相談文化
自分の家には“相談文化”が存在しない。
相談どころか、コミュニケーション量が他の家庭に比べて圧倒的に少ない。
父は今日、母が用意した夕食を完食していなかった。
完食がいいことで、ご飯を残すことが悪だとは思っていない。私にもときどきご飯を残すことくらいある。
父は、ほば毎日夕食を残している。おそらく。
私は台所に用意された父の夕食の量は知っている。
父が夕食に充てている時間はごく短く、その時間内で用意された量のご飯をすべて食べきることは不可能だろう。
母が見ていないところで、残飯はディスポーザー行きになる。
仕事を終え帰宅し、まず手洗いを済ます。台所を見ると夕食の用意はあるので、形式的に夕食をとる。その後、ディスポーザーで残飯を処理し、自室で休むのが父の帰宅後のルーティンだ。
再三になるが、ご飯を残すことは悪いことだとは私は思わない。
ここで述べたいことは、なぜ父は母に
「あんな、仕事終わりは疲れとって、あんまりご飯食べられへんねん。夕食の量は少なめでええで。」
と一言言えないのだろうか、と。
夕食の量を減らすよう、相談ができないのだろうか、と。
上記の夕食の話は一例だ。
私が小学生のときからすでに両親は不仲で、家庭内別居の状態であった。
同じ屋根の下にいるのに、ほとんど会話を交わさない。
相談文化がない家庭で育った私は、
「どんなときに人に相談するのか」
「どんな風に人に相談を持ち掛ければいいのか」
「相談を聞いてもらったあとは、どんなお礼を言えばいいのか」
などを学ぶ実例を間近で見ることが叶わなかった。
その結果、会社勤めを始めたときに大いに苦労した。
先輩社員から「どうしてもっと相談してくれないの」なんて言われたっけな。
大事な大事な報告・連絡・相談のうちの一つがロクにできないんだもの。そりゃあ、周囲からしたら「とんでもない奴を採用してもうたなあ」ってなるよね。
先輩、そう言われましても、どの事案が相談すべき事案なのか、分からないんです。判断できないんです。だって、相談文化がない家庭で育ったんだもの。先輩もきっと、この家庭で育っていたら私と同じようになっていたんですよ。両親が不仲ではない家庭で育った自分の幸運をどうか噛みしめてくださいね。
重ねて。中学生のとき、友達と喧嘩をしたときに
「君は相談とかこつけて、人の悪口を言ってるだけ」
と言われたことがある。
その事実も私の心の傷となって、人に相談をしようという気持ちを削いでいるのかもしれないな。
大学を卒業して数年、
週5で会社にいれば、まあ、多少は「あぁ、相談ってこうやってするものなんだな」ってのは掴めてきますね、多少は。
昔ほど相談関連では悩まなくなった。
それにしても、へんてこりんな家庭。