見出し画像

ルネサンス式江戸弁と超地域的下町マルチチュード(1)

(2,256文字)
 福岡にきてはや2年。引っ越すことが決まってから、前の職場関係の知人で九州人の妻を持つ人に、九州弁はうつりやすいですよ、と言われていた。果たしてどうであろうか、とその点について被験者気分で移住をしたのだが、どっこい、似非江戸弁が強くなるという病症を呈したのだ。

 似非江戸弁とは何か。これは東京の旧東京市15区外東部の非旧江戸地帯の人間によって故意に話されるルネサンス式江戸弁のことである。

 そもそも、自分が殊更そうであるのだが東京及び東京圏の人間は二重性への憧憬がある。つまり自らを一重の文化層にしかないものとしてしか見出せていない、一種のコンプレックスを抱えている。その裏返しとしてテレビ関西弁を身につけるヤツなんかもいたし、もっと野暮な人間は幼少期数年過ごした関西の方言をあたかもネイティヴのように口走る輩までいる始末である。

 その滑稽さは東京圏以外の言葉を母語に持つ人間からすれば甚だしいものだろうが、自分が多層性を内包していることを謳いたくて仕方ないのだ(赦してくれてよ)。このコンプレックスは上京してくる人間と触れ合うことで一層深くなる。彼らが地元の知人や家族に電話をする際に自然に発されるふるさとの言葉をイジってみせながらも内心羨望しない者はあるまい。

 そのように地方の人間にとっては比較的明らかに多重化されているその表層がわたる標準語そのものは、関西的な東京弁disを見れば判りやすいが、経済用語や学術用語と絡んでいたり、形式的で(不特定多数の人間が集まるが故に)迂遠な感情伝達の言葉でもある。それは、都心を囲繞するエリア、特に江戸以来の下町方面である川の手に根付く人間にとっても実際はかしこまった言葉である。いかに単層的ではあれども大学や会社で使う標準語の話かたと、地元の中学までのフランクな言葉と、実際は使い分けはなされている。

 でもイントネーションは同じだし、語彙も変わらない。本当に俺たちは単層なのかもしれない。これはもう自力で話し言葉を引き裂いて鮮明に多層化をしなければならない。標準語は標準語であるので、ここが基準点である。ここから距離をとるしかないのだ。...そうして無理やり、似非江戸弁を話すようになる。

「おめぇよ、そらーあ道理が通らねえってもんよ」「でーてぇ俺ァてめぇみてぇな野郎なんざハナっからロクなヤツじゃあねぇって思っテっからヨォ」「しゃく円足んねぇ」「布団ヒいとこうか」

 これを、厨二的差異化と嗤わないで欲しい。

 鎌倉時代、夷中(ヰナカ)人の言葉やあづま訛りと東国語が言われるその頃に修行のため上京して京訛りに流される弟子を痛烈に叱咤した日蓮の関東坊主としての意地、爛熟した町民文化(=江戸弁)をもちながらも結局は京都中央に従う話し言葉をする武士(=江戸語)の下級にあらねばならないことの僻んだ徳川江戸期、中央政府を打倒した薩長の人間が大挙して上京してきたのを「ノテ」「ヤボ」と軽蔑にしていたのに次の世代には山手人となった彼らに下層土着の江戸モノと見下された経験。それは下町出身である作家の小林信彦が1940年代の中学生時代に「てめぇ、うすぎたねえ真似しやがって」と山手出身の生徒に放ったところ「きみ、おもしろい言葉を使いますねぇ」と吹き出された、その構図に象徴される。そしてここでカウンターの江戸言葉を引き受けている下町エリアも、拡張する東京においては今や築地や神田・日本橋といった一等地でしかありえず、スプロール化しながら東京下町に組み込まれた「旧東京市15区外東部の非旧江戸地帯」に、積年の構造的コンプレックスは払い寄せられている。

 このムゴさは、この一帯が最終的に1932年の東京市拡張(東京35区化)によってフラットな行政区分に含まれ、都制施行以降特別23区として今に至っていることかもによるのかも知れない。千葉県や埼玉県であれば別の県として、むしり隣県の中で東京に近いエリアという地位を獲得できたのかもしれないのに、特別23区という国内至高の行政的枠組みにありながら圧倒的な辺境でしかないのだ。この「圧倒的な」というのも全国47都道府県間の経済格差よりも23区間の格差の方が大きいという事実をすれば妥当な言い回しではあるまいか。

 すでに中央化によって文化財/文化資本化されてしまった所詮下町エスタブリッシュメントを排除した上で、自らが身を置く23区の地域が引き受け続けてきた文化的階級闘争の枠組みを横取りすることによりこの域内不均衡とそのコンプレックスが生み出す力を東西軸を円環の対立に置き換える闘争が、ルネサンス式江戸弁という東京語の人為的二重化、つまり基層のがわを再創造するという形態をとり表象しつつあるのだ。(世代的な新語も領域化の闘争であるとのように言われるが、幅広い現象であるがために地域性を持ち得ず、全国語に吸収消化され上述の構造を持つことはない。)

 江戸弁にも本来は下町内部での階級に伴い粗野な江戸弁から上品な江戸弁まで、ちょうど江戸落語家が使い分けるようにして存在しており、そのなかから適切そうなものを引き継ぐ方向もありえそうなものと思われるだろうが、そういったものは結局は下町エスタブリッシュメントしか引き受け得ない。いくら江戸弁自体が多層性を持っていたとしてもその体系からも疎外されている。

 23区に組み込まれることで背景そのものが一度リセットされてしまった以上は、似非であることが、自らにとって真実であり、表現である。


[後半に続く...]

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?