宰神に坐しますのみならず、同時に全世界人類宇宙の中心主宰神にましますという信仰を是認すべきや否定すべきや。
第五問、日本天皇は一日本民族国の中心にましますのみならず、本来的に全世界人類宇宙の天皇にましますという信仰を、是認すべきや否定すべきや。
というのであった。
これに対して大日本神祇会から送った回答は、
第一、古事記は皇国の神典と解すべきものと存じ候。
第二、古事記天地創成の伝承は日本民族の信仰と相信じ居り候。
第三、以上の所見に基き自ら明白なるべしと存じ候。
第四、天照大御神の御神威、全世界人類の上に光被し給い、仰いで以って宇宙人類の中心主宰神たるの信仰に到達するは、無論是認すべきものと存じ候。
第五、恐れ多くも天皇の御本質を奉拝するとき、前項の所見に基き論議の余地なかるべしと存じ候。
というのであった。これが当時の為政者を代表した回答でありとするならば、古事記を排斥するのは行き過ぎであるが、天照大神が宇宙の主宰神であるという思想と、天皇が世界の天皇であるという思想とは、公然承認されたのである。だから天照大神を宇宙の主宰神と仰がない仏教もキリスト教も、圧迫を受けざるを得なくなったのである。
この頃から皇大神宮の参詣者が目立って多くなり、日支事変、太平洋戦争の起った時は、出征軍人は悉く氏神に参詣し、その守り札をいただいて入営したのである。戦時中全国の神社は日夜戦勝祈願に余念なく、有名なる神社の大太鼓の音を、ラジオによって全国民に聞かせたり、神社前を通行する者には、悉く脱帽敬礼せしめ、電車が東京市内を通過する時、靖国神社前、宮城前では乗客一同に脱帽敬礼せしむるに至った。それは日本の宗教を神社中心とする予備実行であった。日本開闘以来この時ほど神社神道が、国家神道と一致した時代はなかったのである。と同時に国家神道とは現人神たる天皇崇拝であり、神社神道とは皇大神宮その他のあらゆる神社を、国民の信仰対象とすることであった。そして日本軍の占領した土地には、まず神社を建て、天照大神を拝ましめたのである。だから皇大神宮の分社が建てられた所すなわち日本の領地であるという信念で、戦争は続けられたのである。然るに太平洋戦争が終結すると同時に、国家神道も神社神道もみな解散され、以前神社神道より一段低く見られていた宗派神道が、神社神道と同じ位置にいることとなり大神宮、神宮、宮の特殊資格は廃止され、官幣国幣別格官幣府社県社郷社村社の社格も撤廃され、皇大神宮も一氏神も同資格として見られ、在来の神社神道は跡かたもなく抹殺されてしまったのである。つまり神社崇拝は国家の権威をかさに着ず、各自の信仰に従って自由に参拝せよと云うのである。古来神祇官を以って各省の第一に置いていた日本の神社行政も、ここに一段落を見たのである。そこで昭和二十一年一月に、天皇は、朕は現つ神にあらず、と天下に明言せられたのであった。それは長く続いて来た太陽教の教主たる資格を、天皇自ら放棄されたのであり、天皇は日本国の政治に参与する一人であって、決して世界の天皇たらんとする野心をいだく者でないということを、世界に告げられたのである。かくして長い歴史を持った太陽教は終りを告げたが、その太陽教徒が建てた神社は決して亡びない。のみならずますます多くなる傾向を見せている。
底本:「日本神社考」恒星社厚生閣
1952(昭和27)年1月20日発行
※旧字体は新字体に、旧仮名遣いは新仮名遣いにあらためました。
※国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
入力:它足
2023年4月18日作成
沖野岩三郎の謎(『童話を書いて四十年』)
大木雄二
童話作家協会の解散に、前田晁氏が示した反抗はすでに書いたが、事変発生いらい、ことごとに反骨精神を見せた人に、沖野岩三郎氏がある。
牧師あがりで、四十を過ぎてから作家に転じたという経歴もかわっているが、明治末年、一世の耳目を聳動させた幸徳秋水一派の大逆事件に、関係があったような無かったような、微妙きわまる立場も、この人を語るにふさわしい。もっとも幸徳事件そのものが、官憲のデッチあげだとする説にくみすれば、沖野さんの立場のおもしろさも、半減することになるが。
ある人が、児童文化協会の集まりで、支那事変前線での日本軍の態度をほめて、つぎのようにいった。
「僧侶出身の砲兵がいた。彼は敵陣に向かって大砲を発射するたび、そのあとで南無阿弥陀仏と書いた札を、クリークの水に流して、敵兵の冥福を祈った。まことに武士道精神に徹している」
これに対して、沖野さんは反論した。
「あんた、それがいいというなら、敵の飛行機がだね。東京の空から爆弾を落としておいて、あとでアーメンとやったら、キリストの愛の精神だといって感謝しますかね」
沖野さんは、片手で、十字を切る真似までした。
大蔵省貯金局の申し入れで、貯金のすすめ式童話集を出そうとした時も、おもしろかった。
場所は大蔵大臣官邸で、大蔵省がわからは、二十年間に十万円ためこんだという、貯金道のベテランも出席して、懇談した。
「子供には収入の道がない。収入のないものが、どうして貯金できるか」
それが、こちらの意見だった。
「そこがつけ目。子供に貯金をせがませて、親を貯金の必要に開眼させる」
役人がわは、そういった。その時、沖野さんは、やおら立ちあがった。ポケットから蟇口をとりだし、十円紙幣と、一円紙幣をつまみあげ、両手の指にひらひらさせながらいったものである。
「戦争のあとではインフレがくると思って、まちがいないでしょう。物価があがれば、つまり貨幣価値がさがる。この十円を貯金しておいたとして、戦後こちらの一円札だけの価値があるがどうかですな。ないとすると、貯金をするのは、損をすることです。損をすすめて、いいものでしょうかな」
沖野さんらしい表情――というのは、目をむいて、あきれたような格好をしたものである。
役人諸氏はわらった。うなずいた。彼らもそれくらいの理屈は、百も承知だったのだ。
「いま、先生のおっしゃるような理論は、しばらくおくといたしまして……。わたしどもといたしましては、国民に物資を消費させないための貯金を考えております。物を買わないことです。貯金をすれば、物は買えません。そこを狙っておりますので……」
「いや、よくわかりました」
沖野さんは、二枚の紙幣を蟇口にもどして、何があったかという顔だった。
この人が、夫人づれでヨーロッパへいったことがある。新宿のどこかで送別会を開き、数十人が集まった。一年ほどで沖野さんは帰ってきた。送別会に集まった顔ぶれを、銀座のあるところへ招待。帰朝の挨拶をされた。
話じょうずな沖野さんの欧米観は、ひじょうにおもしろく、また童話作家的でもあった。たぶん集まったものが童話作家だったので、そうなったのでもあろう。
それにしても、送別会とか歓送会とかに、各種のカンパなどはすくなくないが、のちに何の報告もなく、金の使途に疑わしいのすらある。沖野さんのように律義で、しかもこちらの勉強になる後日を果たしてくれた人は、わたしの知る範囲では数えるほどしかない。
底本:「童話を書いて四十年」自然社
1964(昭和39)年11月10日発行
入力:它足
2023年10月18日作成
今日では不適切とされる表現が含まれていますが、そのままとしています。
写真は王子ヶ浜
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